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2023年4月3日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。
「日本の植物学の父」と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。激動の時代の中、植物を愛して夢に突き進む主人公・槙野万太郎を神木隆之介、その妻・寿恵子を浜辺美波が演じる。
CINEMAS+ではライター・木俣冬による連載「続・朝ドライフ」で毎回感想を記しているが、本記事では、高知で生まれ育つ万太郎やその家族を描いた1週目~5週目までの記事を集約。1記事で感想を読むことができる。
もくじ
第1回のレビュー
「らんまん」の週タイトルは、主人公・槙野万太郎(神木隆之介)のモデル・植物学者・牧野富太郎にちなんで植物の名前になるもよう。第1週は「バイカオウレン」(演出:渡邊良雄)。
筆者はてっきり牧野富太郎、本人のドラマと思い込んでいたら、モデルにした話のようです。
慶応3年(1867年)土佐、佐川村。由緒ある造り酒屋の跡取りとして生まれた万太郎(子役:森優理斗)は植物が大好きで、軒下にもぐりこんで小さな植物に話しかけるような日々。
心優しい万太郎ですが、ちょっと病弱で、本家の跡取りとして周囲からは心もとないと思われています。
自分の身体が弱い分、小さい命に心を寄せるのでしょう。
母親のヒサ(広末涼子)もどうやら病弱のようです。
広末涼子さんは高知の地元枠ですね。
甑倒しという、造り酒屋にとって大事な行事の日で、万太郎は美味しいものが食べられるとはしゃいでいます。
が、走って倒れてしまって、万太郎は行事に欠席。それによって本家と分家がぎすぎす……。本家を仕切るタキ(松坂慶子)はあからさまに分家を軽んじていて、分家の人たちは不服気味。
万太郎をばかにする分家の人たちも感じ悪いですが、「しょせん分家」と差別するタキもどうかと思います。
万太郎について「どうせ長う生きられん」「生まれてこんほうがよかったな」などとかなりヘヴィーな陰口を言う分家の人たち(菅原大吉ほか)。それを万太郎は聞いて、しょんぼり。
「舞いあがれ!」に続き、主人公が病弱はじまり。これはトレンドなのでしょうか。
でも冒頭で、大人になった万太郎が山に分け入り新種の植物を発見して目をキラキラさせているので心配はいりません。
病弱で将来を案じられていた万太郎がどうやって、植物学者になっていくか、これから毎朝、楽しんでいきましょう。
脚本は長田育恵さん。演劇の世界では注目されている劇作家で、最近は劇団四季に脚本を描き下ろしています。NHKのドラマでは「マンゴーの木の下で」で戦争、「流行感冒」でスペイン風邪を題材に、「旅屋おかえり」では旅を、「すぐ死ぬんだから」では老いをテーマにして、人間を深く見つめてきました。
筆者は長田さんのドラマも好きですが、北斎の娘の絵にかける熱情を描いた舞台「燦々-さんさん-」に心震えました。また、ピカソの絵「ゲルニカ」から着想を得た戦争の物語「ゲルニカ」は、題材へ真摯に向き合い、岸田戯曲賞候補になっています。
「らんまん」では江戸から明治、昭和まで生きた植物学者を通して、どんな世界を見せてくれるかとても楽しみです。
【朝ドラ辞典 2.0 モデル(もでる)】
朝ドラには功績を残した実在の人物をモデルにすることが多く、オリジナル主人公よりもモデルがいたほうが人気が出るジンクスもある。【朝ドラ辞典 2.0 江戸時代(えどじだい)】江戸時代からはじまったのは「あさが来た」がはじめて。「らんまん」が2作目となる。【朝ドラ辞典 2.0 地元枠(じもとわく)】地域活性ドラマの役割もある朝ドラ。舞台となる地域出身の俳優が必ず出演し、地元をさらに盛り上げる。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第2回のレビュー}–
第2回のレビュー
「わし生まれてこんほうがよかった?」
幼い万太郎(子役:森優理斗)は分家の豊治(菅原大吉)の心ない言葉に傷つき、母ヒサ(広末涼子)に問いかけます。
ヒサはやさしく励まします。
「神さんがくれたがよ」「大事な子じゃ お母さんの宝物」
神さんなんて見たことないと反論すると「見えんでもおる」とヒサは言い、
万太郎は森の神社に走り、神さんに呼びかけます。
自分が人と違うことは神さんのせいだと文句を言う万太郎。
と、そこに現れたのはーー
天狗(ディーン・フジオカ)でした。
事前に公表されている情報では、天狗はあの有名人ですが、ここではドラマに沿って天狗(謎の武者)としておきましょう。
颯爽と頼もしそうな天狗と万太郎が楽しく語っているとき、タキ(松坂慶子)とヒサが嫁の苦労を語らいます。
ふたりとも嫁として、峰屋に嫁ぎましたが、どちらも夫に先立たれています。ヒサが三度も流産して離縁寸前で万太郎を産んだこと、女しかいないから分家になめられていることがわかります。
モデルの牧野富太郎さんは、父、母、祖父の順に亡くし、おばあちゃんっこだったようです。「らんまん」では父と祖父を先に亡くした設定によって、
朝ドラらしい女性の物語が際立ちます。
再び、万太郎と龍馬の場面、
「わし生まれてこんほうがよかったがじゃと」と告白する万太郎。
なんと、2回続けて「生まれてこんほうがよかった」エンドとは……。ずーんときます。
それだけ、生まれてこないほうがいい人なんて誰一人いないということを強調したいのでしょう。
さて、天狗ことディーン・フジオカさんです。「あさが来た」(15年度後期)の日本をよくしようと活躍した実業家・五代友厚役で大人気でした。あまりに好評で、大河ドラマ「青天を衝け」(21年)でも五代役を演じたほどです。あまりに当役だったので、その印象がいまだに消えません。「らんまん」でも五代様? と思ってしまいましたが、別人です。ただ、風のように現れて主人公の手助けをするという属性がとても似合います。
「あさイチ」の鈴木奈穂子アナも全国の女性視聴者の代表としてディーンさんにときめいているようでした。
近年、子役回がいいと評判になる朝ドラですが、その前は本役が出るまでは
本題と思えず、ちょっと退屈という印象が朝ドラにも大河ドラマにもあり、
じょじょに子役回の数が減らされているようだったのです。そんなところに
良策が。
子役と華のある大人を組み合わせることで、がぜんドラマが盛り上がります。「なつぞら」(19年度前期)の子役と草刈正雄もそれで盛り上がりました。
ディーンさんのみならず、祖母役の松坂慶子さんも朝ドラと相性がよいのです。「まんぷく」(18年度後期)ではヒロインの母役で登場、「私は武士の娘です」という名セリフによって愛されました。
ディーン・フジオカさん、松坂慶子さんと、強力な助っ人によって子役編が支えられています。
【朝ドラ辞典 2.0 見えんでもおる(みえんでもおる)】朝ドラでよく使われる概念。亡くなったかたは見えなくても共にいると思って生きること。妖怪の漫画を描く水木しげるの妻をモデルにした「ゲゲゲの女房」ではこれが全編を貫いていた。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第3回のレビュー}–
第3回のレビュー
初回、第2回と主人公・万太郎(子役:森優理斗)が「生まれてこんほうがよかった」と悩んでいましたが、第3回、天狗こと坂本龍馬(ディーン・フジオカ)がそのネガティブな悩みを一刀両断。
「坊 生まれてこん方が よかった人らあ 一人もおらんぜよ いらん命らあひとつもない この世に同じ命はひとつもない みんな自分の務めを持って生まれてくるがじゃき」
「己の心と命を燃やして 何かひとつことを成すために
生まれてくるのじゃ 誰に命じられたことじゃない 己自身が決めてここにおるがじゃ」(坂本龍馬)
そう言って、天狗は万太郎の望みを問いかけます。
問いかけによって、万太郎の心に眠るものが引き出され、生きる力が沸いてきます。
万太郎に力を与えた龍馬に迎えが来て、風のように去っていきます。
もし自分に息子がいたら……と万太郎にいたかもしれない幻の子どもの姿を見た龍馬の心に、命を燃やして自分のやるべきことをやっていながら、少しだけ心残りもあるのかなという、人生のままならなさを感じました。
ディーン・フジオカさんは外見も語り口もソフトだけれど、うちに熱いものを抱えたスケールの大きな人物の役が似合います。
迎えに来た仲間が「坂本さん」と呼んで、視聴者は龍馬だとわかりますが、万太郎は、天狗が時代の変わり目に重要な役割を果たす坂本龍馬だとは気づいていません。
時代は大政奉還に向かっているところです。
龍馬が去ったあと、ヒサ(広末涼子)たちが迎えに来て、そこで「バイカオウレン」を見つけます。そのときはまだ、花の名前はなく、ヒサはこれが一番好きな花だと愛でます。
小さく華奢で日陰にひっそり咲いているけれど強い、愛らしいこの白い花が、「いらん命らあひとつもない」の象徴になります。
言葉だけだとやや形骸化した印象もあるところ、花と龍馬に託したことで説得力ががぜん増します。
万太郎が悩みを語るとき、龍馬の手のひらに自分の手を重ねた仕草も、5歳の幼い少年が、たくましい大人の男に甘えたい心情が伝わってきて印象的でした。お父さんがいなくて寂しいでしょうし。この独自な表現(演技)もひとりひとりの命の証です。
また、タキ(松坂慶子)が万太郎に「蔵人」という労働者を大切にする精神を説きます。蔵人もまた、数多ある花のひとつなのです。
万太郎は自分の命の大事さを知ったと同時に他者の命の大事さも知りました。蔵人の歌を褒めるところも”実”があります。
長田育恵さんの脚本が達者だと思うのは、万太郎が龍馬と出会い、自然を感じて、生きようと勇気づけられ、自分のまわりの人達の存在にも思いを致したとき、ひとつの命が終わりに近づいていることを描いていることです。祖母のタキは峰屋のためにまだまだ生きる気満々であることと対称的に……。
しなっとしてきた花の絵を書くことで、万太郎はこの世に残そうとします。
その絵を贈られたヒサは「これやったら枯れんね」と喜びます。
この花の絵は墨をうっかりこぼしたところもうまく生かして描かれています。万太郎は「いらん命らあひとつもない」ことをさっそく実践しているのです。
蔵人の話に、さらにこの描写で、物語の厚みが一段と増しました。
これを最後まで続けてほしい。
きっと長田さんならやってくださると信じています。
「お母ちゃんきっと元気になるき」と今日は万太郎の元気な笑顔で終わりました。
【朝ドラ辞典 2.0 ディーン・フジオカ(でぃーん・ふじおか)】「あさが来た」(15年度後期) 五代友厚役「らんまん」(23年度前期) 坂本龍馬役 「あさが来た」の五代役でブレイク。大河ドラマ「青天を衝け」(21年)でも再び五代を演じて話題になった。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第4回のレビュー}–
第4回のレビュー
第3回で万太郎(子役:森優理斗)が蔵人たちの歌の話をしたことで、第4回でその歌がいっそう印象に残ります。「酛すり歌」というのですね。第1話からすでに歌われているのですが、繰り返されることで存在感が増します。
秋になって酒造りがはじまって、峰屋が活気づいています。
でもそこに問題がーー。
朝ドラあるある「女人禁制」です。
女性が入ってはいけないとされる酒蔵へ、万太郎を追いかけて姉の綾(子役:太田結乃)が中に入ったところ、ものすごく怒られてしまいます。
女性は汚れている、酒が腐る とさんざんな言われ方で、蔵人たちはお清めに必死になります。女性特有の体質を迷信めいた考えで忌み嫌う時代なのでしょう。
ここでは綾が主人公のようです。
いいにおいのする酒蔵が前から気になっていた綾は、いけないと知りながらも足を踏み入れる。一歩踏み出したときの好奇心と勇気と知らない世界に触れた喜び。でも、そのあと、責められる失望。これはもう「朝ドラ」ヒロインそのものです。
祖母・タキ(松坂慶子)も女は蔵に入ってはいけないという禁忌を守ってきました。
「らんまん」では、綾は主人公ではなく、万太郎が主人公です。彼にとっての禁じられた行為は、めったに外に出てはいけないということです。
第3回で、タキからもしまた黙って万太郎が出ていったら「おまんの落ち度じゃき」と言われている竹雄(子役:井上涼太)に止められて遊ぶことができず、癇癪を起こして、竹雄を蹴ったり噛んだりします(なかなかやんちゃです)。
竹雄も主人(タキ)から奉公人としての重責を強いられています。
万太郎、綾、竹雄、3人3様で世間の理不尽なルールに縛られているのです。
でも世界には踏まれて強くなる植物もあるのです。
「どういて(どうして)どういてじゃ」
酒蔵の掟の意味をタキに問い詰める万太郎。
ヒサ(広末涼子)に聞いてもらおうとするも、体調が悪化して会えません。
「どういて どういてじゃ」
「死」を意識する綾と万太郎。
「死」、それは人間にとってどうしようもない、もっとも理不尽なものーー
「死」に抗い、「花」を求めて万太郎は神社へ向かいます。神様に呼びかけますが、もう天狗(ディーン・フジオカ)もいません。
意を決して万太郎は神社の結界を超えます。
彼もまた、綾と同じく、世間の決めたルール(境界)を踏み越えることで、主人公の道を歩み出すのです。
【朝ドラ辞典2.0 疑問(ぎもん)】主人公のモチベーションには「なぜ?」がある。なぜ、女性はやってはいけないことがあるのか? というように「なぜ」を突き詰めることが物語になる。「らんまん」では「どういて どういてじゃ」と万太郎が問い続ける。
●今日の気になる
綾の落としたかんざしを拾って懐に入れた幸吉(子役:番家一路)の心情は…
万太郎と遊んでもらえなかった子どもたちのなかに、「舞いあがれ!」の一太の少年時代を演じた野原壱太さんがいました。2作連続出演です。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第5回のレビュー}–
第5回のレビュー
ヒサ(広末涼子)の容態が悪化しました。
ヒサが神様に願って、自分が生まれたことを聞いている万太郎(子役:森優理斗)は神様を頼ります。
ヒサの好きな花を探しますが、季節は冬、花はみつからず、万太郎は結界を超えて森の奥深くに分け入ります。
天候も悪くなって、暗い森のなかで崖下に落ちてしまった万太郎でしたが、探しに来た綾(子役:太田結乃)と竹雄(子役:井上涼太)に助けられました。
綾は自分が女でなければ当主となって酒蔵のために働けるのに、頼りない万太郎に期待がかけられていることを悔しく思っていたけれど、万太郎の個性が当主に向いているのだと気づきます。
ひじょうに駆け足で綾と万太郎の差異を描いているように感じますが、綾が酒蔵の当主になれないのは男女差別ではなく、個性の問題なのだということを落とし所とするのが令和的です。それにしても綾が聡明すぎる。
万太郎が花を探している間に、ヒサの容態はますます悪化、危なく、臨終に立ち会えなくなりそうで、タキ(松坂慶子)がヒスを起こします。
「見つけえ〜〜〜」
「このうえ子どもらまで 許さんき 絶対許さん」
と大絶叫したところへ、万太郎が綾と竹雄に付き添われて戻ってきました。
やっとみつけた一輪の花をヒサに差し出す万太郎。が、それはバイカオウレンではないことに気づきます。森では暗くてわからなかったんですね。
母の命が尽きようとしているとき、「違う」と冷静に、花の違いを指摘する万太郎。花が違う嘆きと、母の好きな花を渡せなかったことへの悔しさや申し訳なさと、母の別れを惜しむことがまぜこぜになっている、彼の今後を暗示する描写です。
ヒサは亡くなり、春になって、花が咲くと、万太郎は自分のやりたいことを自覚するのです。
花が印象的なドラマですが、本物ではなく精巧に作られたものだそうです。言われてみればちょっと硬そうな感じもします。でもほんとうによくできています。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第6回のレビュー}–
第6回のレビュー
ヒサ(広末涼子)が亡くなって3年、明治4年、万太郎は9歳、第2週「キンセイラン」では演者は小林優仁さんに。綾は高橋真彩さん、竹雄は南出凌嘉さんになりました。
たいていは子役から本役になりますが、「らんまん」ではもう一代、間にはさむ、凝った作りに。森優理斗さんと小林優仁さんの印象があまり変わらず、自然に成長を感じられます。
小林さんは大河ドラマ「青天を衝け」(2021年)で主人公・渋沢栄一の子ども時代を演じていました。聡明な少年を生き生きと演じていたので、今回も、植物に興味のある万太郎役にぴったりで、当主としての挨拶もハキハキとしっかりしています。
また、「ちんまい段々みたいな」ねじれた植物のねじれの違いに興味津々な表情がよかったです。
でもそれを綾に止められて……。もっと商家の当主らしいふるまいがあると言うのです。万太郎は一般的なところからすこし外れた独特の個性のある少年なのです。
万太郎の小林さんも人気子役なのですが、今回気になったのは、万太郎を守っている奉公人・竹雄の少年時代を演じる南出凌嘉さん。
デビューは朝ドラ「純と愛」(12年度後期)でデビュー。「あさが来た」(15年度後期)の白岡新次郎の幼少期も演じました。
子役として、「キングダム」や「糸」などの主要人物の幼少期を演じて、現在17歳。
日テレの朝ドラ的な「ZIP!朝ドラマ『泳げ!ニシキゴイ』」にも出演していました。
きりっと爽やかで月代をそった髪型もお似合いで、これからの活躍を期待したいです。
さて。時代的にも「青天を衝け」の頃と近く、江戸から明治へ、時代が大きく変わった頃の偉人の話というワクワク感があります。
先週は坂本龍馬(ディーン・フジオカ)、今週は池田蘭光(寺脇康文)という大人がまた万太郎の前に現れました。商家ながら、武家の通う学問所・名教館で学ぶことを許された万太郎はそこで池田と出会うのです。
龍馬も最初は謎の天狗として現れて、あとから龍馬とわかりましたが、池田も最初は掃除のおじさんのような気さくな雰囲気で現れ、実はーー という趣向です。第6回では正体がわかってませんが、クレジットに池田蘭光とあったのでネタバレには当たらないでしょう。
この場面でタキ(松坂慶子)の差別的な人物であることが強調されます。相変わらず本家と分家を明確に分けているし、池田を見た目で判断して雑に扱う。愚かな人間の欠点を松坂慶子さんが嫌味なく戯画化しています。
龍馬は実名でしたが、池田はモデルは伊藤蘭林という人物のようです。牧野富太郎も伊藤蘭林もモデル扱いなのに、龍馬だけは実名なのはなぜなのか。ドラマにはよくあることですが。二次創作可能な人物とそうではない人物の境界とは何なのか。ご遺族の許可的なことでしょうか。今回の事情がわかりませんが、ほかのドラマでは、ご遺族がみつからず、礼儀として勝手には描けないので、当人として描かなかったという話を聞いたことがあります。
【朝ドラ辞典2.0 モデル(もでる)】朝ドラでは偉人をモデルにした作品が少なくない。その場合、「モデル」や「モチーフ」「参考」という言い方で、当人の史実に創作を加えることが多い。「モデル」はかなり実際の人物に近いが、「モチーフ」「参考」とした場合は描写の自由度が高くなる。関連語:モチーフ、参考
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第7回のレビュー}–
第7回のレビュー
竹雄(南出凌嘉)のポイントが上がっていくばかり。
名教館にはじめて行った日、武家の子どもたちにからまれた万太郎(小林優仁)を竹雄が体を張ってかばいます。
万太郎「どういてここが冷えるがじゃろうか」
竹雄「たいへんじゃそれは風邪引く前触れですき」
と万太郎の気持ちをすこし勘違いして、でも竹雄を一心に心配しているところも誠実です。
世が世なら、その場で手討ちにされていたかもしれませんが、江戸時代が終わって、士農工商の身分制度がなくなったため、無事でした。竹雄は清々しい顔をします。悔しい身分制度から解放されているからです。
武家の子たちむしろ、武士の時代が終わってしまったため明日を憂う日々なのです。
だからこそイライラしているのでしょう。
それまで、武士が社会の頂点にありある意味安泰だったのに、今後は士農工商、関係なくなって、己の才覚で生きていかないといけない。そう急に言われても、戸惑います。これっていまの時代にも言えることかもしれません。価値観が急速に変わって、いまのままではいられない状況。それでもなんとかしないといけません。
武家以外の者たちにとってはチャンス。理不尽な身分制度で虐げられていた者たちも実力次第で上にいける。名教館の門の掃除をしているおじさん(寺脇康文)はだからこそ学ぶのだと言います。
第6回レビューで、掃除のおじさんが学頭の池田蘭光だとクレジットにあったからネタバレじゃないとしましたが、第7回でもまだ万太郎は気づいていません。なので、気のいいおじさんとしておきましょう。
ただ、万太郎は、謎のおじさんの、
「おまんもしきたりにとらわれんといまこそ変わるときなんじゃ」という言葉を強く心にとめました。
寺脇康文さんの雰囲気が、龍馬の一般的イメージとかぶるんですよね。たぶん、寺脇さんが龍馬を演じてもこのトーンだったんじゃないかと思います。ディーン・フジオカさんはやや少女漫画ふうだったかも。
「しきたり」から逃れられないのはタキ(松坂慶子)です。
酒造りの仕事に惹かれる綾(高橋真彩)に、女は当主にはなれないと厳しく言います。タキ自身が男女差をいやというほど味わってきたから、考えを変えることはなかなかできません。武士たちと同じです。
松坂慶子さんが、こういう頑固なことを言っても、あんまり気にならないのは、生々しい感情をセリフに入れてないからかなと感じます。「めいこうかん」「めいこうかん」とはっきり言うことに力を入れていて、ただただ一生懸命。その生真面目さが全面に出ていて、いやな感じがしないのです。
綾は蔵にはじめて入ったとき、そのにおいや、何か(菌)が生きてる気配を感じて、心惹かれます。お酒も生きている。
万太郎は植物に、綾は酒に、共鳴しているのです。恋みたいなものです。好きな人と生きることが幸せ。万太郎は植物と、綾は酒と、共に生きられるといいなあと思います。
変われと言われたり変わるなと言われたりして万太郎が迷うとき、
右と左にそれぞれねじれた植物が映っていたのが象徴的でした。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第8回のレビュー}–
第8回のレビュー
あいみょんの主題歌が「愛の花」の「愛」と「逢い」、「為」と「種」、「わ」と「輪」などの韻が心地よいです。
武家の子に意地悪され、名教館に行きたくない万太郎(小林優仁)でしたが、意を決してひとりで向かいます。
植物のように踏まれることで強くなれたらいいのに、と思っていると、池田蘭光(寺脇康文)から植物に名があることを教えてもらって、学問に目覚めます。
明の時代の医者・時珍が「本草綱目」というたくさんの植物を記録した本に刺激を受ける万太郎。時珍も子どものとき、体が弱くて、本をたくさん読んで過ごしたそうで、万太郎は共感を覚えたようです。
目標があると勉強も楽しい。文字を読むためーーというか植物の知識を得たくて勉強にせいをだします。
これまでちょっと沈殿していたものがいっきに浮上し、万太郎は生き生きしはじめます。
寺脇康文さんがスケールの大きな演技をしていて、万太郎が突風に巻き込まれていくような感じがよく出ています。影響されて小林優仁さんの口調もそれまでに増してしっかりしてきたように感じるほど。
そしてあっという間に3年ーー。万太郎、12歳。
万太郎が身につけた強さにはいいことと良くないことが混ざっています。
思いついたらまっしぐらで、抜群の集中力を発揮することは良いことですが、まわりに目が入らないのはあまり良いことではありません。
番頭・市蔵(小松利昌)にわがままを言ったうえ、彼の大事な懐中時計にひどいことをしてしまう。
「見せて」「貸して」と言ったところでいやな予感がしましたが、案の定……。
子どもの底知れない好奇心を、既成のものを分解し構造を知ろうとする姿で見せることは、かつて「べっぴんさん」(16年度後期)でも描かれています。ヒロインが靴を分解していました。被害にあった側はたまったものではありません。番頭役の小松利昌さんのおろおろした身振りがお気の毒さを倍増させました。タキ(松坂慶子)に弁償してもらえると信じます。
夢中になると我を忘れる天才肌。授業中の教室にわーっと入っていって自分の聞きたいことを質問する場面も、規格外の人物の表現です。優れた才能があるから許されますが、たいていはへんな人として扱われがち。
植物に名前がある、人間も無名の人なんていない、みんなそれぞれ名前がある。こういうことに気づくことができるのは、当たり前のルールから外れた人なのです。
【朝ドラ辞典2.0 主題歌(しゅだいか)】ドラマがはじまる前に、スタッフ、キャストのクレジットと共に流れるもの。当初はインストゥルメンタルだったが、はじめて歌詞入りのものになったのが「ロマンス」(84年)。以後、人気アーティストが歌うことで話題のひとつになっている。その年の紅白歌合戦で主題歌を引っさげて出場することも、少なくない。歌詞がドラマの内容を暗示しているように感じるものもあり、ドラマと切り離せない。
「オープニング」参照。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
「らんまん」をU-NEXTで視聴する
–{第9回のレビュー}–
第9回のレビュー
「舞いあがれ!」でもあったミサイル発射のニュースで本放送が休止になりました。
万太郎(小林優仁)の懐中時計分解は第9回に引きずらず、新たなトラブルが……。
万太郎は番頭の給料の2ヶ月分もする高価な植物の本を購入し、峰屋の人たちを唖然とさせます。万太郎は当主としての自覚が足りず、店のことはお構いなし、自分の好きなことばかりしています。
あんなにいやがっていた名教館ではいまやすっかり生き生きと学び、生徒たちのなかでも優秀で頼られています。
それをじっと見つめるタキ(松坂慶子)。満足したのかと思ったら、名教館をやめさせると言うのです。あんなに「名教館」「名教館」とうるさかったのに。今度はやめたくないという万太郎の言うことなんて無視です。
タキにとっては峰屋がすべて。峰屋のために学ばせ、峰屋のために辞めさせるのです。
残念、無念……と思ったら、万太郎が辞めなくても名教館は廃校になることに。国が小学校を作ることになったためです。
私塾制度がなくなって、誰もが学べる時代になった良さと同時に、画一的な教育になっていくという欠点もあるでしょう。いまの日本が学校制度によって培われたことを感じさせるエピソードです。
池田蘭光(寺脇康文)のように独自の教育を子どもたちに施すことは、植物のそれぞれの個性を認識することでしたが、政府が決めた教育を全員に施すことは個性重視ではなくなってみんないっしょになってしまいます。
蘭光はこの地を出る前に自然の見納めに、万太郎ともうひとりの生徒で武家の子・広瀬佑一郎(岩田琉生)をつれて一泊でフィールドワーク的なことをします。ふたりは最も優秀な生徒なのでしょうか。武家代表&商人代表でしょうか。
厳しいタキが一泊を許したのは、万太郎に男親がいないことを気にしたからかもしれません。ちっとも当主としての自覚が芽生えないのは、男親がいないからではないかとタキはまた自分が女性であることを気に病むのです。
男旅。自然の植物を観察する蘭光と万太郎。第8回では書物に書いてあったことから「毒はないし味もない」と言っていた蘭光ですが、第9回では実際に食べて確かめて「こういう確かめかたもある」と言います。葉っぱを食べて「苦い」という顔をしたときの小林優仁さんの顔が自然で良かったです。
”自然の力は人よりも大きい。人はそれを封じ込むことはできん。”
(蘭光)
川を見ながら蘭光は語ります。
でも「共に生きるのはどうしたらええがでしょう」と佑一郎に聞かれても蘭光は答えません。それは現代でもまだわかっていない真理です。ただ、植物にはあまり興味を示してないけれど、川に興味をもった様子の佑一郎、ゆくゆく中村蒼さんが演じ、万太郎との交流は続いていくようです。土木工学を学び工部省に入省すると、NHKドラマガイド「らんまん」(NHK出版)に書いてありました。自然のちからと共に生きることを考えてその道に進んでいくのでしょう。
さりげなく自然災害に対する警鐘を盛り込むのも、震災以降の物語であります。が、自然の力を人は封じ込むことができないというのは、自然災害に限ったことではなく、疫病もですし、大好きな人たちと死に別れることや、時代が変わってこれまでの価値観が変わり、私塾を閉めないといけなくなることとも重なりました。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第10回のレビュー}–
第10回のレビュー
池田蘭光(寺脇康文)に連れられて一泊二日の自然学習を体験した万太郎(小林優仁)と広瀬佑一郎(岩田琉生)。
夜、川で釣った魚を焼いて食べながら語らいます。
身分制度が崩壊したため、苦労がありそうな武家の出の佑一郎のことを、万太郎はまったく知りませんでした。「3年一緒にいて知らないのはおまんだけ」と佑一郎に皮肉られます。
万太郎は、興味のないことにはいっさい興味がありません。峰屋のことも番頭たちに任せておけばいいと、当主の自覚がなく、佑一郎にそのこともたしなめられます。
こうして名教館のあった建物は小学校となり、蘭光はいなくなり、身分関係なく男女も関係なく勉強ができるようになりました。
佑一郎は学校に行かず東京の叔父の家で書生をするそうです。
綾(高橋真彩)ははりきって学校に行きます。
竹雄(南出凌嘉)は仕事があるので学校に行きません。
自由平等の道は遠い。よくなったこともあるけれど、やっぱり不公平はなくならないのです。
小学校の勉強の内容は万太郎にとって魅力的ではなく、気が散った万太郎は、教室に貼ってあった植物の図に夢中になります。
その図を参考に庭で植物研究をして、大きな独り言を言い、先生に叱られます。
ドラマで独り言が多いと、不自然に感じることがありますが、こういう独り言だと、万太郎の特異なところの現れなのでおかしくないですね。
先生にとがめられると英語で反論。先生は英語を解せず、プライドを損なわれ激昂します。
「わからないものを見下して楽しいのか」と怒る先生ですが、彼もまた、万太郎は「神童」と噂されていたけれどかいかぶりだったとバカにしていたのです。合わせて、池田蘭光のことも知りもしないで軽んじていました。他人をバカにする者、自分に返ってくるのです。
この状況で思うのは、蘭光が、これからは”己”を追求していくことという話です。それを蘭光は、今週のサブタイトル(キンセイラン)の金色からとって、「金色の道」と言います。
心震えるものに一途にという考え方。
佑一郎はさっそく東京に出て書生の道を選びました。万太郎も小学校を中退しても構わないと開き直ります。勉学はどこでも続けられる、と。
どこの大学を出たからすごいという考え方ではなく、それぞれの得意な部分をいかに伸ばしたかが大事。こういうのはいいなと感じます。新たな時代の自由平等とそこに潜む問題点も無視してないところに信頼があります。なんでも一長一短で、すべてがうまくいくことなんてこの世界はなくてそれをいかに理解しながらよりよくしようと考えることが生きることなんですね。
万太郎は、春が何度も回ってきて、神木隆之介さんになりました。
寝転がって押し花を見ている万太郎が大人に……。押し花の紙がすこし劣化しています。
子役の小林さんはハキハキとマシーンのような正確さでしたが、神木さんの表情はいつもすごく微妙に動いていて、感情がうごめいているのを感じるのです。そこが神木さんの天才性であります。槙野万太郎がビビッドに物事に心を震わせて生きているんだと感じました。勉強!ではなくて、豊かに感情が動いているものに衝き動かされているのだと思えて、引きつけられます。
竹雄は志尊淳さんに交代。主人(万太郎)に忠実な感じは少年時代と変わっていません。
万太郎、竹雄コンビの活躍が楽しみです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
「らんまん」をU-NEXTで視聴する
–{第11回のレビュー}–
第11回のレビュー
第3週「ジョウロウホトトギス」、明治13年、神木隆之介さんが万太郎として登場しました。
成長してもマイペースと植物好きは変わらずで、年に一度の大事な蔵入りの行事に野山の散策をしていて遅刻してもけろっとしています。
いやむしろ植物オタク度は増しているようですが、幼馴染の堀田寛太(新名基浩)に植物友達がいないことを指摘されます。
心の友がいると主張しますが、それは小学校に貼ってあった植物図を製作した文部省博物局の人たち。会ったことのない人たちを「心の友」にして植物研究に励んできました。が、寛太の心無い言葉はーー
心の友ゆうがはおらんがとおんなじじゃ
(寛太)
辛辣ですね。「赤毛のアン」の立場は……(「赤毛のアン」の心の友は目の前にいましたが)
でも文部省のある東京に、万太郎が行くチャンスが訪れます。
「神木きゅん」と呼ばれ愛されてきた神木隆之介さん。子役時代から活躍して、
映画「桐島、部活やめるってよ」やドラマ「SPEC」シリーズなどヒット作にたくさん出演しています。
天才子役は大人になると苦労すると言われますが、安達祐実さんのように大人の壁を乗り越えてほしいと願います。
今がちょうど過渡期。少年、青年から大人になりかかっている時期だからこそ、少年から成長した万太郎にぴったりです。万太郎がやがて結婚して父になり、老けるところまで演じるとしたら、「らんまん」は神木さんの大人俳優への道ーー大人俳優として世の中に認知される代表作になるのではないでしょうか。
ともあれ、神木隆之介さんが天才少年俳優と言われていた所以をなっとくする登場回でありました。
見たことのない植物に出会って「わしを呼んでくれたのう」と恍惚とした表情や東京に行きたくて、タキ(松坂慶子)を弁舌さわやかに丸め込み、してやったりの表情など、白眉でした。止め画よりも動き続けていたほうが良さが出ますね。映像向き。
とりわけ、なにか企んでいるときの眼瞼のキレの鋭さ。頭が良さそうで、SPECのニノマエが代表作になるわけだとひとりごちました。
さて、成長したのは万太郎だけではありません。竹雄は志尊淳さんに、綾は佐久間由衣さんになりました。
志尊淳さんは野田秀樹さんの舞台「Q」でロミオとジュリエットのロミオ的な役(相手役は広瀬すずさん)を演じて海外公演も経験された実力派。はつらつとして清潔感にあふれ、万太郎を支える生真面目な人物を好演しています。
「半分、青い。」でもヒロインを支えるとてもいい友人役でした。
綾が幸吉(笠松将)とちょっといい雰囲気になっている様子を見たときの微妙な表情が気になります。なにかと報われない運命なのでしょうか。
幸吉は昔、綾が蔵に入ったとき落としたかんざしを拾った人物です。あの拾いもの、あのあとどうしたのでしょう。
綾を演じる佐久間由衣さんは「ひよっこ」でヒロインの幼馴染を演じていました。
志尊淳さん、佐久間由衣さんと、再び主人公を支える役を担います。キャラは違うけれどポジションが似ているのは新鮮味にはやや欠けるものの、朝ドラにまた帰ってきてくれたという嬉しさはあります。
ちなみに、寛太役の新名さんは「舞いあがれ!」の空先輩を演じていました。まったく印象の違う人物を演じています。間を空けず続けて出演する俳優は珍しい。
【朝ドラ辞典2.0 朝ドラファミリー(あさどらふぁみりー)】朝ドラに2度以上出ると、朝ドラ常連、朝ドラファミリー、劇団朝ドラ劇団員のような認識となる。
–{第12回のレビュー}–
第12回のレビュー
町一番の秀才だからと、小学校の校長先生に教師にならないかと打診された万太郎(神木隆之介)ですが、東京に心の友に会いに(会いに会いに♪と歌う主題歌が思い浮かびます)行くから忙しいとあっさり断ります。
峰屋の人たちは、当主は頭がいいももの、昼行灯のようであることをひどく心配していたので、学校の先生になってくれることを願いましたが、万太郎の態度にがっかり。
万太郎はいちいち、周囲の期待に応えない人のようです。それだけ規格外なのでしょう。咲く場所が違うっていうやつですね。
峰屋の酒・峰乃月を東京の博覧会に出すことになり、万太郎はそれに乗っかって東京に行こうと目論んでいます。酒の仕事を何もしてないにもかかわらず東京にだけは行こうとするちゃっかりさんです。
綾(佐久間由衣)は綾で、縁談がありましたが、博覧会に酒を出品することを考えたら見合いをしている場合ではないとやっぱり断ってしまいます。そして、なんと新しい酒を開発します。
幸吉(笠松将)に手伝ってもらって作ったものの、タキ(松坂慶子)に相手にされません。ものすごい剣幕で叱られました。
しゅんとなったものの、いいこともあって。
綾は幸吉と酒作りを一緒に行ったことで心が通いあっていきます。
幸吉は昔拾った綾のかんざしを大切に持っていました。これをいいふうに感じる場合と気持ち悪いと感じる場合があり、要注意と思いますが、綾と幸吉の場合は信頼関係がすでに構築されてきていたため、いい結果になったようです。
でも綾と幸吉の関わりを竹雄(志尊淳)が切ないまばざしで見ています。
竹雄は心のうちにあるものを押し込めているようです。
万太郎はお気楽で、植物を細かく観察しますが、人間の心には疎い。その部分は、綾と竹雄が担っています。
万太郎は周囲の人の無理解に負けず自分の好きなことをやっています。
綾は女性は「片付いた」(結婚する意味)ほうがいいと思いながらそれができない。「自分のことばっかり。醜いよ」と謙虚です。万太郎にはない感覚を綾は持っています。
竹雄はふたりの話しを聞くだけで、自分のことは言いません。その代わり、綾の背中を見ながら、はあと息を手で塞ぎ、笑顔を作って追いかけたり、水垢離をはじめたりしています。
自由奔放な万太郎
自由は自分勝手だと思いこむ綾
自由以前の竹雄
三者三様です
みんなそれぞれ悩んでいますが、竹雄は、使用人として、綾や万太郎のお世話をする仕事をしているので、自分の思いを誰かに言うことすらはばかられ、いつも笑顔で理解力のある人物でいないといけない。それがだんだん辛くなっていく竹雄を応援したくなります。
「暑いがです」と無心に水垢離する竹雄。なぜカラダがこんなに火照るのか、はっきり言葉にできないもどかしさ。
ただ、いざ、万太郎と東京に行くことになると、竹雄も楽しそうで、ちょっとホッとしました。万太郎と竹雄の珍道中を見たい。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第13回のレビュー}–
第13回のレビュー
東京・上野にやって来た万太郎(神木隆之介)。お供は竹雄(志尊淳)。
明治時代、高知から東京へどうやって行くか、地図で説明がされました。朝ドラでは道順が曖昧にぼかされることもあるのですが(ワープと呼ばれる)、ときにはちゃんと説明されることもあります。「あまちゃん」や「ひよっこ」などは行き方を説明し距離感を演出していました。「らんまん」でもちゃんと説明されます。これは植物学という学問を扱う作品だからでしょうか。植物学にしても、お酒づくりにしても科学的根拠に基づくものですから。いろんな点でリアリティーを感じさせる描写があることは良いことと思います。
博覧館会場を大いに楽しむ万太郎ですが、品評会でお酒をすすめられ、断りきれずに飲みますが、酔ってふらふらになり、当主なのに下戸と驚かれます。竹雄が代わることもできず。たぶん、綾(佐久間由衣)が来ても女だからと相手にされないのでしょう。
酔いつぶれた万太郎は、本家も分家もみんなお酒が強いのに自分だけ下戸で、カラダも丈夫ではないことを意外と気に病んでいたことを竹雄に吐露します。下戸下戸とカエルだと卑下する万太郎はすこし寂しそう。そしてその悲しみを植物を見て「きれいじゃのう」と癒やします。しょんぼりしたとき草木に癒やされることってありますよね。
モデルの牧野富太郎がどうだったかはわかりませんが、万太郎の場合、疎外感を植物によって補完しているように感じます。もちろん、植物愛が大きいですが、ふつうに健康でお酒に強かったら植物愛に目覚めることもなかったのかもしれません。
「この世にひとつとして同じものがない」植物に自分を重ね、誰にも似ていない自分に疎外感を覚えることなんてないと鼓舞するのです。
竹雄が水をとりにいっている間に榎にのぼり(朝ドラ名物:木にのぼる。神木きゅんがヒロイン)、愛でていると、大騒ぎに。人々が心配して集まってきます。そのなかに、寿恵子(浜辺美波)がいて、彼女が心配して降りるように言ったことで万太郎は落下して……。
寿恵子は母・まつ(牧瀬里穂)と菓子屋・白梅屋を営んでいる設定。ルッキズムになるので使用は憚られますが、やっぱり美人母娘と呼びたい。姉妹にも見えてしまうほどで、お店は繁盛しそうです。
そして、万太郎も寿恵子に心を射抜かれます。竹雄の気持ちを一瞬にして理解した瞬間。恋には理屈はいりません。誰にもリアリティーがないと批判はできない数少ない領域なのです。
そして、がぜん、ファンタジーの世界になります。「カエルの王子様」というファンタジーに。
寿恵子「あなたどなたですか?」
万太郎「カエルじゃ……」
寿恵子「お大事になさいましね。カエル様」
まつ「カエルの国のお殿様……」
【朝ドラ辞典2.0 ワープ(わーぷ)】時間や空間の概念を理屈を超えてすっ飛ばすこと。反対語:リアリティー【朝ドラ辞典2.0 登る(のぼる)】朝ドラヒロインは序盤、木や屋根に登ることがよくある。これは人物が規格外であることの表現のひとつと思われる。類語:水に落ちる
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第14回のレビュー}–
第14回のレビュー
万太郎(神木隆之介)は東京行き最大の目標・博物館を訪れます。
「心の友」と考えている博物図を書いた人に会いたい一心で、興味のない酒の品評会に出て飲めない酒を飲んで酔っ払って……と醜態をさらしましたが、ついに憧れの場所へーー。
中ではたくさんの人(男性ばかり)が植物標本を作成しています。
すると、髪ぼっさぼさで身なりに構わない先生(田辺誠一)が仮眠から目覚めてきました。
風変わりな人物にもひるまず、万太郎が植物に関する質問をすると、先生はどんどん話してくれて、顕微鏡で植物の構造を拡大して見せてくれ、「植物分類学」という学問があることを万太郎は知ります。
日本ではまだ植物の名前をつけた人はいません。万太郎はこのことにもときめきを覚えているように感じます。英語で論文を書いて名前が世界的に認められば可能であるということで、万太郎は語学力も高いですから、可能性がありますね。
先生「この植物をみつけて発見した人が永久に残される」
万太郎「永久に」
「永久」はこのドラマではキーになっているようにも思います。万太郎も絵を書くことで植物が枯れても残そうとしていました。先生と万太郎の気持ちは似ています。
いろいろ話しているうちに、この先生が、「心の友」と万太郎が思っていた野田基善であることがわかりました。
感動したのは万太郎だけではありません。野田も自分がはじめて手掛けた図に刺激を受けた少年がいることに「こんなにうれしいことはない」と感涙し、ふたりはひしと抱き合います。
「友よ!」「友じゃ!」
満たされる万太郎の姿にとてもわくわくし感動する場面ですが、それを寂しそうな目で見ている人物が……。
竹雄(志尊淳)です。お留守番の犬のようです。懸命にお仕えしている万太郎が遠くへ行ってしまう気がするのでしょう。
万太郎は、竹雄が好きなものでも食べようと言うけれど、第13回ではカルメ焼きをひとりで食べているなど、植物には公平な心を持っているわりに、主従関係を当たり前に感じて行動していますから。
草のことは「遊び」だと言ってくださいと懇願する竹雄はまるで、浮気ならいいけど本気にならないでという本妻のようにも見えました。
竹雄のことはほったらかしだし、里中芳生(いとうせいこう)とは「心の友〜」と喜ばないし抱き合わない万太郎。どうやら、龍馬(ディーン・フジオカ)、蘭光(寺脇康文)、野田とちょっとワイルドな(髪がボサボサなだけともいう)イケオジが好みなのではないでしょうか。自分が体の弱いお坊ちゃんなので憧れるのかも。
龍馬、蘭光、野田。万太郎が慕う3人は見た目や振る舞いがなんとなく似ていますが、登場パターンも同じです。突如目の前に現れ万太郎を勢いよく巻き込み、あとから誰かわかる(龍馬は天狗のままで、龍馬であることはわからないままですが)。
植物で言うと、同じ種類(科)でも属で細分化されるという感じでしょうか。例えばーー
国際科 政治属(革命部門) 龍馬
国際科 学問属(教育部門) 蘭光
国際科 学問属(植物部門) 野田
こんな感じ?
今までの日本は攘夷で騒いでいたから植物学を勉強する余裕がなかったと野田。龍馬→蘭光→野田 が思いを引き継いでいるようです。龍馬と蘭光は野性味が強く、野田はやや文化系のソフトなバンカラという印象で、時代の変化による人類の進化の過程という感じもします。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第15回のレビュー}–
第15回のレビュー
東京での博覧会の最終日。これで東京ともお別れです。万太郎(神木隆之介)は最終日を満喫し、あれこれ買い物しまくります。
博物館で見た顕微鏡を買おうとして、高価過ぎると竹雄(志尊淳)を困らせます。いくらなんでしょうね。
今回買えなかったものはまた来たらいいとお気楽な万太郎に、東京はそんなに気軽に来られる場所ではないと竹雄がたしなめます。高知から東京に来ることがいかに大変かは、事前に、高知から東京の行き方を説明されたので、実感をもって見ることができます。
万太郎に対していらいらが募っていく竹雄。ふたりは気まずくなりますが、美味な牛鍋を食べたら自然に笑顔になり仲直り。そのうえ、牛鍋屋の客が峰屋の酒がいいと言うものだからもう上機嫌に。
万太郎は店の客にも大盤振る舞いします。どんだけ金持ちなのでしょうか。竹雄が、昔から大店の旦那はお金を使いまくるものと教えられていたというだけあります。
ですが、竹雄的には、使用人は、当主がどんなに遊んでも、経営をしっかりして、従業員を食べさせているからついていくのであって、店を第一に考えていない万太郎にその価値を見いだせず困るのです。
人ではなく店のために働くという割り切った考え方でやってきた竹雄でしたが、いつしか万太郎個人への思いが強くなっていくことに戸惑っていました。
万太郎が東京や植物への思いを強くするということは、峰屋から離れていくことで、そうすると万太郎と竹雄の関係は続かないだろうと想像して苦しいのでしょう。
万太郎を責めるとき、はきはきとセリフを発する志尊さん。セリフの意味がはっきり伝わってきますが、ときどき音が淡くなって、心の柔らかい部分をにじませます。やっぱり音を大事にする演劇人・野田秀樹さんの舞台を経験したひとは違うなあと思う箇所です。志尊さんは、長田育恵さんの書く、徹底的に突き詰めたところから生まれる情感を音楽のように奏でます。
万太郎が好きな竹雄は、綾(佐久間由衣)も好き。お土産に好きなものを買っていいと万太郎に言われ、気になったのは、綾に似合いそうな櫛でした。万太郎は寿恵子(浜辺美波)と植物に夢中で、綾は幸吉(笠松将)といい感じになっていて、と竹雄は報われなそうですが、彼にもなにかいいことが起こりますように。
さて、万太郎は、東京を発つ前に、もう一度寿恵子に会いたいと思いますが、屋台がみつかりませんでした。縁がなかったかと思ったら、その晩、屋台がもう一度出ていました。
かる焼きをもう一度買う万太郎。
買えてよかった(買える)
くにへ帰る
カエル
と言葉遊びが心地よいです。
でもなぜ、かる焼きを独り占めして竹雄には買ってあげないのでしょうか。ふたつ買って、一個を竹雄にはい、と手渡すだけでいいのに、なぜ。
東京での万太郎と竹雄の珍道中は酒と植物と恋とが混じり合った充実した話なのに、帰りがけに木の幹に触って挨拶するところまで完璧なのに、かる焼き部分の足りなさだけじりじりとなります。もしかしてこれは、わざと穴を作って忘れられなくさせる作劇術なのかもしれません。完璧過ぎると満足してそれで終わってしまいますから。
【朝ドラ辞典2.0 ツッコミ(つっこみ)】見てる側があれ?と思ったり、ツッコんだり、議論できる隙間を作ることで、視聴者の能動性を刺激する手法はSNS時代に増加した。ツッコミ箇所が多すぎると視聴者のストレスになり、逆につっこまれそうな部分を徹底的につぶしていくというやり方もあるが、これまたやりすぎると理屈ぽく堅苦しく、あるいは思考停止を生むため、なにごとも適度な塩梅が肝要である。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第16回のレビュー}–
第16回のレビュー
第4週「ササユリ」では自由民権運動の政治結社である声明社リーダー・早川逸馬役で宮野真守さんが登場しました。
「自由は土佐の山間より発したり」
(逸馬)
東京から帰ってきた万太郎(神木隆之介)は逸馬の演説に出くわします。
明治維新によって身分制度がなくなって武士も平民も平等になった今、民衆の自由を力強く説く逸馬。
となると、男女差だってなくなっていいはずと、ひとりの女性・楠野喜江(島崎和歌子)が盛り上がり、綾(佐久間由衣)にも声をかけます。
でも綾は演説に心惹かれながらもぐっと抑えこんでいるように見えます。
佐久間由衣さんには”目覚める”イメージが似合います。
以前、朝ドラ「ひよっこ」(17年度前期)で演じたヒロインみね子(有村架純)の幼馴染も、ミニスカートをはいて、女たちよ!とファッションの面で女性解放(ウーマンリブ)を呼びかけるリーダー的な存在になりました。朝ドラファンにはそのイメージがいまだにこびりついていて、それと重ねて、綾の”自由を求める女性”というイメージが強固になります。
同じような役を重ねることには一長一短があり、飽きられるマイナス面もあれば、同じイメージで確実に認知度や信頼度を増すプラス面もあるのです。今回の佐久間さんにはプラスでしょう。
このままだと行き遅れてしまうと心配される綾と比べ、万太郎は自由にやりたいことをやっているように見えていました。が、高知に戻ると、様子がおかしくなります。タキ(松坂慶子)に植物研究をやめて、峰屋の当主に専念すると言うのです。東京の凄さと植物研究の奥深さを目の当たりにして諦めたようなのですが、彼の心の裏側を竹雄(志尊淳)は慮ります。自分たち使用人のことも考えてほしいと言ったことが万太郎に影響を与えてしまったのではないかと。
勝手気ままなお坊ちゃんだった万太郎にも他者へも慈悲の心が芽生えたようですが、峰乃月の評判を牛鍋屋でたまたま聞いた「毎日飲んでも飽きない」という意見を、しれっとタキに伝えているところの要領の良さが万太郎のキャラを物語っているような気もしますが。そういえば、牛鍋屋の名前が「牛若」だったのは神木さんがかつて大河ドラマ「義経」で牛若丸を演じたことがあったからでしょう。
さて、自由民権運動です。明治時代は時代が大きく変わりそれまで抑圧されていた民衆の力が強くなっていきます。抑えられていた分、解き放たれた瞬間、勢いが出るものです。
島崎さん演じる楠野は「民権おばさん」と呼ばれている設定だそうです。すごいネーミングです。
島崎さんは高知出身で、広末涼子さんから高知代表をバトンタッチしたようですね。
そして、宮野真守さんです。自由を掲げた演説に迫力がありました。人気声優でライブや舞台でも活躍されているので大きな身振り口ぶりも慣れたもの。なにより宮野さんは明るくていい。
逸馬もまた、龍馬、蘭光の系譜にあるキャラのようで、長髪、おおらか、ワイルドです。これが高知の男のイメージの最大公約数なんでしょうか。わざと似た感じにしているように感じます。自由=型破り でこんなふうになるのかな。
高知は自由民権運動が盛んな独立心にあふれた気風があり、板垣退助の立志社が有名です。万太郎のモデル・牧野富太郎さん(4月24日生まれ)は自由党や公正社と関わっていたとか。
万太郎の植物へのまなざしが人間の自由と重ねられているように強く感じるのは、牧野富太郎が自由民権運動に関わっていたことが根拠になっているのでしょう。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第17回のレビュー}–
第17回のレビュー
万太郎(神木隆之介)が無理して植物研究を諦めたことを心配した竹雄(志尊淳)が、タキ(松坂慶子)に事情を話します。
万太郎がそれほど苦しんでいること、植物研究への思いの強さを思い知ったタキは大きな決断をします。
タキが万太郎の部屋を探るときのおもちゃのピアノみたいな劇伴がよかったです。
綾(佐久間由衣)と万太郎を結婚させようと言いだすタキに、ふたりとも呆然。
実は綾はタキの娘の子供で、万太郎とは従姉。コロリで綾の母が亡くなったため引き取り、育てていたと明かします。
タキにしてみれば、植物研究を諦めきれない万太郎と、酒づくりに興味のある綾が結婚すれば、峰屋を継ぎながら、お互い興味のあることをやっていける名案だったわけですが、これまで姉弟として育ってきたふたりには夫婦になるなんて考えられません。
「私らにも心がありますき」
(綾)
タイミングも悪く、綾は好きな人がいるし、万太郎も東京でときめきを知ったばかり。
「おまんらはいびつながじゃ」
(タキ)
いびつ、とはなかなかのパワーワードです。
祝言は夏に行うと有無を言わさず決めてしまうタキ。
感情が昂ぶって出て行ってしまう綾。
万太郎は、案外、しっかりしていて、タキを窘めます。
しっかり…というよりはすっかり諦めてしまったようで、
「どうせわしは当主じゃ」
(万太郎)
と捨て鉢になります。
神木隆之介さんが万太郎でよかったと思った場面です。
少年のような雰囲気もありながら、自分の宿命に縛られ、好きなことへの未練を捨てきれず、でも、祖母には丁寧に接し……と様々な事情と感情が波打ち際の波のようにうごめいている様子をみごとに表現しています。少年俳優ではできないし、ある程度大人になった俳優にも少年ぽさが出せないしで、神木さんだからできるのだと感じます。
さらに、そこに万太郎の天才性も見せないといけません。何か先が見えているような鋭い確かな眼差し。ただの植物バカの放蕩息子ではない、知性のある万太郎という人物がよくわかる場面でした。
万太郎は、竹雄の気持ちも慮り、今こそ綾に告白しろと言います。
でも、竹雄は綾の気持ちも知っているし、自分の立場(使用人)もわきまえているので、できるわけもありません。
万太郎、綾、竹雄、タキ 全員が自分の立場に苦しんでいます。タキは女性の立場が弱いことをもうずっと耐えてきた人物です。それが当たり前と思っていて変わることができないから若者にも強いてしまいますが、決して悪意ではないのです。
タキも、タキに万太郎の話をした竹雄も、みんなよかれと思って動いたことが、悲しい方向に転がっていくようで、何もしないで耐えていたら変わらない。こんなふうにアクションが起こることで変化が起こるのです。
心よりしきたりを大事にしてきた時代から、心を優先する時代へーー
令和の今も女性の立場が弱いとはいえ、明治以前と比べたらずいぶんマシになっているんですね。
100年後はもっと誰もが生きやすい世界になっていますように。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第18回のレビュー}–
第18回のレビュー
突如、自分が峰屋の実子ではないと教えられ、弟と思っていた万太郎(神木隆之介)と結婚しろと言われた綾(佐久間由衣)は、ショックで家を飛び出します。
向かった先は、ひそかに思いを寄せる幸吉(笠松将)のところ。が、彼には妻らしき人物がーー。
さらにショックを受けて綾は立ち去ります。
この妻らしき人が妹だったりはしないのでしょうか。妻だとしたら、幸吉はなぜ綾のかんざしをずっと持っていたのでしょうか。身分違いのお嬢様の高価そうなかんざしが彼にとっては宝物のように思えたのでしょうか。
綾を探す万太郎と竹雄(志尊淳)は、見当をつけて、沈下橋(増水時、川に沈むようにあえて設計された欄干のないフラットな橋で高知にはたくさんある)を渡り、高知に向かいます。
綾は演説を聞きに来ていました。
序盤からずっと万太郎が、植物とはひとつたりとも同じではないこと、日陰でも力強く咲く生命力があることになどに着目してきたことが、ここで花開きます。
早川逸馬(宮野真守)が、民衆を草にたとえ、役立たずの象徴のように言うと、思わず「違う」と物申し、その気はなかったけれど聴衆の面前に立たされ、逸馬に反論することに。
万太郎の主張は草は無力ではない、それぞれが生きる力を持っている。
勘の良い逸馬はそれを聞いて、「天賦人権」「生存の権利」「同志の団結」と置き換えていきます。
ここの脚本、見事過ぎて惚れ惚れしました。
植物の魅力と民衆の力が重なり合い、自由、を求める気運はさらに高まります。
万太郎「時が来たら」
逸馬「それはいつじゃ」
「今じゃ!」(←民権ばあさんこと楠野喜江〈島崎和歌子〉)
たくさんの人に呼びかけるには、声がはっきり、言葉がしっかり聞き取れることが大事。声優である宮野さんの言葉はしっかり伝わってきます。
声優といえば、神木さんも声優をやっていますから、彼の言葉もよく耳に、心に、入ってきます。
宮野、神木のダブル演説は最強です。
「神回」という言葉が一時期流行りましたが(朝ドラ辞典参照)、朝ドラにおける神回判定は、例えば、まだ寝ながらテレビをつけていて、あるシーンでパチっと目が覚めるようなとき。万太郎の植物愛と逸馬の唱える自由民権運動の演説が重なり合う第18回はまさにそれでした。
言葉は思いを伝えるもの。この回で忘れてはいけないのは、この自由民権運動が
「運動は若者を中心に加熱していきました」とナレーション(宮崎あおい)が語ることです。明治時代は若者が立ち上がっていた。令和の今も若者よ立ち上がり声を出せ。朝ドラを若者がどれだけ見ているか定かではありませんが、この切実なる思い、伝われーーと思います。
民衆の力を農家の桶洗の歌(酒造りの歌と同質のものですね)や自由の数え歌などで表現しているのも。NHKってこういう社会運動系のドラマを作ると、しっくりハマる。これはもう伝統なのでしょう。
ただそういうゴリゴリしたことだけで終わらせず、喜江が、綾と万太郎を「仲のえいきょうだいやのう」と言ったときの万太郎と綾と竹雄の反応を映し、運動の根っこにあるのは、極めてパーソナルな問題であることも描いていることが良いところだと感じます。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第19回のレビュー}–
第19回のレビュー
綾(佐久間由衣)を追って、高知に来た万太郎(神木隆之介)と竹雄(志尊淳)。万太郎は、綾を竹雄に任せ、自身は早川逸馬(宮野真守)の声明社を訪ねます。
なかなか気が利く万太郎。綾と竹雄をふたりきりにして、竹雄に告白させようと考えたのです。
でも竹雄は綾に「お慕い」とまで言いかけて言葉を飲み込み「尊敬」しています、と言い直します。綾は彼の気持ちに気づくことはできず、よくできた奉公人だと褒めます。竹雄はその「奉公人」であろうと努力に努力を重ねているから当然です。このすれ違いが切ない。
でも綾に誘われて(手をつながれる!)、盆踊りを一緒に踊るとき、ほんの少し気持ちが解放されているように見えました。綾自身も踊っているときは、幸吉(笠松将)へのショックも、峰屋において女であることの絶望も、忘れることができたのではないでしょうか。
ここで綾がすてきなのは、彼女の苦しみは、幸吉に失恋したことよりも、自分が強欲だったと反省していることなのです。幸吉に家庭があったのに酒を作るために振り回してしまったと、悔いるのです。それは、彼女が使用人たちを使う上の立場にいることの自覚です。女であることで差別される綾も、身分の上下で下の者に何かを強いていることに気づくのです。
その頃、万太郎も「暢気」は「傲慢」と逸馬に言われています。お坊ちゃんで
世間を知らないことを彼も自覚します。が、お坊ちゃんはお坊ちゃんで悩みもあるのです。
どんな立場にいる人も悩む。どんな立場にある人も「自由」に生き、他者の「自由」も認めることこそ、ほんとうの「自由」です。
声明社の人たちと触れ合って万太郎はこれが「自由」かと感じますが、逸馬はほんとうの「自由」とはもっと広いものだと教えます。そして、万太郎を連れていったのは、高知で最も有名な人物の家ーージョン万次郎こと中濱万次郎(宇崎竜童)の家でした。
ツイッタートレンドに「ジョン万次郎」があがっていました。やっぱり偉人のインパクトは大きい。
ジョン万次郎は高知出身で江戸時代、渡米した人物です。日本に戻って、江戸で幕府直参になり、通訳や翻訳などをして、日米修好通商条約の批准書交換のためにアメリカへ行く使節団を乗せた「咸臨丸」にも通訳、技術指導員として同乗しています。
貧しい少年がたまたまアメリカに行って、波乱万丈の人生を送り、外の広い世界を見聞した人物はたくさんの人に尊敬されました。
大河ドラマには何度もジョン万次郎が登場していますが、朝ドラでははじめて。
万太郎のモデルは牧野富太郎、坂本龍馬も出てきたし、「らんまん」では昔の男性偉人を次々描いて、かなり大河ドラマ化しています。
牧野、坂本、私塾を経営した池田蘭光、自由民権運動に燃える逸馬と高知の人たちは皆、先進的でかっこよく見えます。
高知の人たちは「らんまん」を見て嬉しいんじゃないでしょうか。
その土地の風光明媚な自然をたくさん映すのも見ていて良いですが、その土地で生きた人たちを魅力的に描くことも地域を描くドラマの役割です。自然はきれいだし、観光したくなりますが、きれいだなーと見て帰るだけで終わってしまいがち。その点、人に魅力があれば、その人の生き方を参考にできる。
目下、人民のことを考えているドラマだからこそ、熱く生きた人をしっかり描く。とてもしっかりした芯を感じるドラマです。これは明治が舞台だからできるわけで、令和を舞台にしたら、この熱さは出せないでしょう。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第20回のレビュー}–
第20回のレビュー
万太郎(神木隆之介)と万次郎(宇崎竜童)。
名前が似ていて、文字にするとこんがらがります。うっかり入れ替わったらすみません。
万太郎は、中濱万次郎ことジョン万次郎の著書を子供のときに読んでいて、実物に会えたことに感激します。
万次郎さん、かなりレジェンドのようです。
事実、現実世界でもレジェンドなので、万太郎は、本で読んだ万次郎伝説を一通り、視聴者に向けて説明してくれているかのように語ります。逸馬(宮野真守)も説明を引き継ぎます。
日本が鎖国していた時代に渡米した万次郎は、帰国してからは通訳などで活躍しますが、アメリカのスパイと疑われることもあったことから、彼にとって「自由」とはアメリカに行っていた時代のもので、日本に帰ってこないほうがよかったと、苦しみ、気鬱の病にもかかっていました。
万太郎の目に映った万次郎は、冒険者として輝いている人ではなく、過去を懐かしむ隠居した人物。自分だけができることがありながら、それをしなかったことを悔いている彼を見て、万太郎は、悔いのない生き方をしようと思ったようです。
万次郎からシーボルトの植物図鑑をもらった万太郎は、そこに1ポーズしか書かれていなかったことから、同じ植物でもその四季折々の姿を記録しないと完璧ではないと感じ、日本の植物の完璧な記録を残せるのは自分しかいないと確信をもつ。
「今、やらんといかんがです」とはりきる万太郎。彼がどこか突出した人物であることは、これら一連の彼の言動からわかります。
過剰に万次郎やシーボルトを崇めることもなく、客観性をもって接していますし、結局、自分の植物愛に寄っていって、自分がやる意義を見出していくのです。
第19回で、竹雄(志尊淳)が、綾(佐久間由衣)に「欲は前に向かうための力」だと言いましたが、万太郎はまさに欲望をエンジンにして前進しようとしています。
ラストカットの万太郎のきっと前を見据える強いまなざしが印象的でした。
神木くん、小柄で一見あどけないけど、骨太感あります。
「あさイチ」にゲストで出た、逸馬役の宮野真守さんが、神木さんが撮影中、間違えても止めないで自分で編集点を作って、カットがかかるまでは続けているエピソードや、本番中、バミリが見きれないように動いて隠そうとしたエピソードを話していましたが、現場に慣れた人はこのように実務的能力に優れているのです。
演技力より現場対応力。
さて、竹雄ですが、綾に櫛を渡そうとしますが、タイミングを失って、結局渡すことができません。綾は自分が強欲で他者のことを考えてないことを反省したり、たまたま目撃したおばあさんと孫を見て、タキ(松坂慶子)を思い出し(この、仲のいいおばあさんと孫を見ることをひとつ描くところがいいのです)、祖母の言う通りにしようと諦めたりするわりに、竹雄の心情に耳を傾けることができません。勝手に自己完結して竹雄に自由になれと話をまとめてしまいます。竹雄にとっての「自由」は綾との身分の壁を超えることなのに。
「ふたり(綾と万太郎)のそばにおりたい」
「たとえ離れても一生お守りすると誓います」と渾身の言葉をかけますが……。
「そして行くがじゃ」と決意をした万太郎。どこにも行けない竹雄。
竹雄も前進してほしい。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
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–{第21回のレビュー}–
第21回のレビュー
第5週「キツネノカミソリ」(演出:津田温子)は急展開。
高知で自分と向き合った万太郎(神木隆之介)と綾(佐久間由衣)は自分たちの思う道を進もうと誓います。それはタキ(松坂慶子)が決めた結婚はしないということ。
諦めたら
「わしのいのちがついえてしまう」
(万太郎)
と言うほど真剣な万太郎。諦めたら試合終了なのです。
ここまで強く決意したわけは「もうひとりのわしに会うて来たがじゃ」。
もうひとりの万太郎とは、名前が似ているジョン万次郎(宇崎竜童)でしょうか。「万」の名前がついていることはそうなのかなと。広い自由を求めて世界に出ていった人物みたいに万太郎もなりたいのかも。この場合の自由とは「知る」「学ぶ」自由でしょうか。
「お互い今日選んだ道を悔やまんこと」
と指切りするふたりを見守る竹雄(志尊淳)は、
「おふたりは前だけ向いちょってください。後ろはわしがおりますき」(竹雄)
と言います。健気です。
ところが、竹雄がついていながら大変なことが……。
高知を去る日に、もう一度、逸馬(宮野真守)の演説を聞きに行くと警察が来て、万太郎まで捕まってしまいました。
どうしようと逆上する竹雄と綾。
責任を感じた竹雄は綾を置いて走り出します。たぶん、峰屋に戻ろうとしているのだと思いますが、そういえば、どうやって佐川村から高知に来たのでしょう。列車? 徒歩?
綾をひとり置いていって、綾に何かあったらどうするのでしょうか。この時代、物騒だと思うんですが……。
さて。朝ドラで逮捕といえば「まんぷく」(18年度後期)です。萬平(長谷川博己)は3度も投獄されています。ほのぼの朝ドラの世界に逮捕という重たいものがのしかかり異彩を放ちました。
朝ドラでは意外と逮捕のエピソードがあるのです。
でも、希望はあります。
逮捕される前に、万太郎が演説で語った、植物の話。踏まれたときこそ「変化の機会」で、踏まれて強くなったり、種を遠くに運ぶことができたりするのです。
万太郎が連行されていくとき、草を踏んでいくカットが挿入されていました。これが万太郎の転機という意味を感じます。
そして牢屋の窓に葉っぱがのぞいていて、万太郎を勇気づけます。
ノベライズを読むと、通気孔から蔓が顔を出しているという描写でしたので、窓ではなく通気孔なのかも。そうでないと、こんなところからでも植物がーーという驚きが薄まりますよね。
いずれにしても、どんな場所にも植物は生える。そのたくましさを見倣いたいということです。
つらいときこそ変化のチャンスと聞いて逸馬が、わしらも新政府になっても生き抜いてきたと、民衆に語りかけます。
前作「舞いあがれ!」には向かい風があってこそ凧は飛ぶというメッセージがありました。つらいことには意味があると言い聞かせるパターンが続くのは、日本がいろいろあってつらい時期だからかなと想像します。みんなで乗り越えていこうという気持ちの現れではないでしょうか。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第22回のレビュー}–
第22回のレビュー
万太郎(神木隆之介)と逸馬(宮野真守)があまりに生き生きしていて、彼らの自由を求める運動を夢中になって視聴していましたが、これは政府打倒の運動であることを思い知らされました。
万太郎と逸馬は警官に捕まって牢屋に入れられます。
万太郎が峰屋の当主と聞いて、警察は、結社の活動資金を出していたと疑います。危うく、酷い目に合わされそうになりますが、逸馬が、万太郎は仲間ではないとかばいます。
逸馬が彼を巻き込んだのだから、責任とるのは当たり前だけれど、それにしても漢です。
万太郎と逸馬がアイコンタクトして離れていく場面がピアノの哀調と重なって切ない。
逸馬に助けられた万太郎のやりきれない表情が印象的でした。体力なさそうだし、警察の激しい取り調べには耐えられないでしょう。たぶん、自分のふがいなさと、理想の実践がいかに大変か、痛感していると思います。
この回、万太郎は、「世間知らず」とか「ぼんくら」とか散々な言われようです。
その頃、竹雄(志尊淳)は、走って走って、峰屋にたどりつきます。万太郎が捕まったと聞いてタキは竹雄と共に、高知に向かいます。いったいどれくらいの距離なのか。ググってみましたら現在の佐川町から高知市まで歩いて5時間32分(26.7キロ)でした。今と明治時代では舗装事情の違いがあれど、歩けない距離ではなさそうです。ただ、ご高齢のタキがこの距離を急いで歩くことはできるのかと心配になりますが、江戸生まれだし、足腰、丈夫なのかも。交通機関があまりなかった昔の人は今より歩く力がありそうですから。
タキは警察署長と昔馴染みで、話をつけようとします。これ、神木隆之介さんが主人公の声をやっていた『サマーウォーズ』の人脈すごかったおばあちゃんを思い出しました。
結局、人脈を活かす前に、逸馬のおかげで釈放されてしまったわけですが、警官にずけずけ物申せるのは、署長と知り合いという後ろ盾があるからこそ。
「許さんぞね」と高知弁で一刀両断するところはかっこよかった。
反政府運動、それが理不尽に弾圧される状況を描き、権力をかさにきて横暴なことを言う者にぴしゃり。なかなか痛快でありました。
「何かを選ぶことは何かを捨てることじゃ」
と中途半端に政治にかかわるなと万太郎を諭すタキですが、それがきっと孫の植物愛をいっそう強くすることになると思うと、なかなか皮肉ですね。
この回で印象的なのは、男女平等でない世の中は、女性は運動に賛成しても大目に見られる事実。喜江(島崎和歌子)はそれを悔しく思いながら、「なかのひとらはあてが支える」と差し入れするなどできる限りのことをするしかない。そこを省かず描いているところに誠実さを感じます。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第23回のレビュー}–
第23回のレビュー
反政府運動と国家権力との騒動に巻き込まれた万太郎(神木隆之介)。迎えに来たタキ(松坂慶子)たちと村に帰る途中、彼岸花に似た花を見つけます。
なんていう名前だろう?と思うと、タキが「キツネノカミソリ」と呼ぶと教えてくれました。
年の功で、昔から伝わっている花の名前を知っていることが彼の知識欲を刺激します。
「わし おばあちゃんともっともっと話よったらよかった」と後悔する万太郎。調子いいやつという感じですけども。あとあとになって身近な人の意外な一面を知ることはあるものです。
キツネノカミソリを掘り起こして大切に持ち帰る万太郎。
出てくる植物がほぼすべて造花らしいのですが、このドラマの功労者はこの植物を作っている人達でしょう。若干みずみずしさがないのが惜しいですけども。
逸馬の着物の色を思わせる緋色のキツネノカミソリに逸馬(宮野真守)を思う綾(佐久間由衣)の心が染みました。もう出てこないのでしょうか逸馬は。回想シーンを入れずに花だけだったのが上品です。劇伴のピアノも上品です。弦楽器は情を煽りますが鍵盤には理性があります。
峰屋に戻ると、タキがものすごく疲れて見えて(そりゃそうです、5時間以上歩いているはずなので)、万太郎は労おうと手ずから山椒餅を作ることに。
できたのはやたら大きな山椒餅。大きいのを頬張りたいという子供の時の希望をかなえたのです。おばあちゃんのために作ったのかと思ったら、結局、自分の気持ち優先で、おばあちゃんが食べにくい大きさにするところが万太郎らしい。老人が餅を喉に詰まらせたらどうするのか。
タキが懐紙で隠しながら食べるところが上品です。昔ながらの所作っていいものですね。
タキが山椒餅を食べ終わると、綾と結婚できないと自分の気持ちを語り、勘当してくれ、と頼みます。
「生まれてこんほうがよかった」と言ってタキを悲しませますが……。
「わがままなのは構わん けんど人の思いを踏みにじるのはいかん」
(綾)
綾はほんとうによくできた人。養子だから心配性というわけでなく、生い立ちを知らないで育ったにもかかわらず、他者への気遣いがある。甘やかされた万太郎とはえらい違いです。
ただ、そう言って一旦がっかりさせておいて、いまはそうじゃないと説明するのです。
「とびっきりの才があるがよ」
「好きいう才が」
「生まれてこんほうがよかった」と落胆していた少年が、タキや店の者たちに大切に育まれたおかげで、自分の特性を伸ばすことができた。
異端な者には周囲の理解と慈しむ心が大事であるということを万太郎は認識できたのです。それは高知で逸馬たち、恵まれない者たちが自由を獲得しようと声をあげている姿を、それが権力に踏みにじられる姿を、目の当たりにしたからでしょう。そんなとき自分は優遇されていることを自覚したのでしょう。
大切に育てられた異端の者の、いよいよ旅立ちの時が近づいているようです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第24回のレビュー}–
第24回のレビュー
万太郎(神木隆之介)の旅立ちは、ずいぶん尺を使って、丁寧に描かれています。
万太郎とタキ(松坂慶子)の会話を視ていると、もともとは家を守るということが優先順位だった制度ではありますが、タキにとっては、子供の人生の安定を守ることでもあったように感じます。峰屋は裕福なので、それを継げば、万太郎は安泰ですから。
何も好き好んで、どうなるかわからない世界に子供が向かうことが心配でもあるのでしょう。
タキは綾(佐久間由衣)のことを養子にして、彼女のためそれを秘密にしてきたくらいですから優しい人なのです。
「呼ばれちゅうがよ」と家を離れていく万太郎に「おまんを許さんぞね」と言いながら泣いているタキ。
万太郎が「おばあちゃん おばあちゃん」とタキに抱きつくときの神木さんの声と表情は迫真でした。松坂慶子さんは強さと可愛さを持っていて、男性女性、関係ない時代とはいえ、女性の良さを最大限に活かしながら、女性は決して弱いものではない、というところを体現しています。
二人の話を聞いていた綾は、母(広末涼子)の残した花の絵(万太郎が描いたもの)を出して抱きしめます。
好きなことをやることの願いの象徴のような、花の絵を抱く綾の横顔と、泣く万太郎の横顔、ふたりの横顔に心情が満ちています。
竹雄(志尊淳)にも変化が。植物の変化に気づけるようになり、万太郎に対してもやや積極的になりました。
そして秋になって、酒造りの職人がやって来る日。綾が万太郎の代わりに当主になる発表が行われます。初回から、この日が酒蔵によっていかに大切な日かずっと描かれてきましたから、視てるほうも、背筋が伸びる気持ちです。
そこで綾は毅然と自分の意見を述べます。
「未来永劫『女は穢れちゅう』と言われ続けるがか」と問いかける綾の真摯さに皆、心打たれます。とくに、女性の使用人たちがぐっと来ている表情をしていましたし、真っ先に賛同の声をあげたのも女性たちでした。
それから、長年尽くしてきた市蔵(小松利昌)も賛同します。女性や使用人たちが綾の言葉に共鳴しているところにリアリティを感じます。綾が高知の自由民権運動に、そこに女性も参加していたことに触れた成果でしょう。
佐久間由衣さんは「ひよっこ」(17年度前期)のときも「日本中のいや世界中の女の子たち女性たち いろいろ大変だよね 女として生きていくのは
でもでも 女の子未来は私に任せて みんな私についてきて」というセリフを託されていました(第141回)。
「ひよっこ」は昭和の高度成長期。明治から何年も経っているけど、女性の立場は相変わらず弱いのですが、綾のような人もいたから、「ひよっこ」の時子のような人も出てきた。一歩踏み出さないと変わらないのだということを感じますし、朝ドラは繰り返し辛抱強く諦めず、語り続けているのです。
万太郎と綾の決断に不満を漏らす者もいます。でも、万太郎は
「道がのうても進むがじゃ」
「わしらが道をつくりますき」
(万太郎)
とすっかりたのもしい。黒い紋付きを着た姿もきりっとしていました。
幸吉(笠松将)が今年から所帯持ちになったと紹介されます。綾が目撃したときは新婚ほやほやだったようで。もうちょっと綾が先に積極的になっていればうまくいったかもしれないけれど、運命のいたずらです。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第25回のレビュー}–
第25回のレビュー
万太郎(神木隆之介)と綾(佐久間由衣)の件が一件落着し、残るは竹雄(志尊淳)。
万太郎にいきなり「今までありがとう」「お別れじゃのう」「わしのお守りはお役ごめんとなる」と切り出された竹雄は、動揺します。
万太郎としては、綾のことを想う竹雄のためを考えてのことではあったでしょうけれど、竹雄が引き下がらず、万太郎が東京でひとりでは何もできないと水を差すものだから、ついには「クビ」とまで。
ショックで竹雄はひとりごとをブツブツ……
綾を手伝おうとすると手伝わせてもらえず、父・市蔵(小松利昌)も番頭の仕事を息子に引き継ぐ気はなさそう。
困った竹雄はタケ(松坂慶子)に相談します。が、自分で決めていいと言われ、逆に困ってしまいます。
水垢離しながら、またひとりごと。
「わし…何もないのう…」と焦りは募るばかり。
万太郎と綾はやりたいことを見つけたけれど、竹雄は自分が何をしたいのかわりません。取り残された寂しさもあるでしょう。
竹雄は、綾にもう一度ちゃんと向き合います。
渡しそびれた櫛も渡せました。
「わしはなんちゃあもっちょりませんけんど 2つだけ子供の頃から持ち続けてきた大切なものがありました」と綾に言う竹雄。そのひとつが綾への思い。そして、もう一つはーーと綾が聞くと、カットが切り替わり、映ったのは万太郎の横顔でした。
バイカオウレンの花に埋もれた万太郎。花と天狗(ディーン・フジオカ)と出会った木に「行ってくるき」と挨拶。万感の思いが伝わってきます。
津田温子演出は、横顔カットをここぞというときに使用します。横顔は正面より弱いとされがちですが、逆に、横顔ならではの良さもあります。例えば叙情性が高まるのです。NHK のベテラン演出家には横顔を使用するかたもいらっしゃいます。「半分、青い。」の田中健二さんなどですね。
「箱入り」「しかもうるし塗りの重箱に入ってお育ちですき」と竹雄に言われた万太郎は、ひとりでなにもかもやろうと決意して旅立ちますが、そこへ現れたのはーー
竹雄の大事なもののもうひとつは万太郎なのです。
「駄目若」の面倒を見ると決めた竹雄。自分は万太郎をここまで世話してきたという自負があるのでしょう。そう、お世話する才能というのもあるのです。
「駄目若」というワードがすばらしい。駄目父、駄目兄、駄目夫ならぬ「駄目若」。主人公が駄目なのは「マッサン」以来でしょうか。朝ドラの場合、駄目といっても主人公は最終的には偉業を成し遂げるのですが。
冒頭のふたりの掛け合いは息があっていましたし、ふたりの東京での生活が楽しみです。
ふたりの旅立ちに主題歌がかかります。主題歌がラストシーンに流れることは、最近の朝ドラでは珍しくなくなってきましたが、そのまま予告編に主題歌がかかることは新しい気がしました。
【朝ドラ辞典2.0:3人(さんにん)】朝ドラでは主人公と対比するもうひとりの人物、ライバル、親友、きょうだいなどが登場する。ただ、ふたりは二項対立になってしまうので、「3人」でバランスをとる場合もある。幼馴染や親友など。同性3人は「おひさま」、男女3人は「ひよっこ」「半分、青い。」「スカーレット」などがある。この3人組が人気になることも少なくない。
※この記事は「らんまん」の各話を1つにまとめたものです。
–{「らんまん」作品情報}–
「らんまん」作品情報
放送予定
2023年4月3日(月)より放送開始
作
長田育恵
音楽
阿部海太郎
主題歌
あいみょん「愛の花」
語り
宮﨑あおい
出演
神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣、笠松将、中村里帆、島崎和歌子、寺脇康文、広末涼子、松坂慶子、牧瀬里穂、宮澤エマ、池内万作、大東駿介、成海璃子、池田鉄洋、安藤玉恵、山谷花純、中村蒼、田辺誠一、いとうせいこう ほか
植物監修
田中伸幸
制作統括
松川博敬
プロデューサー
板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久
演出
渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか