インディペンデント映画誌『ムービーマヨネーズ』編集部が選ぶ、人生を変えた映画三作品

人生を変えた映画

一本の映画が誰かの人生に大きな影響を与えてしまうことがある。鑑賞後、強烈な何かに突き動かされたことで夢や仕事が決まったり、あるいは主人公と自分自身を重ねることで生きる指針となったり。このシリーズではさまざまな人にとっての「人生を変えた映画」を紹介していく。

今回はインディペンデント映画誌『ムービーマヨネーズ』編集部から降矢聡さん、関澤朗さん、吉田夏生さんが登場。映画好きから愛される唯一無二の雑誌を作る人たちにとって、人生の指針となったのはあの名作だった。

■「人生を変えた映画」をもっと読む

『ランボー 怒りの脱出』

シルベスター・スタローン主演の大ヒット戦争アクション映画の第二弾。1985年にアメリカで公開。服役中のベトナム帰還兵のランボーは釈放の条件にベトナム戦争の行方不明の兵士の調査を依頼される。だが、その調査をきっかけにランボーの戦争は再び始まる。配給:東宝東和

僕たちが探していた“なにか”は『ランボー』だった

地元の中学校ではなく中学受験をクリアして進学校に入学したため、クラスメイトはほとんど初対面の人ばかりだった。だから入学してから最初で最大の課題は友達作りである。友達と呼べるか呼べないか、微妙な関係性のなかで交わされる浮ついた会話と沈黙が嫌な緊張感を走らせる。誰もがみな様子を伺い、“なにか”を探している。そんな、はじまったばかりの中学一年生の教室に流れる、あのフワフワした空気を「昨日の『ランボー』観たー? チョー強くね?笑」というコースケくんの一声が切り裂いた。

木曜洋画劇場か、はたまた金曜ロードショーか、それとも日曜洋画劇場かは忘れてしまったが、確かに僕たちは(たぶん)『ランボー 怒りの脱出』を観ていた。そして、コースケくんの一言によって、シルベスター・スタローンの怒りと悲しみ、またなんといってもチョー強ぇグリーンベレー仕込みのゲリラ戦に胸を躍らせていた昨晩の記憶がまざまざと蘇った。

僕たちの探していた“なにか”は『ランボー』だったのだ。その瞬間からクラスの雰囲気が一挙に変貌したのを覚えている。昨晩『ランボー』を観た者同士たちの距離感は一挙に縮まり、「洋画劇場は困ったらすぐスタローンかシュワちゃんに頼る」だとか「ゲリラ戦なら『プレデター』もヤバい」だとか、「でも本当は『ホーム・アローン』が最高だ」とか、好き勝手に語り合った。とても楽しかった。

そうして盛り上がった結果、親とではなく友達同士での映画館デビューも果たし、気づいたら毎週のように映画館に遊びに出掛けていた。『グラディエーター』とか『バーティカル・リミット』とかも観た。教科書の代わりに雑誌『スクリーン』を回し読みした。新聞や『ぴあ』で映画を調べては、今はなき新宿コマ劇場の前の映画館街や桜丘町にあったユーロスペースに足を運んだ。テレビで『ランボー 怒りの脱出』を観たあの日から20数年。今でもその延長にいるような気がする。

(文・降矢聡)
–{『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』}–

『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』

伝説のフォークシンガー、ボブ・ディランを追った初のドキュメンタリー映画。監督は『タクシードライバー』などでもおなじみのマーティン・スコセッシ。貴重な資料の数々とディランへの10時間を超えるインタビューで映画は構成される。日本では2005年に公開。配給:イメージフォーラム

ディランの音楽と自由を求める生き方に夢中になった

子どもの頃は親に連れられて映画館に行くのが楽しみだった。1985年生まれの私は初めて劇場で観たジブリ映画が『魔女の宅急便』、最初のスピルバーグ映画が『ジュラシック・パーク』という世代(これらは時代を象徴するいわば示準化石である)。しかし「人生を変えた映画」は、自らの意志で劇場へ足を運んだ映画がふさわしい気がする。そしてまだ世間を知らず、自分のことすらよくわかっておらず、観たことのない映画ばかりだった若い頃に出会った作品を選びたい。大人になった今でも価値観を揺さぶられる映画はあるが、悲しいかな、多くの場合はいつか観た別の映画と同じ引き出しに入れてしまいがちである。

前置きが長くなった。大学一年生の頃に観た『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』が私にとっては「人生を変えた映画」だった。何者でもない青年ボブ・ディランがニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジで成長を遂げ、60年代フォーク・リバイバルの中で時代の寵児になるパート1と、エレクトリック・サウンドとドラッグを手に入れ、世界ツアーでファンの愛憎を一身に浴びながら激しく燃焼していくパート2の二部構成。ディランは若造の私にとってロール・モデルとなり、彼の音楽と、自由を求めるビートニク的な生き方に夢中になった(マーティン・スコセッシ監督のストーリーテリングも素晴らしかった)。

それは音楽ドキュメンタリーというジャンルに触れた最初の経験でもあった。「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」のライブ演奏をスクリーンで追体験し、映画を通して多くの素晴らしい音楽があることを知った。

この映画が私の人生をどのように変えたか、それを正確に言い表すことは難しい。だが昨年自主配給した『アザー・ミュージック』がグリニッチ・ヴィレッジからほど近いレコード店についての映画だったのは、私にとっては単なる偶然以上に、必然的な帰結であったように思うのだ。

(文・関澤朗)
–{『ゾディアック』}–

『ゾディアック』

2007年に公開されたサイコスリラー映画。60年代のカリフォルニアで実際にあった連続殺人事件を題材に『セブン』や『ゴーン・ガール』のデヴィッド・フィンチャー監督が制作。連続殺人犯の“ゾディアック”を追う3人の男性たちのドラマが描かれる。配給:ワーナー・ブラザース映画

人生のままならなさにぶち当たるたび、何度も観たくなる

例えば、中学1年の私の「オシャレ観」を作った『ゴーストワールド』だったり、映画という表現の豊かさを教えてくれた高校2年の『エレファント』だったり、人生の転機になった作品がある。一方で、はっきり“このとき”と言えなくても、繰り返し観るうちに、ゆっくりと人生を変えた作品もある。私にとって『ゾディアック』はそんな映画だ。

公開時は、「謎が謎のまま終わるのが味わい深かったナァ(あと殺人のシーンが怖すぎる)」くらいの印象だった。それから長いときが経ち、配信サービスの恩恵にあずかり何気なく再見した私は、不条理こそが人生であるという、『ゾディアック』の根底を貫く思想に魂を揺さぶられた。その後BDを購入し、本作はふとしたときに観る映画になった。あるときはお仕事映画として、またあるときは時代の匂い、俳優たちの美しさに、魅了された。

最後に『ゾディアック』を観たのは去年の暮れだ。そこで私は、本作がここまで自分を惹きつける理由が少しわかった気がした。映画の終盤。警察も匙を投げた捜査をたった独りで続ける漫画家グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)が、事件の元担当刑事トースキー(マーク・ラファロ)を叩き起こし、犯人の確証を掴んだと深夜のダイナーでまくし立てる。話半分で聞いていたトースキーの表情が、グレイスミスのある一言で変わる。この瞬間だ。信じること。自分のために信じてみること——解決できない世界の不条理に抵抗する唯一の方法。『ゾディアック』は、私に希望を伝えていたのだ。

もちろん、本作が実際の凄惨な未解決事件を基にしている事実を忘れてはいけないし、ポスト・トゥルースの時代にあって、闇雲に信じることの危険性には注意深くあらねばならない。それでも人は生きる以上、自分を前に進めるために、何かを信じる。人生のままならなさにぶち当たるたび、私はこの映画を見返すだろう。そして、真実も嘘も善も悪も混濁するなかで己の希望を探す男たちの姿に、人生を変えられるだろう。

(文・吉田夏生)

Profile

『ムービーマヨネーズ』編集部
インディペンデント映画誌

日本未公開映画の紹介、上映を企画・運営する団体「Gucchi’s Free School」が創刊した映画雑誌。これまでに3冊出版しており、最新号である『ムービーマヨネーズ3』は映画『アザー・ミュージック』と映画『サポート・ザ・ガールズ』という二本の映画の公式パンフレットも兼ねている(他にも映画業界のお仕事にフォーカスした特集なども掲載)。