『世界の終わりから』紀里谷和明監督×伊東蒼インタビュー 「絶望」が「諦め」になり、そして「最後の作品」になった理由

インタビュー

『CASSHERN』(04年)や『GOEMON』(09年)の紀里谷和明監督の最新作にして、「最後の作品」と銘打たれた『世界の終わりから』が2023年4月7日(金)に公開された。ここでは、紀里谷和明監督と、主演を務めた伊東蒼へのインタビューをお届けする。

なぜ本作が最後の作品と銘打たれているのか。なぜ女子高生を主人公とし、伊東蒼をキャスティングしたのか。世界の運命を託される物語が、なぜ生まれたのか。「絶望」を描いた作品に、2人がどう向き合ったのか。それぞれをたっぷりとお聞きできたので、ぜひ映画と合わせてお読みいただきたい。

テーマを「絶望」にした理由

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――『CASSHERN』は「新造人間キャシャーン」、『GOEMON』は「石川五右衛門」、『ラスト・ナイツ』は「忠臣蔵」と、過去作はベースとなる作品または人物がありましたが、今回はオリジナル作品です。部分的にでも、ベースとなった作品はあるのでしょうか。

紀里谷和明監督(以下、紀里谷):まったくないです。完全にオリジナルですね。

――選ばれたテーマは「絶望」とあります。これは、コロナ禍の世相も反映されているのでしょうか。

紀里谷:いいえ。コロナ禍のときには外国に1人でいたので、僕個人にはそれほど影響はなかったんです。絶望をテーマにした理由は、一時的なものではなく、それこそ子どもの頃から絶望していたからです。学校の教師、いや教育そのものや大人たち、日本に絶望していたからこそ、15歳でアメリカに渡ったんです。

アメリカでの環境はだいぶ良かったのですが、大人になるにつれて、また世界に絶望し始めて、日本に帰って来たんです。世界は変わらないですね。常に絶望の連続という気がします。『CASSHERN』のときにはその絶望を「怒り」として作品に反映させていたのですが、今回はそれが「諦め」に変わっていると思いますね。

――その絶望が諦めになっても、それでもなお……というメッセージがある作品ですよね。そうして「絶望」を描いた『世界の終わりから』を「最後の作品」であると明言されているのはなぜですか。

紀里谷:いろいろな理由があるので、一言ではとても言えないのですけど、まずは「この作品で伝えたいことは伝えきった」という自負があるからです。細かいことを言えば決して完璧ではないのですが、納得がいく完成度にできましたから。今回の『世界の終わりから』は、試写会で観ていただいた方のリアクションを追っても「伝わってるんだな」と思います。

――劇中でSNSでの悪意のあるコメントが書き込まれる一幕があります。紀里谷監督ご本人も作品への批評などで傷ついた経験があるからこそ、あの描写があったのでしょうか。

紀里谷:劇中のSNSの書き込みは、直接的には僕のことではありませんよ。今は多くの人たちが、有名無名を問わず、子どもも大人も問わずに、SNSで傷つけられています。学校に行っても、そういうふうにいじめられたり、自殺してる人たちも多くいます。日本の若者の死因の第1位が自殺ですからね。それはいびつなことであるし、いびつな世界に生きていると思ったんです。

でも、僕自身もとても傷ついていたことは事実です。作品への批判であっても、それが的を得ているものであればもちろん良いのですが、ほとんどが作品とは関係のない個人攻撃だったんです。私が以前に結婚してた人のことで色眼鏡で見られることも多かったですし、偏見と差別をもっての攻撃はさすがに辛かったです。そうしたこともあって、映画にも社会にも関わりたくなくなったということが、この『世界の終わりから』を最後の作品にしたかった理由のひとつです。

伊東蒼に「即決」したものの、それでも「怖かった」理由

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――そうしたいびつな世界を捉えたからこそ、これまでの作品とは異なる、女子高生の主人公が生まれたのでしょうか。

紀里谷:今までは男性主人公、強い人間の視点で物語を作っていました。ただ、やはり世界での戦争、もっと広い意味での争いごとで真っ先に犠牲になる、その皺寄せが行くところは、子どもと女性なんですよ。その怒りが僕の中ではずっとあって、『CASSHERN』でもそれを表現しました。しかし、肝心の子どもと女性の視点から物語を描いたことがなかったんです。自分は男ですし、想像であるけれど、「それでも」と思って、脚本を書き始めました。

そして、志門ハナというキャラクターが僕の中に現れて、僕がそのハナを追っかけていったんです。「どういう人生を送ってるんだろうか」と考えることからスタートして、何度も何度も脚本を書き直していくうちに、ハナのほうから語りかけてくるというか、彼女がどんどんどんどんリアルになってく感覚がありました。

――そのハナ役に、伊東蒼さんを選んだ理由を教えてください。

紀里谷:脚本を書き上げて、志門ハナというキャラクターが出来上がった、好きになれたのはいいけれど、「これだけのものを背負わされる女の子を、誰が演じられるの?」となったんです。自分自身の苦しみや、世界の不条理や、ありとあらゆる絶望を背負っていて、それを「届けられる人がいるんだろうか」と本当に思いましたし、「いないんじゃないか」と恐怖を感じるほどでしたね。

それでも企画が始まって、キャスティングを検討する中で、真っ先にお話をいただいたのが伊東さんだったんです。僕は正直に言って、ほとんど役者さんのことはわかっていなかったのですが、『さがす』の伊東さんを観てもう「即決」でした。その後に『空白』も観て、即決したことは間違いなかったと確信しました。

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――実際に観ても、ハナは世界の運命をいきなり託されて、困惑して翻弄され、辛いこともたくさん経験する役柄でした。伊東さん自身、演じてみて率直な感想はいかがですか。

伊東蒼(以下、伊東):出来上がった作品を観てみると、ハナは「笑っているところがひとつもない」と思えるほど、笑顔が少なかったんだと気づきました。いろいろな負の感情を出していることが多かったので、演じている間は彼女の感情に引っ張られていたこともありました。でも、観終わって「一生懸命に頑張ってよかった」と心から思いました。

紀里谷:僕は現場で、毎日「伊東さんが壊れるんじゃないか」と心配していました。「大丈夫?」って聞いても、伊東さんは毅然と「大丈夫です」って返すんですよ。それがまた逆に怖くて、「もう無理」「ちょっと辛い」などと言ってほしかったくらいですが、それも含めて「考えすぎなのかな」「取り越し苦労してるのかな」とも思いました。でも、やっぱり怖かったです。特に屋上のシーンは、本当にいたたまれなくなりましたよ。

――監督だからこそ、演じられている方のメンタルを心配されてしまいますよね。

紀里谷:役者さんを心配しない監督もいっぱいいると思うんですよ。ただ、僕はそういう監督ではないんです。自分が何かを言って、その人を追い込んじゃったりするのかもしれないと、いつも恐怖を感じていますよ。

伊東:監督が気にしてくださっていることは、すごく伝わってきました。「大丈夫」って何度も聞いてくださるので、ありがたかったです。

紀里谷:いや、でも、それが「ウザい」って時もあるし、役者さんの中には「追い込まれないと」「もっと厳しく言ってもらった方がいい」と言う方もいますからね。でも、やはり僕は役者さんの気持ちをわかってあげたいですね。

伊東:監督が心配してくださってるのは本当にずっと感じていて、だからハナと同じように「1人じゃない」と感じて、最後までやりきれたのだと思います。

紀里谷:そんなことを言われたら、もう泣いちゃうよ(笑)。

–{紀里谷が現場で目の当たりにした伊東蒼のすごさとは……?}–

良い意味での「雑さ」があった

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――伊東さん演じるハナが辛い目に遭うシーンが多くはあるのですが、若林時英さん演じる友達のタケルはとても良い子で、彼と喋ってるときはすごく普通の女の子なんだなと思うこともありました。

伊東:若林さん演じるタケルは、ハナと親しいからこそ出る、良い意味で「雑さ」があります。演じていても、他の場面のハナとは違うと感じていました。屋上のシーンでは、私も若林さんも泣いていて、お互いにその姿を見て役に入り込めた感覚がありました。

――毎熊克哉さんや朝比奈彩さんなど、大人のキャラクターにも良い人はいて、それぞれと一緒にいる時のハナは安心している、ホッと一息つける印象がありました。

伊東:毎熊さんは本当に優しくて、いろんな話を一緒にしてくださいました。朝比奈さんも撮影終わりに「撮影頑張ってね」と言っていただいたりとたくさんコミュニケーションをとってくださって、お2人がいるとすごく安心しました。

――増田光桜さんとのやり取りも印象的でした。

伊東:光桜ちゃんとは、今でも誕生日カードやクリスマスカードや手紙のやり取りをしているんですよ。私のことを本当にすごく慕ってくれたので、私がハナとして守らなきゃっていう気持ちも自然と生まれてきました。

――劇中が良い意味で殺伐としているだけに、そうした撮影エピソードを聞いて、ほっとする方もいらっしゃると思います。

伊東:そうですね。とても明るい現場でしたし、お昼ご飯が美味しかったです(笑)。

紀里谷:監督としては、撮影日数が短かいわりにカット数は膨大で、テイクもセリフも多くて、「いつもバタバタしてごめん」な感じばかりだったから、それを聞けて良かったです。

――他に、撮影で苦労されたことはありますか。

伊東:CGが入るシーンで、現場には「ない」ことに対してリアクションしないといけなくて、あまり想像ができなかったということがあります。でも、紀里谷監督は「自然じゃない、気持ち悪いって思ってもいいから、1回やってみてほしい」とおっしゃってくださいました。そのおかげで、今まで苦手だった「驚く」お芝居が克服できた印象がありました。

紀里谷:嬉しいです。あとは、コロナ禍で大変な時期でもありましたね。伊東さんがコロナになっちゃったら、この作品はなくなる、破綻してしまうんですよ。限られたスケジュールの中で、スタッフの皆さんもよくやっていただけました。しかも、現場が暑かったり寒かったりで大変でしたよね。

伊東:暑かったのは大変でしたね。

紀里谷:劇中では冬の設定だったのに、冒頭のアパートのシーンは、クーラーがないような場所で、しかも密室なのでものすごく暑かったですよね。苦労をさせてしまってごめんなさい。

『CASSHERN』が再び話題になるのは嬉しいけど……

――意地悪な質問だったら、ごめんなさい。公開中の『シン・仮面ライダー』から『CASSHERN』を連想される方が多く、少し前に話題になりました。漫画家の平野耕太さんが美術と世界観を賞賛するツイートもされていましたが、そうした反応を受けていかがですか。



紀里谷:皆さん忘れがちなんですが、『CASSHERN』は僕が30歳になったばかりに企画が始まった、20年前の作品ですよ、もちろん、それだけの時を経てまだ話題にしてもらえることはありがたいし、平野さんのツイートも嬉しかったです。

本来、作品は比べるものではないと思うのですが、でも、どうしても比べるんだったら20年前の作品ではなく、今回の『世界の終わりから』でお願いしたいです。 『CASSHERN』の公開当時も、庵野秀明監督の実写映画版『キューティーハニー』と比べられたんですが、全然違う作品だと思いました。『シン・仮面ライダー』も、まだ本編を観ていないのですが、予告だけだと「どこが似ているんだ?」と思いました……(笑)。

――伊東さんにも、他の作品をあげてしまって恐縮ですが、『空白』と『さがす』が続けてひどい父親を持つ女の子の役だったので、SNSでは「伊東蒼さんに素敵なお父さんを持つ役をさせてあげて!」とつぶやかれていたりもするんです。今回は両親も祖母も亡くなってしまう、天涯孤独の女の子で、さらに辛い!とも思ってしまいました。

伊東:でも、よくよく考えてみると、『空白』と『さがす』のお父さんも、良いところもあったとも思いますよ。今回の『世界の終わりから』ではお父さんは亡くなってしまうのですが、今回は初めから良いお父さんでもありましたから。そうして続けて見てくださってる方がたくさんいらっしゃることがありがたいです。

目の前で起きていることを現実のように捉え、「リアル」を持ち込んでくれた

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――紀里谷監督が、伊東蒼さんの演技を見ている中で、気づいたことなどがあれば教えてください。

紀里谷:先ほど、伊東さんが「若林時英さん演じる友達のタケルとのやり取りが良い意味で雑」とおっしゃっていましたが、その若林さんに対して、伊東さんが冷たい印象のお芝居もされていたんですよ。

僕が書いた脚本の中では、ハナはもっと良い子だったのですが、その伊東さんを観て「優しすぎるというか、美化しすぎたキャラクターを書いちゃったのかも」と気付かされました。伊東さんは「あんなに辛い人生だったら、ちょっとぐらいは冷たいことも言っちゃうだろう」ということ、言い換えれば「リアル」を持ち込んでくれたんです。

それは、監督としてもありがたかったです。自分も気づいてないキャラクターが、本当にそこに現れて、自分の考えとの誤差があった。自分が思っていたこととは違うけど、それでもそちらの方がいいと思ったし、それを尊重するべきだと気付かされました。あとは2人でリハーサルとディスカッションをして、伊東さんが「このセリフは言いにくい」と言うところは尊重し書きかえました。伊東蒼という人格が、ハナに乗り移っているからこそ、成立したのだと思います。

伊東さんを見てて、一番すごいなと思ったのは、目の前で起きていることを現実のように捉えて、すぐにリアクションをすることでした。お芝居という言葉を使うのが嫌なくらいで、これはすごいと思いましたよ。多くの役者さんが「良く見せようとする」ことに対して、伊東さんは自然にというより、「内」から出そうとする。お世辞ではなく、それが本当に役者のあるべき姿だと思いました。

伊東:監督にそう言っていただけて嬉しいです。

「世界を救おうとする小さな話」だと実感した

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――今回の『世界の終わりから』は紀里谷和明監督の作家性、思想がストレートに表れていて、しかも物語と密接につながって、自然に提示されていた印象で、そのメッセージは確かに大切なものだと思えました。

紀里谷:常に自分を出そうと思ってましたよ。それこそが映画監督だと思ってもいます。メッセージ性が強すぎるという声もありますが、メッセージが作品にあるのは当たり前の話で、メッセージを作品に込めないのだったら映画監督なんてやらないよとも思うんです。映画をもう辞める大きな理由は、そうした監督としてやるべきことを踏まえて、やはり伝えたいことは伝えきったからですね。

――紀里谷監督も先ほどおっしゃっていましたが、今回は試写会での評判が良く、監督自身も「伝わった」実感があったのだと思います。特に若者にも向けられてる作品だとも思いますが、伊東さんはいかがですか。

伊東:初めて台本を読んだ時は、終わってしまう世界を救おうとする、大きいなテーマに気を取られちゃったのですが、最終的に作品から自分が感じたことは「誰も1人じゃない」「自分が少しその人に気持ちを向けるだけで、その人の寂しさや苦しさをカバーできる」ということを感じました。大きい話を土台に進んでいきますけど、とても身近な、小さくて大事なことに目を向けるということ。そこを感じてもらえたら嬉しいし、届くべき人に届いてほしいと思います。

――監督と伊東さんは、作品のメッセージについて話し合ったりしたのでしょうか。

紀里谷:話したりはしていなかったよね?

伊東:でも、初めてお会いした時にちょっとだけ、「大きい話じゃなくて、小さな話なんです」とおっしゃっていましたよ。その時にはわからなかったんですけど、撮影している間や完成したのを見て、「うん、こういうことだったんだな」と実感できました。

――本当に、壮大なようで、描いてることは身近なことですよね。良い意味でわかりやすい「セカイ系」の物語でもあると思いますし、セカイ系の物語に触れている若い人にも親しみやすいのではないでしょうか。辛いシーンもありましたが、それ以上に優しい作品でもあると思うので、多くの方に届いてほしいです。

『世界の終わりから』は4月7日より上映中。筆者個人としても、紀里谷和明監督が己の作家性をストレートに打ち出し、かつ「どこに連れて行かれるのか」わからないほどのエンターテインメントとしての疾走感がある、掛け値なしに紀里谷監督の最高傑作だと断言できる作品だった。伊東蒼の一世一代の演技と、そして例えようもない感動が待ち受けるラストを、見届けてほしい。

(撮影=Marco Perbni/取材・文=ヒナタカ)

–{『世界の終わりから』作品詳細}–

■『世界の終わりから』作品詳細

4月7日(金)より公開

出演

伊東蒼
毎熊克哉 朝比奈彩 増田光桜
岩井俊二 市川由衣 又吉直樹
冨永愛 高橋克典 北村一輝 夏木マリ

原作・脚本・監督

紀里谷和明

製作

KIRIYA PICTURES

製作プロダクション

ブースタープロジェクト ポリゴンマジック

配給

ナカチカ