映画『渇水』で「最強の凡人」を演じた生田斗真の説得力

映画コラム
(C)「渇水」製作委員会

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映画『渇水』が2023年6月2日より公開されている。原作は1990年に文學界新人賞を受賞し、第103回芥川賞の候補となった、河林満の同名の中編小説。30年以上前に書かれた原作ながら、後述する今日的なテーマも見どころの、優れたヒューマンドラマに仕上がっていた。主演の生田斗真を中心に、映画の魅力を紹介しよう。

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「心が渇ききる寸前」の主人公

日照りが続くある夏、水道局に勤める岩切(生田斗真)は同僚の木田(磯村勇斗)と共に、水道料金を滞納している家を訪ね、水道を停めて回る日々を送っていた。ある日、岩切と木田は2人きりで家に取り残された小学生の姉妹と出会う。その家の電気とガスはすでに停まり、もちろん水道も停めることもやむなしな状況。後日、岩切は姉妹の母親(門脇麦)と出会うのだが……。

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岩切と木田は、はっきり「嫌われ者」の仕事をしている。その行動は客観的には正当ではあるが、経済的に困窮する者へ生きるために必要な水を断ち切っていく「死刑宣告」のようにも思えてくる。たとえ若手職員から「こんなことを続けていると、人間変わっちゃう気がしますよね」と言われても、主人公は「規則ですから」と返し、黙々とその後も「停水執行」の仕事を続ける。

しかし、後述する生田斗真の演技力もあってこそ「心の中では割り切れないと思いつつも、それでも冷徹に仕事をこなそうとする」という、真っ当な人間性を捨てきれない様と、ただただ社会性を保とうとする、2つの価値観の間で心が揺れ動いている様が、ありありと見える。いや、どちらかと言えば、彼の心は冷徹に仕事を続ける方に傾いている。あえて自身の心を「渇かしている」状況にあると言っても良い。

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そんな「心が渇ききる寸前」に思える主人公が、幼い姉妹に出会ってどのように心変わりをしていくのかが見どころになっている。貧困の中にいる、育児放棄をされている子どもたちの生活を描く点で、是枝裕和監督作『誰も知らない』を思い出す方も多いだろう(奇しくも、本作と同日に公開されるのが是枝監督最新作『怪物』でもある)。

「最強の凡人」を演じた生田斗真の説得力

岩切のキャスティングの決め手について、長谷川晴彦プロデューサーはこう語っている。

岩切というキャラクターは、最強の凡人だと捉えた時、凡人を演じたことのない生田斗真さんが閃きました。

スター性に満ち満ちた生田斗真が、その正反対の凡人を演じるなんて……とも思ってしまうが、なるほどただの凡人ではない、「最強の凡人」の主人公であればこそ、生田斗真は見事にハマったのだと、実際の『渇水』の本編を思えばこそ思ったのだ。

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何より、今回の生田斗真は「死にかけているような目の輝きのなさ」がすごい。本当に水分がない目に見えるからこそ、前述した「心が渇ききる寸前」の岩切の心情を見事に体現している。それでいて、その目には「信念」が見える時もある。そして「ついに感情を表に出す」シーンでは、今までのギャップもあってか「目が輝き出した」かのようにさえ見えるのだ。

その生田斗真は、『脳男』では感情を見せないサイコパスなダークヒーロー、『湯道』の全てを悟りきっているからこその傲慢さに満ちた役など、端正な顔立ちをしていて、かつスター性があるからこその、人間性に欠けたキャラクターも見事に演じていた。

そんな生田斗真が『渇水』で演じるのは、経済的に困窮している者たちの水道を停める仕事を黙々と続ける「イヤな立場」の主人公。同時に、「人間性に欠けた役回りをしなければならないことに悩んでいるが、その葛藤も含めて極めて平凡な男」というバランスのキャラクターにもピッタリというのは、なるほど今までの役柄も踏まえても大納得だ。

ともすれば、今回の生田斗真は、今までにないほどに感情移入がしやすい主人公でもあるだろう。この社会で生きていれば、多かれ少なかれ「やりたくはないけど仕方なくこなすしかない仕事」を続けている人は多いはずだから。その平凡な悩みが最強レベルまで積み重なった主人公を、最強クラスの説得力を持って演じたのが、今回の生田斗真なのだ。

–{画面に映るたびにホッとする磯村勇斗}–

画面に映るたびにホッとする磯村勇斗

そんな最強の凡人である主人公・岩切の同僚・木田を、磯村勇斗が演じているのも重要だった。彼は「心が渇ききる寸前」の主人公とは正反対の、なんでも言いたいことを言ってのける、朗らかで親しみやすい人物。仕事だけでなく世の中の理不尽さへの愚痴を気兼ねなく話す様は映画の中で一種の清涼剤となっているし、その言葉が時おり本質をついている時もある。ただ軽薄なだけではない、実は聡明さも感じる、多層的なキャラクターになっているのだ。

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劇中では(もちろん物語には必要な)ギスギスしたやり取りや、どうにもならない理不尽な出来事が多いこともあって、磯村勇斗が画面に出てくるだけでなんだかホッとするし、この映画にいてくれて本当に良かったと思うことができた。もちろん、マスコット的に存在するだけでなく、彼には物語上でも重要な役割が与えられているので、そのことにも期待してほしい。特に幼い姉妹と、同僚の生田斗真と共に、縁側でアイスを食べる場面も、ほっこりと笑顔になれた。

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余談だが、磯村勇斗が出演する『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 -運命-』『最後まで行く』『波紋』が、同時期に今の映画館で上映されているという、ある種の磯村勇斗祭りが起きている。特に『最後まで行く』では、今回の『渇水』とは正反対とも言っていい「ただの死体じゃない死体役」を見事に演じているので、合わせて観てみるのもいいだろう。

原作とはまったく異なる結末が意味するもの

実は、この映画『渇水』の結末は、原作とは全く異なる。この改変を不満に思う人もいるかもしれないが、個人的には「こう変えてくれて本当に良かった」と全肯定したい。

髙橋正弥監督は、河林満のご遺族に了承をいただいた上で、映画の結末を原作と変えた。そこには「非常に悲しくかつ衝撃的な結末だった」「僕自身にも娘がいるので、原作の少女たちの顛末が消化しきれなかった。映画は希望につながる物語にするために、変えたい」という意思があったのだという。

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原作と結末を変えることになったのは、2011年の東日本大震災が起こる少し前だったという。その上で、髙橋監督は「震災を経験したことでさらに、普通の生活に重くのしかかる災害や貧困、格差や差別も大きな要素になりました。そこに、大人たちのシステムに取り込まれていく子供たちの存在を顕在化させたいと考えました」と決意を新たにしたそうだ。

コロナ禍を経た2023年の現在でも、困窮した家へ停水執行をし続ける「仕事としてやるしかない」状況の中にいる水道職員と、そのシステムの中にいる幼い姉妹が置かれた立場は、貧困や格差や差別を描いた物語として、未だなお今日的で普遍的なメッセージを突きつけている。改変された映画の結末は、ある意味で楽観的ではあるが、かと言って安易な救いを与えてもいない、フィクションだからこその「このような辛い現実があったとしても、少しでも心を軽くする物語」として、見事に昇華されていたと思う。

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最後に、企画・プロデュースを務めた白石和彌の言葉も記していこう。

人間とは常に何かを渇望している存在だと思うのですが、初めて髙橋さんとお会いした時、髙橋さんからもその「渇望」を感じたんです。潤いのない干からびた世の中で、この物語を何とかしてやりたいと、10年以上も渇望し続けている。原作と脚本、そして監督自身がシンクロした瞬間で、この作品だけではなく、髙橋正弥という映画作家を、もっと世間に知ってもらおうと決意した瞬間でもありました。

この言葉通り、髙橋監督の10年以上に渡る、この映画の企画に込められた渇望は、切実な願いが込められた映画本編の物語とシンクロしていると思う。そのことも踏まえて、この『渇水』の物語を堪能してほしい。

(文:ヒナタカ)

–{『渇水』作品情報}–

『渇水』作品情報

【あらすじ】
日照り続きの夏、市の水道局に勤める岩切俊作(生田斗真)は、水道料金が滞納する家庭を訪ね、水道を停めて回る日々を過ごしていた。県内全域で給水制限が発令されるなか、父が蒸発し、母(門脇麦)も帰らなくなり、二人きりで家に取り残された幼い姉妹(山崎七海、柚穂)と出会う。困窮家庭にとって最後のライフラインである水を停めるのか、岩切は葛藤を抱えながらも規則に従い、停水を執り行うが……。

【予告編】

【基本情報】
出演:生田斗真/門脇⻨/磯村勇斗/山﨑七海/柚穂/宮藤官九郎/宮世琉弥/吉澤健/池田成志/篠原篤/柴田理恵/森下能幸/田中要次/大鶴義丹/尾野真千子 ほか

監督:髙橋正弥

上映時間:100分

配給:KADOKAWA

映倫:PG12

ジャンル:ドラマ

製作国:日本