2023年4月3日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。
「日本の植物学の父」と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。激動の時代の中、植物を愛して夢に突き進む主人公・槙野万太郎を神木隆之介、その妻・寿恵子を浜辺美波が演じる。
CINEMAS+ではライター・木俣冬による連載「続・朝ドライフ」で毎回感想を記しているが、本記事では、万太郎が寿恵子と夫婦となっていく11週~15週までの記事を集約。1記事で感想を読むことができる。
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もくじ
第51回のレビュー
第11週「ユウガオ」(演出:渡辺哲也)のはじまりは、暑い8月。万太郎(神木隆之介)はできるかぎりの速度で寿恵子(浜辺美波)を迎えに行くために印刷技術を身に付けていきます。
「寿恵子を迎えに行くために」と、それが第一目的になってしまっているようであることは、すこし引っかかりましたが、万太郎は意外と常識的かつ生真面目で、「何者でもない」と、寿恵子と正式におつきあい、あるいは結婚したいと言い出せないようです。
この点は一般的な男性の心理と言えるでしょう。ヒモ体質のかた以外は、仕事で一人前でないと結婚できないと思いがち。仕事に自信がないことで恋愛がうまくいかず、相手を不安にさせることもしばしば。女性のほうが仕事がうまくいってると、理解を示しつつ、内心、コンプレックスに感じる殿方もいらっしゃいます。たいていの男性は、仕事で成功すると堂々となります。女性にもそういうタイプはいますが、仕事がうまくいかなかったら結婚しちゃおうと考える女性は男性よりは少なくありません。ジェンダー平等の時代、今後はどうなるかわかりませんが。こんな心理の時代もありましたということで。
さて、寿恵子は高藤(伊礼彼方)に呼ばれて、西洋料理店にやって来ます。そこは、竹雄(志尊淳)が働いている店で、寿恵子と高藤の話を竹雄が耳をダンボにして聞いています。
なんと高藤は、寿恵子を元老院議官・白川(三上市朗)の養女にしたうえで、迎えようと考えていました。妾ではなく妻にする気でいるようで……。
思いもかけないことに驚く寿恵子。彼女は正妻・弥江のことを気にかけます。
白川は、お店のなかでも控えめにすることなく、舞台のような大きな声で話します。いかにも尊大な感じです。
こういうことはよくあることと言ったり、寿恵子の母が売れっ子芸者だったから羨ましがられそうと言ったり、後継者たる男児が産めないと離縁するのはよくあることと言ったり。
でもそれより、高藤の「ただ私の妻というだけで女ではなか」が最凶フレーズでした。
弥江の親への義理も果たしてある、というのは寿恵子の母が本妻からお金をもらって店を出したようなことでありましょうか。
男女のことに疎い寿恵子でも、母の話をさんざん聞かされているので、いやな感じを覚えたことでしょう。
寿恵子たちの話をいちいち、目を光らせて聞いていた竹雄(白川の声が大きいからいやでも聞こえそう)。馬車のごとく、猛スピードで万太郎に報告に向かいます。
動揺しながらも、
いまのわしはただの槙野万太郎じゃ
草花が好きなだけの男じゃ
と、悩む万太郎。
それでいいではないかと思うけれど、植物学者として寿恵子を迎えにいきたい、自分というものを確立させたい、という、複雑な、いや、純粋な真理です。
美しいピアノ曲の劇伴がかかり、万太郎は印刷の習作に励みます。
「この国の植物学にわしが最初の一歩を刻むじゃが」
”刻む”という言葉が、絵に植物の実像を刻むこと、その絵を石版に精密に写し取ることと重なって、実感が強くなります。
急げ、万太郎。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第52回のレビュー}–
第52回のレビュー
最近の「らんまん」、物語好きのツボを抑えまくっています。
アヴァンは万太郎(神木隆之介)が印刷会社を辞める辞めないのドタバタにはじまって、
万太郎は学会誌の印刷を大畑印刷工場に依頼して、いよいよはじまるぞーと思ったあと、
いやなやつとして登場した徳永(田中哲司)が、意外にもいい人であったことがわかります。
未分類の植物標本の検定作業が終わって、ロシアに送るにあたり、万太郎は自分の分も送ってもらいたいと、田邊教授(要潤)に頼みます。
徳永「無礼千万」
田邊「〜〜この部屋で四字熟語はやめたまえ」
などと、愉快なやりとりがあって(田邊は四字熟語より英語が好き)。
「核心はただひとつ」ーー教授にとって利があることなら反対しないと踏んで行動している敏い万太郎。そして、その読みのとおり、田邊は万太郎の願いを聞きます。
でも、この学会誌が失敗したら、万太郎にすべて負担させて、一切、責任をとらないつもりの田邊に、徳永が憤慨します。
あれだけ万太郎を警戒していた徳永が、なぜか万太郎を心配していることに「矛盾の塊だな、君は」と田邊。デレてきた徳永に比べ、妙にドライで冷たく、西洋かぶれできどった田邊は、どんどんいやな人に見えてきます。
徳永が矛盾に悩みながら外に出ると、ひぐらしが鳴いていて、万太郎がユウガオとヒルガオが、昼と夕方の境目に一緒に咲いている姿を腹ばいになって眺めています。
昼と夕方の境目と矛盾の塊の徳永が重なります。
昭和の名曲・ピーターの「夜と朝のあいだに」という歌を思い出しました。
朝顔と昼顔と夕顔の3つは、夕顔だけ、実は科が違う。でもその異端の夕顔が徳永は好き。夕顔は「源氏物語」に出てくるからと。彼は法学部出身ですが文学も愛しているようです。
法学部で植物学をやっている徳永も夕顔のようなものなのでしょう。元武家の出ですし。
万太郎は「万葉集」が好きと言い、徳永が夕顔をうたった万葉集の短歌の上の句を詠むと、万太郎が下の句を続けます。教養人が互いを認め合う瞬間に胸が熱くなりました。
しばらく出番がなく、久しぶりに出てきたら、昨日出てきた声の大きな元老院・白川役三上市朗さんとなんとなく似ているようにすら見えてしまう徳永助教授。唐突に、万太郎の味方になってしまった感じもしますが、エピソードがいいので、あまり気になりません。
万太郎におずおずとクイズを出している、これまでと違う雰囲気の徳永は、「SPEC」の冷泉(田中)のよう。神木さんはスペックホルダー仲間のニノマエを演じていました。彼らスペックホルダーは、いわゆるふつうの人間と少し違った能力が発現してしまった人たちでした。
さて。印刷工場でのやりとりでは、すっかり万太郎が印刷工場の人たちに愛されていて、それを
竹雄(志尊淳)が気づきます。大学でもすっかり馴染んでいます。集団に属していなくても、ちょっと言動が突飛でも、目的さえ同じで、いい働きをすれば、愛されるのです。
万太郎は、余計な私利私欲がなく、ひたすら日本の植物学を発展させたい一心だからです。彼がお金がほしいとか名誉を独り占めしたいとか思ってやっていたら嫌われますが、
お金はいらないし(むしろお金を出している)、名誉がほしいわけでもないので。
ただ唯一、私欲があります。
寿恵子(浜辺美波)を自信を持って迎えにいきたいという欲望です。これは、まあ、誰もが微笑んで応援してくれるに違いありません。寿恵子を想う人でなければ。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第53回のレビュー}–
第53回のレビュー
万太郎(神木隆之介)を諦めようとして、バラの絵をやぶこうとした寿恵子(浜辺美波)ですが、破くことができず、万太郎への思いが募ります。
その頃、万太郎は、植物の画に集中していました。
それを、下宿で見守る、波多野(前原滉)、藤丸(前原瑞樹)、丈之助(山脇辰哉)。
万太郎のなみなみならぬ集中力に感心します。
「〜僕も探したいな 僕の一生をパンパンにできること」
(波多野)
波多野は万太郎のように全身全霊でものごとに向かうことの尊さを語ります。
せっかく生まれてきたのだから、無為に過ごさず、やれることは全部やりきりたいのは当然のこと。それができるのも才能であって、万太郎は、やりたいことを全部やりきる才能がある人なのです。
自分たちはスカスカと反省する藤丸だって、東大に入れたほど勉強してきたわけで、十分だと思います。それでも真摯に反省する。その気持ちが人間を向上させるのでしょう。
「小説が爆誕しちゃうんだよ」と令和的な言葉を使う丈之助は万太郎に感化され、生涯かけてシェイクスピア全作の翻訳にチャレンジしようと考え始めます。丈之助は坪内逍遥先生がモデル説に真実味が増してきました。
時代が急激に変化していくなかで、大学生たちは夢にあふれ、花咲こうと膨らんだ蕾のようにやる気に満ち満ちていて明るい。時代の流れのなかで価値観を否定されたりなくなってしまったりするものを惜しむ気持ちもあるけれど、新しいものへの希望はそれに勝ります。
そこに竹雄(志尊淳)もお茶いれましょうかと加わって、一層にぎわいます。
竹雄は万太郎の力作を「まあまあ」と言うので、3人はぎょっとしますが、竹雄は「あなたがあなたを認められる絵を」と誰よりも万太郎を理解しているようです。
「あなた」って言うと、やっぱり竹雄が妻みたいです。仕事中に頃合い見計らって「お茶入れましょうか」とのぞきこむ行動も妻ぽい。
いまのところ竹雄が妻的存在ですが、未来の妻・寿恵子はどうしているかといえばーー。
「熱い、汗かいちゃった」
寿恵子はダンスのレッスンで、クララ先生(アナンダ・ジェイコブズ)に相手を想像して踊るように言われ、万太郎を思い浮かべて踊ります。
羽が舞うなかで笑顔で踊るふたりーーの妄想のあとのセリフが「熱い、汗かいちゃった」です。爽やかスポーツのあとでもこういうセリフはありますが、万太郎とのダンスの妄想のあとだと、なにかじんわり湿度を伴って聞こえます。
クララは寿恵子に「愛のために」「心のままに」生きることを教えます。
万太郎への愛で、寿恵子の器が徐々に埋まって、パンパンになってきているのを感じました。ドラマのなかから湿度のある熱情が溢れて溢れて留まるところを知らない。
植物学の学会誌の原稿も集まって。なかには「花と猫の関係」について論じられたものもあるのです。気になる!
誰もが、それぞれのテーマをもって生きています。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第54回のレビュー}–
第54回のレビュー
いよいよ学会誌が刷り上がります。
万太郎(神木隆之介)を待つ間、大学では学生たちがはしゃいでいます。みんなとても楽しげで、あの小うるさい大窪(今野浩喜)もすっかり巻き込まれ、苦虫を噛み潰したようだった徳永(田中哲司)も学生を止めることなく、ユウガオを愛でて微笑んでいます。
最後に田邊(要潤)が重しのように出てきて、この構図を見るに、田邊の強権の下、自由を奪われていた植物学研究室の人たちが、万太郎によって、解放されたのだと感じます。
大窪も徳永も悪い人ではなく、好きなものが大事にしたいものがあったのに、田邊によって個人の意見を言えなくなっていただけなのでしょう。
気にしないで邁進する万太郎ですが、出来上がった学会誌の出来がいいと、田邊は「私が雑誌を思いついたからこそ」と手柄を自分のものにします。
そのとき、みんなピクリとしますが、何も言えません。万太郎もことを荒立てず、田邊に花を持たせます。そこが万太郎の賢いところです。ここで名誉欲に目がくらんで食ってかかっても潰されるだけでしょう。
ここで救いは、田邊以外は、みんな万太郎の功績だとわかっていることです。現実の世界だと、周囲もほんとうのことをわかっているかどうかもわからないことがありますから。
万太郎は、そもそものきっかけは丈之助(山脇辰哉)であることもちゃんと口にします。
こういうことにホッとします。誰もとりこぼさないというのは、そういうことです。
まあでも、この場合は、植物学の雑誌を作ることが最大目的で、みんなが論文を寄せて協力して作ったのだから、その結果を喜べばいいのです。
万太郎は、次号は大窪に任せます、と託してしまいます。図版は岩下(河井克夫)に頼めばいいと。そう、万太郎は雑誌が作りたいわけではなく、植物学者になって、植物学を極めることが目的なので、雑誌はその学問の第一歩に過ぎません。あれもこれもと、欲張らないのです。岩下の仕事もとってしまおうなどとこれっぽちも考えていない。むしろ、結果的に岩下の仕事が増えるのではないでしょうか。
自分のやりたいことをやりながら、巻き込んだ他者の未来も作り出す。それが、ほんとうに仕事のできる人なのです。他者の良いところを頂くだけ頂いて、全部、自分の手柄にして上に行く人は本物ではありません。
絵師の野宮(亀田佳明)も万太郎の絵を認めますが、植物学の絵であって、従来の絵画ではないと、自分と万太郎の棲み分けをちゃんと認めます。岩下と野宮は同じ絵の国の人という感じです。植物的にいうと、こんな感じ?
絵画科 洋画属 野宮
絵画科 日本画属 岩下
植物画科 万太郎
さて。出版祝いが牛鍋屋で行われます。研究室の人たち、印刷工場の人たちが一同に介します。ここでもみんな楽しそう。この支払いは、万太郎が出しているのでしょう。竹雄(志尊淳)もこういう使い方はOKなのでしょう。
その宴会のあと、万太郎は大畑(奥田瑛二)に仲人を頼みます。この時代は交際から結婚ではなく、即結婚で、しかもそこには正式な手続きが必要だったようです。
ここで大畑の娘佳代(田村芽実)がコメディリリーフとして機能します。
雑誌ができて、さあ結婚を申し込みに行くぞだけでもいいところを、もう一品加える。
朝ごはんに、ちょっと美味しい佃煮を一品、みたいなセンスの良さ。朝ドラが久々に、高級旅館の朝ごはんになりました。
まつ(牧瀬里穂)が寿恵子(浜辺美波)に万太郎が迎えにくるかもと言わなかったのは、知らないほうが喜びが大きいし、来なければ来ないで期待もしてないしという考えだったのかもしれません。でも、知らせてないことによって高藤(伊礼彼方)の魔の手が忍びよっているわけで、物語あるあるの哀しいすれ違いにならないといいのですが(とはいえ、万太郎と寿恵子の結婚は既定路線なので安心)。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第55回のレビュー}–
第55回のレビュー
物語(フィクション)の楽しみが詰まっていました。
万太郎(神木隆之介)が植物学の学会誌を作ることができたので、大畑(奥田瑛二)に仲人として、白梅堂に釣書を持っていってもらうことになった。いよいよ! と思ったら、
仏滅。この一日のロスの間に、すれ違いがあったら……とやきもき。
万太郎ににわか失恋した佳代(田村芽実)が白梅堂に向かいます。余計なことを言い出すんじゃないかと思って、やきもき。ですが、逆に、高藤(伊礼彼方)との縁談(?)がある情報を持って帰ってきます。お手柄!
いてもたってもいられず、仏滅の翌日・大安の早朝に釣書をもって行く大畑。
店の前で、文太(池内万作)とやりとりするシーンが第55回の見せ場です。
「時が来ましたか」
「よくぞいらっしゃいました」と店内に導き入れる文太。
わくわくします。
たとえば、「ロミオとジュリエット」は、大事な手紙が遅れて悲劇になってしまいますが、万太郎と寿恵子の場合、大事な手紙が間に合ったのです。胸が熱くなります。
ここで、釣書を読んで、感動! という場面があるかと思うとーーない。
仏滅から大安(翌日)にーー。その日は、発足会、寿恵子(浜辺美波)がダンスを披露する日でした。さすが、大事な行事は大安に設定されているんですね。
寿恵子は堂々とダンスを披露。
高藤は、鹿鳴館を作って、西洋文化を日本に浸透させた暁には、西洋と対抗すると熱く語ります。それを聞いて、クララ(アナンダ・ジェイコブズ)はそんなつもりでダンスを教えたのではないときっぱり言い、寿恵子も賛同します
これから生まれ変わるのだと言う高藤に、寿恵子は「私のままでなぜいけないんですか」と反抗します。
西洋式の馬の乗り方に失敗して亡くなった父もそうだったと考えている彼女がダンスを習った理由は、「分かり合うためです」。
高藤の手を振り払い、クララの手をとる寿恵子。そして、毅然と去っていきます。
その先には、万太郎がーー。
ここで明らかになるのは、男たちのコンプレックスと征服欲です。西洋に負けたくなくて、西洋を力で征服し、上に立とうとしている。男たちはこれまでずっとそうやって、征服の歴史を築いてきました。女たちはそれを批判します。
寿恵子が去ったあと、これまで沈黙してきた妻・弥江(梅舟惟永)が口を開きます。
「みっともない」
西洋を意識して、男と女を対等に扱うと言いながら、その本質を理解していない日本の男たち。彼らが女性を引き上げようとしているのは、夫人を同伴しないと一等国とみなされない、からでしかないのです。
そんな男たちをあざ笑い、去っていく弥江と女たち。
弥江の「どうぞお好きなだけお仲間と踊ってらしたら?」は痛烈でした。
見せ場のふたつめです。15分の間に、見せ場がふたつも! ラストの寿恵子と万太郎の再会を入れたら、3つです。惜しげなく見せ場が作ってあって、すばらしい。
「どうぞお好きなだけお仲間と踊ってらしたら?」のセリフに、昭和のヒット歌謡、越路吹雪の「ラストダンスは私に」(作詞:岩谷時子)を思い出しました。この曲は、恋人がほかの人と踊っていいけどラストダンスが私に、という理解のある女性の、でも情念も感じる歌であります。
弥江は昭和歌謡のように健気に男を待たず、颯爽と去っていくのです。
さて。あなたは待ちますか、去りますか。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第56回のレビュー}–
第56回のレビュー
第12週「マルバマンネングサ」(演出:渡邊良雄)のはじまりは、クサ長屋にユウガオのお姫様こと寿恵子(浜辺美波)が訪問。でも万太郎(神木隆之介)の部屋は座る場所もないほど狭くて散らかっています。
寿恵子の純白のドレスが長屋の部屋に浮いています。
万太郎は寿恵子に、ライフワークにしたい植物図鑑を作るにはたくさんのお金がかかるので(しかも自腹)、苦労をかけるが、あなたが好きと告白します。
「花が日差しを待つように、水をほしがるように わしという命にはあなたが必要なんです」
「わしと生きてください」
とぐいぐい攻めます。
情熱的で勢いがありますが、理屈で考えると、何かヘン……と視聴者が思い始めたときーー
「それって万ちゃんの都合だよねえ」
と丈之助(山脇辰哉)が割って入ります。
その通り!
万太郎は、植物が好き、寿恵子が好き、植物図鑑を作る支えに寿恵子になってほしい。という、かなり自分本位です。
従来なら、嘘でも、あなたを幸せにします的なことを言うものですが、寿恵子の利点については考えなしです。
ところが、寿恵子は父に似て冒険好きなので、万太郎の船に乗りたいと考えてしまうのです。
こういうのを「割れ鍋に綴じ蓋」というのでしょうか。
寿恵子は敬愛する滝沢馬琴先生の「里見八犬伝」のように、大長編を生み出すことを万太郎に期待しますが、またしても丈之助が、口を出します。
文学を学ぶ丈之助は、滝沢馬琴はもう古い、葬り去られる存在だと言うのですが、寿恵子は
「たとえ作者が亡くなっても完結した物語は消えません」
「百年たっても消えやしない」
(寿恵子)
と主張します。
古い新しいではなく、いいものはいいということ。そして、その評価の前提には完結させるということがある。完結させる、その絶え間ない努力と熱情こそが時が経っても色褪せないものにする。諦めないことの大事さを感じます。
作者が物語を愛しているのだなと感じるエピソードであります。たぶん、植物も好きだけど、それよりも物語が好き。作家を生業にしているのだから、そうに決まっています。世に数多ある物語で、作家の話が最も生き生き筆が冴えるのは仕方のないことなのです。
寿恵子の言うとおりで、丈之助が全作翻訳しようと思っているシェイクスピアは、400年経ってもいまだに上演されています。
丈之助がのぞいている万太郎の部屋の壁の穴。これもおそらく、シェイクスピアの「夏の夜の夢」の劇中劇で、恋人たちが壁の穴越しに会話する場面からとったものではないかと推察できます。朝ドラ「ちりとてちん」でも壁の穴が出てきて、そのオマージュとも言えますが、元ネタはシェイクスピアではないかと思われます。
「里見八犬伝」も、いろいろな形で残っています。
そして、万太郎のモデルである牧野富太郎の植物図鑑も1940年に刊行した「牧野日本植物図鑑」はいまも版を重ねています。ここに至るまでに紆余曲折あるわけで、万太郎の冒険も山あり谷ありになるでしょう。でも、寿恵子のこの言葉によって、諦めず、植物図鑑を完成させることになるのでしょう。
竹雄(志尊淳)から寿恵子へ、万太郎のお世話係がバトンタッチされた感じです。ちょっとさみしい感じもしますが。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第57回のレビュー}–
第57回のレビュー
話はトントン拍子に進み、万太郎(神木隆之介)は寿恵子(浜辺美波)
の母・まつ(牧瀬里穂)に挨拶に。
万太郎の悲願の植物図鑑を”「八犬伝」方式”で分冊して出版することにしたと言います。
「名付けて『八犬伝』方式」
(万太郎)
すごい。早くも万太郎と寿恵子の共同作業がはじまっています。
万太郎の研究活動を寿恵子が支えるにあたり、白梅堂という働き口(?)があると思ったら、まつは、実家に戻る文太(池内万作)についていくことになりそうで、白梅堂はなくなりそう……。
ここは万太郎と寿恵子が経済的に苦労するための作劇上の準備でありましょう。
万太郎も寿恵子も元々はお金に困らない状況だったけれど、どちらも頼れる太い実家がなくなってしまうのです。
ゼロから冒険をはじめる夫婦と思えば、たのもしい。
まつは「どんなときもひたすら暮らしていかなければならないんだ」と心配し、
寿恵子は「暮らしていきます」ときっぱり応えます。
もともと、まつは生きることに貪欲なので、寿恵子もその血を継いでいます。
その後、部屋にこもって「夜通しかかる」ことをふたりではじめる寿恵子と万太郎。
文太は「やましいこと」が行われていないか心配しますが、ふたりがしていたことはーー
なんとも微笑ましい場面でありました。
季節はめぐり、万太郎と寿恵子はいよいよ峰屋に挨拶に行きます。
その旅路、何が印象的かといえば、竹雄(志尊淳)のスーツ姿。やっぱり足が長くてかっこいい。でもこの格好で長く険しい山道を歩いて帰るのはどうなのか……。到着してから着替えたほうがいいのでは?と余計なお世話ですが思ってしまいました。
万太郎の洋服はもうすっかり作業着のように見えていますが、竹雄の服はぴっかぴかのよそ行きに見えます。
ここで、竹雄が「万太郎の助手の役目」を引き継いでほしいと頼みます。第56回で、竹雄と寿恵子が万太郎のお世話係をバトンタッチしたような雰囲気が漂っていましたが、ここで正式にバトンタッチが行われたのです。助手というと聞こえがいいですが、経済的に支える役割(財布の役割)も託したということです。
寿恵子は今、幸福でにっこにこですが、”財布”としての人生には、かなり大変な道のりが待っていそうと思います。
竹雄に託される前、万太郎からマルバマンネングサを教わった寿恵子は語りかけます。
「あなたたちはこのお山が好きになって土佐の子になったのね」(寿恵子)
このセリフは、寿恵子が万太郎が好きになって万太郎の妻になるのね、というふうにも聞こえます。
バイカオウレンは母の象徴、
マルバマンネングサは寿恵子の象徴になるのでしょうか。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第58回のレビュー}–
第58回のレビュー
寿恵子(浜辺美波)を連れて実家に帰った万太郎(神木隆之介)。すると峰屋は政府の税の取り立てに苦しんでいました。
大事な行事「甑倒し」(「らんまん」の初期から登場している行事です)に、税金の改めを行うという役人の横暴に、綾(佐久間由衣)たちが必死で対抗しているところに、万太郎が颯爽と助け舟を出します。
役人に「いまは東京大学に通うちょります」と自己紹介するところが、抜け目ありません。こんなふうに言ったら、相手は東大生かと思うでしょう。ただ通っているだけなのに。でもそれは嘘ではないのです。
そして、役人には「東大」というワードが効果的。万太郎はただの純粋ないい人ではない。生きる知恵に長けています。
竹雄(志尊淳)も進み出て、役人に、いまの日本の状況は理解していると、言います。「西南戦争」「地租改正」……社会人として、国民として、世の中の状況をちゃんと把握しているのだなとわかる瞬間です。たんに、万太郎とわちゃわちゃしているだけではないのです。
「金は取れるところから取る」と嫌味のひとつも言うのです。
こうして、いったん役人を追い払うことに成功し、峰屋の人々は、立派になって凱旋した万太郎と竹雄を笑顔で迎えます。
ところが、タキ(松坂慶子)が病気で臥せっていました。
心配した万太郎に、タキはしゃきんとして現れます。第57回ではかなり具合が悪そうだったので、相当無理しているのでしょう。明治(江戸生まれ)の女性はたくましいです。
挨拶に来た寿恵子に
「さあ、勝負じゃ」とタキは言い出します。
嫁は、その家の母と勝負をして、認めてもらわないと嫁げないらしく……。
勝負の内容は、百人一首!
峰屋の進退とタキの身体が心配ながら、嫁と義祖母との百人一首勝負という展開で、話が暗くならないように工夫されていて、楽しく見ることができます。
洋装がお似合いな竹雄に女性たちが注目して、店にのぞきに来ると、
「いらっしゃいませ」キラ〜ン☆ というサービスシーンもありました。
それにしても、国の借金を税金で回収しようとする政府。庶民ばかり苦しむようになっていることは昔も今も変わっていないようです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第59回のレビュー}–
第59回のレビュー
鹿威しがカン!となって、タキ(松坂慶子)と寿恵子(浜辺美波)の百人一首勝負がはじまります。読み手は万太郎(神木隆之介)。
元気そうに見えて、いざ勝負となると、調子が悪くなってきます。
万太郎は、これまで部屋に花を絶やさなかったことに気づいていました。さすがの注意深さです。花好きでもあるからでしょうか。
タキの「切り花は枯れる」も含蓄あります。野に咲いてる花は、種をつけ、次の命に繋いでいますが、たしかに切って活けてしまうと、その先はありません。ドライフラワーという永遠に残す手もありますが。
そんなタキに、寿恵子は、時々、札をとることを譲ります。タキはその武士の情けに感じいり、万太郎の嫁として認めるのです。
タキは、「お寿恵さん、かわいらしゅうて元気ようてひたむきで」と寿恵子の魅力を端的に語ります。
「末永う、お頼もうします」とタキから託されて、寿恵子が槙野家の嫁を継ぐのです。
晴れて寿恵子が万太郎の嫁と認められ、峰屋の広間で宴会が行われます。いや、甑倒しの行事の宴会に、寿恵子の歓迎会がプラスされたのです。
その夜、ひとり庭先に佇む綾(佐久間由衣)の元へ竹雄(志尊淳)が。
「切り花は枯れる」には死のイメージもあります。
タキがもう長くないと考えて、この先、ひとりでどうしようと悩んでいる綾を竹雄が励まします。
そして、峰屋の従者ではなく、ひとりの井上竹雄として、「あなたをひとりっきりにはせん」告白。
今回の帰郷で、告白しようと思ってビシッとスーツを着てきたのかもしれません。
「草花が好き過ぎる」「酒が好き過ぎすぎる」「槙野姉弟が好き過ぎる」とちょっと令和的なおもしろい言い方をしたあとに、「あなたのことが好きなただの男じゃ」とここだけ「好き過ぎる」ではなく「好き」を使うことで、想いの本気度が伝わります。
長田脚本は明治時代を丁寧に描きながら、時々、令和の現代口調が混ざるのが魅力です。
志尊淳さんは、顔立ちが甘いですが、演技の端々に、骨のある、強さ、たくましさを感じます。内なるゴツゴツしたものに柔らかいベールをかぶっている、そこが不思議な魅力です。
万太郎を寿恵子が、
綾を竹雄が、
支えることになるのです。
綾は、広間に戻って、「酒〜 峰乃月 もってこいや〜」と威勢よく声をあげて、寿恵子と酒を酌み交わしますが、この「もってこいや〜」が
全然、腹から声が出てなくて、無理している感ありました。が、綾は男勝りなわけではなく、ただ酒が好きな女性なのだと思えて、それはそれで個性なのです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第60回のレビュー}–
第60回のレビュー
頑なに治療を拒んできたタキ(松坂慶子)が、医師・鉄寛先生(綱島郷太郎)を呼び、「わしを生かして」と頼みます。
ところが、鉄寛は間髪入れず「申し訳ありません」。
そんなドライな……。「らんまん」はやさしいだけのドラマではなく、命には限りがあるという現実から目を背けません。タキは、自分を生かす薬はないと知って絶望するのではなく、「すっきりした」と言います。潔い。
一方、鉄寛は、ただ期待を持たせないわけではなく、希望も語ります。これまで家のために生きてきたタキが、ようやく自分のための願いを持ったと、
「願いこそがどんな薬よりも効くことがあります」(鉄寛)
延命する薬は作れないけれど、人は自分の意思で生きることも可能である。他力でなく自分の力で生きることの大切さを感じます。
これまで、自分を抑えて、家を守るために生きてきたタキが、ようやく解放され、自分の意思をもった(自分のやりたいことのために生きたいと願った)瞬間が、亡くなる直前ということがいささか残念ではありますが。いや、もしかして、生きられるかもしれませんよ? 以前、松坂慶子さんが出演した「まんぷく」では、彼女が演じたヒロインのお母さんは生前葬をして、長生きされましたから。
さて。タキに生きる希望を与えた万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)は、万太郎の生まれ故郷・佐川を散歩します。
神社の森にはバイカオウレンがーー。
寿恵子は佐川で家族になりましょうと提案します。冒険好きで、実家の白梅堂もたたむ予定なので、寿恵子は思い切りがいいです。
そこへ、藤丸(前原瑞樹)と波多野(前原滉)からの手紙が。
マルバマンネングサが新種の植物と認められ、学名に、「槙野」の名前がついたことに、万太郎と寿恵子と竹雄(志尊淳)が3人丸くなって大はしゃぎする場面が、楽しげでした。
やってきたことが報われるのは、朝ドラあるある「最終回かと思った」です。
参照:朝ドラ辞典
ここでタキが亡くなって、植物に槙野の名前がついたら、最終回ですが、物語はまだ続きます。
嬉しい報告を訊いて、
「草の未知が海の向こうにもつながっちゅうがじゃろ」とタキ。
ほんとうは、万太郎と寿恵子といつか生まれてくる孫と一緒に暮らしたいと願っているけれど、また我慢して、東京に早く戻れと言うのです。
決して、弱音を吐かない、自分の辛さや悲しさをうちに秘めるタキの気持ちが切ない。
ただ、植物に「槙野」の名前がついたことで、槙野家が世界的に歴史に刻まれたのです。万太郎は、峰屋の伝統は継がなかったけれど、立派に「槙野」の家の歴史を永遠にすることに成功したのです。
すてきな話に水を差すようなんですが、タキの願いは、ひ孫が見たいで、実は「家」と密接に関係しているのです。脈々と続く血の継承を見たいという、これが人間の逃れられない業でありましょうか。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第61回のレビュー}–
第61回のレビュー
第13週「ヤマザクラ」(演出:渡邊良雄)
「らんまん」の良さは、何が伝えたいか明瞭にわかるところです。第13週は、タキ(松坂慶子)の寿命を病にかかった桜の木と重ね、2つの命について描くであろうことは、おそらく老若男女、学歴問わず、誰が見てもわかるでしょう。
あらかじめ、何が書かれるか、わかっているとストレスがありません。
元気に万太郎(神木隆之介)を迎えたタキだったが、容態が悪くなってまた寝込んでしまいます。きっと無理していたのでしょう。でもまたしゃきっとして、婚礼の着物を呉服屋・仙石屋に依頼します。寝室から客間に向かう時、寿恵子(浜辺美波)がタキを支えます。
浜村義兵衛(三山ひろし)に、仙石屋の桜を見たいと話すと、桜が病気にかかっていて切り倒そうかと思っていると言う。この病気にかかると治しようがなく、ほかの木にも移ってしまうので、切り倒すしかない。高知出身の演歌歌手の三山ひろしが、いい声で語ります。
タキの寿命と桜を重ねているのは明白です。ただ、タキの病は移るものではないですが。それでもタキも桜もどうなるの?と心配になります。
義兵衛の先代がひ孫を抱いてると言って、タキは「ええのう」とほほえみますが、内心、羨ましさもあるでしょう。さりげにこういうセリフを入れているのも隙がありません。
その頃、万太郎は、波多野(前原滉)と藤丸(前原瑞樹)の手紙を読みながら妄想に耽っています。
波多野と藤丸が語りかける場面は、天井の照明はぐらぐら揺れていて、ふたりがぐるぐる回ります。俳優たちがいいと、こういう場面にも生き生きします。
演出の渡邊さんは「まんぷく」のチーフも担当されたベテランの方ですが、こんな遊び心のある演出もされるのですね。脚本もいいし、俳優もいいから、乗っていらっしゃるのかもしれません。
画はいい感じですが、万太郎はマルバマンネングサの命名を外国の学者にとられてしまったのです。自分の名前をつけてもらいはしたけれど……。
藤丸「吸い上げられたって相手神様だし」
万太郎「わしのマルバ、取られとうなかった」
第60回ではあんなに喜んでいたのに、いまや、悔しさが勝っています。
そんな万太郎が、桜の病に植物学者として挑むーー
タキに頼まれた万太郎は、桜に会いに行く。
「草の道を歩かせてもろうだがじゃ 救えんでどうする」と病に挑むお医者様のように闘志を燃やします。
手代役は小野大輔。声優なのでこれまたいい声で、桜について語ります。
桜に託した命に関する大事なセリフを、いい声の人たちが情感をこめて伝えてくれます。こういうのもすごく大事なことです。
万太郎は桜を治すことができるのか、そして、タキの病はどうなるのか。
気になる週のはじまりです。
さらに気になるのは、綾(佐久間由衣)と竹雄(志尊淳)の仲。綾があでやかな着物を着て、竹雄を伴ってでかけていくところを目撃した市蔵(小松利昌)は、「ないない」と言いつつ、息子が身分違いの恋をしているかもしれないことに動揺しています。
綾が、ただの華やかなおしゃれ着ではなく、礼を尽くし、誠意と真心を伝え、信頼してもらえそうな色柄の着物を選び、同業者に組合を作ろうと話に行くのです。洒落た洋装の竹雄と、きりっとした着物の綾。ふたりの会話には甘さはなく、これからの酒蔵をどうするべきかということについて知性的な会話を交わします。竹雄が東京から持ち帰った考え方や身なりが、綾にいい影響を与えたようです。
新しい世代の経営者として、ふたりが活躍しそうな予感。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第62回のレビュー}–
第62回のレビュー
2組の男女の物語が描かれました。
まず、感心しました。
竹雄(志尊淳)の「あなたは呪いじゃなく祝いじゃ」というセリフ!
これまでずっと「呪い」という言葉が流行ってきて、ドラマでよく使われてきましたが、綾(佐久間由衣)が囚われていた「呪い」を解くのみならず、「祝い」に転換して、前進したのです。
誰もが生まれてきたことを、祝われ、寿がれる。
誕生日、おめでとう ってそういうことです。
竹雄は、身分制度から解き放たれたら、ますます魅力的になりました。少々の毒を放ちます。それも甘い毒を。
綾がはりきって酒蔵の組合を作ろうと、近隣の酒蔵を訪ね歩きますが、相変わらず女であることでどこも相手にしてくれず(「きれいな姉様がシャラシャラしたがを従えて」とか「おまんごと峰屋をもろうちゃる」とか)、落ち込んで、竹雄に夫婦になろうと持ちかけたとき、拒否したときのセリフがこちら。
「そうじゃあ。飲んだくれの女神じゃ。わしはそういう女神様に欲しがられたいがじゃ」
(竹雄)
めちゃくちゃ色っぽい口説き文句でありますし、竹雄の性癖がわかります。
開放的で創造的な人が好きなのでしょう。これはギリシャの酒神・ディオニソス的な存在ということ。お酒と神様は切っても切れない関係ですから。
そんな竹雄を「めんどくさい」と言いながら、綾と竹雄はーー。
この場面をかなり引きで、手前に狛犬(神様のお使い)を置いて見せます。「欲しがられたい」と意外と生々しいセリフのあと、うんっと引きで見せる上品さ。
そして地面にはバイカオウレンが咲いています。
綾が酒蔵を任されてから、まったくほかの酒蔵と関わりがなかったのかーとか、いっさいのつきあいもないのにいきなり組合の話を相談にいったのかーとか、気になる点も多々ありましたが、そのへんが気にならないほど、綾のまっすぐさと竹雄のちょっと危うい生命力がまぶしい場面でした。
竹雄は、綾に、闇の酒を作ればいいとか、
「滅ぶがだったら滅んだらええ。まっすぐに作りたい酒を貫く。それだけでええがじゃ」
(竹雄)
とか、なかなかやんちゃな意見を言います。規律正しい奉公人だったとは思えない自由さです。
でもこれは正論。たとえ、認められずとも、滅んでしまっても、自分のすべてを燃やしつくせば、神様に祝福される。自分を曲げてはいかんのです。
一方、万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)。万太郎が桜の病を治そうと必死に研究し、夕ご飯に顔を出ささないことで、寿恵子が苛立ちます。
これもまた、夕飯を万太郎の部屋に持ってきてあげればいいのに、とも思うけれど、いったん、部屋を出て、戻ってきて、食べ物(万太郎の好物・山椒餅)を置いて去っていったような描写はありました。
でも、ふたりのはじめての仲違いは、すぐに解消します。綾と竹雄と寿恵子が3人で万太郎の悪口を言って解消し、万太郎が平謝りで、ほっとなりました。
寿恵子を「邪魔」と言ってしまったあとのランプの明かりが暖色なので、印象が柔らかくなるし、そこで時間の経過が表され、寿恵子の置いていった食べ物が映り、万太郎が慌てる。ちょっとしたいさかいからの反省の流れが見事。脚本がいいから演出も乗っているのかなあ。
エンド5秒は「しそんじゅん」さんの投稿でした。
エンド5秒 朝ドラ辞典参照のこと
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第63回のレビュー}–
第63回のレビュー
万太郎(神木隆之介)は誰よりも植物愛があり、その点においては極めて勤勉で、情熱があるのですが、運も実力のうちで、いい運を持っています。それは、誰かが必ず助けてくれること。
寿恵子(浜辺美波)を故郷の大好きな山に連れていったのは、実家に挨拶と同じノリであり、そこで、植物採集の方法を学ばせるためでありました。
さんざん山で採集した植物を、その晩、遅くまで標本にします。寿恵子は疲れて居眠りしそうになりますが、その日のうちにやらないといけないと竹雄(志尊淳)に言われ、眠いけどがんばります。
竹雄は、これまで自分がやってきたことのすべてを寿恵子に伝授しようとしています。これもひとつのバトンの継承。偉大なる天才の助手という仕事のバトンです。……と書けば印象はいいですが、「妻」とは「助手」なのか……という疑問もむくむくと湧いてきます。
寿恵子は植物が好きな万太郎が好きだから、助手になることもいやじゃないのでしょうけれど、結局、寿恵子は、万太郎を主にして生きることになるのです。まさに夫=主人。
槙野家の料理も習ううえに、助手の仕事も習うなんて、寿恵子、重労働です。
そして、竹雄は、自分も寿恵子も「凡庸」と認識しています。天才と凡庸、厳然たる相違があり、それはもうどうしようもない。
天才を前にした凡人の懊悩を描いたのは「アマデウス」です。「アマデウス」では凡人がいじましくも生き残るわけですが、万太郎のモデル、牧野富太郎は天才なうえ、長生きです。じつは天才バンザイストーリーなのです。そして天才を凡人が下支えするのです。
綾(佐久間由衣)をはじめ、折につけ女性の自立を謳っているわりに、寿恵子は夫に従属する存在になってしまいそう。これ、朝ドラの傾向です。妻がどうしても、天才夫を支える存在になってしまう。
「ゲゲゲの女房」「マッサン」「わろてんか」「まんぷく」「エール」などがそうですね。「わろてんか」なんて、ほんとうはヒロインのモデルは女丈夫という感じのひとですがなぜかただにこにこ笑ってまわりをもり立てる人になっていました。「わろてんか」は別として、「ゲゲゲ」「マッサン」「まんぷく」「エール」は高い支持を獲得しました。結局、妻が献身的に支えたことで夫が成功するという物語はテッパンなのです。
要するに、天才の妻ーーという特権。天才の隣にいるのは自分という誉。妾とは違う正妻の強みとなんら変わらないのです。人はしょせん、自分は特別と思いたいのです。
な〜んて、突然、自虐モードに陥りましたが、天才がこの世をよくしてくれるのも事実で、それを応援することで自分の生活も上向くのならすすんで献身したいものです。下支えする甲斐のある天才であれば、問題はないのです。
万太郎は、桜の病の原因を発見できず、無力感を味わいますが、寿恵子と竹雄に励まされ、仲間に助けを求めることにします。
東京の、藤丸(前原瑞樹)と波多野(前原滉)、田邊教授(要潤)、お久しぶりの野田(田辺誠一)、里中(いとうせいこう)などに。
野田と里中ってもっといっぱい出る役かと思ったら存外、出番すくないですね。後半戦、出てくるのでしょうか。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第64回のレビュー}–
第64回のレビュー
序盤からずっと万太郎(神木隆之介)を支えてきた献身的かつ優秀な竹雄(志尊淳)が綾(佐久間由衣)との結婚を決め、今度は綾を支えることになります。お別れを報告する竹雄に、万太郎は涙涙。もちろん竹雄も涙。
万太郎も竹雄もそれぞれ伴侶を持って、新しい生活へと進んでいきます。青春時代が終わって大人の時代になるのだなあと感じます。
竹雄は万太郎の使用人から対等になり、今度は義兄に。じつはどんどん出世していく感じです。
2組の結婚というおめでたい状況の一方で、タキ(松坂慶子)の死が刻一刻と迫っています。非日常の儀式の連なり。特別な時間です。
峰屋に、まつ(牧瀬里穂)と文太(池内万作)と、仲人の大畑夫妻(奥田瑛二、鶴田真由)がやってきます。
とても大きな酒蔵に驚く、まつや大畑。
まつは、こんなに恵まれた環境を捨てて貧乏な道を歩むであろう万太郎に嫁ぐ娘・寿恵子(浜辺美波)を心配します。まつの、恵まれすぎていてなくすことをわかっていないという万太郎観はなかなか鋭い。
万太郎と竹雄のそれぞれの旅立ちを描き、
祝言の前夜、母と娘の最後の夜を描き、
そして、祝言の日。とびきり美しく輝く白無垢の寿恵子。
さらに、お色直し。浜辺美波さん、とってもお美しいです。老若男女、眼福だったことでしょう。
分家の人たちもやって来ますが、彼らは相も変わらず、憎まれ役に徹しています。
何も知らず、嫁き遅れの綾をいよいよ嫁にもらってやる、みたいなことを調子に乗って語る分家の人たち。悪者が出てこない、勧善懲悪ではない物語かと思いきや、分家の人たちはずっと憎まれっ子で、それはそれでホッとします。
分家の息子・伸治役の坂口涼太郎さんが「あさイチ」にゲスト出演。衣裳が斬新でした。ダンサーだったりもする方なので個性的。朝ドラ出演もさりげにもうもう4作目。映画「ちはやふる」も代表作。筆者は木ノ下歌舞伎「勧進帳」の冨樫役が印象に残っています。
さて、大畑が祝言の日を「大安」と「一粒万倍日」と言っていました。「大安」は昔からよく聞きますが、「一粒万倍日」は最近、宝くじ購入を推奨するときによく使用されるようになった印象です。
とはいえ、昔からこの言葉はあったようで。古い言葉だったものが明治に新暦になってから復活したとか。大畑がそれを喜々として使用していてもおかしくなさそう。ただ、「らんまん」は時々、現代的な言葉をあえて取り入れているようなので、ここもあえて、現代人にピンと来そうな「一粒万倍日」を加えたような気がします。
「一粒万倍日」は一粒の種が万倍に増えるという意味。植物の種が万倍になるとは、植物の物語「らんまん」にはふさわしいでしょう。今日この婚姻の日の幸せが万倍になりますように。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第65回のレビュー}–
第65回のレビュー
万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)のせっかくの祝言の日、本家と分家のわだかまりが爆発。
綾(佐久間由衣)と竹雄(志尊淳)が結婚すると発表し、分家は思惑が外れて怒り出します。
タキ(松坂慶子)は、家とはなにか、と振り返り、家より己の願いに沿って生きていくことを説くと、豊治(菅原大吉)が、これまで分家と見下してきたくせに、と反論。それはその通りであります。
タキは、これからは本家と分家と上下の別なく商いに励んでいってほしいと頭を下げます。
うまくまとまった感じにはなっていますが、むしがいいともいえます。例えば、3つの視点でひとつの状況を描く映画『怪物』(是枝裕和監督)のように、違う角度から見たら、タキって食えないいやな人だったかもしれないです。なぜなら、結婚式の日にわざわざ揉めそうな話をするのではなく、あらかじめお話したり、これまでのことを謝罪したりすることが誠意ではないかしら、とも思うからです。
結婚式の日にさくっとこれまでの遺恨はなしにみたいに済ますという、けっこう、強引です。そこはドラマだから仕方ないという感じでしょうか。
とはいえ、松坂慶子さんが凛として素敵でしたので、良かったです。タキひとりではどうしようもなかった過去のしがらみを持って去っていくということなのでしょう。
桜の病は治らず、タキは「天寿」を覚悟します。
でも、万太郎が、病気になっていない枝を接ぎ木しました。
これがやがて育って伸びていくはず。命のバトンです。
万太郎と寿恵子、綾と竹雄が桜の木の下で子どもたちとともに笑っている未来の風景を思い浮かべながら「らんまんじゃ」とつぶやくタキ。フィニッシュがきれいに決まった!
それからビジョンは過去へーー。万太郎と綾が血のつながりでなく縁で家族になったときの風景。ヒサ(広末涼子)が綾を自分の娘として育てることにしたときの思い出です。ヒサがそうやって育ててきたからこそ、いま、綾がいる。
そもそも嫁は血が繋がっていません。血のつながりのない家に嫁いで、子供を作って、家を繋いでいく。よそから来たタキとヒサが夫亡きあと、愛情を繋いできたということを感じる場面でした。
これからは、綾と竹雄、槙野本家の血の繋がっていない者たちが、峰屋を継ぐ。だから、きっと分家を差別しないでしょう。すでに彼らが分家みたいなものですから。
”家”を大事にする考えも、時代の変化とともに消えていきます。
家に翻弄されてきた江戸生まれの女が消えていく。爛漫の桜の前で、タキがふわっとソフトフォーカスで映ります。やさしく美しい最期でした。
こんなすてきな最終回かと思ったもなかなかないです。(朝ドラ辞典参照)
これからいよいよ新しい時代の到来です。これだけきれいに前半をまとめてしまうと、後半が大変そうな気もしますが。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第66回のレビュー}–
第66回のレビュー
江戸時代の象徴のようなタキ(松坂慶子)が亡くなって最終回のようだった「らんまん」第65回を経て、第14週「ホウライシダ」(演出:深川貴志)のはじまり(アヴァン)は、歌。万太郎(神木隆之介)は長屋で寿恵子(浜辺美波)との新婚生活をはじめています。寿恵子が長屋のりん(安藤玉恵)たちと洗濯しながら、陽気な歌を歌いはじめ、それに合わせて長屋の人たちが歌いながら登場します。ちょっと演劇みたいな感じのはじまりでした。
思えば第1週でも酒造りの歌が彩っていました。人々の暮らしには歌がある。
大学へ出かける万太郎におにぎりを手渡す寿恵子。いい妻という感じです。ほのぼのしますね。
そしてタイトルバックに、寿恵子が加わりました。
夫婦編のはじまりです。
そういえば、先週の「あさイチ」であいみょんさんが、主題歌は寿恵子目線で書いたというようなことを語っていました。とすれば、ここからが本番ということ。本編までに3ヶ月も費やすとはすごい。
9月、東大植物学研究室でも変化が。うさぎに子うさぎが! そして卒業した者もいれば進級した者もいて。新入生もふたり。フレッシュな澤口(犬飼直紀)と山根(井上想良)。彼らも万太郎伝説を知っていて尊敬の眼差しで見つめます。
波多野(前原滉)と藤丸(前原瑞樹)は四年生になって健在。藤丸の弱気も健在。論文も英語も苦手なまま。新入生の面倒を見るどころではなく自分の面倒を見てほしいとぶつぶつ。
万太郎と波多野と藤丸の会話シーンは楽しい。状況説明シーンが仲良しが噂話している感じにちゃんとなっています。
そして藤丸たちに、何者でもない万太郎が植物学界で注目されているのだと言われ、万太郎は野心を燃やします。そのときの神木さんの眼差しの強さ。
が、しかし、前途洋々かと思いきや、不穏な気配が漂って……。田邊教授(要潤)の圧がこわい。
万太郎が研究室にいると、久々登場の徳永(田中哲司)と大窪(今野浩喜)がなぜか教授の授業を差し置いて、新種の標本を見せろと言いますが、田邊が止めます。
徳永と大窪はどうやらすっかり万太郎に好意的になっているようで、万太郎は研究室のちょっとしたスター的な存在になってきていますが、それが田邊にはどう映っているのか……。
ロシアに日本の研究が認められて以降、教授の野心に火が付いて、それが万太郎に魔の手となって迫ってきそうな予感。
ピアノの鍵盤の低い音が不安を募らせました。
万太郎、恵まれてきたので、このへんで壁にぶち当たるのもいいかもしれません。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第67回のレビュー}–
第67回のレビュー
「つまり君は相手がどれほどの地位であろうとも奪うものは奪う。そういうことだな」
(田邊)
田邊教授(要潤)の家に招かれた万太郎(神木隆之介)。寿恵子(浜辺美波)を連れて訪ねます。
これまで誰も招かれたことのない屋敷ーー。はたして万太郎にとって光栄なのか、恐怖が待っているのかーー。
玄関先に今週のサブタイトルになっている「ホウライシダ」が咲いていて万太郎はさっそく夢中になります。この植物が田邊のキャラを表しているのでしょう。きっと今週、どこかで田邊の心がわかるに違いありません。
後妻で若妻・聡子(中田青渚)の着物の帯が歯朶紋であることにもなにか心模様があるでしょう。羊歯は花や種子がなく胞子で増えていくので「霊草」と呼ばれ、繁栄や長寿のお守りのように考えられています。
最初は万太郎の味方かと思えた田邊ですが、じょじょに、やばい人なのでは疑惑が湧いています。西洋かぶれで、プライドが高くて、ワンマンで、野心が強そうで……。万太郎のこれからに障害になりそうないやな予感しかないですが、一面的でないのが「らんまん」の人々なので、田邊教授についてもまだわかりません。羊歯が好きなのは、単に繁栄への強い野心かもしれないし、ほかに意味があるかもしれません。
植物のことばかり考えている、やや多動症気味の万太郎のキャラだったら、教授に会うなり、ホウライシダの話をしはじめそうですが、ここで話をしだしたら物語にならないので、万太郎は礼儀正しく、お招きのお礼と寿恵子の紹介に留めます。
田邊は寿恵子に会うなり、高藤(伊礼彼方)の申し出を断った人物だと思い出します。そこで出たセリフが「相手がどれほどの地位であろうとも奪うものは奪う」でした。万太郎はそういう反権威みたいな考え方の人物ではないですが、田邊はそういう穿った見方をします。
その後、万太郎とふたりきりになると、万太郎に学歴がないからどんなに植物を発見しても発表できないと言います。学会誌を万太郎が作ったのに、その手柄も
どうやら田邊のものにしてしまっています。
「世間は単純なんだよ。学歴さえあればいい」とか銭湯でわめいている人には国政は動かせない、とか言う田邊のたとえも権威主義でいやな感じです。
権威主義で地位のないものを認めないけれど、相手がどれほどの地位であろうとも奪うものは奪う、ような人物が稀に世の中に現れることも知っていて、それに怯えてもいるような気もします。だから、自分たちの既得権益を守り、それ以外の芽をあらかじめ潰していくことばかり考えている。なんだか、こういう人たち、今の世の中にもいます。「らんまん」は明治という時代性の反映かもしれませんが、庶民がふだん思っている上への不満へのガス抜きをところどころでしてくれています。
そして、田邊が万太郎に持ちかけたのがーー
「私のものになりなさい」
どういう意味? と万太郎も、視聴者もざわつかせながら次回へーー。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第68回のレビュー}–
第68回のレビュー
「わたしのものになりなさい」
田邊(要潤)の誘いはいったいどういう意味かと思ったら、
助手ーー専属のプラントハンターになりなさい、という意味でした。
ロシアの権威・マキシモヴィッチも日本に助手をもっていたという田邊。
助手になれば手当もくれるし、好きなだけ植物採集ができる。新種を発見したら学名に、万太郎の名前を入れてくれる。
学歴がなく正攻法で研究者になるのが難しい万太郎には好条件とも思えるその提案に、万太郎(神木隆之介)はなんと答えるーー?
場面は寿恵子(浜辺美波)と田邊の新妻・聡子(中田青渚)との会話場面へ。
そこで、寿恵子は一見こわい田邊の、「ちょっとだけかわいい」面を知ります。
聡子も田邊のその意外なところに好感を抱いたのです。
それは、大きな白い水鳥の羽根枕。
外国の枕でないと眠れない田邊。
当時の日本の枕は、固くてちょっと高さのある箱枕がまだ主流だったのでしょう、雲のようにふっかふかの枕と聞いて、寿恵子は心踊らせます。その枕の横で
聡子が寝ていると想像するだけで、「ぬお〜!」と悶える寿恵子。未知なるものが大好きな寿恵子らしいです。
ただかわいくほのぼのなだけでなく、「髪が乱れる」という聡子のセリフが、なにげに夫婦の寝室を妄想させます。ぬお〜。
聡子は夫が職場の人間関係に気を使って気が休まる間がないということを理解しています。生き馬の目を抜くような出世の世界で、気を抜くと蹴落とされてしまうため、田邊も必死なのでしょう。だから万太郎のちからがほしい。
朴念仁のような田邊にも事情があることがわかりましたが、それを知ったのは寿恵子で、万太郎は知らないことがポイントです。
いや、たとえ知ったところで、万太郎には知ったこっちゃないでしょう。
万太郎は他人の野心のために植物を探したいわけではないからです。
彼にとって植物との出会いは寿恵子との恋と同じ。
「出会うてときめいて知りたいと思う気持ちが湧いてきて」
余談ですが、この言い回しが、母ヒサを演じた広末涼子の噂のラブレター「出会ってくれて、会ってくれて〜」と「くれて」を続ける言い回しに似ている気がして驚きました。
田邊は、自分のものにならない万太郎が、植物と人間を一緒に考えていることに苛立ちます。が、その田邊だって、植物も人間も、自分の思い通りにできると思っているのです。万太郎と田邊は実のところ、同じです。その方向性が誰にも迷惑をかけない一途な思いか、他者を征服する度が過ぎた思いかの違いだけ。
でも、ふたりとも、自分のものにする「所有」にこだわっているということを、「らんまん」ではどのように処理するつもりなのか。田邊が他者を征服し、万太郎は誰もが自分らしく生きる場に解放するということでしょうか。
一見悪者のような田邊も、羽根枕を愛するかわいいところもあるのです。公的な面ではちっともいい人に思えない人物が、実は愛妻家だったり、動物好きだったり、こっそり寄付していたりということはあります。それが人間のミステリアスな部分です。
「らんまん」はそれを、万太郎には理解できず、寿恵子が知るように描きます。
昨今の、いやな面を長く見せられるとドラマを楽しめなくなる層にも、早々と実はかわいいところもあるとわかって、有効であります。
いつの間にか、「すえちゃん」「万ちゃん」になっていて、いいバディです。
その夜、万太郎の枕を、硬い枕ではなく、すこし柔らかそうな枕にしてみたらしき寿恵子ですが、万太郎は仕事に夢中で一緒に寝てくれません。柔らかい枕で寝乱れる万太郎との夜を体験できなかった寿恵子のリアクションが微笑ましい。こういう漫画みたいな仕草が浜辺美波はハマります。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第69回のレビュー}–
第69回のレビュー
第68回のおわり、ライオンキングのような謎の劇伴に乗って、佑一郎(中村蒼)が万太郎(神木隆之介)を訊ねて来ます。
長屋の子どもたちと遊んでいると、万太郎が帰ってきて再会を喜びます。
アメリカへ行くという佑一郎。
アメリカの大きな川・ミシシッピ川で治水工事に携わるのです。
仁淀川からミシシッピ川へ行く佑一郎。
これは大河ドラマ!
人間の大いなる道筋を「らんまん」では「金色の道」と呼んでいます。
着々と信じる道を進む佑一郎に対して、万太郎はいま、ちょっと停滞中。でも親友に刺激を受けて万太郎もがんばるのでしょう。
佑一郎はたくさん食べ物をもってやって来て、寿恵子(浜辺美波)と三人で食事。「あったかいご飯っていいですね」という寿恵子のセリフに、貧しい暮らしを余儀なくされていることがさりげなくわかります。
佑一郎が帰ったあと、「留学かぁ」と顔をしかめる寿恵子。万太郎が刺激を受けて留学したがるんじゃないかと想定して、お財布と相談して、無理と判断したのでしょう。さっそく働こうと考えます。
新婚早々、すっかりよくできた夫の夢を支える妻になっている寿恵子。万太郎にとってはありがたい存在ですが、寿恵子が都合のいい人になってしまっているような気がして心配です。妾の家とはいえ、武家の妾、それなりに裕福に育った寿恵子なのに、いきなりこんな貧乏暮らしに対応できるものでしょうか。もう何年も経って慣れた感じの雰囲気がすでに漂っています。
佑一郎を送りがてら、いまの状況をいろいろ話す万太郎。「虫けら」だと言われた話も。佑一郎は、土木作業をする人たちが虫けらのように扱われていることを例にあげ、学校を出た者とそうでない者の格差を疑問視し、「この人らに恥っん仕事をせんとあかんと」「教授が言うところの『虫けら』らあがこの国を変える底力をもっちゅうがじゃ」と言います。この人権派な考え、「らんまん」の通奏低音です。植物も虫も、人間に軽んじられがちですが、そうではなく、尊い存在なのです。
佑一郎は、大学がだめなら、博物館に頼ればいいと提案します。
「訪ねて行く先があるゆうことも自分の財産(たから)じゃきい」
佑一郎、久しぶりに出てきて名台詞連発です。
博物館に続く道にカタバミの花が咲いています。英語では「ハレルヤ」という名もあるそうで、祝福です。万太郎と佑一郎の前途が洋々でありますように。
ここで感心したのは、長く続く道の表現です。朝ドラはセットだと距離が出なくてこせこせした感じになりがちなのですが、万太郎と佑一郎が語らう場に、風鈴を置いたことで、風が吹き抜けていく長い道を想像させるのです。風とともに進め!という感じ。演出は深川貴志さん。美術スタッフの仕事もすばらしい。
「らんまん」は子供の笑い声や、万太郎や寿恵子の笑い声が絶えません。それが良さでもあります。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第70回のレビュー}–
第70回のレビュー
万太郎(神木隆之介)は博物館に野田(田辺誠一)と里中(いとうせいこう)に会いに行きます。野田は不在でした。彼は今、大河ドラマ「どうする家康」に穴山信君として出演中だからでしょうか。今週の日曜の第26回に穴山は出るはずです。
里中が伊藤孝光(落合モトキ)を紹介します。彼はシーボルトの愛弟子で「泰西本草名疏」を書いた偉大なる植物学の研究者・伊藤圭介の孫。万太郎は屈託なく孝光に接します。ひざまずいて手を握ったりしたりして。
孝光は、万太郎がマルバマンネングサの学名になったことを知っていて、最初は感じ良かったものの、言動がいちいち、祖父を盾に、マウントをとってるふうに見えます。偉大なる祖父にいかにかわいがられたか語るのです。でも万太郎は植物を愛する者同士だから親しみを感じているのか、気にしません。
万太郎「膝抱っこ〜」
里中「おじいちゃんっ子〜」
あははと笑いながら、へつらうこともなく、好意的です。里中もいいキャラです。
ところが、「東大」の話になった途端、孝光の態度が変わります。東大には「泥棒教授」がいると。それは田邊(要潤)のことでした。トガクシソウを田邊にかすめとられたと恨んでいるのです。
うすうす、田邊の悪行(というほどではない、ずるさみたいな感じ?)は描かれてきましたが、彼に手柄をかすめとられている人は万太郎だけではなかったのです。でも万太郎があんまりピンと来てないところが、人柄です。そして、里中はもっと人間ができていて、ひじょうに冷静です。里中の視点から見たら、田邊も単なるヒールではなさそうです。
里中は、
「間違いがあれば世界中の学者が協力して正していけばいい」
「かれんな花をめぐって人間が争っているね」
「研究は日々進歩する学問においてそれは健全なことだよ」
とじつにフラットな考えです。
とはいえ、やっぱり、自分たちががんばってやってきたことを、ほかの人の栄誉になるのが悔しいのは当たり前です。それこそ、祖父、叔父、自分と三代続いての悲願とあればなおのこと。伊藤孝光は、ちょっと「家」にとらわれています。
学歴、家柄、そういうものに人間は囚われてしまう。万太郎はそこから距離をとって、ひたすら植物に夢中です。
里中に、東大を出てなくてもどうしたら植物学者として認められるのか相談すると本を出せばいいと言われます。あの学会誌がそのはずだったのが、田邊にうまくいいくるめられたわけで。一回、やろうとして失敗している話だよなあと思いましたが、それはそれ。今度はもう一回、単著として本を出すことになるのでしょうか。それが夢の図鑑企画なのでしょう。
さて。「泥棒教授」として話題沸騰の田邊が帰宅すると、雨のなか健気に待っていた聡子(中田青渚)がなぜシダが好きか、訪ねます。
「シダは陸の植物の覇者」
「シダは地上の植物の始祖にして永遠なんだ」
文学的なセリフに、言葉のない聡子。わかってあげてよ〜と思うけれど、凡人には田邊のロマンはわからないのです。
田邊はただの出世したいだけの権威主義ではなく、文学や芸術に至高のロマンを持っているようですが、それを他者と分かち合えない孤独のなかにいるようです。寿恵子なら、それを理解してあげられそうな気がするのですが……。
そんな寿恵子は雨が降っていても、聡子のようには夫を玄関先で待っていません。ただただ、枕をともにすることばかり考えています。これは別に色欲ではなくて、若い女性特有の、殿方とのロマンチックな秘めごとへの憧れでしょう。やがてそれは味気ない動物的な行為でしかないことを知るとしても、最初はなにか素敵なことのように思って胸をときめかすのです。
そのときめきは朝、目を覚ますと、寿恵子の想像を超えたものでした。
万太郎が植物を観察するように、寿恵子のまつげや産毛について語ります。詩と学問はともに美しいものであることを、寿恵子は羞恥が先立って気づけない。田邊の言ってることがわからない聡子と同じでありました。
今日の深川演出は、俳優の目をどアップで映すのが印象的でした。まつげを映したかったのかもしれません。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第71回のレビュー}–
第71回のレビュー
朝から笑い声の絶えない槙野夫婦。第15週「ヤマトグサ」(演出:石川慎一郎)は朝ごはんの場面からはじまりました。
母マツ(牧瀬里穂)にもたせてもらった味噌でたぬき汁を作った寿恵子(浜辺美波)。味噌も嫁入り道具のひとつ? 離れていてもマツとしょっちゅう会っている?
ともあれ、マツがいるから、婚家が貧しくてもそれほどの不安はないのかもしれません。
「白梅堂の味です」としみじみ味わっているところが、母と離れ、嫁いだ者の気持ちが伝わってきます。
”味噌”は家の味です。家第一の時代は終わっても、味という家の伝統を守っていく部分は大事にしたいものだと感じます。
朝ごはんをふたり向き合って食べることは貴重なようで、楽しそうなふたり。部屋に笑い声が響きます。
食べ物の話も植物に置き換えてしまうところが万太郎らしさ。
でも、こんないい朝は滅多にない。いつも万太郎は植物採集に出かけてしまうから。そう思うと、ひとときのいい時間。もしかしたら、これから大変なことが待っているのかもーー
「どうでもいい話」でなく、「どうでもよくない話」をしたい、と万太郎が寿恵子に持ちかけたとき、もしや、お金の無心?と想像して身構えましたが、そこまで性急ではありませんでした。それやっちゃったら、おもしろいかもしれないけど、「万太郎=クズ」になってしまいます。
段階があって、まず、万太郎は、自分の価値を世の中に認めてもらうために、本を出す決意を語ります。
寿恵子の提案だった「八犬伝方式」で。
第1巻は、万太郎の得意の植物画満載の図譜。そのために、再び、大畑印刷工場に通い詰めることになりそう。印刷工場編、再びでしょうか。工場の皆さんのキャラがいいので、それはそれでよし。
目下、寿恵子は、んんーーという顔をしながらも、「わかりました!」と万太郎の提案に協力的ですが、今後、万太郎の「寿恵ちゃん、頼む!」が繰り返され、次第に要求が膨らんでいくことを予想。
浜辺美波さんが、大きな瞳をくりくりさせて、万太郎の話を聞く表情と、ちょっとさみしいとか、ちょっと困ったような口元になる表情と、変化が鮮やかで、ずっと見ていたい稀有な人だなと感じます。
万太郎と寿恵子の生活も前途不安ですが、大学のほうも雲行きがあやしい。
田邊(要潤)の置かれた状況も安泰ではなさそうで……。やはりただのヒールではなく、彼には彼の気苦労が描かれそうな予感。
新入生は、大学の主流の学部では勝負できないから、末端の植物学科に入った者たち(ほかに行き場がなくて来た by徳永〈田中哲司〉)で態度が悪い。要するに、植物学科は東大の吹き溜まりであることが明らかになってきます。
学歴のない万太郎を蔑んだ田邊もまた、もっと上の人たちから蔑まれている事実。
機嫌の悪い田邊に叱られた大窪(今野浩喜)がとんだとばっちり。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第72回のレビュー}–
第72回のレビュー
恋愛と結婚は違うもの。結婚してみたら、思っていたのと違うということがあります。
万太郎(神木隆之介)が植物図鑑を作るため、印刷工場に再び通い詰めることになり、寿恵子(浜辺美波)の寂しさが募ります。
「八犬伝の犬士みたいにふたりでいるから強くなれる」
寿恵子は八犬伝の犬塚信乃と犬飼現八のように同志的なものに憧れていましたが、いざ結婚したら、自分は生活を守ることばかりにかまけてしまう。それが寿恵子には物足りない。
一緒に戦いたい。女の子が一度は抱く願望です。
「だって私、あんな大きな人の妻になったんですから」
と万太郎を過大評価する寿恵子に、クサ長屋の住人・福治(池田鉄洋)は
「別に万ちゃんなんて立派なやつじゃねえからさ」とばっさり。
「(好きなことだけ)やりてえ やりてえバカ」なだけと散々な言いようです。
いや、過大評価ではなく、モデルの牧野富太郎は大物になるわけで、万太郎もそうなのでしょうから、寿恵子は人を見る目があるのですが、この時点では、周囲のほとんどは万太郎の未来を予想だにしていません。
これまで、名優・池田鉄洋さんが演じているにしては、出番少なめだった福治が、突如、長台詞を語りだしました。それは彼の過去ーー妻に逃げられた理由でした。
「棒手振」という魚の干物を売る仕事が福治は好きだったが、妻は、自分の店を持つなど、もっと野心を持ってほしいと願っていたようで、価値観が合わなくて出て行ってしまった。子供も置いて。それで福治は今で言う、シングルファーザーに。
突然の過去語りブッコミはドラマあるあるで、視聴者的には若干違和感を覚えるものですが、なかには、思い当たるふしを感じて、しんみりする視聴者もいるでしょう。出世しないといけないのか、有名にならないといけないのか、年収を増やさないといけないのか、投資をしないといけないのか……等々と。そして、その人がすごい仕事をするから好きなのか、何もしなくてもその人そのものが好きなのか問題。
でもこの場面の真なる狙いは、寿恵子の大望を際立たせることです。
自身の経験から「身の丈に合わない望みは不幸になる」と福治は助言しますが、寿恵子の選択はーー。
福治は、身の丈を自覚して、小さくまとまって生きていくことを幸せとする人物代表で(ずっとひっそり目立たなかった理由はそこかもしれません)、寿恵子は万太郎と同じく大望を抱いて邁進していく人物です。
寿恵子は大畑印刷所にやって来て、万太郎の仕事を熱心に観察し、その結果、とんでもなくでっかいことを思いつきます。
寿恵子も万太郎もでっかい夢をもっていますが、福治のような人生もドラマでは否定するようには描かれていません。また、大畑印刷所では、大畑(奥田瑛二)の妻イチ(鶴田真由)も、ひとつの理想として描かれているように見えます。
イチは、あくまで家を守る仕事をしていて、職人たちの食事を用意したりしていますが、明るく場を盛り上げるムードメーカーになっているし、ちゃきちゃきしていて、実は大畑をお尻に敷いているようにも見えます。
食事のシーンで、万太郎が箸を2膳とって、寿恵子に渡すのが、旦那さまって感じでした。また、イチが、本を作る資金を峰屋に頼ればーーと言い出したとき、大畑がさりげなくたしなめるのも(酒蔵事情を慮って)、旦那さまって感じでした。2組のいい夫婦が描かれていました。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第73回のレビュー}–
第73回のレビュー
万太郎(神木隆之介)と一緒にいたい一心で、寿恵子(浜辺美波)は身の丈に合わない買い物を決意します。それは石板印刷機。価格はほぼ1000円。その資金は、峰屋の綾(佐久間由衣)が結婚祝いにもたせてくれた1000円です。
1000円はどうやら大金のようです。
長屋の家賃が50銭とりん(安藤玉恵)が言うので、いかに高額かわかります。
さらに、当時の1000円の価値を知ろうと、週刊朝日編の「値段史年表 明治・大正・昭和」に掲載されている様々な給料や報酬をチェックしてみました。
明治27年の公務員の給料:50円(月額)とあります。
目下「らんまん」は明治16年頃なので、10年の間の変化はあるとは思いますがご参考までに。
例えば、国会議員の報酬は明治22年では800円ですが、32年では2000円に爆上がりしています(年額)。貨幣価値がどんどん変わっています。昭和21年では月1500円です。
都知事の給料は明治24年で4000円(月額)。
大畑さんの以前の職業火消しにちなみ、消防士の出場手当は、明治27年で10銭。
日雇い労働者の賃金:明治16年で19銭。
遊女の揚代:明治14年で1円。
給与じゃないですが、東京大学の授業料は 明治12年で12円、明治19年で25円。
日雇い労働者の賃金、明治16年で19銭と、印刷機1000円を比較して考えると、当時の1000円の価値が、例えば、長屋の人たちから見たら、どれほどのものか想像に難くありません。
なにかあったときのための1000円を使ってしまったら、もうあとがない。それでも、ここで使ってしまう寿恵子の思い切りのよさ。彼女の冒険心がここで発揮されました。
「これから先、きっととても苦しくなる。でも 今 万太郎さんに入り用なら……」
今は、峰屋から出してもらったお金だからまだいいけれど、これから先、どうなるか……。
寿恵子の激しい万太郎愛を感じる決断です。家に印刷機があれば、万太郎とずっと一緒にいられる。帰ってくるのを待ってもやもやもしないし、ご飯も一緒に食べられる。万太郎の体力的な心配も軽減します。いろいろな面で好都合なことを寿恵子は思いついたものです。
「値段史年表 明治・大正・昭和」は便利だし、興味深い本です。絶版になっているようですが、古書として手に入れることは可能です。
さて。第72回は、福治(池田鉄洋)の自分語りのターンがありましたが、第73回では大窪(今野浩喜)の自分語りが(父が旗本、東京都知事、元老院議官というすごい家の三男だった)。第15週はこれまで、活躍の場がやや少なかった人たちにスポットが当たる週のようです。劇団をやっている作家は、演劇公演において、劇団員や出演者の見せ場を必ずどこかに入れるように工夫することが多いです。今週の福治と大窪はそういう感じもします。単なるコーナーではなく、彼らの語りが、物語にちゃんと関わっているのが見事です。
いい家の子でも三男だと割りを食う。「そんなところにしか」と植物学教室のことを言う。かわいそうな植物学教室。
そんな状況で、波多野(前原滉)と藤丸(前原瑞樹)は安定の活躍です。
「この穴をなくすのは情緒的に惜しい」という波多野の台詞が最高。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第74回のレビュー}–
第74回のレビュー
アヴァンなしではじまった第74回。
「どうしてここへ来たかより、それでもみんな今、ここにおって 今日も植物学を生きゆう、それだけでいいがじゃと思います」
(万太郎)
いきなり万太郎の名台詞と、終盤の新種発見で、最終回みたいでした。
名家に生まれながらも、進路がままならない大窪(今野浩喜)は、植物学と田邊(要潤)にすがるしかなかった。植物を好きなわけではなく、地位を得るために必死で勉強しただけ。田邊の植物学への執着も、地位のためだし、ほかの人達もほかに居場所がなかったから植物学教室にやって来るしかなかったのです。
純粋に植物が好きなのは万太郎だけ。
万太郎の純粋な植物愛が、東大の植物学教室の権威を高める可能性を秘めています。
「おまえはただ植物が好きだと笑った」
「このままじゃ 誰もお前に勝てない。だから、好きになりたい(後略)」
……等々、大窪は突如、これまでの物語における万太郎の功績をまとめます。
つまり、吹き溜まりでくさくさしていた人たちのところに、純粋な万太郎が現れたことで、みんなの気持ちが動いた、ということです。
大窪は万太郎に共同研究を持ちかけます。
万太郎の植物への並々ならぬ探究心を持ってすれば、新種を発見し、東大植物学教室の権威が高まる。でも、万太郎の個人の実績にはなりません。
それでも万太郎はその申し出を引き受けます。なぜなら、彼は、大窪や田邊、徳永(田中哲司)、波多野(前原滉)、藤丸(前原瑞樹)の個性を知ったから。
みんなそれぞれ、好きな植物を見つけ、愛しはじめているから。
新種発見の栄誉を教室に譲ることを受け入れる万太郎と、ユズリハが重なります。ユズリハは若干こじつけぽい感じもしないでありませんが、新しい葉が出てくるとゆずるように古い葉が落ちることから、新しい年を迎えるときの正月の飾りに使用されるということで、年が変わる時期であることが示されているのです。
植物の個体の違いを丁寧に観察し、細分化していく万太郎と大窪。
ときを忘れ、大晦日になってしまい、万太郎は慌てて帰宅します。
寿恵子(浜辺美波)は少しも怒らず、笑っています。できた妻!
そして、新種発見。
みんなと抱き合って喜びながら、万太郎のこれまでの歩みが浮かんできます。
ほ〜ら、最終回のよう。
一見、似て見えても、細部は違う。植物はこんなにも違いがあって、分類されているのに、人間の分類はわりとざっくりしています。区別が差別になるのは良くないですが、ひとりひとりの違いを認めることは大事です。
ふたりで懸命になにかする物語は、神木隆之介さんの代表作「桐島、部活やめるってよ」を思い出します。お笑い芸人コンビの話なども、視聴者は大好物ですから、万太郎と大窪を演じる神木さんと今野さんの息のあったお芝居には魅入られたことでしょう。
でも、めでたしめでたし、最終回ではありません。
田邊の心にじっとりとなにかが募っていきます。
田邊のシーンにはシダが好みそうな雨が多く、ペンのインクがじわじわと滲んでいく。
彼の心象風景のようでした。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第75回のレビュー}–
第75回のレビュー
石版印刷機を購入し、長屋の部屋の壁を壊して、設置しました。
壁を壊すことが、万太郎(神木隆之介)が困難な状況をまた一歩突破したことが重なって見えます。
第74回で胸筋を見せて大活躍した倉木(大東駿介)が、第75回でも見せ場があります。
印刷機が来たのでいよいよ図譜の制作にかかりますが、版元から前金を求められ、寿恵子(浜辺美波)は質屋に白いドレスを持っていきます。
前金は100円。
ドレスだけでは足りず困っているところに、倉木が100円を持ってきます。
これは、第28回で、万太郎が困窮している倉木に差し上げた100円です。
あのとき、倉木は戊辰戦争で負傷したうえ、武士の時代が終わってしまい、アイデンティティもお金も失って、万太郎の荷物を置き引きして、妻えい(成海璃子)が質屋でお金に替えようとしていました。
万太郎は、荷物のなかにあった大事な植物標本を100円で買って取り返したのです。
標本がそれだけ大事であったというのもあるし、倉木のプライドも立てることができました。以後、倉木は変わっていきます。
第28回くらいの頃は、万太郎が植物を分析するように、誰かの本質に気づき、その人らしく生きられるように促すパターンが見受けられたのですが(例、綾や竹雄)、その後はややその描写が薄れていたところ、第15週では再び、そのパターンが戻ってきて、大窪(今野浩喜)も万太郎に本質を引き出してもらっていました。1話完結ものではないので、水戸黄門の印籠のように、毎回、同じパターンだと単調になりますから、忘れた頃にリフレインするのは達者です。
そして、ヤマトグサがついに日本ではじめて学名を発表した植物となり、大窪と槙野の名前がつきます。
本も完成。お祝いに、長屋総出でチラシ寿司を作ろうとしていたら、炊きたてのご飯に、寿恵子は思わず、口元を手で抑えます。
出た。つわり=うっ、と口元を手で抑えるポーズ。ドラマでは定番中の定番で、もはやある種の禁じ手であります。「舞いあがれ!」では、大好きなお好み焼きを見ながらなんか違和感を覚えるような表情を見せました。
お好み焼きを見て気持ち悪そうにした福原遥の演技が巧い<第111回>
「ちむどんどん」ではむかむかするとお腹をさすっていました(第95回)。
「カムカムエヴリバディ」第38回では、女中の雪衣(岡田結実)が「うっ」と口を押さえて流しに駆け込み吐いていました。定番ながら、一気にいろんなことが起こる怒涛の展開のひとつとしてわかりやすいインパクトを重視したものでした。
このように最近は、手垢のついた表現を避ける傾向にありましたが、浜辺美波さんは、定番の動きに、まず、寿司桶を遠ざけ、口を押さえ、しゃがむという1、2、3をリズミカルにやって、新鮮味のなさを回避。小柄な浜辺さんが素早くしゃがむことで愛らしさも出ました。
その前に、万太郎の仕事を手伝っていて、めまいがすると言うところもあったり、75回のラストで「どうでもよくない話があります」と万太郎に話をするところをはっきり言葉にしないで、万太郎の笑顔で驚きと喜びを感じさせています。植物も人間もひとつとして同じものはないように、妊娠がわかる場面にもひとつとして同じものはないのです。万太郎の植物分析も、花を大きく万太郎を小さくしてCGで見せました。これも毎回、植物をじっと観察しているとか顕微鏡をのぞいているとかだとパターンになってしまいますから、とてもいいタイミングで新たな表現を入れてきたといえるでしょう。
ですが、禍福は糾える縄の如し。
喜びのそばにはーー。
田邊(要潤)が怒る事件が起こってしまいます。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{「らんまん」作品情報}–
「らんまん」作品情報
放送予定
2023年4月3日(月)より放送開始
作
長田育恵
音楽
阿部海太郎
主題歌
あいみょん「愛の花」
語り
宮﨑あおい
出演
神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣、笠松将、中村里帆、島崎和歌子、寺脇康文、広末涼子、松坂慶子、牧瀬里穂、宮澤エマ、池内万作、大東駿介、成海璃子、池田鉄洋、安藤玉恵、山谷花純、中村蒼、田辺誠一、いとうせいこう ほか
植物監修
田中伸幸
制作統括
松川博敬
プロデューサー
板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久
演出
渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか