『オットーという男』トム・ハンクスが極端なツンデレを演じると“最強にかわいい”という結論

映画コラム

今の劇場は話題作が大渋滞している。それでも、2023年3月10日より公開中の『オットーという男』を、ぜひ優先して観てほしい。

心からそう思えるほど、万人におすすめできる内容であり、人によっては一生ものの教訓と感動が得られるかもしれない作品だったからだ。さらなる魅力と特徴を記していこう。

トム・ハンクスのパブリックイメージを逆手に取りまくり

本作の目玉となるのは、トム・ハンクスが頑固で無愛想な男に扮していることだろう。

何しろ、トム・ハンクスは善良なキャラクターを演じることが多く、私生活でも人当たりの良さやファンへの“神対応”ぶりでよく知られる。日本の居酒屋でおじさんたちと一緒に写真を撮影した写真が「溶け込みすぎ」と話題になったこともある。


そんな風にトム・ハンクスのパブリックイメージは良い人すぎるほどに良い人だが、この映画ではその真逆。映画冒頭のスーパーでの言い分から「言っていることは正しいけど、融通が効かなすぎて面倒臭い」ことがわかるし、退職の時の言い分も痛烈な皮肉を言うし、近隣の住民に「バカどもが」と悪態をついたりする。

そうであっても、この主人公オットーを嫌いにはなれないだろう。なぜなら、「口は悪くて偏屈だけど実はお人よし」なことがじわじわとわかっていくからだ。

引っ越して来た夫婦に初めこそよそよそしい態度でいるが、車の駐車を代わりにやってあげたり、ハシゴや工具なども貸してあげたり、果ては免許を取るための運転の練習や娘たちの子守りまでもやってあげたりする。トム・ハンクス本人の印象も手伝ってかキュートに思えるし、「なんだ、めっちゃ良い人じゃん!」とわかっていくこと自体にニヤニヤできる。

実は良い人ぶりを見せるオットーだが、それでも言葉づかいはほぼ一貫してツンツンしている。もっといえば、彼はツンの割合が大きすぎるツンデレであり、そのツンとデレの割合が99:1くらいなのである。

そして、そのツンが大きければ大きいほど、デレた時のかわいらしさもギャップとなり際立つという当然の結論が導き出される。「ドラゴンボール」のベジータやピッコロ、「美味しんぼ」の海原雄山などのツンデレな男性キャラクターに通ずる魅力をトム・ハンクスに求める方は、この時点で見逃し厳禁だ。

ほのぼのとしたやり取りの裏に隠された重い心情

そんな風に頑固で無愛想を通り越して極端なツンデレな主人公が、口ではなんだかんだ言いつつも周りの人間を助けたりする、ほのぼのとしたやり取りが続けられるのが……その裏では重い心情も物語の主軸になっている

実はこのオットー、仕事をなくし、最愛の妻にも先立たれていたため、妻の後を追って自らの人生に終止符を打つと決めている。つまり、自殺をしようとしているのだが、前述したように引っ越して来た夫婦が彼に声をかけ困らせるので、実行は何度も先送りになっていくのである。

その「何度も死のうと思っているのに死ねない!」ということもコミカルに描かれてはいるのだが、それもまた彼が揺るがない自殺願望を持つことの重さを際立たせているようでもある。

現代は人間関係が希薄になりやすくなっているとよく語られ、特に日本では孤独死が相次ぐこともあって「無縁社会」と呼ばれることもある。この映画はあくまでフィクションではあるが、現実にもいるであろうオットーのような孤独な人、もしかしたら自殺願望を持っている人に対しての接し方について、考えるきっかけにもなるだろう。

–{若き日のオットーを演じるのに最適な人物、それは……}–

若き日のオットーを演じるのに最適な人物、それは……

中盤から、物語は過去の回想へと移る。そこでは「オットーにとって妻がどれほどに大切な存在であったのか」「妻が亡くなるまでに何があったのか」をミステリー的に解き明かしていくような面白さがある。さらには、ひとりの男の喜びも悲しみもひっくるめた人生のハイライトを見ていくような贅沢な“体験”があった。それを見届けてこそ、なぜ彼が自殺を決意したのか、その重さをより実感できるだろう。

そして、この回想で若き日のオットーを演じる人物に注目してほしい。その名前はトルーマン・ハンクス。トム・ハンクスの実の息子なのである。

トルーマンと会ったマーク・フォースター監督は「80年代後半の頃のトムが目の前に座っている気がした」と確信。オファーがあった当初、トルーマンは俳優ではなかったが、撮影監督を目指す立場だった。子どもの頃からカメラ慣れをしていたこともあってか、本読みをしてみると、とても自然で、マーク監督は「しっくりきた」という。

しかも、トルーマンには相談相手に最適な父親がいた。トム・ハンクスは新人俳優で息子でもある彼に立ち方や歩き方について教え、指をさす仕草などのキャラクターの癖も、一貫性を持たせられるように伝えたのだそうだ。

この親子のキャスティングの甲斐あって、パッと見の姿形だけでなく、その言動や一挙一動までも似ているため、「年齢が違う同じキャラクター」という説得力が半端ではないことになっていた。若き日のオットーは人付き合いのあまりうまくなさそうな、純朴な青年という印象であり、トルーマンが俳優として良い意味で成熟していなかったことも、その印象にマッチしていたと言えるのかもしれない。

ちなみに、オットーが若い頃の70〜80年代のシーンは、現代のパートに比べて「くすんだ」色合いの画作りがされているそうだ。美術や撮影そのものも美しいので、その辺りに注目してみても楽しめるだろう。

極めて強い普遍性を持ったリメイクに

この『オットーという男』の原作はベストセラー小説『幸せなひとりぼっち』。実は2015年に同タイトルのスウェーデン映画が作られており、そのリメイクでもある。その映画『幸せなひとりぼっち』はスウェーデンで国民の5人に1人が観たほどの大ヒットを遂げ、第89回アカデミー賞では外国語映画賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされるなど世界的な評価も得ていた。

実際に『オットーという男』の後に『幸せなひとりぼっち』を観てみると、かなり忠実にリメイクされていることがわかる一方で、冒頭のスーパーでのやり取りが(原作小説とも)違っていたり、LGBTQ+のキャラクターへのアプローチが少しだけ変わっていたりと、細かなアレンジがあることもわかった。観比べてみても面白いだろう。

そして気付かされたのは、本作で描かれた物語が、とても強い普遍性を持っているということだ。大切な人がいない、今の現実を嘆いてしまう。それでも、周りの人々と交流したり、何かの行動を起こして、大切なことがあると知る。それは、世界中のどこにでも、誰にでもある、長い人生の過程にある学びなのではないだろうか。主人公であるオットーがそのことに気づく過程が、とても感動的だった。

そうした尊く普遍的なメッセージが、今回のリメイクにより、さらに多くの人に届けられるというのは、何よりも喜ばしい。しかも、それが押し付けがましくないし、過剰にウェットな演出で盛り上げたりもしていない。前述したような重い心情が描かれていたとしても、あくまでツンデレが極端すぎてかわいいおじさんと、周りの人々とのクスクスと笑えるやり取りを主軸にした、ほっこりとしたコメディドラマになっていることが、本作の何よりの美点だろう。

そして、終盤ではとある伏線が回収された、痛快無比な展開も待ち構えている。ここはオリジナルの『幸せなひとりぼっち』からのアレンジもあって、よりエンターテインメントとしての強度が一段あがったような、多幸感でいっぱいになるようなクライマックスだった。普遍的な学びがあるだけでなく、笑えて泣けて面白い。そんな作品をぜひ期待してほしい。

(文:ヒナタカ)

–{『オットーという男』作品情報}–

『オットーという男』作品情報

【あらすじ】
オットー・アンダーソン(トム・ハンクス)は、町内一の嫌われ者で、いつもご機嫌斜め。曲がったことが大嫌いで、近所を毎日パトロール。ゴミの出し方、駐車の仕方、ルールを守らない人には説教三昧、挨拶をされても仏頂面、野良猫には八つ当たり、なんとも面倒で近寄りがたい男だった。そんな彼も、実は人知れず孤独を抱えていた。最愛の妻に先立たれ、仕事も失ったオットーは、自らの人生にピリオドを打とうとする。しかし、向かいの家に引っ越してきた家族にタイミング悪く邪魔され、死にたくても死ねない。それも、一度でなく二度、三度と。世間知らずだが、とにかく陽気で人懐こく、超お節介なメキシコ出身の奥さんマリソル(マリアナ・トレビーニョ)は、オットーとは真逆の性格。突然訪ねてきて手料理を押し付けてきたり、小さい娘たちの子守や苦手な運転を、平気でオットーに頼んでくる。この迷惑一家の出現により “自ら人生を諦めようとしていた男”の人生は一変していく……。

【予告編】

【基本情報】
出演:トム・ハンクス/マリアナ・トレビーニョ/マヌエル・ガルシア=ルルフォ/レイチェル・ケラー ほか

監督:マーク・フォースター

上映時間:126分

配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

映倫:G

ジャンル:ドラマ

製作国:アメリカ