さかのぼること、55年前。
詩人・劇作家の寺山修司と、のちに「テレビマンユニオン」を立ち上げた萩元晴彦が“問題作”と語り草になったテレビ番組を制作、TBS系で放送した。マイクを持った女性が街行く人に突然「あなたは日の丸から何を連想しますか?」「日の丸の赤は何を意味していますか?」「外国に友達はいますか?」「もし戦争になったら、その人と戦えますか?」と矢継ぎ早に問うていき、その戸惑うさまや自身の過去と向き合う姿を映し出したドキュメンタリー。
その名もずばりの「日の丸」と題された、実験的にして意欲的な作品を半世紀後に見た20代のテレビマンがいた。1994年生まれの佐井大紀、現在、TBSのドラマ制作部で連続ドラマの制作に関わっている。彼はふと思う。「同じ手法で令和を生きる人々に問いかけたら、どんな反応があるのか?」、それを自ら実践したのが、映画「日の丸〜寺山修司40年目の挑発〜」だ。
折りしも今年は寺山の没後40年。佐井監督が鋭利な一作を世に放つにいたった経緯と、そのクリエイティビティの根源に迫ってみた。
模倣で掴んだ先人たちの意図
──本編の中でも触れていますが、研修で1967年版『日の丸』を見て触発されたことが、この意欲的なドキュメンタリー映画の始まりであったと。
佐井大紀監督(以下、佐井):最初に『日の丸』の存在を知ったのは、是枝(裕和)さんの「映画を撮りながら考えたこと」(2016年刊)という本を読んだことがきっかけでした。テレビマンユニオンを立ち上げた村木良彦さんが亡くなった時につくった追悼番組の中でも『日の丸』が紹介されていて、作品のことだけは知っていたんですけど、TBSに入ってからの研修で、幸運にも『日の丸』や成田空港の建設をめぐる三里塚闘争の討論会のドキュメンタリーを見ることができたんです。それを見せてくれたのが、上司で今回の『日の丸』にも総合プロデューサーで名を連ねている秋山(浩之)で、先ほど触れた村木さんの追悼ドキュメンタリーを15年程前に是枝さんとつくった人物でもありまして──。
──不思議なご縁があったんですね。
佐井:そうですね、ちょっとした縁があったのかもしれません。普段、僕はドラマ制作部に籍を置いているんですけど、深夜のドキュメンタリー枠と映画祭に出品する作品の企画を募集していたので、いわゆるヌーベルバーグ的と言いますか……「情熱大陸」(MBS/TBS系)や「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK総合)のように人物を追いかけたり、大自然の姿を映し出すようなドキュメンタリーとは異なる、(ジャン・リュック・)ゴダールのジガ・ヴェルトフ集団みたいに劇映画的でポエティックなドキュメンタリーを隠れ蓑でつくれないかな、と考えてみたんです。
元々’60年代っぽい、ちょっと実験映像的なものも好きで、それをやりたいなという動機もありましたし、『日の丸』本編でも語っているように、東京オリンピック(1964年と2021年)と大阪万博(1970年と2025年予定)の間に位置する時代の共通性に着目した部分もあります。実際には細かいところで相違点が多々あるんですけど、後年、歴史を見返した時に近い年次として扱われるであろう2つの時代を定点観測的に見比べるのであれば、それは“今=2020年代初頭”だよな、と。その2つから企画を立ち上げていったという感じですね。
──なるほど。個人的な感想なんですが、『日の丸』の中で通行人に向けられるマイクは自分にも突きつけられているように感じられて、いつしか傍観者から当事者になっていく感覚をおぼえたんですよね。
佐井:僕自身が街頭でマイクを向けていきながら、無関係だった人たちを引きずり込んでいくような感覚をおぼえましたし、寺山・萩元(晴彦ディレクター=のちにテレビマンユニオンを村木良彦らと創立する)コンビの狙い、特に萩元さんが狙っていた構造的な部分への理解が深まっていくのを感じました。
よくスポーツで「型を学ぶ」ことが奨励されたり、ポップミュージックでも……若かりし頃の桑田佳祐さんがサザンロックのサウンドや唱法を模倣したり、エルヴィス・プレスリーもリズム&ブルースからの強烈な影響を受けていたり、まず肉体的な方法論を身につけることによって思考も追いつく──みたいなことがありますけど、僕も街頭インタビューを自ら行ったことによって、1967年版『日の丸』の聞き手たちが何を考えたり感じていたのかが見えた気がしたんです。
──かつては、机上で語られるのみだったわけですね。
佐井:ちょっと話がズレるかもしれませんが、大瀧詠一さんも知り合いの音楽プロデューサーが自宅に遊びに来ると、「ミスタ〜〜〜ァアアア、ムーンライト♪」なんて感じで、ジョン・レノンそっくりに歌っていたらしいんですよ。あと、エルヴィスの歌まねもうまかったらしくて。そこから見えるのは「ポップスは肉体的な模倣から始まるんだ」という方法論的な話なんです。自分も『日の丸』というドキュメンタリーをある種模倣しながらつくりつつ、本編で引用している「ウルトラセブン」もそうですが……自分の頭の中で理解しようとしていたポップカルチャー群や、イデオロギーや技法といったものの点と点がつながって線になるのを感じたんですね。その質量が分厚い層となって映画にも出ているのかな、と思ってもいるんです。
──なるほど。実はさる雑誌で街頭アンケートに答えてもらう、という企画で街行く人々に声をかけたんですが、ほとんどの人にスルーされた経験が自分にもありまして(笑)。佐井監督の街頭インタビューも、映画に使われている人より使えなかった人の方が圧倒的に多かったのではないかと想像しているんです。
佐井:正直、街頭インタビューロケが一番つらかったですね。心が折れかけたとき、カメラマンの方にも「TBSの人間だって身分を明かしてからインタビューした方がいいんじゃないの?」と言ってもらったんですけど、「ぶっつけで聞くことに意味があるので、もう少しつきあってください」ってお願いしまして。何百人にトライした結果、最後の質問まで答えて承諾書にサインをもらえたのが30〜40人だったので、やはりそこが一番大変でしたね。「頭おかしいんじゃないか?」とも言われましたし。まあ、まともではないんですが(笑)。
面白かったのは、最後にTBSの者ですと身分を明かすと、みなさん安心されるんですよ。迷惑系YouTuberだと思われて始まった取材が、実はテレビ局の人間だったと分かると、むしろ「ぜひ使って、がんばって!」と言い残して去っていかれるという。とある方のラジオに呼んでいただいた時に、その話をしたら「TBS、すげえな!」と、おっしゃっていて。と同時に、自分は会社の看板で仕事をしているんだなと実感せざるを得なかったのも、また事実でした。
半世紀の間、変わらぬ本質から見えるもの
──局の看板に守られている代わりに、制約も出てくるのかもしれませんね。なお、1967年当時も番組は今で言う“炎上”をして、インタビューアの1人が周りの人たちと関係をいっさい断ってしまったことが本編でも明らかにされています。
佐井:本質的な部分が半世紀以上、まるで変わっていないんですよね。そう考えると、相性がいいのかもしれませんね、日本人とSNSって。海外で魔女狩り的なバッシングがどのくらい起こっているのかはわかりませんが、1つには選択肢が多いことへの反動的なものもあるのかなと思ってもいるんです。価値観が多様化していますけど、その一つひとつに触れようとすると相当に労力を使うし、逆に自分自身を見失ってしまう可能性もある。だから、自分好みのアルゴリズムで整えられたタイムライン上で安住しようとするのかもしれないな、と。
でも、1つの物事を見るのにさまざまなレンズを持っていないと、ものの見方って偏ってしまうんですよね。たとえば……ある仕事をチームで遂行しようとなったとき、ピリッとした空気で厳しく他者に接したほうが物事は進む、という価値観のもとに取り組めば、プロジェクト自体はスムーズに動くかもしれないけど、何かを失う可能性もはらんでいるわけです。“ものごとを見るレンズ”の種類が少ない場合、そういう危うさがあるんですよね。
──その辺、佐井監督は自ら街行く人々へ質問されているので、皮膚感覚でお話できると思うんですが、現代人の『日の丸』に対する意識も半世紀前と本質的に変わっていなかったりしますか?
佐井:そうですね、反応も意識の面も、そんなに大きく変わっていないんじゃないかなと感じました。1967年当時だと戦争を体験した人もいるので、「戦友の名前を教えてください」といった質問が出てきたり、「出征兵士を見送るときに日の丸を振った」という証言が得られたりしたわけで、その戦中派と戦後派ではニュアンスが異なるんですけど、当時の戦後派と今の人たちはわりと近いのかな、と思います。
1つ違いを挙げるなら、現代のほうがメディアが成熟化しているので、コンプライアンスや放送倫理、肖像権といった認識が視聴者側も高まっている分、「これ、何を撮っているんですか?」と拒否反応を示す人が出てきたことでしょうね。渋谷や新宿の若い人だと「きっと迷惑系YouTuberだから、相手するだけ時間のムダ」とばかりに、見向きもせずに立ち去っていくパターンが多かったですから。
──1967年当時はコンプライアンスや肖像権という概念が一般視聴者にはなかったでしょうしね。それと街中でマイクを持って接触してくるのがYouTuberだと思われるのも、ある意味で時代を反映していますよね。
佐井:報道の腕章も敢えてしていなかったですし、カメラも局のロゴを貼っていないハンディで撮っていたので、誰もTBSのクルーだとは思わなかったみたいです。今、編集している(次回作の)『カリスマ~国葬・拳銃・宗教~』では(安倍晋三元首相の)国葬にも行っているので、さすがに腕章をしたんですけど、『日の丸』ではTBSの人間とわかる記号的なものを敢えて外したんですよ。
──そこで「テレビの取材」だという先入観を持たせなかったことで、逆に奏功しているところが多分にありますよね。
佐井:こっちが何者かわからない状態だと結構不遜な対応をされたりもしたんですけど、さっきもお話したようにTBSだとわかったら「えっ、いつ放送ですか?」って協力的になってくださって(笑)。とはいえ、後日冷静になってみて「やっぱり、使ってほしくないな」と思う人が出てくるかもしれないと想定して、取材を受けてくれた人には全員、僕の連絡先を伝えて、人によっては名刺も渡したんです。気が変わったら連絡ください、必ず対処しますので、と言ってあったんですが、幸いにも1人も断りの連絡がなかったですね。こちらも機械的に矢継ぎ早に質問していって、心象的には必ずしもよくなかっただろうと思っていたんですが、きっとネガティブな印象がつくような使い方はしないだろうと好意的に受け止めてくださったのかな……と、都合よく解釈しています。
–{佐井大紀が浴びたカルチャー}–
佐井大紀が浴びたカルチャー
──1年前、深夜にテレビで60分版が放送されているので、さすがに取材対象からのクレームはないとは思いますが……。そんな佐井監督ですが、どういうカルチャーの浴び方をすると、20代にしてこれほどのディープな知識量になるのでしょう? いわば、「ドキュメント・オブ・佐井大紀」的なお話を最後に訊きたくて……。
佐井:僕は’60〜’70年代、’90年代のカルチャーが大好きなんですけど、なぜ’60年代が好きなのかというと、小学校のときからずっと親の影響で井上陽水さんを聴いていて、学校で習う前に(陽水の楽曲)「ワカンナイ」で「雨ニモマケズ」に対するクエスチョンマークを抱く、という刷り込みがあったことが、理由の1つとして挙げられるかなと思っているんです。物事を疑ったり、裏返してみることの面白さをいつしか知ったわけですが、’60年代がまさにそういう時代だったんじゃないかなと、僕は解釈しているんですよね。陽水さんをはじめとする団塊の世代の人たちはビートルズやボブ・ディランを聴いて、自分なりにアウトプットをしてきたバックグラウンドがありますけど、そういった’60〜’70年代前半ぐらいまでのカルチャーの価値観が、そもそも好きなんです。話が脱線するかもしれないんですけど、ビートルズとクイーンを比較して論じるのは、僕はナンセンスだと思っていて。比べるなら、ビートルズと同時代にリバプールで活動していたジェリー&ザ・ペースメーカーズ(サッカーのサポートソング「You’ll never walk alone」で有名)やビリー・J・クレイマー&ダコタスとか、スウィンギング・ブルー・ジーンズといったマージービート(リバプール・サウンド)だろうと。そういったバンドも聴きまくって、「このバンドは歌がうまいな」「このバンドはルックスがいいな」みたいに、自分の中でキャラクターづけをしていったりもしたんです。
──いわゆる、ディグっていったわけですね。
佐井:はい。で、リバプールって港町だから、ブラックミュージックのレコードがいっぱい入って来るんですよね。だから、どのバンドも「スロウ・ダウン」(※原曲はニュー・オリンズのアーティスト、ラリー・ウィリアムズのロックロール。ビートルズのカヴァーが有名)をカヴァーしていたり、アーサー・アレキサンダーの曲を演奏していたり、「意外と横並びで一緒じゃん!」みたいなことがわかってくるんです(笑)。
そうなると、「なぜ、このバンドはうまいんだろう?」って、横の比較で見て考えるようになるんですよ。例えば、はっぴいえんど(※1970〜72年に活動した大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂の4人によるバンド。日本語をロックのメロディーとリズムに乗せた先駆者と名高い)が素晴らしいのは言うまでもありませんが、誰の影響を受けているんだろうって掘っていくと、モビー・グレープとかバッファロー・スプリングフィールドといった’60年代のアメリカのバンドに行き着くんです。はっぴいえんどの「はいからはくち」はモビー・グレープの「ヘイ・グランドマ」の影響をもろに受けていて、そう考えると新しいロックというよりも、当時の日本でモビー・グレープにインスパイアされているミュージシャンが極端に少なかっただけなんだなって、視点が変わってくるわけですね。サザンオールスターズの初期も、レオン・ラッセルやリトル・フィート的なサウンドで歌謡曲を演奏するというアプローチが新鮮だったのだと。で、僕もそういう“何と何を足すと、何々になる”みたいな化学反応的なものが好きなんです。
そんなふうに毛細血管的にたどっていくと、いろいろなものがリンクづけされてくる。そこから歴史の流れという縦軸とカルチャーという横軸の世界を交差させつつ、今の自分がどこに位置していて、どういうものに影響を受けてアウトプットしていくのか──と模索することが、僕なりの表現手法につながっている気がしているんです。
──なるほど、そのバックグラウンドは興味深いですね。
佐井:その横と縦の軸が交差する中で、生まれてくるアウトプットに興味があるんです。星野源さんも、細野晴臣さんの影響とブラックミュージックを消化して、ご自身のスタイルを生み出していらっしゃるじゃないですか。大根仁監督や小西康陽さんも、たくさんの素材の中からサンプリングして、その時代のカタチに合うようにアウトプットしていくスタイルですけど、僕もそういう手法がすごく好きなんですよね。
なので、初期衝動的にパフォーマンスするセックス・ピストルズの手法とは、ちょっと違っていて。ザ・ブルーハーツは好きなんですけど、表現という観点では自分と距離があるんですよね。大きな流れの中に自分がどこにいるかを客観的に見て、それを自分の感性でパッチワーク的につくっていくのが、僕の好むものづくりであり、僕が『日の丸』のような作品を発表することによって、「ゴダールも観てみようかな」とか「神代辰巳の映画も観てみたいな」と誰かに思ってもらえたなら、それだけで僕は歴史の中に存在する価値があるような気がするんですね。
それが自分のものづくりの方法論なので、パクリだと言われたとしてもオマージュはわかりやすく取り入れた方がいいと思っていて。ただ、「まんまじゃん!」って言われないように、ちょっと変えてみたりはします。たとえば、AをA’にするだけじゃなくて、ABにしてみるといったことが、僕が『日の丸』で実践したことではあったかなと思っているんです。
──ある種、DJ的なセレクトとミックスに近いのかな、とも思いました。
佐井:そうですね、DJに近いかもしれないです。「この曲の次に何をかけるんだろう、どういう繋ぎ方をするんだろう?」というところで驚かせたい、と言いますか。「こんな7インチ、知らない!」「それ、どこのレーベルから出てるの!?」みたいに、思わず前のめりになるようなセンスを発揮していけたら楽しいだろうなと思っています。
<PROFILE>
佐井大紀(さい・だいき)
監督/プロデューサー
1994年4月9日生まれ、神奈川県出身。2017年、TBSに入社。ドラマ制作部に所属、現在放送中の「Get Ready!」やドラマストリーム「階段下のゴッホ」など連続ドラマのプロデューサーを務める一方、企画・プロデュースした成田凌・黒木華主演の朗読劇『湯布院奇行』が2021年9月に新国立劇場・中劇場で上演された。また、ラジオドラマの原作や文芸誌『群像』への寄稿など、活動はテレビメディアに留まらず多岐にわたる。本作が初のドキュメンタリー作品かつ劇場公開作品。また、4人を殺害した死刑囚にして獄中で小説家として活動した永山則夫、若い女性たちから崇拝を集めて蒸発する事件を起こした「イエスの方舟」の千石イエス、安倍晋三元首相の国葬を題材にした2作目のドキュメンタリー映画「カリスマ~国葬・拳銃・宗教~」を鋭意制作中。
■『日の丸〜寺山修司40年目の挑発〜』作品情報
2023年2月24日(金)公開
概要
1967年2月9日、劇作家の寺山修司が構成を担当したドキュメンタリー番組『日の丸』がTBSで放送された。街ゆく人々に「日の丸の赤は何を意味していますか?」
「あなたに外国人の友達はいますか?」「もし戦争になったらその人と戦えますか?」
と、普段は考えないような本質に迫る挑発的な質問を、矢継ぎ早に人々へインタビューしていく番組は放送直後から局に抗議が殺到。閣議でも問題視された曰くつきの番組として、語り草になった。それから半世紀あまり。TBSに入社した佐井大紀は研修で寺山版「日の丸」を視聴し、「現代に同じ質問をしたら、果たして?」と、1967年と2022年のふたつの時代を対比させることにより「日本」や「日本人」の姿を浮かび上がらせようと、自ら街頭に立った。55年という決して短くない時間は、日本と日本人にどのような変化をもたらしたのか、何を浮き彫りにするのか……!?
基本情報
出演
金子怜史(写真家)/シュミット村木眞寿美(インタビューア、ノンフィクション作家)/寺山修司/安藤紘平(映画作家)/今野勉(テレビマンユニオン最高顧問)ほか(順不同)
監督・出演・ナレーション
佐井大紀
配給
KADOKAWA
製作国
日本
© TBSテレビ