<虎に翼・家庭裁判所編 >10週~14週の解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】

続・朝ドライフ

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2024年4月1日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「虎に翼」。

日本史上で初めて法曹の世界に飛び込んだ女性をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。困難な時代に生まれながらも仲間たちと切磋琢磨し、日本初の女性弁護士となる“とらこ”こと猪爪寅子を伊藤沙莉が演じる。

CINEMAS+ではライター・木俣冬による連載「続・朝ドライフ」で毎回感想を記しているが、本記事では、戦後に法曹界へ復帰した寅子が家庭裁判所で奮闘していく第10週~14週の記事を集約。1記事で感想を読むことができる。

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もくじ

第46回のレビュー

寅子(伊藤沙莉)は昭和22年3月、いきなり司法省の仮庁舎(法曹会館)に乗り込みました。

第10週「女の知恵は鼻の先?」(演出:梛川善郎)のはじまり。

アポイントをとってないから取り次げないと門前払いをくらいされそうになったところ、ライアンこと久藤頼安(沢村一樹)に助けられます。彼のおかげで寅子は司法省の民事局民法調査室で働くことになります。

ライアンはいきなり寅子の名前をサディと呼んでじつに馴れ馴れしい。
名前は”頼”れて”安”心ですが、「うさんくさい」(3回も使用)と思われてしまうちゃらいキャラを演じさせたら沢村さん、右に出るものはいません。

ライアン、じつは久藤藩の藩主の末裔で「殿様判事」と呼ばれているという、強力な属性付きでした。

司法省で寅子はなつかしい人たちと再会します。
ひとりは桂場(松山ケンイチ)
彼はいきなり裁判官として雇ってほしいとやって来た寅子にやさしくはありませんでした。
これまで女性は差別され裁判官になれませんでしたが、憲法によって男女平等になったこともあるうえ、目下、GHQが婦人の解放を要請しているところだから、いけると踏んでいた寅子でしたが、桂場は一度、司法の世界を辞めた寅子をゆるしていないようです。

裁判官とは「司法の砦なんだ」と桂場の強い信念はゆるぎません。
そして憲法が変わろうと、彼女を取り巻く環境は戦争前と変わっていないし、憲法自体が定着するかもわからない、と考えています。彼女とは寅子のみならず女性たちのことも含まれているでしょう。そして、視聴者は憲法はそのまま定着してしまっていることを知っています。

戦後の民主化、憲法の改正は、アメリカの意向がたぶんに入っていました。ライアンがやたら人の名前を英語化しているのはその状況への暗喩にも見えます。
そう、サディのほかに、ハーシーと呼んでる人物もいました。

寅子の学校の同級生で地裁から出向して来ていると聞いて、寅子は花岡(岩田剛典)を思い浮かべますが(轟〈戸塚純貴〉よね(土居志央梨)も思い浮かべてほしいけれど、地裁からで、花岡だったのでしょう)、いたのは――ハーシーこと小橋(名村辰)でした。

仕事場に入ったとき後ろ向きだった彼にしばらく寅子は気づかないし、振り向かれても「ああ」とそっけなさすぎる態度。会話中は心のなかで「失礼垂れ流し野郎」とまで毒づきます。

桂場とか小橋とか、寅子の天敵的な人ばかりで前途多難そうであります。

桂場の名前を聞いた、はる(石田ゆり子)は絶望的な顔をしていました。昔喧嘩を売ったことがまだ糸を引いているのです。小橋のこともなかったことにはなっていません。おもしろおかしく描いてはいますが、桂場や小橋は、彼女を取り巻く環境は戦争前と変わっていないことの表れかもしれません。

寅子と小橋の会話の場面では、なぜかやたらとカットを細かく割っています。3つほどのパターンを一定のリズムで繰り返すことで何を印象づけようとしているかと思えば、「アメリカ」というワードと、小橋のぴょんとはねた前髪です。その毛先に「つづく」をちょこんとレイアウトしていました。

小橋が急激にアニメみたいなキャラ立ちしてきたこととカット多めな手法は、時代ががらっと変わった表現かもしれません。ここからポップなリーガルエンターテイメントがはじまるのかも。

寅子自体がもともとノリのいいキャラとして造形されており、ライアンやハーシーとの場面ではコントぽい間合いの芝居をしていますし、性格もちゃっかりしていて、憲法で男女平等になった途端、これはよし!とばかり裁判官になろうとしたり、桂場には「裁判官に向いている」と言ったと丸め込もうとしたり、「言ってない」とごまかされても「言ってないかもしれないけどそのようなことはおっしゃいましたよね」と一歩も引きません。理屈でたたみかけていく戦法や、父と兄と夫が亡くなったことを悲壮感漂わせずに語る口調など、寅子らしさだと思います。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第47回のレビュー}–

第47回のレビュー

ちょっとコメディ色強めではじまった新章ですが、寅子(伊藤沙莉)の仕事はお固いものです。民法親族編、相続編の改正です。
裁判官にはなれなかったけれど、これはけっこう意義のあるお仕事なのではないでしょうか。

戦前、男性優位になっていた婚姻に関する法律が、戦後、できるだけ男女平等になるように考えられています。万年筆で書かれた改正案のインクの色の微妙な変化が美しい。

寅子は真剣に読むあまり、傍らでじっと見つめているライアンこと久藤(沢村一樹)に気づいていません。
声をかけられびっくり。ライアンは寅子の横顔が「絵画のよう」で見とれていたとくすぐったくなるようなことを言います。

朝ドラに限ったことではないですが、なぜ、エンタメでは、外国文化に傾倒した人物をコメディリリーフ的に描くのでしょうか。それも一種の差別ではないかと思うのですが、「虎に翼」では、堅苦しい言い方をすれば、「うさんくさい」と思える人物が意外と知性的であるという、人間が勝手にレッテルを貼ってしまうことを主人公自ら侵すことで教訓を与えようとしているのだと思います。法という正義を司る主人公もいろいろ間違えていることがこのドラマの肝なんじゃないかと思うのです。
人間はみんな完全ではない。完全ではない者たちが人間を裁くのです。すごいことです。

改正案の感想をライアンに聞かれた寅子は肯定的な感想を述べますが、ライアンは「君は思ったより謙虚なんだね」と指摘します。なぜ、寅子が「謙虚」に思われる反応をしたかというと、どうやら、ここでうっかりしたことをして仕事を失うわけにはいかないとセーブしたからのようです。

それを見抜いているのか、ライアンは、婚姻における夫婦の名字の扱いについて寅子に質問。この改正案はGHQに「生ぬるい」と突き返されたのだと教えます。
ただし、GHQの言うとおりにすると、夫に先立たれた女性が夫の名字を名乗れなくなるというのです。

寅子もまだ「佐田」を名乗っています。夫の家族とすぐにさようならできない女性もいるというところで、花江(森田望智)のカットが入ります。直言(岡部たかし)が花江は直道(上川周作)が亡くなっても猪爪家にいていいんだよね?と寅子に確認していたことが思い出されます。直言はああ見えてやっぱり社会情勢のことよく考えていたのかも。

夫の名字になりたくない人もいれば、夫の名字を名乗りたい人もいる。あらゆる例を考慮しないといけないから、法律づくりは大変です。

「早急に決めないと世の中の善悪が宙ぶらりんになっちゃうからね」とライアンは危惧しています。

寅子は家に戻ると、この話をしながら夕食を家族と食べます。家族揃って、寅子の仕事場の話で盛り上がる。なんてすてきな家族でしょうか。ただ、隣に子供・優未(斎藤羽結)がいるのに、寅子のお母さんらしい仕草があまりなかった。家に戻ったらお母さんに変身するわけではないようです。仕事場でも家でも寅子は寅子。

そして、花江は、夫を殺めたアメリカ人と寅子が仲良く仕事していることを好ましく思えないとこっそり吐露します。食卓では言わず、ふたりっきりのときに言うのです。
アメリカの言いなりになるのは負けたから。アメリカは婦人を解放しようとして、それを喜ぶ人もいるけれど、夫を失い、夫の名字を名乗ることも奪われるという悲しみを背負わされている女性もいるのです。

翌日、寅子は、司法省で桂場(松山ケンイチ)に“謙虚”に挨拶。それを薄っぺらいと言われ、あんなに軽蔑していた「スンッ」を行ってしまったと寅子は苛まれます。スンッをしないで済んだのは環境に恵まれていたおかげ。大海に出れば「スン」としないと生きていけないのでしょうか。「スン」としないでお互いが言いたいことを言い合って喧嘩ではなく、ディスカッションすることでより良い方法が見つかるというのが理想なのだと思います。

スンっと処世術は男たちもやっているようです。
民法改正審議会の委員である東京帝大の神保教授(木場勝己)が「この国を破滅させる気かな」と改正案に反対します。きついことを言っているのに顔はにっこり。受けて立つライアンも笑顔を崩しません。男たちは男たちで、本音を隠しながら丁々発止でやり合っているのです。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第48回のレビュー}–

第48回のレビュー

神保教授(木場勝己)に民法の改正案についてどう思うか、意見を求められ、ぎくりとなる寅子(伊藤沙莉)

鮮やかに意見を述べるかと思いきや、スンっとして、無難な回答でお茶を濁そうとしてしまいます。

寅子の口調の歯切れの悪さを良いことに、神保は自分の意見を肯定するように誘導していきます。神保が、日本の古き良き伝統を守りたいと思う根拠には、法に詳しい人たちばかりではないし、いきなりいろいろなルールが変わったら戸惑うだろうということがあります。

「まず未来ではなく いま目の前の苦しむ人を救いたいと思う」とか、日本らしい民主化もあるのではないか、とか、言ってることは正論なのです。それをライアン(沢村一樹)は「保守のお手本のような人」とやや嫌味混じり。

寅子は新しい憲法には感動したものの、民法改正によって戸惑う人もいることは、花江(森田望智)のことを思い浮かべるともっともと思えて、何も言えなくなってしまったようです。

自分とは違う考えや立場の人のことを思って素直な意見が言えなくなっている寅子のことを、小橋(名村辰)は以前は「はて?」「はて?」言っていたのに、大人になったと褒めます。寅子のモノマネが似ているから余計ににくらしい。

桂場(松山ケンイチ)はあからさまにむっすりして何も言いません。
寅子と神保の会話を目をぎらっとさせにやにや見ていたライアン(沢村一樹)は爽やかな笑顔で、意見交流会を行うとその場を取り繕います。

三者三様。それぞれの受け止め方があり、立場があり、考え方があるのです。
だから、法だっていろんな考え方を加味したうえで決めなくてはなりません。

その後も様々な意見を聞きながら改正案作成を進め、停電するまで働いて(これはなんだったのか、尾野真千子さんに解説してほしかった)……ある日、寅子はばったり穂高(小林薫)と出くわします。彼も民法改正案の委員でした。

穂高こそ寅子が弁護士を辞めたきっかけです。雨だれ石を穿つということわざを引き合いに出産と子育てを優先しろと言われたものの、寅子は未来の捨て石になりたくない(大意)と反論しました。それがいまや、寅子が、未来を見据えて徐々に、みたいなことを言うようになっています。

父と兄、夫が亡くなったと聞いた穂高の驚きと、「それは残念だ」という悼みの表情。小林薫さんのこの演技といい、食えない偉い人役の木場勝己さんの、穏やかそうでものすごく圧のある感じ。名優たちの芝居が見られる幸福に浸る朝でした。

法曹界は狭い。あっちこっちで喧嘩を売っているといづらくなってしまう。司法省につとめはじめたものの、寅子はどうも調子が出ない様子です。

民法改正についての婦人代議士たちの集まりに寅子は参加し、立花(伊勢志摩)をはじめとして、自分たちが先頭に立って社会を変えようとしているご婦人たちがたくさんいるのを目の当たりにしても、自分は一度逃げた立場だからと同等に感じることができません。

狭い世界で、息巻いていた寅子が、大海に出たら、大小様々な敵もいれば、自分よりも頑張っている優秀な人たちがいることや、気まずい関係になっていると仕事がやりづらいとか、ブランクがあると弱気になってしまうとか、いろいろなことで心が縛られてしまっているようです。これは、法の世界に限ったことではなく、社会に出ると誰もが少なからず経験することでしょう。

なぜ女性たちが「スン」となっていたか、いまの寅子は痛いほど実感しています。
アメリカ人から、お子さんにとチョコをもらっても、花江の言葉が気になってしまう。
英語も流暢には話せないのも、もどかしいことでしょう。
社会の変化に、自分がついていけていないというか、居場所がみつけられない落ち着かないときってほんとうにつらい。

肩を落とし、優三(仲野太賀)の幻を見てしまう寅子。そのとき、法曹界の狭さをさらに実感することが――。
職場恋愛的なことをして別れたあと、また顔を合わせて気まずくなってしまうこともあるのです。
なんと、花岡(岩田剛典)まで現れて――。

花岡、どこか覇気がないようで、気になります。

さて。立花役の伊勢志摩さん、「あまちゃん」ではサブカル好きの花巻さん役でした。身体を駆使したビジュアルインパクトの強いキャラを作り出しつつ知性的なところを残しどこか上品さのあるすてきな俳優さんなので、女性の地位向上のために先頭に立っているらしき立花役もお似合いです。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第49回のレビュー}–

第49回のレビュー

花岡(岩田剛典)と再会した寅子(伊藤沙莉)
以前のようにベンチに並んでお弁当を食べます。
前回、もうひとつのベンチには優三(仲野太賀)の幻が出て、今回ベンチの隣には花岡。
花岡のほうが距離が近いのが、亡くなってからも優三がやや不憫であります。

花岡は、東京地裁、経済事犯専任判事として食糧管理法違反の事案を担当しているせいか、やたら質素なお弁当。寅子のお弁当は闇市で買ったお米が入っていたため気まずい。でも、「闇市で買ったものでした」の尾野真千子さんの語りの語尾がやわらかくて、ほっとします。

花岡は、自分を律しているけれど、寅子を責めることはしません。闇で商売している人たちが罪であり、それを食べている人たちには罪がないと思っているのでしょう。

寅子が「謙虚」と言われていると聞いて「謙虚?」と驚くというお約束ぽい場面のあとに、
梅子(平岩紙)の言葉を引いて「どうなりたいかは自分で決めるしかない」と励まします。

みんなどうしているかなと思いを馳せるふたりは、大学時代の向学心に燃え、きらめいた思い出のなかにいるんだなあと思います。こればっかりは優三には入っていけない世界なのです。

「僕の大好きなあの何かに無我夢中になってるときの寅ちゃんの顔をして何かをがんばってくれること」と願った優三がもうひとつのベンチ、「前もいまも全部君だよ」という花岡は同じベンチ。この位置関係とそれぞれの言葉が深いです。

寅子はもらったチョコを半分に割って花岡に渡します。
闇の物資を食べている人を責めないけれど、自分は食べない。それが彼のなりたい自分のようです。でも、チョコは闇のものではなく、子供のために彼はありがたくもらって帰ります。

第48回で花岡がいくらか小銭を援助していたハーモニカのうまい傷痍軍人に、寅子がチョコを分けないわけは、闇市のものを食べない花岡と闇市のものを食べる寅子の違いでしょうか。すでに小銭を援助していたのかもしれません。

花岡は桂場(松山ケンイチ)に会って、

「人としての正しさと司法としての正しさがここまで乖離していくとは思いませんでした」

と語ります。

何か思い詰めているような花岡が心配。前はあんなに前途洋々でキラキラと輝いていたのに。桂場も心配しています。

帰宅すると、ライアン(沢村一樹)に連れられてホーナー(ブレイク・クロフォード)が子どもたちにたくさんチョコを携えて来ました。祖父母がユダヤ人でアメリカに亡命したホーナーは戦争でいろいろ苦労してきたようです。

花江(森田望智)は英語で礼を言い、子供たちは喜びます。ここも注目ポイントかと。花江は女学校で英語を学んでいたけれど、結婚によってその教養が生かされることなく、子供たちは花江の実力を知りません。そして、花江のことを言うのははる(石田ゆり子)で、彼女もまた勉強していたけれど、結婚して勉強を活かす場を失っていた人です。

そして、民法改正案の会議。
家族制度の改正案に反対な神保(木場勝己)とGHQの意見に倣う派の穂高(小林薫)が対立。

心配する寅子に、桂場は

「司法にはどちらかに偏りすぎず、相反する意見・主張が必要だ」

と平然としています。

会議では、女性の側に立ったように見えた穂高。寅子がいま、子供のために無理して働いていると感じて、職を紹介しようとします。
会議では、女性が寅子しかいないことを指摘していたのに、その寅子を辞めさせようとする真意は……。

改正案推進に見えるのも単にGHQの顔色を伺っているだけなのでしょうか。大学でもそういうところがありました。いやでも、それは「雨だれ石を穿つ」の精神で、地道な活動をしているのでしょうか。彼にとっては未来の子供を大事にすることが最優先のような気がします。寅子の妊娠を知ったときも、いまも、子供のために良きことを考えているように思えます。自分たちのあと、子供たちが未来を作っていくものですから。

神保教授もライアンも桂場も、穂高も謎が深い。

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–{第50回のレビュー}–

第50回のレビュー

「私はまた何か問題を起こしたかね?」
(穂高)

穂高(小林薫)は、寅子(伊藤沙莉)が妊娠したときの揉め事以来、彼女をこの道(法曹界)に引きずり込み不幸にしてしまったと気に病んでいたようで。

寅子が子供を育てるために無理して法曹界に戻ってきたと誤解し、別の職を紹介すると親切で申し出るのですが、寅子は「はて」と、自分は不幸ではないのだが……と首をかしげます。

寅子と穂高の食い違いがとんちんかんで滑稽にも見えるし、人間同士はこうもわかりあえないのかという悲劇にも見えて、これが世の中を象徴しているように思えました。悲劇と喜劇が合わさった物語をトラジコメディ(悲喜劇。トラジ tragedyは悲劇の意味)といいます。これはさながら虎ジコメディってことでしょうか。

穂高の心理を考察。
もともと、寅子が妊娠による体調不良で倒れたとき、子どものために休んだほうがいいと穂高は慮りました。

穂高にしてみれば、彼女を女子部に誘ったとき、いまの寅子にすぐにでも大活躍してもらうつもりではなく、大きな畑にいくつか種を撒いたようなものでしかなかったのだと推察します。当時、女子部活性化が大学の使命だったからでもあるでしょう。

穂高は極めてニュートラルなひとであり、ことさら女性びいきをしているわけでもないのだと思います。

ひとりの女性(寅子)をその気にさせて落胆させたということを反省した穂高は、いまだに法曹界では女性が少なく、寅子が活躍する可能性も保証できない。生計のために居づらい法曹界に復帰して、暗い顔をしているくらいなら、給料のいい別の仕事を紹介すると申し出たと思われます。

合理的な考えが必ずしもいいわけではなく、もっと他者の内面に寄り添うことを求められることがあるのです。よく、悩みを打ち明けられたとき、正論で返しても喜ばれないというようなことがあるじゃないですか。穂高と寅子の食い違いはそれに近いのではないでしょうか。

寅子は「好きでここにいるんです」「それが私なんです」と反論。
桂場(松山ケンイチ)が言うように、結果的に穂高の行為が寅子の背中を押したことになったのです。穂高が意識的にやっていることにすれば、穂高最高、になるところですが、なぜか、穂高の心理は明確に描かれません。

穂高がどういう人物か知る手立ては「雨だれ石を穿つ」という彼の考えです。これはものすごく地球の歴史的な、哲学的な考え方。地球上の生き物はすべて雨だれのようなもので、地球の長い歴史に比べたらちっぽけなのだということです。たぶん。

一方、寅子は、そんなこと言っても、今、れっきとして生きているのだから、全体を大事にしましょうというのではなく、個の幸福に目を向けてこその全体ではないかと考えるのです。

燃え盛った寅子の心を鎮めたのは、日本国憲法の条文でした。まるでお経のように唱えて……。その端正で理性的な文章に彼女はある意味うっとりとなるのです。あらためて、法律が好きなのだと自覚した寅子は、

「私が私であるために、やれるだけ努力してみるか」
(寅子)

と息を吹き返します。
民法改正案の会議で、あくまで”家”を大事にしようとする神保(木場勝己)に対して、寅子はついに僭越ながらと言いながら手をあげ、意見を述べます。「家のまえに、ひとりひとりの尊厳を」と。
そのまえの個のために家を大事にするなんて「大きなお世話」と言うのは、余計だった気もしますが。

寅子が努力した成果のひとつは、高学歴でない女性にもわかる口語体にしたことです。
はる(石田ゆり子)花江(森田望智)は改正案を読んで、カタカナばかりで読みにくい。
私達にわからせまいという書き方をしている。自分たちの頭がいいと自慢したいんじゃないか。などと言っていて、寅子はその声を反映させたのです。ほんとに、法律のみならず、日常交わされる契約書などもわざと読みにくく書いてあると思うことがありますよ。

ちょうど令和のいま、夫婦別姓について議論が成されていますが、1947年(昭和22年)の民法で、婚姻後の名字について改正が成されていたのです。
猪爪家で、家族で、猪爪じゃなくて直井直治、と大笑いしているのがほのぼのしていました。この家族の仲良さは、名字が何になろうが決して変わらない。そんなふうに思わせる場面でした。

寅子が元気になった頃、いつものベンチでお弁当を食べながら、おそらく、花岡来ないなあと思っていたと思うのですが、そこへ想像を絶する知らせが……。

クールに振る舞っている桂場も、実は共亜事件からいろいろあったことが語られます。
女性も大変ですが、男性たちはもっと地獄を見ているのかもしれません。いつも同じ場所でハーモニカを吹いてる傷痍軍人さんもきっと戦場で大変な目にあったのでしょう。

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–{第51回のレビュー}–

第51回のレビュー

餓死、という言葉が重い。花岡(岩田剛典)がいっさいの闇物資を拒否して栄養失調で餓死したという報を、法曹界のみならず世間は重く受け止めます。

当時の人の気持ちはわかりようもありませんが、令和のいまだとますますショックです。日本で餓死はあまり一般的ではないうえ、法律を守ったため、というのがまた稀有ではありませんか。戦争の影響で餓死もありえるし、法を守って人が死ぬこともあると思うと複雑な思いがうずまきます。

寅子(伊藤沙莉)のショックも大きい。

第11週「女子と小人は養い難し?」(演出:梛川善郎)
重たいはじまりでしたが、花岡の報道が掲載された新聞を闇市で読んでいたのが、轟(戸塚純貴)で、轟は生きていたのだと少し元気な気持ちになり、さらに、よね(土居志央梨)と再会する流れで、花岡ショックが薄れました。考え抜かれた構成です。でもカフェーのマスターは空襲で亡くなっていました(涙)。

しかも、よねと轟が手を組んで弁護士事務所を立ち上げるとなると胸が熱くなります。
このふたりはなんだか純粋で透明感があって、見ていて気持ちがいいです。

驚いたのは、轟が花岡に惚れていたとよねが気づいていて、指摘することです。
「惚れる」という言葉にもいろいろなニュアンスがありますが、カフェーで惚れた腫れたを見てきたからというので、そのニュアンスの方向性はなんとなくわかります。

よねに言われて、轟はこれまでの感情を吐露するのですが、当人も明確な自覚はなかったのかもしれません。ここでは、強がらず、素直に花岡の死を悲しむことが大事ということが描かれているようにも思います。強がりたい気持ちと悲しい本音と、感情の糸を1本にしないで複数を絡み合わせようと試みる作家のガッツを感じます。

個人的には、轟は「摩利と新吾」の新吾みたいだなあと思って見ていたので、納得なのです。ここに至るまでにもう少し描写を積み重ねてほしかったようにも思いますが、戸塚純貴さんのエネルギーをためにためてからの瞬発力ある演技が、がっつりフォローしていました。戸塚さん、ほんとすばらしい。そろそろ大河ドラマ出演もありなのではとひそかに期待しています。

「摩利と新吾」は明治末期から大正にかけて、旧制高校の同級生たちの青春を描いた、木原敏江さんの名作少女漫画です。

よねと轟が弁護士事務所を立ち上げようと再起を誓うのは、いつもみんなでランチしていたベンチのある広場。向かいにはまだ、花岡が独身時代お昼に食べていたパンを売ってる露店も残っていて(商売できてるんでしょうか)、なんとも郷愁を感じます。
今週のサムネイル写真がこのベンチ。広報さんのセンスに感謝です。

よねと轟が去ったあとに、寅子が現れます。傷痍軍人に小銭をカンパし、ベンチに座り、
泣きながらお弁当を食べます。やっぱり闇米なのでしょうか。それでも食べて生き延びないといけないという意思でしょうか。残された者たちががんばらないといけない。

寅子が傷痍軍人にカンパしたのは花岡の代わりと思ったのかもしれません。
ハーモニカ奏者さんが扮している白衣がまぶしい傷痍軍人、第10週から連続のご出演で、ハーモニカ演奏を聞かせてくれています。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第52回のレビュー}–

第52回のレビュー

昭和23年10月、最高裁判所が発足してから1年半、またもGHQのお達しで家庭裁判所が作られることになり、寅子(伊藤沙莉)は家庭裁判所設立準備室に異動を命じられます。

昭和24年から新たな少年法が施行されることになっていて、少年は家庭裁判所の審判に付するとされているため、わずか2ヶ月で家庭裁判所を作らないとならないのです。

いずこもプロジェクトというのはバッタバタで進行するのですね。

寅子「いま私の力が必要だと」
桂場「どこまで自信過剰なんだ」

こんなやりとりのあと、寅子は、人事課長に昇格した桂場(松山ケンイチ)に、うまくいったら裁判官にしてほしいと駆け引きします。寅子、ちゃっかりしている。ドラマのなかでは民法改正も寅子の活躍が多分にあったからというように描かれているので、寅子はこの1年、優秀な働きをしていたのでありましょう。

家庭裁判所設立準備室は、戦後の混乱期、各省庁が間借りしていた法曹会館の屋上に急づくりした掘っ建て小屋。そこでは、準備室の室長・多岐川幸四郎(滝藤賢一)がスルメを焼いていました。

この感じ、民放の刑事もの連ドラの初回のようであります。主人公は、警察のはみ出し部署に配属になり、そこは地下とか屋上とか別館とか不便な場所で、クセの強い人物たちがいて戸惑うというもの。新たな部署設立に奮闘するリーガルものの新番組はじまった、というような気持ちで見られそうです。

多岐川のことを「あの人ならやり遂げてくれるでしょう」と秘書課長に昇進した久藤(沢村一樹)が初代最高裁判所長官・星朋彦(平田満)に言っていたので、こう見えてたぶん敏腕なのでしょう。冒頭、滝行もしていて、強靭な心身の持ち主とお見受けします。

準備室にはいつもの小橋(名村辰)と、なつかしの稲垣(松川尚瑠輝)がいました。
朝ドラでは新章ごとに登場人物が入れ替わってしまいがちですが、狭い法曹界が舞台のため、法学部の同級生がいつまでも一緒なのが「虎に翼」の良さでもあります。はやく、轟(戸塚純貴)よね(土居志央梨)たちとも再会してほしい。

だが、多岐川はなかなかクセの強い人物でした。「湿っぽい話も挫折話もつまらん」と切り捨て、相手を知るには酒だと昼間っから仕事場で飲もうとし、亡くなった花岡(岩田剛典)の死に方を「バカだ」と言い、口論になると「君も正しい 俺も正しい」「分かり合えないことはあきらめる」とこれまたばっさり。でも、正論だし、口は悪いけれど、さっぱりしていて気持ちのいい人なんじゃないかと思います。

家庭裁判所を作るには、少年審判所と家事審判所を合併させないとなりませんが、そんなに簡単にはいきません。家事審判所所長・浦野(野添義弘)と少年裁判所所長の壇(ドンペイ)がいがみ合っています。野添さんとドンペイさんもクセの強い人物を演じていて、おもしろそう、いや、前途多難そうであります。

「湿っぽい話も挫折話もつまらん」という多岐川のセリフは、そう思って今回の朝ドラを作っているような気もします。湿っぽい話や挫折話はかなりの速度で進行してしまうようになっているので。花岡の話も寅子やあの小橋すら心に傷を受けたようではありますが、その点に集中しないで、あっという間に死後、1年が経過しています。戦争も3分で終わっていましたし。

ただ、桂場が読んでいた新聞に、花岡の妻が絵の個展を開いているとありました。これからも少しずつ花岡のことが描かれていくのではないでしょうか。

記事には「花岡の親友・植田孝太郎氏」とありました。そこには知らない花岡の顔があります。でもきっとほんとうの親友は轟のはず。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第53回のレビュー}–

第53回のレビュー

家庭裁判所を作るためには、少年審判所と家事審判所を合併させないとなりません。家事審判所所長・浦野(野添義弘)と少年審判所所長の壇(ドンペイ)は、少年家事裁判所、家事少年裁判所とどちらの名前を前にするかで揉めます。いつでもどこでも面子にこだわる人たちはいるのです。

多岐川(滝藤賢一)は会議中、いつも居眠り。でも、ひそかに浦野と壇とやりとりを行っていました。
寅子(伊藤沙莉)も誘われて参加しますが、単なる飲み会で唖然。
でもその席では、浦野と壇は陽気に笑っています。これは多岐川の作戦なのかもしれません。令和の時代、飲ミュ二ケーションは避けられていますが、良いこともあったりして?

多岐川の補佐をしている汐見(平埜生成)はお酒が飲めないのに間違って飲んでしまい、自力で帰るのが困難になり、多岐川と寅子が送ります。なんと、多岐川と汐見は同居していて……。

さらに、前から、多岐川が家に「香子ちゃん」というすてきな人がいることを匂わせていたのですが、その香子ちゃんとは、ヒャンちゃんこと香淑(ハ・ヨンス)で……。

国に帰ったはずのヒャンちゃん。日本にまた戻ってきていたことも驚きですが、妊娠しているようでさらに驚き。

世間は狭い。宿命で結ばれた人たちは、ちょっとずつ引き合っている感じがします。

先週の金曜日の花岡(岩田剛典)の死の話からの「つづく」、月曜日のよね(土居志央梨)轟(戸塚純貴)の再会。火曜日の多岐川登場、そして水曜日のヒャンちゃん、と毎日イベント目白押し。どんどん、球種を変えて投げ続ける、ものすごい腕力のある構成です。

脚本家の吉田恵里香さんは、X(旧ツイッター)で毎日、その回のイメージに合ったイヤリングをアップしていて(たとえば、昨日はスルメイカ、今日はロシアンティーをイメージしたジャムつきパンにカップのリング)、筆者は毎日楽しみにしているうえ、どんだけイヤリングを持っているんだ?と驚いているのですが、この違ったイヤリングを毎回、アップする惜しみない労力とサービス精神こそ、彼女の脚本の真髄であると感じます。

そして、そのサービス精神は、多岐川に「東京ブギウギ」を歌わせます。
「東京ブギウギ」――
前朝ドラ「ブギウギ」でヒロイン鈴子(趣里)が歌って踊って盛り上げた大ヒット曲であります。ヒロインのモデルの笠置シヅ子さんと、寅子のモデルの三淵嘉子さんは同じ年生まれ。寅子は鈴子が入団した梅丸少女歌劇団のファンでもありますので、「東京ブギウギ」も笠置さんではなく鈴子が歌っている世界線ではないでしょうか。ラジオから流れるのではなく、多岐川に歌わせているのが巧み。

ひじょうに目配りの効いた構成で、たとえばこの回、寅子が家庭裁判所設立が暗礁に乗り上げたら、裁判官になるチャンスを逸してしまうと焦り、多岐川に詰め寄ったとき、「バカタレが!」と一喝されます。

寅子の自分本位な考えを叱ったのかと思いきや、そうではなく。
「そんなもやもやしていていい仕事ができるわけないだろう」と多岐川の焦点はそこ。いまどきの若いものは……とぼやきながら、直接言いにくるだけましなのかと独り言で考え直し(多岐川ってかなりマイペース)、家庭裁判所(ファミリーコート)の理念を伝えるため、ライアン(沢村一樹)のところへ連れていくのです。

寅子はそこでようやく、家庭裁判所を作る意味を知るのです。
この場面で、寅子が「お言葉ですが」と花咲舞みたいなことを言うのも、サービス精神なのでしょう。
明日は何が起こるか、楽しみです。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第54回のレビュー}–

第54回のレビュー

酔った汐見(平埜成生)を家まで送った寅子(伊藤沙莉)は、ヒャンちゃんこと香淑(ハ・ヨンス)と再会します。
彼女は汐見と結婚していて、「香子」と名乗っていました。そしてどうやら妊娠しているようです。

ヒャンちゃんは寅子が汐見や多岐川(滝藤賢一)といっしょに仕事をしていることを知っていて、でも自分のことを話さないでほしいと頼んでいたようです。

あんなに仲良かったのになぜ……。
帰宅して、寅子が家族に話すと、花江(森田望智)は疑問を述べました。はる(石田ゆり子)はヒャンちゃんの気持ちがわかると言います。

はるも結婚したとき故郷の人たちと疎遠になったと。同じ国のなかでも人と人を区別することがあるのですから、ヒャンちゃんの場合、朝鮮と日本の関係性によるもので、ますます難しい問題でしょう。そのためヒャンちゃんは日本名を名乗っているのです。

翌日、寅子は、朝鮮に戻ったヒャンちゃんがなぜまた日本に戻ってきたかその経緯を、汐見からいくらか割愛のうえで聞きます。

「私にできることはないんでしょうか」と問う寅子に、多岐川は、ないとばっさり。
助けてほしくてもそう言えない人もいるのではないかという寅子に、この国に染み付いている偏見をただすことはできないのだから、いま、寅子ができることをするしかない。それは家庭裁判所の設立のために尽力することだと説くのです。
「いま、この国には愛の裁判所が必要なんだ」

要するに、困っている人が自ら問題解決を求めてきたときの受け皿として、家庭裁判所を作る必要がある。できた暁には、寅子は思いきり、困っている人たちのために仕事をすればいいということだと思います。

人助けをしたい気持ちはあるものの、寅子は何が最適解かわかりません。
おりしも、桂場(松山ケンイチ)によって、花岡(岩田剛典)の妻・奈津子(古畑奈和)と引き合わせられます。このときも、寅子はまず、自分が無力であったことを彼女に謝罪します。

奈津子は、家族が何をいってもだめだった花岡を、まわりが説得して好転していたら「やいちゃうわ」と冗談まじりに返します。そりゃそうだ。寅子の言いようでは、奥様の立場がありません。

花岡はなかなか見る目のある人だったようです。寅子のやや出過ぎた物言いにカチンと、あるいは悲しく思う人もいるでしょう。でもそんなとき、婉曲に返す知性と教養のある奈津子を花岡は選んだのです。

奈津子は、寅子が子供たちのためにチョコレートをくれたことを感謝します。寅子はまだ気づいていないと思いますが、チョコレートを分ける、これこそが寅子の、あのときできた最適解でしょう。花岡を死なずに済ますことはできなかったけれど、一瞬でも花岡家に笑顔をもたらすことができたのですから。

多岐川は、どうしたいかは当人が選ぶことだと言っていましたし、花岡もそんなようなことを言っていました。他者ができることは、ほんの少しきっかけを作ることくらいしかないのです。桂場の場合、こっそり奈津子の絵を何枚も購入しているようです。

と、まあ、ここまで、とても全方向に配慮して、理詰めでよく書かれた脚本で、内容を要約すると、正論しか残らない。それをちょっとコミカルにしてとっつきやすいようにうまく仕立てられています。ただ、真面目さと楽しさ、すべてがうまくまとまりすぎていて、心が思いがけずバウンドする箇所は少ないなあと思っていたところ、桂場が言っていました。

「正論は見栄や詭弁が混じっていてはだめだ。純度が高ければ高いほど威力を発揮する」

聡明な作者は、脚本や寅子の欠点をすべてわかり織り込み済みで書いているようなので、どこかで純度が高い正論が弾ける瞬間を用意しているのでしょう。

以前、寅子は、法律は混じり気のないお水のようなものと言っていて、桂場の心をつついていたし、法律は毛布のようなものとも言っていました。チョコレートは毛布のようなものだったと思います。寅子は心のなかではほんとうはわかっているのに、なぜかいま、ガチガチに固まっていいところが発揮できないようです。はやく、のびのびと寅子の良さを発揮できるときが来ますように。

さて、多岐川が行っていた「ピンピン体操」は、多岐川のモデルである宇田川潤四郎が実際に行っていたと、先日、NHKの情報番組で、解説委員の清永聡さんが語っていました。清永さんの著書の「家庭裁判所物語」にも記されています。清永さんは「三淵嘉子と家庭裁判所」という著書もあり、「虎に翼」では「取材」とクレジットされています。
ドラマの家庭裁判所編は、清永さんの著書の影響がたぶんに大きい印象です。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第55回のレビュー}–

第55回のレビュー

寅子(伊藤沙莉)の弟・直明(三山凌輝)は、東京少年少女保護連盟で子どもたちのためのボランティア活動をしています。

かつては、経済的な問題から大学進学を諦めた直明でしたが、いまや、学校に行きながら、ボランティアをするまでの余裕がある。それもこれも寅子が働いているおかげでありましょう。恵まれた者が、未来ある子供のために尽力する、極めて正しい選択だと思います。

寅子は直明を、家事審判所と少年審判所の所長たちに会わせることにしました。
キラキラした瞳とハキハキした声で、子どもたちのため。目的はひとつ。団結すること……等々とたたみかける直明に、大人たちは心打たれ手を取り合うことを決意します。

やけに光量をあげた照明で、登場人物たちの瞳に星が入り、肌も美白されているかのように輝いていました。こういう演出をすることで、ここは真面目な場面ではないですよ、と言いたいのでしょうか。寅子の心情も「なんだか釈然としない寅子です」(語り・尾野真千子)と語られます。

折り合うタイミングを逸していた浦野(野添義弘)壇(ドンペイ)は、前途ある若者の意見を聞くという大義を得て折れたのだと、汐見(平埜生成)は推察しました。

直明を使うという、寅子の作戦が功を奏し、少年審判所と家事審判所は合併、家庭裁判所ができることになります。

要するに、家庭裁判所を2ヶ月で急づくりするためには、少年審判所と家事審判所を合併させ、それぞれのノウハウや人材を利用するしかなかったけれど、両者がメンツの問題で、うんと言わないので困難だったということなのでしょうか。家庭裁判所の中身の議論をしていたわけではなく、中身はただひとつ、多岐川(滝藤賢一)の言う「愛」であると。

とにかく体裁を整えないとなりません。
中身よりもまずガワが必要、寅子たちは事務所の部屋探しに必死です。

大晦日、猪爪家の家族や、直明の大学の仲間も総出で、宴会所を借りて作った裁判所を整備。幼い優未(金井晶)も手伝います。設立準備室の職員たちの家族や子供はいなくて、なぜ寅子の家族だけと思いますが、多岐川をはじめとして皆、独り身なのでしょう。汐見の家族は香子(ハ・ヨンス)で手伝いに来ることはありえませんし。

できあがった事務所に、多岐川は、花岡(岩田剛典)の妻・奈津子(古畑奈和)の絵を飾ります。
桂場(松山ケンイチ)がひとりで買ったのではなく、有志で買ったものだったのです。

絵には、3つの手が描かれていました。
その手にはチョコレート。
大人が子供にチョコレートを分け与える絵でした。
つまり、寅子が花岡に分けたチョコがもとになったものです。

ここで感動、なのですが、この物語はもう一歩深くて、まだ先があります。

多岐川は「彼の死を非難して怒り続けねばならん。その戒めに絵を飾る」と言うのです。

法律を守って餓死した花岡を英雄視せず、生きることを諦めたことに怒るのです。ここ、とっても意味深。

「人間生きてこそだ。国や法、人間が定めたもんはあっという間にひっくり返る。ひっくり返るんものために死んじゃあならんのだよ」(多岐川)

法律は人を縛るものではなく人が幸せになるためにある。
とても大事なことです。
法律は折につけ改定もされるし、よくも悪くも、あるとき価値観が変わります。
男女平等だって家庭裁判所の設立だって、結果的にいいことではありますが、この時代、GHQ が急にやれといって、その中身をしっかり考える以前に、形だけ整えているわけです。

平等は大事だけれど、そのほか、変わっていく法律のなかには変わらなくてもいいことだってあるかもしれません。法を司る多岐川や寅子だけでなく、法のもとに生きる私たちも、考えなくちゃ。学ばなくちゃ、です。

多岐川の過去が汐見の口から語られますが、あまりに濃い内容で一作のドラマになりそうなのでここでは割愛します。汐見さん、昨日の香子の話といい、今日の多岐川の話といい、説明要員として大活躍です。

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–{第56回のレビュー}–

第56回のレビュー

ぐっと進展。第12週「家に女房なきは火のない炉のごとし?」(演出:安藤大佑)のはじまりは、昭和24年1月、家庭裁判所ができ、寅子(伊藤沙莉)は晴れて裁判官になれました。正しくは判事補です。

3が日も開けないうちに、多岐川(滝藤賢一)が電報で寅子を家に呼び出します。
訝しく思いながら訪ねると、褌一丁の多岐川の水垢離を手伝わせられます。令和だったら、時間外労働なうえセクハラにも当たりそうです。

多岐川は水垢離しながら家庭裁判所の基本性格を諳んじ、それを汐見(平埜生成)が粛々と書き留めます。

あんなに寅子と会いたくないと拒絶していた香子(ハ・ヨンス)が彼女を玄関で出迎えたのはなぜ……。これにはもしかして、ほんとうは香子は寅子に会いたい、その気持ちをおもんばかって、多岐川がわざと寅子を呼び出した可能性もあります。

4日、仕事はじめ。星最高裁長官(平田満)が直々に、寅子に辞令を渡します。判事補と家庭裁判所の事務次官の兼務となりました。

兼務は大変そうですが、寅子は念願の裁判官になれたのです。

星は「くせ者3人に引けを取らないくせ者の君ならば、きっとねじまがってしまった子どもたちとりっぱに対峙してくれるだろう」と期待をかけます。

くせ者3人とは、多岐川と桂場(松山ケンイチ)久藤(沢村一樹)です。

さっそく家事裁判所の面々は、街にあふれる浮浪児を視察にいきます。
子役がたくさん投入され、渾身の戦後の街描写。
そこで、寅子は、小橋(名村辰)の財布をすった少年を追いかけます。
少年は、元締めらしき道男(和田庵)という年かさの少年にお金を渡し、寅子はさらに道男を追いかけます。そして、たどりついた先はーー

カフェー燈台があった場所。
そこには「轟法律相談所」という看板がありました。

なかにいたのは、よね(土居志央梨)轟(戸塚純貴)です。感動の再会――
にはならず、よねはぶすっとしています。まだ寅子に怒っているみたいです。

整理しますと、かつて、寅子が妊娠し、仕事との両立に苦しんだ結果、弁護士事務所を辞めたとき、よねが「二度と戻ってくるな」と、たもとを分かったのです。

よねがなぜあのときあんなに怒ったのか、いまひとつわからないのですが、男装しながらがんばる自分と、結婚しないで頑張る寅子の間に共感を覚えていたところ、寅子は結婚して妊娠して、弁護士を辞めるという本末転倒になったことを悔しく思ったのではないでしょうか。

戦争も終わって、水に流してもよさそうなものですが、なぜか復帰して裁判官になっていることが悔しいのかもしれません。よねはまだ弁護士にもなれていないのですから。物語とはいえ、よねがちっとも弁護士になれない役割を担わされているのは辛いですね。

稲垣(松川尚瑠輝)、小橋も合流し、法学部の同窓会状態に。

わいわい騒いでいる大人たちの傍らで、しらけた顔の孤児たち。寅子たちが彼らを導いていくことになるのでしょうけれど、エリートの法学部同期の麗しい関係と、戦争で何もかも失い肩寄あって生きている子供たちとの対比が残酷に見えました。

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–{第57回のレビュー}–

第57回のレビュー

戦災孤児の視察をきっかけに、寅子(伊藤沙莉)よね(土居志央梨)轟(戸塚純貴)が再会しました。
よねたちは弁護士事務所を、主人亡きカフェー燈台の建物を使って営み、戦災孤児たちの面倒も見ていました。

多岐川(滝藤賢一)たちもやってきて、「地域に根ざした支援 素晴らしいじゃないか」とよねたちを労います。

汐見(平埜成生)が、あなたがよねさん、という感じで気に留めたのは香子(ハ・ヨンス)から同期の思い出を聞いているのでしょう。香子は出自や過去を隠しているものの、あの頃の友情を大事にしているのだろうと感じます。
ああ、早く、寅子とよねと香子が昔のように仲良くなってほしい。

季節は冬、戦災孤児たちには厳しい季節です。孤児は増える一方で、悪さもするので捕まえて保護します。でも彼らを受け入れる場が足りません。家庭裁判所もその受け皿のひとつになっています。

寅子は保護された道男(和田庵)と再会し、口論のすえ、引っ込みがつかなくなって家につれていきます。

突然、素性のわからない、しかも態度がすこぶる悪い少年を泊めることに家族は戸惑います。当たり前です。が、はる(石田ゆり子)はいくらでもいていいと「人生持ちつ持たれつ助け合いですよ」と受け入れます。

亡き直言(岡部たかし)の浴衣を着て食事する道男はふてぶてしい。少年というよりもはや青年のように体が大きいので、まるで一家の主のような雰囲気です。

はるは、道男を目の当たりにしてようやく、戦後社会の大変さに気づいたようです。もともとお金持ちなうえ、目下、登戸から都会に出ることもなく、浮浪児たちがあふれる荒廃した街を知らないのでしょうか。このへんの感覚が、令和のわたしたちの感覚として描かれているのは、作者が若く、当時の感覚に手が届かないのか、あえて、現代感覚で描いているのかわかりません。

個人的な感想ですが、知らないことを知ろうとする想像力や思考力を大事にすることこそがいまこそ必要であり、手っ取り早く自分たちのわかる範囲に物事を片付けてしまうことで失われてしまうことがたくさんあるように思っています。
自分とは違う存在や考えを、ありのままに受け取ることが平等の前提なのですから。

「机のうえで理屈をこねて結局さじを投げる」とよねが寅子たちに言っていましたが、自分たちのわかる範囲でしか物事を見ないのは、エスタブリッシュメント(支配階級)の感覚です。

多岐川がやたら「愛の裁判所」というのもなんか胡散臭く響いてしまいます。いや、多岐川は志ある人なのはわかるのですが。「愛」という言葉がキャッチコピーのように軽く感じられてしまう。もしかしたら、当時はもっと「愛」に重みがあったのかもしれません。

はるが世間知らずのお金持ちの奥様ふうであるのに対して、なぜか寅子はお嬢様感がまるでなく、どちらかといえばヤンキー風味。道男とのやりとりなんて不良(死語?)同士にも見えます。いや、元ヤンキーの社会人が不良少年と対峙している感じ。上品なお嬢様風味だと視聴者に親しみが持てないからこういうキャラにしているのでしょう。実際それがドラマの人気に寄与しているとは思います。

関西出身者を関東人の役に、関東出身者を関西人の役にしたりするのと同じで、違和感があったほうが印象に残るもの。猪爪家の違和感・道男は猪爪家に何をもたらすでしょうか。

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–{第58回のレビュー}–

第58回のレビュー

浮浪児・道男(和田庵)を家に居候させた寅子(伊藤沙莉)に、家庭裁判所の面々は猛反対。

多岐川(滝藤賢一)も、16、7歳の少年を、昼間、女性と子供しかいない猪爪家に引き取ったのは軽率だったと指摘します。その心配は的中し……。

道男ははる(石田ゆり子)の財布を盗もうとしたり、花江(森田望智)直道(上川周作)の代わりになりたいと迫ったり。猪爪家は大揺れ。

順を追って見ていきましょう。

はるの財布を盗もうとし、猪爪家のトラブルメーカーと化した道男をなんとかしようと、直明(三上凌輝)が乗り出します。
年下の子供たちから慕われている道男に悪気がないのはわかるから「助けになりたいんだ」と申し出るのですが、道男は、いいやつなら助けて悪いやつなら助けないのか? と反発します。

自分がいいことをして気持ちがよくなりたいだけではないかと、直明のことを偽善者のように言う道男。姉の寅子にもそういうきらいがあるのは視聴者はうすうす感じていました。つまり猪爪家が荒廃した社会のなかでどこか浮世離れして見えることを、荒廃した社会に生きる当事者から突きつけた形でしょう。

恵まれた人と恵まれてない人との間に、大きくごうごうと流れの荒い川があるのです。

寅子が、出張で家を開けている間に、さらにトラブルが起こります。
花江が道男に、亡き夫の服を着せて涙ぐむと、直道の代わりになれないかなと言い出して……。

「花江ちゃん やさしいし、いい人だし、きれいだし」と言うボキャブラリーは、教育を受けられなかった道男のせいいっぱいなのでしょうけれど、逆になにかへんな欲望に感じてしまう。第57回でも、「おばさん」呼びしたあと、唐突に「きれいだね」とか言うし。そうやって、道男への疑惑を積み重ねる作劇なのだと思います。

花江は思慮深く「ごはんにしましょ」と話題を変えますが、道男は彼女の腕をとり、強要するような形になり……。

道男役を、がたいのいい大人びて見える俳優にしたのは、このためなのかなと思います。身体は十分の大人の男性の脅威を感じます。

そこへ、息子・直人(琉人)直治(楠楓馬)が現れ、母を守ろうととびかかりました。
もう目を背けたくなる光景であります。大事な母を、素性のわからぬ男に汚されてはなるものかという激しい少年の衝動。第一、道男、大人びているけれど、子供たちのほうに年齢は近いと思うので、ますますインモラル。

女性の権利の獲得や、平等を謳う潔癖感に満ち溢れていたドラマがなぜ急にこんな様相に……。

ドラマは、見る人の感情を揺さぶる必要があるので、こういう展開を選択したのだとは思いますし、そこに、道男なりの心情が隠れているのだろうとも思うのですが、そのへんのことが噛み砕く時間がないまま、ぐいぐいと食べ物を喉に押し込まれているような気持ちに。あれだ、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で、アスカがシンジにレーションをぐいぐい食べさせているような感じがしました。倍速視聴の世代にはこれでOKなんでしょうか。

少年の年上の女性への情動であれ、あるいは家族をなくした道男の彼なりのやさしさであれ、どんな感情もあって全然いいのですが、出した方がいささか唐突な気がして……。

皆から非難の目で見られた道男はぷいっと家を出ていってしまいました。

寅子が行方を探しますが10日が経過、道男に手を差し伸べていたはるが、倒れてしまいます。

道男――あるいは家庭のない子供たちの問題よりも、はるのことで頭がいっぱいになってしまいました。明日の続きがものすごーく気になるという点においては、100点満点です。

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–{第59回のレビュー}–

第59回のレビュー

「ちょっと待って。こんなの急すぎる」

寅子(伊藤沙莉)の言葉どおりです。
あるとき、突然はる(石田ゆり子)が倒れ、危篤状態に。心臓発作を起こしたのです。
思いがけない死というのはあるもので、心の準備ができていない分、ほんとうにショックなものです。

死んだお父さんの分まであと10年は生きるつもりだったことを無念に思いながら、家族に囲まれていることには満足そうなはる。でもひとり足りない。それは――

道男(和田庵)でした。10日前、花江(森田望智)に誤解を招くような言動をして、いづらくなってどこかに行ってしまった道男。

寅子は急ぎ探しにいきます。
この10日、それなりに寅子は道男を探していたようですが、みつからなかったので、行先を知らないかとカフェー燈台を頼ると、そこにいました。もともと道男は燈台のよね(土居志央梨)と轟(戸塚純貴)に世話になっていたのだから、まず探すなら燈台でしょうと思ったところ、よねが「ここには来るなと言っただろう」と怒り、寅子は「本当は知っているんでしょう」と言うので、すでに来たけど知らないと言われたことがわかります。鉄壁。ここは「燈台下暗し」と書きたかったのに、残念。

寅子は道男に「お母さんはね私が出会ってきたなかで一番まっとうで優しい人なの」とはるに会ってほしいと懇願します。

道男を最も気にかけていたのははるであり、そのはるの今際の願いを叶えようと悔いなく死んでもらいたいと、懸命です。

そんなこと言われても道男も混乱するでしょう。悪者を見る目で見られ、石もて追われるような気持ちで再び荒野へ出た道男です。でも説得されて、しぶしぶはるの枕元へ。やっぱりいい人なんだろうなあ。

はるは、道男を抱きしめ、「よくここまでひとりで生きてきたね」と労います。
両親の愛にも恵まれなかった道男はただ、誰かに抱きしめてほしかっただけなのだとはるはわかっていたのです。

道男「ばあちゃん死ぬのかよ」
はる「死ぬ」

なんて簡潔なセリフ。すばらしい。
最期の善意を行い、悔いがなくなったはるは、その晩、寅子と花江だけ、枕元に残し遺言?を語ります。

日記を全部焼いてくれ「恥ずかしい」からというはるの気持ちはよくわかります。人が亡くなると、手紙や日記が世に出ることがあり、それが貴重な記録ともなる一方で、極めてプライベートなことがたくさんの人に知られてしまうことを故人はどう思うのか、筆者はいつも気になっていましたし、自分の手帳も誰にも読まれることなく焼いてほしいと希望しています。作家なんかは、読まれることを意識して書き残していると思うので、そこが作家の業の深さです。

さて。寅子は「やだっ 死んじゃやだっ」と子供に戻ったようにはるに向かって叫びます。寅子の幼少時代が描かれなかった分、伊藤沙莉さんが渾身の演技ではると寅子の幼少時代を想像させ、涙を誘います。おいおい泣く声に力があって、アニメの声優の名演技のようでした。

こうなってくると、やっぱり幼少時代のほっこりするエピソードを描き、回想で出したら、もっと感動できそうとも思いました。また、SNSで、最期に道男を優先された孫たちの気持ちは……という意見を見かけまして。ほんとだ!と目からウロコが落ちました。息子の直明(三山凌輝)もなんかかわいそうかも。でもきっとこのあと、彼らは仮眠から目覚めて臨終に立ち会ったのでしょう。いろいろうるさくてごめんなさいね(ブギウギ的謝罪)。

「いまそれ言いますかいま」
「ちょっと待って。こんなの急すぎる」
と、完全に現代的な言葉遣いの多用によって、昔を舞台にしながらいまを描いている!と、政治的問題から、身内との別れまで、いまと何ら変わらないと共感される点において、今日も100点満点でした!

第58回の、浮浪児のうろつく荒れた場所の美術がすばらしかった。やけに丁寧に木が重なりあっていて、屋根の小さな穴から光が差しているのもよかった。美術200点。

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–{第60回のレビュー}–

第60回のレビュー

亡くなったはる(石田ゆり子)がお骨になって戻ってきました。
猪爪家がお参りしていると、一番うしろにいた道男(和田庵)が謝罪します。あの日の暴挙(に見えたこと)は、猪爪家の家族になりたいという思いからのことであったと。自分の感情を持て余していたけれど、よくよく考えると、夫の代わりではなく子供のひとりになりたかった。父母の愛に恵まれていなかったゆえです。

寅子(伊藤沙莉)は「産んであげることはできないけれど……」と道男を受け入れます。これは花江(森田望智)が言うことなのではとも思いますが、彼女の息子たちの気持ちを思えば寅子でいいのかもしれません。

子供たちも道男を受け入れます。とはいえ、さすがにこのまま道男が家にいることはしっくりこないなあと思って見ていたら、寿司屋の笹山(田中要次)が現れて、道男は寿司屋に住み込みで働くことに。

一人前になったら一番に、猪爪家のみんなに特上寿司を食べさせる、と明るく、道男の話は終わります。寿司は浮浪児たちにまずたらふく食べさせてやってくれ。

このエピソードから得られる教訓は、人生には誤解がつきものだということです。人を見かけで判断してはいけないし、本人すら感情がわからないこともあるものです。だからゆっくりじっくり相手を理解し受け止めていきたい。

そういえば、轟(戸塚純貴)も自分の気持がわかっていませんでした。その轟が、今度はよね(土居志央梨)の気持ちを理解します。

道男の件で相談にきた寅子をよねは執拗に拒絶します。さすがに意地の張りすぎではないかという気もしますが、人生に引き返せなくなってしまうこともあるものです。家事審判所と少年審判所の対立みたいなもので、よねはもう引っ込みがつかないのでしょう。

轟は、寅子が去ったとき心の底から傷ついたから、また関わるのがこわいんだな、とよねの気持ちを代弁します。よねが轟の本音を聞き出し、今度は轟からよね。ときれいに対称になった形です。

簡単に交わらない人間関係。いつか交わるときが来るのを待つしかありません。縁があればまた会える。また繋がることができる。そして、今度はしばらく会っていなかった梅子(平岩紙)と久しぶりに交わる瞬間が来るようです。

さて。この回でいいなあと思った場面は、はるの日記を遺言どおり焼くところです。見ていいのは未来の日記のみ。そこには、10年後までの貯蓄計画が記されていました。

昭和29の寅子の年収150000円 と書いてあり、ずいぶん、期待されていたことを感じ、涙ぐむ寅子。
荼毘に伏す(火葬する)と死者は煙となって空にのぼっていきます。お葬式の場面ではなく、日記を火葬することで、はるの魂が空にのぼっていくところを、寅子と花江が見届ける。炎のおれんじ色は夕焼けのようにどこか郷愁を誘います。とてもいいシーンでした。

さて。週刊朝日編「戦後値段史年表」を紐解いてみると、昭和33年の総理大臣の給料が150000円なので寅子は10ヶ月で総理大臣の1ヶ月分稼ぐということになります(あくまではるの妄想)。
また、はるの予想では賞与は15000円。昭和28年の国家公務員の賞与が15300円とありますので、こことほぼ合致しています。

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–{第61回のレビュー}–

第61回のレビュー

はる(石田ゆり子)が亡くなって2ヶ月、寅子(伊藤沙莉)は家事部の特例判事補になりました。

第13週「女房は掃きだめから拾え?」(演出:橋本万葉)のはじまりはドタバタしています。

判事になりたいという強い願いがかなったものの忙し過ぎる。
これまでは寅子が花江(森田望智)と交代で朝ご飯を作っていたけれど、任せっきりになってしまいます。これまでとは、おそらくはるが亡くなってからでありましょう。はるがいない分、家事の手が足りなくなったことは想像に難くありません。

優未(金井晶)も夜、花江たちと寝ることが増えます。これまでより寅子が優未と触れ合う場面が出てきたように感じたのも、これまでははるに優未をまかせていたのだろうと想像できます。

優未は背筋首筋がまっすぐで教育が行き届いて見えます。お母さんといっしょにいる時間は少ないけれど立派に育っているようです。

猪爪家のように大家族であれば、母になっても仕事を優先する選択も可能です。戦後、家族制度が変わって核家族化していきますが、大家族こそ働く女性にとっては助かる形なのかもしれません。

家庭裁判所は忙しく、人手が足りないのに、多岐川(滝藤賢一)が仕事を増やす一方。
愛の裁判所を世に知らしめる”愛のコンサート”をやると言って、出演歌手の選択をはじめます。
コロンコロンレコードは「ブギウギ」に登場したレコード会社です。

「ブギウギ」の脚本家・足立紳さんの名前が「脚本協力」でクレジットされていたので、朝ドラコラボがあるかもしれません。スズ子が出てきたりするでしょうか。

朝ドラ辞典2.0 コロンコロンレコード(ころんころんれこーど)

「ブギウギ」のヒロイン・福来スズ子(趣里)や茨田りつ子(菊地凛子)が契約しているレコード会社。カエルのキャラクターがシンボルマークになっている。モデルはコロムビアレコードではないかと思われる。

「虎に翼」にも登場。

そんななか、事件が。事件というか家裁の案件が。

梅子(平岩紙)の夫・大庭(飯田基祐)の妾・元山すみれ(武田梨奈)の遺産相続の問題を寅子が手伝うことにになりました。
妾には本来遺産相続の権利がないのですが、遺言に全財産を残すと記されていると主張するのです。

これぞ家族制度の名残のような大庭家大集合で、昔から変わらず感じ悪い長男・徹太(見津賢)、ものすごくやさぐれている次男・徹次(堀家一希)、感じ良さそうな光三郎(本田響矢)、気難しそうな母親・常(鷲尾真知子)、そして梅子。

寅子と梅子、久しぶりの再会ですが、喜び合う雰囲気ではありません。香淑(ハ・ヨンス)には子供が生まれたそうで、同期がそれぞれの人生を送っていますが、みんなバラバラです。笑顔で一同に介す日がきっとあるよね?と願うばかり。

戦前の民法なら、徹太が全財産を相続できるはずでしたが、いまや、家族で分けることが定められています。でも、遺言書で妾に譲るとある場合は……。他人のドロドロの争いは蜜の味であります。

家族はいろいろ、といえば、先週、お騒がせした道男(和田庵)が猪爪家に夕食を食べに来ています。浴衣はやっぱり直道(上川周作)のものでしょうか。すっかり馴染んでいて、むしろ遠慮がなさすぎるほど。

花江は道男がいるとうれしそうと言われ、こんな色男前にしたらな、という会話が和気あいあいとなされていましたが、道男は猪爪家の子供になりたかったと言ってませんでしたっけ? 息子たちも受け入れちゃっていますが暴力的でなく友好的であればOKなのでしょうか。もやもやします。

トラブルがあっても相手の事情や気持ちを受け止め、受け入れ、他人でも家族のように共生していく。コロンコロンレコードだけでなく、共生精神も「ブギウギ」から受け継がれているようです。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第62回のレビュー}–

第62回のレビュー

大庭家の遺産相続問題で、寅子(伊藤沙莉)梅子(平岩紙)が再会。最初はスンっとしていた梅子ですが、誰もいないところで寅子に声をかけてきました。

きゃっきゃと少女に戻ったように再会を喜びあう寅子と梅子。よね(土居志央梨)香淑(ハ・ヨンス)のようにそっけなくなくてよかった。よね、香淑、梅子と再会する人する人に冷たく対応されていたら心折れますし、寅子、いったいどんな深い業を背負ってるんだという感じになりますから。

寅子は、よねと轟(戸塚純貴)のもとへ梅子を連れていきます。
高等試験を受けずに皆の元から去った梅子がなぜいまでも大庭家にいるのか、その経緯が明かされます。
連れ戻された梅子は、ちょうど倒れた夫の介護を10年以上やっていたとか。離婚できないままに。それはそれは辛い状況であったことでしょう。

「戻ったみたい 私の人生が一番輝いていたあの頃に」と感無量の梅子。よっぽど辛かったのでしょう。平岩さんの不幸顔(演技)がぴったり。

寅子は知り合いの梅子の案件に自分が関わっていいのか気にしますが、人手不足を理由にそのままやることに。事情はわかりますが法曹界って案外いい加減なんじゃないかと筆者は不信感を抱いてしまいます。最近のリーガルドラマ、身近な人の弁護や取り調べエピソードが多いので。

轟とよねが相続問題の手伝いをすることになりますが、寅子と轟、よねと三人、梅子の同期でますます身内感が強くなっております。

あっけなく、妾のすみれ(武田梨奈)の持っていた遺言書は偽物だと判明し、議論は家族間でどう分けるかという話になります。雷雨が激しいなか、大庭家は醜い争いをします。長男の嫁・静子(於保佐代子)まで加わって、犬神家の一族的な感じに。

戦前なら、長男ひとり占めでしたが、いまや、家族で分けることに法律で定められています。梅子まで、相続放棄はしないときっぱり。まあ、ずいぶん、ひどい目にあってきたのだから、財産くらい欲しいですよね。

この件、現代だったら、具体的な分け方(土地や建物だったらどう分ける?とか)で揉めたりしそうですが、民法が改正されたばかりなので、長男ひとり占めを強引に押し通そうとする人たちもいたのかもしれません。この件に限らず、法律をちゃんと知ることで、ごまかされないようにしたいものです。

大庭家の人々は子供の喧嘩のように、相続放棄しろしないみたいな感情論のまま、話し合いは調停に持ち込まれることになります。

一方、例の愛のコンサート。多岐川(滝藤賢一)は会場を押さえ、「東京ブギウギ」の福来スズ子を呼びたいと大望を抱きます。「東京ブギウギ」は実際は笠置シヅ子の曲ですが、「虎に翼」は「ブギウギ」の世界線です。朝ドラユニバースですね。寅子は梅丸少女歌劇団のファンでもありました。コロンコロンレコードも出てきたし、脚本協力:足立紳 とあったし、福来スズ子出てきちゃったりして。

さて。
「マスター残念だったわね」と梅子に言われ、空襲で亡くなったマスターの感慨にふけろうとしたところを轟がうるさく騒ぐのでむっとするよねという芝居の流れがよかった。土居志央梨さんは黙っていても表情も大きく動かさなくても心が動いているのがわかるお芝居をするいい俳優だなと思います。対する戸塚純貴さんは熱量あるオーバーアクトが得意技で、静と動のいいコンビであります。

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–{第63回のレビュー}–

第63回のレビュー

「あ〜」ではじまり「ああ〜っ!」で終わった第63回。

寅子(伊藤沙莉)は困ったような大声を出し、多岐川(滝藤賢一)に咎められます。

大庭家の遺産相続問題は家裁の調停に進みましたが、一向に解決しません。
長男・徹太(見津賢)が遺産をすべて自分が相続するの一点張りで譲らないのです。いまの法律では家族で分けることになっているにもかかわらずなぜ主張を続けるのか、と思うのですが、この時代、過去の家制度にしがみつく案件が多かったようです。

梅子(平岩紙)は昔からさんざん徹太に軽視されていたにもかかわらず、3人で平等に配分してほしいと願います。3人とも自分の子供ですから。

それにつけても徹太。いまの法律では男女平等になったのですから、過去の父と自分の女性蔑視を反省し改めても良さそうなものですが、相続のルールも同じで、身についたものはなかなか手放せないもののようです。それもそのとおりで、昨日今日で急にルールが変わったと言われても簡単に切り替えることはなかなか難しいです。

ただ、徹太は法律家であるのに、法律に倣わないうえ、そもそも極めて差別主義者であることが信じがたいです。

そうこうしていると、常(鷲尾真知子)が徹太の妻が気に入らず、世話になりたくないので、財産は光三郎(本田響矢)に多く相続させ、面倒を見てほしいと言い出します。
梅子に面倒を見させようという考えなのですが、光三郎が常の希望を受け入れる代わり、梅子をいじめないことを条件にあげます。

とことん自分本位の長男、戦争で負傷し心にも傷を負ったせいで、捻くれてしまった次男・徹次(堀家一希)。このふたりのことは、梅子がもともと諦め気味で、光三郎だけはねじれた育て方をしたくないと願っていました。その梅子の思いがかなったと感じた寅子は、「ああ〜っ!」と歓喜の大声をあげました。
でもまだ解決してはいません。大庭家の遺産問題は審判に向かいます。

いろいろ忙しい寅子。遅く帰宅し、夜食を食べると、それは道男(和田庵)が修業で作って失敗したいなり寿司でした。
道男の話をまた楽しそうにする花江(森田望智)に、息子・直人(琉人)は「俺にはわかる 恋は人を笑顔にする」と言い出し、寅子と直明(三山凌輝)はあっけにとられ大笑い。

直人は真顔で、「人間何があるかわからない」とはる(石田ゆり子)の言葉を引き合いに出します。
しかも、優三と寅子がまさか結婚するとは思ってなかったのに結婚したという事実を持ち出されると、寅子も何も言えなくなってしまいます。いや、それとこれとは……。

「俺にはわかる」はたいてい外れてきたので、恋ではないと思いたい。誰を好きになるのも自由ではありますが、花江と道男はちょっと受け入れがたいものがありませんか。大丈夫ですか。
直人があまりにものわかりがいいのは、いい子だなあと思いますが、多様性を認めるという現代的な視点のうえに描かれているような気がして、しっくり来ない感じもしますが、そんなことないですか。

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–{第64回のレビュー}–

第64回のレビュー

寅子(伊藤沙莉)多岐川(滝藤賢一)と共に、「愛の裁判所」をアピールするためにラジオ番組に出演します。聞き手のひとりは、あの婦人運動家?の立花(伊勢志摩)でした。

寅子は、女性(ご婦人方)はか弱いという認識を否定し、戦う女性、戦いたい女性を応援するとラジオを通して語ります。あれ、女性だけじゃなくて弱き者のために仕事するのではなかったでしたっけ。それはモデルの三淵嘉子さんでしたっけ。ごっちゃになっております。

女性たちが誰かの犠牲にならず自ら自分の幸せをつかみとるためにがんばる寅子は、ある晩、小橋(名村辰)と街を歩いていると、光三郎(本田響矢)すみれ(武田梨奈)と抱き合っているところを目撃。
ひとりでは抱えきれず、よね(土居志央梨)轟(戸塚純貴)に報告します。
「男ってのはどいつもこいつもくそ」と怒るよねに、
「男をひとまとめにするな」と轟。
轟がいなかったら、この番組の男性陣の立場はひたすら低かったでしょう。

よねと轟がこの事実を大庭家に報告すると、当然、みんなも唖然。
「最近、頼もしかったのは恋の力ってやつか」と次男・徹次(堀家一希)がにやり(63回もそうでしたが、彼が話しているとき、いつも顔が映ってないんですよ。かわいそうに)。
「おぞましい」と常(鷲尾真知子)
「恋をすると笑顔になる」と猪爪家で言っていたことと、大庭家の問題が重なっておりました。

どう考えても性悪なすみれにたぶらかされた感じですが、光三郎はすみれの肩を持ちます。お父さんに縛られていた彼女を自分が幸せにしたいと主張します。偽遺言書のことも光三郎は知っていたのかもしれません。

梅子(平岩紙)も寅子も光三郎がいい子に育ったととても喜んでいたのに。いい子ではあるのでしょうけれど、人の良さのベクトルが間違ってました。常の「おぞましい」という気持ち、わかります。

「ごめんなさいね、いつもあなたの大切な人を奪って」とすみれがいやな感じに言うものだから、どう考えても光三郎はたぶらかされてしまったとしか言えないでしょう。すみれにも事情があるように描かず、人間の弱さとかだらしなさとかずるさとかをここで描いてしまう思い切りには感心します。

梅子は「もうだめ 降参 白旗を振るわ」「わたしは全部失敗した」と潔く認めると、民法730条の「家族は助け合う」を使って、なんとかするように言って「お互い誰かのせいにしないで自分の人生を生きていきましょう」と去ります。
「ごきげんよう」という平岩紙さんの言い方が振り切った喜劇調で、このとんでもない顛末をちからわざでまとめてくれました。さすが。

梅子が相続を放棄し、3兄弟は財産を三等分することになり、一件落着。

相続問題が終了したので、私的にも会えるようになった寅子と梅子、花江(森田望智)を誘って、復活した竹もとでおしるこをすすりました。

かつては、女性が戦う術がなかったけれど、いまや法律を逆手にとって戦うことも可能であるという現実に、梅子も寅子も晴れ晴れした気持ちになるのです。そのために、光三郎とすみれという衝撃の展開をもってくるのがすごいなあとつくづく感心するばかり。

そして、久藤(沢村一樹)のコネで、人気歌手・茨田りつ子(菊地凛子)がコンサートに出演することが決まりました。りつ子は、家庭裁判所のポスターのモデルにも。
福来スズ子(趣里)には断られてしまったようですが、多岐川が福来スズ子ファン(?)であることをりつ子が知ったら引き受けてはくれなかったでしょうね。

念のため、茨田りつ子は前作「ブギウギ」の主要登場人物です。ちょうど、「虎に翼」と同じ時代を描いていて、主人公のスズ子と寅子は同い年です。
「下品ね」というセリフは、りつ子のおなじみのワードです。足立紳さんが脚本協力でクレジットされていたので、セリフを書いているか監修しているのでしょう。

ちなみに、史実では、多岐川のモデルの宇田川潤四郎は裁判所の資金作りのために、京都の劇場でチャリティの免税興行を行ったりしていました。主として演劇公演をやっていたようです。
ポスターのモデルは水谷八重子(初代)でした。久藤のモデル・内藤頼博のコネだったそうで、このエピソードがアレンジされてドラマになっていると見られます。
順番としては、ポスターのあと、ラジオでさらに裁判所のアピールをしたようです。
(参考:「家庭裁判所物語」清永聡著 より)

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–{第65回のレビュー}–

第65回のレビュー

竹もとでお茶していたら、寅子(伊藤沙莉)は仕事に戻らなくてはならなくなり、あまり接点もなかった梅子(平岩紙)花江(森田望智)がふたりきりになります。

花江は昔、寅子の同期たちと一緒に毒饅頭を作ったことを思い出し、その頃と自分は変わっていないと言います。そうそう、みんなが学んでいるのに、自分だけ家庭に入っていることにコンプレックスを感じていたのでした。

そして、梅子に打ち明けます。
息子に、道男(和田庵)といっしょになってもいいと言われて驚いた話を。細かいところは割愛しますが、決して恋愛感情を抱いてはおらず、道男が来ると、その晩、亡くなった直道(上川周作)が夢に出てくるからうれしくてつい笑顔になっていただけというのです。

「色男」とか言ってまんざらではない道男はこの話を聞いたらどう思うのでしょうか。まあ、子どもの一員になりたかっただけだから、気にしないでしょう。きっと「色男」も意味をわかって言ってないのだと思います。

道男は、どういうときに言う言葉なのかという知識に乏しい、身体は大きいけれどまだ子どもなのだということを描きたいのだと思います。子どもがやけに深刻にお母さん再婚するの?みたいなことを言い出すのも、子どもゆえの反応だと思われます。

道男や子どもたちの、幼さゆえのズレみたいなものを書いた脚本のおもしろさは、演出でわかりやすく見せる工夫も必要だったのではないかと感じます。ただ、花江が忙しそうで、何かが溜まってる顔はおりにつけ映していました。

「いい母になんてならなくていいと思う。自分が幸せじゃなきゃ誰も幸せにできないのよきっと」と自分にも言い聞かせるように言う梅子。
妻としても母としてもうまくできなくて降参し、家を出た梅を見倣ってか、花江は、その日、家族に、家事を手伝ってほしいと頼みます。
ここのところ、忙しそうで、もう限界にきていたのです。

はる(石田ゆり子)は完璧主義でなんでも全部やっていたけれど、花江はそれができないと。
つまり、はるの突然死は過労死だったのかも? なんでも自分でやってしまう人は寿命を縮めてしまいますから気をつけたいものです。

梅子と花江には接点がないように思いましたが、家事に悩む点において接点がありました。

できないことはできなくていいのです。
梅子は、良き妻、良き母にはなれませんでしたが、(しかも法律家にもなれませんでした、今後はわかりませんが)、おにぎりだけは絶品です。

よね(土居志央梨)轟(戸塚純貴)の事務所に居候しはじめた梅子はおにぎりを作って振る舞います。
寅子はそれを、汐見(平埜生成)に託します。家で待ってた香淑(ハ・ヨンス)はそれを食べて涙します。それだけで梅子が戻ってきたのだと感じていることでしょう。寅子が梅子に香淑の話を勝手にしていないという、暗黙のメッセージも感じられて、いい場面でした。

そして、茨田りつ子(菊地凛子)の愛のコンサートが開催されます。「別れのブルース」を歌うかと思ったら、「雨のブルース」でした。「別れのブルース」は恋の歌なので、ここは恋ではなく、誰もが抱える悩み苦しみを歌った歌にしたのでしょう。ドラマでは描かれない、深い悲しみを茨田さんが代わって表現してくれました。

楽屋で、りつ子と寅子が会話を交わします。寅子がこの仕事、すなわち法律が好きだからやっていると言うと、りつ子も同意します。
寅子も、お裁縫は上手ではないですが、法律が好きで、その知識を生かした仕事ならがんばれるのです。

コンサートのあとのお疲れ様会のようなもので、寅子は十八番の「モンパパ」を歌います。
その歌のなかで、花江は夢で直道を思い出し、寅子は優三(仲野太賀)を思い出します。やっぱり大事な人を亡くした悲しみを抱えているのでしょう。

ここでおもしろいのは、汐見は飲み会につきあわず家に帰り、寅子は残って深酒して翌朝寝坊することです。なんだか男女逆転していておもしろいです。

ちなみに、毒饅頭殺人事件は、医学生だった乙蔵と恋仲になった女給・甲子が、結婚するつもりで乙蔵に長らく資金援助を続けていたが、乙蔵が医師になった途端、別れを切り出されてしまい、毒饅頭を使って乙蔵一家の殺害を図ったという事件。光三郎とすみれの件を若干思い浮かべます。すみれが大庭家殺害を図りませんように。

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–{第66回のレビュー}–

第66回のレビュー

茨田りつ子(菊地凛子)が、愛のコンサートのラジオ放送で、寅子(伊藤沙莉)を絶賛したため、東京の御婦人がたが寅子に担当してもらいたいと殺到します。

スターの影響力、ラジオの拡散力は大きいということでしょう。寅子がいったいどんな事件をどのように担当したのかさっぱりわからないまま、寅子は人気者になり、取材も殺到しているようです。みるみる、日本で一番有名な裁判官になっていました。

多岐川(滝藤賢一)は愛の裁判所が広く周知されれば満足のようですが、家事部と少年部のふたり、浦野(野添義弘)壇(ドンペイ)には寅子の発言が咎められます。

第14週「女房百日 馬二十日?」(演出:梛川善郎)は1925年。

寅子はますます忙しくなり、小学生になった優未(竹澤咲子)の面倒をやっぱりちゃんと見ることができません。でも優未はいい子にしています。このままおとなしく何も主張しないままでは収まらないのではないか、絶対あとあと爆発しそうな予感がしますがどうでしょう。ここまで優未の言動がほぼないのは何かあるに違いありません。「虎に翼」は描かれない人こそあとからふいに何かあり、妙にしつこく描かれたことにはあまり意味がない、そんな逆を行く法則を感じます。

忙しいなか、さらに仕事の依頼が。
久藤(沢村一樹)桂場(松山ケンイチ)が竹もとに寅子を呼び出し、星朋彦(平田満)の書籍の改訂版を出す手伝いをしてほしいと頼みます。

桂場は、団子をむさぼり食いながら、寅子が忙しすぎるとどこかでまた爆発して仕事を放棄するのではないかという心配を、暗に態度で示します。が、寅子はもう昔の彼女ではなさそうです。

星のもとへ向かった寅子は、彼の代わりに現れた息子・航一(岡田将生)と出会います。「あの佐田寅子さん」と言われて、「あの」の意味に引っかかりを覚えます。久しぶりに、寅子の理屈ぽさが発揮されました。あー寅子って最初、こんな感じでした。

航一は嫌味ぽいことを自分から言ったものの、寅子に質問されてもスルーします。曲者感が強く、寅子は、やりづらい、と感じます。これもまた寅子らしさ。
わりと第一印象でネガティブな評価を下します。いい子ぶって裏で黒い声ではなく、見た目も口調も媚びないし、心のなかでも他人に厳しい。これは朝ドラヒロインには今までいなかった。寅子の正直なところが愛されているような気がします。

航一は、朝ドラで時々出てくる、見た目はシュッとしているけれど、変わり者でヒロインと何かとぶつかるキャラでしょうか。

朝ドラ辞典2.0 偏屈(へんくつ)な人

「梅ちゃん先生」の松岡(高橋光臣)、「ごちそうさん」の悠太郎(東出昌大)、「なつぞら」の坂場(中川大志)など。見た目はシュッとして頭もいいが、頭が良すぎてちょっと偏屈で、最初はヒロインとなにかとぶつかる。が、やがてかけがえのない存在になっていく。悠太郎や坂場はパートナーになるが、松岡はそこまでに至らなかった。

さて。梅子(平岩紙)は轟法律事務所に居候し、炊き出しの手伝いをするかたわら、竹もとで働いています。竹もとでは学生時代、香淑(ハ・ヨンス)がバイトしていました。たまり場・竹もと。バイトなら竹もと。密談も竹もと。便利なお店です。

ちょうど先日、「CINEMAS+」朝ドラ班で、竹もとのモデルらしい竹むらにお茶をしに行ったのですが、外観も内観もとても雰囲気を似せて作っている気がしました。入口に吊るしてある店名の入った行灯みたいなものがとても似ています。

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–{第67回のレビュー}–

第67回のレビュー

寅子(伊藤沙莉)星長官(平田満)の民法に関する書籍の改訂版のお手伝いをしています。なぜか長官はちっとも現れず、代わりに息子の航一(岡田将生)と作業をするはめに。
彼の反応は独特で、寅子は最初、やりづらく感じましたが、一緒に仕事をしていたら、悪い人ではなかったようです。

寅子の書いた文章を「いいですねここ」と褒められ、寅子もまんざらではない気持ちに。

休日返上で、寅子たちが仕事していると、ようやく長官がやってきます。長官は航一は後妻募集中だと寅子に言います。

仕事抜きで法律と向き合えるこの時間が楽しくて楽しくてたまりませんでした、とナレーション(尾野真千子)が語りますが、これも仕事では?という疑問はさておき。意味合いとしては、純粋に法律と向き合えて、しかも自分のやったことを正当に評価してもらえることですごく報われているのでしょう。それに比べて、本来の仕事のほうでは家事部と少年部の懇親会を催したら誰も来ないという甲斐のない目に遭っています。妄想のなかで小橋(名村辰)にからかわれ、苛立つ寅子。梛川善郎演出ではいつも小橋がいじられています。

最終日は竹もとで、最後の確認。そこにもなかなか長官がやって来ません。
これでもう終わりなのはさみしいと寅子が言ったあと、航一が沈黙。
「あら航一さんも?」と寅子。数日の共同作業で、呼吸が合わせられるようになり、航一の独特の反応の意味を理解できるようになったのでしょうか。彼の口癖「なるほど」というのもそこに悪い意味はないことに気づいたようです。それにしてもずいぶん前向きな理解だなあ。

航一が差し出した表紙の装丁には、寅子の名前も入っていました。航一は寅子も原稿を書いていて、それは手伝いの域を超えていると言います。彼が彼女の原稿を褒めた場面がここに生きています。長官も赤字で彼女の原稿を「大変よろしい」と褒めていました。

余談ですが、ゴーストライターとして名前が表紙に載らない、著書扱いされないということはあることで、それに悔しい思いを味わう人もいます。航一はものの道理のわかった人です。いや、たぶん、長官が名誉欲の深い人ではないのでしょう。

長官は前文だけは自身で書きたいと、ようやく書き終えた原稿を持って竹もとにやってきます。そしてそれを朗読。竹もとの店主たちや客も聞き入り拍手します。名優・平田満によって、シンプルな前文が染みて聞こえます。

出版前の本の原稿を、一般市民に事前に聞かせてしまっていいものかという疑問は、民法とは一般の人々のものだからという理由で片付けることができるでしょう。

星長官は自身を「出涸らし」と言い、穂高(小林薫)とお年寄り同士、これまでやることをやってきた末の出涸らしを、どう有効活用するかを語った話を、航一に聞かせていたようで、航一は今回の書籍の改訂を父親にとっての「出涸らし冥利」と言います。

シニア作家が同世代の人物を「出涸らし」に例えるのはまだしも、若い作家が年輩を「出涸らし」と表すのはかなりの勇気がいったのではないでしょうか(たとえいい意味もあったとしても)。きっとまたSNS でざわつくことを見越して力を振り絞ったに違いありません。若い作家にそんな無理をさせるほど、世間の反応を気にしないとならない現状には胸が痛みます。

まあでも、実際問題、お年寄りがいつまでも出張って若者の活躍を阻んでいる場もあります。誰が猫の首に鈴をつけるかではないですが、なかには役目を終えたという自覚をもつべき人たちに言ってやらねばいけないこともあるでしょう。ガラスの天井とは男女差だけでなく、お年寄りが作ってしまっているものもあると思います。などと考えてしまった第67回。

そして、星長官は本の出版を見ることなく、お亡くなりに。体調が悪かったからなかなか作業に来られなかったのです。素敵な本を世に残せてよかった。

さらにその本に寅子の名前が乗って、法律の本を出したかった優三(仲野太賀)の願いを代わりに叶えたと寅子が思うことにしたという、しんみりした流れです。それが、航一との連名というのがなんとも皮肉な気もしますが。年輩の方々の扱いも含め、情緒に流されることなく、時代は移り変わっていくものという達観を感じます。それが伊藤沙莉さんがいい塩梅に体現して見えます。
人間は雨だれの一粒に過ぎないけれど、落ち行くその瞬間にせいいっぱいできることをして生きていくしかないのです。

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–{第68回のレビュー}–

第68回のレビュー

初代・最高裁長官・星(平田満)が亡くなって、2代目・山本(矢島健一)が就任。穂高(小林薫)は最高裁判事のひとりになっていました。

穂高もだいぶ、老いてきていますが、”出涸らし”として、やれることをと思ったのか、尊属殺に関して、意義を唱えました。人数的にはたったふたりの反対でしたが、寅子(伊藤沙莉)は声を上げ続けることが大切なのだと思っています。それは判例として残るからと。

穂高の「雨だれ石を穿つ」の心が最近はだいぶ、寅子のなかにも浸透してきているようです。米津玄師さんも「さよーならまたいつか!」で”100年先”と歌っていますから、いまこの瞬間、意見が通らないとしても、未来のためにも声を上げ続ける必要があるのです。

第68回は親子問題がいくつも出てきます。年下の者が年上の者(子供からみて祖父母、父母、叔父叔母)を殺す尊属殺に関して、刑が重いのは平等の法律に反するのではないかと問われていました。

穂高が異議を唱えた尊属殺の事例は、父親が暴力を奮われた子供が殺人を犯してしまった事件でした。平等という法律もいいことばかりではないようです。

その頃、寅子は、日本人男性とフランス人女性の離婚調停を担当していました。離婚にあたって揉めているのは親権問題。梅子(平岩紙)のように親権が欲しいのではなく、夫婦そろって親権を手放したがっているのです。どちらにも欲しがられていない息子・栄二(中本ユリス)が数度、窃盗事件を起こしているのは、親の愛情に飢えているからでしょうか。それとも御夫婦は、素行の悪い息子に手を焼いてのことでしょうか。

栄二の事件は少年部が担当しています。家事部と協力しあえないかと寅子は壇(ドンペイ)に相談しますがけんもほろろです。

こんな忙しいときに、月経が来て辛い寅子。昭和22年に生理休暇が労働基準法に盛り込まれたものの、正当に休暇をとる間もないほど忙殺されています。

労働基準法に盛り込まれた経緯をドラマでやってほしかった。誰がどういう経緯で法律に盛り込むための行動を起こしたのでしょうか。寅子のモデルの三淵さんと関係なくても、かなりオリジナルドラマなのだから、せっかく月経エピソードを描いているのだから、法律になるまでの経緯も描いてほしかった。

寅子がつらそうなので、優未は遠慮して、学校への見送りもしてもらいません。「優未とじゃキラキラしないから」というセリフが気になります。お母さんは仕事をしているときはキラキラしているが、自分の前ではキラキラしていないと感じているのでしょう。

しかも、テストで84点をとったら、100点とるまで努力するように言われてしまうのです。

女性は仕事も家事もなんでも100点を求められるのがつらいという話もあったし、花江(森田望智)は家事を手抜きしたいと宣言したにもかかわらず、寅子はそのことを忘れてしまっているようです。現実的な性格だから、それと学業の点数は切り分けているのかもしれませんが。それに寅子は勉強大好きですから。

寅子の言動の極端さは、これから物語として何かが描かれる前フリと思いますので、様子見です。

忙しいなかでも日比谷から神田へ電車に乗って、昼休憩に航一(岡田将生)とお茶する時間はあってよかった。月経中で動くのもつらいなら法曹会館のラウンジでいいんじゃないかと思いますが、せめて甘いものを食べて気分転換なのかも。
お昼ご飯を食べずにお茶だけってことはないですよね。昼ご飯食べないと午後からの仕事で力出ないよ〜と心配になります。余計なお世話ですが。

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–{第69回のレビュー}–

第69回のレビュー

寅子(伊藤沙莉)は月にどれだけ甘味処に通っているんだ?
いつもの竹もとで、寅子は桂場(松山ケンイチ)久藤(沢村一樹)穂高(小林薫)の退任記念祝賀会の手伝いを頼まれます。甘味は、頼み事の報酬なのでしょう。

そのときの桂場が「名誉なことだから君が喜ぶと思ったのだがな」と言ったあとのにんまりと含みのある顔。桂場はわかっている、寅子が名誉好きであることを。そして、その名誉欲(よりよい世の中を作った人として名を成す)が彼女をおかしな方向に導きます。

祝賀会の日、穂高は「出涸らし」としての自覚と、旧民法に異を唱え、御婦人たちや弱きもののために仕事をしてきたつもりだったが、足りていなかったかもしれないと。結局私は「雨だれ」の一雫に過ぎなかったと挨拶をしているのを聞いて、寅子は渡すはずの花束に涙をこぼし、花束を渡すことを拒否して会場を飛び出します。

追いかけてきた穂高に、あの日のことをゆるしてないと言います。
先生に雨だれの一滴なんて言ってほしくないとか女子部の我々に雨だれになることを強いて、歴史にも記録にも残らない雨だれを無数に生み出したとか、きついことを投げつけます。そして、「納得できない花束は渡さない」と名台詞ふうの啖呵を切ります。

怒りが収まらない寅子は、屋上で、うわーーーっと叫びます。

「雨だれ」問題は、寅子が妊娠したときから尾を引いています。いますぐに解決しないことを「雨だれ石を穿つ」と考え、時間をかけていくという考えに、寅子は、いまの自分の問題を言っているのだと反論しました。妊娠と仕事を両立させたいのにそれを諦めることを当たり前にされて心が折れたことを、いまだに根に持っているのです。

寅子の苛立ちもわかります。が、広く社会全体を俯瞰した話と、個人の話をごっちゃにしすぎている気がして……。そこはもうちょっと冷静に切り分けてもいいのではないでしょうか。

星長官(平田満)のことは全面的に尊敬し、穂高をひたすら敵視している理由を考えてみると、星の書籍が好きなのと、自分を褒めてもらい、本に名前を載せてもらい、名誉欲をくすぐられたこと。一方、穂高は、ちっとも褒めてくれずにいつも心が折れること(諦めさせるようなこと)ばかり言う。そういう寅子の気持ちを察して、桂場は「名誉なことだから」とじゃっかん嫌味も込めて言ったように思えるのです。

あの場で、穂高が寅子を、たとえば穂高の功績として女性判事がこのように誕生したと持ち上げてくれたら良かったのに、穂高はそういうことをしない人のようで。じつは真にフラットな人なんじゃないかという気もします。

寅子のように、ああいう場で皆が見ているなか出ていってしまうのは、自己顕示欲の現れで、構ってちゃんなので、ほんとうに優秀な人はやらない、あるいは、やるなら狙いをもってのことでしょう。寅子は完璧ではない、発展途上の人物なのです。

ただ、前にも書きましたが、このドラマは、ひどく心をざわつかせてから、そうでもなかったと収束させるのが特性なので、穂高とのこともきっと解決するのでしょう。なぜなら、家事部と少年部の諍いに、多岐川(滝藤賢一)が理想と理想のぶつかりあいなのだと寅子に説いていたからです。

寅子にも理想があり、穂高にも理想がある。

小林薫さんが、穂高を弱々しく、そして少し滑稽に(ああ〜、はあ〜と呆れるところ)演じながら、でも上品さや知性を残していて、すてきでした。

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–{第70回のレビュー}–

第70回のレビュー

穂高(小林薫)に啖呵を切った翌日、寅子(伊藤沙莉)のもとへ、穂高が謝罪に来ました。

穂高、一晩中、考えたのでしょうか。古い人間である穂高とは違って、既存の考えから飛び出し人々を救うことができる寅子を、「心から誇りに思う」と言います。令和における「リスペクト」を、穂高も身につけました。すばらしい。

そうそう、寅子はこういうのを待っていたのでしょう。
ようやく寅子は、尊属殺の反対意見を読んだことを伝えて、「先生の教え子であることは心から誇りに思っています」と返します。でも、昨日の穂高のお別れ回に水を差したことは決して謝りません。なんて尊大な人なんだ寅子。

穂高は無理してここまで来たようで、もう立っているのも辛いのでしょう、椅子に座り、「よかった、最後に笑ってすっきりした顔でお別れできそうで」と弱々しくほほえみます。

そして、最後に言った言葉がこれ。

「佐田君、気を抜くな。君もいつかは古くなる。つねに自分を疑い続け、時代の先を歩み、立派な出涸らしになってくれたまえ」(穂高)

穂高は最大限、これからの寅子のために折れに折れました。でも「雨だれ」理論は曲げていません。言い方を変えただけです。寅子はいまの自分を誇りに思ってもらって嬉しいので、いつか自分も「出涸らし」になる――雨だれをお茶に例え変えただけなのに、気に障らないのです。

穂高にしてみたら、女性が活躍できなかった時代に、法曹界に単身乗り込み、男性ばかりのなかでよくやってるとは思うものの、実績がないのだから、褒めようもなかったのではないかと思うのです。
そこが、現実的な実力主義でしょう。

寅子は穂高に認めてもらえ気を良くして、親権問題に取り組みます。
ここまで口を閉ざしてきた栄二(中本ユリス)に、両親にこだわる必要はない、両親に任せたくないと言います。すると、栄二は「どっちとも暮らしたくなかったら」と口を開き、父の姉・勝枝(小林美江)の名前を出します。

子供が頼る相手は親である必要はない、という寅子の画期的な考えによって、親権問題は解決しました。そのとき、家事部と少年部が協力したとナレーション(尾野真千子)。

その頃、穂高先生は亡くなります。法曹界のラウンジではなく、なぜか竹もとで、教え子たち(久藤、多岐川、桂場、寅子)が集まり語り合います。

桂場(松山ケンイチ)はかなり酔っていて、それだけ穂高が好きだったことが伝わってきます。
穂高イズムを継いでいくのだと酔いながら語る桂場。その穂高イズムとは。

寅子「理想のために虎視眈々です」
桂場「寅子が虎視眈々?」

そのあと、桂場や寅子が感動した穂高の尊属殺事件への反対意見が、小林薫さんの声で読み上げられます(落ち着いた名調子)が、そこには「理想のために虎視眈々」は入っておらず、穂高がこの一文を書いたかはよくわからないのですが(筆者が見逃しているかもしれません)、もしそう書いたとしたら、寅子のことを思って書いたラストメッセージのような気もします。
こんなに期待されているのだから寅子、がんばらないと。

※この記事は「虎に翼」の各話を1つにまとめたものです。

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–{「虎に翼」作品情報}–

「虎に翼」作品情報

放送予定
2024年4月1日(月)より放送開始

出演
伊藤沙莉 、石田ゆり子、岡部たかし、仲野太賀、森田望智、上川周作、土居志央梨、桜井ユキ、平岩紙、ハ・ヨンス、岩田剛典、戸塚純貴、 松山ケンイチ、小林 薫ほか


吉田恵里香

音楽
森優太

主題歌
「さよーならまたいつか!」(米津玄師)

ロゴデザイン
三宅瑠人、岡崎由佳

語り
尾野真千子

法律考証
村上一博

制作統括
尾崎裕和

プロデューサー
石澤かおる、舟橋哲男、徳田祥子

取材
清永聡

演出
梛川善郎、安藤大佑、橋本万葉ほか