『On Your Mark』コロナ禍の予言となった「流行の風邪」の意味を解説

映画コラム
(C) 1995 Studio Ghibli

2023年2月11日よりイオンシネマ シアタス調布で『耳をすませば』と『On Your Mark』の同時上映が実施。全日のチケットが完売となり、追加上映・再追加上映も行われるなど人気を博している。

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その『On Your Mark』は上映時間わずか6分48秒の短編にして、CHAGE&ASKAの同名曲のミュージック(プロモーション)ビデオとも言える作品。にもかかわらず、長編映画並みの技術とアイデア、そして宮崎駿監督の独特の鋭く深い思想が盛り込まれた、濃密な内容になっていた。

宮崎駿監督が「暗号のようなものは、いっぱい入れてあるけども、音楽映画だから、見た人の感じたように受け取ってもらって構わない」と語っている通り、さまざまな解釈もできる内容だ。本作をさらに楽しむための考察・解説をしていこう。

なお、『On Your Mark』は「ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート 1992-2016」のDVDおよびBlu-rayに収録されている。

※これより『On Your Mark』の結末を含むネタバレに触れています。未鑑賞の方はご注意ください。

繰り返される、2人の警官が翼を持つ少女を救う物語

本作の基本的な物語は、「若い警官2人が“翼を持つ少女”を救出する」とシンプル。そして、同じ時間軸での“挑戦”が繰り返される“ループ”が描かれていることが最大の特徴だ。それぞれのループの内容を書き出してみる。


1:警官2人はカルト教団の本拠地に乗り込み、そこで見つけた“翼を持つ少女”を救い出し、地上で少女を見送る。

2:警官2人は翼を持つ少女を医療チームに一度は引き渡すが、それを後悔した2人はラボに潜入し再び少女を救出。だが、乗り込んだ装甲車が落ちてしまう。

3:警官2人はラボに潜入して再び翼を持つ少女を救い、乗り込んだ装甲車は今度は落ちずに壁に追突。そこから地上へと行き、2人の警官は空高く飛び立つ少女を見送る。


(C) 1995 Studio Ghibli

それぞれのループで共通しているのは「一度は囚われた少女を救う」こと。1つ目のループはごく短いもので、その後に再び少女を救出してからの「装甲車が落ちる」「落ちずに無事に少女を地上に送り届ける」で大きな“分かれ道”ができている、という塩梅だ。

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ちなみに、翼を持つ少女を描いたことには、押井守監督の影響がある。宮崎駿監督は「押井さんが天使が生まれるの、生まれないのとか、もったいぶってやっているから、さっさと出しちゃった」と明言しているのだから。当時の「月刊アニメージュ」誌では、架空の「天使病」を扱った、押井守原作(今敏作画)の漫画「セラフィム 2億6661万3336の翼」が連載中だったので、それに触発されていたのかもしれない。

なお、少女の正体については、宮崎駿監督は「天使かもしれないし、鳥の人かもしれない。それはどうでもいいんです」ともぶっちゃけている。それよりも大切なのは、次の項で記す「意志」と「希望」だろう。

余談だが、同様に「同じ挑戦を3回繰り返し、それぞれで成功と失敗が描かれる」という構造を持つ映画には『ラン・ローラ・ラン』がある。こちらも見比べてみても面白いだろう。

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–{なぜ物語はループするのか?}–

なぜ物語はループするのか?

では、『On Your Mark』の物語はなぜループするのか? ニーチェの「永劫回帰」を示しているなどの解釈もあるが、筆者個人は「意思」と「希望」を伝えるためにあったと考える。

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なぜなら、少女の救出が成功する、失敗する、そのどちらの道を辿ったとしても、警官2人には「少女を救いたい」という純然たる意志が共通している

その意志とは後述する絶望的な世界で生きていた、彼らにとっての希望でもあったのかもしれない。その「成功しても失敗しても変わらないもの」を示すために、このループの構造があったのではないか。

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また、このループにより意志または希望を示すということは、高畑勲監督の『火垂るの墓』のアンチテーゼという解釈もできる。

『火垂るの墓』では、同じことを繰り返すループが「死んでよかったことは何ひとつない」という冷徹なメッセージにつながっていたと言える。筆者の想像に過ぎないが、高畑勲監督が極めてネガティブにループを提示したからこそ、宮崎駿監督はポジティブなメッセージをループに託していたのかもしれない。

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また、宮崎駿監督は「On Your Mark」の歌詞にある「困難でもやめずに走り出す」というリフレインに触発され、「大いなる誤解をしてみたい」とCHAGE&ASKA側に伝え、受理されたという。

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この楽曲に限らず、往々にして歌というものは同じ歌詞を繰り返すものだが、それをループする物語の構造へと転換したとも言えるだろう。

地上には放射能が溢れ、地下に都市を作り暮らす世界

元々の「On Your Mark」の「位置について」というタイトル、その歌詞は広い解釈ができるものだが、宮崎駿監督は「わざと内容を曲解して作っている」とも明言している。極めて絶望的な世界を構築し、独自の物語を作り出したと言えるだろう。

その絶望的な世界とは、地上には放射能が溢れていて、もう人間は住めなくなっているというものだ。

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地上では「EXTREAM DANGER」という注意書きがあり、装甲車や標識には放射能のマークが描かれている。そこに緑が溢れているのは、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故、その周辺がそうだったことが反映されているという。

加えて、地下では人々が高層ビルが立ち並ぶ都市で暮らしていて、その中心ではカルト宗教のような集団が世界を牛耳っているように見える。

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この地下世界について、宮崎駿監督は「体制批判について保守化している」メタファーを込めたという。それをもって「“ドラッグ”や“プロスポーツ”や“宗教”が蔓延する時代に、言いたいことを体勢から隠すために、隠語にして表現した曲と考えてみた、ちょっと悪意に満ちた映画である」とも言い切っているのだ。

事実、「On Your Mark」の歌詞では「僕らがそれでも止めないのは(僕らがこれが無くせないのは)、夢の斜面見上げて(夢の心臓目掛けて)、行けそうな気がするから(僕らと呼び合うため)」が繰り返される。

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それは、ある一定の価値観や体制(カルト宗教)がはびこるような世界でも、保守的になるのではなく、やりたいことをやるんだという反骨精神の表れと言えるのではないか。

コロナ禍の予言のような「流行の風邪」

宮崎駿監督は、前述した絶望的な世界を描いた上で、「放射能が溢れ、病気が蔓延した世界。実際、そういう時代が来るんじゃないかと、僕は思っていますが、そこで生きるということはどういうことかを考えながら作りました」とも語っている。

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これは、まさに2020年以降の“コロナ禍の世界の予言”とも言えるのではないか。陰謀論や分断や差別がはびこった現実の世界は、この「On Your Mark」で描かれた絶望的な世界の「一歩手前」のように思えるのだ。

しかも、「On Your Mark」の歌詞では「いつも走り出せば、流行(はやり)の風邪にやられた」とも繰り返されている。

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このことについて、宮崎駿監督は「結局は、いつもそこ(流行の風邪の世界)から始まるしかない。メチャメチャな時代にも、いいことや、ドキドキすることはちゃんとある。ナウシカの、“我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ鳥”なのです」とも語っている。その意図が、警官2人が翼を持つ少女を救うシンプルな冒険活劇へと転換されたのだろう。

また、宮崎駿監督は、現実の世界では人間は劇中のように地下で暮らすことなく、「地上で病気になりながら住むことになるでしょう」とも冷静に分析していたりもする。

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「地上にはもはや逃げ場がないが、放射能汚染(流行の風邪)とより良く付き合いながら生きていくしかない」。これは”腐海”に覆われた世界を描く『風の谷のナウシカ』をはじめ、人間と自然(または人間の悪しき行動の代償、はたまた戦争後の世界)との共存を描いてきた宮崎駿監督らしさだろう。転じて、やはり現実のコロナ禍の予言に思えるのだ。

その反面、宮崎駿監督は「地球全体の歴史から見れば、人間の問題なんて流行の風邪みたいなものですからね」とも答えていたりする。流行の風邪という言葉は、劇中の警官2人のような「己の身を顧みない行動の大胆さや無謀さ」も示している、という解釈もできるだろう。

–{誰の手にも届かないところに離してしまおう}–

誰の手にも届かないところに離してしまおう

前述した、警官2人の「少女を救いたい」という純然たる意志について、宮崎駿監督がどう考えているかについても、引用しておこう。


「彼女(翼を持つ少女)が救世主だったり、救出を通して彼女と心の交流があったというわけではないんです。ただ、状況に全面降伏しないで、自分の希望、ここだけは誰にも触らせないぞというものを持っているとしたら、それを手放さなければならないのなら、誰の手にも届かないところに離してしまおうという。そういうことですよ。離した瞬間に、心の交流がちらっとあったかもしれないけども。それでいい、それだけでいいんです」

出発点―1979~1996 宮崎 駿:560ページ


考えてみれば、地上で人が生きられないほどの放射能が蔓延しているということは、ラストで警官2人は死亡したという解釈が自然だろう(車はずっと走るのではなく、少し脇に逸れて停車する)。

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最後に少女が飛び立つ前に下を見て、ちょっと寂しそうな表情を浮かべていたのは、自分を救ってくれた2人が死ぬことを悟っていたのかもしれない。

少女も放射能が蔓延する世界では、たとえどこへ飛んで行っても生きていけないかもしれないが、それでも「誰の手にも届かないところに離す」様が、とても美しく尊いものに思える。例え、その後に死が待ち受けていたとしても……それこそが重要な物語だったのではないか。

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また、宮崎駿監督は「心の交流がちらっとあったかもしれない」と言っているが、筆者は明確にあったと思う。

なぜなら、3つ目のループにおいて、警官の1人は「1つ目のループではしていなかった」少女への手のひらへのキスをしていたからだ。

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少女を救い出し空へと送った事実は1つ目と3つ目のループで同じだが、そこに至るまで「もう一度救った」という過程の違いがある。それでこそ、彼ら彼女らの間には確かな心の交流があったと言えるのだ。

最後のテロップの意味

最後に「吉田健氏(1955〜1999)に捧ぐ」と表示される。吉田健氏とは、44歳で悪性リンパ腫のため亡くなった、CHAGE&ASKAの映像を担当されていた、「On your Mark」のプロモーションビデオの製作をダメもとでジブリに連絡していた方だったそうだ。

(C) 1995 Studio Ghibli

しかも、この企画を依頼されたのは、『もののけ姫』の製作に入ろうとしていた時期で、宮崎駿監督は長編制作に迷いを見せていたという。そこで鈴木敏夫プロデューサーは「短編作品をまとめることで、気分が少し変わるのではないか」と考え、この企画に乗り出したのだそうだ。実際に、この『On Your Mark』を完成させたことで、『もののけ姫』の制作は一気にはずみがつき、進んで行ったのだとか。

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つまり、吉田健氏がいなければ、この『On Your Mark』は誕生しなかった、さらには『もののけ姫』の制作ももっと遅れていたかもしれないのだ。そのような「運命」も感じさせずにはいられない。

ぜひ、コロナ禍を経てこそのメッセージも感じられる、『On Your Mark』を何度でも楽しんでほしい。

【参考図書】
出発点―1979~1996 宮崎 駿
宮崎駿全書 叶 精二
ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート 1992-2016 [Blu-ray] ブックレット

(文:ヒナタカ)