賛否両論渦巻く『“それ”がいる森』を「子供たち」に観てほしいワケ

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中田秀夫監督──その名を聞いて思い浮かべるのはどの作品だろう。やはり一番手はJホラーの金字塔『リング』か。あるいは『女優霊』や『仄暗い水の底から』といった、いまも根強い人気を誇るホラー映画を挙げる人も多いかもしれない。

また中田監督はホラーにとどまらず、『デスノート』のスピンオフ『L change the WorLd』やミステリ小説を原作にした『スマホを落としただけなのに』といった作品もヒットに導いている。

そんな中田監督作品の中で、2022年の公開時に賛否両論を巻き起こしたのが『“それ”がいる森』だ。ある意味「異色作」となった本作について、賛否を呼んだ点も踏まえつつその魅力をじっくり語っていきたい。

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【関連コラム】中田秀夫監督・先駆者としての変化と挑戦。『“それ”がいる森』インタビュー

“それ”を徹底的に隠した宣伝手法

タイトルが示す“それ”とは一体なんなのか。おそらく多くの映画ファンが中田秀夫流ホラーを期待していたかもしれない。公開前の宣伝でも一切その正体を明かすことはなく、いざ蓋を開けてみれば実は“それ”の正体は── というある意味で「衝撃的」な展開が観客を待ち受けていた。

制作側にとって、“それ”の正体を事前に明かさなかったことはひとつの賭けだっただろう。たとえば予告編にチラリとでもその姿が映れば、たとえば幽霊であれモンスターであれ、それだけでその手のジャンル好きを劇場に呼ぶことができる。反対に、そのジャンルに興味がなければ客を遠ざけることにもなりかねない。

その点、本作は主演に嵐の相葉雅紀を起用した時点で一定の集客を見込むことができる。「相葉くんが出るから」というだけで鑑賞理由になり、あえて“それ”を見せない宣伝手法も映画への興味を引くと同時に「おばけモノは怖くて観れない」というホラー映画集客あるあるを回避することもできる。

ただ、この機会にあえて声を大にして言いたい。本作は大人に限らず、心が知らずワクワクするような、それでいてハラハラドキドキもするエンターテインメントに飢えた少年少女たちに観てほしい、と。

過剰な化学反応は起こさない相葉雅紀&松本穂香コンビの良さ

さて──“それ”の正体についてネタバレをせずに本作を紹介するのは難しい。そのため核心部分は後半に回し、ざっとストーリーを紹介したい。主人公の淳一(相葉)は地方で農家を営んでおり、ある日突然、東京で元妻・爽子(江口のりこ)といるはずの息子・一也(上原剣心)の来訪を受ける。

一也はしばらく淳一のもとで暮らすことになり、近くの小学校に通うようになった。その矢先、一也と一緒に森の中の秘密基地で遊んでいたクラスメイトが失踪。淳一たちが暮らす町でも住民が不審死を遂げ、行方不明になる子供が相次いだ。

本作は「なぜ子供が狙われるのか」「子供たちはどこに消えたのか」といった謎を中心に物語を進めていく。その謎を探るのが淳一の役目であり、事件の解明に向けて淳一の協力者が一也の担任教師・絵里(松本穂香)だ。互いの関係上二人三脚のバディものにはならず、特別な才能に秀でたわけでもないふたりが地道に事件の謎を追うところが妙にリアルでもある。

一方で“それ”の正体が明らかになっていく過程の中で、現在と過去をつなぐ新たな疑惑が生まれるミステリアスな展開も。さらにクライマックスではそれまでの「怖さ」とは質の違う、もっと直接的な恐怖へと突入するため意外と(と言っては失礼だが)手数が多いことに驚かされる。

このあらすじに触れると、中田秀夫流ホラーの洗礼を受けている人なら違和感を覚えるはず。中田監督のホラーといえば、やはり『女優霊』の幽霊や貞子のような強い怨念を抱いたキャラクターのイメージが強い。ところが「森」という舞台や「失踪する子供たち」といったキーワードが、明らかにこれまでの作品とは異なる空気感を醸し出す。

それもそのはず、“それ”の正体は──。

※以降、ネタバレ注意!

–{明らかになる“それ”の正体!な、なんだってー!?}–

宇宙人だったのだ!

劇場に足を運んだ観客は心の中で「マジかよ!」と叫んだに違いない。そして、その正体こそ「賛」に向くか「否」に転がるか最初の分岐点にもなっている。

「中田ホラー=幽霊モノ」のイメージを裏切る形となり、舵切りがエクストリームすぎると興奮する人もいれば、「この令和の時代にメジャー映画で宇宙人ネタかよ」とツッコミを入れた人もいるだろう。

中田監督と宇宙人は「混ぜるな危険」

とはいえ、そこはJホラーの先駆者。たとえ“それ”が宇宙人でも、特に夜間における空間演出はやはり怖い。仮に実体のない幽霊がぼうっと立っていても薄気味悪いが、宇宙人という実体のある存在だと「いつ・どこから」唐突に目の前に現れるかわかったものではない。淳一がライトを片手に夜のビニールハウス内を歩き回るシーンは、良い意味で「中田監督は性格が悪いな」と感じたほどだ。

また幽霊モノは『リング』しかり『残穢【ざんえ】―住んではいけない部屋―』しかり、「なぜその怪異が現れたのか」ルーツを探るミステリ仕立ての枠組みがある。一方で宇宙人モノは起源を探るストーリーを入れようにも、「とりあえず地球外からやってきました」「たまたまその場所に降り立ちました」で話が済んでしまう。

そのため本作は序盤から潔く、“それ”が“宇宙人”である可能性をほのめかしている。(森の中に鎮座する宇宙船)

その直後、宣伝とは打って変わってもったいぶらずに宇宙人そのもののビジュアルを見せたことも後々のストーリーを進展させる布石となった。

圧倒的な“懐かしさ”

前述のとおり本作は賛否両論を招いたが、もしかすると1990年代のエンターテインメントに触れて育った世代は誰よりも受け入れやすかったかもしれない。当時は今よりもUFO特集などのオカルト番組がずっと多く放送されており、現在の特番スタイルではなくゴールデンタイムのレギュラー枠が割り当てられていたことをご存知だろうか。

たとえばネットミーム「な、なんだってー!?」の元ネタマンガ「MMR マガジンミステリー調査班」を実写ドラマ化した「MMR未確認飛行物体」。あるいはUFOに限らずUMA(未確認動物)など幅広いテーマを扱った情報番組「特命リサーチ200X」。

90年代といえばバブル崩壊を迎えただけでなく、「1999年7の月に人類が滅亡する」というノストラダムスの大予言に翻弄された時代でもある。世界が終わるかもしれないというある種の熱狂の中、ハルマゲドン(最終戦争)をもたらすのは地球外生命体ではないかと予想する声も多かった。

娯楽や文化など“流行は30年周期で訪れる”とされており、思えば近年は80~90年代のエンターテインメントが相次いでリメイクされたり、突如として続編が制作されている。そんな潮流の中で日本を代表するホラーの旗手が宇宙人ネタに振り切るとは、なかなかの挑戦だったのではないだろうか。

本作に登場する宇宙人は序盤から凶暴な性格を見せており、新規軸のホラー映画ともいえる。実際に子供相手でも容赦のない展開となるが、宇宙船のデザインやクライマックスでの宇宙人とのバトルなど、あえてB級タッチで描いているようにも思えた。

そのリアリティと作り物感の狭間で、まさしく90年代のエンターテインメントを浴びて育った筆者は鑑賞中に「そうそうこれだよ!」と懐かしさのあまり嬉しくなったものだ。

子供から大きなお友達まで楽しめる娯楽作!

クライマックスの舞台が「夜の小学校」というのも心憎い。いわゆる学校の怪談ブームが巻き起こったのも90年代であり、幽霊や怪異といった類とは異なるが、「子供を襲うため小学校に侵入した宇宙人」という構図は学校の怪談の新たなステージともいえる。

ちなみにオカルト好きの方々は本作のエンドロールにもご注目を。中田監督いわくエンドロールで流れる「ある映像」は、本作プロデューサーが実際に撮影してきた“加工なし”の“本物”らしい。そういった素材を嬉々として映画の締めに使用する心意気に、なんだか嬉しくなってしまう。

──と、いうわけで。もちろん現代のエンターテインメントを否定するつもりは全くない。それでも、こういった作品を楽しむおおらかさと熱気を併せ持つ時代があったんだよ。と子供たちに紙芝居を聞かせる老人のようなトーンで、筆者はこれからも本作を推していきたい。

(文:葦見川和哉)

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