青柳碧人の人気ミステリ小説を映像化した『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』が、9月14日からNetflixで配信中だ。
監督を務めたのは、「勇者ヨシヒコ」シリーズや『今日から俺は!!劇場版』(2018)などで知られる福田雄一。
そして主役の赤ずきんを演じているのは、『銀魂』(2017)の神楽役をはじめ、『斉木楠雄のΨ難』(2017)の照橋心美役、『新解釈・三國志』(2020)の黄夫人役、『ブラックナイトパレード』(2022)の北条志乃役など、福田雄一作品のミューズ的存在・橋本環奈。
そのほか、シンデレラ役の新木優子・王子様役の岩田剛典・ムロツヨシ・佐藤二朗ら福田組の常連が出演している。
【インタビュー】実写映画版『斉木楠雄のΨ難』はこうして生まれた!福田雄一監督インタビュー
▶︎Netflixで『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』を観る
都会派コメディ“三谷幸喜”とアドリブ・パロディ“福田雄一”
福田雄一といえば、今やドラマや映画に引っ張りだこの存在。三谷幸喜と並び称される、コメディ・ドラマの名手だ。だが、その資質と作家性は全く異なる。
三谷幸喜の場合は、映画監督のビリー・ワイルダー<代表作『七年目の浮気』(1955)『昼下りの情事』(1957)『お熱いのがお好き』(1959)>を彷彿とさせる、軽妙洒脱な都会派コメディ。
福田雄一の場合は有名漫画・ゲームをパロディとして解体させていくスタイル。笑いの流儀が完全に別物なのだ。
もう少し詳しく書くと、三谷幸喜は「次々とトラブルに巻き込まれていくなか、無事ラジオの生放送を終えらるか」だったり<『ラヂオの時間』(1997)>、「全然ウマの合わないインテリア・デザイナーと大工の棟梁が、協力して新居を完成させられるか」だったり<『みんなのいえ』(2001)>、「記憶喪失となった総理大臣が、かかる難局を切り抜けられるか」だったり<『記憶にございません!』(2019)>、ある特殊なシチュエーションを設定して、そこにキャラクターをはめ込み、精緻なプロットを織り込んでいく。
だから三谷作品における会話劇の面白さは、キャラクターそのものの面白さというよりも、彼らが置かれている状況に起因している。
それに対して福田雄一の持ち味は、コメディというよりはパロディとしての面白さ。「勇者ヨシヒコと魔王の城」(2011)「勇者ヨシヒコと悪霊の鍵」(2012)「勇者ヨシヒコと導かれし七人」(2016)と、合計3シリーズ制作されている「勇者ヨシヒコ」シリーズは、あからさまにRPGゲーム「ドラゴンクエスト」の世界観を参照している。
「勝手に人の家に入り込んでは樽を壊す」というドラクエ的お約束を再現し、それに登場人物がツッコミを入れることで、パロディとしての笑いが醸成されていた。
『今日から俺は!!』ならヤンキー漫画という世界観を、『新解釈・三國志』なら三国志という世界観をパロディとしてリサイクルし、ツッコミによって解体させる。よって福田作品における会話劇は状況設定から生まれるものというよりも、ボケとツッコミに近い漫才的な面白さなのだ。つまり、アドリブ的なのである。
三谷幸喜の名前を世に知らしめたドラマ「やっぱり猫が好き」(1988〜1991)も、長女役のもたいまさこ、次女役の室井滋、三女役の小林聡美の丁々発止のやりとりが、アドリブ的と言われていた。実際に台本を遅延させることで有名な三谷のせいで、収録に間に合わない時には丸々アドリブで切り抜けた回もあったという。
だがそれは「恩田三姉妹の茶飲話」という設定があってこそ。今やすっかりお馴染みとなった「ムロツヨシや佐藤二朗がひたすらボケ倒し、他のキャラクターがツッコミを入れていく」という、福田作品におけるアドリブとは種類が異なるのだ。
これまで三谷幸喜は、大河ドラマとして「新選組!」(2004)「真田丸」(2016)「鎌倉殿の13人」(2022)を手がけているが、おそらく福田雄一が大河ドラマの大役を預かることはないだろう。
鎌倉時代なら鎌倉時代、戦国時代なら戦国時代と、その時代そのものをパロディにしてしまうはずなのだから。
–{ミステリとしてミスリードを誘う仕掛け}–
ミステリとしてミスリードを誘う仕掛け
すっかり前置きが長くなってしまったが、以上を踏まえて『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』を観ると、非常に福田雄一的な題材であることが分かる。この作品は、赤ずきんちゃんが謎の殺人事件を解決するコメディ・ミステリー。「シンデレラ」や「ヘンゼルとグレーテル」といった名作童話が下敷きになっている。
冷静に考えると、童話の世界を舞台にして、日本人俳優が赤ずきんやシンデレラを演じること自体がだいぶ無理筋なのだが、あえてカキワリっぽい美術や、安っぽく見えるCGを使うことで(天下のNetflixなので間違いなくお金はかかっているのだが)、パロディとしての強度を高めている。
『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』9月14日(木)よりNetflixにて世界独占配信
「カボチャの馬車を運転しますよ」というネズミに対して、赤ずきんが「免許持っているの?」と尋ねると、「この時代に免許とかありませんから」と返す。つまり童話の世界に免許証など存在しないという、お約束の破壊……いつもの福田節が唸りをあげている。
もしくは、シンデレラの継母イザベラを演じる真矢みきが、王子様に向かって「諦めないからー!」と叫ぶシーン。本人が出演している某CMの「諦めないで」というセリフを、セルフパロディしたことは明明白白。
『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』9月14日(木)よりNetflixにて世界独占配信
もちろん、アドリブっぽいセリフの応酬も盛りだくさん。特に今作では、赤ずきんと魔女バーバラ(キムラ緑子)とのやりとりが秀逸だ。
「あなたの靴、シンデレラに貸してあげなさいよ」
「え、なんでワシが?」
「いや、まあいいからさ、じゃないから」
「ほら」
「脱がないから」
「ほらほら」
「脱がない!」
『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』9月14日(木)よりNetflixにて世界独占配信
いやもう、頭のてっぺんから足の爪先まで、福田雄一的センスがスパーク。だがこの『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』が他の福田作品と異なるのは、これまでならばパロディとしての舞台でしかなかった<童話の世界>が、我々がすでに「シンデレラ」や「ヘンゼルとグレーテル」のストーリーを知っていることで、ミステリとしてミスリードを誘う仕掛けになっていること。
『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』9月14日(木)よりNetflixにて世界独占配信
これ以上はネタバレになるので自重するが、実はなかなかに知的な構造になっているのだ。
いわゆるシネフィルの方々からは敬遠されがちな福田雄一だが、個人的には『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』は、単なるパロディではない作品に昇華していると思っている。構えることなく、気軽にNetflixで視聴してみてほしい。
(文:竹島ルイ)