平成が終わる間際の2018年、彗星のごとく文学界に現れた新鋭作家・神津凛子。デビュー作『スイート・マイホーム』は、読後に残るおぞましさやその衝撃的なラストから選考委員の満場一致で「第13回小説現代長編新人賞」に輝いた。
長野在住の歯科衛生士にして3児の母でもあるというプロフィールからは想像もつかないほどの恐怖描写はすぐさま話題を呼び、映像化のオファーが殺到。その結果、俳優としても活躍する一方、『Blank13』(’18)や『ゾッキ』(’21)でも演出家(ないし映像作家)としての手腕を発揮している齊藤工監督の手に託された。
映画が完成した今、あらためてクリエイター同士として顔を合わせた両者に、物語を紡ぐことに対するアプローチやプロセス、手法といった視点から「作品づくり」を語ってもらうことに。単なる原作者と監督へのインタビューにはとどまらない、実に興味深く充実した内容の対談とあいなった。
先生のリアクションに「この方向性で間違っていないんだ」(齊藤)
──神津先生はクリント・イーストウッドの撮った映画がお好きだそうですが、今回の『スイート・マイホーム』実写化を手がけた齊藤工監督も、言わずもがなイーストウッド同様に俳優と監督……2つの顔を持っていらっしゃいますね。
神津凛子(以下、神津):素敵なご縁をいただいて、マルチに活躍されている齊藤工さんに私の小説を映画にしていただきました。そう考えると……もしも専業の映画監督の方が撮っていらっしゃったら、また違ったテイストの作品になっていたのかもしれませんね。出来上がった映画を拝見して、齊藤監督や制作に携わったみなさんの目には、『スイート・マイホーム』はこのように見えていらっしゃったんだなと思ったと同時に、「あ……私、このお話知ってる!」というような感覚で、没入して作品を観ることができました。
──先ほど、「お久しぶりです」とご挨拶を交わされていらっしゃいましたが、映画化に向けてお二方の間で何度かコミュニケーションをとられたと解釈してもよろしいでしょうか……?
齊藤工(以下、齊藤):そうですね、先生と直接お目に掛かってお話させていただいたことはもちろん、担当編集の方や制作陣も一緒に打ち合わせをさせていただきながら、進めていきました。キャスティングについて、「この方に演じていただこうと考えていますが、いかがでしょうか?」と先生にうかがって、後押しするようなリアクションもいただいたので、コミュニケーションを重ねるごとに「この方向性で間違っていないんだ」と前進する力を分けてもらいながら、映画化へたどり着いたという感覚を抱いています。
それと、新築の家が舞台というのも面白いなと思いました。今までの恐怖映画ですと古来の家であったり、住みついた者たちの歴史に基づいたホラーやサスペンスになっていたりしましたけど、真新しいからこその怖さも確かにあるな、と。
撮影でも運良く住宅展示場のモデルハウスが見つかったので、そこで撮影させていただいたんですけど、普段は誰も生活していない住居の空虚感というのは異様というか、不気味なものがあるんですよね。参考にした作品もいろいろとあるんですけど、新居が舞台という映画はほとんどなくて。なので、ロケハンをしながら神津先生ならではの“建て付けの妙”を感じてもいたんです。
「忘れがたいシーンを見せてもらえるという期待感を抱いた」(神津)
──ちなみに、神津先生は齊藤監督の撮られた映画をご覧には……?
神津:はい、何作か拝見していました。普段からいろいろな映画を観ていますが、「もしかすると私はこのシーンを目にするために、この映画を観ようと選択したのかもしれない」と感じることが多々ありまして。齊藤監督の映画にはそう思わせるシーンが必ず組み込まれているので、『スイート・マイホーム』も齊藤監督に撮っていただけるのであれば、そういった忘れがたいシーンをいくつも見せてもらえるだろうという期待感を抱いていました。例を挙げるとキリがありませんが、特にラストでのある人物の表情がとても素晴らしかったです。
──そのお話も踏まえまして、齊藤監督はクリエイターとしてどのような思いを抱いていたのかうかがえますか?
齊藤:最近ですと是枝(裕和)さんが監督を務めた『怪物』(’23)もそうですが、黒澤明監督の『羅生門』(’50)スタイルと言いますか……“正義の反対は悪ではなく、もう1つの正義だ”という視点で事象を見つめることが、もしかすると映像表現における主題なんじゃないかと思ってもいるんですね。『ジョーカー』(’19)や『ダークナイト』(’08)も然りですけれど。
それで言うと、『スイート・マイホーム』の原作における甘利(浩一/演:松角洋平)のエピソードも捨てがたくて。彼のエピソードに主眼を置いたスピンオフを撮りたいなと思うくらい愛おしかったんですけど、割愛せざるを得なかったんです。それはある種、神津先生の原作を削り取らなければならない──しかも自分が好きなトピックであっても剪定する、胸の痛む作業にいそしむ日々でもあって。その作業は日活の試写室で台本をプロジェクターに映写しながら、脚本家の倉持(裕)さんたちと1行1行を精査していったんですが、コロナ禍だったこともあって淡々と取り組んでいった結果、1年掛かってしまいました。でも、制作に掛かったすべての時間が必要だったと、今は思っています。
齊藤:そんなふうにしてシナリオを構築していくにつれて、ある人物の終盤での表情をあまり面と向かって映しすぎないということを自分の中で決めました。実際、ショットとしてはそれなりに捉えているんですけど、絵として分かりやすく見せるよりも神津先生が原作で描かれたように、その人物が定義する“反対側の正義”を浮き彫りにしたかったんです。
モンスター化したという輪郭だけで描くのは何か違うなと思ったので、そこについては映画を観てくださる方それぞれに、該当するキャラクターの表情を捉えていただけたら──と願っていて。「原作では個々のキャラクターがご自身の中で動き出した」と神津先生はおっしゃっていますけど、確かに脇役がいない小説だと僕も思っていたので、キャスティングの段階でも、脚本に物語を落とし込む段階でも「脇役などいない」という思いのバトンを受け取ったつもりで描こうと心がけていました。
–{齊藤工も舌を巻く、神津凛子のクリエイション}–
齊藤工も舌を巻く、神津凛子のクリエイション
──そういった意味では、まさしく齊藤監督ならではの映画になった、と言っても過言ではないのかも知れませんね。
齊藤:先日、上海の映画祭での上映に立ち会ったんですけど、シーンによっては笑いが起きたりもしていたんです。ひとみ(蓮佛美沙子)さんが白子を調理するシーンだったんですけど、そこは僕が執拗にこだわってしまったところでもあって。あの……魚を捌く行為ってちょっと不気味だったりするじゃないですか。撮影の時期的にも思いのほか用意された北陸の鱈(タラ)が大きくて、あんなに白子が入っているとも想像していなかったんですよね。撮りながら、「嘘だろ!?」と思うぐらい詰まっていて、僕らもギョッとしたっていう──。あ、別にギャグで言ったわけじゃなくて(笑)。
で、そのシーンが中国の人たちに大ウケして、大爆笑が起きていたんです。かと思うと怯えるシーンも声に出してリアクションしてくださったので、「アトラクションムービーでもあるんだな」と認識した部分もありまして。それを言葉にしてお伝えするのはなかなか難しいんですけど、「先生が設計図として我々に預けてくださった原作がこういう映画になって、観てくださった方に受け取ってもらえました」という体感をご報告することで、せめて恩返しができればと考えています。
ただ、アジアの家族像には儒教的な独特の側面も見受けられるので、欧米の人たちのリアクションが若干違うのかなと思うところもあるんですね。そこも含めて、家の中で始まって家の中で完結するという構想が最初からあったのかどうかを、先生に聞いてみたかったんです。
神津:それが……書き始めたらあのような物語になった、というのが実際のところでして(笑)。
齊藤:そうなんですね! ちなみに、人を描こうとして書き始められたんでしょうか?
神津:「家の中に怖いものがいるんだろうな、お化けかな? 人間かな?」……と思いながら書き進めていったら、自然と賢二(演:窪田正孝)をはじめとする登場人物たちが現れてきて、中の人たちが勝手に動くのを見て、まとめていったという感じですね。
──原作を執筆中、神津先生としても登場人物たちの言動が明確にイメージとして浮かび上がっていらっしゃったのでしょうか?
神津:そうですね、パソコンを開くと賢二やひとみ、本田(奈緒)たちが何かをしているような情景が浮かんでくるので、それを見ながら文字にしていったという感覚でした。
齊藤:先生のその感覚の鋭さに対しては、ただただ「すごい」というひと言しか浮かんでこないです。あの……キャラクター同士の化学反応のようなものも、それぞれ複合的じゃないですか。1つのキャラクターが暴れていくとして、その目線で物語を追っていくと思うんですけど、キャラクターそれぞれが交差するところも、先生はスムーズに捉えていらっしゃったんですか?
神津:はい、たとえば賢二で言うと……彼の目線で見ているわけではなくて俯瞰して見ているので、キャラクター同士の交錯も混乱せずに書けたんじゃないかなと、自分では思っているんです。
──その目線は俯瞰から一人称に変わったりもするわけですが、その切り替わりも先生がパソコンを開いたときに目にした情景によって変わってくるのでしょうか? ちょっと観念的な話になってしまいますが……。
神津:小説を書き始めたときは、賢二とひとみと娘のサチ(磯村アメリ)しかいなかったんです。先ほど、齊藤監督がおっしゃってくださった甘利というキャラクターが私も大好きなんですけど、書いているうちに見えてきたと言いますか、出てきたんですよ。「あぁ……何かいいキャラが出てきたぞ!」という感じで、登場させようと思って書いたわけではなくて、本当に後から現れたという感覚でしたね。
齊藤:僕からすると、プロットがないまま物語を紡いでいらっしゃることに、ただただ感嘆していまして……。その手法で映画を撮ろうとすると、やはり前衛的な方向に寄っていく可能性があるので。それこそ前衛的な劇団がかつて、そういう活動をされていた記憶もありますけど、エチュード的な側面もあったような気がしていて。
ただ、キャラクター個々の心根と言いますか、それぞれの灯の点り方の違いがしっかりと原作では描かれていて、読者が賢二を“ほどよく愛せない”という距離感が僕はすごく好きなんです。ともすると、特に男性の目線からすると──賢二の肩を持ちすぎてしまうきらいがありますけど、彼も清廉潔白ではないし、そもそも賢二に肩入れしそうになった自分はどうなんだ……? と、原作を読んだときに突きつけられた気がしたんですよね。
神津:ただ、『スイート・マイホーム』では人の業みたいなものを描くつもりはなかったんですよ。もっとも、その後に書いた小説もそんなにスタンスが変わったというわけではありませんけれど(笑)。
神津作品の映像化に必要だった“儀式”
──なお、話としては飛躍してしまうかもしれませんが、もしまた齊藤監督が新たに神津先生の小説を映画化するならば……どうしますか?
齊藤:う〜ん……何と言うか、神津先生が描いていらっしゃる“立ち入ってはならないもの”に立ち入るには、経るべき段階があると思っているんです。たとえが正しいかどうかは分からないですけど……沖縄に神が宿ると言われている島があって、そこへ行くには何ヶ所かの御嶽(うたき)を巡ってからでないと──という定めがあるんですね。そうしないと良くないことが起きると言われているんですけど、神津先生の小説を映画にするにあたっては、それに近い手順が必要だなと感じていて。
今回の『スイート・マイホーム』で言うと、スタッフィングやキャスティングが該当するんじゃないか、と。本業が役者である自分からしても“ある領域”までたどり着いていると皮膚感覚で実感している、とてつもない表現者のみなさんが神津先生の生み出したキャラクターを生きること、並びに撮影監督の芦澤明子さんのカメラを筆頭に、適材適所たる映画人が集まってくださったことによって、僕も監督という役割を引き受けさせていただけたのだと思っているんです。
そして、これは個人的な感覚になりますけど、神津先生の『ママ』という作品も『スイート・マイホーム』同様に母性が描かれていますが、僕が男性だからなのか……そこには立ち入れないと感じてしまう愛憎のようなものが渦巻いていると思えてならなくて。単なる読書体験にとどまらず、自分自身も女性である母から生まれてきたという事実に紐づきつつも未踏の地へ連れていってもらえるような感覚を味わえる、と解釈しているんです。なので、もしもまたそういう光栄な機会があるとしたら、“聖なる儀式”を経た上で神津先生の作品と再会したいなと考えています。
──これもたとえが正しいかアレですが、“文学界のA24”的な引力が神津先生の作品にはあるように感じていて。
齊藤:確かに(笑)。実際、『スイート・マイホーム』を映像化したいと思っていたクリエイターの方々が数多いらっしゃったと耳にしましたし、原作権のことで問い合わせも多々あったと聞いていて。そういった事実も踏まえると、神津先生のクリエイションによって世に出る作品は文学界のみならず、日本映画界にとっても大きな意味を持つことになっていくと思いますし、僕個人にとどまらず業界的にも胆(キモ)になってくるような気がしています。
(ヘアメイク=赤塚 修二/スタイリスト=三田真一<KiKi inc.>/撮影=渡会春加/取材・文=平田真人)
<衣装協力=ジャケット¥64,900 シャツ¥36,300 サロペット¥58,300 全てスズキ タカユキ そのほかスタイリスト私物 【お問合せ先】 スズキ タカユキ 03-6821-6701>
–{『スイート・マイホーム』作品情報}–
■『スイート・マイホーム』作品情報
9月1日(金)公開
出演
窪田正孝 蓮佛美沙子 奈緒 窪塚洋介 ほか
監督
齊藤工
原作
神津凛子「スイート・マイホーム」(講談社文庫)
脚本
倉持裕
主題歌
yama「返光(Movie Edition)」
音楽
南方裕里衣