『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』幻の名作が持つ絶大なインパクトと「危うさ」込みの魅力

映画コラム

2023年4月1日より、Netflixで映画『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の配信がスタートしている。

本作は幻の名作と呼ばれてもいた。劇場公開は1992年末で、VHSとレーザーディスクが1993年にリリースされていたものの廃盤。ずっとDVDおよびBlu-ray化がされていなかった。ミニシアターでのリバイバル上映がごく限られた時間に実施されており、特に2022年の神保町シアターでの上映では連日満席の大盛況にもなっていた。

そして、Blu-ray化およびDVDレンタルの開始は2022年末。なんと劇場公開から30年の時が経ってからだったのだ。Netflixで誰でも観られるようになったということは、本作のファンにとって奇跡と言っても過言ではない。

そして、本編は独特のアニメの表現がされた「音楽シーン」が特に魅力的であり、切ない物語に「危うさ」も感じることも重要な作品だったように思う。その理由を記していこう。

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インパクトが絶大すぎる音楽シーン

『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』は既存の有名楽曲&挿入歌が多数使用されており、その楽曲と独特のアニメの演出が組み合わさってこそ、「ほぼミュージカル」と言っていい魅力とインパクトがある。音楽シーンそれぞれが、キャラクターの内面や想像力を示していると言っていいだろう。

例えば、序盤に「まる子が花輪君の車で静岡まで行く」という場面がある。それだけだと地味になりそうなところを、ここで『1969年のドラッグ・レース』という挿入歌と共に、陽気なアドベンチャーが展開する。いわば(まる子の)妄想であり、爽やかで穏やかなドライブをしているかと思いきや、あっと驚くアクションも繰り出されたりもする。

さらには、「はまじが描いた絵のイメージ」として、1950年の楽曲『買い物ブギ』を使用した、はまじに似たおばさんがものすごい「キレ」で買い物をしたり踊ったりする様も描かれる。これに関しては言語化が不可能な、良い意味で頭がおかしくなりそうな衝撃があるので、とにかく観ていただきたい。

特にインパクトが大きいこれらの音楽シーンの演出・作画を手がけたのは、『マインド・ゲーム』『犬王』などで知られる湯浅政明。そのパースが極端に誇張され、「ドラッギー」と評されるほど躍動感のある動きはまさに湯浅イズム。その作家性を語るのにも、本作は欠かせないだろう。

見ていて微笑ましい、絵描きのお姉さんとの交流の物語だけど……

物語の主軸になるのは、「まる子と絵描きのお姉さんの交流」だ。お姉さんはプロの絵描きを目指しているが、なかなかその才能が認められない。対してまる子は図工の授業で、童話の『めんこい仔馬』の歌をどう絵で表現していいのかがわからないとお姉さんに相談する。

歳の差がある2人が対等な友情を超えて、特別な信頼関係を育んでいく様は微笑ましい。(女性とはいえ)大人のところに遊びに行きたいと言うまる子を家族が心配し、おじいちゃんが水族館へ一緒について行ったりする様も「そうなるだろうなあ」と納得できることも含めて面白い。日常シーンのアニメも出来がすこぶる良いので、誰もがほっこりとなりながら楽しめるだろう。

だが、物語はそんなふうにほのぼのとしているだけではない。幼いまる子がショッキングなことを知り、そしてとある「選択」に関わる、シビアで重い要素も備えているのだ。

※これより決定的なネタバレは避けたつもりですが、結末を予見される記述および、一部ストーリーのネタバレがあります。ご注意ください

–{今では危うくもある物語}–

今では危うくもある「女性の生き方の選択」の物語

まる子はお姉さんから、ほのぼのとした歌に思えた『めんこい仔馬』に、悲しい5番目の歌詞があることを知り、ショックを受ける。そこでは「育てた馬を戦地へと見送る」こと、つまり「戦争のために」「悲しいお別れをしないといけない」悲劇が歌われていたのだから。

そして、この『めんこい仔馬』の悲しい5番目の歌詞は、まる子とお姉さんとの関係にもリンクしていく。そして、そこには「危うさ」がある。明言は避けておくが、いかにも「昭和」とも思ってしまう、女性の生き方を限定してしまうような、「選択」が描かれているのだから。

ただでさえ人によって価値観が大きく異なる女性の(女性にも限らない)生き方の選択を、1940年と戦時中に発売された童謡『めんこい仔馬』の軍馬の気持ち、いわば「戦争のような苦境や遠い地」になぞらえるということに、今観ると居心地の悪さや不快感を持ってしまう方もいるだろう。

だが、その選択は、お姉さんが迷いに迷っていた上で、だからこそ、まる子が自分の考えをはっきりと口に出したからのものだ。たとえ「悲しい別れ」であっても、それがお姉さんにとって良い選択だと信じていたまる子の気持ちは、むげにすることはできないという方は多いはず。少なくとも、筆者は、この選択を完全に否定することはできない。

そういう意味で、本作は通り一辺倒の「良い話」にもしていない、切なさが残る作品であると共に、1990年代という時代ならではの価値観が表れているという意味でも、とても興味深い内容だ。

「今の時代にはできないし、そうはさせないだろうと思える物語」が紡がれていることこそ、『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の独自の魅力であるし、それはもはや単純な良し悪しだけで語られるものではないと思う。一緒に観た人と議論してみる意義もあるだろう。

子ども頃の記憶がよみがえる喜び

筆者が本作を初めて観たのは(おそらく)幼稚園の頃だった。それでも神保町シアターのリバイバル上映で観て、音楽シーンそれぞれを「あったあった!」と思い出した、いや記憶がよみがえってくる嬉しさがあった。

その中でも特に記憶が鮮明だったのは、父ひろしが披露する『めんこい仔馬』の「山の奥の薬屋さん」の替え歌えだった。家族を心底あきれさせる、実にしょうもない(褒めてる)内容なのだが、そのくだらなさこそ、後に明かされる悲しい5番目の歌詞との対比として生きているとも言えるだろう。

そのように、子どもの記憶に強く植え付けられ、30年近く経っても覚えているほどのインパクトがあるということも、『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』が名作であることの証拠だろう。ぜひ、子どもの頃にうっすらと観た記憶があるという方も、存在を知らなかった方も、幻の名作が配信で気軽に観られる、この奇跡のような機会を逃さないでほしい。

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(文:ヒナタカ)