『君たちはどう生きるか』がわかりやすくなる「8つ」の考察|宮﨑駿が“アニメ”または“創作物”に込めたメッセージとは

映画コラム

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『君たちはどう生きるか』は公開からわずか4日間で観客動員数135万人、興行収入21.4億円を記録した。そして、現在82歳の宮﨑駿監督が「ここまで」の作品を作り上げたことそのものに感慨深さがある、とんでもない映画だった。

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この記事では、「宮﨑駿によるかつての自分への手紙」などと記したが、それだけを目的とした作品ではないと、3回観た上で確信した。はっきり、本作にはメタフィクション的な言及があるからだ。

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決定的なネタバレのない範囲での「こう考えればわかりやすくなる」要素

まず、劇中で迷いこむ“下の世界”はアニメ業界、もっといえばスタジオジブリ、はたまた創作物全般のメタファーといえる。その印象は、『メアリと魔女の花』を思い切り連想させた。

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それをもって、宮﨑駿は自身の作品に対して“自己完結”をさせたいと願っていたのではないか。同時に、それでもなお残る、自身の作品、いやアニメ映画、いやすべての創作物に親しんできた観客へのメッセージを投げかけるべく、世に送り出したと思えたのだ。

そして、難解にも思われる本作だが、キャラクターそれぞれを宮﨑駿本人、または周囲の人たちなどの投影と考えると、ものすごくわかりやすくなる。それぞれひとりずつ、または複数の実在の人物をモデルにしているようにも思えたのだ。

ここでは、キャラクターそれぞれを分析し、内容を解説・考察していこう。以降は結末を含むネタバレ全開となるので、鑑賞後にご覧になってほしい。

※以下、映画『君たちはどう生きるか』の結末を含むネタバレに触れています。なお、考察はオフィシャルのものではなく、筆者個人の主観をもとに構成しております。

–{悪夢のような支離滅裂さにも理由があった?}–

1:眞人のリアクションの薄さと、悪夢のような支離滅裂さの理由

キャラクターそれぞれの解説・考察の前に「悪夢のような支離滅裂さ」がある理由に触れておきたい。

特に気になったのは、部屋にやってきたアオサギが人間の言葉でしゃべったのに、主人公の眞人がただ「しっしっ」と追い払ったこと。「しゃべった!?」と驚くであろう観客とかなりの乖離があるのだ。それは頭の傷の痛みもあってのことかもしれないし、物語の序盤で(後述するナツコへの嫌悪感もあって)ほとんどしゃべらない冷静沈着な眞人らしい言動ともいえるが、それだけではないだろう。

それ以外でも、下の世界はペリカンやインコなどの生き物が存在しており、それぞれの世界のつながりもどこかつぎはぎで、母であるヒミやおばあさんだったはずのキリコが若返った姿でいたりと混沌としており、まるで悪夢を観ているような感覚がある。全体的なトーンも、かなりダウナーだ。

このような作風になった理由は、陰惨で残酷な場面もある小説「失われたものたちの本」からの影響が強いと思われる。

宮﨑駿監督は「刺激を受けたが、原作にはしない」と明言しているのだが、第二次世界大戦のさなかであったり、主人公の少年の鬱屈した感情だったり、死んだはずの母からの声が聞こえるなど、ほとんど「原案」と言っていいほどに共通点が多い。その中には、以下のような記述もある。

「デイヴィッドは、白日夢を見るようになっていました。彼には、そうとしか説明のしようがありません。それはまるで、たとえば夜遅くに読書をしたりラジオを聴いたりしているうちに疲れてきて、ほんの刹那、睡りに落ちて夢を見はじめたというのに、自分が寝てしまったのも分からないものだから、世界がとても怪しげなものに見えてくるような感じなのです」

『失われたものたちの本』43ページ

下の世界に行く以前から、まるで恐ろしい悪夢が現実に侵食してきたような恐ろしさがあるのは、まさに“白日夢”だからだろう。

眞人がアオサギがしゃべったりしても驚かなかったり、ナツコが森に入っていくのを見てもスルーしてしまうのは、「夢の中で変なことが起きても驚いたりするリアクションをしない」ことへの反映ではないか、とも思うのだ。

2:悪意が“自分を傷つける”かたちで表出した眞人=かつての宮﨑駿?

眞人は、石で自分の頭を傷つけた。同級生と取っ組み合いのケンカにもなっていたこともあったが、彼はそれ以上の深い傷を自らつけて、父やナツコに「自分で転んだ」とウソまでついたのだ。

その理由のひとつは、母の妹であるナツコが新しい母になること、お腹の中に赤ちゃんがいることへ、そこはかとない拒否反応または嫌悪感をつのらせていたことだろう。さらに、父は後に転校先へ車で乗りつけたり「学校なんて行かなくていい。どうせろくに授業もしていないんだから」などと言ったりと、一方的な“善意”を押し付けてくる存在でもあった。

そのような環境にいて膨れ上がっていった眞人の悪意が、他の誰かを傷つけるのではなく、まるで自分への“罰”のように表出したのだろう。もしくは、自分の苦しみを物理的な深い傷として、その原因でもあるナツコと父に見せようとしたのではないか。最終的に、眞人は自分自身でつけた頭の傷を「悪意のしるし」だとも言ったのだから。

だが、眞人はとてもやさしく、誠実であろうと奮闘していた少年であったとも思う。ナツコの寝室から盗んだ(2本だけしかなかった)タバコも、屋敷のおじいさんにあげて(その見返りのためか)刀の研ぎ方を教えてもらっていた。

悪意のままに迫ってきたり、ニセモノの母を作ってだましてきたりしたアオサギには、攻撃をしていたが、後にはくちばしに空けた穴を埋めてあげたこともあった。ヒミの炎により“わらわら”が燃えたことに、声を荒げていたこともあった。何より、今の自分は好きではなくても、“父が好きな”ナツコのために危険な場所へも自ら赴いた。

つまり眞人は、本質的にはやはり他の誰かが傷つくことを嫌う、いや他の誰かのための行動を常にしている性格なのだ。だからこそ、自分を傷つけてしまうことも厭わない危うさもあったのだろう。

そのような矛盾に満ち満ちた眞人と、この映画の監督である宮﨑駿とは、空襲を経験していたり、幼い頃から母が不在(寝たきり)だったりするなど共通点が多い。しかも、両者は吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」を読み感銘を受けていた。

その小説が提示する教訓はとても多く一言では表せないが、「大きな苦しみを感じるのは、自分が正しい道を進んでいるからだ」があることを告げておこう。

眞人は現実で苦しみ、下の世界でさまざまな経験をして、自分の中に悪意があることを認め、現実へ戻ることを決めた。

宮﨑駿が、母を失うなどして大きな苦しみを受け、それでも“正しい道”を進んでいった、かつての自分自身の姿をファンタジーを持って描いたのが、この映画なのだろう。(眞人が託されたメッセージは他にもあるが、それは記事の最後に記す)

–{アオサギ=高畑勲?}–

3:下の世界へ誘う慇懃無礼なアオサギ=高畑勲?

ポスターにもなっているアオサギが、あんなにも大きく醜い鼻を持ち、慇懃無礼な話し方をする小ずるいキャラクターだと思いもしなかった人は多いだろう。

そのモデルは、共にアニメを作ってきた仕事仲間たち、特にこの映画の制作中に亡くなった高畑勲監督なのではないだろうか。

高畑勲(アオサギ)は初めこそアニメの世界(下の世界)へと丁寧な言葉で誘ったりもするが、罠であることがバレバレであっても宮﨑駿(眞人)はそこに行く。どうにも不遜なことばかりをするので、ケンカもしたくなる。でも、なんだかんだ良いコンビにもなっていき、宮﨑駿作品によくいるタイプの豪快な性格の女性(キリコ)に「あんたら仲良くやりなよ」とたしなめられるし、本当にピンチに陥った時には助けてくれたこともあった……そんな宮﨑駿と高畑勲の「犬猿の仲のようで実は親友」な関係が、眞人とアオサギに投影されたように思えたのだ。

現実における宮﨑駿の高畑勲への愛憎入り混じる言動は、もはや恋する乙女に見える時もあったそうだ。夢を見るのかという質問に対し、宮﨑駿は「夢はひとつしかない、いつも登場人物は高畑さんです」と言ったこともあったらしい。青春期を捧げた高畑勲への想いを、宮﨑駿は「性格も含めて醜くてちっともかわいくないが、なんとも人間くさくて好きになってしまう」、下の世界に誘うアオサギのキャラクターへ込めたように思えたのだ。

※参考記事:宮崎駿が高畑勲『かぐや姫』を「あれで泣くのは素人」とディス!? でも本音は…|LITERA/リテラ

そう考えると、眞人とアオサギが「ウソツキ」についての問答をしていたのは、やはりアニメ業界そのものが「体よく新人を迎え入れるがウソばっかり」な気質だという、ブラックなジョークなのかもしれない。

4:下の世界で積み木を組み立てていた大叔父=年老いた宮﨑駿?


※以降、『すずめの戸締まり』のネタバレに触れています。ご注意ください。

下の世界にいた大叔父は、老年期である今の宮﨑駿の姿であるのだろう。「頭が良いが、本を読みすぎて変になってしまった」のも、塔に引き篭もるどころか現実から離れ下の世界(スタジオジブリというかアニメ業界)に居続けるのも、自分自身の姿を自嘲気味に捉えたからなのかもしれない。その塔が下の世界でいろいろな場所でまたがって存在していたのも、やはりその場所を作り上げたのが大叔父=宮﨑駿ということだと思うのだ。

さらに、昔に空から落ちてきた“隕石”は宮﨑駿が影響を受けたアニメ映画のメタファーだろう。おばあさんの昔話と、その時の轟音を聞いた眞人の父は「まるで雷だな」と言っていたが、それはそのまま宮﨑駿の「雷に打たれたような衝撃」だったに違いない。

その隕石の周りを、建物(塔)で囲おうとしたものの、崩れ去ったりしてしまうのは、制作チームでうまく連携が取れなかったり、はたまた模倣をしようしたけどうまくできなかったことなどの、創作の苦しみそのものだったのかもしれない。

そもそもの「塔は大叔父が建てたと噂で聞いていたが、実際は空から落ちてきた」というのも、宮﨑駿が他人から唯一無二だと捉えられたりする自身の作品を、実は思い切り先人たちの作品の影響下にあることを自覚していたからだろう。

『君たちはどう生きるか』にしても(今までの宮﨑駿監督作も)、少年少女と鳥と独善的な王というキャラクターなどが、フランスのアニメ映画『王と鳥(やぶにらみの暴君)』から強い影響を受けているのは明らかだ。

そして、終盤に登場する“積み木”は、明らかにアニメ映画または創作物、もしくは宮﨑監督作のメタファーだ。その積み木を悪意のある墓石だと気づき(=後述する創作物の本質を見抜き)、積み木を足すことができると言われる眞人は、はっきりと宮﨑駿の“後継者”になれる人物ともいえるのだが……同時に、眞人はかつての宮﨑駿の投影でもあるのだ。

つまりは老年の宮﨑駿が、少年の宮﨑駿に後を継がせようとするという、ぐるぐると円環構造で繋がっているような構図もそこにある。ここで丘の上の光景を含めて、『すずめの戸締まり』を思い出す方もいるだろう。

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もしかすると、大叔父が「自らの血を引き継いだ者にしかできない」と言っていることからして、眞人には息子である宮崎吾朗にも投影されていたのかもしれない。もしくは物理的な血を継いでいなくても、後述するように作品を楽しんだ上で新たな作品を世に送り出す、これからのアニメや創作物のクリエイターへの期待を眞人に託しているとも考えられるだろう。

余談だが、『アーヤと魔女』の頃から宮﨑駿の「﨑」は「たつさき」表記へと変わっているのに、なぜか宮崎吾朗は「崎」表記のままだったりもする。それは「これからはかつての自分(の名前)を大切にするが、それを息子にまで押し付けたりはしない」という気概の表れなのだろうか……?

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また、映画『君たちはどう生きるか』の下の世界では、『もののけ姫』のコダマに似ているわらわらや、『崖の上のポニョ』の船の墓場のような光景など、今までの宮﨑駿監督作をほうふつとさせるキャラクターやモチーフが登場する。そこから、良くも悪くも「かつての宮﨑駿監督作品の集積」だと思った方もいるだろう。

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だが、これまでの宮﨑駿作品にあった世界や描写のつぎはぎで、かつてのフレッシュな魅力に欠けている印象でさえも、年老いた宮﨑駿自身でもある大叔父を世界の重鎮として置くことからして、「老い」に自覚的な内容なのだとも解釈できる。その作品の姿勢は、現在公開中の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』をも連想させた。

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さらに、大叔父は「13個の石を、3日に1つずつ積み上げて、世界の均衡を取る自分の役目を引き継いでほしい」とも言っていた。

『ルパン三世 カリオストロの城』から短編『On Your Mark』も含め、この『君たちはどう生きるか』までの宮﨑駿が監督した作品の数がちょうど13本である。

「3日」は、現実で映画を作るのには「3年」かかることを示唆していたのかもしれない。

–{インコ大王のモデルは……?}–

5:慌てて積み木を組むインコ大王=鈴木敏夫……ではなくダメなプロデューサー全般?

インコ大王は、眞人に「とにかく石を積むんだ」などと訴える大叔父に対し、「閣下はこんな石ころに世界の今後を委ねるつもりか!」などと憤ったあげく、積み木を慌ててデタラメに積んだら崩れかけ、あまつさえ自身の剣で真っ二つに壊してしまう。

これは、ほとんど「作品についてあれこれと口出しするばかりか、自分の手で作品を壊してしまう」世にいるダメなプロデューサーのメタファーにさえ思えた。

そのダメなプロデューサーのようなインコ大王を、二人三脚で作品を作り上げてきたはずの鈴木敏夫の投影……と思うのはさすがに意地が悪いような気もするが、いずれにせよ「作品に横槍で余計なことをするやつ」ではあるだろう。ナツコのいる“産屋”に訪れた禁忌について口うるさいのは、既存のルールに縛られて融通の効かないダメさを表現していたのかもしれない。

また、老いたペリカンの「海には魚がほとんどいなくなり、わらわらを食べるしかなくなった」「中には飛ばない者もいる」「どこまで飛んでも島にしか辿り着かない」などの遺言は、スタジオジブリでの過酷な作業でボロボロになり飛べなく(アニメを描けなく)なったスタッフたちを憂いていたからこそのセリフとも解釈できる。

インコたちの姿形が現実と下の世界とで変わったり、自分たちのご先祖さまたちがいる場所を「天国のようだ」「美しい」などと言って涙を浮かべるのも「アニメ業界にいると人が変わる」ことのメタファーかもしれない。

(※2023年12月16日追記:NHK総合で放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』“ジブリと宮崎駿の2399日”にて、大伯父=高畑勲、サギ男=鈴木敏夫、キリコ=ジブリ作品で色彩設計を担当した保田道代であるとされた。これは雑誌『SWITCH Vol.41 No.9 特集 ジブリをめぐる冒険』でも鈴木敏夫から語られていたことだが、同番組では宮崎駿監督本人が「大叔父のモデルはパクさん(高畑勲)だ」とはっきりと答えている。ナレーションでは「宮崎は映画の中で高畑と完全に決別した」などと解釈が語られている)

6:少女の姿をしたヒミ=元気でいてくれる母という願望?

宮﨑駿作品では、母親が印象的なキャラクターとしてよく登場する。『となりのトトロ』のお母さんは宮﨑駿の母が幼少期から寝たきりだったことも少なからず投影されているのだろうし、『崖の上のポニョ』ではその反対に快活なママを描いたこともある。

今回の少女の姿をしていて「母さんが焼いてくれたみたい」なパンを食べさせてくれたヒミは、宮﨑駿からの「元気でいる母の姿を見たい」という“願望”なのではないか。

ヒミとキリコは“時の回廊”で眞人とは違う扉を通り、それぞれの本来の年齢の姿の時間へと帰って行ったのだろう。その際に、眞人は後の火事で死んでしまうヒミに行かないことを望んでいたが、ヒミは「炎は平気だ!素敵じゃないか!お前のお母さんになれるなんて!」と言ってのけた。

これは、実際は焼け死んでしまう母の強がりではなく、下の世界でヒミが“炎を我がものとしていた”ような、やはり母の精神的な強さを見たいという、やはり宮﨑駿の願望だと思えたのだ。

さらに、眞人は(現実の世界に帰すための方便なのだろうが)「あなたなんか大嫌い」とまで言った母の妹のナツコを、「ナツコ母さん」と呼び、もうひとりのお母さんだと認めていた。

下の世界は夢であると同時にアニメ映画などの創作物であり、それは“現実逃避先”にもなり得るのだが、眞人はそこに耽溺するだけでなく、それぞれの母の姿を見て現実へと向き合えるようになったのだ。

宮﨑駿は、まさにアニメを現実逃避先にしてほしくない、後述するように“現実で生きるための力”にしてほしいという願いがあったのだろう。

7:創作物の本質と『ゲド戦記』との対比

大叔父は「美しいものも醜いものもある下の世界を、眞人が悪意に染まっていない積み木を足すことで、穏やかで平和で自由な場所にすることもできる」と言っていた。

しかし、眞人は自分の中に悪意があることを認め、現実の世界に帰ることを決める。そこには、創作物の本質は、穏やかでやさしいだけでない、善意や悪意など、良いも悪いも含めた物事や人物を描くことにもある、という提言も含んでいるのだろう

この大叔父と眞人の対話は、漫画版「風の谷のナウシカ」の終盤のナウシカと墓所の主とのやり取りをほうふつとさせる。主人公の内面や世界そのものに「光と闇」の両面があると示すことは、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』(またはアーシュラ・K・ル=グウィンによる原作)も連想させた。

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ちなみに、この映画『君たちはどう生きるか』の主題歌「地球儀」を提供した米津玄師は、その漫画版のナウシカと墓所の主とのやり取りが好きで、「音楽を作る時の指針になっている」と2018年7月のラジオ番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で語っていたこともある。

関連記事:<考察>『君たちはどう生きるか』主題歌「地球儀」に込められた、米津玄師から宮﨑駿への想いとは

また、映画『ゲド戦記』監督である宮崎吾郎は主人公アレンが父を刺したことについて、「自分を取り巻いている隙間のない存在の象徴が父親だと思った」などとと考えていた。

一方、『君たちはどう生きるか』でも父の存在が明らかに眞人を苦しめていたが、父ではなく自分を傷つけたと、というのも興味深い。

–{最後のストレートなメッセージ}–

8:アニメ映画や創作物は、友だちになれる


※以下、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』と『千と千尋の神隠し』のネタバレに触れています。ご注意ください。

現実の世界に帰ってきた眞人は、キリコの人形と落ちていた石とを持ち帰ったことに対して、アオサギにこのように言われる。

「お前、あっちのこと覚えているのか。忘れろ忘れろ、普通みんな忘れるんだ」「持ち帰った?これだから素人はいけねぇんだ」「(キリコの人形に対して)強力なお守りだ」「(石に対して)大した力はない、じきに忘れちまう」「でも、それでもいいんだ。じゃあな、友だち」

これらの言葉が意味するところは言うまでもないだろう。

アニメ映画や創作物はお守りのように人の心を強くしてくれるかもしれない、もしくは大した力はなくて忘れてしまうのかもしれない。だけど、友だちにはなれる。そう宮﨑駿監督は、ストレートなメッセージとして打ち出したかったのだ。

人間(キャラクター)であるキリコのお守りのほうは、現実で似た友だちを見つけられるかもしれない、という点において“強力なお守り”なのだろう(しかもその場でお守りはおばあちゃんのキリコへと変身する)。一方で、そのあたりに落ちていた石は、そのキャラクター以外のアニメや創作物における一要素なので、“大した力はない”と宮﨑駿は自覚しているのだろう。

そのことを、まさに親友であった高畑勲監督をモデルにしたと思しきキャラクターに言わせたのだ。しかも、今まで敬語で話していたはずのアオサギは、それこそ友だちのようなフランクな(でもやっぱり小憎らしくもある)しゃべり方になっていた。

アニメや映画を観て、「救われた」「人生が変わった」と言うことはよくあるかもしれないが、それを友だちと見立てるというのは珍しいが、なるほど本質的な捉え方なのかもしれない

いつかは忘れたりするかもしれないけど、一緒にいて楽しい思い出が残ったりもする、友だちだと思えるほどの創作物は、なんと素晴らしいのか、その言葉をアオサギと交わした眞人は、かつての宮﨑駿であると同時に、世間一般の観客でもあり、これから新たな作品を世に送り出すアニメや創作物のクリエイターの姿でもあるのだろう。

そして、眞人は下の世界で大叔父に「ヒミやキリコ、アオサギのような友だちを(現実で)見つける」ことを、まさに目標として語っていた。ラストで家族と共に東京に帰る際に、母の形見でもある小説の「君たちはどう生きるか」を鞄に入れていた。

創作物は作り物であるし、劇中で展開するのは現実にはあり得ないファンタジーだったりもするが、そこから何かを持ち帰った(一緒に帰ってきた)り、何かの目標を見つけてもいいんだと、「観客をアニメから現実へと送り出してくれる」ことから思い出したのは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』だった。

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“最後に何かが残る”ことは、『千と千尋の神隠し』のラストで千尋の髪留めが光ったことも連想させる。

その頃から、これまでが夢の世界のように思えても、それはすべてがなかったことになるような夢ではない、転じて創作物やファンタジーから得られるものはあるはずなんだという、宮﨑駿の意図が込められていたように思えたのだ。(それでいて、千尋は冒頭と同じようにトンネルの中で母にすがりついており、ガラリと成長できるわけでもないとも示されていた)

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また、アニメ映画または創作物の一要素に大した力はないと、どこか達観している姿勢は、現在Netflixなどで配信中の『アイの歌声を聴かせて』と良い意味で対照的でもある。こちらは、既存のアニメ映画や創作物の力を、“友だちになれる存在”を通じて、見事に打ち出した作品だからだ。

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いずれにせよ、宮﨑駿が友だちという言葉を持ってして、今まで自身の作品や、アニメ映画や創作物を親しんできた人へメッセージを送る『君たちはどう生きるか』は、なんとやさしい作品なのかと、改めて思わざるを得ない。

奇しくも、宮﨑駿監督またはスタジオジブリ作品の影響をはっきり受けていると思われるスタジオポノックの最新作『屋根裏のラジャー』は、イマジナリーフレンド、つまりは想像上(創作上)の友だちを描いた映画となる。新たな友だちとの出会いも楽しみにしつつ、宮﨑駿監督作を見直したりして、これまでの友だちともまた再会してみたい。

(文:ヒナタカ)

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–{『君たちはどう生きるか』作品情報}–

『君たちはどう生きるか』作品情報

声の出演:山時聡真 菅田将暉 柴咲コウ あいみょん 木村佳乃 木村拓哉 竹下景子 風吹ジュン 阿川佐和子 大竹しのぶ

主題歌:米津玄師「地球儀」  
音楽:久石譲

原作・脚本・監督:宮﨑駿
製作:スタジオジブリ

2023年7月14日 全国公開ロードショー

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