<らんまん・植物学者編>16週~20週までの解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】

続・朝ドライフ

「木俣冬の続・朝ドライフ」連載一覧はこちら

2023年4月3日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。

「日本の植物学の父」と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。激動の時代の中、植物を愛して夢に突き進む主人公・槙野万太郎を神木隆之介、その妻・寿恵子を浜辺美波が演じる。

CINEMAS+ではライター・木俣冬による連載「続・朝ドライフ」で毎回感想を記しているが、本記事では、万太郎が苦難に見舞われながらも植物学者の道を進む16週~20週までの記事を集約。1記事で感想を読むことができる。

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もくじ

・第76回のレビュー

・第77回のレビュー

・第78回のレビュー

・第79回のレビュー

・第80回のレビュー

・第81回のレビュー

・第82回のレビュー

・第83回のレビュー

・第84回のレビュー

・第85回のレビュー

・第86回のレビュー

・第87回のレビュー

・第88回のレビュー

・第89回のレビュー

・第90回のレビュー

・第91回のレビュー

・第92回のレビュー

・第93回のレビュー

第94回のレビュー

・第95回のレビュー

・第96回のレビュー

・第97回のレビュー

・第98回のレビュー

・第99回のレビュー

・第100回のレビュー

・「らんまん」作品情報

第76回のレビュー

三連休の最終日、月曜日から、ずいぶんと辛気臭い話からはじまったものです。藤丸(前原瑞樹)の「こんなに執念深い人たちが世界中にひしめいてて」という言葉に胸がしめつけられました。

第16週「コオロギラン」(演出:津田順子)は、万太郎(神木隆之介)大窪(今野浩喜)が日本ではじめて植物に学名をつけた喜びと、田邊(要潤)が悲願のトガクシソウの発表を伊藤孝光(落合モトキ)に先んじられた悲しみからはじまります。

「伊藤家の執念だな」と徳永(田中哲司)は冷静です。
「これが学者の世界だ 新種の発表は一刻を争う」とも。だからこそ、万太郎たちのヤマトグサは快挙なのです。

「教授には運がなかった」と言うのは波多野(前原滉)で、万太郎たちは運が良かったということ。それを聞いた藤丸が「やだなあ」とぼやきます。この「やだなあ」の響きが最高。

「こんなに執念深い人たちが世界中にひしめいてて 運が悪かったで済まされて 研究って それに立ち向かうことですか?」
(藤丸)

それに「やられたらやり返すしかねえだろ」と大窪はいいとこのお坊ちゃんに見えないやけにガラの悪い口調で反論。

「ひとりひとりが自分と戦う戦さ場なんだ」
(徳永)

と徳永も言います。

藤丸って弱くてやさしい人。でも、世界と戦う最前線ではその弱さややさしさは邪魔になります。だから彼が研究室にいる以上、変わらなくてはいけない、強くならないといけない。でもーー。

プレッシャーに耐えかねた藤丸は、うさぎを愛でて心を癒やしています。とはいえ、たいていの人が、そんなに躍起に世界を目指してはいないので、藤丸のような考え方が一般的でしょう。万太郎たちのような高みを目指している人たちは一握りです。世の天才たちは、執念深く、自分と戦って、まだ誰も見たことないものを獲得するのです。

すばらしい仕事には「執念深さ」がつきまとう。自分との戦いで、コツコツやる分にはその執念深さはいい方向に発揮されますが、場合によると、他者をだしぬき蹴落とすことに発揮されるのです。

ただ、ひたむきにやることをやっていれば報われるのではない。でも、そんな世界に耐えられない人も、藤丸のようにいるのです。あー、生きるのってしんどい。

「誰が発見したって花は花じゃないですか」という藤丸のセリフは真意です。
人は、なぜ、奪い合うのでしょうか。
これ、花に限ったことじゃ全然ない話ですよ。

植物学研究室が戦場に見えてきて。まっしろで大きなうさぎがいなかったら、辛すぎた。
うさぎ、いつの間にか、3匹に増えていました。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第77回のレビュー}–

第77回のレビュー

前回(第76回)では田邊(要潤)が帰宅すると、妻・聡子(中田青渚)が玄関先で待っていました。女中より先にお迎えできるからという健気な彼女を田邊はシダのように得難いと言います。「私はおまえの静けさを愛している」と。

一方。万太郎(神木隆之介)が帰宅すると、寿恵子(浜辺美波)が寝込んでいました。つわりがひどいのです。
何も食べれない寿恵子が唯一、食べたいのはかるやき。万太郎は作り方を長屋の皆に聞いてまわりますが、わからず、困っているところに、藤丸(前原瑞樹)が現れます。

藤丸は、かるやきではなく、義理の姉がつわりのときに作っていたという、じゃがいもを揚げたものを作ります。手作りポテトチップスです。家で揚げたポテトって美味しいですよね。
寿恵子は美味しいと目を輝かせます。浜辺美波さんってほんとに愛らしい。

「藤丸は優しいき 誰よりも優しいき」と万太郎。
この物語のなかで、聡子と藤丸は、近いポジションかと思います。
難しいことはわからなくても、さりげない気遣いのある優しい属性の人たちです。

優しさ属の藤丸が長屋に何をしに来たかというと、大学をやめると言います。戦場になってしまった大学にはもういられないのです。

それを聞いた長屋のおゆう(山谷花純)は「そんな言い草大嫌い」「いなくなったほうがいい理由なんてかき集めたって無駄」と叱咤激励します。

結局後悔するのだから、腹くくって、自分で引き受けるしかないのだと。

それでも「俺、窒息するんだ」と藤丸は苦しそうです。

藤丸が話しだしたとき、丈之助(山脇辰哉)が遊郭に惚れた女がいると告白。
おゆうは再び、追い出された婚家に置いてきた子供の話。

自分語りに次ぐ、自分語り。
ああ、このドラマもまた、人の話にまた自分語りをはさんでくるのか……と一瞬寂しく思いましたが、丈之助はちゃんと藤丸に話を戻したのでホッとしました。

隙あれば自分語りも、戦場のひとつであります。
人間誰しも自分が一番です。誰もが自分の人生の主人公、それはもうどうしようもない事実。が、「らんまん」では、その自分、ひとりひとりの声をポリフォニーとして描こうとしているように感じます。ひじょうに知的かつ、高度な脚本です。

藤丸は優しく気弱で、それはそれで愛すべき人物ですが、英語や論文が苦手で、逃げがちであることは事実です。頑張っても頑張ってもできないのか、その前に怯んで逃げているのか、明確ではなく。彼が英語も論文も得意であれば、ここは戦場になってしまったと嘆くこともなかったかもしれません。

あるいは、植物学研究室はもともと吹き溜まりだったので、能力が劣っていたり、のんびりしたかった人にとって楽園だったのが、いつの間にやら、能力主義になってしまって、藤丸のような人物が居づらくなってしまったということでしょうか。

どんな人もフラットにいられる理想的な世界は何処にーー。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第78回のレビュー}–

第78回のレビュー

コロナ禍が収まってきたからか、演出に凝ることができるようになってきた気がします。

「満開じゃ」「絶景かな 絶景かな」

日本植物誌第2巻のヤマザクラの絵を刷って天井から吊るして乾かしたものを床に寝転がって眺める
万太郎(神木隆之介)寿恵子(浜辺美波)

妊娠7ヶ月でお腹の子が動き、万太郎が寿恵子の頬に口づけすると、天井の絵が風にはためきます。
それはふたりの心のざわめきのようで、すてきな場面でした。が、風に煽られて、翻弄されるふたりには、このさき、心配事も待っているようにも見えます。

第69回に次いで風の使い方が印象的でした。

競い合うことに疲れ、すっかり落ち込んでしまった藤丸(前原瑞樹)は万太郎に「助けて」とすがります。

「万さん運がいいもん。全部うまくいくもんね」とちょっとぼやきモード。これが数多いる凡人の気持ちの代弁です。

運がいい人、才能に恵まれた人にはどうしたってかないっこないのです。が、そんな藤丸は、万太郎のことは好き。同じように執着する人間でも、伊藤家の孫・孝光(落合モトキ)とは同じと思いたくないと言うのです。孝光がちょっとかわいそう。彼は彼で屈辱を味わっているのに。フラットであろうとしつつ、やっぱり主人公に重きが置かれています。当たり前ですが。伊藤家の孫を主人公にした物語だったらまた視点が違うでしょう。

万太郎は、植物と同じで「同じ人はひとりとしておらん」と言い、「徹底的に誰もおらんところを探したらええ。競い合いは生まれんき」「弱さもよう知ったら強みになる」と藤丸を励まします。

ニッチ、隙間を探すことはビジネスチャンスでもあります。でもまた、それが当たるとそこに人が押し寄せて来て奪い合う。よっぽどの第一人者にならないとあっという間に奪われますから要注意です。
という現実的なことはさておき。おゆう(山谷花純)は、逃げるのと、特性を探しにいくのは違うと前向きに考えるように藤丸を促します。

藤丸は休学し、万太郎の手伝いをしはじめます。こうして、植物図鑑の2巻が出来上がるわけですが、
そういえば、藤丸が休学した今、うさぎの世話は誰がやっているのでしょうか。藤丸は単にうさぎに弱い自分を癒してもらっているだけで、彼らの世話を責務にしていたわけではなかったのだろうか、と思うと愕然とします。植物学教室に通うのはつらいけれど、うさぎのために通い続けるという生き方もあるのではないか。こんなにやさしいドラマなのですから、きっと、うさぎの世話だけはしに来ていると信じたいです。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第79回のレビュー}–

第79回のレビュー

「さ〜て、お母ちゃんとの楽しいお留守番がはじまりますよ〜!」

万太郎(神木隆之介)が植物採集とタキ(松坂慶子)の墓参りに行くことになり、お見送りした後、寿恵子(浜辺美波)が大きなおなかに囁きます。

いろいろ寂しい気持ちもあるけれど、笑顔をたやさず明るく振る舞う寿恵子。立派です。

主人公が出かけてしまい、出先の視点ではなく、お留守番している人たちの視点で描く回というのも
なかなか珍しいかもしれません。

万太郎が自費出版した植物図譜は評判になりそうで、田邊(要潤)は苛立ちを募らせます。画家・野宮朔太郎(亀田佳明)に、万太郎のような植物画を描けないならクビだと理不尽に迫ります。

もともと、朔太郎の画風と万太郎の画風はまったく違うもので、かぶらないからこそ、認め合うことができて、平和的に関われたのに、上司に、似たようなものを描けないなら価値はないみたいなことを言われたら、つら過ぎます。

うなだれていると、庭で、波多野(前原滉)がうさぎを抱いてうなだれていました。藤丸(前原瑞樹)が大学をやめてしまったので、代わりに波多野が世話をしているのでしょうか。うさぎは藤丸がいなくなって寂しくないのでしょうか。

田邊にへんなプレッシャーをかけられた朔太郎と、藤丸に去られてひとりになってしまった波多野が、突如として手を結びます。これもまた、誰もやってないことを、ふたりで探すことなのでしょう。

波多野は”見えないものを見ている”と語り、朔太郎はその言葉に刺激を受けます。

「肉眼で見えないものは万さんにも描けない」と俄然、闘志を燃やす波多野。

一度、道が失われても、別の道を探す。誰も歩いていない道はきっとまだまだたくさんある。その不屈の精神が生きることなのかもしれません。

波多野「いい日です。さっきまで寂しすぎて死にそうだったのに」
朔太郎「そうなんですか。俺もわりと死にそうな気分でしたよ」
波多野「野宮さん、いま『俺』って言いました?」

うさぎは寂しいと死んじゃうという名言がかつてドラマにありましたが、うさぎを抱きながら、死にそうな気分だった波多野と、田邊に理不尽な扱いを受けて絶望していた朔太郎が新たな目標に燃えているとき、ちょうど万太郎が藤丸と共に植物採集の旅をしているところです。藤丸は、見えないものを見たいという波多野の執念についていけなかったわけではなく、万さんにも描けない、と燃やす対抗心が苦手なんだとおもいます。

他人のことなど関係なく、ただただ、自分が好きで好きで夢中で追求できることに出会えたら、気に病むことなどなくなるでしょう。

万太郎の作った図譜は、博物館の野田(田辺誠一)里中(いとうせいこう)にも送られてきて、それを見たふたりは感涙にむせびます。

野田さん、この間、万太郎が訪ねてきたときには、「どうする家康」に出張中(穴山梅雪役)だったのか不在でしたが、今回は登場。まだ「家康」にも出番があります。

【記録】
藤丸役の、前原瑞樹さんが「あさイチ」にゲスト出演し、前作「舞いあがれ!」のなかなか出てこないムッちゃん役は福山雅治のサプライズ出演なのではないかと世間が期待していたときの気持ちを明かしていました。本人の口から真相が聞けてよかったです。「じつにおもしろい」と博多華丸さんが福山さんの代表作「ガリレオ」の決めセリフを言いましたが、スタジオではリアクションが薄かったです。(たぶん、ネットでは盛り上がったことでしょう)。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第80回のレビュー}–

第80回のレビュー

万太郎(神木隆之介)は植物採集に出張中。お供には藤丸(前原瑞樹)

なるほど、前半は、竹雄(志尊淳)がお供をしていましたが、お役御免となったため、万太郎と会話させる人物が必要で、藤丸に白羽の矢が立ったのでしょう。

現実では、ひとりでいることは往々にしてありますが、ドラマだと、独り言ばかりになってしまうため、誰か話し相手が必要になります。

相手役のほかに、手紙という小道具も役立ちます。
植物採集に出ている間、万太郎は寿恵子(浜辺美波)にせっせと手紙を書いて送ります。寿恵子もそれに返事を書き、往復書簡でふたりの会話になります。

万太郎は生まれてくる子供の名前と名付けの理由を考えてしたためます。
最初に考えついたのは「スミレ」。

この手紙の内容が出てくるまえに、寿恵子が質屋でかりんとうをもらうと、お腹の子が喜ぶという描写があったので「カリン」になるかと思いました。

スミレ、ナズナ、ユキ……次々浮かぶ、名前には万太郎の愛情がつまっています。
しかも、封筒に、その植物の絵が書いてある。

植物愛と、寿恵子と生まれてくる子への愛情が合致し、想いの度合いが深まります。

神木隆之介さんと浜辺美波さんの声は、ややささやき声だけど、言葉ははっきりしていて、聞き心地のよさと伝える力を兼ね備え、ふたりの手紙のやりとりは独特の情緒があります。

夫を待つ、生まれてくる子供を待つーーこういう待つ時間は決して無為ではなく、その間、「命」について考える有意義な時間となります。

子供の名前を考えることは、その子がかけがえのない、たったひとりの人物である認識になります。
母親に捨てられ福治(池田鉄洋)とふたりで暮らしている小春(山本花帆)は、生まれることは母と切り離されることだと言います。

「捨てられたくなかったなあ」「子はかすがいになれなかったなあって」

捨てられたくなかったという気持ちはわかりますが、かすがいになれなかった、と自責の念にとらわれるところが健気です。そんな小春を寿恵子が慰めます。ここもまた、誰もがなんらかの役に立っていることを語っているのです。不要な命などない。

そうこうしていると、夏から秋になり、寿恵子がすすきを見ていると、産気づいて……。

イカリ、シノブ、スギナ、リンドウ、レンゲ、ムラサキ、キキョウ、ハコベ……

長屋の人の助けられながらの出産と、愛にあふれた万太郎の植物の名の連呼が重なる、素敵なシーン。万太郎がその場にいなくてもちゃんと一緒にいる感じもあります。

長屋の人が活躍するのも、助け合って生きてることの現れです。出産経験のあるゆう(山谷花純)はたのもしく、小春も働きます。丈之助(山脇辰哉)は何したらいい?とうろたえ、自分で考えなと言われるパターン。このひとは勉強はできるが頭でっかちで行動がやや伴わないのでしょう。それもご愛嬌。

出産というと、どうしても苦しんだ!生まれた!喜んだ!というお決まりのコースをなぞるだけになりがちですが、とても厳かで重要な出来事であることを感じ、作り手のやさしく深いまなざしを感じました。

そこへ、万太郎が新種らしき植物を持って帰ってきます。

万太郎のつけたふたりの子の名前はーー

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–{第81回のレビュー}–

第81回のレビュー

第17週「ムジナモ」(演出:渡辺哲也)は、園子の誕生の喜びからはじまります。

生まれた園子に、万太郎(神木隆之介)は夢中。植物画を描くように、園子の身体のパーツを細密にスケッチ。それを、牛鍋屋で、藤丸(前原瑞樹)波多野(前原滉)に披露して大いに盛り上がります。

波多野はちょうど受粉の研究を推し進めているところですから、受粉して生まれる生き物の神秘に興味津々。
藤丸が「ふたりとも赤ちゃんと植物を並べて語るのやめようよ」とツッコミます。

パーツは描けても、人の顔がなぜか描けないという万太郎。そういえば、竹雄(志尊淳)の似顔絵が独特過ぎました。

すっかり、藤丸が元気になりました。

植物採集で出会った「変形菌」というものを調べる気になり、大学に戻ることにします。うさぎもいるし、と。

元気になった藤丸は、採集で植物を見つけたとき、平然と「確かにあれは血で血を洗う争いだった」と波多野に語ります。先週、あんなに、奪い合いをいやがっていたのに、この差。

調子いいなあとも思いますが、といって、あのままずーっと陰鬱な気持ちを抱え続けたら心が壊れてしまうでしょうから、留まれてよかったなあと思います。

案外、人間ってそういうものだという気もします。矛盾を抱えているし、良くも悪くもちょっとしたことで気持ちが変わるもの。

そして、藤丸は、万太郎の植物採集の才能は「ただ愛したいだけなんだ」からと言います。教授(要潤)伊藤家の孫(落合モトキ)のように実績や家の名誉のために植物の新種を探していないと。

「ただ愛したいだけ」ーーこれが大事。

万太郎にとって、子供でも植物でも、愛するに値するものであれば、観察して愛でるのです。

ただ、教授も伊藤家の孫も、最初はただ植物が好きだったのだろうと思います。教授のシダへの愛情や、孫・孝光がおじいちゃんの膝の上で植物学の本を読んでいた思い出などは邪な気持ちはいっさいなかったことでしょう。それがいつの間にか、欲望にすり替わっていく。その変化が要注意です。

万太郎といいコンビになっている藤丸を、ちょっと距離をもって見ている波多野のまなざし。彼もまた、野宮(亀田佳明)という相棒を見つけたし、助教授になって、新たな道を歩むのでしょう。仲が悪くなって別れたわけではなく、こうやって楽しく牛鍋をつつけるようになったことを喜びたいです。

さて、藤丸が嫌悪した田邊教授です。聡子(中田青渚)に「旦那様ほどご立派なお方はいらっしゃいません」と言われ、気をよくして、彼女を相手に晩酌をしている時間は唯一の癒やしのひとときのようです。シダの庭のようにしっとりしています。

お酒を飲んでみるかと勧められて、飲んだときの聡子の「なんですこれ」「香りがすごい」と驚く声が、いつもの声とちょっと違っていて、本音が出た感じで良かったです。中田さんの名演技。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第82回のレビュー}–

第82回のレビュー

久しぶりの峰屋。綾(佐久間由衣)と、ぴしっと羽織の着物を着た若旦那感のある竹雄(志尊淳)のところに万太郎(神木隆之介)の手紙が届きます。

園子が生まれた報告で、似顔絵が入っていましたが、やっぱり出来はよくなくて、竹雄たちは苦笑。ただ、手と足の細密画はかわいさがよく出ています。いや、でも、竹雄の似顔絵より上達した気が……。

この頃はまだ写真が高価で、こうやって絵にするしかなかったのでしょうか。

綾「私らあも作ろうか」

竹雄「作る」

綾「新しい酒」

今の世に生きる私らの酒を作りたいという綾。

「わしらは時代の代わりめに生まれついた。今ここに吹きゆう風はご先祖のだれひとり知らん風ながじゃ」
(竹雄)

造石税は酒を仕込むとかかる。完成して売り出せなくてもかかるのです。そのリスクを
負ってでも新しい時代を生きる者の酒を作りたいと考える綾。彼女の「滅ぶためじゃない」というセリフが重い。あいみょんの主題歌の、いまを憎んでいない というフレーズに呼応している。どんなに大変でもいまを精一杯、明るい未来に向かって生きること。

第69回の通りを吹く風、第78回の部屋に吊るした絵を揺らす風……と風の気配を意識させてきた「らんまん」。その風は、竹雄の語る「風」に繋がっていたようです。
ここでも風の音がしていました。週ごとに演出家は違いますが、「風」のバトンを受け継いでいます。

「大河ドラマみたいな朝ドラ」と例えることがあります。「あさが来た」や「らんまん」のことです。大河のように大海に注いでいくような壮大な歴史を描くドラマが大河とすれば、朝ドラはすこし軽やかで爽やかな風の通り道のようなドラマかもしれません。「しんと澄み切った上品な」峰の月と、綾の作りたい「明るくて爽やかで青空みたいな」酒との違いかも。

さて、
夜泣きする園子。
なんで泣いてるのかわからなくて「こわい」という寿恵子。
万太郎は意外と役に立ち、宵っ張りを生かして夜泣きする園子を外に連れ出したりします。さすがに子供のかわいさに、仕事ばかりではいられないようです。
こうしてすくすく園子は育ち、8ヶ月ーー

あるとき、突然、おゆう(山谷花純)が引っ越しの手伝いを、福治(池田鉄洋)倉木(大東駿介)と万太郎に頼み、4人は緑多い外に出ます。

おゆうが引っ越すのかと思えば、彼女のお世話になった人の引越し。
その途中、万太郎は植物に夢中。
重い荷車を押しながら、池に立ち寄るのは大変だと思うんですが……。万太郎は荷車押してない!

みんなで植物採集したかった夢がかなったと大喜びで(みんなは別に採集していない!)、無邪気な万太郎を見て、福治は自分は、いいことがあるとこわくなるそうで、「いいことがあるとよくないことが起きるぞ」と心配性な面を発揮します。世の中、実際、そういうもの。「禍福は糾える縄の如し」、あるいは「人間万事塞翁が馬」です。

心配性な福治を演じている池田鉄洋さん。以前は、やたら明るいユニークな役を多く演じていましたが、今回は、妙に気の小さい、足るを知ることを大事にしている人物役を好演しています。

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–{第83回のレビュー}–

第83回のレビュー

「望みって?」とゆう(山谷花純)の問いかけから主題歌へーー。いい感じのアヴァンでした。

アヴァンのなかでゆうと福治(池田鉄洋)が水辺に座って語り合います。

「あたしたちにとって『楽しい』はもう特別なことじゃなくなった。これが日常茶飯事になったのよ。だから楽しむこと もうこわがらなくていいのよ。たとえ悪いことが起こっても その先できっとまた笑えるんだから」

とゆうはしみじみ言います。
そこで福治が「俺も望んでいいのかよ?」と聞いたときに、ゆうが返したのが「望みって?」でした。

クサ長屋の惨状は、それほど具体的かつ執拗に描かれていませんでしたが、日が当たらず暗く、吹き溜まりのような場所ではありました。住人たちには暗い過去があって……。

それが、変わったのは、万太郎(神木隆之介)が来てからです。長屋の暗さの象徴のようなドクダミを摘んで役立たせたことから、長屋は変わっていきました。

福治もゆうも、倉木(大東駿介)も、過去のつらい体験に縛られて、いいことがあってもまた悪いことが起こると身構え過ぎていた。でも、いいことばかり続くこともないけれど、悪いことばかり続くこともありません。

万太郎は水辺ではしゃいで池に落ちたけれど、見たことのない水草を発見しました。

大事なことは、思い込みをなくすこと。不幸な人は幸福になっていけないわけではない。笑っていけない人なんていない。

そして、たとえ、悪いことがあっても、打ちのめされ、身を固くし続けるのではなく、その先にあるはずの光を見るようにすること。もちろん、ゆっくり、自分のペースで。いつかきっと、楽しいことにまた出会える。

「人生、上等目指しちまうか」(福治)

世界で、苦しんでいる人たちに、必ず、いいことがある、そんな祈りの物語に思えました。

その舞台が、晴れて清々しい、水もたたえた草原であることがすてきでした。

ところが、いいことあるよ、と言いながら、ひたひたと悪そうなことが近づいてきているような予感も漂っています。

田邊(要潤)は相変わらず、万太郎に敵意を燃やし、野宮(亀田佳明)に万太郎を越えろと命じます。でも、野宮は

「あの人は裏表のない 無邪気で 無知な人なんです」
(野宮)

とかばい、研究室に、万太郎を呼び戻し、植物画家をふたり体制にすべきだと提案します。

「無邪気」は褒め言葉として使用頻度は高いですが、「無知」も褒め言葉に使うのをはじめて聞いた気がします。「無知」がいいこともあるのです。知らないことの強さはあると思います。常識に囚われすぎて身動きがとれなくなることもありますが、何も知らないと可能性が広がります。「無知の知」という言葉もありますし。

野宮は、実に冷静で、ものごとを俯瞰して、公平に見ています。そんな性格だったら精密画も描けそうな気がします。現に上達してきています。が、彼の描きたい西洋画で大成してほしいものです。

野宮に進言されても、田邊は、万太郎に一度断られているので意固地になっています。その頃、万太郎は、「無知」(というか学歴がない)ため、仕事がなく途方に暮れていました。このままでは、植物図鑑の刊行が危ぶまれます。子育てにお金も必要ですし……。

田邊と万太郎の思惑をすり合わせることができるかも? これはいいことのようですが、どうも悪いことを匂わせ続けていて、心配です。

ところで、「おはようニッポン」(関東版)の朝ドラ送りが断続的に行われていますが、あまりに自然なおしゃべりで、さわやかなそよ風のように流れていき、あまり書き留められないのですが、そこが良さな感じがしています。まさに「日常茶飯事」の生活に根ざした朝ドラ語りだから。アナウンサー4人がそれぞれ話して、ひとつの見方に限定してないことが良いのです。

ただ、今日は特筆すべき発言が。
万太郎が似顔絵が苦手なのは、静止したものしか描けないからではないか説。人間はどうしても表情が動いてしまうからという考えはなるほど!と膝を打ちました。

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–{第84回のレビュー}–

第84回のレビュー

「槙野は咲かない花すらも咲かせてみせた」
(田邊)

田邊(要潤)のセリフで思い出したのはフランスの児童書「みどりのゆび」です。

主人公の少年チトは、触れると花が咲く、特別な親指を持っています。学校ではすぐに帰されてしまうような、一般的なルールに沿えない子供ですが、ほかの人にはない特殊な能力が備わり、それによって人々を笑顔にします。

チトのお父さんは、兵器を作る工場を営んでいました。兵器は戦争に使用されます。チトは戦争について考えたすえ、みどりのおやゆびを使ってある行動に出ますーー

というお話。日本では1965年に初版されているので、知っている人も多いのではないでしょうか。

チトと万太郎(神木隆之介)が重なって見えます。

さて、「らんまん」です。

万太郎が小岩方面の池でたまたま見つけた水草(ムジナモ)を東大植物研究室に持ち込みます。「愛くるし〜 こういうの大好き」と藤丸(前原瑞樹)が大はしゃぎ。

そこへ田邊が登場。また怒られるんじゃないかと緊張が漂うなか、ムジナモを見た田邊は、これはかのダーウィンを魅了した植物で、日本では初めて発見されたものだと注目。万太郎に論文と植物画を書けと言います。

万太郎にとって起死回生のチャンス到来。それには第83回の野宮(亀田佳明)の決死の助言も後押ししたことでしょう。そして、田邊の名誉もこの発見によってアップすると踏んだのでしょう。論文と植物画を発表したら、世界中が注目するから。

「教授がお前に 世界への花道をかけてくださった この感謝を忘れるなよ」
徳永)

徳永(田中哲司)は万太郎を励まします。植物学の道を「花道」と言うなんて、さすが「万葉集」を愛する人物らしい。

やる気になった万太郎。これで、経済的困窮から救われたうえ、自身のやりたい植物研究も進みます。

植物図譜第3巻も出版されて盛り上がる、万太郎、波多野(前原滉)、藤丸。

藤丸は自身の研究のために外国の人とも話そうとしているところ。つまり苦手な英語も克服しようとしているのです。目的があるといろんなことができるようになっていくものです。

「いま、この国の植物学の夜明けは終わり、日は上りはじめました」

徳永は、それぞれの研究課題を持って生き生きしている万太郎たちの姿に、そう感じます。そして自分ももっと学ぼうとドイツに留学したいと田邊に相談します。

そのとき、ムジナモに異変がーー。

花が咲いたのです。
この植物に花が咲くことはこれまで報告されていなかったので、開花の確認によって研究はさらに一歩前進しそう。

田邊はそこで「槙野は咲かない花すらも咲かせてみせた」と万太郎の神のような才能を感じます。

クサ長屋の人たちが、万太郎に出会ってから、生きる楽しさを知ったように、東大植物学研究室の人たちも、植物学を学ぶ楽しさを知った。

貧しさや、目標が定まらない虚しさから、花が咲いた。それは万太郎の「みどりのゆび」のおかげ、というファンタジックなイメージに満ちています。時代背景や生活描写などをしっかり描きながら、どこかファンタジックな想像も喚起させる物語はきっと長く語り継がれることでしょう。

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–{第85回のレビュー}–

第85回のレビュー

やっちまったな、万太郎(神木隆之介)

田邊教授(要潤)に、ムジナモの論文を書くように言われ、やる気満々で論文と植物図を書き、植物図譜の第3巻を刷り上げます。

絵を描いている最中、植物学教室の人たちのとのことを思い出し、彼らとの出会いに感謝しながら、描き続けます。

「みんながおったきこそ、わしはこの1枚が描けた」

完成したものはすばらしい出来で、みんな大絶賛。

ところが、その盛り上がりに水を指したのはーー

田邊です。

田邊は、万太郎に「君は自分の手柄だけを誇っているんだな」と冷たい眼差しを向けます。

できた図譜のどこにも、田邊の名前はありません。
田邊はてっきり、自分との共著になると思っていたようで、だからこその論文執筆の勧めであったのです。

万太郎はきょとん。

そんなこと思いもよらなかったようです。「みんながおったきこそーー」と思ってるときには、田邊の笑顔も思い浮かべていたのに……。

「もちろん感謝しています。ほじゃから懸命に描いて……」というリアクションは、
人を苛立たせるに足るものです。

大窪(今野浩喜)はあわてて、田邊との共著としての刷り直しを提案。このひとも相変わらず掌返しだなあーと思いますが、悪い人ではないことがさんざん描かれているので、不快な気分にはなりません。いや、たぶん、大窪は大窪なりにこの場をなんとか収めようとしたのでしょう。でも万太郎は、ピンと来ない。鈍すぎる!

田邊は、怒って、万太郎に植物学教室への出入りを禁じますが、もはやそれは理不尽な虐めには思えません。

むしろ、それなりに歩み寄った田邊が、お気の毒過ぎるという気分にすらなります。

徳永(田中哲司)に第85回で「教授がお前に 世界への花道をかけてくださった この感謝を忘れるなよ」と強く言われたのに、気づけない万太郎には、シェイクスピアの「リア王」を思い出します。

リア王は娘3人に引退するにあたって、娘3人に財産分与することにして、それぞれに自分に対する思いを聞く。長女と次女に  飾り立てたことを言われ喜ぶリアですが、バカ正直なことしか言わない末娘に落胆し、勘当してしまいます。結果的には、末娘が最も父を愛しているのですが……というお話です。

万太郎が最も田邊を愛しているかといえば、そういうわけではないでしょうが、研究室の人たちが、保身のために田邊を腫れ物に触るようにご機嫌取りしていることは事実。リアの長女と次女のように強欲ではないですが。

万太郎は良くも悪くも、保身などいっさい考えず、丸腰で、植物研究一筋。ただ、はじめて学会誌を作ったときには、大窪に巻頭言を依頼したり、それなりに処世術を発揮していましたから、なんで、その感覚を退化させてしまったのか。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」であってほしい。
共著ではないにしても、謝辞は入れるべき。実際、田邊が、ムジナモが日本ではまだ発見されていないという情報を得ていたのと、論文を許可したわけで、それはひとえに東大の植物学を世界的に知らしめたいという気持ちから、だとは察して然るべき。

共著じゃねーよ、と思っても、なにかしら田邊の機嫌をとることをなぜ、考えないのか、それは、野宮(亀田佳明)言うところの「無知」だからで済ませていいものでありましょうか(力説)。

モデルの牧野富太郎はどうだったのか、こういう人だったら、たぶん、身近にいたら、どんなに天才でも好きじゃないかも、と思って、牧野富太郎の自伝や、小説化して話題の「ボタニカ」の、ムジナモあたりの項目を確認すると、当然ながら牧野主観で描いてあり、さらりと、田邊のモデルの谷田部にひどい仕打ちを受けたような印象を受けるような描き方です。モデルの人は学歴はなくとも、ドラマほど無邪気ではない人だと想像します。

「らんまん」は朝ドラの主人公として、天真爛漫、純真、無邪気な人物として描かないとならない制約のなかで、どうにかして、ある圧倒的天才の影に隠れたほかの者たちの言い分も描くか、熟慮している気がします。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第86回のレビュー}–

第86回のレビュー

第18週「ヒメスミレ」(演出:渡邊良雄)のはじまりは、月曜の朝から、またいらっとするはじまりでした。が、かろうじてバイオリンやピアノの音色で救われます。

主人公の万太郎(神木隆之介)がこんなに感情移入できなくなってくる物語も稀有であります。オリジナルならともかく、実在のモデルがいるのに。モデルの牧野富太郎にも不信感がわいてきて、いいものでしょうか。

万太郎の書いたムジナモの論文には、自分の名前がなく田邊(要潤)は激怒。万太郎に大学の出入りを禁じます。

大窪(今野浩喜)も今更、共著にすべきだったと言わず、もっと早くに気づいてあげてほしかった。ムジナモの論文を書いていいよと言ったときの田邊がすっかりやさしげだったから、みんな油断してしまったのでしょうか。好事魔多しです。

万太郎は論文を書き直すと謝罪しますが、田邊の怒りは収まらず、「君は土足で入ってきた泥棒だよ」とか「傲慢で不遜。手柄ばかりを主張する」とかかなりきつい言葉をぶつけ続けます。

田邊の心の裏には、彼なりの苦しみがあります。それは第85回で描かれていました。でも、元は、田邊も名誉欲にまみれていて、万太郎に「傲慢で不遜。手柄ばかりを主張する」と言ったのは、自分のことでもあるように思えます。女学校の校長になって、出世争いに勝利したことも、彼にとっては虚しいのだと思います。

出世のために周囲に気を使う生き方をせざるを得ない自分が、ほんとうはいやで、苦しいから、やたらと周囲の似た事例が気にかかりいらっとする。万太郎に怒っているようで、自分にも怒っているのでしょう。という感じに、悪者になりそうな田邊に心を寄せる余地が描かれています。

「君には何度も忠告してきた」というのもその通りで。しかも、田邊の弾くバイオリンの音色が悲しく美しい。

でも田邊は、やっぱり鬼。土佐の植物目録と標本500点を大学に寄贈しろとまで言います。

 万太郎も万太郎で。過去、何度も、彼の気遣いのなさを指摘されていたのに、いつの間にか、徳永(田中哲司)も大窪も、波多野(前原滉)藤丸(前原瑞樹)も彼の味方になってしまい、油断してしまったのでしょう。

こんなに長く、大学に出入りして、一緒に活動してきて、にもかかわらず、なぜみんな、万太郎に論文のルールを助言しなかったのか。仲良いのに、肝心のことを誰も注意しないのってなんでなのか。そこは研究者同士、クールなのか。

理想を語り合い、ふわふわとやさしい関係が、こわくすら感じます。が、田邊以外のみんながものすごく好意的でなければ、万太郎は自分の足りない部分に気づけたかもしれません。

みんながやたら好意的とか、徳永が留学にいってしまったとか、いい話のようで、万太郎には実はよくないことが起こる準備が着々とされていたのです。作家はときに残酷です。

万太郎は植物のこと以外、考えてなさすぎかもしれません。まさに野宮(亀田佳明)いわく「無知」なのかも。

寿恵子(浜辺美波)にも「論文が気に食わなかったみたいだ」などと、まったく反省していない。理由が「わからん」って。わかってないのがこわすぎる。最後には「わしの過ちじゃ」とは言っていたけれど、多分、根本的なことをわかっていないでしょう。

万太郎が悪いというか、モデルになっている人物がいるわけで、モデルの牧野富太郎が、実際、こういうことをやらかしているらしいのですが、詳しい状況やそのときのみんなの心情はわかりません。牧野富太郎、いったいどういう人なのだろうと気になってなりません。これまで、植物大好き、いつもニコニコすてきな人物といういいイメージでしたが……、

歴史上で、これまで悪く言われていた人物が、近年の研究によって良いところがあったことがわかり、それをドラマにすることがよくあります。例えば、ながらく織田信長を裏切った悪者のようにされてきた明智光秀が、大河ドラマ「麒麟がくる」ではすごく好人物に描かれました。そのため「どうする家康」でまた感じの悪い人物として描かれると、こんなの光秀じゃないと不満を感じる視聴者が現れます。

主人公になると、その悪い面は、たいてい伏せられます。

今回「らんまん」では、いい人の印象が強かった牧野富太郎が、じつはそれほど善人ではなかったのではないかと思わせるという画期的な構成になっているような気がします。とてもおもしろいですが、牧野富太郎さん信奉者のかたがにとってはゆゆしき問題ではないでしょうか。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第87回のレビュー}–

第87回のレビュー

文部大臣・森有礼(橋本さとし)に気に入られた田邊(要潤)は、女子学校の校長になり、さらに帝国大学(東京大学から改名)の理学部の教頭にもなり、順中満帆です。

廊下をすれ違う、田邊と、かつて調子に乗っていた美作(山本浩司)との差異。
外には桜が咲いていて、窓から花びらが入ってきます。春の嵐という感じでしょうか。

桜つながりで、万太郎(神木隆之介)の家では寿恵子(浜辺美波)が桜飯を作ります。タコを混ぜて炊くことで、ごはんがふっくら赤く染まり、桜のようだという風情あるお料理。寿恵子の母・マツ(牧瀬里穂)が「なんだかいいことありそうだろう」と作ってくれたと、寿恵子は万太郎を励まします。「大丈夫です」と。

論文を、田邊との共著の形にして、田邊の功績を記し、図鑑を刷り直しました。
でも、花がはらりと散る。
田邊は許さないと頑なで……。

憔悴しながら万太郎は田邊の家に直接謝罪に向かいますが、やっぱり冷たくあしらわれてしまいます。

万太郎「わしはなんちゃあ持っちょりません 身分も地位も ただ好きゆう思いだけですき」

田邊「だから植物から愛される? フッ。すごいな君は どこまでも私を傷つけてくる」

こうして、田邊は、大学でも植物図鑑を作ることにしたので、部外者には大学の資料を見せないと万太郎に門戸をぴしゃりと閉ざします。

キツイ……。これ以上のひどい仕打ちはなかなかないでしょう。

田邊は田邊で、好きなことだけやっていられる万太郎がうらやましいのではないでしょうか。田邊は自分の美学を護るために、いろいろなことを犠牲にしてきているはずで、いやな思いもたくさんしてきているのに、万太郎は、面倒なことはやらずに済んで、好きなことだけに邁進しているのですから。

従来なら、万太郎の邪魔をする悪役になりそうなところ、田邊にも一理あると思わせます。万太郎が、どこまでも、抑制していて、田邊の前で、大声をあげたり、泣いたりわめいたりしないことによって、万太郎が被害者に見えにくい。むしろ、淡々としていて、自分が悪いとは思っていないようにすら見えてしまいます。

たぶん、意識的にこういうふうにしているのだろうと推測します。ここで、万太郎が泣いてすがったりして、かわいそうな被害者に見えてしまったら、意図が台無し。ここでは、あくまでも、万太郎にも、田邊にも、理があると見せて、視聴者に思考を促しているのでしょう。

田邊は「私の魂は自由になった」とご満悦。
出会う人を縛っていた鎖を解き放つ力のある万太郎。期せずして田邊の鎖を断ち切ったことは万太郎にとって大きな痛手となったのです。

いや、でも、モデルの人物の行く末を知っていると、なんともいたたまれないんですけどね……。だからこそ、ここまで、万太郎を追い込むことも可能なのでしょう。結末が描かれてからでないと、なんともジャッジできません。いまはただ、ドラマを見ながら心揺らす。それがエンタメの醍醐味です。

「万太郎さんは終わらない。終わるもんですか」と励ます寿恵子も、かわいい園子もいて、庭には花(ヒメスミレ)も咲いています。

「どんなときでも花は咲いちゅう」と鼓舞する万太郎を応援する視聴者も、田邊に心を寄せる視聴者もいるだろうという、広がりのある物語になっています。

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–{第88回のレビュー}–

第88回のレビュー

冒頭、庭でみつけたヒメスミレをお椀を植木鉢にして家に持ち込む万太郎(神木隆之介)。このスミレが、ラストシーンではしなっとなっていたことに不穏を覚えます。
お椀を植木鉢にする、意外とおしゃれかも。

先週からずっと、悪いことが起こりそうなフラグを立て続けていますが、これはきっと親切。予期しない悪いことが、ふいに起こると対処に困りますから。

それと同時に、人生にはいいことがあれば悪いことが、悪いことがあればいいことがあるという、繰り返しであることも繰り返し描いています。

田邊(要潤)が取り付く島がなく、落胆した万太郎ですが、スミレを見つけたり、園子が愛らしかったり、幸福を感じる瞬間もあります。

園子はたどたどしいながら筆を持ち、植物図を描きます。

園子役の赤ちゃんが、スミレには興味を持たず、筆と紙に興味を持ってニコニコ動かすのは、動くものに魅力があるということかなと感じます。スミレは動かないし、しかも、造花なので。ドラマでは精密な造花が使われているそうですから。赤ちゃんは本物と偽物を見分けてしまう、鋭い感性があるのでしょう。
ただ、最後には指を指していて、この赤ちゃん俳優はなかなかすごいと感じました。

後半、絶妙なタイミングで、万太郎と寿恵子(浜辺美波)の会話に、ある行動で立ち入ってくるのもすごかったです。末恐ろしい。

万太郎は、博物館に相談に行きますが、あんなに万太郎に親切だった、野田(田辺誠一)里中(いとうせいこう)も、大学と密接な関係があるため、万太郎に協力することができません。そもそも、博物館の職員の野田たちの紹介があったから大学にもつながったわけで。結局は人間関係なのです。

野田は、万太郎に「友達」とは思ってるということです。業務上は力になれないが、友達としては万太郎のことを心から心配していると言ってくれることには救われます。が、ここで、浮き彫りになるのは、比較的、自由度の高い生き方をしている印象を受ける野田や里中たちですが、あるルールに即すことで、仕事が与えられ、かつ、職場での自由も保証されているということです。言ってみれば、副業が許可されてる太い会社に所属し保障を受けつつ、お金にならない好きな副業をやるみたいなことであります。

野田と里中に、友情の証として、ロシアに行くことを提案された万太郎。ちょうど、そのとき、マキシモヴィッチ博士から、手紙が来て、ムジナモの論文と植物図を褒め、ドイツの文献に、ムジナモの図が載ることになりました。ムジナモの図で、万太郎の名前が世界中に轟くだろう、という手紙を読んで、ロシアに行く気になる万太郎。

寿恵子にロシアに行きたいと万太郎が言うと、じゃん!と三味線の音がして、寿恵子がぴくり。それから園子のアップ。というこの流れがおもしろい。

寿恵子にとっては由々しき問題ですから。でも、寿恵子は冒険だと覚悟を決めます。

ところで、マキシモヴィッチ博士は、田邊の助言によってムジナモの研究が成されたことを知っているのでしょうか。

万太郎も田邊もいいとこもあれば良くないところもあることは当然のこととして、このように、世の中では、誰かが何かをやったことがなかったことにされてしまうことが多々あります。得した人の影で、寂しい気持ちになっている人が必ずいるので、常に、自分ひとりでなんでもできるわけではなく、誰かのおかげでいまがあることを忘れずにいたいと思うのです。

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–{第89回のレビュー}–

第89回のレビュー

転んでもただでは起きない万太郎(神木隆之介)。というか、彼には「転ぶ」という
概念がない気がします。田邊(要潤)にも博物館にも協力してもらえないなら、マキシモヴィッチ博士に頼ろうと考えます。

ロシアに行くなんて途方もない気がしますが、伊藤孝光(落合モトキ)徳永(田中哲司)も海外留学中。この頃、海外留学にはかかる費用はいくらくらいだったのでしょうか。

文部科学省のホームページには、明治時代、文部省が選出した留学生については、初等留学生にあっては年間八〇〇円から一、〇〇〇円、上等留学生にあっては同じく一、五〇〇円から一、八〇〇円が往復旅費とともに支給されたとあります。1000円といえば印刷機。そして、峰屋からの結婚祝いも1000円。

ちなみに、週刊朝日編の「値段史年表 明治・大正・昭和」によると、大正15年の東京大阪間の航空旅客運賃は35円です。この年、東西定期航空会が旅客輸送を開始したそうです。

明治12年の外国郵便料金は、15グラムまでの書状10銭。はがき3銭(万国郵便加盟国宛で米国、上海は少し安い)。長屋の家賃が50銭で、その5分の1と思うと、そこそこ高いですね。
(「らんまん」ではいま、明治19年頃かと思われます)。

向こう(ロシア)に行きさえすればなんとなる。渡航費用だけ捻出しようと、万太郎が頼ったのは、峰屋。

困ったときの峰屋。実家が太いっていいですね。

それにしても「金の相談を」と至極当たり前の口調で言う万太郎がちょっとこわい。躊躇や遠慮や罪悪感が1ミリも感じられません。そこだよ万太郎。

ところが、峰屋はその頃とんでもないことが起きていました。

腐造を出してしまったのです。

その前に、新しい爽やかなお酒がようやく完成して、竹雄(志尊淳)綾(佐久間由衣)に「ズギュン♡」なんてやってニコニコしていたら、ズドンと奈落の底へ突き落とされました。

ドラマの序盤から「腐造」という言葉が何度も出てきていました。女性が蔵に入ると「腐造」が起きると言い伝えられていたため、綾は酒造りの仕事ができずにいましたが、古い偏見を跳ね返して、当主になり、ここまでやってきました。

女性と腐造は関係ない、と安心(慢心?)していた矢先、新たな酒を作る段階での腐造。

女性のせいでも、綾のせいでもなんでもなく、不運であっただけとはいえ、綾の代で腐造を出してしまったことは、ある意味、呪いが続いていたということです。

お酒ができなくても税金はとられるので、立ち行かなくなった峰屋は店じまいをすることに……。

酒が川に捨てられて、空っぽになった蔵のなかで、
あーーー あーーー と絶叫する綾。

ただもう、あーー しか言えない絶望が伝わってきました。

そんな状態の峰屋のもとに、万太郎からのんきな渡航費の協力のお願いの手紙が届いているかと思うと、つらい……。

そんな万太郎も、園子に心配ごとが……。
この難関、乗り越えられるでしょうか。

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–{第90回のレビュー}–

第90回のレビュー

東京と高知、どちらも悲しい出来事が……。

愛らしかった園子が突然の病でこの世を去り、長屋は火が消えたよう。
寿恵子(浜辺美波)は涙に暮れていて、万太郎(神木隆之介)はモクモクと花(ヒメスミレ)の絵を描き続け、それを燃やして園子を追悼します。

心配してやって来たまつ(牧瀬里穂)は筍を持ってきて、握り飯を作って、長屋のみんなで一緒に食べます。

落語の師匠・九兵衛(住田隆)は、人気演目「寿限無」を、長屋の子どもたちにせがまれて演じます。「寿限無」は子供が元気で長生きすることを願った話で、園子が元気なときは楽しく聞こえ、いなくなったときは寂しく聞こえ……。

子供の元気を祈る気持ちは普遍です。

一方、峰屋では、税金が重く、土地屋敷を売るまでに追い込まれています。
そんなとき、頼るのはーー
分家。
でも彼ら分家は、これまでさんざん本家にないがしろにされていましたから、さて、どうなる?

分家の跡を継いだ伸治(坂口涼太郎)は「無理じゃ」と。
あー、やっぱり。でもちょっといつもと調子が違います。

紀平(清水伸)は「もろともに途絶えるよりもそれぞれ生き延びるほうがいいだろう」と土地と屋敷を売ったお金で新たな人生を送るように提案。

豊治(菅原大吉)は「殿様の酒蔵 峰屋のままで幕を引いた。ばあさまもご先祖もさぞ喜んじゅうじゃろう」と綾(佐久間由衣)を労います。

出てくれば憎らしい口をきいてきた分家の者たちも、タキ(松坂慶子)が強権過ぎたから、反発していただけであって、手負いの者をこれ以上追い込むことはしないようです。ここで分家の人たちが、弱った綾たちの傷に塩を塗るような振る舞いをしたら、辛すぎて見ていられませんから、ホッした視聴者も多かったことでしょう。

伸治なんて、涙涙で「達者でのう」と竹雄(志尊淳)と綾を抱きしめます。

これまでずっと弱い立場だった者たちが、同じく弱い者には心を寄せ合ったのだと感じます。そうするしかないし、それだけしかできない。

伸治が「無理」と言ったのは、いまの本家を引き継いだら自分の家も共倒れすると判断したからで、紀平の「もろともに途絶えるよりもそれぞれ生き延びるほうがいいだろう」も、なんだかんだで「家」を守ろうとしている。こういうときに分家があるわけで。戦国時代に武将がたくさん子供を作るのも、何かあったら養子を迎えるのも、そういうことです。

豊治の「殿様の酒蔵 峰屋のままで幕を引いた。ばあさまもご先祖もさぞ喜んじゅうじゃろう」は、このまま綾が新しい酒を作って、時代と共に変化していくよりも、本家にこだわってきたタキの酒蔵のまま消えていくほうがいいと、せめて、前向きに捉える。

タキによってこれまで厳密に差をつけられてきた分家は、分家としてほそぼそと生きていくのだという覚悟も感じます。

本家が潰れて分家が残る、なかなか皮肉です。単純に、いい人悪い人、人情話ではなく、どうにもならないことがあるという、分家と竹雄と綾の辛さが後を引きました。

でもこれで、きっと綾と竹雄は完全に家の呪縛から離れて、新天地で生きていけるのではないでしょうか。若いし。土地と家を売ったお金があるし。

深刻で悲しい話でしたが、前髪が伸びた志尊淳さんがますます美しくて、見入ってしまいました。

悲しくてもご飯を食べたくなるのと同じで、悲しくても、花も人も、美しいものは心を癒やします。

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–{第91回のレビュー}–

第91回のレビュー

8月6日からはじまった甲子園中継のため「あさイチ」と「朝ドラ受け」はしばらくお休み。これが夏の風物詩。

また、終戦の日を15日に控え、残暑の厳しいこの頃の朝ドラは、重めな話になることが多いのです。
おそらく、戦争を経験した人の気持ちを慮り、経験したことのない人にも伝えるように、と考えているからではないかと想像します。

朝ドラでは必ずといっていいほど「喪失」の悲しみを乗り越えるエピソードが重要な位置を占めます(*朝ドラ辞典「喪失」ご参照)。

戦争に限ったことではなく、喪失の悲しみは古今東西、誰もが味合うもの。

万太郎(神木隆之介)寿恵子(浜辺美波)は第一子・園子をはしかで亡くし、それこそ大きな喪失感を覚えています。

万太郎は髪の毛ぼさぼさで、あの天真爛漫な笑顔はなく、植物にも目がいきません。
寿恵子はずっと横になったまま。お腹のなかに第二子がいることもあって身体的にもつらいのでしょう。
あるとき、ふいに、園子の泣き声が聞こえたと、外にふらふら出ていってしまうほど、意識もはっきりしていません。

月足らずで産んだからと自分を責める寿恵子。
万太郎も、自分が植物採集ばかりしていたからと反省します。

こういうときは自分を責めてしまうもの。第二子がお腹のなかにいるのも複雑な気分でしょう。第二子のためにも元気に、と言われても、園子の代わりにはならない。園子が亡くなったのに、新たな生命が芽生えていることをいまは素直には喜べない。でも新たな生命には罪はないし、祝福し大切にしたいのに。ここにも生きる矛盾が存在します。生きることってほんとうに複雑です。

「時薬」という言葉を使う倉木(大東駿介)。
時間が解決してくれるという考え方があって、例えば、「半分、青い。」第128回では「日にち薬」と言われていました。

倉木はそう言いながら、無造作に布にくるまれたものを万太郎に差し出します。
中には何が??? お金? 植物? 石? 

ーー卵でした。

第90回で、倉木が九兵衛(住田隆)に「牛込で車を押していた」と指摘されていましたが、卵を買うために働いていたのかもしれません。

卵でおかゆをつくるまつ(牧瀬里穂)。でも、寿恵子は食べられません。もったいない。

考えた万太郎は、まつからかる焼きの作り方を教わり、作ってみます。

ようやく食べられる寿恵子。万太郎と寿恵子の出会いのきっかけになったかる焼きが寿恵子を少しだけ元気づけました。

朝ドラでは子供を亡くすエピソードが少なくありません。「花子とアン」や「マッサン」などがあります。子供が亡くなる話は胸が痛いです。モデルがいる物語だとしても見ていてつらい。でも書くのはなぜでありましょうか。実際に子供を失った人たちの悲しみを分かち合うことなのかなと思います。

発展途上だった日本、食生活や衛生や医療がまだまだ成熟してない時代、子供が亡くなることは今より多かったでしょう。りん(安藤玉恵)も長屋ではこういうことがよくあるようなことを言っていました。第90回では「7つまでは神のうち」とも言っています。そう思うことでやり過ごしたり、だからこそ大切にしたりしてきたのでしょう。

「らんまん」では神木隆之介さんと浜辺美波さんが、少年少女のような雰囲気もあって、若く未熟な夫婦が大きな悲しみに遭遇して、それでも懸命に生きている様が胸を打ちます。ああ、でも、そろそろ光が見えてほしい。

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–{第92回のレビュー}–

第92回のレビュー

5月の節句が過ぎ、6月になり、寿恵子(浜辺美波)が第二子を出産。名前は、長寿を願って千歳。

新たな生命によって、ようやく少し、落ち着いたかに見えた万太郎(神木隆之介)

7月になると、ロシアからの郵便が。「なななな〜」とネタを言いながら、ジョイマン高木晋哉さんが郵便配達員の扮装で現れ、万太郎に郵便を渡します。一瞬、現代劇というか、コント番組のようになっていました。
でも「なななな〜 なななな〜 こんにちは槙野さん」はネタ用の作り声で「郵便です」はふつうの声で、きちっと、切り替える才を発揮しています。

ジョイマン高木が持ってきたロシアからの手紙は、いつもと筆跡が違って、なにか不安を感じさせます。

マキシモヴィッチ博士は万太郎が来ることを喜んでくださった……

が、

「最期まで励みにしてくださったそうじゃ」

え? 

最期まで?

……万太郎はマキシモヴィッチ博士に会うことは叶いませんでした。

万太郎のモデルの牧野富太郎さんも、博士が亡くなってロシア行きを断念したそうです。これは筆舌に尽くしがたい苦しみだったことでしょう。

最後の望みも絶たれてしまいました。

でも、万太郎は

やるべきことをやる。それしかない。
(万太郎)

と、もうめそめそしないで前を向きます。
どこにも属さなくても、ひとりでも、標本MAKINO collectionを作ることに。

涙も枯れるほど、ほんとうに何もかもなくなってしまうと、逆に、闘志が湧いてくることがあるもので。万太郎の表情がまた生き生きしてきます。

また、一からはじめる。寿恵子も、すっかり元気になりました。

やはり新たな生命に励まされているようです。
千歳役は、またまた、かわいい赤ちゃんです。

万太郎の白い着物が夏らしいのと、寿恵子の着物が抑えめな色になって(でも半絵襟はオレンジ色できれい)、ふたりとも第一子の死と第二子誕生で、いろいろなことを乗り越えて精神的に大人になったように感じます。

そこへ、綾(佐久間由衣)竹雄(志尊淳)が訪ねて来ます。
峰屋を廃業することになった報告と謝罪です。

自分のせい、みたいに言おうとする万太郎を、竹雄が制して

これは わしと綾 ふたりだけのもんじゃ
(竹雄)

ちょっとこれ、かっこいい。
ふたりの責任じゃ、ではなく、「ふたりだけのもん」というのがいい。
隣で聞いていた綾もきゅんとなったことでしょう。

自分たちがやろうと決めて新しい酒を作って失敗した、そこに悔いはない。
苦しいことも悲しいことも何かのせいにするのではなく、自分で背負う。そうすれば、その辛苦すら、甘美になる。受け止め方は自分次第。

可哀想とか不幸とかいう観点で自分の人生を決して見ない。どう見るか決めるのは自分。
主題歌の、「今を憎んでいない」と呼応しています。 

万太郎も、負けていません。

奪えんもんがある。名前はみんなここにある。
(万太郎)

と名言を吐きます。物(ブツ)は奪われても、頭や心のなかに記されたものは他者の手出しができないのです。

みんなたくましい。
ここのところ悲しいトーンが続きましたが、ようやく上向いてきたようです。

峰屋倒産の報告を受けたのも、ロシア行きを諦めたあとで不幸中の幸いだったかも。ロシア行くぞ〜と思って峰屋に期待していたところに、倒産と聞いたら、かなりがっかりするでしょうから。
下世話な話ですが、峰屋を売ったお金は、家を出た万太郎はビタ一文、相続できないのでしょうか。

「これは わしと綾 ふたりだけのもんじゃ」というのは、実はお金のことだったりして……。
なにしろ、峰屋は万太郎の財布じゃないと厳しかった竹雄ですから。
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–{第93回のレビュー}–

第93回のレビュー

お風呂屋さんの傍の階段は「らんまん」の定番の場所のひとつです。
風呂屋の帰りに涼む場所。万太郎(神木隆之介)寿恵子(浜辺美波)とも座って語らっていましたし、今度は竹雄(志尊淳)と語らいます。長屋時代はよくふたりでこうしていたのでしょう。

万太郎は竹雄に、寿恵子の話をします。明るく威張らず、献身的で、困難に負けない。そんな寿恵子を、万太郎は「笹」に例えます。のちに万太郎が名付けるスエコザサのフラグが立ちました(*伏線はあとあとまで仕掛けたことがわからないもの、フラグはあえてわかるようにしてあるものです)。

家、職場のほかにサードプレイスを持とうと、よく言われますが、場所は人にとってとても大事です。
長屋は大切な場所の最大のものであります。

長屋で、恒例になったドクダミを抜く作業をしながら、丈之助(山脇辰哉)が小説の原稿料が入ったら長屋を出ていくと宣言(例の遊郭の女性も身請けすると)。その様子を見た綾(佐久間由衣)は、ここは出るのも入るのも自由な場所だと感じます。出ていってもつながりは消えることはない。だから、自分も家を出てもやっていけると勇気を持ったのでしょう。

長屋は「広場」ーー民衆の集う場所です。

広場は欧米では確立されていて、そこで様々な人たちが集い、情報を交換したり商いをしたり政治的な話をしたり、ときにはお祭りをしたりします。こういう場所が必要なのですが、日本ではあまりありません。かろうじて神社がそういう役割をしています。劇場もそういう場所であるべきなのです。そして、長屋や団地。

綾の言う「どこでも生きていけるがじゃね」という場所がこの国にもたくさんあるべきなのですが、長屋みたいなものはいまはもうないです。近代化によって、こういう民衆の集う場がなくなってしまっているのです。

という社会的な話と並行して、下世話な流れになっていきます。寿恵子が質屋に行くと、話題の新聞小説の話を耳にします。その話は田邊教授(要潤)と妻の聡子(中田青渚)をモデルにして、かつ、ふたりの純粋な関係を矮小化しているように感じ、心配になった寿恵子が田邊邸に行くと、小説を読んで怒った人たちが抗議に群がっていました。

「破廉恥校長」と大騒ぎな様子は、さながら現代のネット炎上のよう。長屋のような広場の良さもあれば、かつての逸馬(宮野真守)の自由民権運動のような民衆の権利を獲得しようとする活動もあれば、こうやって群がって、勝手に誤解して、何かを潰していこうとする負の動きにもなる。人間が集まることの理想的な面と負の面を同時に描き出しています。

出世競争に打ち勝ち、女学校の校長になって、うまくいってるかに見えた田邊ですが、ここで躓くことになるのでしょうか。小説を見た寿恵子は知らない作家だと言ってましたが、丈之助の筆名だったら……と気になります。彼の小説の話がフラグでありませんように。

田邊と聡子の関係を真実を歪めていかがわしく書いた人が丈之助なのではなく、彼の話は、あくまで、近頃、小説は世の中に多く出回っていて、千差万別、ピンからキリまで、いろいろなレベルのものがあるということで、そこから新聞小説に寿恵子が出会うという流れなのだと思いたいです。

それにしても寿恵子。綾と「八犬伝」の話をしていて、「私なんかなんの取り柄もないの」と、と八犬士の戦いを見守る村人や草むらだと謙遜していました。綾は「本心?」と聞き返し、寿恵子こそ八犬士だと思うのに、寿恵子は自分を卑下する。寿恵子の場合は、その謙遜が決して暗くないのがいいのです。

果敢に、田邊邸に飛び込んでいく寿恵子はやっぱり八犬士です。

※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第94回のレビュー}–

第94回のレビュー

「(本当のことを)知らないのに人に石を投げつけているの」
(寿恵子)

新聞に、田邊(要潤)聡子(中田青渚)をモデルにしたいかがわしい小説が掲載されて、購読者たちがけしからんと田邊邸に押しかけます。

怯える子どもたちに、聡子は懸命に田邊に尽くしているのだと語りかける寿恵子(浜辺美波)
これは、万太郎(神木隆之介)のモデルの牧野富太郎と妻をよく知らずして、
お金にルーズで自分のやりたいことのために他人に頼ってばかりの夫と信じられないくらい献身的な妻というように、実際この眼で見てないことにもかかわらず、記事などを読んで安易に思い込んでしまうことへの警鐘にも思います

が、最も思い浮かべるのは、現代のネット炎上です。

小さな火がたちまち燃え移って大きくなってすべてを焼き尽くしてしまう。
いつの時代も、人々は激しく燃えます。

人の良いえい(成海璃子)ですら、新聞の内容だけ聞いて「最低。なにそれ」と火がついていました。寿恵子から事情を聞けば、理解するでしょうけれど、知らなければ、実話だと思いこんで、田邊を責める側に回っていたかもしれません。

寿恵子が聡子と子供たちを励ましていると、田邊が現れ、冷たい言葉を吐きます。

寿恵子は「槙野にご執心なのはあなたさまではありませんか」と鋭く言い返します。頼っているとかいう言葉ではなく、「ご執心」という言葉を選択するところが文学好きの寿恵子らしい。彼のなかの愛憎みたいなものを見抜いているのでしょう。

寿恵子は「殿方のことは私とお聡さんにはいっさい関わりがありませんから」と田邊と万太郎の確執と、自身と聡子の友情を切り分けます。そんな彼女を「無教養」と田邊はそしるのですが、それはそれ、これはこれと、分けて考えられないことのほうが教養のなさだと思います。それに気づけない田邊は、悪い人ではないけれど、残念な人です。

世間にも、田邊にも寿恵子がプンプンゆだっているとき、四国では万太郎が植物採集を行っています。植物標本を田邊に寄贈しないといけないから、ゼロからやり直しているわけです。そこで、出会った、遍路宿で働いている少年・山元虎鉄(寺田心)から不思議な植物を教えてもらいます。

「こんまいお遍路さん」と少年が呼ぶそれは、白くて小さくて群生しています。見たことのない植物に出会って、万太郎の探究心が燃え上がります。情熱の炎は善き炎。

「名前は?」と植物の名前を聞いて、少年が「山元虎鉄です」と答えてしまうところが微笑ましい。

おりしも夏休み、お盆休み、自然に触れに行きたくなりました。暑いですが。

余談ですが、田邊家に石を投げ、汚い言葉を投げつけ、子供を脅かし、暴徒と化す一般市民も、ふだんは善良な一般市民なのでしょう。彼らの姿を見て思い浮かんだのが、明治のあと、大正になって関東大震災が起こったとき、人々の誤解が取り返しのつかない事件に発展したことを映画化した「福田村事件」(9月1日公開)です。この映画は、人間が容易に他人を糾弾する側に回ってしまう、それも集団化して。そういうときのおそろしさを突きつけてきます。ご参考までに。

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–{第95回のレビュー}–

第95回のレビュー

遍路宿の少年・虎鉄(寺田心)の案内で出会った見たことのない植物に眼を輝かせた万太郎(神木隆之介)

4ヶ月の放浪の旅を終えて、東京に帰って来ました。

万太郎が連れ帰った植物を「お酒に浸かったヤッコさん」(ホルマリン漬け?になっている)と表現する寿恵子(浜辺美波)は、万太郎からこの植物が「帽子がとれると女になる」(帽子のような雄しべのなかに雌しべがある)と知ってびっくり。

栄養は椎木に寄生して取ることも含め、独特な植物のようで、これを研究するにはお金がかかる。万太郎は寿恵子にお金の工面を頼みます。

「得体がしれない。仕方ない! 借りましょう。どうにかなります。いえ、どうにかします」とたのもしい寿恵子。

「得体がしれない」から「借りましょう」って寿恵子の思考回路がどう繋がっているのか謎ですが、万太郎はほんとうにすばらしいパートナーと出会ったものです。

この植物は木に寄生していましたが、万太郎は実家や妻に寄生しています。

藤丸(前原瑞樹)波多野(前原滉)も変わらない友情で、万太郎を助けます。

藤丸、波多野、万太郎の3人で調べた結果、新種だとつきとめ、「ヤッコソウ」と名付けます。寿恵子が「ヤッコさん」と言ったからですね。

学術名には、虎鉄の名前を入れます。虎鉄の名前を勝手に使用するのではなく、ちゃんと報告とお礼の手紙を書きます。

虎鉄からの返事を読んだ万太郎は、ひとりではないと勇気づけられます。
藤丸、波多野もいて、何より寿恵子もいて。全然ひとりではないです。万太郎は人に恵まれているのです。いろんなものに寄生しているのです。寄生したっていいことは、植物の生態からわかります。動植物は寄生していても誰にもそしられません。

それに、万太郎は自分のやりたいことばかりしているように見えますが、植物に夢中で、自分のことはあとまわしです。

なにしろ、名前にこだわる万太郎ですが、自分の名前を名乗るのはかなり後。虎鉄に聞かれてはじめて名乗るのです。

田邊(要潤)がつくった新しい植物図鑑を見て、さぞ怒りや悲しみが湧いたと思いますが、冷静に受け止めていました。

そういう人だから、植物を通じて、自然と人が集まってくる。
大事なのはビジョン。目的。

フランスの哲学者・ルソーの言葉に「広場のまんなかに、花で飾った一本の杭を立てなさい、そこに民衆を集めなさい、そうすれば楽しいことが見られるのです」という言葉があります。

長屋が広場であるように、万太郎も、広場に花で飾った一本の杭を立てて、そこに人が集まってきているのです。

先週、今週と陰鬱な話が続いて、どうなることかと思いましたが、明るい前向きな気持ちで週の終わりを迎えることができました。

寄生することは悪いことではないのだ!

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–{第96回のレビュー}–

第96回のレビュー

第20週「キレンゲショウマ」(演出:深川貴志)はあっという間に3年の月日が流れます。

子供はふたりになり、寿恵子(浜辺美波)のおなかのなかにはもうひとり。経済的には借金取り(六平直政)から逃げているくらいなので相当困窮していると思われますが、子供3人ってすごい。不況で出生率の低下している令和日本では信じられない生き方です。モデルの牧野富太郎家はもっと子沢山だったそうです。昔はきょうだいが7、8人いることはざらだったんですよね。

3年前の問題は、喉元すぎれば熱さ忘れるといったところか、万太郎(神木隆之介)は何事もなかったように自費出版の植物図鑑を作っています。寿恵子が「もっと欲深(よくぶか)になって」と励ましたからでしょうか。もっと欲深……、いや、ならないほうが……。

欲深と言えば田邊(要潤)。彼のはじめた東大の植物図鑑も続いていますが、田邊はほとんどタッチしていず、彼はいまやふたつの学校の校長先生を兼任しています。これこそ彼の欲深さの成果でしょう。

例の下世話な小説問題は、訴訟を起こして勝訴、沈静化したのでしょうか。あんなに騒いで、あっという間に3年後、何事もなく、むしろさらに出世しているとは……。

田邊は結局、植物図鑑をはじめたことで出世できたのか、植物図鑑はもう田邊には必要ないのか、そのへんのことは今後また描かれるのだろうと思いますが、万太郎のように熱意がある人が経済的に困窮しながら自費出版をやって、どうやらまだあまり世間からは注目もされていない様子なのに、田邊は植物図鑑を人任せにしていることは理不尽だと感じます。
才能のある万太郎を邪魔するための出版活動なんて虚しい。

ただ、その図鑑で、藤丸(前原瑞樹)が日本初の変形菌の論文を発表し、長らく留年していた大学を卒業できることになったので、まったく役に立っていないわけではないようです。
才能ある若者の道を作るきっかけになっているなら、それはそれで良い。

万太郎は、大学や博物館など権威筋からの協力は得られなくなりましたが、四国植物採集をきっかけに、ひとりではないと元気づけられたこと、丈之助(山脇辰哉)のアイデアで、新聞に、植物の名前教えますという広告を出したことで、全国の一般市民からの植物情報を得ることができるようになります。権威に頼らず民間でなんとかする。大事なことです。
そして、地図に、植物に、見つけてくれた人たちの名前を記していきます。
たぶん、この、この世界に生きる人達の存在意義を、名前を認識することで強調する。それがモデルとは違う、ドラマならではのテーマなのだと感じます。

丈之助の提案は、長屋を出るにあたっての置き土産。定職につき結婚することになった丈之助は髪も服もさっぱり。ほかの長屋の人たちも、それぞれの道を見つけ、長屋を出ていきます。
倉木(大東駿介)に万太郎が別れ際「大好きじゃ」ともったいつけて言うのは、最初の出会いは最悪だったけど……ということでしょうか。照れ屋の倉木にあえてそういう言葉を使ってさらに照れさせたいという意図かもしれません。

第19週はジョイマン高木が話題になりましたが、第20週はなすびが出てきました。運送業を営む人物役と思いますが、あまりに溶け込んでいて、見逃してしまいそうでした。高木さんも今週は静かに郵便を届けていました。これはこれで無駄遣い感がありますし、ネタをやったらやったで批判が出る。難しいものです。

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–{第97回のレビュー}–

第97回のレビュー

寿恵子(浜辺美波)が大活躍。強面の借金とり・磯部(六平直政)を見事に攻略してしまいます。
明治23年、万太郎(神木隆之介)の借金は200円に膨らんでいました。

返せるのは2円50銭。
朝ドラ鑑賞に必携、週刊朝日編「値段史年表 明治大正昭和」によりますと、
明治22年の歌舞伎座の観劇料が4円70銭。
万太郎の植物図鑑は一冊20銭。

その頃の、田邊(要潤)の給料が3000円とドラマのなかで言われてました。

再び、週刊朝日編「値段史年表 明治大正昭和」によりますと、
明治24年の都知事の給料が4000円ですから、田邊はかなりの高給取りでしょう。
万太郎のように実家が太くなければ、大学出て、あれこれ政治的な振る舞いをして出世することで
富を得ることができますが、万太郎はその道を選ばず、やりたいことのみをやるには、どうしたらいいかーー

名軍師と組むことです。

借金取りがくると、寿恵子は赤い旗を掲げ、万太郎に隠れるように合図します。
そして、寿恵子がお相手します。

強面の人物に怯むことなく、「白浪五人男」ふうに毅然と対応する寿恵子。
体を売ればいいと言われても軽くいなします。

ふつうは泣いてすがるのにと不思議がる磯部に、寿恵子は万太郎の可能性を説きます。
寿恵子は、万太郎の活動が必ずお金になると信じているのです。

そして、出資をもちかけます。
「磯部様」と丁寧に呼び、滝沢馬琴と蔦屋重三郎が組んで商売繁盛した根拠をあげ、
出資してくれれば謝辞を本に入れると言う。まったく寿恵子はできた人。
謝辞を入れるってやっぱり大事なんです。

磯部も着ているものが洒落ているし、「白浪五人男」に反応するなど、たぶん、文化芸術に理解ある人なのでしょう。

磯部が帰ったあとに、質屋の中尾(小倉久寛)にお金を返します。
ほんとうならもう流すはずの背広をまだ流さずに待ってくれていました。
質屋は、人情と商売の中間の仕事で、磯部の仕事は情け無用の徹底的に商売重視なのでしょう。

明治も23年が過ぎて、時代はますます変化しています。唐突な中尾の新聞投書によると、23年には第1回衆議院選挙が実施されています。そのときの当選者は半数以上が平民で、いよいよ平民の時代になってきているのです。武士の時代は権利や富が世襲されましたが、持たざる者だった平民が権利や富を得る可能性が出てきたのです。

世襲の財産に頼ってきた万太郎が、寿恵子と組んで商売をしていくという、日本経済の変わり目を軽妙に描きだします。

「値段史年表 明治大正昭和」によりますと、

質屋の利息は
明治20年で10円に対して27銭5厘
明治24年で25銭4厘 

定期預金の利息は 東京の銀行の6ヶ月の定期で
明治20年で4分7厘
明治25年で4分3厘9毛

時代の変わり目とはいえ、まだ旧幕時代の名残のようなこともあって、22年、文部大臣・森有礼(橋本さとし)が暗殺されて、彼に頼っていた田邊に暗雲が立ち込めそうな予感……。

この説明場面、中尾が質草としてお鈴を預かり、チーンっと鳴らすのも、一難去って長屋でみんなですいかを食べて、こういう人間関係の良さを感じさせるのも巧い。

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–{第98回のレビュー}–

第98回のレビュー

「美しいきこそ 強い」
(佑一郎)

ミシシッピの橋の工事に参加していた佑一郎(中村蒼)が帰って来ました。

寿恵子(浜辺美波)が気を利かせて子供たちを連れて席を外し、
万太郎(神木隆之介)と佑一郎は二人きりで、積もる話を語り合います。

寿恵子は白玉を食べに行こうと言ってましたが、あんなに借金していて、白玉を食べるお金はあるのか心配になります。
路地を歩いているとき、男の子が躓いたのは、たぶん偶発的なことでしょう。転ばなくてよかった。

佑一郎は橋の機能美を称え、「美しいきこそ 強い」という認識に到達しました。それを万太郎は理解します。植物はどれも美しく、強いですから。橋も、植物も、虚飾がない。余分なものがない。その姿はすべて、何かを行うのに必要なもので成り立っています。削ぎ落とされたものは美しい。

ふたりの目の前には洗濯した浴衣が干してあります。浴衣もシンプルで美しい。

でも佑一郎は、アメリカで人間のすばらしさを目の当たりにすると同時に、人種差別のおそろしさも味わっていました。北部と南部で繰り広げられている戦争の元は奴隷制、それもつまり奴隷差別で……。

それを語るとき、彼は、紙風船を持っています。赤、黄色、緑、白……紙風船は色々な色が張り合わせてできています。こんなふうに色々な肌の色の人たちが調和した世界になればいいのです。

万太郎は植物に優劣をつけず、同等に扱っています。

でも、紙風船を万太郎は、ぱしっと部屋の奥にはたき入れてしまいました。ここは、紙風船を大事に抱えてほしかったかも。いや、絶望の表れか…。

佑一郎は北海道で教授になると言います。出世です。
出世していた田邊(要潤)は、突然、女子学校廃止を知らされます。事前に聞かされるのではなく、いきなり官報で知るのはショックでしょう。
目をかけてくれた森有礼(橋本さとし)が殺されたので、立場は危うい。

いつも廊下ですれ違い、嫌味を言う美作秀吉(山本浩司)がここぞとばかり嫌味を言いまくります。このふたり、熾烈な出世争いを繰り広げていましたから。

峰屋の分家たちも最終的にはいい面があって、完全にいやな人はいないように配慮されているように感じる「らんまん」ですが、美作と高藤(伊礼彼方)にはいやな面しか出てきていません。おそらく今後、高藤の再登場は期待できず、いい面を見ることもなさそうですが、美作もこのまま、廊下で嫌味を言うだけで終わるのでしょうか。名優・山本浩司さんの無駄遣いはもったいない気がします。

ただ、美作と田邊の確執は、偏見によるもので、この偏見こそ差別の元であり、それを歴然とさせるという意味で重要です。

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–{第99回のレビュー}–

第99回のレビュー

女学校が廃止になって田邊(要潤)は校長職を失い、やけ酒を煽っていました。
もっと酒をと求める田邊に、聡子(中田青渚)は毅然と拒否します。

いままで、おとなしく、夫の後ろで言うことに従っていた聡子ですが、誰よりも田邊を理解し尊敬している、頼もしい味方。

日本で植物学をはじめたのは紛れもない田邊であると、そして、そのあとに続くものがいること。それを田邊の愛するシダになぞらえて「始祖にして、永遠」ーーこんなふうに認めてもらえたら、報われるでしょう。

やけ酒というのは満たされないから飲むわけで、言葉を尽くした思いやりが注ぎ込まれたら、酒など不要かもしれません(人にもよりますが)。

聡子は、鹿鳴館、西洋の音楽、ローマ字とせいいっぱい働いたことも認めたうえで、「それがやりたかったことですか?」と切込み、校長職がなくなったいまこそ、植物学に打ち込めるではないかと背中を押すのです。

いろいろ失くして、誰にも認めてもらえないと悔しがっている人に、これほど理想の励ましはないでしょう。

田邊は植物も好きだけれど、世の風潮で、政治的なふるまいをして出世することに
時間をとられていたことを指摘し、違う角度で状況を見ることを促す。寿恵子(浜辺美波)もすばらしく前向きな妻ですが、聡子も負けていません。このふたりは基本、似ていて、いわゆる「良妻賢母」そのもののように感じます。

子供たちに「お父様をお守りできるのはお母様とあなただけなの」と教え(「お守りします」という子供たちがいたいけ)、群がる人々の前にも堂々と出て対応します。

女学校で手をつけられた幼妻みたいなへんなイメージをもたれていたことでしょうから、その張本人が出てきてきちっと対応すれば、イメージも変わることでしょう。

森有礼(橋本さとし)は亡くなって残念ですが、田邊夫婦に新たな旅立ちをもたらしたのです。

久しぶりに東大の研究室にやって来た田邊。その部屋には、楽器や書物、田邊の愛するものが置かれています。改めて自分が何をしたいか立ち返った感じがします。大窪(今野浩喜)波多野(前原滉)や学生たちが心配そうに見守るなか、田邊は、今年は植物採集に一緒に行くと言い出します。

ホコリまみれの胴乱をとりだし、ホコリをはらって咳き込む田邊。
胴乱も黄色でおしゃれで、田邊のセンスの良さと経済力を感じます。

久しぶりに植物採集をした田邊は、これまでになく生き生きとした表情に。体をたくさん動かしたせいもあるでしょう。自然のなか歩くと顔つきは格段に変わりますから。しかもそこで珍しい植物を発見!

田邊が失脚した後、美作(山本浩司)が再び出世します(しかし出世がコネ頼りばっかりでそういう現実にはほとほとがっかりします)けれどもう、田邊はほかに目標を見つけたので、相手にしていない感じ。

ただまだ心配ごとはあって。田邊がやる気になった新種かもしれない植物を、同じころ、万太郎(神木隆之介)も出会っていました。

田邊と万太郎、またぶつかってしまいそうです。
これだけ田邊に感情移入できるように描いているので、ふたりの関係性を見ていると胸が痛い。

それはそうと、美作は廊下の場面にしか出てきませんが、これまでの登場シーン、全部まとめ撮りだったりして……。

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–{第100回のレビュー}–

第100回のレビュー

田邊(要潤)は「欧米の学者は頼らず、日本人自らが自分で学名を与え発表するとここに宣言する」という宣言を表明しました。

有言実行。植物採集で発見したキレンゲショウマを研究し、
「世界でもまれに見る特異な植物であり」「新属新種であること」を突き止めました。そして、学名にtanabe の名前もつけます。

これが日本人が日本の雑誌に発表した最初の新属になりました。

ほかにない一種。田邊が愛したシダーー「始祖にして、永遠」と同じく、唯一無二の、孤高の植物とは、田邊らしい。
人生に迷った末、このひとつを発見するとは、田邊も強運であります。

同時期に、万太郎(神木隆之介)も同じ植物を調べていましたが、田邊は大学の資料や人材を総動員して研究をすすめ、万太郎は明らかに不利な状況で研究し、その差は歴然としていました。

「まさか同じ植物を調べていたなんて」
波多野(前原滉)が気の毒そうに言いますが、万太郎は潔く「おめでとうございます」と心のなかで祝福します。

悔しいけれど清々しい。互いの健闘を讃える。この感覚は、スポーツの試合のような感じではないでしょうか。

田邊はすっかり満たされた様子で、聡子(中田青渚)のおかげだと、彼女の誕生日に何かプレゼントをしようと申し出ます。

「一日だけあなたをください」と聡子は、子供を連れて海に行きたいとねだります。
聡子の台詞は素敵だけれど、
海はやめとけ。

田邊のモデルになった人の人生を知っていると、不安しかない。
背景にはらはらと花びらが舞っているのも美しいけれど儚くて、フラグを感じます。

が、学名が、モデルのyatabeではなく、役名のtanabeであることで、世界線が違うのではないかという一縷の希望も……。

これまで、実際の学名に使用されている名前は、役名も変えずに同じにしていましたから。

田邊は唐突に大学を罷免され、代わりに留学帰りの徳永(田中哲司)が教授になります。
一瞬、徳永が、田邊派から美作(山本浩司)派に素早く切り替えた調子のいい、いやな人だった?と思わせて、そういうわけでもなく、美作が見ているうちは彼を立て、でも、田邊とふたりきりになったら、ちゃんとこれまでの関係性を感じさせます。

「わたしも世界を見てきましたよ」と徳永が田邊に握手したのは、
聡子が第99回で「旦那様のはじめた学問には続く人がいます。あなたがはじめたんです」と言ったように、たとえ教授の座を追われても、田邊の精神は引き継がれるのです。
始祖にして、永遠。そういうことなのかなと思いたい。

田中哲司さんが、徳永は何を考えてるのか、想像の余地をたっぷりもたせた表情をしていて、出世を選ぶやな人にも、人情を大事にするいい人にも極端に振らず、感情過剰にしていないことが、あくまで行動原理が知性と理性がベースなのだと感じられて心地よかった。

田邊は、徳永より直情的です。そこが彼の不器用で損なところでしょう。こんなに人間関係をうまくやっていけないのにここまで出世できていたのは、それだけ学問に関しては優秀だったのでしょう。

教授の部屋を出ていくとき、それまでいろいろ田邊の好きなもので彩られていた部屋がすっかり何もなくなって、胴乱しか置いていませんでした。
田邊が最後は、植物学を最も大事にしていたように感じました。
胴乱は、誰かが使うでしょうか。

余談ですが、田邊の家の障子にシダの模様がついていたのが洒落ていました。

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「らんまん」をU-NEXTで視聴する
–{「らんまん」作品情報}–

「らんまん」作品情報

放送予定
2023年4月3日(月)より放送開始


長田育恵

音楽
阿部海太郎

主題歌
あいみょん「愛の花」

語り
宮﨑あおい

出演
神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣、笠松将、中村里帆、島崎和歌子、寺脇康文、広末涼子、松坂慶子、牧瀬里穂、宮澤エマ、池内万作、大東駿介、成海璃子、池田鉄洋、安藤玉恵、山谷花純、中村蒼、田辺誠一、いとうせいこう ほか

植物監修
田中伸幸

制作統括
松川博敬

プロデューサー
板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久

演出
渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか