<らんまん・植物学者編(2)>21週~24週までの解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】

続・朝ドライフ

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2023年4月3日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。

「日本の植物学の父」と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。激動の時代の中、植物を愛して夢に突き進む主人公・槙野万太郎を神木隆之介、その妻・寿恵子を浜辺美波が演じる。

CINEMAS+ではライター・木俣冬による連載「続・朝ドライフ」で毎回感想を記しているが、本記事では、万太郎が植物学者の道を邁進し、寿恵子が新たな仕事を始める21週~24週までの記事を集約。1記事で感想を読むことができる。

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もくじ

・第101回のレビュー

・第102回のレビュー

第103回のレビュー

・第104回のレビュー

・第105回のレビュー

・第106回のレビュー

・第107回のレビュー

・第108回のレビュー

・第109回のレビュー

第110回のレビュー

・第111回のレビュー

・第112回のレビュー

・第113回のレビュー

・第114回のレビュー

・第115回のレビュー

・第116回のレビュー

・第117回のレビュー

・第118回のレビュー

・第119回のレビュー

・第120回のレビュー

・「らんまん」作品情報

第101回のレビュー

明治26年、8月。
森有礼(橋本さとし)が暗殺されたのが明治22年、田邊(要潤)が校長をつとめた女学校が廃止され、帝国大学からも非職を言い渡されたのが23年。そのまますぐに大学を出たのではなく、非職満期の26年まではいたのですね。

それだけ経って、やっと家族旅行の海に行くことに。満期までの間はいろいろ忙しかったのでしょう。
聡子(中田青渚)は妊娠しているようでお腹が大きくなっていました。ようやく、落ち着いて、家族の幸せを噛み締めているかの田邊家です。

その頃、藤丸(前原瑞樹)が長屋に遊び来て、万太郎(神木隆之介)の子どもたちとしばし遊びます。

「大ちゃん、うさぎと同じ体温だったなあ」
(藤丸)

うさぎが恋しいけれど卒業すると大学に顔を出しづらいという藤丸。
田邊もいなくなって、大学の雰囲気が変わったからでしょう。

田邊のことは好きではなかったけれど、
「結局何もかもが政治と人間関係っていうのがさ……」と不満を漏らします。出た、藤丸のぼやき。最近、上向いていた藤丸ですが、再び、ぼやきはじめます。

万太郎も徳永(田中哲司)をいまだに「助教授」と言ってしまうことに、田邊アウト、徳永インの人事を良く思っていないように感じさせます。

代わりに教授になった徳永によって図鑑も廃刊に。ユーシー(田邊)の色を消し去ることが徳永の最初の仕事と聞くと、徳永がいやな人に思えますが、美作(山本浩司)の手前、そうしないとならないのでしょう。政治と人間関係に重きを置いた職場の場合、そこに抵触するものは排除しないとなりません。いいものを引き継ぐという考えはなく、刷新することが責務になるのです。

藤丸は第76回で、「こんなに執念深い人たちが世界中にひしめいてて」
なんてことも言っていました。野心、欲望にまみれた人たちのことをとてもいやだと思っている藤丸に共感する視聴者は少なくないでしょう。

藤丸は植物学をやっていても仕事にならないとぶつくさ。
万太郎は3年経過しても図譜の版元は見つかっていません。借金どうなったのだろう。

寿恵子(浜辺美波)はおばけの話よりも借金をこわがっているのかと思いきやーー
彼女がこわいのは、子どもたちと万太郎ーー家族に何かあることでした。そのため、大事な「南総里見八犬伝」を質屋に持っていきます。

第一子を亡くしていることを寿恵子はずっと気にしているのです。寿恵子が家族の無事を祈っているとき、鎌倉の海で田邊が溺死していました。

田邊のモデルの谷田部良吉は明治32年に海で亡くなりました。大学を辞めてから数年後です。田邊は、大学を辞めてすぐ……。ドラマのほうが矢継ぎ早に辛いことが起こってなかなかヘヴィ。寿恵子が、槙野家の家族の健康第一を考えていたとき、田邊家では一家の大黒柱に不幸が起こるという皮肉めいた話です。しかも、なかなか子供のできなかった聡子がようやく妊娠しているときに……。神様(作家)はなんて残酷なのかーー 
田邊の死を万太郎は新聞記事で知ります。「ナレ死」ならぬ「新聞死」。新聞紙と新聞死は言葉遊びなのでしょうか。

【朝ドラ辞典 ナレ死(なれし)】
登場人物が亡くなるとき、その場面を直接描かず、ナレーションで語ること。「らんまん」ではタキ(松坂慶子)がそうだった。「カムカムエヴリバディ」では金太や美登里などがナレ死している。「ナレ死」という言葉が流布したのは大河ドラマ「真田丸」(16年)と言われている。

関連語:新聞死

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第102回のレビュー}–

第102回のレビュー

ショック、田邊(要潤)が海で亡くなりました。
新聞記事はいつのものだったのか、新聞の日付を確認する描写が欲しかった。ただ、もっとあとの場面で、「これくらいの時期が一番空が青いんだよ」なんていうすてきなセリフがあります。説明的なセリフを極力入れたくないのでしょうね。

かなり近々の出来事のようで、波多野(前原滉)もやってきて情報をもたらします。
大学に電話をかけて波多野を呼び出したのでしょうか。

「大学が教授、殺したようなもんじゃない!」「これ、本当に事故!?」と藤丸(前原瑞樹)はいささか不用意な発言をします。藤丸は思ったことを口にする性分のようで、それは我々庶民の代弁でもあります。が、「これ、本当に事故?」のセリフはなかなかぶっこんできたなあと思います。

そのあとの、万太郎(神木隆之介)の目の動きの鋭さ。突如、ミステリードラマになったようでした。ふわんとしていてけっこう目つきが鋭い、それが神木隆之介さんの魅力のひとつのような気がします。ニノマエ最高(神木さんの当たり役のひとつ、「SPEC」の主要人物。特殊能力を使って犯罪を行っていく。無邪気に残酷なキャラ)。

「わからん ほんまのことは」と万太郎は田邊がそんなことする人ではないのは僕らはわかっていると。その言葉を肯定するように、長屋に訪ねてきた聡子(中田青渚)が、「生きようとされていたんですよ」と言います。うん、このドラマの流れを見ていたら、そうだろうなあと思えますし、思いたい。聡子との子供もできたのですから。

これからは「これで自由に旅ができる」と思っていた矢先ーーだからこそ悲しみが深い。
でも、植物学を万太郎に譲ったことを思うと、ほんとうのことはわからない。田邊は、自身が万太郎に会うつもりはなく、聡子に彼に会ったら植物学の蔵書を渡してほしいと託しているのですから。

人間はいろんな感情が何本もの糸のように絡まっていて、そこからいつなんどき何色の糸がひょっこり飛び出るかわからないもののようにおもいます。

万太郎は回り回って植物学の資料をたくさん手に入れることになります。

ニノマエだったら、SPECを使って田邊をーー でしょうね。

聡子は毅然と生きていこうとしています。経済的には困らないのだろうとは思いますが、大変そう。でも、ここで、寿恵子(浜辺美波)というお友達が生きてきます。長屋の人たちの助け合いも見て、こういう生き方もあるのだと知ったようです。これまでずっと、田邊の家のなかにひっそりとしまわれていた、いい意味の「人形の家」のようでしたが、これからは外へと出ていくのです。まずは、浅草へ、雷おこしを食べに。

田邊家は悲劇にあいましたが、槙野家も子供を亡くす悲劇を味わっています。みな、それぞれ悲しみを背負って生きてゆくのです。

寿恵子は家計の苦しさに耐えかね、ついに、長らく連絡をとっていなかった叔母・みえ(宮澤エマ)を訪ねます。ここから新展開がはじまりそうです。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第103回のレビュー}–

第103回のレビュー

新展開。
いよいよお金が心もとなくなった寿恵子(浜辺美波)は叔母・みえ(宮澤エマ)を訪ねます。
せっかく用意した高藤(伊礼彼方)の縁談を蹴った姪に、最初はぷんぷんしていたみえですが、すぐに親身になって話を聞いてくれます。意地悪過ぎる人はこのドラマのなかにはいません。

みえの家はものすごく豪華。料亭が繁盛しているのがわかります。
姉妹なのに、まつ(牧瀬里穂)とはまるで違う生活をしています。まつも、新橋の人気芸者だったときは派手だったけれど、妾になって慎ましく暮らしていたのでしょう。

万太郎(神木隆之介)のことをすごく買っていることを熱弁する寿恵子に、みえはただお金を貸すのではなく、仲居として働くように言います。
ちまちまと借りて返して、借りて返してではらちがあかないから、自分で稼ぐ才覚をもたせようという、みえの思いやりだと思います。

みえの料亭は、お金だけでなく、縁もできそうな場です。

みえの夫・笠崎太輔(遠山俊也)は「ここはご縁をつなぐ場所」「ときに政さえうちの座敷で動く」と言います。

さっそく、初日に、岩崎弥太郎の弟・岩崎弥之助(皆川猿時)が来店し、寿恵子に興味を持ちます。
寿恵子に、というか、寿恵子の母・まつーー伝説の芸妓・吉也の娘であることに注目するのです。
「おまんを通して吉也に会えた」という感激っぷり。
どんだけすごかったのでしょうか、まつは。映画「さくらん」みたいな華やかな時代の回想シーンをやってほしい。牧瀬里穂さん、絶対、綺麗だと思います。

浜辺美波さんも、華やかな背景のほうがお似合いな顔立ちです。第102回で、暗くおんぼろな長屋のなかで灯りがともったように艶やかな顔が浮き出ていて、浜辺さんの存在が、貧乏長屋暮らしのお話でも暗くさせないのだと感じたのですが、料亭のほうがやっぱりお似合い。「夢みたいなおなご」伝説の吉也の娘らしいです。

さて、岩崎弥太郎は三菱グループの創業者。下級武士の家に生まれながら、江戸から明治のパラダイムシフトによって、一代で実業家として財を成した人物です。時代が変わったことで恩恵を受けたというか、時代の波にうまく乗った人物です。

「らんまん」の第20週で、森有礼(橋本さとし)田邊(要潤)の関わり(癒着)が森の暗殺で絶たれ新たな関係性で政治が動くことが描かれていましたが、その一方で、組織に属さない万太郎の希望も描いていました。一代で道を切り開く可能性もあることを。それが第21週に繋がってくる、じつにうまい構成です。されど、やっぱり世の中、コネなのです。縁をつなぐ場と言ってますから、コネクションがなくては物事は進まないのが現実。岩崎家は土佐出身で、万太郎と同郷です。すばらしいマッチングです。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第104回のレビュー}–

第104回のレビュー

寿恵子(浜辺美波)は料亭・巳佐登で仲居として働き始めました。
そこには見たことのない世界が広がっていて、戸惑うばかり。

陸軍大佐・恩田(近藤公園)にお料理を出すように言われますが、顔と名前がわからず戸惑っていると(軍服着てると言われたのに着ていなかった)、仲居頭おマサ(原扶貴子)が代わりに料理を出し、心付けをもらいます(襟に入れてもらう)。これって寿恵子が恩田をわかって料理を出せば、寿恵子がもらえるはずだったものでは……。

マサは頼れる人なのか、信用できないのか、まだわかりません。第103回では、みえ(宮澤エマ)にはニコニコしていたけれど、寿恵子には「でしゃばるんじゃないよ」と厳しい言い方をしていました。意地悪っていうかこの世界のルールに則って生きていて、先輩後輩の上下関係に厳しいのでしょう。どこにいってもこんな感じで、暗黙のルールがあるわけです。芸能の世界はけっこうそのへん厳しいはず。まあ「らんまん」には無駄に意地悪な人はいないので大丈夫かと……。

寿恵子が急に料亭で働き始めたことを、家ではまだ知りません。
でかけたっきり帰って来ないと心配になりますよね。遅いなあと待っていて、眠れない子供たちが万太郎(神木隆之介)に本を読んでほしいとせがみます。

万太郎が行李を開けると「八犬伝」がない。
おじさんに貸した、と子供から聞き、質に出したと察します。

余談ですが、行李って便利です。なんでもしまえるし、そのまま荷物として送れるし。ちょっと重いのが難点ですが、現代でももっと見直すべきではないかと思います。

さて。ついに大事な「八犬伝」まで手放す(質なので返してもらう前提)ほど追い詰められた槙野家。だから、みえに助けを求めたわけで、地道に働くつもりでしたが、千載一遇、一攫千金のチャンスが巡ってきます。

岩崎弥之助(皆川猿時)が「菊づくし」をやって、誰彼問わず、これぞという菊をもってきて、一等になった者に500円を振る舞うと言うのです。「菊づくし」、なんだか、風雅な催しです。

菊を楽しむのは、重陽の節句(9月9日)。古代中国では、菊の花は不老長寿の力があると信じられていたため、重用の節句を「菊の節句」と言います。でも、「らんまん」では人気・芸者・菊千代(華優希)にちなみ、「孟冬の宴」で行おうとします。「孟冬」は冬のはじめです。
この日の宴会で演奏されていた曲は「老松」でした。松も丈夫な植物で、縁起のいいものとされています。

政治や商売を行う人達ですから、ことのほか縁起を担ぐのでしょう。

渋い話で、大河ドラマみたいになっていましたが、
夜遅く帰ってきた寿恵子を、高藤(伊礼彼方)のときのようなことにならないかと心配する万太郎。
寿恵子も、植物採集のとき、どこに泊まっているのかと気にします。世の中には、母親を好む人もいるという話も含め、お互いの浮気?を心配するふたり。意外と生々しい話ですが、ギスギスしないで、あくまで微笑ましいやりとりにしてしまうマジック。疲れて帰ってきた寿恵子を万太郎がちゃんと労うのは、令和的。

寿恵子は万太郎に、植物採集にいったら菊をとってきてほしいと頼みます。菊づくしに参加して500円ゲットできるかーー

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–{第105回のレビュー}–

第105回のレビュー

岩崎弥之助(皆川猿時)の発案で、菊づくしの宴が行われることになり、寿恵子(浜辺美波)万太郎(神木隆之介)に菊をとってきてくれないかと頼む。

「万ちゃんの土俵」が来た! と九兵衛(住田隆)りん(安藤玉恵)は盛り上げますが、「草花に優劣をつけるがは性にあわんけんど」とためらいながら「それが金になるがやったら」と引き受けます。

寿恵子が大事な「八犬伝」を質に入れたことが相当堪えたようで、「八犬伝」を二度と手放さないようにお金を作ることに協力しようとします。

たぶん、このあたりは、ドラマのオリジナルエピソードだと思いますが、単なる愛妻家だったり、善人だったりするのではなく、万太郎の心が動くのが、「八犬伝」という寿恵子にとっての初心にであることです。

万太郎が、子供の頃に、植物を見て心惹かれて、そのときの思いを失わずにやっているので、他者の初心に反応するのでしょう。田邊(要潤)に対してもそうだったと感じます。万太郎は常にあなたの心のど真ん中にあるものは何かを問いかけてくるのです(だから「草花に優劣をつけるがは性にあわんけんど」「それが金になるがやったら」と理想と現実がズレていてもそこは大目に見るしかないでしょう)。

万太郎の本質が、菊づくしのために採ってきた菊ノジギクに現れています。

菊づくしの宴はお料理も菊を模したものばかり。
宴たけなわ。菊の品評会がはじまります。
皆、めいめい、華やかな菊を持ってきて、美辞麗句で紹介しますが、寿恵子が持ってきたのは地味なノジギク。
「貧相」と軽んじられそうになりますが、弥之助は寿恵子の話に耳を傾けようとします。

寿恵子は万太郎の受け売りのノジギクの蘊蓄を語ります。
菊はもともと中国のもので日本で品種改良がされました。でも日本で自生し人の手の入っていない菊がある、それがノジギク。要するに野菊です。

日本の菊のオリジン。シダが植物の始祖にして永遠と田邊が言っていたことと同じ感覚です。そして、寿恵子のオリジンは「八犬伝」。
みんなの心にあるオリジンとはなにか。それを忘れていないか。

ノジギクは弥之助ほか偉い人たちの心にも刺さったようで、これは寿恵子が500円ゲットかと思いきや、優勝は、菊千代(華優希)の菊でした。

仲居頭マサ(原扶貴子)ははじめから菊千代に決まっていたと言い、自分はちゃっかり、心付けをがっぽり稼いでいました。

弥之助はやっぱり色恋優先なのか…と思わせて、300円でノジギクを買い取るとみえ(宮澤エマ)に申し出ます。もしかしたら、事前に語られていたように、この世界のしきたりで、芸者を立てたのかもしれません。無礼講の体(てい)でしたが、いきなりど新人の仲居が優勝するのは、いろんな人たちの手前、よろしくないでしょう。

弥之助の言う「昔の誰ぞを思い出す」の誰ぞとは誰でしょう。同じ土佐出身の坂本龍馬でしょうか。弥之助の兄・弥太郎は龍馬と関わりがあったとか。弥之助にとっても同郷ですから、幕末の風雲児には何かしら思いはありそうです。龍馬もまた、新しい時代を拓こうとしたオリジンのひとりなのです。

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–{第106回のレビュー}–

第106回のレビュー

第22週「オーギョーチ」(演出:小林直穀)は明治26年、万太郎(神木隆之介)徳永(田中哲司)に呼ばれ、助手として、7年ぶりに大学に復帰したところからはじまります。

植物学教室の面子は様変わりしていて、万太郎のことを皆知りません。が、万太郎は植物学の知識を発揮して、学生たちを圧倒します。

植物を見る鋭い眼、植物に関する論文をすべて把握している記憶力、それは唯一無二のもの。学生たちも「ムジナモ」を発見した人としてその名を聞くと、たちまち態度を変えました。

万太郎は、コツコツと植物採集を続け、全国の一般市民と交流し、情報を得るという地道なやり方を行っていましたが、7年の間に、植物学の状況は変わり、活性化し、万太郎のやり方は古びていました。

徳永はまるで、田邊(要潤)のようで、「勝ち負けなんだ」と、国家のために植物を研究しているのだと言います。「世界で最も知られた植物学者となってしまっている」と。
日本は新たなフェーズに入っていると徳永は言います。

期せずして万太郎が示した、日本人の特性である器用さ、緻密さを伸ばして、顕微鏡を使った解剖学で日本は世界に討って出ようとしている。この件について、田中哲司さんが長台詞を語ります。なめらかなで知性的な語り、さすがでした。

が、その語りのすばらしさはいいとして、徳永は変わってしまいました。上に立つと、責任を負って、
人間は変わらざるを得ないのでしょうか。あんなに文学を愛していた風雅な面のあった人が、勝ちにこだわるようになってしまった。権威というものはおそろしい。

違和感を覚える万太郎の前に、大窪(今野浩喜)が現れて、

「金につられて戻ってきやがってよう たかが月給15円じゃねえか」という。野宮(亀田佳明)は助手だがもっともらっていると伝えます。つまり、万太郎は軽んじられていることを自覚させるのです。

月給15円の価値は明治時代、どんな感じだったのでしょう。

明治23年、旧制中学の授業料12円(年額)、昭和19年、東京大学の授業料25円(年額)。小学校教員の初任給は明治30年で8円。巡査の初任給は明治24年で8円。公務員の初任給は明治27年で50円(週刊朝日編「明治大正昭和値段史年表」より)

小学校教員や巡査よりの初任給よりは高く、公務員よりは低い。それなりの実績のある万太郎にしては
安く見積もられたというところでしょうか。

野宮はいまや画工兼植物学者になっていました。波多野(前原滉)が興味を持ってきた顕微鏡でしか見えない世界を、野宮と波多野はみごとに実現したことは喜ばしいことです。
でも、その分、万太郎のやり方は時代遅れに。

万太郎を「古いんだよ」と一刀両断する大窪。
徳永が田邊化したように、万太郎もある面では田邊化したのです。それは時代に淘汰されたということです。因果は巡るもの……。でも、万太郎の場合、時代が変わっても価値観が変わっても、自分の信念を曲げないところが良さなのだと思います。

やさぐれた大窪はさらに意外な発言を……そして明日に「つづく」。最近、引きが強い終わり方が多いです。

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–{第107回のレビュー}–

第107回のレビュー

明治27年、日清戦争によって台湾が日本領になった年、大窪(今野浩喜)は非職となり、代わりに留学していた細田(渋谷謙人)が助教授となりました。

徳永(田中哲司)時代、田邊(要潤)の色をなくす一貫になったのか、いまの時代と彼の仕事が沿わなかっただけなのかは定かではありません。

徳永時代を思わせるのは、ドイツ語で挨拶がされることや、教授の部屋がドイツのグッズになっていることです。くるみ割り人形みたいなものが飾ってあります。

これまでの長い時間を無駄にしたとやさぐれる大窪に、無駄じゃないと説く万太郎(神木隆之介)

万太郎とふたりで研究したヤマトグサのことを「ひょろっちくてかわいいだけの」と言う大窪。「かわいいだけ」という表現に大窪の人柄が滲みます。

「なあ 昔言ってたよな 一生を捧げることで植物学に恩返ししたいって あれ考えてみたら傲慢の極みだな いつまでもてめえが役に立つとか」
(大窪)

大窪は、万太郎を皮肉りますが、万太郎は、時代が変わろうと、人の心が変わろうと、自分の信じた道を突き進むだけ。

ふつうだったら、万太郎のやってることを素晴らしいと讃える流れになるところですが、「傲慢の極み」と言うのです。世の流れに逆らい、自分の考えや行動を改めないということはある種、傲慢ともいえること。愚直と言い換えることもできる気がします。

大窪のモデルとされる大久保三郎も非職されその後は学校の先生になりますが、植物学を極めていくことはなかったようです。植物が好きで、地道に採集などをすることが好きだけれど、論文を書いて出世していく気持ちがなかったのかも。

ドラマの大窪もそんな感じなのかなと。モデルは東京都知事で子爵だった人物の子息で、大窪も家柄がよい設定。プレッシャーはありつつも、ガツガツはしていなかったのではないかと、筆者は想像します。とりたてて優秀ではなく、なかなか職につけず、植物学研究室にたどりついた人でもありますし、ガツガツ頑張っても自分がさほど上にいけるとも思っていなかったのではないでしょうか。広い世界にそういう人がいていいわけです。才能があって上に上にいける人ばかりではないですから。

それにしても今野さんの演技はかなりがらっぱちなキャラになっていて、アッパークラスの人というよりは、長屋のメンバーに近い庶民キャラ側にも見えますが、舞台で王様役も演じたこともあり、反転した面白さみたいなものを持っているのだとおもいます。

ドラマの大窪は、万太郎と植物研究した、唯一のキラキラした思い出を糧にして生きていくのでは。そういうことがひとつでもあれば人は生きていける、そんな気もします。

誰がなんと言おうと、どんな状況になろうと、マイペースな万太郎に、チャンス?が巡ってきます。
台湾の視察に参加する話がもちかけられました。
そこに現れたのは、寿恵子(浜辺美波)の職場の常連客・恩田(近藤公園)

同行してきた里中(いとうせいこう)と恩田がメガネとひげでかぶって見えますが、里中は胸ポケットに植物を入れていて、それによって個性を表していました。視察団のメンバーを選ぶ役目を任された里中。かつて、田邊に気をつかって万太郎に便宜がはかれないこともあった里中ですが、ここへ来てようやく便宜をはかってくれたのか。

さて。最近、料亭で大活躍の寿恵子。今日は、芸者が来るまで「八犬伝」をひとくさりして時間を稼ぎました。英雄の話を好む軍人に、勇ましい戦いの話をして喜ばれる。日本が戦に勝って景気もよく、上り調子であることがわかります。実に淡々と冷静に時代を見つめている物語です。

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–{第108回のレビュー}–

第108回のレビュー

万太郎(神木隆之介)が台湾視察団に推薦されたのは、里中(いとうせいこう)のはからいかと思いきや、岩崎弥之助(皆川猿時)の声がけでした。
皆、なぜ、万太郎に岩崎とのつながりが? とざわつきます。
結局は強力なコネがものをいう世界であることに変わりはないようです。

万太郎持ってる——。と盛り上がるかと思えば、そうでもなく。出発はすぐで、万太郎は台湾の言葉も学びたいし……と逡巡しますが、言葉は日本語でいいそうです。台湾は日本に統治されたからです。どうやらこれは喜ばしい話ではなく、不穏な話だという空気が漂ってきます。

里中は「世の中は変わったねえ」とつぶやきます。日本は戦争に勝って景気がよく、植物研究の予算も増えているが、その分、国のために成果を出さないといけないのだと悩ましげ。そういうことと万太郎は無縁であることを知っているので、無理強いはできないと思っているのでしょう。でも、里中は「君を選びたい」と言う。それはきっと、こんな状況だからこそ、万太郎に行ってほしいのかなと。

「おまえはもう個人じゃない」
(徳永)

徳永は、帝国大学は国家の機関に属する大学なんだから、国のために研究しないといけないと説き、
細田(渋谷謙人)は、留学先で日本人がどれだけ惨めか思い知らされたことを吐露します。徳永の表情にもそれが見えました。ふたりは、まざまざと世界における日本の地位の弱さを見せつけられてこのままではいけないと思って、変わってしまったのでしょうかね。

強くならないと潰されてしまう。だから強くなって、自分たちが相手を制圧していく。台湾で台湾語を
禁止し、日本語を押し付ける……。

明治になる前の江戸時代、徳川幕府によって日本では長らく戦争がなくなっていたけれど、鎖国を解いて、世界と繋がったら、戦う場を外に求めていくのです。

明治29年、万太郎は台湾へーー。万太郎はピストルを持っていけと言われ迷ったすえ、違うものをもって旅立ちます。

台湾につくなり、使ってはいけない台湾の言葉を使い、現地の案内人・陳志明(朝井大智)に挨拶をした万太郎は、台湾総督府役人(相樂孝仁)に咎められます。

陳は万太郎の台湾語に心をゆるすかと思いきや、何やら目つきがあやしくて……。

きなくさい雰囲気の回でしたが、ホッとするシーンもありました。万太郎が台湾に行くか悩んだとき、波多野(前原滉)野宮(亀田佳明)がイチョウの研究をしているのを手伝います。銀杏の小さな青い実を刃物で切り分けていく野宮の手付きに万太郎は感嘆します。

「一瞬を捉えるような手早さ」
(万太郎)

この言葉は、演劇人らしい言葉だと感じます。演劇は2時間くらいノンストップですが、ある一瞬、
画のように、これぞ!という瞬間があって。そのために稽古を続け、本番を続けているようなところがあります。作家はそういう瞬間を文字に刻もうとして、演出家はそれを三次元に立ち上げたときの瞬間を捕まえようと眼を凝らす。おそらく、植物学にもその一瞬がある。花が咲く瞬間、芽生える瞬間、遡って受精する瞬間。最も、生命がスパークする瞬間。好きなことに没頭している時も同じでしょう。

一瞬を作り出す仕組みを知りたくて、子供のときは懐中時計を分解したという思い出話に花を咲かせる3人。万太郎は第8回で懐中時計を分解していました。

【朝ドラ辞典2.0:分解】

子供の探究心を表現するために、大切なものを分解してしまうというエピソード。「べっぴんさん」では主人公が靴を、その孫がカメラを分解。「らんまん」では万太郎が懐中時計を分解した。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第109回のレビュー}–

第109回のレビュー

万太郎(神木隆之介)が台湾に行っている間に、虎鉄(濱田龍臣)が土佐からやって来ました。

万太郎が土佐で虎鉄に出会ってから10年、すっかり大人になった虎鉄は、遍路宿を妹に任せ、万太郎の助手になりに上京してきたのです。あいにく、万太郎は台湾出張中。

元気に植物採集しているかと思ったら、台湾で雨に打たれて倒れていました。
案内人の陳志明(朝井大智)が介抱しようとしているかと思えば、荷物を物色していて、やっぱりこの人、目つきがあやしかったぞ……と。でも、ピストルを持っていないことに驚き、寿恵子(浜辺美波)に持たされた植物図譜に注目します。

そのあとのことはぽーんっと飛んで、台湾行きから3ヶ月、万太郎は無事に台湾から帰って来ます。
もって帰って来たのがオーギョーチ。
それを使ったデザートはお菓子屋だった寿恵子の心を捉えます。

オーギョーチのゼリー、美味しいですよね。筆者も好物です。

寿恵子は折しも、みえ(宮澤エマ)の夫・太輔(遠山俊也)から渋谷の土地を買わないかという話を持ちかけられているところ。土地を買って商売をやってはどうかと勧められているので、渋谷でお菓子屋さんをやったらいいのに。オーギョーチを出す台湾カフェ的なものもいいですね。

ただ、当時、まだど田舎だった渋谷に店を持つというのは、かなりの冒険のようで……。

困惑する寿恵子に、みえは、万太郎の夢を叶えるんでしょ?と焚き付けます。

「だったらあんたも一緒に駆け上がってみなさいよ」
(みえ)

みえは、料亭を切り盛りしているだけあって、たくましい。みえ自身が、夫と一緒に駆け上がったという貫禄があります。

寿恵子も負けていません。キッとした目をします。このキッとした目については、8月25日(金)の「あさイチ」のプレミアムトークで神木さんが語っていました。ゲストが浜辺美波さんで、神木さんが浜辺さんについて語っていて、逆境にもどうしようではなくやってやるよっていう挑戦的な目つきができるところが現時点の魅力だと語っていました。

借金のお願いを万太郎がしたとき、「どうにかします!」という目がこわい。困ったという顔をしない。動揺しない。と語っていました。
確かにそうで。今回の、みえとの会話にも、迷いやためらいがなく、勝ちに行くという覚悟や自信の目です。

小柄で華奢だけど肝が据わっている寿恵子。
虎鉄に「槙野の家内です」と挨拶する言い方も堂々としていました。

ここからますます、寿恵子の冒険がはじまっていくのかも。

一方、クサ長屋に唯一残った、落語家の九兵衛(住田隆)は、万太郎の子どもたちに高座での姿がかっこいいと讃えられ、堂々と高座に向かったり、りん(安藤玉恵)は実は大家さんとおつきあいしているらしいことが判明したり、とそろそろ長屋ともお別れが近づいているように感じます。

さて。まだ台湾で万太郎が倒れたあと、どうやって回復したのかが語られていません。
ピストルを持ってなくて植物図譜を持っていたことが、案内人の心にどう作用したのかーー。

モデルの牧野富太郎は、台湾に行ったとき、ピストルを持っていったそうですが、なぜ、万太郎は持っていかなかったのかーー。

110回で明かされるでしょうか。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第110回のレビュー}–

第110回のレビュー

万太郎(神木隆之介)が台湾の森で熱を出して倒れたとき、村の人たちが差し入れてくれたオーギョーチのデザートを食べたことで生命をつなぎます。

彼がピストルを持っていないことで村の人達も安心したのでしょうか。村人たちは、万太郎の植物図譜を見てひととき交流します。

この村の人たちと日本人には、きょうだい伝説がありました。
昔、ツォウ族が、大洪水が起こったとき、二手に分かれて逃げ、一方はこの地に、一方は北東に向かいました。北東に行った日本人のことは「マーヤ」と呼ばれました。というもので、万太郎はマーヤではないかと、村人たちは親しみを覚えます。

台湾と日本に似たような植物もあり、遠く離れて、異なる民族のようでも、じつはルーツは同じかもしれない。

マーヤといえば「みつばちマーヤの冒険」というドイツの物語がありまして。日本ではアニメにもなっています。
みつばちの集団から飛び出したマーヤが外の世界で経験を積み成長する物語です。
万太郎も、集団がいやで外界に出て、多くの人達と出会い、成長してますから。みつばちは花から花へ蜜を得る代わりに受粉を手伝う役目をもっています。茶色い蜂と、万太郎の薄茶の衣裳が重なって見えます。

万太郎は、帰国後、台湾視察の報告書を書き、新種の植物・愛玉子(オーギョーチ)に台湾の呼び方から学名をつけますが、それが国に逆らっていると思われると、大学で睨まれます。

いまの状況を考えたら、怒られるに決まっています。でも、万太郎は「永久に留めるがです、学名として」とあえてやっていたのです。

「人間の欲望が大きゅうなりすぎて ささいなもんらが踏みにじられていく ほんじゃき わしは守りたい 植物学者として後の世まで守りたい」

「わしはどこまでも地べたを行きますき」

「人間の欲望に踏みにじられる前に すべての植物の名前を明らかにして そして図鑑に永久に刻む」

毅然と言う万太郎。
植物大好きな天真爛漫な人物から、自由を賭けて国家と戦う革命の人になっています。
その気配は、高知で自由民権運動に興味を持った頃から、ありましたけれど、ついに、万太郎の信念が明らかになった感じがします。たったひとりで国家に反旗を翻して大丈夫なんでしょうか。

一方、波多野(前原滉)野宮(亀田佳明)は、ついにイチョウの精虫を発見し、徳永(田中哲司)は
これでドイツを見返すことができるとむせび泣きます。
帝国大学は、万太郎とは違い、国家のために植物学をやっていますから、万太郎のやっていることは許容できるはずもありません。

万太郎も、どんな考えをもっても自由ですが、経済的に困窮して、雇ってもらっているにもかかわらず、自分の思想を貫こうとするのは、いかがなものか。こうなったらまた大学を出るしかないでしょう。

モデルの牧野万太郎がどれくらい、思想があったのか、わからないのですが、「らんまん」では民衆の自由と権利の話に寄せていて、自由であることや誠実であることには一切のブレがなく、それ以外のことは揺らいで見えます。

たとえば、野宮はいまや植物学者だと前に言われていたけれど、この回では野宮にはその自覚がない。また、徳永の情緒が不安定過ぎて、どう捉えていいかとてもわかりにくく描いています。田中哲司さんが演技巧者なので助かっていますが。その反面、波多野と野宮は、偉業をお互いの力であると気遣い合うところが徹底しています。虎鉄にも、自分の名前を植物につけてくれたと、わざわざ言わせています(第109回)。自由と平等と権利の保障という部分を口が酸っぱくなるほど描いています。

ドラマはあと1ヶ月、万太郎は国家の思惑をすり抜けて「人間の欲望に踏みにじられる前に すべての植物の名前を明らかにして そして図鑑に永久に刻む」ことができるでしょうか。

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–{第111回のレビュー}–

第111回のレビュー

去る者がいれば来る者がいます。

「らんまん」第23週「ヤマモモ」(演出:石川慎一郎)では、九兵衛(住田隆)が真打ちになって長屋を出ていくことになり、お別れに落語を披露しているところへ、綾(佐久間由衣)竹雄(志尊淳)が男女ふたりの子供を連れてやって来ました。

まくらを終えると羽織を脱ぐ、九兵衛。万太郎の娘・千歳(入江美月)が、九兵衛の羽織を脱ぐ姿をかっこいいと言っていた、その瞬間です。筆者は羽織を投げるのかと想像していたのですが、投げてはいなかったです。

綾と寿恵子(浜辺美波)がお茶を飲みながら語り合います。
万太郎の植物学者としての根っこがあって、それはーー

「深くて遠い澄み切った場所」
(寿恵子)

だと寿恵子は考えています。そこには、寿恵子は到達できない。でも、「そこから戻ってくると、(妻と子が)愛おしくてたまらないって顔をしている」と。

それを聞いて、綾は万太郎(神木隆之介)は幸せ者と言います。

いや、ほんとに。

この寿恵子の考え方は、捉えようによっては典型的な尽くし妻です。あるいは、尽くすことに依存する妻。悪い状況を美化して、酔っているようにも見えます。

寿恵子の場合、決して夫に食い尽くされていなくて、ボロボロになっていなくて、彼女自身がキラキラしているので、危険水位ではありません。目下、料亭で心付けもたくさんもらっていて、土地を買う可能性もあるくらいなので、むしろ逆行をすいすいと乗り越えてしまっているくらいで……。浜辺さんはどこか浮世離れした煌めきがあるので、貧しさに負けていない寿恵子にピッタリです。

一方、万太郎と竹雄も男同士、積もる話をしています。
コツコツと着実に植物図鑑の道を進む万太郎。その作業はあまりに膨大で緻密で、竹雄は健康を心配します。

なぜそんなに急ぐのか。「人間の欲望と」競い合っているのだと万太郎は答えます。
人間の欲望の肥大した形が戦争。それを台湾で目の当たりにした万太郎は、人間の欲望に奪われる前に、植物図鑑を作りあげたいと考えているのです。

ここへ来て、一層くっきりとしてきた反戦の意識。朝ドラでは珍しくはない色合いではあるものの、ウクライナ戦争が起こっている今の時代だと、これまで以上に身近に感じます。これまでの朝ドラは皆、戦争を過去のものという認識のもとで描かれてきたように感じます。それがいつの間にか、戦争を、現在あるいは未来の射程に入れる時代になってきているのです。まあ、過去だって、世界では戦争はなくなってなかったわけですが。

人を争わせる人間の欲望を、「らんまん」は大学の派閥争いで延々描いてきた。そんななかで、植物を解き明かしたい欲望や、美味しい食べ物やお酒を作りたい欲望だってあります。

竹雄と綾は、東京に来て、屋台をはじめました。綾はまだ酒造りを諦めたわけではないようです。寿恵子の買う予定の土地で、日本酒と蕎麦の店を出せばよさそう。こういう欲望は善の欲望。

ところで、竹雄が万太郎の健康を心配してましたが、万太郎が頑張りすぎて病気になったり亡くなってしまったりしないか心配になります。最終回まであと4週間!

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–{第112回のレビュー}–

第112回のレビュー

綾(佐久間由衣)竹雄(志尊淳)が屋台をはじめました。メニューは土佐料理で、それに合う酒も各種ご用意。土佐といえば、鰹。鰹出汁のきいた蕎麦で、花鰹をたっぷりまぶします。

落語の「時そば」では「鰹節をおごったな」という言葉がありますが、鰹をたっぷりまぶしたわけではなく鰹をたっぷり出汁に使ったということです。出汁といえば鰹、とはいえ、鰹節をたっぷりまぶすのは珍しい。そこが竹雄流なのでしょう。常識にとらわれない創作料理という感じです。

綾はまだ酒造りの夢を諦めてはいなくて、そこに藤丸(前原瑞樹)が関わってきます。彼は酒問屋の息子で、かつ、菌類に興味があることは前々から語られていました。ここでマッチングです。
これまでずっとくすぶってきた藤丸の夢がようやく動き出す予感です。

「おれのこれまでの時間なんにもなかったとは思いたくない。おれだって何か果たしたくて」
(藤丸)

竹雄が戻ってきて万太郎はにっこにこ。それを少し嫉妬する虎鉄(濱田龍臣)寿恵子(浜辺美波)
竹雄が万太郎の助手の一代目。寿恵子は二代目。虎鉄は三代目としてはりきります。

虎鉄も目下、夢や希望に満ちあふれている。

綾たちの屋台を中心にみんなに希望がーーと思いきや、悲喜こもごもで。

寿恵子の場合、「わたしはきっともう万太郎さんと一緒に日本中を歩くことなんて無理かな」と諦め気味。子供もたくさん(また妊娠中)いるので子育てしないとなりませんから(でもそれがいやなわけでもありません)。

万太郎は波多野(前原滉)から、不穏な話を耳にします。
野宮(亀田佳明)がイチョウの精虫の発見をしたことが、世界中から疑われていると。
第一発見者が野宮であることを認めないという大学に、波多野は抗いますが、農科大学の教授になるので、立場上、苦しい。「僕は野宮さんを見捨てたんだ」と肩を落とします。大学で上に行こうとすると、みんな、何か大事なことを捨てることになるのか、と暗澹たる気持ちになります。

せっかく屋台で楽しそうな話になったと思ったら、まだずーーんと重たい話に。
ただし、ドラマの構成上は、波多野の話のあとに藤丸の話が来るので、ずーんとなったあと、明るい希望があって、同じ時、違う場所から、みんなが月を見ることで、重さが緩和されています。

最終的に、万太郎が月を見ながら、野宮のことを深く思うところで終わります。

太陽と月のたとえは擦られ過ぎて使うのをためらいますが、最もわかりやすいので仕方ありません。月を見ながら野宮を思うとなると、これはどうしても、野宮が「月」に例えられているように思います。太陽は、学歴社会など、世間のルールに沿った人たちで、月は、正当なルールから外れているけれど、美しく輝く生き方をしている人たち。

この回、月を見ていた人たちは、月のように密かに慎ましく、自分を信じて、美しく生きている人たちです。彼らに祝福がありますように。

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–{第113回のレビュー}–

第113回のレビュー

「あなたは去るべき人じゃない」

万太郎(神木隆之介)野宮(亀田佳明)が辞めると聞いて、引き止めますが、野宮はもう辞表を出し、心を決めていました。

野宮が、大学で不当な扱いを受けたのは、田邊(要潤)派であったからかもしれません。もともと田邊に呼ばれて画工をやっていたので、田邊の色を一掃するなら、大窪(今野浩喜)よりも野宮でしょう。そのわりに、長く残っていたのは、目立った理由がなかったからでしょうか。イチョウの精虫の発見で、目立ってしまったのがいけなかったのか。結局、この手の派閥争いは、どっちが威張れるか勝負なので、目立つ人を排除しようとするわけです。

野宮は田邊が非職になったときに辞めるべきだったが、波多野(前原滉)の情熱に影響されて、画家から植物学研究者になってしまったのです。

西洋絵画に興味を持っていた野宮が、偶然の出会いから、未知なるミクロの世界に到達した。それはそれは胸躍る体験だったことでしょう。

野宮は出世したいわけではないので、偉業を達成したから満足して大学を去るのです。お別れに、万太郎の家を訪ね、槙野家の家族の肖像を描きます。絵を描くという初心に戻るのです。それにしても野宮の字はきれいでした。

そのとき、万太郎が亡き園子の描いた花の絵を持っていることに、泣けました。万太郎の描いた似顔絵ではないんですよね。「野宮さんお上手じゃないですか わしと違って」と万太郎が言うのが彼の絵を思い出して笑えます。

この頃はまだ写真は高価なものだったのでしょうか。
「値段史年表」(週刊朝日編)によると、明治38年で、名刺判サイズの北海道地区の写真館での金額は70銭〜1円20銭だそうです。
渋谷の土地も買えるのだから、1枚くらい撮影できそうですが、万太郎の家にはなぜか結婚式の写真以外はありません。

渋谷の土地を買い、野宮から教えてもらった新しい印刷技術で、図鑑を作ろうと夢いっぱいの万太郎と寿恵子(浜辺美波)。5000円、お金を貯めなきゃと張り切る寿恵子。5000円!(驚愕)

商いを新しい冒険と考える寿恵子。叔母のみえ(宮澤エマ)に影響を受けたようですが、母のまつ(牧瀬里穂)も商いをやっていたから、母の影響もあると思われます。寿恵子の家系の女性たちは冒険する人たちなのでしょう。

寿恵子の燃える情熱に、「南総里見八犬伝」の牡丹の痣と光る玉を重ねあわせる万太郎。冒険者同士、わかりあっています。
「体だけは大事に」と万太郎は心配します。そこだけ切り取ると優しい夫ですが、言うだけで、家計は寿恵子に頼りっきりなんですよね……。

そして、いよいよ寿恵子が渋谷の道玄坂に向かいます。

見たことのない土地ーー。

そこに犬が出てくるのは、渋谷といえばハチ公だから?
ハチ公が渋谷のレジェンドになるのは、まだ先。大正後期から昭和初期の話です。なんと、2023年11月、ハチ公生誕100年を迎えるそうで(関東大震災の年に生まれたんですね)、いま渋谷では「HACHI100プロジェクト」が始動しているそうです。

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–{第114回のレビュー}–

第114回のレビュー

明治30年、9月。冒険心にあふれる寿恵子(浜辺美波)はひとり、渋谷に降り立ちます。
りん(安藤玉恵)が「あんなとこ子供を連れていくところじゃないよ」と、赤子を預かってくれてよかった。

目的地である道玄坂の空き家の周辺は、たいそう荒れ果てて、どぶが掃除されていなくて藪蚊がうようよ。想像しただけで身の毛のよだつような場所でした(ドラマではあっさり描いていますが、かなりワイルドな場所であるはず)。

こんなところに免疫の少ない赤子を連れていったら菌にやられてしまいそう。蚊にさされたら大変です。

寿恵子がひとりで行くのもどうかと思います。路地裏に、酔った男・荒谷佐太郎(芹澤興人)がいて、あやしいのなんの。襲われてもおかしくありません。
でも、寿恵子はしゃがんで、佐太郎に道を聞きます。いや、ふつう、話しかけない。

でもそこは「らんまん」。ソフトになっていて、佐太郎は親切な人でした。
演じている芹澤さんは「鎌倉殿の13人」でも誠実ないい人の役だったので、視聴者的にも悪い人じゃないという先入観があったかもしれません。
ちなみに、渋谷は、「鎌倉殿〜」でおなじみの和田義盛にゆかりのある人物が山賊として暴れていたとか。佐太郎も鎌倉から流れてきた人の子孫だったりして。

佐太郎の家は、母?祖母?カネ(梅沢昌代)が飯屋をやっていて、寿恵子はおにぎりを買って帰ります。

こんな水が淀んだような場所で、耳の遠い、反応のやや鈍いおばあさんの作ったおにぎりはやばいのでは……と視聴者誰もが思うでしょうけれど、結果は美味しいおにぎりでした。決めつけ、偏見はいけません。

長屋に帰ってきた寿恵子は、りんと、れんこんを焼きながら

りん「木の芽ってなんの芽?」
寿恵子「確かに」

なんておしゃべり。

「確かに」という相槌は明治時代にあったかわかりません。ちょっと現代用語ぽいですが、「らんまん」では時々、あえて、現代語を混ぜているように思います。そうやって、若い世代にも親近感をもたせようとしているのかも。

りんと寿恵子のおしゃべりのなかに、今後のヒントがつまっている気がします。
荒れ果てた土地をどうするか。みんなで協力して建て直していく。
根津界隈も何度も焼き討ちにあったが、そのたび、みんなで建て直した。
渋谷にも可能性がある。

寿恵子は、万太郎(神木隆之介)の影響で、まず、渋谷を観察しようと考えます。万太郎と一緒に横倉山をフィールドワークしたことを思い出し、渋谷を自分の横倉山として観察しようと考えます。
ラストは寿恵子の瞳のアップ。犯人がわかっちゃう、推理ものみたい。

江戸が日本の中心になる前、江戸は湿地帯で荒野でした。日比谷あたりは海が迫っていて、海を埋め立てて開発されましたが、もっと内陸ーー渋谷のほうはまだ荒れ野原だったのです。

もともと、谷なので、いまだに雨が降るととんでもなく増水します。意外と不便な危険地帯が、いまや、ファッションや文化の中心地のようになっています。

渋谷の発展のはじまりに、寿恵子が関わりそうでワクワクします。

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–{第115回のレビュー}–

第115回のレビュー

寿恵子(浜辺美波)の”大一番”。

万太郎(神木隆之介)を真似して、渋谷の街をくまなく探索し、地形を把握、街の人達の話も聞いて、地図まで作ります。この地図がものすごくよくできていて。寿恵子の才能を感じます。家庭におさまる器ではない。只者じゃないですよ。これはもうヒロインの器ですよ。

寿恵子は渋谷のポテンシャルを発見し、120円で空き家を買い、待合茶屋を開店することを決意。

万太郎が2ヶ月ぶりに、植物採集から疲れて帰ってきた晩、「今夜はお疲れですか」と相談します。

さっそく万太郎や虎鉄(濵田龍臣)や子供たち総動員で家のまわりを掃除してきれいにして、近所の人たちをお食事会に招き、挨拶します。

招いた場所はどこ? 渋谷のお店をどこか借りた? 新橋の料亭・巳佐登 に呼んだ? と一瞬わかりにくいのですが、あっという間に空き家の一室をきれいに(現代の言葉でいえばリノベーション)したようです。玄関にはぼろぼろの障子が立てかけてありました。朝ドラあるある展開早い。

寿恵子は、はじめましての方々に、いきなり、あれしよう、これしようとか、あれしてください、これさせてくださいとぐいぐい言い出すのではなく、「妄想」のお誘いからはじめます。

妄想なら、現実ではなく、気軽にアイデアを語れます。

「渋谷はあぶれ者のふきだまり。だからこそ誰のことも受け入れられる懐の深い土地です」
(寿恵子)

この街を活性化する妄想を繰り広げ、楽しい雰囲気になったところで、名を名乗り、待合茶屋をはじめるご挨拶。

名乗るのは最初がいいと思いますが、寿恵子の毅然とした態度と、妄想話でリラックスした人たちは、寿恵子を受け入れるしかなくなっています。さすが、まつ(牧瀬里穂)みえ(宮澤エマ)の血を引いた商売人だなあ〜。お店の内装も、壁の色などが根津の白梅堂のようでした。

お食事のメニューは、渋谷で知った珍しいものーーボーロとかおにぎりを取り入れています。

あれよあれよという間にお店が完成し、通の人だけが知る新たな店になっていて、巳佐登の常連・相島圭一(森岡龍)小林一三(海宝直人)を連れてきます。きっと岩崎(皆川猿時)も真っ先に来たのだろうなあ…とひと妄想(党派性を批評する表現が目立つわりに、主人公たちにコネがあるものだから、矛盾を感じるのですが、現実ってわりとそんなもの)。

店の名は「やまもも」。高知から取り寄せたやまももの木が、守り神として植えてあります。これは万太郎のアイデア。

渋谷編、新たなメンバーは、とよ香(入山法子)葉月(実咲凛音)、弘法の湯の主人・佐藤弘(井上順)

万太郎のモデルの牧野富太郎は家族で円山町あたりに住んでいたそうです。やまもものある場所は、地図を見ると、百軒店あたりでしょうか。

ちなみに、渋谷の金王八幡宮といえば、松本幸四郎さんが「渋谷金王丸伝説」というカブキ踊りをつくって渋谷のホールで上演しています。

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–{第116回のレビュー}–

第116回のレビュー

第24週「ツチトリモチ」(演出:廻田博思、深川貴志)、演出がふたり体制になるとドラマも終盤です。若手が先輩について演出するのです。

「らんまん」もあと3週間で、万太郎(神木隆之介)の悲願の植物図鑑がいよいよ完成間近となり、心、穏やかではいられません。

これまでは猪突猛進してきた万太郎ですが、ふと立ち止まって、この国の多くの人が喜んでくれるか、考えます。

万太郎のためにがんばっている寿恵子(浜辺美波)に報うためにも、愛される図鑑を作りたいと思うのです。

寿恵子が渋谷に作った待合茶屋・山桃には、相島圭一(森岡龍)小林一三(海宝直人)を連れてやってきました。

新橋や赤坂ではできない秘密の話ができることを売りにしていることがさすがです。

ただ、それだけではなく、ちゃんと美味しい食事も出す。寿恵子は腕のいい仕出し料理屋とつながって、客の食べたいものを用意します。

現実的に考えたら、その場で食べたいものを言われても、食材が揃うとは限らないでしょうし。ここはファンタジーだと感じますが、料理屋の話ではなく、あくまでも万太郎の植物研究の話なので、さておきましょう。

寿恵子は弘法湯の下男・迅助(武井壮)の空き時間、仕出しの注文を手伝ってもらいます。
注文表を預かってさっと駆け出す武井壮さんの動きが一瞬でしたが、飛脚のように健脚そうに見えました。名前が「迅」だけに迅速です。

寿恵子はさらに、飲んだくれの荒谷佐太郎(芹澤興人)にも目をつけます。彼はじつは腕のいい料理人で、おかかのおにぎりがちゃんと丁寧に調理されていたのは彼の腕だったのです。相島の変わった注文・オランダなますの調理は彼が担当したようです。

佐太郎が飲んだくれて諦め気分である理由も、セリフで語られていました。なかなかヘヴィーな話のようであります。

うらぶれ気味の渋谷の人々に、仕事を提供し、ウィンウィン(日本語でいえば「持ちつ持たれつ」?)の関係を作り出す寿恵子。なかなかの才覚です。

新橋の料亭からはフミ(那須凛)が助っ人で入ります。彼女は、すでに出来上がった大富豪よりもこれからの大富豪候補に期待をかける目端のきいた人物です。元々、水商売を生業にする人たちですから、たくましい。寿恵子も、母や叔母が水商売の人ですから、どこか通じあっているものを漂わせます。
「そそるのよ」「お行儀よくね」という会話にその感じがよく出ています。

美味しい料理を食べながら、未来の鉄道事業について語り合う小林と相島。

小林一三は、今年生誕150年を迎える大実業家で、阪急阪神東宝グループの創業者であり、宝塚や東宝というエンタメを生みだした人でもあります。演じている海宝さんは劇団四季出身で、東宝ミュージカルに多く出演しています。

小林は郊外の安い土地を住宅地にして鉄道を敷こうと構想していて、相島に「この渋谷にはあなたが降り立てばいい」と焚き付けます。

小林はこの後、関西に出て阪急をつくり、東京では日比谷の発展に寄与するわけですが、歴史的には渋谷には東急が開通し、東急の創業者とされているのは、五島慶太という人物です。1922年(大正11年)、東急グループの前身である目黒蒲田電鉄を創立し(昨年創業100周年でした)、1932年(昭和2年)東横線渋谷~桜木町間全線を開通します。「島」つながりで、相島のモデルは五島でしょうか。

じつは、目黒蒲田電鉄の母体は大河ドラマ「青天を衝け」でおなじみの渋沢栄一であり、小林一三も関わっていました。この鉄道物語は別途、大河か朝ドラ化してほしいです。

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–{第117回のレビュー}–

第117回のレビュー

5年が経過して……とすると明治35年?(寿恵子が渋谷に降り立ったのが30年)、万太郎(神木隆之介)がだいぶ渋い人になりました。

波多野(前原滉)なんてかなり白髪まじりになって、教授になると苦労が絶えないことを感じさせます。綾(佐久間由衣)と竹雄(志尊淳)の屋台・樽桶で、田邊(要潤)の気持ちがわかるとぼやきます。

でも波多野は、大学に出入りしている藤丸(前原瑞樹)のことを周囲が何か言っても僕が何も言わせないと毅然とした意思を見せます。すばらしい。まあ、田邊も最初のうちは万太郎をかばっていたのだと思いますが。

藤丸の研究により、女性が腐造の原因ではないことが立証されて、綾は長年の苦しみから解き放たれました。

「みんな進みゆうのう」と万太郎はしみじみします。

家に帰ると、南方熊楠なる人物から長文の手紙が来ていて(万太郎いわく「ほとばしっとるのう」)、新種に学名をつけたという内容でした。

虎鉄(濵田龍臣)は、「わし、この人はちっと……」「このかたの態度は……」と嫌悪感をあらわにしますが、万太郎は「恒星みたいじゃ」と南方熊楠の出現を喜びます。熊楠の情熱と傍若無人っぷりは昔の万太郎みたいでもあります。万太郎が昔のわしもそうだったと気づいたかはわかりませんが。

南方熊楠は博覧強記の博物学者。万太郎のモデルの牧野富太郎以上の型破りなレジェンドです。実際に、牧野と熊楠は会っていたのでしょうか。

対面はかなわなかったものの、ドラマのように書簡での交流はあったそうです(白浜町の南方熊楠記念館で、ふたりの関係性を題材にした特別展が10月9日まで開催中)。

そうかと思えば、熊楠が送ってきた「ハチク」。120年に一度くらいの周期で花が咲き、そのあと枯れてしまうと言われていますが、なにぶん、120年に一度の出来事なものではっきりした生態がわからないでいたところ、2020年、120年ぶりに東広島市内でハチクが開花し、広島大学のチームが3年かけて研究した結果、やはり枯れてしまったと発表されました。ただ、花が咲いたら一斉に枯れることは確認できたものの、一斉に枯れてもハチクが絶滅しない理由等々、まだ謎はとけないのだとか。神秘ですねえ。

ちょうど、120年前というと「らんまん」の時代です(2023年の120年前は1903年、明治35年だと1902年)。今年の5月、熊楠が牧野に送った標本のなかにハチクが含まれていたというニュースが報道されました(朝日新聞デジタル5月12日の記事より)。第117回のエピソードはこのニュースをもとに描かれたのかなと推察します。熊楠の標本に「明治36年」とあり、1903年、ちょうど120年前です。

ものごとには周期があり、繰り返されます。波多野が田邊の心情を身をもって体験したり、万太郎の前に燃える新星が現れたりと、繰り返されるのです。が、そのつど、検証し、お酒の迷信が破られるように、少しずつアップデートしていくのです。未来は、よりよい方向へと進化していく。

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–{第118回のレビュー}–

第118回のレビュー

夜、寿恵子(浜辺美波)が仕事から帰宅すると、万太郎(神木隆之介)が外に寝そべって星を見ながら、南方熊楠の論文を読んでいました。

モデルの牧野富太郎の妻は、渋谷に店を持つにあたり別居していたそうですが、寿恵子は通いです。夜遅く、どうやって帰って来ているのか。人力車でしょうか。牧野富太郎は、下宿から帝国大学まで人力車で通うという贅沢をしていたそうですが、ドラマでは寿恵子がそうなのかもしれません。想像でしかありませんが、待合茶屋、繁盛してそうなので、問題ないのでしょう。

寿恵子は万太郎の肩にもたれて空を見上げ、植物図鑑に思いを馳せます。寿恵子は色っぽさもあり、強さもある人です。商売人の女性という感じ。

万太郎は、南方熊楠の送ってきたハチクの標本を見せます。120年に一度花が咲き、そして枯れてしまうのだと聞いた寿恵子は、吉兆なのか凶兆なのか、とこわがります。強そうなのに、こういうことには繊細なのです。

万太郎は「人の世に異変が起きるとき竹の花が咲く」と言い、寿恵子は花の咲いた標本の日付が先月であることに気づきます(明治36年6月)。「花が咲いたんですね」と怯える寿恵子。翌年、1904年、日露戦争が起きて、日本は軍需景気で活気づき、鉄道の電化がはじまり、渋谷も賑わっていきます。
渋谷にも電柱が立って、明るくなりますが、その傍らで伐採された切り株のことを、寿恵子は慮るのです。さすが、植物学者の妻。

万太郎のほうでも、野宮(亀田佳明)から手紙が来て、そこには南方熊楠が、森がなくなる神社の合祀を反対している、万太郎にも協力を仰ぎたい旨が書かれていて、心を動かします。

第117回で、「ハチク」の標本が出てきたので、先走って、下記のレビューを書きました。

そうかと思えば、熊楠が送ってきた「ハチク」。120年に一度くらいの周期で花が咲き、そのあと枯れてしまうと言われていますが、なにぶん、120年に一度の出来事なものではっきりした生態がわからないでいたところ、2020年、120年ぶりに東広島市内でハチクが開花し、広島大学のチームが3年かけて研究した結果、やはり枯れてしまったと発表されました。ただ、花が咲いたら一斉に枯れることは確認できたものの、一斉に枯れてもハチクが絶滅しない理由等々、まだ謎はとけないのだとか。神秘ですねえ。ちょうど、120年前というと「らんまん」の時代です(2023年の120年前は1903年、明治35年だと1902年)。今年の5月、熊楠が牧野に送った標本のなかにハチクが含まれていたというニュースが報道されました(朝日新聞デジタル5月12日の記事より)。第117回のエピソードはこのニュースをもとに描かれたのかなと推察します。熊楠の標本に「明治36年」とあり、1903年、ちょうど120年前です。

が、ハチクの件は第118回で手厚く描写され、タイミングを間違えたと反省しました。
117回で、「5年後」と、正確な年号が出てこなかったのも、第118回で、日付を強調するためだったようです。このように、その瞬間、すべてを描くのではなく、あとの劇的効果を狙った構成というものがあるので、なんでもかんでもその瞬間に判断すべきではないのです。

なので、この回、土佐出身の”ハヤカワ”という人物の名前が出てきましたが、それについては先の展開を待とうと思います。

ハチクは、世の中が変わっていくことの象徴です。コロナ禍が起こった2020年に花が咲いたというのは、まさに死と再生の象徴ではないかとどきどきします。

神社の合祀によって神社の森がなくなってしまう事態も、最近、話題の、明治神宮外苑地区の再開発に伴う樹木の伐採計画を思わせます。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第119回のレビュー}–

第119回のレビュー

最終回を前に、南方熊楠、早川逸馬(宮野真守)資産家・永守徹(中川大志)と、続々と重要人物が登場してきます。

南方熊楠の神社合祀反対活動に興味を示す万太郎(神木隆之介)に、徳永(田中哲司)は「深入りするんじゃない」と釘を刺します。

大学は今度は満洲に植物調査に行く予定なので、その予算を国に出してもらうためには国の機嫌を損なうわけにはいかないのです。

なぜ、満洲なのか。日露戦争で満洲が戦場になっていたからでしょう。台湾のように日本が進出していくのに、植物調査も利用されていたのかも? 現地の様子を知る手がかりになりますから。

「すべてが失われる前に、君に託します」と野宮(亀田佳明)から手紙をもらった万太郎ですが、
徳永には「私もこれ以上はかばえない」「だからもう目立つな」と言われ、悩みます。

「すべてが失われる前に」というのは神社の周辺の森林が……という意味でしょうけれど、もっと意味が隠されているようにも感じます。

と感じるのは、その後、渋谷の山桃に、早川逸馬が渋谷開発のための商談に呼ばれてやって来て、寿恵子(浜辺美波)の夫が万太郎であることを知って、再会したときのセリフからです。

「自由とは己の利を奪うことじゃない、それやったら奪われたがわは痛みを忘れんき 憎しみが憎しみを呼んで行くところまで行くしかのうなる」
(逸馬)

自由民権運動を警察に咎められ逮捕され拷問された早川逸馬は、無事生き延びていました。でも、かつて自由のために戦っていたけれど「また戦いの世になってしまった」と嘆いています。そして、上記の言葉を語ります。

戦争や開拓、己の利ばかり求めて、人間は前進し、大きくなっていこうとします。神社合祀もその一環でしょう。誰かの利のために、そこで生きてきたものが損なわれてしまう。それでいいのか。

終わりに来て逸馬が出てきたのは、万太郎の初心の確認でしょう。なぜ、植物学をやっているのか、その根本がぐらついていないか、それを問うために、天が逸馬をよこしたのでしょう。

「あなたが人生でひとつだけ選ぶものはなにか」
(逸馬)

地位も名誉も関係ない、ただ、世にある植物を等しく紹介したい。でもその純粋な思いはなかなか通りません。どうしても地位や関係性に縛られてしまいます。そこで、逸馬は、資産家・永守を万太郎に紹介し、いよいよ植物図鑑出版の道が開けてきました。

ご都合主義ぽい展開のようにも思えますが、万太郎がたったひとつのことだけやってきた、それが実を結ぶという寓話なのです。

話を戻します。徳永は、留学から帰ってから人が変わったようにドライな人になったかと思いきや、やっぱり万太郎を守っているようで。

大学に勤める者の妻が水商売をやっていることが由々しき事態であるという意見が出ても、抑えているようです。この件は、モデルの牧野富太郎も実際、指摘されていたそうです。

社会に出ると、徳永みたいに、その時、その場での適正を考えて行動している人が時々います。田邊(要潤)のように偏りがなく、バランスをとっている、世渡り上手です。


※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第120回のレビュー}–

第120回のレビュー

最終回かと思った。朝ドラあるあるですが、まだあと2週間あります。

いきなり降って湧いたような援助の話。資産家・永守徹(中川大志)が叔父から莫大な遺産を継いだので、それを万太郎(神木隆之介)の図鑑に出資すると言うのです。なんだったら博物館も作ろうと。

個人への投資というよりは貴重な植物の標本の散逸を防ぎたいという思いからでした。

そしてもうひとつ、陸軍に行く前に遺産を正しく使いたいという思いも。

すると万太郎は、兵役から帰ってくるまで待つと答えます。

万太郎のモデルの牧野富太郎も、資産家から投資をしてもらっています。大正5年、かなり経済的に困窮し、大事な標本を海外に売ってお金を作ろうとしたことがあり、そのとき、新聞広告を出して窮状を救ってもらおうとしたそうです。そこで手を差し伸べてくれたのが、池長孟という人物。神戸の美術コレクター。二万だか三万円だかを出資してくれたうえ、亡くなった父(叔父の養子になっていた)のもっていた建物に標本を収蔵し、池長植物研究所をつくりました。

池長の援助は長続きせず、やがて途切れたそうです。なんで途切れたのか、牧野の自叙伝には触れていません。自叙伝の性質上、仕方ないとはいえ、牧野の自叙伝は一部曖昧で歯切れが悪いところがあります。それはさておき。永守という人物は「らんまん」のオリジナル人物。大正より前、明治に登場し、陸軍に入る=戦争に行くーー「人の命には限りがある」と憂う役割です。

自分の命がある前に、文化的に重要な資料を萬集しておきたいと考える永守に、未来の希望ーー帰ってきたら植物図鑑や博物館に手をつけると万太郎は言うのです。つまり、永守に、生きろ、という。彼の名前が、永く、守る であることが印象的です。

その頃、綾(佐久間由衣)竹雄(志尊淳)藤丸(前原瑞樹)は沼津で酒蔵をはじめるため東京を出ることになります。

別れを惜しむ、藤丸と波多野(前原滉)。波多野はうさぎ柄の手ぬぐいを餞別に藤丸に渡しますが、下手だなあと藤丸はからかいます。照れ隠しに言っているのは明白なのですが、新品ではなく使用感のあるもので、なんで? 藤丸を思って作って使っていたものを、渡したの? という疑問が……。

でもそれは次の場面で解消します。万太郎と寿恵子と綾と竹雄の別れの食事のシーンでは、万太郎が竹雄に酒をこぼしたとき渡した手ぬぐいが峰屋のものでした。故郷の思い出をずっと、持っていたのです。峯と染め抜かれた文字だけで、万太郎と竹雄の生きてきた時間がわかります。

手ぬぐいという小道具で、二組の友情を描いた。そこに意味があります。

竹雄は、万太郎のこれまでの生き方を振り返り、肯定します。

万太郎は、南方熊楠の手紙を読んで熊野に行って、ツチトリモチを採集してきました。森が伐採されるとこの植物は居場所がなくなってしまう。万太郎は国立大学に勤めていながら国の政策に反対しようと考えます。モデルの牧野富太郎の自伝からは思想な発言がほとんど見られないですが(自由民権運動に参加したこともさらっとしか書いていない)、「らんまん」はかなり強い意思で権力への抵抗を書いていることを感じます。

資料散逸しないように博物館を作ろうという話は、先日、話題になった国立科学博物館のクラファンを思わせます。森林伐採といい、明治の物語がなぜかとても令和と重なっています。

「小さい神様が消えていくゆうがを見逃すより 手を差し伸べるおまんがえい」
(竹雄)


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–{「らんまん」作品情報}–

「らんまん」作品情報

放送予定
2023年4月3日(月)より放送開始


長田育恵

音楽
阿部海太郎

主題歌
あいみょん「愛の花」

語り
宮﨑あおい

出演
神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣、笠松将、中村里帆、島崎和歌子、寺脇康文、広末涼子、松坂慶子、牧瀬里穂、宮澤エマ、池内万作、大東駿介、成海璃子、池田鉄洋、安藤玉恵、山谷花純、中村蒼、田辺誠一、いとうせいこう ほか

植物監修
田中伸幸

制作統括
松川博敬

プロデューサー
板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久

演出
渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか