【対談】カザフスタン出身の世界で活躍する25歳 アイスルタン・セイトフ 監督×『父と娘の風景』柳沢翔 監督 ┃「世界で活躍する映像作家になるには?」

映像作家クロストーク

映画、ドラマ、CM、MV、YouTubeなど、さまざまな映像メディアの第一線で活躍する”映像作家”にフォーカスをあてる特集「映像作家のクロストーク」。第四回目は、世界で通用する作家になるための話をお届けします。

登場するのは、世界的ラッパー「Offset」「21 Savage」などのMVや、NIKEやBMWなどのCMを手掛ける若干25歳のアイスルタン・セイトフ。そして、イギリスのリドリースコットアソシエイツや、『エブエブ』のダニエルズも所属しているアメリカの「Pretty Bird」のメンバーである柳沢翔。

二人の出会いはSNS。柳沢の作品のファンだというカザフスタン在住のアイスルタンから突如DMがきたのだとか。今回はちょうどアイスルタンが初めて制作した長編映画『QASH』の試写も兼ねて来日中ということで対談が実現。はじめはまだ日本では謎に満ちたアイスルタン・セイトフという作家のキャリアについてお聞きしました。そして後半では世界で活躍するための秘訣にも迫ります。

Offsetが繋いでくれてキャリアが広がった

アイスルタン・セイトフ

──そもそも柳沢さんとアイスルタンさんは、どういうきっかけで出会ったんですか?

柳沢翔(以下、柳沢):数年前、彼から突然「あなたの作品のファンです」とDMをもらいました。21 Savage『A Lot』のMVは観ていたので「え? なんで?」と(笑)。そういえばアイスは僕のことをどういう経緯で知ったの?

これまでに1度グラミーも受賞したことがあるイギリス生まれのラッパー「21 Savage」。2019年に公開した『A Lot』のMVをアイスは手掛けた

アイスルタン・セイトフ(以下、アイスルタン):いつだったかははっきり覚えてはいませんが、僕の友達が(柳沢が手がけた)ポカリスエットのCM映像を教えてくれて。すごく感動して、「これを誰が撮ったのか?」とどうしても知りたくなって、調べたら翔さんの作品だとわかったんです。今まで観た中でもっともクレイジーなCMだと思いました(笑)。

柳沢は2020年〜2022年までポカリスウェットのCMシリーズを担当。写真は
アイスが見たという2021年の映像より

アイスルタンが柳沢を知るキッカケになったもう一つの作品、資生堂 ブランドムービー『The Party Bus』。国際賞でグランプリに輝いた

柳沢:嬉しい……(笑)。それを君に教えたのは、日本の映像監督?

アイスルタン:そう。Pennackyという、日本とロサンゼルスを行き来している若い監督です。

柳沢翔

柳沢:ディグってくれてありがとうPennackyさん。君はどういうキャリアを経て、今のポジションにたどり着いたんですか?

アイスルタン:僕はカザフスタン出身で、中学生の頃からラップミュージックのファンでした。そういった音楽に影響を受けて、見様見真似でいろいろ映像を作ってきたんです。

──カザフスタンではラップミュージックはポピュラーなんですか?

アイスルタン:ラップだけじゃなくて、アメリカ文化は非常に人気があります。そうやって自分の興味から映像制作を始めたら親がサポートしてくれて、その道を追求するための教育を受けるためアメリカへ行かせてくれたんです。渡米後、映画学校に通い始めたんですが、同時に進めていたMV監督としての仕事が旧ソ連の国々で人気になり、そっちに集中することになって学校は1年で辞めてしまったんですよ。

アイスルタンが手掛けた世界的ラッパー「Offset」 のMV『 Red Room』(2019)。OffsetはMigosのメンバーでもある

──どういう経緯で人気になったんですか?

アイスルタン:旧ソ連の国々のアーティストたちがアメリカツアーを行ったんだけど、SNSを通じて僕の噂を聞きつけて、それで声をかけられてミュージックビデオを制作することになったんです。そのミュージックビデオをきっかけに、さらに旧ソ連の国々のポップ&ロックアーティストたちから次々と声をかけられるようになり、18ヶ月間旧ソ連で暮らしていたら、今度はアメリカのアーティストOffsetが僕のポートフォリを見てくれて、突然連絡をしてくれたんだ。それから一緒に『Red Room』のMVを作ることになって、僕の映像がより広まっていった。で、Offsetが21 Savageを紹介してくれて、2019年に21 Savageと『A Lot』というミュージックビデオを撮影してヒットした。そこからアメリカでのキャリアが本格的に始まったんです。そのおかげでPartizan(ミシェル・ゴンドリーなども所属する映像集団)という大手とも契約することができました。

柳沢:21 Savageのビデオを撮影したのは何歳のとき?

アイスルタン:21、2歳だったかな。

──その若さで、アメリカで監督をすることは難しかった?

アイスルタン:小学校2年生のときから英語を習っていたのが功を奏したかな。そこについては、母親に感謝ですね(笑)。加えて、アメリカのラップ文化の知識を持っていたこともあって、適応しやすかったと思います。彼らはこだわりが強いので、ニーズに応えないといけませんし。

柳沢:相手のカルチャーを深く知って愛してないと、創造的な話にはならないもんね。

アイスルタン:僕はまず、個人的な話や歌詞がその人にとってどんな意味を持っているのかを聞いて、制作に臨みます。逆にミュージシャンのほうからも、僕がどう映像を作ればいいかを聞いてくることもあります。例えば、Jojiのミュージックビデオを作ったときは、Jojiが大まかなアイデアを持ってきて「どう思うか?」と聞いてくれて、部分的に変えたほうがいいんじゃないかとアドバイスしたら、すんなり受け入れてくれました。

アメリカを拠点にアジアカルチャーシーンを世界中に発信する音楽レーベル「88rising」。そこに所属する日本出身で現在はアメリカを拠点に活躍するラッパー「Joji」のMVも数多く制作している

アイスルタンのキャリアをインタビューしたカザフスタンの番組

大切なのはユニークであること

柳沢:君のように海外で活躍したいと思う若い映像監督たちは、日本にもたくさんいると思うんだけど、「これはやっておいたほうがいいよ?」ということは何かある?

アイスルタン:まず、ユニークであること。自分だけにしかできない作品やほかの人には真似ることができないものを作れて、自分のスタイルをそこで押し通すことができれば、クライアントのほうから貴方を見つけてくれるはずです。そして次に、英語を話せて理解できることが重要。

柳沢:う、英語……。たしかに監督は「誰が言ったか」が重要視される役職だから、拙くても自分の言葉で伝えることで魔力が宿るよね。例えばクライアントや役者に、通訳を介して演出意図を伝えるよりも、拙くても自分の言葉で伝えた方が圧倒的に相手の理解度が違うことが良くあるというか。それは、相手とディベートする時って、文法や発音以上にパッションが大事で、本人が喋る事でその熱がダイレクトに伝染してるからなのかなと。監督という職業は「熱を伝える」事がとても重要なので、英語をもっと勉強しないとな……。

アイスルタン:難しいところもあるし大変なチャレンジになってしまうけど、そこを達成すると自分を探しに来てくれる人も増えます。この業界だと映像という言語さえあれば、そこで成功できる。そこでいろんな国に行っても、映像さえちゃんと伝われば大丈夫。自分の独自性、自分の映像を見せていけば先に進めます。最近、ダニエルズが映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でアカデミー賞を受賞したけど、これがすべてを証明していますよね。

柳沢:海外の映像メディア『NOWNESS』や『DIRECTORS’ LIBRARY』、『boooooom』とか漁ってると、いつの間にかエディットやレンズ感を海外トーンに寄せてしまうことがあって、でもそういう作品はまったく海外の人に興味を持たれないという……。じゃあ何がユニークネスなのかって言うと、その源泉は「個人的熱量」しかない気がする。

──アイスルタンさんはご自身のどんなところがユニークだと思いますか?

アイスルタン:今の僕の独自性というのは、自分の国と文化によるものが大きいと思っています。カザフスタンは中国とロシアの間にある、あまり知られていない国というイメージがあるかもしれませんが、僕は自分の故郷が日本みたいに独特で、誰もが知っている国になっていくような手伝いをしたい。そして、最終的には世界中に通用する物語を作っていきたいんです。

柳沢:最近、藤原ヒロシさんをカザフスタンに招いてたね。ストーリーズで見たよ。

アイスルタン:ありがとう。逆に、翔さんは自分のどういったところがユニークだと思いますか?

柳沢:僕はたくさんの国産アニメーションを観て育ちました。1990年代から2000年代にかけてのアニメシーンは非常にチャレンジ精神旺盛で、アニメーションの可能性を広げようとする時代でした。そういう作品を観て大人になり、僕も誰も観たことのない映像……それこそ、あの時代のアニメが挑んでいた「クレイジーさ」を実写でなんとか表現してみたい。その熱はずっと冷めないな。当時の強烈な憧れが、コンテを描いてる時の要所要所に影響してるから、それが自分の個性につながっているのかも。アイスは子供の頃、どんなものに影響を受けたの?

アイスルタン:自分が気に入った作品は『インセプション』や『インターステラー』なので、クリストファー・ノーランからの影響があります。それ以外にも、『進撃の巨人』のような日本のアニメーションにも多大な影響を受けました。個人のスタイルや作風というのは、作っている人が決めるのではなくて作品を観た人が決めること。出会った本人が作りたいものを作りたい形で作っていけば、その人の作品になるし、作風というのは自然と追いついてくると思うんです。だから、独自性ばかりを意識しすぎても、逆にみんな同じになってしまうんじゃないかな。

–{重要なのは「自分の脳を信じないこと」}–

重要なのは「自分の脳を信じないこと」

今年の春に公開した柳沢が制作した相鉄・東急直通線開業記念ムービー。父と娘の12年を“50人ワンカット”で描く

──アイスルタンさんから柳沢さんに聞いてみたいことはありますか?

アイスルタン:先のポカリスエットのCMや最近の相鉄のCMみたいに突拍子もないアイデアは、どうやって生まれるんですか? 例えば、最初から完成形が見えているのか、それとも時間をかけて少しずつ作られていくんですか?

柳沢:父親がエンジニアだったり家具職人だったりする変わった人なんだけど、よく「公式化しろ」って言われて育ちました。要約すると、脳には常に調子が良い時と悪い時があるから、それに振り回されるなって事なんだけど。脳味噌を使わなくても常に一定のクオリティのモノを出せる様に公式を作っとけと。それで今日は調子がいいな!って日にソレを客観的に見て本当に面白い物を作れって事なんです。

アイスルタン:なるほど。

柳沢:フレッシュなアイデアって、自分が作ったモノを批評家視点で「クソつまんねーな」と冷たく斬るフェーズが必要だと思うんですけど、その「斬られるベース」作りに脳とかあんま使うなよって事だと思います。アイスはどういう手段でアイデアを生み出しているの?

アイスルタン:そのときによっていろいろ変化はあるけど、例えばここ2週間くらいは普段と比べて面白い状況に立たされているから、いろいろなアイデアが浮かんできて、毎日のように10~15のアイデアを書き留めている状態。ジャンルの縛りがないからこそ、場合によってはろくでもないアイデアかもしれないけど、自分に制限をかけちゃいけない。それは最近気づいたことですけどね。

もっとも個人的なことは銀幕上で輝く

アイスルタンが制作した長編映画『QASH』のティザー映像

──ところで、アイスルタンさんの今回の来日の目的は?

アイスルタン:実は長編映画『QASH』を完成させたばかりで、疲れ切ってしまっていて。そこで、今年1年間は自分のインプットのためにいろいろ見てみたくて、そのうちのひとつに日本を観てまわることが含まれていたんです。

──なるほど。そういえば、SNSでVaundyさんと一緒にいる写真がアップされていましたよね。

アイスルタン:彼には仕事抜きで会って話をしただけなんだけど、すごくインスピレーションを受けました。まだ何も決まってはいないんですけど、そのうち一緒にやれたらと思っています。

──Vaundyさんのことは以前から知っていた?

アイスルタン:はい。「踊り子」という曲のミュージックビデオを通して知りました。僕の地元では有名ですよ。

──アイスルタンさん初の長編映画『QASH』は、柳沢さんもご覧になったそうですね。

柳沢:ちょっと前までユーロスペースで試写をやっていて、観に行きました。撮影は大変だった?

アイスルタン:映画学校時代に戻ったかのようで、すべてが大変でした。台本を書くところから始まり、何から何まで大変だったけど、一番難しかったのは編集。もちろんすべての段階が重要だとは思うけど、編集を行うことによって初めて映画が生を受けるから。

柳沢:2時間の長編映画とそれ以前に手がけた短編映像とでは、制作の向き合い方に違いはあった?

アイスルタン:短編はある一瞬の感情を表現することに特化できるけど、長編は数多くのシーンがあるので、それをすべてつなげてひとつの大きな世界観を作らなくてはいけない。とても大変な作業で、それ以前の考え方を変えなくてはいけませんでした。

『QASH』の場面写真より

──『QASH』はどういう内容なんですか?

アイスルタン:1931年にカザフスタンがソ連の一部になり、その後に悲惨な飢饉の時期を迎える。映画ではこの時代を生き抜こうとした人を描いています。この映画を通してカザフスタンがどれだけの悲劇に遭ったのか、どんな苦しみを味わってきたのかを世界中に伝えたかったんです。

柳沢:全体を通してフィルムの温度感が低く、音楽も最低限で荒涼としたカザフスタンの原風景に乾いた風の音が響く……まさにアイスの伝えたかった事を「体感する」非常に誠実な作品だと思いました。カットバイのレイアウトがライティング含めものすごく美しくてびっくりしたんですけど、この前飲んだ時に全体予算を聞いてびっくりした(笑)。ものすごいアイデアと努力であの重厚さを生み出してたんだなと思ったよ。

アイスルタン:翔さんにそう言ってもらえるのが、一番うれしいですよ。実は、今回のデビュー作品では黒澤明監督作品やスタジオジブリの『火垂るの墓』など、日本の映画から多大な影響を受けているんです。

柳沢:フィルムトーンに銀残し感があったね。

──先ほどのVaundyさんもそうですが、アイスルタンさんから見て日本のクリエイティビティには特別なものがあるんでしょうか?

アイスルタン:カザフスタンから日本を見て思うのは、自分のルーツを失わず、ちゃんと掴み取った状態で世界へ翔けるところが素晴らしいなと思っていて。クリエイターとしてどれだけ自分を変えることなく、世界に通用することができるというのが、すごく重要だと感じています。

──この映画は今後、一般公開の予定はあるんでしょうか?

アイスルタン:日本での配給がまだ決まっていなくて。できることなら『東京国際映画祭』に出展して、そこから配給につなげていきたいと思っています。

柳沢:ミュージックビデオやCMの世界に戻ることは考えているの?

アイスルタン:できることなら映画を撮り続けたいけど、ミュージックビデオや短編作品にもそれぞれの良さがあるので、できることなら僕も(柳沢が制作した)相鉄やポカリスエットのCMみたいな映像を作ってみたいです(笑)。

柳沢:ありがとう(笑)。

アイスルタン:翔さんは長編映画を撮らないんですか?

柳沢:僕は人が去っていくことに恐怖を感じていて。例えば、僕の両親が死んでしまうこともそうだし、失恋もそう。自分のもとからいなくなるくらいなら、最初からないことにしてしまおうと思うぐらいに怖いんです。何かを作るということはその恐怖を超えていくことだと思っているので、そういったテーマでいつか映画を撮れたらなと思います。

アイスルタン:長編映画を作るにあたって、僕はまず自分を分析していくことが必要だと思っていて。自分を細かいところまで知っていくことになるので、その中で自分が恐れているもの、自分に付きまとうものを全部理解することは大きな一歩だと思いますよ。もっとも個人的なものが銀幕上では一番美しく輝くと思うので、今から翔さんの長編映画を楽しみにしていますね。

柳沢:ありがとう! じゃあ、予算をどうにかしないとね(笑)。

Profile


アイスルタン・セイトフ(写真左)

1998年カザフスタン、アルマトイ生まれ。カザフスタンの人気アーティストのMVからキャリアスタート。現在は世界的に活躍するラッパーOffsetや21 Savage、88risingに所属するJojiなどのミュージックビデオを監督するディレクター。圧倒的な技術的才能と魅惑的なストーリーを作り出し、独特なメタファーと映画史を表現する一方で、反抗的で若く現代的であり続ける並外れた才能も持つ人物である。最近では、渡航規制の中、カザフスタンのアーティストMaslo Chernogo Tminaと協力し、彼らの歴史と文化を表現するミュージックビデオを撮影。

柳沢翔(写真右)
1982年鎌倉県生まれ。多摩美術大学美術学部油画専攻卒業。カンヌ広告祭金賞、ACCベストディレクター、アジア太平洋広告祭グランプリ、他受賞多数。海外ではリドリースコットアソシエイツ(イギリス,中国)、PRETTY BIRD(アメリカ)、DIVISION(フランス)に所属。

(撮影=澤田詩園/取材・文=西廣智一)