<2023年必見の映画>『福田村事件』 それでも“世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい”

映画コラム

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白が黒に、黒が白に反転する。世界を見つめる視点が変わっただけで、自分が真実だと思い込んでいた価値観が転倒する。かつて筆者が森達也監督の『A』(1998)を観たとき、本当に世界がひっくり返ったような感覚を覚えた。

『A』は、オウム真理教広報副部長(当時)の荒木浩に密着したドキュメンタリー映画。破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定された教団を、その内側から捉えようとしたチャレンジングな作品である。

だがフィルムに収められていたのは、社会に牙を剝いた危険な殺人集団ではなく、静かに人生の意味を見つめようとする人々の姿。むしろ、彼らに奇異の眼差しを向け、あからさまに悪意をむき出しにする市井の人々が、迫害する側に見えてしまったのである。

森達也は「福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇」(著者:辻野弥生/五月書房新社)の巻末に、こんな文章を寄せている。

信者たちを被写体にするテレビドキュメンタリーを企ててオウム施設内に入ったとき、屈託のない彼らの笑顔と穏やかな応対に出会い、自分はどこにいて誰を撮っているのだろうと混乱した。だから撮りながら考え続けた。なぜこれほどに純朴で穏やかな人たちが、多くの人を殺そうとしたのか。

「福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇」より抜粋)

麻原彰晃から殺人テロを指示されたら、個人としての判断は保留され、集団としての同調圧力が生まれることで、彼らはそれを実行してしまうだろう。そしてその彼らを、別の集団が正義の名の下に鉄槌を下すだろう。思考停止状態に陥った、<凡庸な悪>が世界を覆い尽くすだろう。森達也はその真実を白日の元に晒す。

その後も森達也は、『311』(2011/綿井健陽・松林要樹・安岡卓治との共同監督)『FAKE』(2016)『iー新聞記者ドキュメントー』(2019)と野心的なドキュメンタリー作品を次々と発表。

そんな彼が、今回初めて長編劇映画に挑戦した。今から100年前に起きた忌まわしい虐殺事件を描く、『福田村事件』(2023)である。

ここ数年、僕にとってのキーワードは「集団化」だ。人は集団になったときにそれまでとは違う動きをする。これもやっぱり、虐殺について考え続けた帰結のひとつだ。

「福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇」より抜粋)

「集団化」。それは、まさに“今”の作品に通底するモチーフだ。

(C)2023「怪物」製作委員会

アニメ【推しの子】(2023)や、Netflixドラマ「セレブリティ」(2023)では、悪意に満ちた罵詈雑言が集団心理によってさらに膨れ上がる「SNS中傷投稿問題」が取り上げられていたし、是枝裕和監督の『怪物』(2023)では、マジョリティが“正常”でありマイノリティが“異常”であるという社会(集団)の不寛容が描かれていた。

『福田村事件』もまた、今から100年以上前に起きた悲劇を、現代的なイシューとして取り上げた作品である。

–{森達也×荒井晴彦による、劇映画への挑戦}–

森達也×荒井晴彦による、劇映画への挑戦

©「福田村事件」プロジェクト2023

その悲劇は1923年9月6日、関東大震災から5日後に起こった。千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)で、香川から訪れていた薬の行商団が地元民によって虐殺されたのである。聞きなれない讃岐弁のため、朝鮮人と疑われたことが原因とされている。犠牲となった9人の中には、妊婦や幼児も含まれていた。

森達也は、『A2』(2001)を発表した直後から福田村事件をドキュメンタリーとして放送できないかと奔走していたという。だが、森達也曰く「朝鮮人虐殺」と「被差別部落」という2つのタブーがネックとなって、企画に手を挙げてくれる局はひとつもなかった。福田村事件は森達也の中で“塩漬け”されたまま、時が過ぎていく。

<立教ヌーヴェルヴァーグ>と呼ばれる、映画評論家・蓮實重彦の強い薫陶を受けた一派(黒沢清・青山真治・万田邦敏・塩田明彦など)の中にいた森達也は、もともと劇映画が撮りたくて8ミリを回していた映画青年だった。2016年に『FAKE』を発表後、主戦場のドキュメンタリーを離れることを決意した森達也は、福田村事件を劇映画として制作することを思いつく。

そしてもう一人、福田村事件を映像化しようと画策していた人物がいた。荒井晴彦だ。言わずもがな、『赫い髪の女』(1979)『Wの悲劇』(1984)『共喰い』(2013)などで知られる名脚本家。監督を兼任した『火口のふたり』(2019)は、キネマ旬報の日本映画ベストテン第1位に輝いている。

それまで面識のなかった二人はキネマ旬報の授賞式で初めて顔を合わせ(全くの偶然だが、筆者もたまたまその授賞式を観覧していた)、そのまま監督・森達也、脚本・荒井晴彦、佐伯俊道、井上淳一という座組で制作がスタートしたのである。

澤田(井浦新)が性的不能であるとか、静子(田中麗奈)が白い太ももを露わにして倉蔵(東出昌大)とコトに及ぶとか、貞次(柄本明)が義娘との間に子供を作っていたとか、閉ざされたムラ社会のエロスが全編に漂っているのは、明らかに荒井晴彦のアイディアによるものだろう。

かつてのATG作品やロマンポルノにあったような艶かしさが、この『福田村事件』にも刻印されている。
–{「デビルマン」との相違点}–

「デビルマン」との相違点

©「福田村事件」プロジェクト2023

この痛ましい事件が発生した背景には、朝鮮人に対する恐怖心があった。震災が発生したとき、内務省は治安維持という名目のもと、警察に「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」と下達。

怪しい者には片っ端から「十五円五十銭と言ってみろ!」と強要し(映画でも「ガギグケゴやバビブベボが言えないからな」というセリフがあったが、朝鮮語では発語が濁音で始まることはまずない)、その踏み絵によって多くの人間が犠牲となったのである。行き過ぎた自衛本能が、この悲劇を生んだのだ。

およそ30分に及ぶ大殺戮を目の当たりにしながら、筆者の頭の中にふと浮かんだのは、漫画版「デビルマン」だった。飛鳥了の姿を借りたサタンは、「悪魔が人間になりすましている!」と人間を扇動。疑心暗鬼に囚われた人々の手によって、ヒロインの牧村美樹が惨殺されてしまう。変わり果てた彼女の亡骸を見て、不動明ことデビルマンは絶叫する。

「きさまらは人間のからだをもちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!これが!これが!おれが身をすててまもろうとした人間の正体か!」

(永井豪「デビルマン」より抜粋)

いたいけな子供が読んだら、トラウマ必至の超有名シーン。およそ50年前に、永井豪も「集団化」の危うさを壮絶なカタストロフとして描いていた。

だが「デビルマン」が『福田村事件』と決定的に異なるのは、<加害者の視点>が抜け落ちていること。美樹を血祭りにあげた民衆は、狂気に陥った集団という画一的な表現に収まってしまっている。

そこに、「なぜそのような非道に手を染めたのか」「そもそも彼らはどのような人間たちなのか」という説明はいっさいない。彼らは記号化された存在でしかないのだ。

–{加害者側の視点を描くこと}–

加害者側の視点を描くこと

©「福田村事件」プロジェクト2023

共同脚本を手がけた佐伯俊道は、当初「被害者の少年の視点から描くこと」を構想していたという。だが最終的にこの映画は、被害者側の視点と加害者側の視点が交互に描かれる構成となった。「デビルマン」では単なる記号でしかなかった加害者もまた、血の通った普通の人間であることを示したかったのだろう。

しかも森達也は、思想・立場によって村民たちを峻別しない。在郷軍人の長谷川(水道橋博士)は「今更なに言ってんだ!自警団さこさえて対処しろつったのは警察だっぺよ!」と絶叫し、村長の田向は「待てと言ったんだ。私は待てと…」とうわごとのように繰り返す。

軍国主義の権化のような男が涙を流し、高潔な理想主義者が言い訳を連呼するのだ。最もリベラルな立場にいるであろう澤田(井浦新)でさえ、最後の最後になるまで傍観者の立場を崩さない。

森達也自身はリベラル派知識人に位置しているものと思うが(たぶん本人はそのようなラベリングを嫌がるだろうけど)、この映画では誰しもが等しくそのメッキが剥がされ、丸裸となる。

©「福田村事件」プロジェクト2023

そこに佇んでいるのは、血と暴力に酔いしれた悪魔ではなく、どこにでもいる、市井の人々の姿なのだ。

まずはもちろん自分を守りたい。自分の家族を守りたい。これがどんどん大きくなって、親戚、友人、同胞、最後は国民とか国とかになる。守りたいという気持ちはとても大切な本能ですが、結構「くせ者」で過剰防衛しちゃうんですね。守るための一番いい方策は攻撃を受ける前に敵を消すことですから。そうやって戦争は起きるし虐殺も起きるんだろうなと思います。

(NHK「クロ現 取材ノート」より抜粋)

森達也は、2003年に「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」というエッセイを上梓している。ラジオ番組で「この言葉を、今ご自身ではどのように感じていますか?」と尋ねられた彼は、こう熱っぽく語った。

全くそれは変わっていない。時折言われるんですよ、だったらなんでこんなにひどい世界なんだと。わかっています。だから“もっと”と付けたんです。皆が思っている以上に世界は美しいし、皆が思っているよりも人は優しいんだと。

(TBSラジオ「武田砂鉄のプレ金ナイト」2023年8月25日放送回より)


『福田村事件』が最後の最後で突きつけるのは、絶望でも不寛容でもない。それは仄かな希望だ。

“世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい。”

ある意味でこの映画は、20年以上前に書かれたこの言葉を、劇映画という形式で語り直したものと言えるだろう。2023年必見の映画、である。

(文:竹島ルイ)

–{『福田村事件』作品情報}–

『福田村事件』作品情報

9月1日(金) テアトル新宿、ユーロスペースほか全国公開

序説
1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。そのわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。 

予告編

基本情報
出演:井浦新/田中麗奈/永山瑛太/東出昌大/コムアイ/木竜麻生/松浦祐也/向里祐香/杉田雷麟/カトウシンスケ/ピエール瀧/水道橋博士/豊原功補/柄本明 ほか

監督:森達也

公開日:2023年9月1日(金)

製作国:日本