2023年10月2日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「ブギウギ」。
「東京ブギウギ」や「買物ブギー」で知られる昭和の大スター歌手・笠置シヅ子をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。小さい頃から歌って踊るのが大好き、戦後の日本を照らす“ブギの女王”となっていく主人公・福来スズ子を趣里が演じる
CINEMAS+ではライター・木俣冬による連載「続・朝ドライフ」で毎回感想を記しているが、本記事では、スズ子が上京して羽鳥善一や茨田りつ子らと出会い、梅丸楽劇団で奮闘する姿を描いた6週目~10周目の記事を集約。1記事で感想を読むことができる。
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もくじ
第26回のレビュー
第6週「バドジズってなんや?」(演出:盆子原誠)はいよいよ東京編のはじまり。バドジズってなんでしょう、気になります。主題歌のブギのウギの「ウギ」もなんでしょう。余談ですが、「ちょうだ〜い」の節には、先日亡くなった財津一郎さんを思い出します。財津さんも若い頃はジャズを歌っていたそうですよ。
昭和13年、4月、スズ子(趣里)と秋山美月(伊原六花)は、新設の梅丸楽劇団に入るべく、大阪から東京へ向かいます。
出発にあたり、はな湯の浴場をきれいに掃除するスズ子。儀式のようです。たぶん、梅丸少女歌劇団の稽古場などもお別れに掃除したことでしょう。ここでは劇団との別れより、家族との別れを重要視します。
みんなとのお別れに、ぴょんぴょん跳ねて手を振るスズ子がかわいい。
大阪から東京までの路線図が映って、遠いことがよくわかります。この時代、新幹線はまだありません。新幹線の発明がいかにすばらしいことだったか。
東京についてまず、下宿へ。
銀座が近く、部屋の窓から日帝劇場が見える好立地。
迎えに来てくれた下宿の旦那であり従業員の小村吾郎(隈本晃俊)は無口で身体が大きくてこわい顔していて、でも悪い人ではないようで、その妻で、下宿の主人であるチズ(ふせえり)はものすごーくおしゃべりで、絵に描いたような善人に見えます。隈本晃俊さんもふせえりさんも朝ドラに何作か出演しています。
小村家も花田家のように、妻がしっかり者で、夫はお尻に敷かれている感じ。でも吾郎は料理ができるようで、何もかも妻に頼りきりの梅吉(柳葉敏郎)タイプではないようです。
チズは東京の下宿の設定という説明セリフをペラペラとしゃべっているのですが、畳み掛けるように早口でしゃべるというキャラになっているので、説明がおもしろく見えます。退屈な説明セリフも、聞かせ方によって印象が変わるという好例です。
スズ子と秋山の行きつけになりそうなおでん屋台の主人・伝蔵を演じている坂田聡さんは朝ドラ初出演のようです。
伝蔵も、一瞬、こわそうに見えましたが、ちょっと抜けたところもあって、こわい人ではなさそう。いわゆる頑固おやじの店という感じでしょうか。
スズ子たちは、この屋台で、地元と東京の食の違いを知ります。
言葉も、食も、西と東ではちょっと違う。
大阪局が制作している朝ドラは、大阪を中心に、西方面が舞台になる作品が多いのですが、今回は大阪から東京に移動。なにせ、スズ子のモデルである笠置シヅ子さんの代表曲は「東京ブギウギ」ですから。でも「大阪ブギウギ」もあるのです。「東京ブギウギ」のヒットからご当地ブギが作られたその1作のようです。
東京の梅丸楽劇団はこれから世界レベルのエンタメを目指して、優秀な人材を集めているところ。演出家の松永大星(新納慎也)や作曲家・羽鳥善一(草彅剛)など才能のある人たちに揉まれて、スズ子と秋山がどんな活躍をするのか。
まずはスズ子と羽鳥の出会いが楽しみ。「ラッパと娘」の「娘」にピッタリなのがスズ子なのかーー。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第27回のレビュー}–
第27回のレビュー
スズ子(趣里)と秋山(伊原六花)は日帝劇場の顔合わせに向かいます。
事前に東京~銀座界隈を散策しているので、迷わないと自信満々でしたが、浅草、上野を散策し、日比谷の劇場までは行かなかったためでしょうか、結局迷って遅刻寸前。
秋山は2度、大阪から東京まで劇場を見に来ていたにもかかわらず、迷ってしまうとは。ふたりとも頼りない。
ただ、はじめての東京、銀座は見たことない雰囲気で、迷うのも無理はないのかも。
NHK大阪で昭和初期の街の風景を撮るときは、たいてい、和歌山マリーナシティのポルトヨーロッパが使用されています。中世ヨーロッパの街並みを再現したテーマパークなので、昭和の銀座感があまりない。たぶん、茨城のワープステーション江戸のほうが合っています。が、大阪局からだと遠いので難しいのかもしれません。
テラコッタ調の色合い、ヤシの木……と異国に迷い込んでしまったような雰囲気で、スズ子たちが迷うことに説得力があります。彼女たちの目にはこう映ったという感じなのかも。
劇場のなかに入ると、レトロな洋風建築です。
しびれを切らしていた辛島(安井順平)は追い立てますが、松永(新納慎也)はのんき。「ハリーアップ」と「リラックス」を繰り返す動作がユーモラス。あとフレンチジョーク。
羽鳥(草彅剛)もさほど時間を気にするふうではありません。楽劇団の人たちは鷹揚な人たちのようです。トランペット奏者でバンマスの一井(陰山泰)は、「しくよろね」と業界人ノリ。
梅丸少女歌劇団のように、礼儀正しさを求める場とは、梅丸楽劇団は違うようで、そもそも、男性ばっかりで、スズ子は面食らいます。たぶん、当時だとタバコのケムリもくもく、だったんじゃないでしょうか。
時間には鷹揚でも、実力には厳しい。スズ子の実力のほどはどんなものかと気にかけていて、スズ子の外見から、ちょっと拍子抜けしていたことにスズ子は気づいていません。
ジャズをやるには、パワフルな歌手が必要らしく、秋山くらいの体格のほうが理想的で、小柄で地味なスズ子だとちょっと……と一井は思ったようです。
羽鳥はスズ子に、一回、歌わせてみます。そして、感想は特に何も言及せず、ただ稽古しようと言いだして……。
スズ子の羽鳥への第一印象は「にこにこしてはるけどなんかようわからんおっさんやったな」。
確かに羽鳥は、どんなときでもにこにこしていて、不思議な雰囲気を漂わせています。
「バカにしてるんだろう」と言うときも、ケンカ腰なきつい言い方でじゃなく、のほほんとやわらかい。
そんな羽鳥よりも、エレガントで外国ナイズされた松永のことが気になるスズ子。
松永の投げキッスをキャッチします。
以前「ペリーが好き」と言っていたのは、松永を好きになる伏線だったのでしょうか。
「あさイチ」でも博多大吉さんが言っていましたが、
羽鳥善一は、朝ドラの裏番組をやってる羽鳥慎一を意識したネーミングなのでしょうか、気になります。
羽鳥はスズ子の歌に何を感じたのかーー
スズ子に手渡した「ラッパと娘」とはどんな曲なのかーー
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第28回のレビュー}–
第28回のレビュー
顔合わせの翌日、「ラッパと娘」のレッスンがはじまりました。
これまでと雰囲気が違う楽曲なので、戸惑いを隠せないスズ子(趣里)ですが、羽鳥(草彅剛)は好きに歌えばいいとさらりと言います。
羽鳥は、前日聞いたスズ子の声に合わせて曲を変えたそうで、自分の枠にはめるのではなく、歌う人の魅力を存分に発揮する歌を目指していることは一目瞭然です。
でも、違う、違う、違う、と何度もやり直し。
「福来くんが楽しく歌えばそれでいい」「バドジズしてない」などと抽象的なことしか羽鳥は言いません。
違う、違う、とだけ言い続ける演出家、演劇にもいます。
具体的なことを言ってあげないと、と辛島(安井順平)は心配しますが、松永(新納慎也)は、羽鳥のやり方を理解している様子。さすが演出家です。
具体的なことを言っちゃうと、それに当てはめてしまうから。しっくり来る、という言葉がありますが、無理せず、不自然でなく、腑に落ちている表現を、自分でみつけないといけないのです。
出だしだけ、500回くらいやって、声が出なくなったスズ子に、茨田りつ子(菊地凛子)は根をあげなかったと軽く挑発する羽鳥。何を言ってもにこにこしているので、角が立ちません。むすっとして、違う、違う、と言い続けないだけ、羽鳥のレッスンはマシだと思います。
趣里さんは、音程はしっかり守る優等生ながら、曲のノリにまったくついていけない様子を見事に演じています。
一方、秋山(伊原六花)も、男性に混じってのレッスンで、体力の限界を感じていました。
そして、トップダンサー・中山史郎(小栗基裕)のダンスに憧れます。
実際、男役を演じる俳優は、実際の男性のなかから理想を見出し、表現に取り入れようとするそうですので、秋山の感覚にはリアリティがあります。
スズ子、秋山、初日からダメージを食らうふたりに、松永がチョコレートを差し出します。
「林さんの生き血より効きそうやわ」と秋山。
林部長(橋本じゅん)の素朴な泥臭いムードと松永のスマートさ。これが大阪と東京、梅丸少女歌劇団と梅丸楽劇団の差でしょうか。
甘いチョコレートをかじるスズ子。この甘さに「甘いメロディ ラララ〜♪」が理解できるといいのですが。
東京のレベルに自分たちが通用しないかもと悩みながらも、恋バナにも興味をもつのが、お年頃。
下宿のチズ(ふせえり)と吾郎(隈本晃俊)の馴れ初めをべらべら聞かされて、キスに興味津々のスズ子と秋山。
スズ子と秋山が、恋の経験のあるなしを探り合う場面のノリが楽しかった。
こういう楽しさが、きっとバドジズなのではないでしょうか。
それにしても、趣里さんと伊原さんの眼の大きさが違う。伊原さんの眼が大き過ぎる。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第29回のレビュー}–
第29回のレビュー
羽鳥(草彅剛)とスズ子(趣里)のレッスンがはじまりましたが、羽鳥からのOKは出ません。
「楽しくないなあ〜 本番もう少しだよ 大阪帰る?」なんて、なかなかきつい言葉ですが、草彅さんの言い方がやさしいので、いわゆるスパルタには見えずに済んでいます。といっても、実際、言われた身になったらしんどいかも。
「彼は笑う鬼だよ」と表するのは松永(新納慎也)。
”笑う鬼”まさに。
笑う鬼は、どんな歌手になりたい? とスズ子に問います。
大和礼子(蒼井優)だとスズ子が答えると、大和礼子はふたりいらない。福来スズ子になってほしいと言うのですが、スズ子は自分の憧れの気持ちを否定されたようでストレスが溜まっていくばかり。
しかも、いちいち、茨田りつ子(菊地凛子)を引き合いに出して、さりげなくライバル心を焚き付けるのです。やっぱり、笑う鬼。
楽しく、楽しく、というわりに、楽しくない気持ちにさせていく羽鳥。
思い悩んだスズ子は、羽鳥の家までレッスンをしてもらいにやって来ます。
ちょうど、息子のカツオと羽鳥がお風呂から帰ってきます。
息子のカツオも羽鳥に似て、自由な感じがします。
羽鳥善一のモデルは服部良一さんで、その息子は服部克久さん。克久からカツオとつけたのでしょけれど、カツオといえばやっぱり「サザエさん」。昭和の家庭のオマージュという感じがします。でも羽鳥カツオの髪はややタラちゃんみたいでした。
そこで、スズ子は、松永の助言に従って、いまの怒りを歌にぶつけました。
すると、羽鳥の顔つきが変わります。
「どうしちゃったの? なんだか少しだけジャズぽくなったじゃない」と羽鳥もやる気を見せます。
いい感じだぞと思うと、妻・麻里(市川実和子)が夕飯の支度ができたと呼びに来て、いったん休止(休戦?)に。
食事の席で、羽鳥がどういう人物なのか少しわかってきます。じつは、大阪出身だったとか……。
軍歌みたいな流行歌を作ってお金を稼いでほしいのに、とぼやく麻里に、
戦時歌謡は作れないと羽鳥は言います。
戦時歌謡、というと、「エール」(20年度前期)の主人公のモデル・古関裕而を思い出します。古関は戦時歌謡を量産していました。スズ子が東京に来る1年前の昭和12年、「露営の歌」を出しています。
もしかしたら、戦時歌謡には、古関がいる、同じようなことをする人はいらないという考えのもとに、戦時歌謡を作る人がいるなら、自分は作らないと思っているのかもしれません。自分が好きなのはジャズ。羽鳥はそれを貫きたいのかも。
あるいは、戦時歌謡は作りたくないという確たる意思か。
音楽的な問題か、思想的な問題か、物語のつくり手がどちらを選ぶかで、だいぶ、当人の印象が変わってくる部分でしょう。見る人によっても、どう思うか、変わってくるところかと思います。
ただ、わたしたちが考えるためのヒントがあります。
辛島(安井順平)がジャズの蘊蓄をスズ子に語ろうとして、松永に外されてしまったとき、南北戦争が終わって、解放された黒人奴隷たちが……と言っていました。黒人奴隷たちが軍の払い下げの楽器を使ってはじまった音楽がジャズなのです(もっと詳しいことはそれぞれで調べましょう)。
ジャズが楽しくなければいけないというのは、あらゆる意味での解放を意味するのだと想像できます。
スズ子がはじめて感情をあらわにして歌った「ラッパと娘」は、羽鳥への殺してやりたいという正直な怒りを解放させた。それは、いわゆる楽しいものとは違うけれど、魂の解放という意味で、羽鳥が求めていたジャズの本質に届きそうになったのではないでしょうか。
「楽しい」は心がのびのび晴れやかであることなのです。
素直な心は相手の心を動かす。笑う鬼がニヤリと反応して、乗って来ている感じが楽しかった。
「福来くんはホットですよ」と羽鳥は言います。
道々、歩きながら歌う、スズ子と羽鳥。
スズ子の歌に合わせて、合いの手を入れている羽鳥が心から楽しそうで、ホットでした。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第30回のレビュー}–
第30回のレビュー
松永(新納慎也)の助言をきっかけに、スズ子(趣里)の歌がどんどんよくなって来ました。
心配していた辛島(安井順平)も大喜び。
いよいよ明日は本番。
歌が完成するのは本番と、意味深なことを言う羽鳥(草彅剛)。
羽鳥と辛島が去った稽古場で、二人きりになった松永は「おまじない」とチョコレートを
「あーん」「あーん」とまるで、動物に餌を与えるように。
「まったく君はおもしろいな」と松永に言われるように、スズ子のリアクションにはまったくムードがありませんが、その後、スズ子のおでこにキス。
おおおーー。
これが、スズ子の歌に力を与えるでしょうか。自分の心のままに歌えばいいというのも、松永のアドバイスでしたから。
スズ子は秋山(伊原六花)と、おでん屋台で、一杯、お酒を飲んで、緊張をほぐします。
秋山も、中山(小栗基裕)の足を引っ張るんじゃないかと緊張しています。口ではそう言ってますが、
稽古では、ほかの女性といい感じにダンスしている姿を何か気にしているふうで。
秋山も、スズ子も、東京でのはじめての舞台のプレッシャーと同時に、恋に心を揺らしているようです。そんなことでいいのか、とも思いますが、表現には恋も大事なのかも。表現にはやはり色気が必要ですから。
そして、本番。
梅丸楽劇団の旗揚げ公演の看板には、中山、秋山、福来スズ子と3人が並んでいます。
スズ子も目玉のひとつなのです。
ここで、松永が「演出」であることに改めて気づきました。演出しているシーンがまったくなかったですが、あのアドバイスやチョコも彼の演出なのかも。
スズ子はまつ毛をたっぷりつけて、ステージに挑みます。
ドラマの開始、8分過ぎてからは、ほぼステージパフォーマンス。
まず、秋山と中山とが中心になったタップダンスが軽快に決まりました。
そして、スズ子の「ラッパと娘」。
バンマス・一井(陰山泰)とのノリが良くて、客席は思わず手拍子をはじめます。
3分くらい、スズ子のパフォーマンスのみですが、客席にいるように見入ってしまいました。
趣里さん、草彅さん、陰山さん、伊原さん、小栗さん、と皆さん、ステージ経験があるから、ステージパフォーマンスが板についています。
客席との熱や、共演者の熱をもらって、打ち返していく関係性のなかでステージができることを身体で知っている人達の演技です。
バン!バン!と弾けながら、スズ子は、髪がまつ毛に引っかかっても気にせず、頭を振り乱して歌い踊ります。
そういえば、歌のレッスンばかりしていたけど、振りのレッスンはいつしたのでしょう。踊りもかなり激しく、難易度の高そうなものでしたが、そこは梅丸少女歌劇団で長年、培ったもので、すぐに自分のものにできてしまう能力が備わっているのかもしれません。
ショーの大成功だけでも十分、今週は終われたと思いますが、
その後、新聞に乗ったスズ子と秋山を見て、気難しそうな伝蔵(坂田聡)が「あいつら……」とたまげるシーン(のあとに音楽が入る流れがいい)や、大阪のはな湯の人たちが大喜びするシーンがあり、より楽しくなりました。
これだけでもうお腹いっぱい、もう食べられないと思ったのですが、
番台に、誰もいなくて、ツヤ(水川あさみ)が寝ているのはどうしたのか、気になって、ステージの熱狂が鎮まりました。単なる風邪などだといいのですが。どうなる、来週。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第31回のレビュー}–
第31回のレビュー
梅丸楽劇団旗揚げから1年、昭和14年、スズ子(趣里)はすっかりスターになっていました。起爆剤になったのは、羽鳥(草彅剛)の「ラッパと娘」です。レコードも売れ、スズ子は「スヰングの女王」と呼ばれていました。
この頃は、俳優たちは劇場の正面玄関から出入りするようで、そこにファンが集ってサイン攻めにします。想像ですがこうすることで、スター感を煽っていたのではないでしょうか。
そこへ、大阪から林部長(橋本じゅん)が訪ねて来て、梅丸少女歌劇団に戻ってくれないかと頼みます。が、スズ子も秋山美月(伊原六花)も今が充実しているのですんなりうんとは言えません。
ここでスズ子が「そらやっぱり わてらがおらないうのはわかりますけど」とさりげなく自信満々であることが可笑しかった。
充実しているのは、仕事のみならず、恋も?
スズ子は松永(新納慎也)、秋山は中山(小栗基裕)に心揺らしているところです。
秋山は中山の踊りに男役として憧れを抱いたのがはじまりでしたが、中山は彼女に娘役に転向し、自分とペアを組むように助言します。先輩だからそういうものかもしれないと思いながら、なんでも決めてしまう独断的な態度に、少し疑問を感じています。
秋山の悩みを聞いたおでん屋の伝蔵(坂田聡)は、男は「女を自分の手のひらに乗っけておきたいんだよ」と言います。
第31回では、今の時代ではいろいろ問題になりそうな、男と女のあり方が描かれました。
中山は、秋山の男役としての可能性を閉ざし、自分を支えるというか、引き立て役にしようとしています。そのほうが輝くというのもひとつの案ではありますが、秋山はどうもすっきりしません。
また、羽鳥と旧知の作詞家・藤村薫(宮本亞門)は、スズ子に歌を書くために、初対面でぶしつけに恋人の存在や恋愛経験を聞き出そうとします。今だったらセクハラと言われてしまいそうな行為です。
中山もそうで、恋が、芸を輝かせると思っているのです。それは間違いではなく、真実とも言えますが、問題は、中山も藤村も、女性にそれを強要していることです。
中山が秋山に背中をかいて、と頼むことも、場合によっては、ふたりの情を感じるいい場面になるところですが、目下、単なる亭主関白的な印象しかありません。
藤村はスズ子に「とびっきりの笑顔を見せてみろ」と強要。これも、やる人によっては嫌悪感200%くらいになりそうですが、いつもソフトな宮本亞門さんが演じているので、粗野な印象が薄めで助かります。
宮本さんは演出家で、ミュージカルやオペラをたくさん演出しています。MCなど顔出しのお仕事も多いので、意外な気もしたのですが、俳優をやるのは今回、はじめてなのだそうです。
名監督が名選手だったとは限らないと言われるように、名演出家が名優であるとも限りません。はたして、宮本さんの演技はーー。
ともすれば、セクハラになりそうな下卑たセリフをソフトにし、藤村という人物を愛らしく見せる、すばらしい演技でした。
後ろにいる羽鳥に語りかけるときに羽鳥と逆のカメラ側に振り向く動きはさすが、舞台の演出家であります。
「おばんです」と現れる茨田りつ子(菊地凛子)や、朝ドラ常連の夙川アトムさんのことも書きたいけれど、また明日!
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第32回のレビュー}–
第32回のレビュー
東京に出てきた年頃の娘さんたちにはいろんなことが起こります。これが大人になるということなのでしょうか。
スズ子(趣里)と秋山(伊原六花)は目下、恋の悩み中。
スズ子は松永(新納慎也)、秋山は中山(小栗基裕)への思いに揺れていますが、スズ子はまだ額にキスされただけ。
でもついに「ないしょの話」があると喫茶店に呼び出されたので、内心期待して赴くと、それは、引き抜きの話でした。梅丸から日宝へ一緒に行かないかと誘われました。
「やりたいことをやらなくて何が人生だ」というパワーワードを松永は繰り出します。
それを聞いた羽鳥(草彅剛)は、「いいこと言うなあ」と悔しがる。羽鳥のおもしろさは、
スズ子の引き抜きには断然反対で、激しく興奮しながらも、松永のことはリスペクトしていること。
ものすごく怒っているのに、ユーモラスで、怒られてる感じがしません。役によっては強烈な破壊力として発揮することもあるエネルギーを、コントロールして、破壊の方向に持っていかず、ズラすことができるんですね。
秋山のほうは、スズ子の恋が「まだ(額にキスだけ)」と驚くということは、中山にぐいぐいと押されて、すでに交際ははじめて、もっと進展しているのでしょう。
中山に女性用の色っぽい衣裳を着せられるシーンを見てると、関係はもうだいぶ進んでいるような雰囲気。番組が違えば、もっと濃密な場面がありそうな感じです。
そして、あれよあれよとプロポーズも。何かと秋山の大きな瞳が見開かれまくります。
環境が人を変えていくものです。出会いで、人は変わっていく。
スズ子のほうは恋の話ではなく、ビジネスの話ですが、梅丸の1.5倍の給料で日宝に来てほしいと言われ、高級そうなお店でごちそうにもなり……。だんだんと自分のランクが上がっていくのを肌で感じていきます。
しかも、松永に「君がほしい(I want you)」と囁かれ、くらくら。
松永は、スズ子に甘い言葉をささやき、とても優しいけれど、はたしてスズ子を女性として見ているかと言えば、中山の秋山への態度ほど、男女の関係が匂い立ってこない気がします。
心惹かれる松永の誘いに、日宝の偉い人からの好条件の提示。でもスズ子はすぐに移籍を決められません。そこが彼女のいいところ。
悩むスズ子が、おでん屋の伝蔵(坂田聡)に「義理と恋」どちらが大事か訊ねると、「ばかやろう。おれはそんなもんどっちも信じねえ。どっちもまやかしだ」と一刀両断。伝蔵のやさぐれ気味な言動がいつもほんとうにおもしろい。
スズ子の心が日宝に少し傾きはじめるのは、実家のお金問題。ツヤ(水川あさみ)が病気で治療費がかかるかもと思うと、給料が1.5倍の700円に上がることに心惹かれて……。
と、そこへ辛島(安井順平)が血相を変えて、スズ子の下宿に飛び込んできます。「あさイチ」では、羽鳥が引き抜き問題を話したにちがいないと推測していました。たぶん、間違いない。
そもそも大事な秘密の話を、みんながよく使ういつもの喫茶店でするのはどうかと……(いつものセットが限定されてる問題)。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第33回のレビュー}–
第33回のレビュー
スズ子(趣里)の下宿に血相変えて乗り込んできた辛島(安井順平)の言い分は、もっともです。
長年育てた梅丸をやめて日宝に行く準備を秘密裏に進めているなんて、義理と人情に欠いた行為であります。
悲しいと、辛島に人情に訴えられ、ようやくスズ子は自分がとんでもないことをしたことに気づきます。
問題意識がなくふらりと移籍してしまいそうになったのは、松永(新納慎也)への好意からなのでしょう。恋愛とビジネスがスズ子のなかで混ざりあい、判断能力を失ってしまったのだと思われます。
松永が意図的にそう仕向けたのか、はっきり描かれていませんが、スズ子がすっかりその気になって、一緒に逃げてくださいと迫ると、アメリカに愛する人を残して来ていると写真を見せます。
考えられるのは2パターン
1:松永の行為は、欧米人のふつうのコミュニケーションでしかなかった。
2:世間知らずのスズ子を松永がうまく騙した。
どちらにも解釈できそうですが、新納慎也さんが演じる役はいつも憎めない役が多いので、1のほうであってほしい気がしますが……。御曹司設定だし、悪い人ではないと思いたい。でもアメリカに残してきた愛する女性というのも、イギリスやフランスにも、いるんじゃないかという気も。悪気なく、女性とたくさんつきあっている可能性も考えられます。
移籍問題は、本来、もっと生々しく、洒落にならないものなのであることは、保養所に隠れるとか、軟禁するとか、梅丸の社長・大熊(升毅)の凄みある怒りとかいうことから、なんとなくはわかります。でも、あくまで、問題は重く、じめっとならないようになっていて、辛島が書類を食べちゃうとか、スズ子が下宿の2階から飛び降りて、辛島から逃亡するとか、いつもの喫茶店に変装して出向くとか、軽妙になっています。
移籍話がバレたと知って「なな何だって」とテーブルをがたつかせる松永に、スズ子がテーブルを抑えるコンビベーションのよさや、
スズ子「わてといっしょに逃げてください」
松永「what」
「わて」と「what」の音がかぶっているとか、軽演劇感があり、楽しい。
スズ子の初恋はひとり相撲でした。恋の終わりは、「別れのブルース」で表現されます。曲をバックに夜の街を歩くスズ子は、カラオケの映像みたいでした。
悲恋ムードをガシャッと窓のシャッターで無下に終わらせ、
「女だからって泣けば許されると思ったら大間違いなんだよ」とガミガミ説教するコロンコロンレコードの社員・佐原を演じているのは夙川アトムさん。今回はメガネでクセのあるコメディリリーフは辛島役の安井順平が担っていて、夙川さんは、ドライな社員を演じています。
【朝ドラ辞典2.0: 夙川アトム(しゅくがわあとむ)】元芸人で俳優。「べっぴんさん」で演じた小山は、メガネで神経質そうに「大急ですから」といちいちいやみな百貨店の社員。人気が出て、スピンオフ「恋する百貨店」にもなった。「スカーレット」では、ヒロインの陶芸の兄弟弟子役。「ブギウギ」では、笑い少なめ、ビジネスライクな梅丸社員・佐原を演じている。メガネのあるなしで、雰囲気が随分変わる。
佐原にも茨田りつ子(菊地凛子)にも、ちょっと売れていい気になっているとチクリと指摘され、スズ子が傷心で下宿に帰ると羽鳥(草彅剛)と藤村(宮本亞門)が来ていて、ふたりの会話の面白さに、スズ子の心は救われます。草彅さんと宮本さんのやりとりには、ふたりの作家の天真爛漫な才能を感じさせます。
それにしても、ツヤ(水川あさみ)に教えられた「義理と人情」。子供のとき、あんなに大事にした「義理と人情」を忘れてしまったらあかんやろスズ子。とはいえ自分のやりたいことと義理と人情、どれを選ぶか岐路に立たされたら、人間はどうしたらいいのでしょう、なんてことも笑いながらも考えさせられました。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第34回のレビュー}–
第34回のレビュー
傷心のスズ子(趣里)が下宿に帰ると、羽鳥(草彅剛)と藤村(宮本亞門)が新曲を作りながら待っていました。「センチメンタル・ダイナ」を途中の出来ながら歌い踊るふたりが、とても楽しそう。
梅丸を裏切ってしまったことを重く受けとめ、歌えないと拒むスズ子でしたが、歌の力には抗えません。
いまの感情をそのまま歌に託し、楽しいときは楽しく、つらいときはやけくそで、歌う。そうやって生きていく。羽鳥はスズ子の気持ちも取り入れながら曲を作っています。
悩んでいるところに、秋山(伊原六花)が帰ってきます。秋山は中山(小栗基裕)といると「自分らしくおられへんいうか」と彼との公私共にパートナーになることに悩んでいました。
やっぱり、中山が男役から女役に転身しろと言ったのは、彼のエゴでしかなく、秋山はそれに気づいたのでしょう。俺のため的な感じがプンプンしてました。それに比べて、羽鳥は、スズ子の気持ちを歌に取り入れてくれてる。全然違います。
羽鳥は、作曲に夢中ながら、今日は彼がカツオを寝かせつかせる日なのだとあたふた帰っていきます。なんだかんだいってちゃんと育児にも協力しているようです。たぶん、そういう生活も彼の音楽の血肉になっていることでしょう。
では、松永(新納慎也)はどうでしょうか。色仕掛けでスズ子を騙していた疑惑もありましたが、どうやら、単純に、スズ子のパフォーマンスを気に入って、一緒に日宝に行きたかっただけのようです。
やっぱり、親密なコミュニケーションは、欧米的な表現に過ぎなかったのを、免疫のないスズ子が勘違いしてしまっただけなようで……。
日宝行きを断るスズ子に、自分のせい?……と気にする繊細さも持ちあわせている松永。
スズ子は、松永という演出家ではなく、羽鳥という、自分に最高の曲を作ってくれる人物を選んだことになります。
松永の演出家としての手腕がまったく描かれてないので、なんともいえないのですが、彼は彼でスズ子を見出し東京に呼び、甘い言葉でリラックスさせ、自分の思った通りにやればいいという最高のアドバイスもしているので、演者の心に寄り添い、その人らしさをだす演出には長けているような気もします。演出家って、自分の美意識に沿わせようと厳しいイメージもある反面、演者を自由に泳がせる、懐の大きな人も多いです。
でもスズ子は、自分のために曲を作ってくれる人を選んだのです。芸の道を歩む者なら当たり前の選択です。
スズ子が日宝に断りにいったとき、ゴシップ誌に、スズ子と羽鳥のスキャンダル記事が載っていて、師弟愛を超えているんじゃないかと疑われる場面があり、いきなりさらりとそんな大変な感じのことも描かれているのですが、梅丸楽劇団として、そこは大丈夫なのか心配になりました。
記事を読んだら、奥さんの麻里(市川美和子)もどう思うでしょうか。違う話だったらスキャンダル問題をドロドロ描きそう。そんなの見たくないけれど。
秋山は中山に「愛してないんです。まったく愛してないんです」ときっぱり断ち切り、大阪に戻ることを決意。そんな彼女におでん屋の伝蔵(坂田聡)は、これまでないと言ってたコロ(クジラ)をサービス。最初は感じ悪かった伝蔵がどんどん株をあげていきます。
ごくさりげなく、桜の花びらが舞い落ちて、いい感じでした。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第35回のレビュー}–
第35回のレビュー
ツヤ(水川あさみ)の体調が良くないようです。元々気丈な人ですから元気なふりして、みんなに心配かけないようにしているみたいで、心配であります。
ツヤは自分のことはさておいて、スズ子(趣里)を心配します。熱々先生(妹尾和夫)の口癖のように「熱々やで」が健康の秘訣。
でも野菜を食べて、カラダを冷やさないという健康の秘訣には、いささか矛盾があるような気もします。生野菜はカラダを冷やしそう。いや、調理方法に気をつけるか、温める根菜類をとるといいでしょう。キャベツやきゅうりやトマトはカラダを冷やします。
などと小姑チェックはここまでにして、野菜を食べろとか、カラダを冷やすな、とかは親が子を思う気持ちの現れです。ものすごく単純な言葉ですが、こういうふうにしか言えないことって現実にあります。
社会がどんどん進化して、豊かになって、情報もたくさん得ると、健康にいい様々なものや気の利いた言葉が身近にあふれていきますが、野菜を食べろ、カラダを冷やすな、それだけがせいいっぱいの人たちだっているのです。
スズ子は、都会に出てスターになって違う世界が広がっている途中かもしれません。移籍しないで梅丸でやるにあたり、自分の価値を自覚してギャラアップを打診していましたし。
が、こういうつつましく生活している人たちと共に生きてきたことを決して忘れないでほしい。いや、きっと、彼女はスターになっても忘れない。羽鳥(草彅剛)が彼女を商品ではなくひとりの人間として見てくれたことに信頼をもったのだから。そういう認識の数々が、彼女の歌をたくさんの庶民が愛す理由になるのだと思います。
なにはともあれ、スズ子と羽鳥のスキャンダルが笑い話で終わってよかった。笑い話過ぎる気もしましたが。
秋山(伊原六花)は大阪に戻ることになり、お別れに、吾郎(隈本晃俊)と相撲をとります。
伊原さんは、ディズニープラスで配信されている「シコふんじゃった!」で、女性ながら相撲部部員として活躍する役を演じていたため、シコが華麗。股関節がやわらか〜い。
これは秋山が鍛錬したダンサーである説得力にもなります。さほど強くなかったとはいえれっきとした力士だった吾郎に勝ってしまうとは、秋山はやっぱり、男役のほうが似合っているかもしれません。能力は男女関係ないとはいえ、体格や体力の差はあるもので、カラダの大きな吾郎に勝てる秋山は、十分な体格や体力をもっているのでしょう。
秋山が大阪に向かう列車に乗っているとき、劇場ではスズ子のショーがはじまり、新曲「センチメンタル・ダイナ」が披露されます。列車のなかで秋山も曲に合わせてタップを軽やかに踏み、乗客に拍手喝采されます。
ほんとうだったら、スズ子の後ろでダンスを踊っていたかもしれないけれど、秋山は大阪でもう一度、自分の夢に向かうのです。
「センチメンタル・ダイナ」はくよくよしてるダイナに、朗らかに歌えとやさしく寄り添うような歌です。秋山は憧れの東京に出てきたのに、自分の力を伸ばすことができなくて、やっぱり大阪にいる自分のほうが自分らしいと考え直したのでしょう。
男性がやる男性の踊りには勝てなかったという、ある種の挫折についてはドラマではあまり詳しく描かれていません。東京では圧倒的な中山(小栗基裕)のダンスに勝てなかったけれど、大阪ではまだ、女性が男役をする演目が求められている。求められている場所で、自分のやりたいことをやって生きる。
スズ子もまた、自分が歌いたい歌を作ってくれる羽鳥と共に梅丸楽劇団で生きていくのです。
そんな人生の選択が描かれた第7週でした。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
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–{第36回のレビュー}–
第36回のレビュー
第8週「ワテのお母ちゃん」(演出:福井充広)はちょっと暗くはじまりました。昭和14年9月、第二次世界大戦がはじまろうとしています。
下宿では、チズ(ふせえり)が、お米が配給制になるらしいと気をもんでいるにもかかわらず、スズ子(趣里)はおかわりを頼みます。まだ、事態は切迫はしてないのです。
でも梅丸楽劇団でも、時局に合わせた演目や演出をすることに。派手な松永(新納慎也)に代わってやってきたのは、やや地味で生真面目そうな竹田(野田晋市)。「〜と私は思うんですね」が口癖のようです。
さっそくスズ子の化粧をもっと地味にするよう注意します。先が思いやられますが、辛島(安井順平)は、竹田はオペラをやっていて芸術の下地がしっかりあること、息子が戦地に行ってることなど、竹田の事情を慮ることを伝えます。オペラなんて最もお金がかかる派手な演目ですから、そういうことができず、抑えめな演目には竹田も忸怩たるものがあるし、息子のことも心配だし、みたいなところでしょうか。
いつも飄々として自由な羽鳥(草彅剛)も、そのうちジャズは愛国精神が足りないって禁止になるんじゃないかと予想しているうちはまだよかった。敬愛し、家に写真も飾っているメッテル先生が国外退去になったことに激しく怒ります。
このとき、「ウクライナのキエフから来た」とやや説明セリフで、メッテル先生がロシア革命から亡命してきたことを伝え、現代と地続きであるように視聴者に感じさせているような気がします。
メッテル先生は、実在の人物で、エマヌエル・レオニエヴィチ・メッテルという音楽家。戦前、ロシアから日本に移住し、京都大学交響楽団や大阪フィルハーモニック・オーケストラで指揮者として活躍しました。
羽鳥のモデル・服部良一のほか、指揮者の朝比奈隆がメッテルから西欧音楽の教育を受けています。服部のジャズにはメッテルの教えの影響が多分にある、ということで、羽鳥もメッテル先生をひじょうに敬っているように描かれています。
その先生が「日本人、おバカさんね」と失言したことで、国外追放になったというのはどういうことなのでしょうか。服部良一の自伝「ぼくの音楽人生」には、昭和14年、先生が練習中、楽団の日本人演奏者がミスを何度もしたとき、「アタマ、スコシ、バカネ」と言ったことで日本人をバカにしたと激怒されたらしいことが書いてあります。
でもこれは、日本語がたどたどしいメッテル先生の口癖で(チコちゃんの「ボーッと生きてんじゃねーよ」や「どうする家康」の「あほたわけ」や、ビートたけしの「ばかやろう このやろう」みたいなものでしょう)、他意はなかったものの、時局柄、捨て置けなかったのでありましょう。運が悪かったとしか……。でも今まで問題なかったことが大事(おおごと)になるのが、戦争です。おーこわ。
第36回は、羽鳥と妻・麻里(市川実和子)との馴れ初めも興味深かったし、その出会いの場・喫茶店バルボラの名前って稲垣吾郎さんが主演した映画のタイトルが「ばるぼら」だったなあと思ったりしつつ、大阪の、ツヤ(水川あさみ)の容態が気になり、六郎(黒崎煌代)に赤紙が来て、彼が無邪気に大喜びしているところが切なくて、月曜から密度が濃すぎました。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第37回のレビュー}–
第37回のレビュー
つらくてもう見ていられない。でも、それぞれが家族を思う気持ちが遠赤外線のようにじんわり伝わって来る、そんな回でした。熱々やで。
大阪ではツヤ(水川あさみ)の病状が悪化していました。
町医者・熱々先生(妹尾和夫)は自分ではどうにもならないから、専門医に診てもらうよう忠告しますが、ツヤは気乗りがしません。お金もかかるし……としきりにお金のことを気にしています。
銭湯の客が減っているというのは戦争の影響? それとも内風呂が増えている? いや、内風呂の普及は戦後です。ツヤが家計を心配するのは、彼女がそれだけお財布をしっかり管理していたからなのでしょう。決して裕福ではなく、すこし油断したらたちまち吹けば飛んでしまうような生活なのかも。寝込んで、家のこともできなくなって、いろいろ心配なことでしょう。
こんなときでも梅吉(柳葉敏郎)は働きません。ただただ心配しているだけ。ツヤの代わりに番台にあがり、家業の手伝いをするのは六郎(黒崎煌代)。彼はアホのおっちゃん(岡部たかし)から料金をとろうとするほどしっかり働いています。その六郎に赤紙が……。
坊主頭になった六郎がツヤの寝室に顔を出し、布団に頭をぐりぐりとこすりつけます。甘えたい気持ちの表れがかいらしい。
赤紙は自分が一人前と認められた印と思っている六郎を、ツヤは否定はせず、共に喜ぶふりをしながら、心は痛んでいるでしょう。カラダも弱り、心もつらい。弱り目にたたり目とはこのことです。
熱々先生の紹介で診察に来た医者からはさらにつらい申告が……(ノベライズを読むとズバリ書いてあるのですが、ドラマでは省かれています)
ツヤがこのことを子どもたちには明かさないと決意したため、なにもしらない六郎は、戦争の予行演習をして大はしゃぎ。いつもは、六郎の大騒ぎを広い心で受け止めている梅吉が、かつてない剣幕で「静かにせい!」と怒鳴りつけて……。
花田家はいま、かなり追い詰められています。はな湯の常連たちも心配顔。いてもたってもいられず、アホのおっちゃん(岡部たかし)が桃を探しに出かけます。
果たして、桃の奇跡は再び起こるでしょうか。起こってくれ。
桃の奇跡とは、スズ子(趣里)が子供のとき百日咳疑惑で寝込んでいたら、ゴンベエ(宇野祥平)が季節外れの桃を見つけてきて、それを食べて元気になった話です(第12回)。
そして、あっという間に六郎が出征する前夜になり、六郎はツヤの部屋へーー。
また頭をぐりぐり。
ツヤ「かわいいで」
六郎「かわいない」
ツヤ「たのもしくなった ひげも濃うなったし 男の子や」
六郎「昨日剃ったけどな」
こういうなにげない会話が切ない。
六郎はアタマがいいのかそうでないのか、とても不思議な子で、ぼーっとしているところがあるかと思えばやけに鋭いところもあります。
出征する前に「世話になったひとにあいさつに行く」と極めて常識的なことを言い、「軍隊でがんばってどんくさいのを卒業する」と決意を語るのも、自分のことでアタマがいっぱいのようにも見えるし、母を心配させたくないようにも見えます。いずれにしても純真そのもの。ツヤは、誰もが六郎のように、素直で正直な人間になりたいと思っているのだ、と言います。本当にそのとおりですね。
そしてツヤはやっぱり「野菜しっかり食べてな」とカラダのことを心配します。
六郎の背中をさするツヤの手があたたかくやさしい。
翌朝、息子の旅立ちに、起きて、見送ることもできず、布団の中で、外の「万歳」の声に耳をすますツヤ。ここでさめざめ泣いたりしないことが逆に切ない。
「行って参ります」と言うと、帰ってくる気でいることになるので「行きます」と言わなくてはいけないという暗黙の決まり事に従う六郎。「ガンダム」の「アムロ、行きます」をなにげに愉快に言ってる現代っ子と、戦争ごっこする六郎が重なります。
「行きます」を国が強いていた時代があった。この時代の経て、もう2度とそういうことはないと思いたい。
一方、東京では、竹田(野田晋市)が「と私は思うんですね」と言っていて、なぜか羽鳥(草彅剛)も
「と僕は思う」「僕なんかは思う」みたいに似てきているところが、そこはかとなく面白い。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第38回のレビュー}–
第38回のレビュー
入隊前に六郎(黒崎煌代)がスズ子(趣里)を訪ねて来ました。
きょうだいなのに似てないとチズ(ふせえり)がなにげなく言うと、六郎は血が繋がってないとまた蒸し返します。ニコニコしながらペチペチと六郎のアタマを叩くスズ子。血が繋がってなくても遠慮のない関係です。
その晩、スズ子と六郎は並んで寝ながら、語らいます。
軍隊に入ったらばかにされるかもという不安、死ぬかもしれないという不安が六郎のなかに湧き上がってきていました。
最初はあんなに軍隊に行くことを喜んでいたのに、どうしたのでしょうか。まさか、ツヤ(水川あさみ)を心配させたくなくて、明るく振る舞っていたのでしょうか。
六郎は「死ぬってどんな感じなんやろ」って考え始めたら、止まらなくなったと言います。
純粋で、本来、賢い子だから、ひとつのことを考え出すと、深掘りして、際限なくなるのかもしれません。亀が好きだと、亀一直線ですし。
最初は、戦争は一人前になることと思っていたけれど、出征に対する周囲の反応がどうやらおかしいし、戦争ごっこしていたらあののんきな梅吉(柳葉敏郎)が猛烈に怒ったし、じょじょにその理由や戦争というものについて考えはじめたら、戦争の本質に行き着いてしまったのではないでしょうか。
「人間みな死ぬやろ、こわいわ」「こわいの好かんねん」
考えていったら「死」に行き着いてしまった。それはとてもシンプルで、とてもこわいことーー。
スズ子の布団に入る六郎。お母さんにはやらなかったのに、ぎゅっとスズ子に抱きついて「死にとないわ」と弱音を吐きます。
でも翌朝は笑顔でお別れ。
「行って参ります」とまた言って、言い直そうとしますが、スズ子が参りますでいいと言い、
「行って参ります」にします。万歳ももうしません。スズ子しかいないこの場所では、正直でいい。
「ねえやんの舞台を見たかった」と去っていく弟を見送るスズ子が、ただただぎゅっとスカートを握る、その手のアップだけで、スズ子の心境が胸に迫ります。
さらに、哀しみが踵を接してきます。
ツヤが危篤の電報が届きます。すぐ帰りたいけれど、舞台に穴を開けることができない。悩むスズ子に、「舞台を生業にしているものは親の死に目にあえないと思っていただきたいのですね」と竹田(野田晋市)は言います。別にこれ、彼だけの考えではなく、昔から、俳優は親の死に目に会えないと思えと言われているのです。楽しみに見に来てくれるお客様のために、どんなことがあっても舞台に立たないといけないと思ってやっているのです。
羽鳥(草彅剛)が、微笑みをたやさず、あくまでもおだやかに、帰ってもいいけれど、と言いながら、続けた言葉は厳しいものでした(口調は柔らかいのに)。
ステージに立つ以上演者の事情は関係なくて、
「むしろ自分の苦しい心持ちを味方にしていつもよりいい歌だといわれるくらいじゃないと僕はダメだと思う」と。
やわらかに厳しく、覚悟を問われ、スズ子がした選択はーー。
羽鳥が優れているのは、こうしろと言わないこと。スズ子に決めさせているんです。これは見倣いたい。
羽鳥の問いから、スズ子が見つけた本音は
「歌手としてもっと大きくなりたい」でした。
舞台に立つスズ子を見つめる羽鳥の顔の真剣さが印象的でした。
スズ子は表現者として欲望が大きい。業が深いともいえます。それって、血が繋がっていないけれど、ツヤに似ているかもしれません。
危篤の電報が送られる前、大阪では、すっかり弱ってきたツヤが、「こんな早う死になんて思いもせいへんかったわ」と嘆き、それを「スズ子をキヌ(中越典子)に会わせなかったから罰やろな」と考えます。にもかかわらず、梅吉に「このまま、何があっても、スズ子をキヌに会わせんといてほしいねん」と頼んでいました。
「ワテの知らないスズ子をキヌが知るんは 耐えられへん」(ツヤ)
すごい。すごい考え方です。この欲望は小さいのか大きいのかわからない。業が深いとしか言い様がありません。
「性格悪いやろ、醜いやろ」と自虐するツヤに、梅吉は「最高の母親や」と理解を示します。愛情の異常な深さを梅吉は最高、と愛するのです。
この物語を評価したいところが、ツヤが、実はスズ子がキヌとすでに会っていることを知らないことです。どんなにかっこいいことを言っていても、どこか滑稽なのが人間です。
人生には自分が知らないことがたくさんある。その最たるものが、自分の寿命です。いつ死ぬか、どう死ぬか、コントロールできません。死んだらどうなるのかもわかりません。人間ってなんのために生まれるんだろう。
梅吉は、ツヤのことを脚本に書いて映画にすればいいと思います。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第39回のレビュー}–
第39回のレビュー
ツヤ(水川あさみ)が危篤の報を受けて、スズ子(趣里)はステージを終えて、すぐに大阪へ戻ります。
2階にあった寝室からツヤが1階に移っているところに、それだけツヤの容態が悪化していることがわかります。在宅介護の細かいリアリティーですね。
枕を高くし、すこし上体を上げて寝ているツヤ。肌艶は悪くなさげですが、表情はちょっとしんどそうです。枕を2個、ひもで縛って高さを出しているようで、現代のように、ベッドの角度が調整できる便利なものはまだないのです。
ツヤの病の名前を知るスズ子。不治の病と言われているものでした。
そこへ、アホのおっちゃん(岡部たかし)が桃を手に入れて戻ってきます。
桃を切って、ツヤの枕元に届けるスズ子。そのまま、添い寝してしまい、朝になると布団がもぬけの殻。
ツヤが番台に座って、ちゃきちゃき働いていました。
桃の奇跡、再び?
でもそれは長くは続かず……。再び、倒れるツヤ。
蝋燭が消えるとき、一瞬、大きく燃えるようなものだったのでしょう。あるいは、スズ子にこれまでどおりの元気な姿を見せたい、ツヤの意地か。基本、ツヤはかなりのガッツの人なのです。
危篤の知らせにすぐ来ず、ステージに立っていた自分を「どアホ」と嘆くスズ子に
「どアホで上等や」と励ますツヤ。
歌を優先する娘、他人の子供を奪った母、どちらも「どアホ」なのです。
「死んだら、2度とおかあちゃんには歌、聞かせたらん!」とすこしこんがらがったことを言うスズ子に、梅吉(柳葉敏郎)が割って入って、「聞かせたれ」「このいけず どアホ娘が」と言って、父娘のどつき漫才のように発展します。
スズ子が歌うのは、少女の頃によく歌っていた思い出の「恋はやさし野辺の花よ」。
心をこめたこの歌を、もし羽鳥(草彅剛)が聞いたなら、きっと絶賛したでしょう。
澄んでやさしい娘の歌を聞く、ツヤの枕元には、少女時代のスズ子の歌う似顔絵が飾ってあります。ステージのスターである彼女の写真は、お風呂やの番台にたくさん飾ってあって、でも寝室に飾るのは、歌の好きな夢いっぱいの元気な小さなひとりの娘の姿なのです。
「この日、お母ちゃんは天のお星様になりました」は、少女のときのスズ子に戻ったような声でした。
東京に出るときは、スズ子は、ほんとうの母キヌ(中越典子)のことが気にかかってもやもやしていたけれど、結果的に、キヌのことを思い出すこともなく、最後は彼女の母はツヤしかいなかった。血の繋がりよりも時間や心が強いのだということが、なんの言葉もなくても伝わってきました。
さて。ここからは余談です。「走る」という演技について考えてみます。
第39回では、スズ子が通りを走って実家に戻ってくる場面と、アホのおっちゃんが大きな足音を鳴らして風呂やの戸を開けて飛び込んでくる場面と、2つ、「走る」演技がありました。
どちらかというと、実際に走ってる趣里さんよりも、飛び込んで来ただけの岡部さんのほうが、臨場感があったのは、リアルとリアリティのちがいです。お芝居の世界では、リアリティのほうが大事なのだなと感じました。いかにも息せき切って入ってきた感じの岡部さんが巧い。こういう芝居は、辛島役の安井順平さんも「ちむどんどん」のときも巧かったのです。熟練の技という感じがします。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第40回のレビュー}–
第40回のレビュー
第39回でツヤ(水川あさみ)が星になり、
第40回では、そのお別れ会(お通夜?)で梅吉(柳葉敏郎)が「化けて出て、わし蹴飛ばしてくれ〜」と大騒ぎ。
朝ドラにはよく幽霊が出てきますが、「ブギウギ」では今のところツヤの幽霊は出てきません。代わりに、ツヤはすごい奇跡を起こします。
「ツヤちゃんはしみったれたのがすかん」とご近所さんたちの前では明るく振る舞っていた梅吉も、スズ子(趣里)とふたりきりになると、やっぱりしんみり。
これからどうしよう。スズ子は、一緒に東京に行こうと持ちかけます。
このまま、梅吉がひとりではな湯を経営するのは難しい。目下、とても赤字なので、売却するしかない。でも、ツヤとの思い出の場所を失いたくない。
と、そこへ、ゴンベエ(宇野祥平)がやって来て、自分の給金を使ってくれと献身的なことを言い出します。ずっと給金を貯めていて、200円になっていました。でも、200円でははな湯の建て直しには足りなくて……。
あっという間に、はな湯を閉めることになり、しょんぼり、と思ったところへ、今度やって来たのは、謎の女性・三沢光子(本上まなみ)。
ゴンベエこと伊福部玉五郎のことを長年探していたところ、ツヤのばらまいた人相書きを見て、訪ねて来たのです。
ゴンベエは実は、船場の大きな呉服屋の若旦那(ボンクラ若旦那)でした。
ここからがファンタジー。光子も200円貯めていて、ゴンベエに「お嫁さんにしてください」と言い出します。
ゴンベエは、記憶は戻らないけど、美しい女性と200円の持参金の前で「すごくうれしゅうて」と大喜び。結婚して、はな屋を一緒にやってくれと持ちかけます。
20年くらい離れていたけれど、ずっと思っていたなんて、すてき。
ゴンベエと光子の空白の20年をドラマにすることもできるでしょう。会いたい人になかなか会えない話には、すれ違いドラマの元祖のような「君の名は」があります。運命的な出会いをした男女が、なぜか、会えそうで会えない年月を過ごすもどかしいお話。それをぎゅっと布団圧縮袋に入れて掃除機で空気を吸い込んだみたいなものが、今回のゴンベエと光子の話です。
こうして、梅吉は、スズ子と共に東京に向かいます。
「ほなな」と花吹雪をぱーっと巻く手際の良さは、梅吉が実は昔、役者をやっていたからでしょう。舞台だったら花道を通っての退場です。
ツヤちゃんを幸せにしてやりたかったとか言ってましたが、なーんもせずに、ツヤに甘えていただけじゃん、ツヤは苦労ばっかりして病気になっちゃったのでは、という思いも否めなかったですが、あまりに、のほほんとした展開に、そこを真剣に考える気も起きませんでした。
ツヤが亡くなって悲しかったけれど、笑顔で週末が終われてよかった。
タイ子(藤間爽子)は妊娠していて、新たな生命が誕生する喜びも付与されていました。彼女もまた東京に行くようです。
ところで、今回のキーパーソンだった本上まなみさん。「ブギウギ」のガイドブックでもちゃんと紹介されていたんです。「はな湯に来る謎の女性」として。謎と書いてあるとはいえ、まさか、こういう役割とは……。
光子の紹介ページに使用されているスチールに、さりげなくゴンベエとの2ショットがあり、ネタバレはできないけれどギリギリ匂わす、編集さんの工夫を感じます。ツヤの意地ではありませんが、編集者さんにも意地があるような気がして、にやにやしてしまいました。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第41回のレビュー}–
第41回のレビュー
第9週「カカシみたいなワテ」(脚本:櫻井剛 演出:泉並敬眞)のはじまり。
昭和15年、スズ子(趣里)が東京で梅吉(柳葉敏郎)と暮らし始めて1年が経ちました。つまり、ツヤ(水川あさみ)が亡くなって1年です。
当然ではありますが、梅吉はツヤを忘れることはできず、酒に溺れ、家の前の通りで寝てしまったり、朝も起きられずグダグダしたりしています。最初のうちは、脚本を書いていたようですが、すぐにそれもやらなくなっています。働いてもいないようで、完全に、スズ子に頼り切っています。困ったもんだ。
ここで思い出すのは、「おちょやん」(20年)のヒロイン・千代(杉咲花)のお父さん・テルヲ(トータス松本)です。働かず、ヒロインを売り飛ばしてしまった“朝ドラ史上最低の父”、稀代のダメ父として大不評を買いました。が、その
だらしない生活は、愛する妻(ヒロインの母)を早くに亡くした哀しみによるものだったことが後々、わかるのです。
生活がはげしく荒れてしまったことには、どうしようもなく深い哀しみがあったという理由を知ると、少しだけテルヲへの見方が変わったものの、娘を売って、さらにまたお金をせびりに来るという行為はやはり見逃せず、決していい印象にはなりませんでした。
「ブギウギ」でツヤが亡くなって、さらに生活が荒れた感じに見える梅吉に、テルヲもこういうふうに描けば、印象がまた違ったのではないかと感じました。
もちろん、梅吉はスズ子にお金をせびったりするほど卑しくはないので、けっして同じではないのですが。なぜ、人間は堕落してしまうのか、その要因について考えさせる点では同じように思います。
それにしても、極端に、戯画的に酒浸り感が出ているのは、脚本家が足立紳さんから櫻井剛さんに変わったからでしょうか(朝ドラ辞典「脚本家交代」参照)。作家が変わることで、生活が激減したことが明確に感じられるようになっているような気もします。
時代もせちがらくなってきています。日中戦争がはじまって3年、締付けが厳しくなる一方。朝ドラ名物・国防婦人会も登場。風紀の取締を行っています。梅丸楽劇団の演目を警察が監視するようになり、派手な演目は取りやめる慎ましく真面目な舞台を行うことになります。
英語は敵性語として禁止。楽器を和名で呼ぶことに。サクスフォンは「金属製ひん曲がり尺八」、コントラバスは「妖怪的四弦」。これはちょっとおもしろかった。スズ子の「誰が考えたんや」というツッコミにナットク。
スズ子は三尺四方からはみ出さずに歌わないといけなくなります。この状況がサブタイトルの「カカシ」です。が、本番中、我慢できなくなって枠から飛び出して……。
公演中止になるとチケットは払い戻しになってしまうようです。大変です。辛島(安井順平)がお気の毒。彼に、文句を言う客がいる一方で、ねぎらう客も。一昔前のドラマだったら、文句言う客ばかり描いて、劇団のピンチを強調していた気がしますが、昨今は、ねぎらう客を描き、しんどさを軽減しているようです。
スズ子は警察で取り調べを受け、派手なつけまつげをとるよう強要されます。とったらしじみのような眼になると拒んでいましたが、とったほうがかわいく見えました。
【朝ドラ辞典2.0 国防婦人会(こくぼうふじんかい)】戦時中を舞台にした朝ドラに欠かせない存在。1932年、大阪で誕生し、戦場に行かない女性たちが銃後の守りとして、お国のために活動した。朝ドラではたいてい、ヒロインの自由な言動を批判し阻害する役割を担う。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第42回のレビュー}–
第42回のレビュー
クールビューティー(日本語でいえば、冷たい美女)な茨田りつ子(菊地凛子)。なにもかもかっこよくて、近寄りがたい存在ですが、第42回では、取り付く島がいくつかありました。
三尺四方のなかで歌うよう、警察に要求されたにもかかわらず、スズ子(趣里)は我慢できずに、はみ出して歌い踊ってしまい、公演は中止。スズ子は警察で取り調べを受けます。
警察には茨田も来ていて、彼女は常連(5回目)だとか。警察の言うことを聞かずに毅然と自由にやっているのです。
茨田に感化されるスズ子に辛島(安井順平)は、くれぐれも気をつけてほしいと頼みます。茨田は個人ですが、スズ子は梅丸楽劇団を背負っているのですから。
後日、楽劇団公演を、茨田が観に来ます。入り口には大日本国防婦人会が、自主的な取締をしていて、茨田の派手な服装を咎めます。すると「これは私の戦闘服です。丸腰では戦えません」と反発。
ですが、客席で、大きな帽子をかぶったままの観劇こそ、国防婦人会の人たちに注意してほしかった。これなら誰も、国防婦人会の人たちが横暴だとは思いません。むしろ、応援するでしょう。
以前、松永(新納慎也)が紅茶のカップを持ち込んで見ていたこともありましたし、この時代はいまより劇場が解放的で、かつ、貴族的に着飾って、観劇するものだったかもしれませんが、一般客席のなかであのつばの異様に広い帽子、後ろの人は見えないに決まっています。茨田のうしろに座った人のストレスを思うと、「お客様に夢を見させる」の説得力がふっとびます。茨田の場合、「見せる」のではなく「聞かせる」だとしても。
実際、うしろの客はふう、と渋い顔をしています、スズ子の抑制した歌にがっかりしているという演出かもしれませんが、この帽子なんとかしてくれよって思っているのでは、と想像すると愉快です。
大きな帽子をかぶった茨田は、公演終了後、スズ子が「カカシ」みたいだと責めに来ます。そんなことでいいのかと発破をかけて帰りかけたところに、福島なまりの少女・小夜(富田望生)が弟子にしてくれと駆け込んできます。茨田は、弟子はとらないと交わすと、「おめえでねえ!」と無視、スズ子に駆け寄ります。
茨田の立場なし。無敵そうな茨田にも隙があった、と逆に好感度が上がりました。
好感度が下がる一方なのが、梅吉(柳葉敏郎)です。
スズ子のお金で飲んで酔っ払って下宿の前で寝ています。下宿にがたいの大きな元力士がいるから、運んでもらえて助かりそう。
それにしたって、仕事もうまくいってないうえに家には何もしない居候。うんざりしそうですが、甘やかしはしないけれど、けっして怒鳴りつけたりしないのがスズ子の人徳。
もう映画の脚本は書かないのか、と訊ねると、「映画は人を助けてくれへん」と自暴自棄。ツヤに依存して生きてきたから、何もやる気が起こらない。そんなときこそ、大好きな映画を見て、元気をもらったらいいのに。このご時世、好きな映画も制限されているのでしょうか。
狭い部屋で息が詰まりそうなとき、六郎(黒崎煌代)から手紙が届きます。
亀のことばかり心配する六郎(亀の絵がかわいい)。そんな手紙でも、スズ子と梅吉にぽっとあたたかいあかりが灯ったようです。
六郎はいまの自分のことを理解してくれると、と「はよ帰ってきいへんかなあ」と心待ちにする梅吉。戦況はますます激化しているのだから、早く帰ってくるわけもないでしょう。父として、こんな甘えた態度でいいのかと、ちょっといらっとしました。
ツヤのように対等の立場できつく叱る人がいないと、梅吉みたいな人はマイナスな面ばかり強調されてしまいます。それこそが、つれあいを亡くす悲劇です。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第43回のレビュー}–
第43回のレビュー
スズ子(趣里)は、彼女に憧れて、弟子にしてほしいと梅丸楽劇団にやってきた小夜(富田望生)を、下宿に連れていきます。
住むところがみつかるまで、しばらくここで一緒に生活させてあげようという寛大さ。さほど広くもなく、なにより、梅吉(柳葉敏郎)もいるのに。
同じ部屋に、血のつながらない男女が一緒に住むって、気まずくないのでしょうか。そもそも、スズ子は劇団のスターで高給をもらっているのに、引っ越さないのでしょうか。という疑問はさておき。
スズ子は小夜にお金を渡して、梅吉の世話を頼みます。小夜は、まめまめしく、洗濯物を畳んだりなんかして。そこで、下着をじっと見ていて、梅吉は困惑します。が、小夜は男性の持ち物に父の面影を見ていたのです。12歳で、親に捨てられて、奉公に出され、父と一度も会っていないという小夜。
親に捨てられた身の上は「おちょやん」のヒロイン千代(杉咲花)のようですが、父に悪い印象をもっていなさそうなところはちょっと違います。
梅吉はほだされて、勝手にずっとここにいていいと調子のいいことを言ったり、「お父ちゃん」と呼べと言ったり……。
スズ子が帰宅すると、部屋では陽気に梅吉と小夜が酒盛りをしていました。
梅吉は、小夜を六郎(黒崎煌代)の嫁にすると言って、たいそう気に入った様子。
調子に乗る小夜に、スズ子は「出てって」と冷たく言い放ちます。梅吉のことも「役立たずや」と激しくなじります。
スズ子は職場で、団員は赤紙が来て辞めていき、客が減ったうえ、大衆からたくさんの非難の投書が来て、これからの表現活動に暗澹たるものを感じているというのに、人の気も知らず、酒を飲んで、無礼講のごとく、自由に歌っているふたりにカチンと来るのは無理もありません。小夜の歌がなかなかうまくてノリがいいから余計に癇に障るでしょう。小夜の亀のモノマネがほんとうにイラッとするので、スズ子が怒るのもなっとく。富田さん巧い。
約束も守らず、言ってること(弟子になりたい)もしょっちゅう変わって(六郎の嫁になる)「信用できへん」という気持ちももっともです。小夜はちょっと調子に乗りすぎ。奉公に出されて苦労してきたふうにはいまいち見えない。屈託なさすぎ。嘘ついてるんじゃないかという気もしてしまいます。苦労した分、人に懐に入るのがうまくなっているとも言えますが……。
カンカンに怒るスズ子に、梅吉は「小夜ちゃんのほうがよっぽど娘みたいやった」と反論。これは痛烈。梅吉は本能的に生きるのがうまいのでしょう。人に甘えるのもうまいし、攻撃されたら防御するのもうまい。そうやってやなことを回避してきたかと思うと、なんか腹立つ。
同じ部屋に他人の男女問題といえば、「なにしてるの」とスズ子が入ってきたとき、薄暗い部屋で、お酒を飲んで、だらしない感じになっているふたりの姿に、朝ドラでなければ、もっとやらしい展開になってる可能性を想像してしまいました。不謹慎ですみません。
梅吉ばかり悲しんでいるから、スズ子は悲しむことができない。しかも、突然出てきた小夜のほうが娘のようだ、なんて言われて、ほんとうの娘ではないことを知っているスズ子にはやりきれない。その辛さを、チズ(ふせえり)が少し、救ってくれました。
「音楽を楽しみたい人たちと、ただしたい人たちとの板挟みだよ 誰のために何をすればいいのかわからなくなる」
(辛島)
国防婦人会しかり。いつの時代でも、ただしたい人っていますね。
【朝ドラ辞典2.0 奉公(ほうこう)】戦前を舞台にした朝ドラでは、奉公に出る登場人物がよく登場する。家が貧しく、家計を助けるために働きに出て、その先で苦労する。代表的なものは「おしん」(83年)。ヒロインおしんが雪がつもった真冬の川を船で奉公先に運ばれていく別れの場面は名場面とされている。奉公先では理不尽な目にあい、逃げ出したりもする。近年では「おちょやん」(20年度後期)。では、ヒロイン・千代が父に売られた先は、幸い、いい人達で充実の日々を過ごすも、年季明けに父がまた彼女を売ろうとして逃亡することに……。「あさが来た」では、ヒロインの嫁ぎ先に奉公に来ている女中が、ヒロインの夫の妾になるならないでひと悶着あった。「スカーレット」は時代が戦後で、出稼ぎ。日本の歴史を知るうえで、奉公、出稼ぎという働き方の制度は避けて通れない。
関連語:出稼ぎ
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
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–{第44回のレビュー}–
第44回のレビュー
スズ子(趣里)を取り巻く状況はどんどん悪いほうに向かう一方。
コーヒーも品薄。楽団も解散。喧嘩して険悪な関係になっていた梅吉(柳葉敏郎)は、喧嘩騒ぎを起こして警察に連行されてしまい……。
しんどいのはスズ子だけではありません。羽鳥(草彅剛)の作曲活動も制限されていました。ただ、「蘇州夜曲」だけは大ヒット中です。
スズ子もそれを歌いたいと申し出ますが、羽鳥は首を縦に振りません。
スズ子にはスズ子に合った歌がある。それは「ラッパと娘」。ふたりは稽古場でセッションします。
「蘇州夜曲」は実在した歌で、昭和15年(1940年)に発売されました。羽鳥のモデル・服部良一が作曲、作詞は西條八十、歌は渡辺はま子。
渡辺が歌った「支那の夜」が大ヒット、同名タイトルで映画化されたときの挿入歌です。
チャイナメロディの第一人者となった渡辺さん、朝ドラ「エール」(20年度前期)の主人公・古山裕一(窪田正孝)のモデルになった古関裕而の「愛国の花」を歌って大ヒットさせています。昭和13年のことでした。
「ブギウギ」と「エール」は同時代のお話で、「エール」は戦時下、主人公・裕一が軍事歌謡を作って、後々、苦悩した物語が描かれ、「ブギウギ」では、羽鳥が軍事歌謡を作らず(本人はその手のジャンルの曲が作れないと言っている)、そうではない曲を作り続けた物語になっています。
ひとつの物語のなかで、服部良一と古関裕而の生き方の違いを描くと面白そうですけれど、朝ドラという枠の中で、同じ時代に違う生き方をした人を別々なドラマとして描くのも一興です。
ただ「ブギウギ」はあくまで、主人公は笠置シヅ子をモデルにしたスズ子。羽鳥は主人公ではないので、彼の考え方、生き方は主軸ではありません。スズ子との関わりを通して、時折彼の行き方が語られます。第44回では、楽団員が徴兵されて少なくなるたび編成が変わり、編曲を変更しないといけない。それでも、羽鳥は曲を作り続ける。「なにがあっても音を出し続けるのが楽団だからね」と。
草彅剛さんの言葉は、静かで穏やかで、意見を他者に決して強いるものではないながら、本人の揺らがない意思は伝わってきます。自然のなかで立ち続ける一本の木のような印象です。
ところで、朝ドラでいつもこんがらがるのは、「エール」も「ブギウギ」も、実在する人物をモデルとしているキャラクターが創作した作品は、実在する作品そのものであることです。今回も「蘇州夜曲」のポスターが、羽鳥善一作曲になっていて。事実と創作が混ざって、こんがらがるのです。
曲名を役名のように少し変えて、曲も新たに作ることは大変だから仕方ないのでしょう。実在する名曲を使うことこそ重要でしょうし。
歴史に描かれていない隙間を創作するのともまた違い、実在するものの所在がフィクションになってしまうことは、ありかなしか、作り手にいつか聞いてみたい気がします。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第45回のレビュー}–
第45回のレビュー
戦況の深刻化によって梅丸楽劇団は解散。スズ子(趣里)は歌を忘れたカナリア状態に陥ります。大阪の林(橋本じゅん)から戻ってほしいという話もあり、いっそ大阪に戻ろうかと思いもしましたが、大阪も同じような状況で、演目が規制されていました。しかも、実家ももうありません(あるけどゴンベエのものになっている)。
思い悩むスズ子に羽鳥(草彅剛)は、「君は歌うことしかできないだろう」「君が楽しめる場所で歌えばいい」と、茨田りつ子(菊地凛子)の公演チケットを譲ります。
それは「茨田りつ子とその楽団」公演で、スズ子は茨田の歌に心打たれます。
菊地凛子さんの「別れのブルース」、茨田のモデル・淡谷のり子さんのような、落ち着いた歌いっぷりのなかに、憂いが満ちていて、しびれました。
楽屋を訪れたスズ子に茨田は、他人の歌に感動している場合ではない、自分の歌を歌えと発破をかけます。
羽鳥も茨田も、きっとスズ子を心配してくれているんでしょう。
本人目の前にしてはわからないこともあるもので。
羽鳥は、こんな時代でもマイペースとスズ子は思っていましたが、麻里(市川実和子)は、羽鳥も「食事ものどを通らない」ほど悩んでいることを知っていました。羽鳥はその悩み、苦しみを、音楽を作ることで跳ね返そうとしているのです。
梅吉(柳葉敏郎)が喧嘩騒ぎで警察に連行されたのは、屋台の客がスズ子や楽団の悪口を言っていたことを怒ってのことでした。ただの飲んだくれの、ダメ度が加速した親父ではなかった。誰もが、他人には見せない、強がりな部分を持っているのです。
スズ子は、屋台で、梅吉と飲み、父のツヤ(水川あさみ)を忘れることなんてできない強い強い想いを聞かされ、歌おうと決意します。「飲めば飲むほどツヤちゃんに会いたい」と、でもツヤを思って、スズ子の肩をぎゅっと抱きしめる姿は個人的になんかいやでした。
苦しいのは自分だけじゃない。懸命に、自分の歌を守ろうとする羽鳥や茨田。懸命に、娘の尊厳を守ろうとする梅吉。そして、その梅吉は、耐え難い喪失に苦しみ続けていました。
自分のために、自分が楽しむために歌うことの重要性と、その歌が何のためにあるのか。たぶん、梅吉のような哀しみを背負った者たちに光を届けるため。スズ子はそう考えたに違いありません。
「福来スズ子とその楽団」を作ることにして、団員を集めます。まず、頼ったのは、一井(陰山泰)。
すこし、光が差し込んだーーと思いきや、次週予告ではなにやらますます状況が深刻化しそうです。どうするスズ子。しかも、楽団の名前、茨田の丸パクリですが、いいのでしょうか……。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
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–{第46回のレビュー}–
第46回のレビュー
「いっちょやったりましょう!」と勢いよくはじまった第10週「大空の弟」(脚本:櫻井剛、演出:盆子原誠)。でも、その勢いはみるみるしぼんでしまいます。
スズ子(趣里)は「福来スズ子とその楽団」を結成、トランペット(一井〈陰山泰)〉とピアノ(二村〈えなりかずき〉)とギター(三谷〈国木田かっぱ〉)とドラム(四条〈伊藤えん魔〉)と、やたら低音のいい声をしているマネージャーの五木ひろき(村上新悟)。最低単位の楽団ですが、少数精鋭と前向きに捉えます。
が、仕事はなかなか入ってきません。スズ子の人気だよりでしたが、梅丸楽劇団を出たうえ、派手な歌と踊りを禁止されている彼女には魅力がないと思われているようで……。さらに、敵性音楽を歌うという悪いイメージもついています。
どうしたものかと悩んでいる楽団の話を、朝ドラあるある「立ち聞き」してしまうスズ子。でも、にっこり微笑み、営業に励みます。そんな彼女を茨田りつ子(菊地凛子)は東北の言葉で「じょっぱり」と表します。羽鳥(草彅剛)もその言葉を気に入ってました。バドデジデジドダにも少し似ているからでしょうか(似ているのは濁点があるところだけですが)。ちなみに羽鳥も、警察で茨田の話を立ち聞きしていました。
さて。趣里さんの良さのひとつは、無駄に強気に見えないところです。小柄で華奢でちょっと弱そうにも見えて、でも必死に頑張っているふうに見えるので、応援したくなる。もともと、すごく精神的に強烈にタフに見える人だと、その圧に引いてしまうので、趣里さんは程よい気がします。
いま、そのタフさのバランスが危ういのが、小夜(富田望生)です。スズ子に追い出されたものの、楽団が結成されたと知るや、再び事務所(一井の家)に押しかけてきます。スズ子は複雑な表情をしながら受け入れ、また下宿に連れて帰ります。ガツガツ、食事をし、明るく元気にふるまう小夜。
そしてまた、梅吉(柳葉敏郎)と、暢気にカメを眺めてーー。
小夜のたくましさが、ともすれば、図々しいという悪印象一直線になりそうなところを、富田さんがギリギリのラインで演じています。
チズ(ふせえり)に食費を多めに入れますと気遣うスズ子。楽団の資本は五木が借りてきたようですが、おそらく、スズ子もいくらかは出しているのではないかと想像します。言い出しっぺだから。梅丸のスターだったから、相当貯金はしてあったのではないでしょうか。
梅吉と小夜が、亀を眺めていると、チズがやって来て。亀の顔真似をしているふたりと、それを素直に笑えないチズの対比に、いやな予感が……。
役場から届けられた六郎(黒崎煌代)の悲しい近況。月曜からのこの展開に、「あさイチ」でも言葉がない様子でした。
ところで、梅吉が、亀が狭いところにずっといるのは、「居心地ええねん。ぼーっとしてるだけでおまんま食えるんだから」と言うのは、自身のことを物語っているようにも思えます。とくになにもせず、家にいて、スズ子に食費を出してもらっている。人間にも亀のような人がいる。亀はダメとは言われないのだから、人間だって亀のような人がいてもいいのではないか。そんなことを思ったりもしました。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第47回のレビュー}–
第47回のレビュー
「なんや部屋におるほうがしんどいねん」
スズ子(趣里)の気持ちはよくわかります。
部屋では梅吉(柳葉敏郎)が心労で寝ているから。
ただ、梅吉が寝ているのはいつもの酒浸りのせいではなく、
六郎(黒崎煌代)の戦死の報告が届いたからです。
たった1枚の簡素な報告では信じられないのは当然です。
梅吉は、間違いだと自分に言い聞かせます。
スズ子も「わからへん」と混乱。
いつも屈託のない小夜(富田望生)すら言葉に詰まっておろおろするばかり。
大事な身内が亡くなったと聞いたとき、ただ悲しがって泣くのではなく、事態が飲み込めず混乱し、立ち尽くすしかない。哀しみはあとからじょじょにじょじょに湧き上がってきて、全身を覆うのでしょう。
翌朝、寝坊してしまうスズ子。やっぱり心が疲れているのです。そんな彼女に、チズ(ふせえり)はおにぎりをふたつ、手渡します。
果敢に楽団に出勤すると、小夜が事態を楽団員に話していました。いつものスズ子だったら、勝手に話すなと怒りそうな気もしますが……そんな気力ももはやない。逆に、じょじょに湧き上がってきた哀しみや絶望を抑えきれなくなったスズ子は小夜に思いを吐露し、支えられます。梅吉には弱音を履けない分、小夜がいてよかった。
そうしているうちに、ラジオで臨時ニュースが流れます。
1941年(昭和16年)12月8日、日本海軍がハワイ真珠湾にて、アメリカ太平洋艦隊へ攻撃した「真珠湾攻撃」を発端に、開戦しました。
戦争がはじまれば、日本が勝つだろう、そしたら景気もよくなるだろうと、国民は大人も子供も信じ「バンザイ」「バンザイ」と盛り上がります。
この戦争で日本はひどい目にあって、敗戦することを知っている視聴者としては、信じがたい反応ですが、当時は、戦争反対気分よりも戦争を肯定する空気もあったようなのです。でも、この戦争で突然、弟を亡くしたスズ子は、いち早く、この状況がおかしいことに気づいています。彼女の「バンザイ」はこんなこと認められないような、やけくそっぽかった。
今、過去のことを物語にしたとき、ある種の救いは、今を生きる私たちは、戦争をしたら日本はこてんぱんに負けるのだということを知っていることです。当時は、戦争に不安を感じても、イケイケムードみたいな空気が蔓延して、流されてしまったけれど、それをやっちゃいけない。同じことは絶対に繰り返してはいけない。戦争のドラマを繰り返し作ることは、そのためだとおもいます。
とまあ、そんな重たいことを考えてしまったのですが、ラジオのニュースに耳をそばだてている楽団のピアニスト・二村を演じるえなりかずきさんが、年齢相応の大人の顔であることに注目しました。子役の頃から大人顔で、振る舞いや口調もそつがなく、その違和感がおもしろかった俳優ですが、1984年生まれで、39歳になっています。ニュースを聞いてる表情は、その空間に自然に溶け込んで、慎重に、物事を考えているふうでした。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第48回のレビュー}–
第48回のレビュー
喫茶バルボラで久しぶりに羽鳥(草彅剛)と会うスズ子(趣里)。
羽鳥は一井(陰山泰)から六郎(黒崎煌代)の戦死を聞いて、慰めに来たのです。
店内では、客が、戦争の話題でもちきり。「葬式とおまつりがいっぺんに来たみたいです」とスズ子。戦地で亡くなっている人もいるにもかかわらず、皆、ノリノリで、戦況を楽しんでいる様子。なんだかスポーツの話題でもしているかのような熱気を、羽鳥とスズ子は冷ややかに見ています。この温度差。
まわりはみんなおかしくて、主人公側だけ冷静で正しいみたいなムードはちょっと極端かなという気もします。が、ここで庶民が全員、戦争を疑問視するのも偏りますし。難しい。
梅吉(柳葉敏郎)は息子の死にすっかり気落ちして、故郷に帰ると言い出しました。
梅吉の残念なところは、自分の哀しみばかりで、娘のスズ子のことが頭にないことです。彼女の哀しみを受け止めて、一緒に悲しむことをしない。暴力をふるったり、お金を奪ったり、怒鳴ったりはしません。
梅吉の言動は慎重に、とてもソフトに描かれてはいますが、本質は、酷い振る舞いをする人たちと同じです。自分のことしか考えてなくて、いつも他人を頼るだけ。頼れる人にはとことん甘え、そうじゃない人からは離れていくだけ。梅吉のような人が存在することを否定する権利は誰にもありませんが、よっぽどの人格者、あるいは余裕のある人でないと、つきあえないでしょう。
スズ子のモデル・笠置シズ子の自叙伝を読むと、笠置さんのお父さん(養父ですが)はここまで何もしない人ではなく、働いていたようです。なんで、梅吉をわざわざこういう人物に描いたのでしょうか。
お父さんが頼りない分、羽鳥が輝きます。彼は、スズ子の哀しみを理解し、食事に誘い、そこには茨田りつ子(菊地凛子)も呼んで、合同コンサートを開催しようともり立てます。「歌う場所がないなら自分たちで作ればいい」と前向き。
どんなときでも楽しく生きようとする羽鳥。しかも、彼は、自分だけでなく、まわりも楽しくさせようと気配るのです。
合同コンサートは12月23日。その日に向けて、楽団の人たちも張り切りますが、スズ子は声が出なくなっていました。
喉の調子がおかしく憂鬱な気分で帰宅すると、梅吉が家を出る支度をはじめていて。
小夜(富田望生)は、「父ちゃんでねえとだめなんだ」と、スズ子のそばにいてあげてと引き止めますが、その気持ちは梅吉に通じません。
スズ子は、梅吉が自分をほんとうの娘と思ってないからこんな態度なのだと感じ、絶望をさらに深めます。スズ子をそこまで追い詰めるなんて、暴力やお金を奪うよりも実は酷いんじゃないか。
もうだめだと、羽鳥の家を訪れたスズ子に、羽鳥は一曲の歌の譜面を渡します。
「大空の弟」ーースズ子の六郎への思いから歌を作ったのです。
羽鳥、ほんとうに、魅力的な人物です。この人だけが、俯瞰して世界を見ています。
ところで。
梅吉とスズ子が揉めているとき、狭い下宿の隅に、いつも小夜がちょこんと座っていて。それによってその場の息苦しさの度合いが上がり、ひじょうにいい効果をあげているように感じました。小夜がややふっくらしているから、余計に部屋を圧迫して見える。当人もこの場には居づらく、とても気まずいでしょうから、その感情も相まって、梅吉とスズ子のどうしようもない感情が増幅して見えました。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第49回のレビュー}–
第49回のレビュー
「この世がどうあろうと絶望にうちひしがれようと、歌うことは生きること」
(茨田りつ子)
「生きることは食べること」は「ごちそうさん」(13年度後期)でしたが、「ブギウギ」では「歌うことは生きること」。
いよいよ、スズ子(趣里)と茨田りつ子(菊地凛子)の合同コンサートの当日です。
まず、茨田が挨拶して、一曲。「この世がどうあろうと絶望にうちひしがれようと」と茨田は「雨のブルース」を歌います。降りしきる雨と人生を重ねた重苦しい歌を、凛とした声で歌うことで、つらい運命に抗う気持ちになります。
次は、スズ子。羽鳥(草彅剛)の作った新曲「大空の弟」。前奏は空に向かうような
高らかに勇ましいリズムですが、ピアノ1本で厳かな響きに中和されています。いやむしろ、厳かな印象が強くなっています。
歌詞は、お国のために戦地に赴き亡くなった弟への感謝と哀しみが切々と綴られています。
スズ子は「この歌は宝物や」と楽譜を愛おしそうに見つめていました。ご時世に気遣って、あくまでも、戦争に尽力した弟のために残された者は今、生かされているという兵隊さんへの感謝で、軍にとても敬意を払って聞こえます。が、一方で、弟の様子を知りたくても、新聞などでは◯◯◯部隊、◯◯◯地域などとぼかされていてわからないという嘆きも書いてあります。
素直な嘆きとして捉えてもいいし、そんなふうなことをする体制批判にもとれます。そう思うと前半の感謝も、感謝はしているけれど、そのなかに沸々と、なんでこうなったのかという困惑や、誰にぶつけていいかわからない怒りのようなものも感じられる気がして。羽鳥は、みごとに、世界の矛盾をこの歌に込めたと思います。
スズ子が「宝もんや」とあまりに素直に微笑んでいるセリフと表情にやや違和感も覚えるのですが、スズ子はあくまで純真な人で、アグレッシブなのは茨田が担当しているのかなという気もします。
実際に、趣里さんがステージ上で歌った音が使用されていて、感情が乗っているので
「大空の弟」は泣けてくるのですが、筆者的には、「大空の弟」を歌いきって、ステージに崩れ落ちながら、羽鳥に励まされて再び立ち上がり、歌い始めた「ラッパと娘」で涙腺が崩壊しました。
「大空の弟」のなかにある矛盾、抑圧が強ければ強いほど、「ラッパと娘」の理屈じゃない、陽気な音や濁音のワードが感情を押し出します。悲しいとか悔しいとかいう一言では表しきれない濁流のような感情。それが涙。叫び。
観客も待ってました!と大盛りあがり。
羽鳥のどんなときでも楽しむという思いは、まさにこれでしょう。悲しみのエネルギーに取り込まれ、心もカラダも動かなくなってしまうのではなく、歌って踊ってプラスの、生きるエネルギーに転換する。これがジャズ。知らんけど。
梅吉(柳葉敏郎)も客席でちょっと元気になっていました。六郎の亀を抱えていました。六郎の幻も出てきました。
昨日まで、一般大衆はイケイケ戦争ムードで、あまり抑圧されてるようには見えなかったので、スズ子や茨田や梅吉ほど、歌に救われた感じがしなくて。もっとスズ子や茨田の歌が、疲れ切った大衆の心を動かすほうがドラマチックではないか、と思ってしまいがちですが、他者を扇動する行為に対して極めて慎重になっているように感じます。
どんなときでも、誰でも、他者を動かすことなどおこがましい。自分が考え、自分で感じ、自分で動き、自分で変える。
スズ子は、自分の絶望を、自分で解消した、というお話なのです。
そして、観客の私たちも、自分で感じて、自分で立ち上がって、踊れ。
「大空の弟」は、羽鳥のモデル・服部良一が、スズ子のモデル・笠置シヅ子のために実際に作った数少ない軍歌で、音源は残っていないものを、孫で同じく作曲家の服部隆之さんが楽譜を読み解き、編曲したもの。歌詞も、実在のものから少しドラマ用にアレンジしたそうです。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{第50回のレビュー}–
第50回のレビュー
冒頭、茨田りつ子(菊地凛子)が「別れのブルース」を歌っています。第49回でほぼ15分、コンサートシーンだったのが、回を跨いでまだ続けるという、なかなか攻めた構成ながら、やっぱり「別れのブルース」がないとはじまりません。
こうしてスズ子(趣里)と茨田の合同コンサートは盛況のうちに終了。帰り道、おでんの屋台に梅吉(柳葉敏郎)がいて、スズ子はその横に座ります。さすがの厚かましい小夜(富田望生)もここは遠慮します。
屋台も、戦争の影響か、大根しかなく……。戦争になったら景気がよくなるんじゃなかったのでしょうか。
「おまえの歌、聞いてたら 正直なってまう。ごまかされへん」と、「大空の弟」が染みた梅吉。六郎(黒崎煌代)の死を認め、覚醒した意識で、香川に戻ると決意は固く。いつまでもスズ子に甘え、情けないままでいないように。でもたぶん、変わらないと思いますが。
気まずかったふたりがようやく仲直り。引っかかっていた、実の子ではない問題も、ここで解消します。とはいえ、実の子ではない問題を、当事者同士がダイレクトに語り合いません。あくまでもさりげなく、事実は少し曖昧にぼかして、言わんでもわかるという感じ。だからこそ余計に、ふたりの愛情が染みるのです。
第48回で、ふたりが険悪になったとき、「ほんまの娘やないから?」、とつい口走ってしまったスズ子に、「なんて」と梅吉はぎくりとなりました。ツヤ(水川あさみ)と、決して真実をスズ子に語らないと約束していたのに、実はスズ子はとっくに知っていた。梅吉はさぞ、困惑したことでしょう。でも、その件を確認する勇気はない。明確にしたら、まごうことない真実になってしまうから。
だからふたりは、その件について追求しません。第50回の屋台でスズ子は、なんの役にも立たないお父ちゃんがいなくなったら、寂しいのはなんでやろと自問し、梅吉は躊躇なく「親子やからや」と答えます。
ほんとの親子じゃない問題には言及せず、「親子」という言葉を強調するだけで、ほんとの親子じゃないなんて関係ないんだということが強烈に伝わってきます。
1933年に発表されたジャズの名曲「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」の歌詞には、たとえ紙の月でも あなたが私を信じてくれれば ほんものになる、というような意味の一節があります。
この場面はまさにそれ。
偽物の父娘でも、本物だと信じ合っていれば、その信じる心のほうが、血の繋がりよりも強い。
知っていることを知らないふりしていることも、お互い知っていることをあえて触れないことも、思いやりです。
この場面で流れるのは「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」ではなく、「大空の弟」のインストゥルメンタルでした。
昭和16年(1941年)の年の瀬、梅吉の旅立ちの日も「ほなな」とあっさり。寂しさを隠しているのでしょうし、離れていても家族と信じていることもあるでしょう。
柳葉敏郎さんが、なんにも成し遂げていない人物を、決定的にダメな感じに演じず、屋台の場面や別れの場面のあっさり加減も、すごくいい塩梅です。熱演しない朴訥さが梅吉には合っています。
※この記事は「ブギウギ」の各話を1つにまとめたものです。
–{「ブギウギ」作品情報}–
「ブギウギ」作品情報
放送予定
2023年10月2日(月)より放送開始
出演
趣里、水上恒司 、草彅 剛、蒼井 優、菊地凛子、水川あさみ、柳葉敏郎 ほか
作
足立紳、櫻井剛<オリジナル作品>
音楽
服部隆之
主題歌
中納良恵 さかいゆう 趣里 「ハッピー☆ブギ」(作詞・作曲:服部隆之)
ロゴ・タイトル制作
牧野惇
歌劇音楽
甲斐正人
舞台演出
荻田浩一
メインビジュアル
浅田政志
語り
高瀬耕造(NHK大阪放送局アナウンサー)
制作統括
福岡利武、櫻井壮一
プロデューサー
橋爪國臣
演出
福井充広、鈴木航、二見大輔、泉並敬眞、盆子原誠 ほか