一生のお願いです。今すぐアニメ映画『窓ぎわのトットちゃん』の劇場情報を確認し、観に行ける時間を予約して、映画館に駆けつけてください。
なぜなら、この『トットちゃん』は2023年というこの年に限らず、すべてのアニメ映画、いやすべての映画の中でも頂点に位置する、大・大・大傑作だからだ。
現在映画.comで4.0点やFilmarksで4.1点を記録するなどレビューサイトでの評価ももちろん高く、公開から1週間をかけてX(Twitter)で絶賛の声がたくさん投稿され続け、幾度となくトレンド入りしている。これからずっと、名作として語られることも間違いない。
原作は1981年に出版された黒柳徹子による日本の自伝的物語で、世界35ヶ国で翻訳され、全世界累計発行部数が2500万部を突破している大ベストセラー。劇場にはご年配の方が多く訪れている印象だったが、その原作をまったく知らない世代に届くべきだ。
何も予備知識がなくても幅広い世代が楽しめる上に、後述する戦争の問題を伝える意義も大きいのだから。
ここでは、一生のお願いなので『トットちゃん』を観てほしい「4つ」の理由をまずはネタバレなしで(2ページ目まで)、目がもげるかと思うほど泣いた「6つ」の理由をネタバレあり(3ページ目以降)で、全力で解説するので覚悟してほしい。
何も知らずに観たい方は、もういいから、<劇場情報>を今すぐ確認して、できるだけ早く予約して観てください。一生のお願いなのですから。
- 1:予告編ではわからない「戦争の侵食」の恐ろしさ
- 2:アニメで描く意義がある表現の数々
- 3:説明がないのに伝わる、エピソードがリンクする物語
- 4:「多様性」と相反する「戦争時の全体主義」を伝える映画でもある
- おまけその1:現在は多くの戦中・戦後の映画が公開中!
- おまけその2:『この世界の片隅に』と『マイマイ新子と千年の魔法』に通ずるポイントも
- おまけその3:『屋根裏のラジャー』ともまさかのシンクロが!
- ネタバレなしまとめ:ここまで言って観てくれなかったらどうしたらいいんだ
- 1:トットちゃんは、泰明ちゃんの木登りを手伝ってあげる
- 2:大石先生の後悔と、高橋くんの運動会での大活躍
- 3:歌と音楽の力は、戦争にも奪わせない
- 4:トットちゃんは、戦争のせいで変わってしまった世界を目の当たりにする
- 5:戦争は、愛情をも狂気に変えてしまうのかもしれない
- 6:チンドン屋さんや、小林先生のおかげで、今のトットちゃんがいる
- 『窓ぎわのトットちゃん』作品情報
1:予告編ではわからない「戦争の侵食」の恐ろしさ
まず、正直に言って本作は予告編の訴求力が低かったと思う。こちらの印象だけで「観なくてもいいかな」と思ってしまった方も多いのではないか。
特に「みんな化粧をしているような」キャラクターデザインに違和感を覚える人は多かった。だが、そのパッと見の印象だけで敬遠するのは、あまりにもったいない。実際に映画本編を観ればすぐに慣れるだけなく、後述する子どもらしい動きの細やかさも相まって、愛らしいと心から思えたのだから。
実は、これは昭和の「児童画」のしっかり朱が塗られた唇や頬紅の表現を参考にしているデザインで、船越圭の彫刻の影響もあり、立体的にキャラクターをとらえて動かす意図もあったという。キャラクターデザインを担当した金子志津枝は「誰もが愛せるトットちゃん」みたいなところを目指したそうで、それは映画本編を見れば見事に達成できていた。
参考記事:「窓ぎわのトットちゃん」八鍬新之介監督インタビュー 「本当に人の心に届くモノにするためには、妥協はできない」 | スタッフ | レポート | WebNewtype
そして、本作の本質は予告編では見えていなかったことにこそあると断言する。何より、今まで観たどの戦争映画よりも戦争のグロテスクさを感じた、戦争が「侵食」してくる描写が素晴らしいのだ。
もちろん、それは血が飛び散るとか、内臓が見えるとか、そういう直接的な残酷描写ではない。むしろ、幼いお子さんでも観られる、楽しい場面が多い作品だ。
しかし、いやだからこそ、戦争がいかに世界の姿を変えてしまうのか、それがわかる描写の数々がものすごく怖かった。その戦争の侵食を予告編では見せていないからこそ本編のショッキングさが際立つし、予告で見せるとむしろ観る人を遠ざけてしまう可能性もあるので、現状の予告編の方向性も間違ってはいなかったと思う。とにかく、本編であれほど身震いし、涙するとは思いもしなかった。それこそに本作の凄みがある。
2:アニメで描く意義がある表現の数々
この『トットちゃん』は「アニメをなぜ観るのか」「アニメで表現する理由は何か」という究極的な問いにも回答しているとさえ思える。実話を元にしているので、もちろん実写でも表現可能な、現実的なことが起こっているはずだ。そうであるはずなのに、いやだからこそ、アニメで描く意義があったと心から思えたのだ。
まず、子どもの動きに「実際もこうだよなあ」と思えることが素晴らしい。主人公のトットちゃんは、感情を身体全体で表現しているようなところがあり、とってもかわいらしいのだが、一方で序盤からあわや車に轢かれかけてしまうシーンもあり、他の場面でも落ち着きがなくて危なっかしい。
その一挙一動を細やかに描いていてこそ、例えば「木に登ろうとする」シーンだけでもハラハラするし、一方で子どものリアクションそれぞれを観ているだけで笑顔になるし、時にはそのコロコロと変わる表情(泣き顔を容赦なく「ぐしゃぐしゃ」にしているのもすごい!)のおかげで猛烈なまでの切なさや感動が観客へ訴えかけてくる。
当時の風習を余すことなくリサーチしたと思われる背景美術や、主な舞台である「トモエ学園」の作り込みも半端ではない。教室にいるたくさんの子どもたちが、それぞれ複雑な動きをしていていたりもする。もちろん、それらを実現するための労力は尋常ではないものだろうが、ここまでするからこそ、元々は絵にすぎないはずの子どもたちが、この時代に「生きている」と感じられる。それこそが作品に重要だったのだ。
さらに、劇中では3回、絵柄および表現をまったく変えたアニメが展開する。序盤でトットちゃんの空想(想像)を絵本タッチで見せる様も圧巻だが、その後の豊かで「そうする」必然性もある表現も楽しみにしてほしい。
なお、原作者である黒柳徹子は「本を読んでくれた皆さんの頭の中にある映像の方が良いものなんじゃないか」という理由で、これまで映像化を断ってきたものの、2016年に企画された今回のアニメ映画は、「世界情勢が変わってきた」ことに加えて、「今の若い人に観てもらえるなら」と許可をしたという。
3:説明がないのに伝わる、エピソードがリンクする物語
ごく一部だけ使われるナレーションを除けば、劇中に説明はほとんどない。そうであるのに、舞台であるトモエ学園がどんなところなのか、はたまた戦争が侵食してくる様は、子どもの視点からまったく説明的でなく語られている。「画で語る」映画的またはアニメならではの演出もふんだんで、「さりげないが確実に起こっている変化」に注目してみるといいだろう。
物語の完成度も凄まじい。原作からの取捨選択も見事だが、それぞれが独立する小さなエピソードの連なり、なんて事のない日常の出来事の連続のようでもありながら、それらの全てがトットちゃんだけでなく他の生徒や先生たちの成長にもリンクしている、無駄のない構成になっているのだ。
さらに、言葉遣いからして「子どもってこうだよなあ」と思える会話も素晴らしい。そのほとんどはもちろん原作にもあるものだが、前述した子どもらしい動きと入念に作り込まれたアニメがあってこそ、それらがより「本当にこうなんだ」と真に迫ってくるのだ。
–{「多様性」と相反する「戦争時の全体主義」を伝える映画でもある}–
4:「多様性」と相反する「戦争時の全体主義」を伝える映画でもある
主人公であるトットちゃんは、落ち着きがなくおしゃべり好きで、「困った子」と言われたからこそ退学となってしまい、自由でユニークな校風のトモエ学園に入学する。トットちゃんは今で言えばADHD(注意欠如・多動症) だったとも言えるし、LD(学習障害)の傾向もあったのかもしれない。
しかし当時にはそういう言葉はなかったし、トモエ学園はトットちゃんに困った子という「レッテル貼り」をすることもしない。小林校長先生は、入学する時にトットちゃんの話を4時間も聞いた上で、やっと「どうして私のことをみんな困った子っていうの」とネガティブな疑問をぶつけてきたために、「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ」と返すのだ。
その後もトモエ学園では、子どもそれぞれの個性や自主性を尊重して自由に学ばせたり、世の中には様々な大切なものがあるといった、多様性を意識した教育がされていることがわかるだろう。
さらに、クラスメイトには「泰明ちゃん」という小児麻痺を患っている子どもがいる。彼に対してのトットちゃんや小林校長先生が親身に接する様や、時には泰明ちゃん自身がしっかりとした意志を持つ人間として描かれることにも感動がある。
そして、そのトモエ学園での楽しい生活に、前述したように戦争が侵食してきて、その多様性に溢れた教育の場も、戦時中の全体主義的な価値観に染まってしまうことがとてつもなく恐ろしいし、それがなんと愚かで間違っていることなのかとも思わせる。詳しくは後述するが、そうであったとしても、「戦争にも奪わせないこと」を提示してくれた時に、涙がもう滝のように溢れてきたのだ。
おまけその1:現在は多くの戦中・戦後の映画が公開中!
くしくも、2023年は『君たちはどう生きるか』『ゴジラ-1.0』『ほかげ』『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』と、この『トットちゃん』と同じく戦中・戦後を描く(しかも子どもが物語に関わる)映画が公開中だ。
【関連コラム】映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』で“鬼太郎”の見かたが変わるワケとは
いずれの作品もロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルによるガザ地区侵攻と、痛ましいという言葉でも足りない戦争が起こっている今こそ、多くの人が問題を考える意義があるだろう。ぜひ、可能な限りあわせてご覧になってほしい。
おまけその2:『この世界の片隅に』と『マイマイ新子と千年の魔法』に通ずるポイントも
本作の凄みは、2016年に公開された、戦争時における普通の人たちを描いた『この世界の片隅に』に通じている。当時の人が本当に「生きている」と思えるアニメの豊かさや、小さなエピソードそれぞれが呼応しているような物語など、多くの共通点を見つけることができるだろう。
同じく片渕須直監督作『マイマイ新子と千年の魔法』は、昭和の時代を舞台とし、子どもの想像力を画として見せながらも、シビアな問題が終盤に提示されるアニメ映画で、こちらも『トットちゃん』を観て連想する方は多いはずだ。
おまけその3:『屋根裏のラジャー』ともまさかのシンクロが!
さらに、12月8日(金)より公開されている『屋根裏のラジャー』は想像上の友達こと「イマジナリーフレンド」を題材としたファンタジーアドベンチャーであり、『トットちゃん』とは「子どもの想像力」をアニメで見せてくれる大きな共通項がある。
その『屋根裏のラジャー』の緻密かつ大胆に作り上げられた想像のシーンは、今敏監督によるカルト的な人気を誇るアニメ映画『パプリカ』になぞらえて、「光のパプリカ」「病んでないパプリカ」といった例え方もされている。
さらに、「子どもの視点」を丁寧に描いていることも似ているし、「過酷な現実」を容赦無く見せることも同じであるし、だからこそのエモーショナルな感涙シーンも待ち受けている。
『屋根裏のラジャー』 Ⓒ 2023 Ponoc
何より、『屋根裏のラジャー』も『トットちゃん』日本のアニメ映画の底力を見せつける超労作であるし、今の子どもと、かつて子どもだった大人にも誠実なメッセージを投げかけている作品だ。ぜひ、あわせて観てほしい。
【関連コラム】『屋根裏のラジャー』アニメ映画に疎い大人にこそ観てほしい理由
ネタバレなしまとめ:ここまで言って観てくれなかったらどうしたらいいんだ
もし、ここまで言って『トットちゃん』を観てくれなかったら、どうしたらいいんですか?
筆者は2023年に350本ほどの映画を観たが、個人的にその中のぶっちぎり1位が『トットちゃん』である。
前述した『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『屋根裏のラジャー』、さらに『BLUE GIANT』『SAND LAND』『アリスとテレスのまぼろし工場』など、今年は日本のアニメ映画の歴史を塗り替える傑作が続々と誕生した、ものすごい1年だった。
その『トットちゃん』は口コミが広がったおかげもあり、公開2週目で満席に近い回もあったという報告が寄せられている。それでも、最優先で観ないといけない理由がある。
それは12月22日(金)に、原作およびテレビアニメが社会現象となった超大物『劇場版 SPY×FAMILY CODE: White』が公開されるからだ。
だからこそ、上映回数が少なくなる中でも、今すぐに予約して観てもらわないといけないのだ。というか、この『トットちゃん』も小学校に入学したばかりの女の子がスパイに憧れているし、家族に犬もいるので実質スパイファミリーである。だからスパイファミリーが好きな方も観るべきなんだよ!
さて、全人類が可及的速やかに観るべき映画だとわかっていただけたと思うので、ここからネタバレ全開で、筆者が泣いた場面6選を紹介しよう。1本の映画で6回泣けることがあるというのもすごいことだ。中でも6つ目はもう泣き死ぬかと思うほど号泣した。
だから、もう、まだ観ていないという方は、今すぐ映画館に駆けつけてください。一生のお願いですから!あと2回目のほうがより泣けたのでリピート鑑賞もおすすめです!
※以降、『窓ぎわのトットちゃん』本編のラストを含むネタバレに触れています。
–{ネタバレありで語りたい、泣ける場面6選はこれだ!}–
1:トットちゃんは、泰明ちゃんの木登りを手伝ってあげる
小林先生は、トットちゃんがボットン便所に落ちた財布を探すために汚物をさらっても、止めることも怒りもせず、「ちゃんと元に戻せよ」とだけを告げていた。(今ではもちろんあり得ない)みんな裸でプールに入ったりもするし、学校にやってくる列車を見るために学校に泊まったりもしていた。トモエ学園は自由な校風でありつつも、生徒たちの意思を尊重し続けた。
それでも、小児麻痺のために片方ずつの手足が動かない泰明ちゃんが相撲を取ろうとすると、小林先生は「危険すぎる」と止めて、腕相撲へと土俵を変えたこともあった。その腕相撲で、トットちゃんは麻痺のために踏ん張りが効かない泰明ちゃんのことを考えて、苦戦するフリをするばかりか、一気に力を抜いてわざと負けたため、「ずるしないでよ!」と怒られた。これは、2人の間にわだかまりが残った出来事ではあっただろう。
そんな2人が真に友達となった、ずっと心に残る思い出になったであろうことが、それ以前にある。今まで木登りをしたことがなかった泰明ちゃんを、トットちゃんがはしごを使って、変な顔で泰明ちゃんを笑わせたりもして、さらに脚立も持ってきて、木の上へと引っ張り上げようとする一連のシーンだ。
ふたりとも汗びっしょりになって木に登る様にハラハラするし、ついに登り切れた時の2人の「いらっしゃいませ」「おじゃまします」というおままごとのようなセリフを口にしながらの、本気で「やり切った」ような表情に感動したのだ。
もしもこの場所に小林先生がいたら、それこそ相撲の時のように危険だからと止めていただろう。これは、この2人だけがそこにいたからこそ成し得た、奇跡的な出来事なのだ。また、泰明ちゃんはここで自分に対して本気で接してくれたトットちゃんが好きだったからこそ、自分に対して腕相撲で本気を出さなかったトットちゃんに怒ったのかもしれない。
そして、汚れた服を見て涙をこらえようとする泰明ちゃんのお母さんにもらい泣きをした。我が子に服を汚すほどの運動をさせられなかった泰明ちゃんのお母さんにとって、それはどれだけ嬉しいことだっただろうか。
2:大石先生の後悔と、高橋くんの運動会での大活躍
大石先生は、人間には尾てい骨があり、それは人間には昔に尻尾があった証拠だと生徒に教える。そして、大石先生は手と足が短く、背が低くてあまり伸びない体質の高橋くんに、あまり深い考えがないまま「まだ尻尾が残っている人はいるかな?高橋くんは、あるんじゃないの?」と聞いてしまい、その時に周りの子どもたちも笑ってしまう。
この大石先生の言葉に対し「あなたにとっても些細なことでも、高橋くんにとっては深い意味を持つんです!」などと真剣に怒る。小林先生は、みんなが劣等感を抱かないように気を配っていたのに……。
しかし、その後の運動会で、大石先生が考案したという鯉のぼりの中を進むレースでは、高橋くんはその体の小ささを活かして一等賞になり、大石先生は景品で野菜を渡す。「すごい面白かった!」と喜ぶ高橋くんに対し、大石先生は目に涙を浮かべながら「うん、またやろうね」と応える。
それは「私が、本当に間違っていました。高橋くんに、なんて謝ったらいいんでしょう……」と心から後悔し反省した大石先生にとって、それはどれだけ嬉しかったことだろうか。
3:歌と音楽の力は、戦争にも奪わせない
国民学校の悪ガキたちは、「トモエ学園ボロ学校!入ってみてもボロ学校!」と歌いながら悪口を言った上に、泰明ちゃんの障害をなじり、石まで投げてきた。対してトットちゃんは「トモエ学園いい学校!入ってみてもいい学校!」と歌い出し、生徒たちは合唱して、悪ガキたちを退散させた。
それは、トモエ学園で行っていた、体と心にリズムを理解させることから始まる「リトミック教育」があってこそのものだっただろう。その光景を見た小林先生は肩を震わせており、きっと「自分の教育が間違っていなかった」ことを感じて涙したのだろう。
そして、戦争は侵食を始めていく。「海のもの」と「山のもの」もあった色とりどりのお弁当は、日の丸のようにご飯と梅干しだけになってしまう。駅員さんは兵隊として戦争に行ったためか、女性に交代していた。
そして、天気予報がラジオから流れなくなったこともあって、雨の中で泰明ちゃんの傘に入って帰る途中のトットちゃんが、お弁当を食べる時の「Row, Row, Row Your Boat」の替え歌を歌うと、知らない大人に「こら!」と怒鳴られた上に、「卑しい歌を歌ってはいけないよ」と言われてしまう。
戦争の全体主義がまかり通り、満足にご飯を食べられない世の中にもなり、「だって……お腹が空いたもん」と泣くトットちゃんのために、泰明ちゃんは水たまりに片足を突っ込みながら歩き始める。それはやはり「Row, Row, Row Your Boat」のリズムであり、その後に街頭は鮮やかな色とりどりの光に包まれた。
この光は泰明ちゃんとトットちゃんの想像のものではあるのだろう。だが、それでも、戦争にも奪わせない、木登りの時のような、2人だけの世界がそこにあることに感動したのだ。(ちなみに、この時の2人の動きや表現は、ほぼ間違いなく映画『雨に唄えば』のオマージュでもある)
その他でも、実在の指揮者であるヨーゼフ・ローゼンシュトックは、元はドイツのユダヤ人音楽家で、ナチスがユダヤ人を迫害しているため国を逃れてきた人だった。彼は新聞で戦況が変わったことも知っても、「音楽には国境はないのです」と言いつつ、かわいいお客さんであるトットちゃんのために演奏を再開した。
バイオリニストのトットちゃんのお父さんも、配給の食べ物を手に入れるため、軍歌を弾こうか迷ったこともあったが、お父さんはそれを拒んだ。それは、トットちゃんが泰明ちゃんから貸してもらった『アンクル・トムス・ケビン(アンクル・トムの小屋)』の「わたしの魂はあなたのものではありません。あなたは魂を買うことはできません」という一節を読んだためでもあった。
トットちゃんがいたおかげもあって、ローゼンシュトックやお父さんは、自身たちの音楽を戦争に奪わせなかったのだ。
–{戦争のせいで変わってしまった世界、それでも……}–
4:トットちゃんは、戦争のせいで変わってしまった世界を目の当たりにする
トットちゃんは泰明ちゃんの葬式で、「トットちゃん、いろんなこと楽しかったね。きみのこと、忘れないよ!」という泰明ちゃんの声を聞いた(聞こえたような気がした)。
そして、教会を出て走り出すと、トットちゃんの頭の中には泰明ちゃんの思い出が蘇ってくると共に、出征する兵隊たちを見送る人たち、ガスマスクをかぶり銃を持って戦争ごっこをする子ども、片足を失くした帰還兵、我が子であろう骨壷を抱いた女性を目の当たりにする。
これまで楽しい時間を過ごしていたトットちゃんにとって、お家やトモエ学園が世界のすべてだったのかもしれない。だけど、トットちゃんは泰明ちゃんを(その前にはヒヨコも)亡くす経験を経て、世界には悲しみや暴力や理不尽を象徴するような、戦争があることを知ったのだ。
その後に、水たまりに突っ伏して泣くトットちゃんに、小林先生は泰明ちゃんから貸してもらっていた『アンクル・トムス・ケビン』の本を渡してもらう。人種差別という理不尽と戦うその物語は、泰明ちゃんから渡された意思とも言えるだろう。
これより前で、筆者個人が泣いた理由は「嬉し泣き(のもらい泣き)」だった。だけど、ここでは悲しくて泣いた。泰明ちゃんの死そのものもそうだが、それをきっかけに、これまで自分たちの世界で楽しく暮らしていた子どもが、残酷な世界のあり方を知ってしまう、そのことに涙したのだ。
5:戦争は、愛情をも狂気に変えてしまうのかもしれない
トットちゃんと生徒たちはモンペ服を着るようになり、トモエ学園の講堂では戦闘機の絵も貼られるようになり、トットちゃんの世界は戦争によって変わってしまった。それでも、トットちゃんは小林先生に「わたし、大きくなったら、この学校の先生になってあげる!」と告げ、小林先生は「きみは、ほんとうに、いい子だな」となって抱きしめた。
戦慄したのは、焼け落ちていくトモエ学園を背に、小林先生が「おい、今度はどんな学校を作ろうか」と聞いてくること、黒柳徹子のナレーションで「先生の子どもに対する愛情は、学校を包む炎よりも大きかった」と告げることだった。
トットちゃんの「この学校の先生になる」という夢を奪ったどころか、小林先生の子どもへの愛情をも(たとえ一時的でも)まるで狂気のように見せてしまう戦争……その恐ろしさを、またも思い知らされたのだ。
6:チンドン屋さんや、小林先生のおかげで、今のトットちゃんがいる
空襲が激しくなり、子どもたちは疎開のため、トモエ学園で次々に別れの言葉を告げる。そこで、生徒が泣き始めるのを見ると、トットちゃんはかつて見たチンドン屋さんを真似るように、おどけて笑わせようとするのだ。(ここで筆者はすでに涙が滝のように溢れてスクリーンが見えなくなっている)
そして、ラストは満員の疎開列車のシーンで締めくくられる。トットちゃんは、泣きはじめてしまった赤ちゃんの弟をあやすために、列車の連結部分まで行き、かつてのチンドン屋さん(もしかすると地方の伝統舞踊かもしれないし、幻かもしれない)を見る。
そこで、トットちゃんは「チンドン…!」と声をあげそうになるが、うとうとと眠り始める赤ちゃんを見て、起こさないように小さな声で「いい子ね、あなたは、ほんとうにいい子」と告げるのだった。
その「あなたは、ほんとうにいい子」というのは、言うまでもなく小林先生の教えだ。トットちゃんは、それを赤ちゃんへと「継承」したのだ。
そのトットちゃんは、映画の冒頭で、授業中に窓から身を乗り出してチンドン屋さんに呼びかけて、だからこそ「困った子」とされてしまったが、おかげでトモエ学園に行くことができた。それと同様に、赤ちゃんがいたおかげで、ラストでトットちゃんはそのチンドン屋さんを見ることができた。
その泣いていた赤ちゃんを、もちろんトットちゃんは困った子とは思っていないだろう。それこそ、チンドン屋さんを見せてくれた赤ちゃんに、「あなたはいい子」と言った通り、心からそう思っているだろう。
それでいて、トットちゃん自身は以前のように周りを気にせず大声でチンドン屋さんを呼ぶのではなく、赤ちゃんのために声を出すのをやめた。トットちゃんは、嬉しいことを見てただ喜びを表現するだけではなくなった、少しだけ大人へと成長したとも言っていいだろう。
この『トットちゃん』の物語は、やはりすべてが呼応している。トモエ学園の生活を通じて、トットちゃんも、泰明ちゃんも、高橋くんも、小林先生も、大石先生もそれぞれが学び成長し、それぞれにかけがえないのない思い出が残る。
そして、戦争によって、そのトモエ学園が焼け落ちたとしても、みんなが離れ離れになっても、それでもトットちゃんの人生を変えた、「チンドン屋さん」という誰かを楽しませる存在と、小林先生からの「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ」という、「戦争にも奪わせなかった教えと学び」を示すこのラストの、なんと素晴らしいことか!(前述したように、音楽と歌も奪わせなかった)
改めて、企画・脚本まで手がけ、さらには1年半をかけて絵コンテまで作り上げた八鍬新之介監督、12万枚にまでおよぶ絵の1枚1枚を丁寧に描いたスタッフ、主題歌「あのね」を手がけたあいみょん、そして原作者の黒柳徹子まで、この映画を送り届けてくれた全ての人に感謝を申し上げたい。
素晴らしい作品を、ありがとうございました!
(文:ヒナタカ)
–{『窓ぎわのトットちゃん』作品情報}–
『窓ぎわのトットちゃん』作品情報
ストーリー
これは、第二次世界大戦が終わる、ちょっと前のお話し。落ち着きがないという理由だけで、小学一年生で通っていた学校を退学になってしまったトットちゃん。
ママが見つけてきてくれた学校・トモエ学園に通うことになったトットちゃんは、自由でユニークな校風と、恩師となる小林先生に出会う。
「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」
トットちゃんの元気いっぱいの毎日がここから始まる!
予告編
基本情報
原作:「窓ぎわのトットちゃん」(黒柳徹子 著/講談社 刊)
声の出演:大野りりあな 小栗旬 杏 滝沢カレン / 役所広司 他
監督:八鍬新之介
キャラクターデザイン・総作画監督:金子志津枝
公開日:2023年12月8日(金)
配給:東宝