『機動戦士ガンダム 水星の魔女』良い意味で心がズタボロにされた経緯と「毒親の解像度の高さ」を語る

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©創通・サンライズ・MBS
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2023年1月8日にテレビアニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(以下、『水星の魔女』)の第1クール最終話・第12話が放送され、そのあまりの展開にTwitterでは阿鼻叫喚のワードがトレンドを席巻。筆者の心もズタボロになった。良い意味で。

脚本家・大河内一楼を神のように崇めていたのに、ご覧の有様だよ!

筆者はこれまで『ガンダム』シリーズをほとんど観ていない初心者だったが、この『水星の魔女』を観始めるきっかけになったのは、(詳しくは後述もするが)2021年公開のアニメ映画『アイの歌声を聴かせて』で共同脚本を務めていた大河内一楼の作品(シリーズ構成と第7, 8, 9話以外の脚本を担当)だったことが大きな理由だ。

その前にも、同じく大河内一楼が脚本を手がけた、スケートボードに熱中する若者たちの青春アニメ『SK∞ エスケーエイト』にもハマっていて、特にキャラクターの関係性を尊く描く力がものすごかったので、「大河内一楼は神だ」「関係性の魔術師だ」と崇めるようになっていた。

ところが、『水星の魔女』の第1クール最終話の第12話を観終わってあら不思議、神のように崇めていた大河内一楼に「なんてことをするんだ!」と怒りに近い感情が込み上げてきたのである。いや、でも、それも良い意味でであるし、褒めてもいる。この第12話ラストに至るまでの伏線は周到に積み立てられており、認めたくはなくても納得はできるように見事に計算されている(それがまた「鬼畜か」と思わせる)。それも含めて、改めてすごい脚本家だと再認識できたのだ。

何より、ここまでショックを受けるということは、ある意味で作品をこれ以上なく楽しんでいるということでもある。漫画家の枢やなが「地獄の一級建築士」と褒めたり、椎名高志が「わああああー‼︎ギャアアアアア‼︎」と叫びつつ楽しまれていることにも、とても共感していた。




※これより『水星の魔女』第1クール本編のネタバレに触れています。

–{作り手の思い通りすぎる感情の流れのおさらい}–

作り手の思い通りすぎる感情の流れのおさらい

第1クール最終話の第12話で心がズタボロにされるほどのショックを受けた理由は、それまで各キャラクターがとても魅力的に描かれていたこと、やはり関係性の構築力が半端ではなかったその理由だ。

特に、主人公である「オドオドしているようで実は言うことははっきりと言うスレッタ・マーキュリー」が、「ツンツンしているようで複雑な悩みを持っているミオリネ・レンブラン」の心を少しずつ解きほぐしていくという関係性が大好きだ。

第10話でミオリネが必要とされたいスレッタの気持ちをちっともわかってくれず(自身の父親と同様に)相談もせず勝手に決めてしまう様は「あー……」となったものの、その次の第11話でミオリネが「逃げなくて良くなったのはあんたのおかげなの」などとスレッタに告白し、抱き合う様に「ありがとうございます」と拝むことになった。

加えて、「幸せになってくれ……!」と心から願うようになったのが、グエル・ジェタークという御曹司である。彼は初めこそ女性をトロフィーとして扱うクズとして登場するので「死刑」と思ったが、彼もまた有害な男らしさや家父長制に縛られていた哀れな男であることがわかり、ヤムチャのごとく咬ませ犬的に負け続けることも愛おしくなった。

さらに、「自分の力を認めてくれたスレッタに求婚してしまう」「絵に描いたようなツンデレ台詞を吐く」「大好きなスレッタの涙を見て怒る」「寮を追い出されたら『ゆるキャン△』してた」「ボブと名乗る肉体労働者となり、今まででいちばん穏やかな顔になる」などと、グエルくんの株価は話が進むごとに上がり続け大好きになった

そして、年をまたいでの放送となる第12話を観る前に、筆者にはとある覚悟ができていた。それは「推しが死ぬかもしれない」「いや、もっとひどいことが起こるかもしれない」ということだ。

というのも、ゆるふわ学園青春ものっぽい雰囲気もあったのに、第6話でエラン(強化人士)が焼きとうもろこし(お菓子のエアリアルのその味が伏線)になるショッキングすぎる出来事があったため、これまで『ガンダム』シリーズを履修していた有識者に泣きついたのだが、「そういうことをするのがガンダムだよ」「ガンダムは心の鍛錬である」「推しを作るな。いや推しは死ぬことを覚悟しろ」などと散々な忠告を受けたのである。慰めろよ。

いや、でも、貴重なアドバイスでもある。今までのガンダムシリーズでも、現実に通ずる戦争の残酷さが描かれていたのだろうと、あっけなく仲間の命が失われたのだろうと、ガンダム初心者の自分にも伝わってきたし、実際に『水星の魔女』のプロローグでもそのことが示されていた。よし、わかった。十分な心構え、最悪の展開のシミュレーションはできた。いよいよ第12話だ……(Aパートが終わった時)うわぁああああああああああ!(Cパートが終わった時)ぎゃぁああああああああああああああ!

いや、わかっている。こうなることが作り手の狙い通りだということを。これまでも「ダブスタクソ親父」「ロミジュリったら許さないからね」「クソダサPV」などSNS映えする話題を提供した本作は、第1クール最終話・第12話で「父親殺し(負け続けるグエルくんに勝ってほしかったけどそうしろとは言ってない)」「フレッシュトマト味(お菓子のエアリアルでミオリネのパッケージの味が血糊を連想させるそれ)」「ハエ叩き(叩き殺すのは人間)」などが、やはりバズり散らすことになったのも当然である。



「推しは殺しませんでしたが、代わりにそれ以外の地獄をどうぞ」という、単純な予想を外して、しっかり最悪なものを出してくる作り手の罠にまんまとハマったということなのだ。グエルくんにも、スレッタにも、ミオリネにも、幸せになって欲しかったのに、なんてことをするんだ!(作り手の思い通りすぎる感情)

なお、筆者は第12話のショックの後にもガンダム有識者に話を聞いたのだが、「もっとひどいのを想像していた」「今までに比べたらマシ」「味方の死人は少ない」「ガンダムの世界へようこそ(ニヤニヤ)」などと返された。慰めろよ。

スレッタがこうなるだけの理由がある(そして毒親の解像度の高さ)

素晴らしい(若干の皮肉表現)のは、スレッタが笑顔で人殺しをしてしまうということが、唐突のようでいて、実はそうではないということ。彼女は、その母親であるプロスペラの言葉を「正しい」と信じきっていたこと、いやほとんど「洗脳」に近いことをされていたと、各話を振り返れば思えるからだ。これでも一部ではあるが、箇条書きで記していこう。


第1話:生徒から「古そうなヘアバンドもお母さんが言うからつけたの?」とからかわれたのに、スレッタは「もちろんです!」と嬉しそうに答える。さらにミオリネの菜園室に入ってきたグエルくんのお尻をペンペンして「お母さんから教わらなかったんですか。そんなことしちゃダメです!」と言う(この台詞は第12話にもあるし、お尻ペンペン→ハエ叩きへとグレードアップする伏線。最悪)。

第2話:プロスペラについて「強くて、優しくて、私の目標で……」などと心の底から尊敬していることを告げる。

第5話:スレッタはエラン(強化人士)に誕生日は知らないと言われ「お母さんに教えてもらっていないってことですか」と返す。

第7話:プロスペラはミオリネに「まずはその可愛い意地を捨てなくっちゃね」と娘の花嫁へのものとは思えない煽り方をする。

第8話:プロスペラは義手を外し「怖い?」と聞き、スレッタは「ううん、いつものお母さんの手だもの」「そうだよね、私たちのためだもの」「お母さんのために」などと返す(この外される義手は第12話ラストのハエ叩きでテロリストの片腕が千切れ飛ぶことと呼応している。最悪)。

第9話:スレッタはシャディクに「お父さんが大事で、好きなんですよね。私もお母さんが大好きです」と言う

第12話:プロスペラはスレッタの目の前でテロリストを銃殺し、「怖いよね。傷つけたくないよね」「今みんなを救えるのはあなただけ」などと言い、血が飛びった扉の「こちら側」から手を差し伸べ引き寄せる(ここで主題歌「祝福」のメロディがかかる。最悪。そりゃYOSASOBI公式Twitterも「祝福などと言っている場合ではないんですが…」とつぶやくよ)



そして、スレッタは「逃げたら一つ、進めば二つ」という、やはり母親からの教えをたびたび口にしている(第2話ではミオリネもその考えに感化されていた節がある)。それはなるほど的を得ている、現実にもフィードバックできるいい哲学じゃないかと思っていたら、第12話では「躊躇なく進んで人殺しをしてしまう」理由、「呪いの言葉」になってしまうのも最悪だ。

このようにスレッタは、やはり母親のプロスペラの考え方が絶対に正しい、それを全ての基準として行動している節がある。だからこそ、あのラストで母親と同じように、大切な人を守るために人殺しをすることもためらわなかったのだ。

男性権威主義的なグエルの父、説明をせず勝手に決めまくるミオリネの父もかなり問題のある(表面的にはプロスペラよりもひどい)毒親であったが、回を追うごとに『美味しんぼ』の海原雄山と山岡士郎のようなツンデレ同士の親子関係も連想させていった。

それよりも、「優しく諭すような」スレッタの母プロスペラのほうが最悪な毒親だったという事実そのものが(予想もしていたが)衝撃的だ。だが、子どもの心を掌握し、意のままに操る毒親は、得てしてそういうものなのかもしれない。それをもってして(さらに後述もするが)大河内一楼の毒親の解像度が、あまりに高いと思ったのだ。

–{あの場面でスレッタが笑ってしまった理由もある、そして残された希望}–

あの場面でスレッタが笑ってしまった理由もある、そして残された希望

さらに、ミオリネにとって最悪だったのが、スレッタが「えへへ、締まらないなぁ」と言って、笑顔のまま血まみれの手を差し伸べてきたことだ。

思い返せば、第10話でスレッタは「スレッタ、忘れった」と言って生徒のみんなと一緒に笑ったりもしていた。他にも冗談に笑っていてオジェロから「笑い事じゃねえぞ。お前も(ミオリネのように)遠くなる」とたしなめられることもあった。彼女は、笑い合える友達ができていたからこそ、同じくテロリストを殺し自分を救ったプロスペラもまた微笑んでいたからこそ、あの場面で笑ってしまったのだとも言える。

しかも、ミオリネは「命を救う技術」としてガンダムであるエアリアルを、企業のPRとして推していた。花婿がいきなり目の前で人殺しをする衝撃だけでなく、自分が起こした企業の理念をぶち壊す光景も目の当たりにしたのだ。

そんなわけで、ほとんど覆しようのない、一生物のトラウマを背負ったミオリネだが、まだ希望はあると思う。何より、スレッタとミオリネも生きている。そもそも、スレッタがやったことは、花嫁を守るための正当防衛でもある。スレッタの目を、ミオリネや周りの人たちが醒まさせてやることも不可能ではないと思うのだ。

また、スレッタの「やりたいことリスト」は(おそらく)プロスペラではなく自分の意志で考えているようであったし、第4話では「水星に学校を作る」という夢を語り、水星に住む人たちから寄せ書きをしてもらったことや、お守りももらったことを語っていて、しかも「私がやりたくてやっているから」と明言している。スレッタは完全にはプロスペラの操り人形ではない、彼女の「意志」は確実にある。洗脳から解かれることも、十分にありうると思うのだ。

『アイの歌声を聴かせて』も母親の「闇」がすごかった

(C)吉浦康裕・BNArts/アイ歌製作委員会
(C)吉浦康裕・BNArts/アイ歌製作委員会

さて、そんな脚本家・大河内一楼の毒親の解像度の高さを知る上で、うってつけの教材がある。それは、2021年公開のアニメ映画『アイの歌声を聴かせて』である。本作がいかに素晴らしい作品であるかは、この記事をぜひ読んで欲しい。

【関連記事】『アイの歌声を聴かせて』が大傑作である5つの理由

そして、こちらにも「この人一見するとまともそうだけど、実はヤバいのでは……」と思ってしまう母親が出てくる。しかも、『水星の魔女』のプロスペラとは、「優秀な研究者であり、暗い過去を抱え、ちょっと(だいぶ)行き過ぎな言動をしてしまう」ことも共通している

さらに、この『アイの歌声を聴かせて』でも、主人公の母親が引き起こす、とあるショッキングな出来事がある。その直前からかなり辛いシーンがあり、それも含め初めて観た時は本気で絶望したのだが、それもそのはず、共同で脚本を執筆した吉浦康裕監督と、大河内一楼は、豪華版Blu-rayのブックレットで、その「落とす」様について、こう語っている。


吉浦康裕「あそこをクライマックスのつもりで盛り上げて、ドーンと落とすという。

大河内一楼「なるべくその“崖”は高い方がいいよねと話しながら」


そう、大河内一楼は比喩的な意味で、崖から登場人物を突き落とす作家なのだ。その崖の「底」があまりに深いからこそ、その後の「復活」がより感動的になるし、観るものの心を揺さぶるのだろう。

(C)吉浦康裕・BNArts/アイ歌製作委員会
(C)吉浦康裕・BNArts/アイ歌製作委員会

とはいえ、『アイの歌声を聴かせて』で紡がれるのは、人は死んだりしないし、とてつもない「幸せ」に包まれる、ポジティブで感動的な物語だ。

また、『アイの歌声を聴かせて』の主人公の母親は毒親スレスレでもあるが、それでも十分に感情移入ができるし理解もできる、豊かなキャラクターになっていたと思う。パンフレットによると、この母親は吉浦康裕監督の実母がモデル。しかも、大河内一楼は娘との「正義感が強くて不器用なところが似ている」関係性を、すごくこだわって書いていたのだそうだ。

この他にも、『水星の魔女』と『アイの歌声を聴かせて』には「ロボットをとても大切にしている女の子が主人公」「ツンツンしている女の子とお互いに引っ張っていく関係性になる」「子どもと大人の対立構造が描かれる」など共通点が多い。そのため、『水星の魔女』の第12話にショックを受けた人にこそ、ハッピーな気持ちになれる(でもちょっと怖くもある)『アイの歌声を聴かせて』を、是が非にでも観ていただきたいのだ。

そして、『アイの歌声を聴かせて』は「1本の映画の中でこれほどまでみんなが大好きになれることは、今までも、これからも絶対にない」と断言できるほどキャラクターが魅力的だった。それに匹敵するほど、それぞれの関係性をとても尊く感じられたのが、同じく大河内一楼の作品である、この『水星の魔女』だったのだ。

そうであったはずなのに、『水星の魔女』の第12話のラストでご覧の有り様となり、過去の代表作『コードギアス 反逆のルルーシュ』も追って履修したところ、第22話の「血染めのユフィ」でやはり「なんてことをするんだ!」となり、完全に「闇の大河内一楼」にもハマってしまった。

ありがとう、これからも大河内一楼の作品を追い続けます。今はDMM TV独占で『LUPIN ZERO』も配信しているし!そして、4月から始まる『水星の魔女』第2クールでは、グエルくんとスレッタとミオリネを幸せにしてください。あと、アニメ映画史上最高の大傑作『アイの歌声を聴かせて』は各種配信サービスでレンタル中なので、全人類観てください!

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(文:ヒナタカ)