重度障がい者殺傷事件を描く映画『月』の「多くの人が目を逸らしてきたこと」に向き合うための「5つ」の覚悟

映画コラム
(C)2023「月」製作委員会

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10月13日(金)より、実際に起こった重度障がい者殺傷事件をモチーフにした辺見庸の小説を原作とした映画『月』が公開中だ。

センシティブかつ重い題材を扱っており、激烈な批判を浴びてもおかしくない、危険な領域まで踏み込んでいる問題作であると同時に、だからこその「多くの人が目を逸らしてきたこと」に容赦なく、かつ真摯に向き合う覚悟がある傑作だったと、筆者個人は思えた。

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前置き:重い題材ながら、親しみやすさもある

何より、この題材に対して使う言葉としては適切ではないと思いつつも、グイグイと引き込まれる「面白い」映画であることを告げておきたい。

ひたすらに重く苦しい内容というわけでもなく、ほっと一息がつける場面があったり、共感できる(それがまた危険でもある)話し合いもされるため、意外な親しみやすさも備えていた。

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出演すること自体にリスクがあるにもかかわらず、豪華キャストが集って、それぞれが渾身の演技をしてくれたことにも称賛を送りたい。

特に磯村勇斗は「普通の青年」に思える場面が多いからこそ、その言動の恐ろしさが際立つ。二階堂ふみも、負担がとてつもなく大きいであろう憔悴していく役柄を、見事に演じ切っていたと思う。

「描写は間接的だが、障がい者施設での大量殺人が描かれている」理由でPG12指定がされており、目を背けてしまいそうなほどに辛いシーンもあるが、それも作品には必要だった。

観ることそのものを躊躇してしまう、身構えてしまう方も多いとは思うが、後述する社会全般にもある問題にずっとモヤモヤを抱えていた筆者個人は「観て良かった」と心から思えた。

それ以外の情報はなくても良いが、ここからは内容に踏み込む形で、この映画の「覚悟」がわかる5つのポイントを記していこう。

–{映画『月』の”覚悟”がわかる5つのポイント}–

1:感情移入しやすい主人公との、真っ向から言葉をぶつけ合う対決

元有名作家の洋子(宮沢りえ)は、森の奥深くにある重度障がい者施設で働き始める。光の届かない部屋でベッドに横たわったまま動かない、きーちゃんと呼ばれる入所者と出会った洋子は、自分と生年月日が一緒のきーちゃんのことを他人だとは思えなくなる。

一方で洋子は職員による入所者へのひどい扱いや暴力を目の当たりにする中で、同僚のさとくん(磯村勇斗)にも異変が起こっていることに気づく。

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原作は、「寝たきりの重度障がい者のきーちゃんの想念が展開し続ける」特徴を持つ、かなり難解なところもある小説だった。一方でこの映画では「重度障がい者施設で働き始める」主人公の視点を新たに置くことで、「この場所を初めて知る」観客と一致しているため、誰にでも感情移入しつつ物語を追うことができるだろう。

オダギリジョー演じる夫はうだつが上がらないが朗らかでキュートな人物であるし、磯村勇斗や二階堂ふみが扮する職員も「こういう人はいそうだなあ」と思えるリアルな人物造形になっていた。

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そうした親しみやすさがあるからこそ、2人の職員が憔悴していく様、はたまた他の職員が「必要悪」とでも言いたげな態度で他の職員が入所者に暴力を振るう様がギャップとなり戦慄する。

そして、これまで「普通の青年」にも思えた磯村勇斗が歪んだ「正義」を語り、観客に近い倫理観を持つ役柄の宮沢りえが、真っ向から言葉をぶつけ合う様は圧巻だ。

それまでの「小さな積み重ね」が伏線となっていたからこそ、この2人の会話劇から目が話せなくなるだろう。

2:徹底的なリサーチが行われた施設のリアリズム

本作ではこの題材を扱うに当たって、徹底的なリサーチが行われている。石井裕也監督はアプローチできる重度障がい者施設には可能な限り入ったそうだ。劇中の障がい者施設はその取材を反映したセットで作り込まれている。

映画を観た障がい者施設の従事者からは「数年前の環境を思い出すほどによく再現されている」という声もあったそうだ。

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脚本も兼任している石井裕也監督は「この映画で描いた、障がい者施設で起こっていることに関しては、全部事実です。障がい者施設の中のことに関しては、絶対に嘘はつくまいと思って、事実としてあったことしか描かないと決めていました」と矜持を語ると同時に、「僕が実際に見たのはそういう劣悪な環境の施設ばかりではありませんし、今まで問題があった施設でも、日々改善の努力がなされていることはきちんと強調しておきたい」とも語っている。

劇中のような重度障がい者施設は実際に存在していて、これまで間違っていたことも行われてきたが、劇中の出来事が全ての施設に当てはまるわけではないことを、確かに留意したほうがいいだろう。

その上で、そう是正される前の「虐待の常態化や、閉鎖的な労働環境」を映画で体感し、「こうなってはならない」と思うことにも、大きな意義がある。

–{この問題は「外」にもある}–

3:この問題は「外」にもある

さらに容赦がないと思うと同時に、本質を突いているのは、本作で描かれた問題が重度障がい者施設の中の話に限らない、ということ。

今の日本で「隠蔽体質」の問題はそこかしこにあるものでもあるし、さらに「見たくはないものに目を逸らし続けること」全般の欺瞞も暴こうとしているのだから。

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夫婦が向き合う「とある選択」も普遍的なものであるし、そこで提示される「割合」も残酷な事実を提示しているかのようだった。

その上で、重度障がい者を「選別」した上に殺害を試みる青年の主張がはっきりと間違っていることも提示される一方で、「それに近い」思想は誰でも持ちうることも、容赦なく突きつけてくるのだ。だからこそ、「そうならないためにできること」を考えられるだろう。

4:ろう者の彼女のキャラクターの意義

おそらくは賛否両論を呼ぶことに、殺人鬼と化す青年さとくんの彼女を、聴覚障がいを持つキャラクターにしたことがある。演じているのは『ケイコ 目を澄ませて』(2022)にも出演していた長井恵里であり、彼女は実際にろう者の俳優である。

終盤にさとくんが、彼女に「あること」を告げるシーンで、まるで聴覚障がいがなければ事件を防げたと解釈される、ろう者への配慮がないと思われる方もいるかもしれない。しかし筆者個人としては、さとくんのあまりに間違った「排除と選択」の理由を示すための描写として納得できた。

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さとくんは、手話でコミュニケーションができるろう者の彼女のことは愛しているが、意思疎通ができない障がい者は排除するという線引きを勝手にしている。

だが、それがなんと愚かで間違っているのかと、彼女の存在により思えるし、それでもさとくんが彼女が「あること」を告げるのは、「聞こえないとわかった上で、やはり一方的に言っているだけ」の、やはり独善的なものなのだ。

また耳が聞こえない彼女とのコミュニケーションは、主人公夫婦ととある関係との「対比」にもなっている。言葉を交わす方法以外での、嘘のない意思疎通もまた大切なことのはずだったのに、さとくんはそうしなかった。やはり、さとくんの言動はあらゆる点で「間違っている」と思えるようにもなっている。

5:ハッピーエンドはあり得ない。だけど、尊い希望も残される。

劇中では結果として殺人事件は起こるし、どうあってもハッピーエンドにはなり得ない。だが、同時に希望も強く感じることができる、意外なとある出来事と感情に涙を禁じ得えなかった。

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このようなひどい事件は現実にあるし、それを実行した者に近い危険な考え方をしてしまうことは、誰にでもあり得る。だが、それでも、こうした希望があれば、それを実行しない選択をすることはできるし、誰かのために行動を起こすこともできる

劇中で提示されたのは決して安易な解決方法でもないし、「機械的なシステム」を示すとあるモチーフを持ってして、個人の力では救うことができないかもしれないという、一抹の不安も示されている。

だが、「しかし、それでも」と、尊い希望を示してくれたことに、何よりも感謝したいのだ。

石井裕也監督作『愛とイナズマ』が2週間後に早くも公開!

なんと、この『月』の公開からわずか2週間後の10月27日(金)より、石井裕也監督・脚本によるオリジナル長編映画『愛にイナズマ』も公開される。

その内容を端的に言えば、「哀愁漂うコメディドラマ」。悪意のある(あるいは極端な善意による)人間の言動には良い意味で心からゲッソリするが、その対比となる松岡茉優の「キレ芸」にゲラゲラ笑って、窪田正孝の不器用な優しさにグッと来て、家族の物語にホロッとする。

だからこその救いや希望を示す、そんな石井裕也監督の集大成を見届けることができた。

ぜひ、重い内容の『月』の後に観てこその、気兼ねなく笑って、同時にちょっと切なくなる豊かな映画体験をしてほしい。石井裕也監督の強い作家性と共に、その幅の広さにも気づけるだろう。

(文:ヒナタカ)

–{『月』作品情報}–

『月』作品情報

ストーリー
深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――。

予告編

基本情報
出演:宮沢りえ/磯村勇斗/⻑井恵里/大塚ヒロタ/笠原秀幸/板谷由夏/モロ師岡/鶴見辰吾/原日出子/高畑淳子/二階堂ふみ/オダギリジョー ほか

監督・脚本:石井裕也

公開日:2023年10月13日(金)

配給:スターサンズ