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2023年4月3日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。
「日本の植物学の父」と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。激動の時代の中、植物を愛して夢に突き進む主人公・槙野万太郎を神木隆之介、その妻・寿恵子を浜辺美波が演じる。
CINEMAS+ではライター・木俣冬による連載「続・朝ドライフ」で毎回感想を記しているが、本記事では、万太郎が竹雄とともに上京した6週~10週目までの記事を集約。1記事で感想を読むことができる。
もくじ
第26回のレビュー
第6週「ドクダミ」(演出:渡邊良雄)から東京編。万太郎(神木隆之介)と竹雄(志尊淳)は東京にやって来ました。新橋駅に降り立ってはじめて見た植物は「ドクダミ」ではなく「タンポポ」で、それがサブタイトルになるかと思いきや、そうではありません。
新橋駅(志んばし駅)の雰囲気、大河ドラマ「いだてん」を思い出します。ロケ地は茨城のワープステーションですね。
万太郎は竹雄を「相棒」と呼びます。竹雄はものすごく嬉しそう。朝ドラもバディものに! というか、竹雄を使用人としてではなく、対等な相棒として見ることは平等の価値観の現れです。進歩です。
完成させた土佐の植物図鑑を手土産に、研究所で、野田(田辺誠一)と里中(いとうせいこう)と再会し、植物学の勉強をやる気が高まります。東大に紹介状まで書いてもらって、「えらい先生ほど気さく」なんだと万太郎は思います。それで万太郎も気さくなんでしょう(佑一郎いわく「あけすけ」)
何もかも順風満帆、と思いきや……。
名教館で一緒だった広瀬佑一郎(中村蒼)に下宿を紹介してもらったものの、荷物が多すぎるので処分しろと言われてしまうのです。
植物標本に虫がわくと言われて、逆上する万太郎を、その家の家風に従わないといけない、佑一郎は窘めます。せっかくルールから解放されて東京に来たと思ったら、まだルールがありました。ものごとは簡単にはいきません。
どうする万太郎? と思ったらさっさと新たな下宿を探すことに。へこたれないなー。
どっちにいったらいいか、道を聞くと、こっちだと東大のある千駄木・根津方面を差す佑一郎。
そこには「タンポポ」が咲いています。
まるで、万太郎が目指す「金色の道」の象徴のようです。
冒頭で、高知のタンポポは白い、日本のどこか白と黄色の境目なのかと万太郎が言っていました。白いタンポポは西日本に古くから存在する在来種で、ポピュラーな黄色は西洋タンポポだそうです。筆者は関東生まれなので白いタンポポを知りませんでした。
さて、佑一郎ですが、武士の家系に生まれたものの明治維新で身分制度が廃止されため、働かないといけなくなり、東京に出ていました。蘭光(寺脇康文)とフィールドワークに行ったとき、仁淀川を見て、ときに人間に脅威となるが自然との共生を考えた佑一郎は土木の仕事を選び、鉄道が通るため荒川に橋を掛けるプロジェクトに取り組んでいます。頼もしい生き方です。
佑一郎のモデルはおそらく廣井勇で、明治41年に小樽港にコンクリートの防波堤を作っています。明治41年ということは「らんまん」ではまだ作ってないですね。
演じている中村蒼さんは「エール」(2020年度前期)で主人公・裕一(窪田正孝)の友人・村野鉄男役でも好演しました。腕っぷしは強いけど詩の好きなナイーブな役で、作詞家になります。モデルは野村俊夫で、彼は戦争に非協力的だったそうで、鉄男にもそういう確たる信念を持った人物が託されていたように感じます。誠実さと強い信念を感じる演技をされていました。朝ドラ主人公のいい友人役俳優というカテゴライズには留めたくないですが、彼が友人役に配役されたら、安心です。混んでるレストランではすこし声を落とし気味に感じたのもさすがでした(基本、落ち着いた語り口のようではありますが)。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第27回のレビュー}–
第27回のレビュー
万太郎(神木隆之介)と竹雄(志尊淳)の、下宿を探して珍道中がはじまりました。こういうふたり旅をしばらくやってほしいくらいに、ふたりの掛け合いが楽しいです。
お金を倹約しないといけないのに、万太郎は贅沢して牛若で牛鍋を食べることにします。昨日は、ステーキ食べてましたけど、同じ日ではなく、翌日設定でしょうか。いずれにしても肉続き。さすがお金持ちのお坊ちゃんです。
東京暮らしも、峰屋から仕送りをもらって成立するのです。
一方、竹雄には給金は出ず(使用人として来たのではない)、彼は働いて自分の生活費を稼ぐようで、万太郎が下宿できなくなったため、竹雄の仕事もなくなってしまいました。
「自由」に人生を選択するという名目と、「相棒」というすてきな名称によって、竹雄は無報酬で万太郎の世話をするという、これは好きの搾取ともいえるのではないでしょうか。というのは冗談で、本人がやりたくてやっているのだからいいのでしょう。なにより楽しそうですし。
代わりの下宿探しのとき、なにかと「掃除はします」と言う竹雄に使用人生活が染み付いていることを感じました。
暢気で、あけすけなお坊ちゃん・万太郎と、それなりに建前を駆使してうまくやり過ごすことを知っている苦労人の竹雄の対比。補いあえるいいコンビです。
さて。コレステロールが心配になるような、暢気な様子の万太郎に柄の悪そうな人が目をつけます。
大八車にたくさんの荷物をもってウロウロしていたら、狙われて当然。
ただし、中に入っているのはお金ではなく、標本なので、盗んだ人にとっては猫に小判という感じでしょう。
万太郎たちは慌てて探し回り、質屋に行くと、タイミングよく、倉木えい(成海璃子)がトランクを持ってきて……。
彼女が住んでいるところは「クサ長屋」だと質屋・中尾(小倉久寛)に教えてもらいます。
「クサ」という名前に心惹かれたのか、そこへ向かう万太郎。
長屋はドクダミがたくさん生えた、日陰の場所にありました。さすがにドクダミ長屋ではなく「クサ長屋」。臭そうだからか。
そこには、柄の悪そうな倉木隼人(大東駿介)がいて……。
箱入り万太郎と相棒・竹雄があたふたと駆け回る、東大のお膝元、本郷、根津、千駄木界隈は箱庭のようで、偶然に偶然が重なります。
途中、竹雄が見つけた白梅堂ののれん。竹雄は以前、東京に来たときに出店を出していた店だとすぐに気づきますが(すごく敏い)、万太郎はいまはそれどころじゃなく、トランクに夢中。大八車の荷物のうえにカエルの置物が置いてあるということは、東京での「カエル」の思い出を大切にしているのではないかと思うのですが、ひとつのことしか考えられないタイプのようで……。
ふたりが駆け去ったあと、中から寿恵子(浜辺美波)が……。空に一番星をみつけてにこり。この星はこれからの寿恵子の未来を占うような明るい星なのでしょうか。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第28回のレビュー}–
第28回のレビュー
標本の入ったトランクは見事、質屋で取り返すことができました。でも中身がない。行方を追ってクサ長屋に向かった万太郎(神木隆之介)と竹雄(志尊淳)。
そこであわや標本が燃やされそうになっているところに出くわし、ストップをかけます。
自分のものなのに、100円払うから返せと言い出す万太郎。それだけ大事ということですが。身代金みたいなものですね。
100円は大金、そんな理不尽なことに竹雄は我慢できず、倉木(大東駿介)に詰め寄ります。が、倉木は木で鼻をくくったような態度です。
竹雄は、倉木は牛鍋屋にいて、あとをずっとつけていただろうと指摘します。気づいていたとはさすがしっかり者ですが、だったらもっと用心しないと。でもきっとまさか、標本が盗まれるとは思わず、お金だけ大事に抱えていたのでしょう。
そのとき、倉木の子供・健作が熱を出して……。万太郎は自分の少年時代を思い出し、医者代やら自分の薬やらを提供します。
お金がある人がお金を出す。いいことです。場合によっては、お金にものを言わせているようにも映りますが、万太郎は嫌味がありません。
なにより、彼が倉木に啖呵をきったところが良かった。
植物の標本はいまは世間ではなんの価値もないけれど、自分がその価値を世に示すのだと堂々と言い切りました。
自分で自分のやりたいことの価値を上げるという信念。自分のやってることに意味があると信じる心の強さ。道を切り開く人ってかっこいい。
「あさが来た」ではそういう開拓者を、集団のなかから果敢に海に出ていくペンギンになぞらえ、「ファーストペンギン」と呼ばれるのだというエピソードがありました。この話をヒロインにした五代友厚を、「らんまん」で坂本龍馬役を演じたディーン・フジオカさんが演じていました。
万太郎もまさにファーストペンギンです。
そして、なんだかやさぐれている倉木ですが、御家人崩れではないかと長屋の住人には噂されていました。明治維新のときにいろいろあったようです。万太郎はそのことを気にかけている様子。維新では、新しい時代を切り開く人がいて、旧時代の人と繰り広げた熾烈な戦い・戊辰戦争があったのです。
「らんまん」は単に植物愛のある人間を描くのではなく、時代の流れを俯瞰しながら、そこに生きる人物がその時代をどう肌で感じながら生きているか、そこも含めて描こうとしているところがすてきです。
というわけで、当時の100円は、いくらくらいだったのでしょうか。
「値段史年表 明治・大正・昭和」(朝日新聞)という本を筆者は持っていて、朝ドラでお金の話が出てくるとそれを参照するのですが、本がなくてもネットを検索するといろいろ出てきます。便利な時代になりました。これも誰かが切り開いてくれたおかげです。
ただ、ネットに出てきた情報が信頼できるものか、見極めないといけません。信頼感でいったら国立国会図書館のサイトでしょうか。そこの参考資料のひとつがまさに「値段史年表 明治・大正・昭和」でした。
今回は試しに話題のChatGPTにも聞いてみました。すると、もっともらしい回答でしたが、参考資料を聞いたところ、ちょっとあやしかったので、ここでは掲載いたしません。
で、明治の100円です。明治30年でコーヒー1杯2銭だとかで、1銭は1円の100分の1。100円あったらコーヒーがいやというほど飲めます。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第29回のレビュー}–
第29回のレビュー
万太郎(神木隆之介)は長屋の差配・江口りん(安藤玉恵)から部屋が空いていると聞いて、クサ長屋に住むことを決めます。
差配とは”所有主に代わって貸家や貸地などを管理する”仕事。現代だと管理人。不動産屋さんが兼務していることもありますね。
りんから「クサ長屋」は実は「十徳長屋」という正式名称があることを聞いた万太郎は、ドクダミも「十薬」(10の病に効く)とも呼ばれていると、その重なりを喜びます。
そして、長屋の人たちと一緒にドクダミを摘んで、いろいろなことに利用することにします。
ドクダミに陽が当たってキラキラして見えます。
長屋の人たちも、東大生、落語家……等々、さまざまな個性があります。
万太郎がみんなに竹雄を紹介するとき「井上竹雄」と紹介しました。井上という苗字があったんですね。明治8年に「苗字必称義務令」が出て誰もが苗字を名乗ることが義務付けられました。
自由といいながら、義務。苗字を名乗らない自由は奪われたわけです。自由と平等は統一すればいいってものじゃない気もしますが、何かを得れば何かを失うことの一例でしょう。
一見、地味で無価値に見えても、使いようがある。万太郎が来て、みるみる明るくなった長屋を苦々しく見る倉木(大東駿介)。
この長屋の入り口の手前に「じごくや」という店があります。地獄を通った先の長屋ですから、相当、悲惨な場所というイメージがわいてきます。
倉木のもとに万太郎が100円を払いに訪ねます。
長屋の家賃は1部屋50銭。二部屋で1円。これで「100円」の価値がわかりますね。自然な流れです。
「盗まれたもんはありません」と言い、倉木のやったことを水に流そうとする万太郎に倉木は「ほどこし」だと猛反発します。
「誰の目にも入らねえ 入ったとて疎まれ踏みにじられ、踏みにじったことを誰も覚えてない」と植物のことを言いつつ、たぶん、自身を卑下している倉木に、「雑草ゆう草はないき」と力説する万太郎。
名言出ました。「どの草花にも必ずそこで生きる理由がある。この世に咲く意味がある」
SDGsの理念「誰も取り残されない社会」に沿ったテーマ性がびしびし伝わってきます。
言ってることはもっともで、脚本の構成もじつに見事ですが、スローガンをひたすら連呼する選挙演説のような印象も拭えないように感じていたところ、その心配はなくなりました。
ラストに竹雄が、「峰屋は若の財布じゃない」と万太郎を厳しく嗜めるのです。
それを何度も復唱させられる万太郎。
この愉快な場面でバランスがとれました。すばらしい。
こうやってバランスをとりながら、ほんとうに大切なことは繰り返し繰り返し言葉で伝えるべきなのです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第30回のレビュー}–
第30回のレビュー
植物研究に好都合の住まいが見つかり、スタートラインを切った万太郎(神木隆之介)。
引っ越しのお礼に菓子を買おうと、白梅堂に向かいます。
発見したのは竹雄(志尊淳)でしたが、万太郎も「白梅堂」という名前を気にかけてはいたようで、期待して見に行くとーー。
寿恵子(浜辺美波)が!
と思ったら、それは妄想で、男性職人・文太(池内万作)でした。
店にあるお菓子を全部買って帰る万太郎。「峰屋は若の財布じゃない」と節約しろと言われているにもかかわらず、いきなり散財しています。いくら、長屋の皆さんへ振る舞うものとはいえ……。
万太郎が帰ったあと、寿恵子がお店に出てきます。お菓子を全部買っていった剛毅な客はどういう人かと見に外へ出ると(お菓子全部買わせたのはこのための振りですね)、落ち込んでタンポポに話しかけてる万太郎を見つけます。
遠くから「カエル様」と声をかけるのではなく、いきなりぐいっと万太郎と竹雄の間に割り込んで万太郎の顔をのぞきこむ寿恵子のインパクト。
そして、万太郎が植物に思いを語りかけているのだと言い訳すると、「でも人は口があるから お互いしゃべれますね」と微笑む寿恵子に、「ズギャン!」と撃ち抜かれる万太郎。
「ズギャン!」ってすごいワードです。
漫画みたいな流れになる理由はあとでわかります。寿恵子の部屋には本がいっぱい。「南総里見八犬伝」(表紙には「南総」の文字はない)を音読して、「桃園の義を結びぬ」というフレーズに「信乃と現八、尊い!」「馬琴先生天才すぎる〜」と悶えます。
寿恵子は、小説おたくだったのです。
万太郎の「実はわしカエルじゃのうて人間です」という妙な言葉を気に入った様子だったのは、作りこんだ世界ーー物語が好きだからなのでしょう。
寿恵子は万太郎との出会いによって、奇想天外な物語のような世界に足を踏み入れていくのだろうと想像が膨らみます。この彼女の導入部、甘酸っぱく、くすぐったい感覚を刺激されて、素敵。
信乃と現八の「桃園の義」(義兄弟の関係)は、万太郎と竹雄との関係をも彷彿とさせますから、きっと寿恵子は万太郎と竹雄の関係にも萌えることは想像に難くありません。
さらに、寿恵子の叔母・みえ(宮澤エマ)が彼女に縁談話を持ってきて言うセリフが、
「これからはどんな生まれの女だってお姫様になれるんだから」
(みえ)
おおおお。これまで、ちょっと固い言葉で男女平等を謳ってきたこの物語が、東京という文化が発展している場で、そこに生きる女性キャラの生活によって、柔らかな表現になってきました。
東京に咲く花は、高知とはまた違う。それが寿恵子です。
ところで。みえが貫禄ありすぎて、通りに立っている姿が、女すりみたいな怪しさでした。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第31回のレビュー}–
第31回のレビュー
第7週「ボタン」(演出:渡邊良雄)は、万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)がそれぞれ「見たことない世界」に想いを馳せていきます。ふたつの道がやがてひとつに出会うはじまりのようです。
寿恵子と再会し、すっかりにやける万太郎。寿恵子さんは花のような人だと、しかもこれまで会ったなかで最もみずみずしいとまで。なるほど。「らんまん」に出てくる花が造花のため、みずみずしさは残念ながら足りないのは、寿恵子のみずみずしさを引き立てるためかもしれません。
万太郎の歩く道には黄色の西洋タンポポが咲いています。自分らしく生きる「金の道」の道標のようです。
寿恵子への想いを募らせながら、ふと、自分がまだ何者でもないことを思い出し、まずはその道に邁進しようと考える万太郎は、立派です。恋にうつつを抜かすことはしないのです。
寿恵子も読本に夢中で、恋より、物語のなかの尊い関係を大事にしている様子。恋より大事なものを持ってる点で、万太郎と寿恵子は似ています。
寿恵子の元に、縁談話を持ってくる叔母のみえ(宮澤エマ)。でも「どうせ妾」と「妾なんてつまらないよ」と母・まつ(牧瀬里穂)は言います。というのも、彼女が元柳橋の有名芸者で、彦根藩の上級武士に見初められたとはいえ、正妻ではなかったということのようです。妾だと葬式にも出られないそうで……。これは「ひよっこ」の富(白石加代子)を思い出すエピソードです。綾役の佐久間由衣さんが「ひよっこ」の時子と重なる役柄ですが、時代がまったく違う「ひよっこ」とリンクするのはなぜでしょう。「ひよっこ」が女性解放や、主人公が著名人でなくてもいいという理念の元に描かれた作品で、そこに共鳴しているのかもしれません。
寿恵子の読本好きは、彦根藩の上級武士である父親譲りらしい。そのお父さんが最近、亡くなったらしい(お父さんが日本は世界と比べて遅れていると言っていた、というのも、江戸の終わり、彦根藩藩主だった井伊直弼が開国派だったことを表しているのではないかと推察します)。そんな状況を描きつつ、まつとみえと寿恵子が3人で語らう場面は、女性の強さが出ていて面白かったです。
3人にお菓子を持ってきたり(甘いものに飽きたらとあられを持ってくる気が利くひと)、黙々と尽くす菓子職人の文太(池内万作)が男性というのが男女逆転的です。
みえから「東京大学の田邉教授」という名前が出てきました。東京大学といえば、万太郎が目指す場所。田邉教授という人物は寿恵子と万太郎に絡んでくるのか気になります。
一方、万太郎は長屋の住人とも楽しくやっています。落語家・牛久亭九兵衛(住田隆)と話している様子は、大河ドラマ「いだてん」を思い出してしまいます。神木さんは落語家を目指して修業している人物を演じていました。万太郎の軽妙な語りは、そのときの、落語家的な話の仕方に似ている気がします。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第32回のレビュー}–
第32回のレビュー
万太郎(神木隆之介)はいよいよ東大へーー。
奮発してあつらえた洋装ででかけます。
一番大好きな植物の研究室に行くのだから礼を尽くさないとと思ってのこと。
洋装は長屋のみんなには大好評。万太郎も着物より歩きやすいと大喜びです。
万太郎のモデルの牧野富太郎さんは、植物採集するとき、はじめて会う植物への礼儀として蝶ネクタイで正装していたそうです。すてきな考え方ですね。
蝶ネクタイというのがおしゃれです。
神木さんも、帽子に蝶ネクタイがお似合いです。
大学の門までは竹雄(志尊淳)がお供していますが、そこから先はひとり。竹雄は竹雄で
就職先を探しに行くのです。それぞれが自立する瞬間です。
目標は週に一度、牛鍋を食べること⁉
東大の植物研究室は「青長屋」と呼ばれています。ここもまた「長屋」。
青く塗られた木造の建物のなかは、万太郎の好奇心を刺激します。
野田(田辺誠一)から、田邉教授(要潤)への紹介状をもって来た万太郎でしたが、10時までは教授の邪魔をしてはいけないということで、待ちます。
田邊教授……、聞いたことある名前です。第31回で、みえ(宮澤エマ)が話題にしていたのも田邊教授でした。同一人物でしょうか。
互いに人生を変えることになる出会いでした
(ナレーション:宮崎あおい(さきは正式にはたつさき)
と言われるほど、何か運命的な出会いのようですが、田邊教授はバイオリンをたしなみ、
植物学のみならず、文学、芸術にも詳しいようです。
なかなか会えない田邊教授に代わって、助教授の徳永(田中哲司)が相手をしようとしたところ、万太郎は「できましたら田邊教授にお会いしたい」と粘ります。それで徳永がムッとした顔に。研究生たちがシーンっとなります。徳永、面倒くさそうな人物です。年齢的に、徳永のほうが上に見えるのに、助教授というところに何かあるのでしょうか。
万太郎は悪気はなく、「できましたら」と丁寧に言っているのだけれど、徳永は、助教授の私ではだめというのか? 的な感情を抱いたように見えます。たぶん、万太郎は、物事を曖昧にしたくない、正しく分類したい性分なのであって、その違いによって差別することはないのでしょうけれど、物事が分類されることでコンプレックスを刺激することもあるのです。
万太郎は素直。言葉や態度に感情が出ます。
「家に顕微鏡ほしいですよね」という研究生たちの言葉に、僕は持ってる、ふふ、という感じの表情をするところは微笑ましい。でも、持ってるだけで顕微鏡の使い方を知らないところも無邪気です。これから、東大でいろいろ学んでいくことになるでしょう。
クサ長屋の人たちも個性的ですが、アオ長屋の人たちもかなり個性的。
大きな兎を二匹、抱えていた藤丸(前原瑞樹)が気になる。というか、兎がでかい。
研究室の講師・大窪(今野浩喜)も芝居のうまい芸人・今野さんなので、面白くなる気がします。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第33回のレビュー}–
第33回のレビュー
第32回でクサ長屋の東大生・堀井丈之助(山脇辰哉)に、泣いて帰って来るだろうと予測されていた万太郎(神木隆之介)ですが、勇んで東大の植物学教室を訊ねます。
なんとか初代教授・田邊(要潤)と出会うことはできました。田邊は外国の大学を出ていて、何かと、英語を使います。いけすかない印象もありますが、いやな人ではないようです。
どちらかといえば周囲のひとのほうが無理解で。
万太郎の植物標本を「押し売り」と言ったり、小学校中退であることをばかにしたりします。
このままではやっぱり泣いて帰るはめに……と思ったら、田邊が土佐のひとには恩義があると「ノブレス・オブリージュ」という考え(地位あるものには義務がある)に則って、持ってきた植物標本を見ると言います。
ところが万太郎はけっこうですと突っぱねます。
「あなたがたは黙ってわしが世界に打って出るが眺めちょったらいい」
(万太郎)
と英語で啖呵を切ります。
強気に出るときは英語を使うのが万太郎流であります。
万太郎にはプライドがあり、お情けで自分の研究を見てもらう気はないようです。
「土佐の野山はわしの血肉じゃ」
(万太郎)
自分がいかに偉業を行っているか語ったあと、結局、標本を見せるのですが……。
自分をアピールするのがうまい。決して下手に出ず、堂々としているのは、お坊ちゃん育ちだからでしょう。
あまりに自信満々なので、次第にみんな興味を持ってしまう。
実際、珍しい標本を丁寧に作ってあったので、研究者たちはざわつきます。
万太郎は、この研究室にある標本を見せてくれたら、その検定も手伝うと交換条件を出します。ほかの研究者たちはその分、自分の研究をやれるので、すっかり万太郎を受け入れる気になっています。
交換条件はなくても、万太郎の標本には値打ちがあると田邊は出入りを認めます。
握手しようとしてぐっと抱きしめるという、
トントン拍子にいい方向に進むのは朝ドラあるある。
ただひとり徳永(田中哲司)だけが気に入らない様子ですが、旧幕府時代を引きずっている「化石」と田邊は窘めます。徳永は、設定では武家出身。人間を身分で分けるクセが身についてとれないのでしょう。東大に誇りを持ち、万太郎が小学校を出てないことにこだわります。
旧幕時代を引きずった者と、海外に目を向け広い世界を見ようとしている者。明治時代になっても、まだ江戸時代の開国派と攘夷派の対立が人々の心に根深く残っているようにも見えます。万太郎は徹底して新しい時代を切り拓いていこうとする人たちと出会ってきました。
「あいつはきっと火種になる」と意味深なことを言って去っていく徳永。彼の腰巾着的なのが、講師の大窪(今野浩喜)です。
なんとか第一関門は突破した万太郎ですが、これからどうなる? たぶん、だいじょうぶ。それが朝ドラ。のんきなうさぎもかわいかったです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第34回のレビュー}–
第34回のレビュー
東大の植物学研究室に出入りを許され、クサ長屋に帰って来た万太郎(神木隆之介)。
丈之助(山脇辰哉)はてっきり泣いて帰ってくると思っていたので、予想に反してショックを受けます。
丈之助自身は、地元・尾張、名古屋の神童として東大に入ったものの、そこで実力の差を見せつけられて、悶々とする日々を送っている。それに比べて、万太郎は……とどうにも気持ちが収まらない。でも結果的には「頑張れ!」と万太郎を応援します。
丈之助が思いを吐露しているとき、万太郎の顔はとても真剣。丈之助の悲しみ、辛さをちゃんと受け止めているのでしょう。それだけ難関な狭き門の大学に通えるようになったのだからちゃんとやらなくてはいけないと思っているのでしょう。
丈之助は、割った卵が双子の黄身で喜んだり、賭けに負けて「10銭」と福治(池田鉄洋)に催促されたり。アップダウンの激しさが面白いです。でも、こういうキャラが、決して、悔しさや悲しみをネガティブな方向に向かせないのが『らんまん』のいいところ。誰だって哀しいことや悔しいことがあるけれど、それをむき出しで誰かにぶつけて傷つけたりしない。ちゃんと自分でコントロールする。それが人間の知性の良い使い方だと思います。丈之助も文学で世界をよくしたいと思っている人間だからこそ、そうなのです。
『らんまん』は”知”が世界を救うという物語なのだと思います。知性は心を落ち着かせます。
さて、竹雄(志尊淳)も就職が決まりました。佑一郎(中村蒼)の連れていってくれた洋食店です。「今朝、若が洋装がええ、ええ騒いじょったき」と、万太郎に対抗して自分も洋服を着る仕事を選んだところが微笑ましい。
ふたりで「おかえり」「ただいま」と言葉を交わすのも良い感じです。仲良し。
その頃、寿恵子(浜辺美波)は亡父の形見「八犬伝」を読み進め(音読)、現八と信乃の
戦いのシーンで
「私草むらになりたい。草むらになったふたりを見ていたい」
(寿恵子)
と盛り上がり、さらに「草むらじゃ置いてかれる。いっそ八犬士になりたい」とまで思いつめ、八犬士の印、牡丹の痣を頬に描こうとします。
「草むらになりたい」は、いわゆる腐女子が推しキャラを「壁」になって見守りたいという気持ちと同じ。ただ、寿恵子はそこからさらに発展して「八犬士になりたい」と主体性を持っています。信乃は女装の男性で、八犬士は全員男性。女性だって、見てるだけでなくヒーローになりたいという気持ちの現れは、現代的ですし、朝ドラヒロイン的でもあります。
そこへ万太郎が菓子を買いに来ます。思い出のかる焼きを、両手がふさがっている万太郎に寿恵子が、あーんと食べさせてあげるところで、ふたりはドキドキするという、素朴さが逆に萌えます。
寿恵子が現八、信乃の関係性に萌えているのを見て、万太郎と竹雄の関係に萌えるのかと想像しましたが、八犬士になりたいと考えるひとだと思うと、これは万太郎をはさんで竹雄、寿恵子の三角関係の勃発になりそうで、気が気ではありません。
お母さん・まつ(牧瀬里穂)は
「世間っていうのはね 絵物語とは違う、日々つつましく堅実に生きていくものです」
(まつ)
と寿恵子をたしなめます。でも、寿恵子の、絵物語のような冒険の旅への憧れは止めることはできなそうです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第35回のレビュー}–
第35回のレビュー
本日、5月19日は神木隆之介さんのお誕生日。
30歳になられました。
神木きゅんと呼ばれていた少年俳優ももう30歳。
少年時代から大人まで演じていく「らんまん」は神木隆之介さんの大人俳優としての代表作になることでしょう。
東大への出入りを許された万太郎(神木隆之介)は、植物標本の検定をはじめます。その手際の良さに、研究生たちは感嘆。「便利な人」が現れたと大喜び。
田邊教授(要潤)は万太郎の植物図のうまさを褒めます。
絵を描く万太郎の表情の真剣さ。その集中力は、天才的な頭脳を感じさせます。
田邊教授は土佐には逸材がいるのだと感じます。というのは、万太郎のほかにも能力の高い人物にかつて出会っていたからで、その人とはーー
ジョン万次郎(宇崎竜童)でした。
万太郎は、万次郎の思いを田邊が引き継いだと感じます。
万太郎は坂本龍馬(ディーン・フジオカ)、田邊はジョン万次郎。思いの継承は「らんまん」のテーマのひとつでしょう。
「君と私はつながるべくしてつながったのかもしれないな」
(田邊)
バトンを受け取って走る次世代、万太郎と田邊。万太郎は、田邊が授業をしているところを廊下からそっと見つめます。その眼差しは恋する人のようでもありました。
でも万太郎が恋しているのは、寿恵子(浜辺美波)。
彼女に牡丹の花が好きと聞いて、万太郎は牡丹の花の絵を描きます。ちょうど、田邊の部屋に牡丹が飾ってあったのです。
それをもらった寿恵子は大感激。
牡丹の花を授けられた者は見知らぬ旅に出るのだと、物語世界に没入します。
彼女は、叔母みえ(宮澤エマ)の推薦でダンスを習いに行こうと決意します。見たことのない世界に飛び込んでみたいという気持ちが、万太郎の絵の力で呼び起こされたのです。
みえがそのダンスの話を聞いたひとが、田邊ーー。
まるで絵物語のように数奇の運命がつながっていきます。
ともすればご都合主義のようになりそうな展開を「数奇な運命」に昇華できることこそ作家の力です。
モデルの実話をベースにしながら、空想物語ふうなところも盛り込んであって、ワクワクが広がります。長田育恵さんはきっと物語愛の深い作家なのだと思います。
長田さんは巨匠・井上ひさしさんに師事されたそうです。井上さんはNHKで「ひょっこりひょうたん島」という伝説の人形劇の脚本を書いた作家です(「ひよっこ」では「ひょっこりひょうたん島」の主題歌が使用されていました)。演劇では、実在の人物(夏目漱石や樋口一葉、宮沢賢治、小林多喜二等々)を主人公に、徹底的に資料を調べたうえで豊かな物語化することに定評のある作家でした。井上さんの書いた朝ドラや大河を見てみたかった気がしますが、こうしてまわりまわって弟子筋の長田さんが今、朝ドラを書いている。それも実在の人物を主人公にして。これもまた、継承のひとつではないかと思うのです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第36回のレビュー}–
第36回のレビュー
あさりの酒蒸しからいい香りが漂ってきそう。
第8週「シロツメクサ」(演出:津田温子)のはじまりは、寿恵子(浜辺美波)が母まつ(牧瀬里穂)に鹿鳴館に行きたいと相談します。でもまつは反対。
昔、芸者として、てっぺんまで上り詰めたまつのように、寿恵子も母の見た景色を見たいのだと主張しますが……。
てっぺん そこから見た景色 なんかヤンキーものの主人公のセリフのようです。それだけ寿恵子が男子顔負けのやんちゃな人物であることがわかります。
亡き父が遺した本は皆、冒険の本ばかりだったという寿恵子。お父さんもきっと冒険好きだったのでしょう。彦根の武家ということは彦根藩主・井伊家に仕えていたと思われます。大河ドラマでおなじみの井伊直政の血筋のお家です。江戸から明治になるなかで大老・井伊直弼が開国を唱え、尊王攘夷派に暗殺されました。そこから井伊家は勤王派に変わるなど、激動があります。寿恵子のお父さんはどっちだったのでしょう。冒険好きなら開国派かな。
鹿鳴館は長州藩出身の井上馨の発案でできたのですが、元々は尊王攘夷派だったのが英国留学して開国派に変わっています(建設に従事した伊集院兼常は薩摩藩出身で、薩長同盟関係ですね)。この頃、嵐のように価値観が揺さぶられ、180℃大きく変わる時代だった。だから、女の子だって冒険できる可能性も開けてきたのでしょう。
寿恵子の背中を押したのは万太郎(神木隆之介)。彼は東大の出入りを許され、颯爽と初登校(?)します。勢い余ってまだ研究室の鍵が空いてない時間に来て、大学職員・脇田伝助(クールポコの小野まじめ)に驚かれます。
万太郎は一番に研究室に入り、掃除をします。先週はお茶入れたりしてかいがいしいのです。お坊ちゃんで家事などしたことなかったでしょうに。意外と気が利くのです。
職員さんはいい人そうで、明日から早く空けますね、と言ってくれますが、大学生でもない万太郎のために、大学職員が早く仕事をはじめないといけなくなるのはいいのだろうか、という気もしないではありません。
実際、正式な学生でもないのに問題が勃発します。
うさぎをかわいがっている藤丸次郎(前原瑞樹)に「宿題も試験も論文もない」と指摘されてしまうのです。
「なんですか? 土佐のつながり? 教授があんな…『つながるべくしてつながった』とか すごいですよね」
(藤丸)
藤丸は、日々の課題に追いつけなくて必死で、日々の植物研究にまで手が回らない。それに比べて万太郎は好きなことだけやっていると言うわけです。
やらなきゃならないことと、やりたいことのバランスが取れない悩み。たいていの誰もがぶつかる壁であります。それが万太郎にはない。
「あなたとは違うから」
(波多野)
そう、波多野(前原滉)にも言われてしまいます。
自分の気楽さを突きつけられた万太郎はーー。
難しい課題に必死でしがみついている2年生コンビの藤丸次郎(前原瑞樹)と波多野泰久(前原滉)。どっちも前原さんでややこしい〜。
前原瑞樹さんは前作「舞いあがれ!」でサクラの夫・むっちゃんを演じていました。前原滉さんは「まんぷく」で塩軍団のひとりを演じていました。田邊教授役の要潤さんは「まんぷく」でヒロインの義兄役。徳永役の田中哲司さんは「まんぷく」で主人公の夫の作ったラーメンをマネたものを作る悪役でした。大窪役の今野浩喜はその従業員役。……となぜか「まんぷく」出演者が集結しています。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第37回のレビュー}–
第37回のレビュー
張り切って大学に来たものの、疎外感を味わう万太郎(神木隆之介)。学生からは「君とは違う」と距離をとられ、徳永助教授(田中哲司)は「よそ者」と冷たく、ほかの学生たちもあからさまに避けていきます。
研究室のボス・田邊教授(要潤)が許可したにもかかわらず、誰ひとり、万太郎に親切にしないところは、むしろすがすがしい。ふつう、田邊におもねって、万太郎に本音はともかく親切にする人物もいそうなものですが、それがないというのは、みんなちゃんと自立しているとも言えるでしょう。
やって来た画工・野宮朔太郎(亀田佳明)も、植物画を見せてほしいと万太郎が頼むと、「君、よそ者でしょ」とぴしゃり。とはいえ、教授の許可をもらってきます、と言うので、ほかの人よりは割り切ってはいるようです。教授の言うことは聞くけれど、個人的には「よそ者」を認めない。
万太郎は植物が好きで、植物を愛する者同士、仲良くしたいのでしょうけれど、相手はそういう気持ちにはさらさらなれません。
研究室の人たちの気持ちに、クサ長屋の差配・江口りん(安藤玉恵)が理解を示します。
「よそから来る者はこわいよ」
(りん)
万太郎は善意100%だけど、相手側としたら、どんな人が簡単にはわからないから身構える。それが世の中というもの。
「わからないものは気味悪いよ」
(りん)
りんが、そう言ったとき、手を付けていないステーキが映ります。
万太郎がお世話になっている彼女にごちそうしたものですが、ナイフとフォークで食べる、外国人の食べ物である、分厚い肉は、食べたら美味しいけれど、初見では不気味なものです。
誰もが美味しそうと思う肉すら理解できないとこわいもの。差別ない平等とはこういう認識があってはじめて可能になるのです。
「お箸ちょうだい」とりんに言われて、箸を持ってくる竹雄(志尊淳)。このお店でボウイとして働くことになった竹雄は、真っ白な洋装(金ボタンに白手袋)がお似合い。シュッとしている。
「竹ちゃん、カラダの半分が足だね」
(りん)
となんだか見違えたようで、女性客の視線を独り占めします。
竹雄の場合、服を替えたら、ポテンシャルが発揮されて、注目度が上がった。それまで誰にも注目されず脇役(使用人)だった彼が外の世界に出たら、いい方向で注目されたパターンです。
キランソウという花に万太郎がたとえる竹雄の輝きを、単にサービス場面ではなく、いる場所によって見られ方が変わるという社会の仕組みの一例として描いています。ステーキを食べることに戸惑い苦労するりんの姿は、明治になって急速に欧米化した日本を表しているようでもあります。
「らんまん」はものすごーく俯瞰で世界を眺めていて、一方的な私情にまみれていないから心が楽になります。
今日はしょんぼりの万太郎でしたが、家賃は竹雄の稼ぎでなんとかなると、お気楽お坊ちゃんの面は変わっていません。「あさイチ」で博多大吉さんにもツッコまれていました。しかも、りんへのごちそうは、もしかして竹雄のおごりってことでしょうか。
キランソウは地獄に落ちずに済むと言われる花ということは、竹雄のおかげで地獄に落ちずに済むという意味かと思ったら、竹雄の役割、ものすごく重要です。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第38回のレビュー}–
第38回のレビュー
研究室の人たちに冷たくされて「さみしいがよ」としょげる万太郎(神木隆之介)でしたが、竹雄(志尊淳)の叱咤激励によって気持ちを立て直すことができました。
竹雄は、万太郎を甘やかさず、彼の立ち位置をはっきり指摘し、そのうえで、万太郎の良さもちゃんと伝えます。
竹雄はなかなか鋭くて、自由ということの重さを知っています。好きにすることは孤独になることでもあるけれど、それでも好きなことを選ぶことで真の自由が手に入るのです。
どんなに悪い人でも(万太郎は悪くないけど)、竹雄のように客観的な人がそばにいることで、相対化することができますから、万太郎にとって竹雄はなくてはならない存在です。
竹雄に請われ、似顔絵を描いた万太郎。でもその絵は微妙なもので、竹雄は「いやがらせじゃないですろうか」とむくれます。
植物の絵はあんなに精密なのに、人間の絵はなぜ……。でも、そのおかしな似顔絵も人の心を動かすことになろうとは……。
心をいれかえ前向きになった万太郎。自分にできることーー東京中の植物採集しようとします。研究室に来たときは靴を履いていた万太郎ですが、草鞋姿になっています(タイトルバックの万太郎も草鞋です)。洋服と草鞋の組み合わせ、なかなかおもしろい。
冷たくされた学生たちにも明るく接し、藤丸(前原瑞樹)にシロツメクサを渡します。
藤丸にはではなく、兎に、と聞いて、心が動いた様子。
一方、野宮朔太郎(亀田佳明)は「うまくやってるじゃないですか」と嫌味なことを言います。が、そんな彼も、竹雄の似顔絵に吹き出して、そこから態度を軟化します。
植物の絵はちゃんと描けることに驚いた野宮は、自分の絵を万太郎に見せます。それは西洋絵画の技法に沿った陰影のあるものでした。
絵を笑ったおわびに、ひとつと、気になる言葉を残す野宮。
「逆らってはいけませんよ」
気になるーー。
物語の流れの緩急のつけ方が巧すぎる。
万太郎は、植物を愛する者同士、志を同じくする者として、西洋に遅れをとっている植物研究の進歩を目指そうという広い心を持っていますが、どうやら、意外とこの研究室は、そういう理想ではなく、権威の下で生き残ることが優先されているらしい。それは自由とは真逆です。はたして、東大植物学研究室はほんとうにそんな淀んだ場なのでしょうか。万太郎のこれからが気になります。
その頃、寿恵子(浜辺美波)は、女は玉の輿に乗ってこそという昔ながらの考えをする叔母みえ(宮澤エマ)に、そんなことに興味ないし、馬琴が好みだと言い、「じじいじゃないの」と呆れられます。
寿恵子が尊敬する作家・馬琴は、長い年月をかけて物語を書き、目が見えなくなっても口伝で書き続けた。やりたいことを貫いた人物で、万太郎と重なるのでしょう。
物語のそこここに、好きなことをやるというテーマが隠れています。
長田育恵さんは、2時間くらいの舞台作品をいくつも描いてきて、演劇界の芥川賞とも言われる岸田戯曲賞の候補にもなるくらいの実力のある作家です。
原作もののまとめがうまいとか、民放ふうのがちゃがちゃした連ドラを書くのがうまいとか、それもひとつの才能ですが、「らんまん」のように密度が高いのにしっとりしていて、そのうえ、うねりがあって、川の流れが滞らないように進んでいくものが描ける作家の朝ドラが見られることが幸せです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第39回のレビュー}–
第39回のレビュー
万太郎(神木隆之介)がとってきたシロツメクサをうさぎに食べさせた藤丸(前原瑞樹)はすっかりご満悦。
「槙野さんはさ、毎日が植物採集なんだね」
「教授と違うなあ」
とすっかり万太郎への評価が変わってしまいます。あんなに拒絶していたのに。
藤丸は悪意ではなく、差配のりん(安藤玉恵)が言ったように、よそ者に対する警戒心を抱いていただけで、万太郎に悪意がまるでないことがわかったので気を許したのでしょう。
どうやら植物教室は田邊教授(要潤)の強権で支配されているようで、学生たちや関係者たちは田邊のご機嫌を伺って過ごしているようです。それが第38回の画工・野宮(亀田佳明)の「逆らうな」という助言なのでしょう。
理想世界に見えた研究室が、にわかに暗雲がたちこめているように見えてきました。
「美しいとは完全なものだけを差す」と田邊は外国の詩の影響で言っているそうで、確かに端正なもの、調和のとれたものは美しい。
はたして「美しいとは完全なものだけを差す」だけでしょうか。いや、「不完全な美」という概念もあります。例えば、「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」と言ったのは社会運動家の大杉栄。万太郎が東京に来た頃はまだ生まれてないくらいの人ですが、やがて大正期に活躍する人物です。また、昭和のイラストレーターの長沢節には「弱いから、好き。」という著作があります。
「完全」にこだわることは、それ以外を認めないことで、ともすれば独裁にもなりかねません。万太郎の花や実がついてなくてもかわいいと、どんな植物も愛で、「どの草花にも必ずそこで生きる理由がある。この世に咲く意味がある」という考えとはまるで違うでしょう。
田邊と万太郎、いつかぶつかり合うときが来るかもしれません。
すっかり万太郎に気を許した藤丸と波多野(前原滉)は、あれこれ研究室の事情を話します。教授は植物学以外にも夢中なものがあり(いまは鹿鳴館)、徳永助教授(田中哲司)はもともと法学を目指していたと。万太郎が求める、植物学を極め、日本の植物学を発展させようという思いを、はたしてこの人たちと共有できるのかわからなくなってきました。
万太郎は寿恵子(浜辺美波)の店を訪れます。店には彼の描いた牡丹の花が額に入れて飾ってあるうえ、その絵を参考にして作ったお菓子を見せられます。
葉っぱを模したお菓子の出来の良さを褒めつつ、万太郎は、ほかにもこんな葉っぱの植物があると、夢中でノートに書き出します。その流れで、一番好きなバイカオウレンの絵を描く。好きなことを語りだしたら止まらない万太郎。それを興味津々で聞く寿恵子。なんだかほっこりします。
バイカオウレンの葉っぱではあんこを包むのは無理そうだし、ドクダミの葉っぱで包んでもニオイがきつくてお菓子には向いていなそうですが。
そのとき、万太郎は何を見つけたのかーー。
第38回「逆らうな」、第39回「見つけた」と毎日、気になる終わり方で、明日が待ち遠しい。
それにしても兎が大きい。どーんと大きいのに可愛い。これもまた、個性は美であることの一例ではないでしょうか。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第40回のレビュー}–
第40回のレビュー
「見つけた」
何を?
一生かける仕事を。
万太郎(神木隆之介)が見つけたものは、「出来立てかるやき」ではなく、目標でした。
それは、一生、全部かけて、日本中の草花の図鑑を作ること。
「わしの植物学! 大学も教授も関係ない」と興奮する万太郎。大学も教授も関係ないとは、権威や出世は関係なく、ただただ純粋に自分のやりたいことをやるということでしょう。さらに、誰もやったことのないことを開拓していくことです。
あっけにとられて見送った寿恵子(浜辺美波)でしたが、一生かけて何かを成し遂げようとする万太郎の姿は、「馬琴先生だ〜」とときめきます。
万太郎は、藤丸(前原瑞樹)と波多野(前原滉)と堀井丈之助(山脇辰哉)と4人で牛鍋をつつきながら、語り合います。
友達ができてよかったね万太郎、と思いますが、まさか万太郎がおごっているのではないか
と言う気もして……。お金にものを言わせてはいけないという問題はここではさておきます。
「俺たちこそが最初のひとりなんだよね」と丈之助。才能ある若者は皆、前人未到の仕事を目指すのです。
丈之助は日本文学の改革を目指しています。西洋文学を意識し、日本の勧善懲悪ではない、もっと生身の人間を描こうと考えているのです。
「候 候 御座候」では「心の動きは書けるか!」と熱い。
早稲田大学演劇博物館のサイトには、”日本最初のシェイクスピア劇作品の翻訳は、1874年(明治7年)”とあります。その後、1909年(明治42年)、東大出身の坪内逍遙が『ハムレット』の翻訳を出版、1911年(明治44年)に帝国劇場で上演します。ちなみにそれを批判したのが夏目漱石でした。
坪内逍遥先生は、生涯かけてシェイクスピアを全訳し研究に勤しみました。彼も、一生、全部かけて、自分にしかできないことを成し遂げたのです。堀井丈之助には坪内逍遥先生のエッセンスが入っているかもしれません。
藤丸はきのこ、波多野は新種の仕組み、それぞれ研究したいことがあって、それを雑誌にしようと盛り上がります。青春群像です。
でも出版活動は、田邊教授(要潤)に許可を得ないと難しそう。独自の美学を持っている教授はどう思うか……。
田邊は自分がいいと思うものに確たる信念があり、それ以外は排除しようとしています。目下、音楽を日本の古いものから西洋の新しいものに替えようとしているようで。
植物標本も不完全なものはいらないと厳しいですが、万太郎は不完全なものでも「美しい」と主張。一瞬、空気がぴりっとなりますが、万太郎の書いた植物の一生を書いた図が気に入って「神が私に幸運を遣わしてくださった」と悦に入ります。
幸運のシンボルである四つ葉のクローバーなのに、ゴロゴロと不穏な雷の音が重なります。
新キャラ・高藤雅修(伊礼彼方)の存在も気になります。
四つ葉のクローバーは、人に踏まれそうなところでみつかりやすいと、以前、「チコちゃんに叱られる」で放送していました。
踏まれることで突然変異を起こして四つ葉が生まれるとか……。これって、万太郎が、植物は踏まれることで強くなる、踏まれることで種を広げることができると言っていたことにも通じます。踏まれてもただでは起きない。生命力の強さを物語っています。
ところで、田邊教授のもとに、お菓子を届けた寿恵子。そのお菓子は万太郎の描いた葉っぱの図からできているとは田邊は思ってもいないのでしょう。牡丹の葉っぱのみならず、丸いドクダミの葉っぱみたいなバージョンもありました。田邊がお菓子を見て、「美しい」と反応しても良かったのでは。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第41回のレビュー}–
第41回のレビュー
第9週「ヒルムシロ」(演出:深川貴志)は、万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)、それぞれが、道に一歩踏み出し、種が蒔かれるところが描かれます。
万太郎は、植物の雑誌を作ろうと考えますが、田邊教授(要潤)の許可をもらわないといけません。そのタイミングがなかなかなくて……。
屈託ない万太郎はすぐに話そうとしますが、田邊には適切な時期を見図うべきと藤丸(前原瑞樹)や波多野(前原滉)に止められ、なかなか言い出せません。きっとこれまでも、田邊の機嫌の良し悪しで理不尽にかなえられないことがあったのでしょう。
澄ました教授と、あたふたしている万太郎たちの対比が面白かったです。
万太郎と寿恵子、やがて家族になる主人公とヒロインの離れている状況を、並行して描くことは「エール」でもやっていましたが、「らんまん」は2本の道をつなぐ気配りがあります。
万太郎は雑誌を作ろうと動き出しているため、菓子を買いに立ち寄らなくなり、寿恵子は待ちぼうけしています。万太郎が話しかけていたタンポポに寿恵子は話しかけます。黄色から白い綿毛になったタンポポは、寿恵子が誰かに呼ばれたとき、ふわっと飛びます。
万太郎が「種を蒔く」と言った言葉と繋がっています。「蒔く時はぶわっとぶわっとたくさん飛ばさんといかんとです」。
この流れ、ひじょうに優雅です。
優雅だと感じるのはここも。寿恵子が高藤雅修(伊礼彼方)に呼ばれて、鹿鳴館の舞踏練習会に誘われたとき、彼女の父親の死因が語られます。
日本が西洋文化に移行していく中、慣れない習慣によって亡くなったことで、西洋を憎んでいるのではないかと高藤に指摘されますが、寿恵子はそうではないと否定します。
結果的に悲劇になったとはいえ、父は異文化を無理に押し付けられたのではなく、新しい冒険にまっさきに挑んだのだと寿恵子は肯定的に考えます。
一度はダンスは自分には無理と思った寿恵子ですが、父の考えを改めて思ったとき、自分も新たな文化に挑む決意をするのです。
「あさイチ」では朝ドラ主題歌特集を放送していて、あいみょんによる「らんまん」の主題歌「愛の花」の話題も取り上げられていました。その歌詞に、いまを憎んでいないというフレーズがあります。「憎む」という言葉は強めだと感じますし、何を憎まないかといえば、「いま」で、それもとても印象的。
生きていると、思いがけない流れが来ることがあります。そんなつもりじゃなかったことに戸惑ったり、抗ったりしますが、どんな状況でも絶望することなく、前を見る、ということなのでしょう。植物が踏まれることで、種を広げていくという万太郎の認識もまた、いまを憎まないことに繋がっています。
そんな話のとき、日本の酒蔵の景気が危ういという不穏な話題が持ち上がり……。
この構成、田邊教授だったら「完璧」で「美しい」と褒めてくれるのではないでしょうか。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第42回のレビュー}–
第42回のレビュー
「皆さんが勉学にご入用なもんがあったらどんとお申し付けください」
(竹雄)
竹雄(志尊淳)のこの言葉が衝撃的でした。
万太郎(神木隆之介)のみならず、御学友の皆さんにもお金を出そうとする、なんて豪気な。そして、なんと暢気な。
政府が近代化政策のため増税をはかり、酒への課税を増やそうとしています。今で言ったらたばこ税が上がっていくようなものでしょうか。これは庶民からとっているもので、お酒税は作った人からとるものですが。庶民いじめ(言い方)である点では同じです。
藤丸(前原瑞樹)の実家も酒屋で、「これから先日本中の酒屋が潰れていく」のではないかと心配していて、峰屋も? と気にかけますが、峰屋は大丈夫と竹雄は言うのです。
竹雄はほんとうに根拠なく大丈夫と信じているのか、それとも万太郎に心配をかけたくなくて強気を装っているのか、気になります。たぶん、後者……。
実際、峰屋は困っていました。
これまで売上に税金がかかっていたものが、できた時点で税金がかかるようになりました。どれくらい売れるかわからない段階から……。
峰屋に捜査が入って、密造酒の疑いをかけられたりして散々。
「運が悪かったら腐造やち……」と綾(佐久間由衣)は途方に暮れるのです。
腐造は女性が穢れているから起こると言われていましたが、そういう迷信的なことではなく科学的な根拠で考えられるようにはなっているようです。綾は政府の調査に対しても毅然と立ち向かっていました。
でも、心配なのはタキ(松坂慶子)の体調です。なんだか調子が悪そう。心臓が悪いみたいです。「あさイチ」では博多大吉さんが医者に行ったほうがいいと気にかけていました。タキは万太郎に知らせるなと言い含めます。
夢をもって遠くに旅立った者に何も語らず、明るい言葉を贈る、残された者の哀しい性分です。
万太郎は峰屋に刻一刻と近づいている不穏に気づかず、自分の夢実現に一生懸命です。持ってきた銘酒・峰の月があと一本になっているのも、何か暗示的でした。
気難しい田邊教授(要潤)に、植物の雑誌を作っていいか聞くタイミングを見計らう万太郎。西洋と日本の文化の違いについて問いかけたことで、教授の機嫌が良くなり、取り付く島ができてきます。教授は万太郎を”お出かけ”に誘います。こうして心象を良くしてお願いごとを取り付ける。万太郎もストレートではないやり方を学び始めたようです。
教授の知的好奇心をぴくりと動かした万太郎の話題は、絵も文学も、西洋の視点には「奥行き」があり、日本の視点は奥行きがないという指摘です。逆に、西洋の人は、平面的な日本の浮世絵に影響されたりもしているんですけどね。どちらにも良いところはあるんだと思いますがそれはまた別の話です。
藤丸が四つ葉のクローバーの押し花を持っているのがかわいかった。「これのおかげ?」と聞くトーンが「舞いあがれ!」のむっちゃんとはまったく別人。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第43回のレビュー}–
第43回のレビュー
万太郎(神木隆之介)のお出かけ、その1は、倉木(大東駿介)に案内してもらっての、植物採集。
でもなかなか帰って来ないので、竹雄(志尊淳)がやきもきします。
前夜、「楽しみで寝つけんで」そのまま出かけたので、倒れたのではないかと先走り、医者を呼ぼうとすると、りん(安藤玉恵)とえい(成海璃子)は、万太郎はそんなにカラダが弱くない(「とっても丈夫なおひとだよ」)というのです。その言い方が傑作。
「毎日、夜明けから東京中を歩いてそのまま大学にいって研究なさって、帰りもウロウロして〜〜(以下略)」
「いつ寝てるのかもわからないのにニコニコしてて」
「うちのひととね、槙野さんはなんて丈夫な人だろうって話していたんですよ」
「ウロウロして」とか「いつ寝てるのかもわからないのにニコニコ」とか、好意的というよりは懐疑的というか訝しんでいるような節すら感じる言い方です。
病弱だった少年はもういません。竹雄はちょっぴり寂しそうに見えます。
りんに「世話好きだねえ」と言われてしまう竹雄。「世話好き」という言葉がぴったり。世話をするのが好きなのに世話ができなくなってしまう日が近づいてきているのでしょうか。
万太郎のお出かけ、その2
田邊教授(要潤)に誘われて、高藤(伊礼彼方)の屋敷で開催される室内演奏会に同行した万太郎。立派なお屋敷の華やかな雰囲気を楽しみます。きれいな花を「貴婦人さまじゃのう」と呼んで愛でるのが万太郎らしい。とそこへ現れたのは、花のような、あの人でした。
好きなことに邁進する万太郎と、「男にすがって生きてほしくない」と母・まつ(牧瀬里穂)に心配されてる寿恵子(浜辺美波)が高藤の屋敷で出会います。ここは、一見、華やかで、先進的な場所のようですが、実のところ、旧来の男たちの欲望のるつぼのような場でもあるのではないでしょうか。
お金や身分、新しいものを理解しているという見栄を張り、美しい女性も男性の所有物のひとつのような場所。それをまつは心配しているのです。
でも、寿恵子はそんな旧来の悪習はさておき、新しい文化の面白さだけに目を向けています。文化は悪くないのです。
妾だったまつが「男にすがって生きてほしくない」と考えているエピソードと、クサ長屋のゆう(山谷花純)がワケありで、地方から東京に出てきて働いている(朝方まで客につきあわないといけない、詳しいことはぼかしたい仕事)ことも描きます。彼女が隠していた故郷の話が出るきっかけが、「ヒルムシロ」という地域独特の植物の呼び名であることが「らんまん」らしいです。
さて、冒頭、まつのつくった味噌田楽が美味しそうでした。寿恵子が読んでいた「豆腐百珍」は江戸時代の大ヒットレシピ本。天明2(1782)年に、豆腐を使った料理100品の作り方を6つ(尋常品、通品、佳品、奇品、妙品、絶品)に分けて解説した本が出て、人気を博したそうです。これが受けたので続編も出たり、豆腐以外の百珍シリーズも出たとか。
豆腐料理を百個も考案した人も、万太郎的な人に違いありません。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第44回のレビュー}–
第44回のレビュー
高藤(伊礼彼方)の屋敷で、ドレス姿の寿恵子(浜辺美波)にばったり出会った万太郎(神木隆之介)。彼女のあまりの美しさに見惚れて「きれいじゃ」「きれいじゃ」としか言えません。お花には「貴婦人」というすてきな例えを言えたのに。それだけ寿恵子が素敵過ぎたのでしょう。
室内楽のコンサートで演奏された曲は「夏の最後のバラ」を歌ったもので、万太郎はそこに「愛する者を亡くして誰がたったひとり生きられようか」という、亡くなった者への愛おしさを読み取り、その解釈を寿恵子にします。これはフラグ? 伏線? モデルの牧野富太郎さんは妻に先立たされているのです。
万太郎と寿恵子が見つめ合ったとき、高藤が現れて、寿恵子を抱きかかえて去っていきます。西洋では女性を抱えることが当たり前でも日本ではないことなので寿恵子はものすごく驚いて大騒ぎ。「いや〜」「おろしてください」と攫われていくような状況でした。
高藤の妻・弥江(梅舟惟永)は、夫の寿恵子への視線に対して不満を感じている様子でした。
万太郎は、お出かけした甲斐あって、田邊(要潤)に、植物学の雑誌を作る許可をもらえます。
ちょうど学会の会報誌を作ることになっていたのでそれと一緒にすればいいということになり……。
すべてがうまくいきそう。と思うと、少々問題もあって。
事務局長の大窪(今野浩喜)をさしおいて学会誌を万太郎が仕切ることになると、大窪のメンツが潰れます。けれど、万太郎はいつの間にか他者の気持ちを慮ることができるようになっていて、巻頭言を頼むのです。その栄誉にまんざらでもない大窪。万太郎、うまい。こういう気遣いって大事です。しかも、編集や印刷の知識もしっかりある。すごいです。
大窪役の今野さん、ちょっと意地悪なキャラをやってますが、この意地悪さが徹底的にいやな人ではなく、どこか抜けたところがあって、いやな感じがしないようなキャラを作っています。
「万事快調 望み通り」のはずですが、
なぜか、心につかえがありそうな万太郎。
故郷の神社の前の大地に寝転がったように、兎小屋の前に仰向けになります。
「兎は狛犬じゃないよ」
(波多野)
とぼけたセリフと万太郎の潤んだ瞳のギャップが印象的でした。
田邊に雑誌制作の許可をもらったあと、どこか浮かない顔をして、すりガラスの陰影にそっと手を触れる万太郎に叙情性がありました。
コミカルなこともできるし、こういう影のある演技もできる神木さんは万能であります。
夏の最後のバラについては、最後の1本の峰の月のことも暗示しているような気がしてなりません。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第45回のレビュー}–
第45回のレビュー
第44回のおわりにむしろに仰向けになっていた万太郎(神木隆之介)。
ヒルムシロにヤブジラミを乗せてぼんやりしています。
いつになく暗い万太郎を心配して、りん(安藤玉恵)、えい(成海璃子)、ゆう(山谷花純)が彼を囲みます。
万太郎は恋よりももっと深いものを経験していました。
寿恵子(浜辺美波)が高藤(伊礼彼方)に抱えられて「イチャコラ」している姿が消えない。いや、イチャコラはしてなかったですが、万太郎はそんなふうに誤解したようです。
それは「恋」かと思いきや、恋は植物に対してたくさんしているからこういうものではない。「恋は明るうて浮き立つもんじゃき」。
「これはそういうきれいなもんじゃない」、何か黒いものが沸いてきて、気持ち悪いという万太郎に、ゆうとえいが自身のきれいなだけではない話をします。
「どんなに柱に縛り付けられても心が言うことを聞かないものよ」と語るゆう。柱に縛りつけられたというのは例えでしょうか、実話でしょうか。
ゆうは地元でのつらい恋の話をします。傷心で東京に出てきて結婚したら、夫に心変わりされて離縁。子供は取り上げられ——と、因果応報というなか、「本当の父親」というさりげないワードにビビります。地元で一度きりの出来事で子供を宿したまま、ほかの人と結婚したのかと思うと、おゆうもなかなかしたたかであります。
その話に触発されたのか、えいも倉木(大東駿介)との馴れ初めを語り始めます。彰義隊の一員であった彼を戦のおり、助けたことがきっかけ。
「このまま怪我がひどければいいなと思ってました」「死んだら困りますけどね」と願ってしまったことを告白するときの成海璃子さんの声が低いので、感情の黒さが際立ちます。
「誰かを好きになってきれいなままでいようなんてちゃんちゃらおかしいんだよ」
(ゆう)
何かに夢中になると、ちょっと悪いことも考えてしまうものなのです。
そうまでしても、手に入れたいものもあるんですねえ。
ゆうとえいの話に励まされて、高藤に「勝ちます!」と万太郎が颯爽と出かけていった先は——白梅堂。
神木さんの「勝ちます!」の言い方が颯爽としていて良かったです。
白梅堂には残念ながら寿恵子はいませんでした。
万太郎はまた菓子を全部買い、店番していたまつ(牧瀬里穂)にバラの絵を預けます。
まつ「絵師でいらっしゃる?」
万太郎「いえ、植物学者です」
「わしはわしにできる一番の速さでお嬢さんを迎えにいきたい。ほんじゃきここへはしばらく参りません」
(万太郎)
植物学の仕事を先にやり遂げてから、寿恵子を迎えに来る。間に合わなかったら潔く諦めるという考え方は潔い。
清らかな恋ではなく、どす黒いものも含んだ欲望のままに突き進むのではなく、まず、植物学者としての道を邁進することで、そのどす黒さが打ち消されることでしょう。
遠回りのようでそれが近道ということもあるのです。
二兎を追ってはいけません。(兎が出てくるのはそのせい?)
この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第46回のレビュー}–
第46回のレビュー
第10週「ノアザミ」(演出:深川貴志)では万太郎(神木隆之介)、石板印刷修業編に突入?
大畑印刷所にやってきた万太郎。そこは柄の悪そうな…もとい、ワイルドな職人さんたちがたくさんいました。
明治時代は印刷技術が日本で進化していった時代だそうです。とくに図版を再現するための石版印刷が。なるほど〜、万太郎は雑誌を作るし、ゆくゆく植物図鑑を作って、彼が書いた植物の絵を世界中の多くの人に伝えることをするのだから、印刷技術は大事です。
ところが万太郎は、
「こちらの画工にお任せすることはできません」と工場主の大畑義平(奥田瑛二)にきっぱり。
「トゲのある言い方なさいますねえ」と義平は機嫌を損ねます。なにしろ彼が雇っているのは、腕の立つ画工と自慢なのですから。
元の絵を写すのは難しい。万太郎は、本物のような植物図を作りたいため、自分が画工になると言い出します。
しかもお金を払って修業したいと。レッスン料を支払うということですね。
ふつうは、住み込みで働いて修業するところ、お金を払って働きたいという、常軌を逸した申し出です。
お金があるからできることですね。
万太郎をこれまでずっと見てきたので、悪く思えませんし、「こちらの画工にお任せすることはできません」はドラマを盛り上げるためのものなので、そこを気にしても仕方ないのですが、実際、初対面で、こんなことを言われたら彼に対して不信感を抱いてしまいそうです。
脚本の構成がよくできてるなあと感心するのは、寿恵子(浜辺美波)が読本を愛読していたことも、印刷技術とリンクしていることです。彼女が読んでいる本は木版印刷で刷られていたことでしょう。江戸時代の文化——読本や浮世絵は木版印刷によって広がったわけです。
さて。寿恵子です。
万太郎がしばらく来ないと宣言していったと訊いて、寂しく思う寿恵子。
まつ(牧瀬里穂)に万太郎のことをどう思っているのか聞かれて
「ただ、かるやきを食べさせてあげたい」とはにかみます。
傍から見たら恋ですが、本人は自覚していません。
が、みえ(宮澤エマ)は高藤(伊礼彼方)の妾になることを期待しています。
まつは「寿恵子に決めさせる」と意味深なことを言います。
揺れる、寿恵子の心——。
今週からは、万太郎が植物学者の道を進むために印刷技術を学ぶ話と、そのため、彼と少し離れてしまった寿恵子の切ない恋心。この2本の道がどうなっていくかを描くようです。
「らんまん」はテーマがかなり絞られていて(植物も人間も多様である)、もうそれについては10週の間に十分過ぎるほど語られてしまったので、若干、収束感があり。万太郎と寿恵子が結ばれるターンを盛り上げてほしいところです。高藤がざわつき要員かと思うので、ぜひともかきまわしてほしい。サブタイトル・ノアザミが今週はどんなふうに登場するでしょうか。
【朝ドラ辞典2.0 河井克夫(かわいかつお)】
画工の岩下定春役は河井克夫さん。漫画家であり俳優でもある多才なかたです。「半分、青い。」では漫画家・秋風(豊川悦司)の非常勤アシスタント役で出演されていました。筆者がテレビブロスで、ヒロインと常勤アシスタント仲間役だった清野菜名さんのインタビューをしたとき、ブロスで連載されていた河井さんが立ち会ってお話を盛り上げてくださいました。画工役、ぴったりです。「あまちゃん」にもアイドルファン役で出演されています。
この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第47回のレビュー}–
第47回のレビュー
万太郎(神木隆之介)は印刷工場で働き始めます。
若い青年が見倣いからはじめることは珍しくないけれど、大店の坊っちゃんが、自分で石板印刷をやろうという、他者から見たら無謀というか厚かましい了見のため、職人にいじめられるはめに。
いや、単に重い砂を渡しただけで、ひ弱な万太郎が受け取れなかっただけであり、いじめじゃなくてふつうのことなのかもしれませんが(それが現代ではハラスメントになる可能性はあります)。
砂をかぶった頭に水をかぶっていると、竹雄(志尊淳)が心配して止めます。
「暑いき」というのに「着ちょり」と布団をかけて無理に寝かせる竹雄のまめまめしさ。しかも竹雄は自分が石板印刷をやるとまで言い出します。相変わらず、健気です。
ところが、
「せっかくこんなおもしろいときに居合わせたんじゃ じっとしてはおられんじゃろう?」
(万太郎)
万太郎は植物学を日本に根付かせるためにがむしゃらです。
「前に進みたい」
なんの不自由もない峰屋の当主が下働きするなんて許せないと嘆く竹雄を見て、万太郎は印刷工場で住み込もうとまで考えます。
天才的な人物の考えや行動は常軌を逸しているもので。
凡人的には、万太郎の態度は、印刷工場の職人に失礼な気がしてしまうし、幼少期、肺が弱かったのに、いつの間にか直って、丈夫になって、砂まみれになっても平気。やりたいことのためなら、平気で誰にでも土下座できる。
万太郎には一般常識や世間体なんて関係ないのです。
カラダが実は丈夫になったのは、植物採集で野山を駆け回っていたからなんでしょうけれど。
心配した竹雄は
「朝飯はわしの目の前でちゃんと食べてください」
(竹雄)
と言い、美味しい朝ごはん(オムレツ)を万太郎に出して言ったことはーー
万太郎と竹雄の状況はまるで夫婦のようにも見えます。
夫が忙しいから、せめて朝ごはんだけ一緒に食べましょうというのは、栄養価のあるものをせめて朝だけ食べさせたいという思いやりでもあります。これがまるで妻の考えることのようではありませんか。
さらに、家庭の財布を、竹雄が管理しています。
つまり、万太郎は、妻のような(母とも言えるが)存在に支えられて日々の研究や生活を滞りなく行いながら、寿恵子(浜辺美波)に心惹かれているという状況なのです。
このへんも自由だなあと思いますが、選ばれた人はそういうものなのかもしれません。
寿恵子の母まつ(牧瀬里穂)は「あの人、前ばかり向いているんだろう。立ち止まって、あんたを振り向いて、(寿恵子の好きな本を)一緒に読んでくれるかねえ」と気にします。
万太郎は、竹雄から寿恵子に変わっても、ひとりで前を向いて進んでいってしまいそう。寿恵子は「足を引っ張るのもいやなの」と言うので、万太郎にとってちょうどいい相手なのかもしれません。
この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第48回のレビュー}–
第48回のレビュー
突然の竹雄(志尊淳)の帰郷宣言にショックを受ける万太郎(神木隆之介)。ところが、それは「嘘」でした。万太郎が家を出て住み込みで働くと言うからお返ししたと竹雄は言います。
「えぐいき」という万太郎の言葉を、そのままこの展開に対して使いたい。ですが、竹雄がそんないじわるをするのは、それだけ万太郎に愛情があるからです。
竹雄は、前に進むためにはピカピカ笑っていることだとそれが若の全速力だと万太郎に助言します。
「……張り詰めちょったら 速う走ることらできません。健やかに楽しゅう笑いゆう方が よっぽど速う遠くまで行ける」(竹雄)
そして、ついに「若」でなく「万太郎」と呼び捨てします。
「ただの槙野万太郎」として、「万太郎」「竹雄」「万太郎」「竹雄」とただ呼び合うだけの場面がほのぼの。
こうして、朝ごはんを毎日一緒に食べて仲良く語り合う関係に収まり、竹雄がすっかり上目線になって、万太郎は妻の尻に敷かれる夫みたいなことに。寿恵子(浜辺美波)と竹雄が交代するのはまだ先のようです。
寿恵子はダンスのレッスンに励んでいます。とそこへ、高藤(伊礼彼方)が現れ、横浜の屋敷に住まないかと打診されます。いわゆる妾宅です。
「あなたを人生のパートナーとして迎えたい」という言い方をする高藤。「妻」はそれだけ、親が決めただけで、恋心を抱いたことはない。妻はそれで承知していると言いますが、演奏会のときの妻のあのふくれっ面は、承知しているとは思えません。男性側の希望的観測に過ぎないのです。
そんなこと言われて、納得できるわけもなく、寿恵子は涙目に。
この時代は、納得しちゃう、開き直ってしまう女性もいたのかもしれませんが。
地位とお金のある男性は男性で、妻以外の何人もの女性に、「人生のパートナー」に迎えたいと口説いていたのでしょうか。まだ妾になれ、と率直に言われたほうが割り切れる気がしますが……。コレクション感覚で女性を、口当たりのいい言葉で口説いているとしたら、腹立たしい。
万太郎は竹雄と対等なパートナーシップを結び、寿恵子は高藤に口当たりのいいパートナーという言葉で、不平等な旦那と妾関係にされそうになっています。
寿恵子が未知なる世界で、「キープ!」と叫びながら体幹運動を経験し、戸惑いまくっていることに比べ、万太郎は印刷工場へ、スーツを脱いで労働着で出社し、”ただの槙野万太郎”として働こうとします。失敗もしますが、へこたれずニコニコしている彼は、みるみる、みんなに好かれていきます。
労働着がおしゃれで、ともすれば、やっぱり暢気なお坊ちゃんの道楽と思われそうですが、みんな、「いい顔になった」と好意的。ただひとり、きつい女性・大畑佳代(田村芽実)が現れますが、この人がデレるのもおそらく時間の問題でしょう。
この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第49回のレビュー}–
第49回のレビュー
「夏が咲き始めていました」とはなんてすてきなナレーション(宮崎あおい :正式にはさきは立つさき)。
第49回は、この言葉にはじまって、まつ(牧瀬里穂)が寿恵子(浜辺美波)に語る「自分の機嫌は自分でとる」ために、「夏模様の浴衣を縫うとか好きな本を好きなだけ読むのもいい。それから文太さん(池内万作)の水ようかんを食べるとかね」などと乙女なワードにあふれていました。
「誰かを待つことを暮らしの真ん中に置いちまうと 何をしててもさみしさで一杯になっちまう」
「男の人のためにあんたがいるんじゃない」
(まつ)
妾経験のあるまつは、重みのある言葉も語ります。この時代の女たちは、男性主導の社会のなかで、なんとかして自分というものを失わないように頑張ってきて。それが、夏模様の浴衣であったり読書であったりお菓子であったり……。そういうものは、誰も傷つけず、心豊かになります。花もまた、そのひとつ。
勝手気ままに女性を振り回す男性陣ですが、「道が見えちゅうなら 歩いたらいい」と言う万太郎(神木隆之介)は学会誌制作を着々と進め、くさい芝居をして、先輩たちの興味もとりつけ、参加(執筆)してもらうことに成功します。
目次ができた〜!
目次だけできた
中身ないけど
目次ができた〜!
と大喜びの万太郎と波多野(前原滉)と藤丸(前原瑞樹)。この3人は本当に無邪気です。
あいにく、その様子を、思い余って訪ねてきた寿恵子が見てしまいます。帰り道、かわいいけれど、とげの痛いノアザミが咲いています。万太郎の指にとげを指した花であります。
待つことを辞めるとまつに言ったとき、道端のタンポポが枯れてしまっています。しょぼん。
万太郎は、寿恵子のためにも、道を邁進しているのですが……。
寿恵子は万太郎が、ふしだらな自分の姿(高藤に抱えられた)を見て怒ったのだと勘違いしてしまっています。
あゝ このすれ違い。エンタメの醍醐味。じつにドラマティックであります。
それにしても、まつはなぜ、万太郎が自分の仕事を成功させた暁に、寿恵子を迎えに来ると思っていることを寿恵子に知らせないのでしょうか。
おそらく、男性の言葉を信じて、「待つ」女にさせたくないのでしょう。「待つ」を語る者の名前が「まつ」であることが実に皮肉なのです。
寿恵子が万太郎を最初からいなかったものと諦めようとしていることを知りもしない万太郎は、印刷工場でもうまくやっています。
石版印刷の職人・岩下(河井克夫)も万太郎に心を開き始めたようで……。
岩下は、江戸時代の人気絵師・歌川国芳の絵の印刷にも携わっていた設定です。
国芳の作品は、いまでも巨大髑髏の絵などが有名です。
たくさんいた彫師のひとりにすぎなかったが「猫は褒められたな」というセリフは、国芳が猫の絵をたくさん描いていたことに基づいていて、国芳の猫の絵好きにはたまりません。ちなみにドラマではよく
猫が鳴いています。
国芳は火消しの絵も描いています。火消しといえば、大畑(奥田瑛二)は元火消し。火消しつながりで国芳と知り合って、そこから岩下を引き抜いたのかな、とか、「八犬伝」の絵も描いていたようなので、寿恵子も国芳が好きかも、とか妄想が止まりません。
史実的なことと物語との絡め方のツボを心得た描写に、朝からご機嫌な気分です。
この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第50回のレビュー}–
第50回のレビュー
印刷の歴史を通して、時代というものを考える、とーっても深い回でした。
万太郎(神木隆之介)に石版印刷のやり方を見せてくれることになった職人・岩下(河井克夫)。
万太郎がお金を払って勉強に来ていると知ったから、頑なな心を解いたのかもしれません。そこは合理的な考えなのかも。もちろん万太郎が善人であることはわかったうえですが。万太郎が岩下と同じ職人の、徒弟制度のレールに乗っていない、よそ者だから親切という感覚は、観光地と同じような感覚ではないでしょうか。
観光地は観光客には割り切っていてやさしいですが、いざその地に住もうとした人に対してはそうでもありません。
閑話休題。
岩下はかの国芳に褒められた猫の絵を描いて、試しに刷って見せます。
河井克夫さんは漫画家ですから、絵を描く姿が様になっています。風格があります。
石版印刷がどういうものかがここで説明されました。これがのちのオフセット印刷という現在の主流の印刷のもとになっているようです。
万太郎が自分の絵を自分で印刷したいと考えていることについて、
「あたしらに消えろということだな」と岩下は言い出します。
「あたしもこの手でかつてのあたしらを殺してる」
(岩下)
この重要なセリフがアヴァンにあることに注目したい。
こんな重いセリフをアヴァンで…というところに作者の本気を見ます。
朝ドラのルーティンで書いてない。書かなきゃいけないことに突き動かされて書いているように感じます。
岩下のセリフの真意は、技術革新によって、過去の技術に携わっていた者が必要なくなることを物語っています。
かつては錦絵を印刷するために大人数でやっていたが、石版印刷によって大人数は必要ではなくなった。岩下自身、石版印刷の第一人者になったため、ひとり生き残ったわけです。そのことに彼も苦しんでいるのかもしれません。
絵師や版元の名は残るが、携わった人たちの名前は残らない。
それは、映画やドラマの主演や監督や脚本家の名前は残るが、たくさんのスタッフの名前は顧みられないことと同じかも。でもクレジットは残る。だからクレジットにたくさんの人の名前が出るのでしょう。でもそのクレジットに載らなかった人もいたりするんですよね。
そういう人の悲しみが岩下のセリフにはあります。
ところが、万太郎は、彼らは決して消えないと考えます。
「新たな場所に根付いて そして芽吹いていくのじゃと思います」
(万太郎)
命が枯れても再び生まれてくる、”生きてるもののことわり”を語る万太郎。植物を観察し続けてきたことで、世界の道理を理解しているのです。すばらしいセリフを全部引用するのはもったいなさ過ぎて、ここには記しません。
大畑(奥田瑛二)も、印刷は「一番新しい時代の切っ先。その静かな指先から皆の度肝を抜くもんを生み出しているんだ」とやや歌舞伎調のセリフで希望を語ります。ここはあまりにかっこ良すぎたので引用させていただきます。
印刷はその後、ジャーナリズムとして力を発揮します。でも、今はもう印刷もウェブにとってかわられてしまいましたけれど。
万太郎の絵は、うまくはなく、ありのままを描いたものだと理解する岩下。絵を描く者として、万太郎の絵の本質をすぐ感じ取るのです。例えば、国芳の絵は、猫や金魚が擬人化されていて、想像力が豊かです。実際はこんなふうじゃないけどこうだったらおもしろいという自由な発想で生き生きしていますが、万太郎の絵は、見えたままを実直に描いている。おもしろさはないけれど、そこに意味があります。
その頃、寿恵子(浜辺美波)はダンスが上達し、馬車で送ってもらっています。歩行人を蹴散らしてやけに速く道を走る馬車に、「もうすこしゆっくり走れませんか」と訊ねる寿恵子。これが時代が急速に進んでいっていることの現れのように見えます。
寿恵子は、高藤(伊礼彼方)の妻・弥江(梅舟惟永)に高藤とダンスを踊る相手は「奥様のほうが」などと話しかけます。当然、奥様はむっとします。寿恵子は男女の色恋に関して鈍いんでしょう。
不倫ドラマ「あなたがしてくれなくても」の挿入歌「ダンスはうまく踊れない」を思い出してしまいました。
奥様に話しかけた寿恵子は「世が世なら」と注意されます。価値観がどんどん変わって混沌としている時代なのです。
この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{「らんまん」作品情報}–
「らんまん」作品情報
放送予定
2023年4月3日(月)より放送開始
作
長田育恵
音楽
阿部海太郎
主題歌
あいみょん「愛の花」
語り
宮﨑あおい
出演
神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣、笠松将、中村里帆、島崎和歌子、寺脇康文、広末涼子、松坂慶子、牧瀬里穂、宮澤エマ、池内万作、大東駿介、成海璃子、池田鉄洋、安藤玉恵、山谷花純、中村蒼、田辺誠一、いとうせいこう ほか
植物監修
田中伸幸
制作統括
松川博敬
プロデューサー
板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久
演出
渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか