『すずめの戸締まり』新海誠が国民的作家であることを高らかに宣言した、記念碑的作品

映画コラム

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新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』は、公開2週で興行収入41億円を突破するなど、盛り上がりを見せていた。

本記事では新海誠監督について、その作家性を振り返ってみたい。

※本記事では『すずめの戸締まり』および『天気の子』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

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“新海誠”という人間

新海誠は孤高のアニメーション作家である。

長野県南佐久郡小海町で生まれた彼は、いつも空を見上げているような、夢見がちな少年だったという。さして勉強ができる訳でもなく、絵が上手な訳でもなく、スポーツが得意な訳でもない。

しかも1973年生まれの新海監督は、ベビーブーマーの団塊ジュニア世代で、子供の頃から過酷な競争に晒されてきた。そんな自分が故郷から抜け出して、社会に適応できるのだろうか?そんな漠然とした不安を抱えながら、彼は学生時代を過ごしてきた。

大学を卒業後はゲーム会社に就職し、オープニング・ムービーの制作に励む。「毎朝満員電車に乗って、毎日終電で帰ってくる」という単調な日々。仕事に充実感は感じていたものの、「自分の作品を作りたい」という想いがムクムクと湧き上がってきた。

(C)Makoto Shinkai/CWF・彼女と彼女の猫EF 製作委員会

彼は一念発起し、半年をかけて『彼女と彼女の猫』という5分間の短編を制作。1枚1枚コツコツとPhotoshopで絵を描き、After Effectsで合成し、エフェクトを入れて、作品を仕上げていった。誰にも邪魔されることもなく、たった一人で自分だけの世界を創造したのである。

(C)Makoto Shinkai/CMMMY

本作は、第12回CGアニメコンテストでグランプリを受賞。自信をつけた彼は、25分の中編アニメ『ほしのこえ』(2002年)の着手を決意。制作に専念するため、このタイミングでゲーム会社も退職する。

ざっくり言うと、あらすじはこんな感じ。中学3年生の長峰ミカコと寺尾ノボルは、お互いのことを想い合っている仲。しかし、国連宇宙軍のメンバーに選出されたミカコは遥か宇宙の彼方に旅立ち、地球外知的生命体と対峙することになる。

2人の距離が遠ざかるほど、メールの着信にも時間を要するようになり、ミツコが8光年彼方の惑星にたどり着いた時には、ノボルにメールが届くには8年の時間を必要としていた。やがてノボルは彼女の帰りを待つことを諦めることを決意する……。

地球規模のクライシスの物語にもかかわらず、本作にはミカコとノボル以外の人物はほぼ登場しない。そして、離れ離れとなった二人の会話は、心の声=モノローグとして綴られる。高橋しんの漫画『最終兵器彼女』(1999年〜2001年)にも近接した、典型的なセカイ系の外殻を纏っているのである。

『ほしのこえ』(C)Makoto Shinkai/CMMMY

印象的なのは、ラスト近くでノボルが呟くこんなセリフだ。

「もっともっと、心を硬く冷たく強くすること。絶対に開かないと分かっている扉を、いつまでも叩いたりしないこと。俺は、一人でも大人になること」(『ほしのこえ』より抜粋)

大人になることとは、孤独と向き合い、孤独を受け入れ、孤独を愛すること。そして、大切な何かを諦めること。孤高のアニメーション作家・新海誠は、孤高の姿勢で物語を創造し、キャラクターたちにも孤高を求めたのである。

–{大人になることへの強烈な拒否}–

大人になることへの強烈な拒否

(C)Makoto Shinkai/ CoMix Wave Films

その後も新海誠は、『雲のむこう、約束の場所』(2004年)『秒速5センチメートル』(2007年)『星を追う子ども』(2011年)『言の葉の庭 』(2013年)と次々と話題作を手がけていく。

それは、ボーイ・ミーツ・ガールの物語であり、少女が世界を救う役割を担う“人身御供”の物語であり、時間・空間のねじれによって2人が物理的に離れ離れになる物語であり、それでも恋人のことを想って疾走する物語である。

そんなセンチメンタルなアオハル・デイズを、雲が低い位置にある空・雨・雪・人気のない駅・リアルな広告・レンズフレア・ハレーション・極端な広角レンズを駆使して、ストーリーを補強していく。

(C)Makoto Shinkai/CMMMY

そして大人になることへの強烈な拒否、諦観めいた人生観。彼の作品には、主人公の親はほとんど登場しない。登場したとしても、ほぼ片親という設定だ。主人公たちを見守る大人はおらず、少年少女たちは喪失感を抱えて生きていく。その想いは、『星を追うこども』におけるこのセリフに顕著だ。

「喪失を抱えてなお生きろと声が聞こえた。お前にも聞こえたはずだ。それが、人に与えられた呪いだ」(『星を追うこども』より抜粋)

新海作品において、世界は“閉じている”。ティーンエイジャーの主人公たちにとって、恋人や数少ない友人たちがいる半径数十メートルの場所のみがこの世界の全てであり、その向こう側は他者しか存在しない外界。

極端に閉じられた物語は、それゆえに私小説的といっていい。そこには抗し難い求心力がある。だからこそ新海誠の世界に触れた文学少年・文学少女たちは、まるで太宰治の小説に触れたかのように、もしくは村上春樹の小説に触れたかのように、熱に浮かされてしまったのだ。

『君の名は。』(C)2016「君の名は。」製作委員会

だが、ここで大きな転換点が訪れる。2016年に公開された『君の名は。』が、250億円を超える大ヒットを記録したのだ。かつてMacを頼りにひとりアニメ制作を続けてきた男は、一躍“日本を代表するヒットメイカー”として認知されることになる。

–{“閉じた世界”から“開いた世界”への跳躍}–

『君の名は。』“閉じた世界”から“開いた世界”への跳躍

(C)2016「君の名は。」製作委員会


『君の名は。』
は明らかに、これまでの自己内省的な“閉じた世界”から、“開いた世界”へと跳躍している。

新海誠的なモチーフは堅持しながらも、主人公の立花瀧(神木隆之介)、宮水三葉(上白石萌音)は快活なキャラクターとして描かれ、気の知れた仲間たちが彼らを全面サポート。格段にコメディ要素も増している。「誰もが楽しめるど真ん中のエンターテインメント」を目指して作られた本作は、その宣言通り、不特定大多数の観客のハートを鷲掴みにした。

(C)2016「君の名は。」製作委員会

もちろん、かつての新海誠ファンは急激な作風の変化に戸惑ったことだろう。『君の名は。』をきっかけに、新海作品を追いかけることを辞めてしまった古参のファンもいると聞く。

だが、かつて自分のために物語を紡いできたアニメーション作家は、齢を重ねて大人になり、(おそらくは)社会的な責任感を抱くようになり、より多くの観客にメッセージを届けたい、と思うようになったのではないか。「大丈夫だよ」と、映画を通して寄り添おうとしたのではないか。

『天気の子』再び“閉じた世界”へ

(C)2019「天気の子」製作委員会

そして『天気の子』(2019年)。筆者が本作を観て驚愕したのは、一度“開いた世界”を再び“閉じた世界”に戻したことだ。主人公の森嶋帆高(醍醐虎汰朗)はフェリーで東京にやってきた家出少年で、その理由はいっさい明かされない。

村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を携え、ネットカフェに寝泊りし、ヒロインの天野陽菜(森七菜)を護るためなら拳銃もぶっ放す。警察に追われる身となった彼は、社会からはみ出したアウトローとして描かれるのである。

(C)2019「天気の子」製作委員会

そしてクライマックス。異常気象に見舞われた世界を救うべく、陽菜は天気の巫女として人柱になることを決意するが、帆高は積乱雲に囚われていた彼女を救出。世界は大雨によってゆっくりと水没していくことが示唆される。

セーヴ・ザ・ワールドよりもセーヴ・ザ・ガール!究極とも言えるアオハル・スピリット。ラストシーンで、彼らを近くで見守ってきた須賀圭介(小栗旬)はこんなセリフを吐く。

(C)2019「天気の子」製作委員会

「気にすんなよ、青年。世界なんて元々狂ってるんだから」(『天気の子』より抜粋)

国民的作家となってしまった新海誠は、その名声を振り払うかのように、とてつもなく反社会的でアヴァンギャルドな作品を世に送り出したのである。筆者にはその姿が、大人に成りきることへの最後の抵抗のように見えた。

–{新海作品史上最も“開かれた”作品}–

『すずめの戸締まり』新海作品史上最も“開かれた”作品

すっかり前置きが長くなってしまったが、そんなフィルモグラフィーを経て作られたのが、最新作『すずめの戸締まり』(2022年)。

宮崎県の田舎町で暮らす女子高校生の岩戸鈴芽(原菜乃華)が、“閉じ師”として日本各地を旅する宗像草太(松村北斗)と出会うことで「世界を救う」ミッションに巻き込まれる物語である。

おそらく本作は、新海作品史上最も“開かれた”作品だろう。ロードムービー形式を採用することで、彼女たちは行く先々でたくさんの仲間と出会い、心を通わす。もはや主人公たちは、モノローグで内面を吐露する必要もない。自分の声を聞いてくれる人々が、すぐ側にいるからだ。

本作では鈴芽の両親はすでに他界しているという設定だが、親代わりとなる叔母の環(深津絵里)が途中から鈴芽の旅に搭乗。これまで希薄だった“肉親とのコミュニケーション”がしっかりと描かれる。

『天気の子』と同じ、『すずめの戸締まり』でも「世界を救うのか、愛する人を救うのか」という二者択一が迫られるが、鈴芽はセーヴ・ザ・ワールドとセーヴ・ザ・ボーイの両方を遂行することで、世界を明るく照らす。本作では、社会的問題と個人的問題は両立し得ないものではないのだ。

いやはや、この開かれっぷりは一体どうしたことだろう?おそらくそのヒントは、草太の友人・芹澤朋也(神木隆之介)が、鈴芽たちをオープンカーに乗せて東北の実家に向かうシーンにある。芹澤がドライブ・ミュージックとしてかける音楽が、ユーミンの「ルージュの伝言」なのだ。

言わずもがな、この曲は『魔女の宅急便』(1989年)で使用されたナンバー。おまけに、「猫もいることだし」と、ジジを意識したセリフまで言わせている。

筆者はこの瞬間に確信した。『すずめの戸締まり』は、新海誠が国民的アニメーション作家であることを高らかに宣言した、記念碑的作品なのだと。とことんまでエンターテインメントを突き止めた、ポスト・宮崎駿映画なのだと。

ストーリーは全く異なるとはいえ、本作は『魔女の宅急便』と構造がよく似ている。『魔女の宅急便』は、魔法使いのキキが見知らぬ街へと飛び出し、「何者かになろう」と必死にもがく成長の物語だった。

本作もまた、鈴芽が見知らぬ土地を転々とし、様々な冒険を経て「何者になるか」を自己決定する物語と言える(ラストシーンで、彼女は看護師になるための勉強をしていることが示される)。愛媛で出会った少女の海部千果(花瀬琴音)が、「鈴芽って魔法使いみたい」と語るのは、非常に示唆的と言えるだろう。

「バルス!」や「夢だけど、夢じゃなかった!」といった名台詞が宮崎アニメの魅力であり、本作にも「お返し申す」というパンチラインがある。

『天空の城ラピュタ』(1986年)に登場する目玉焼き乗せパンや、『魔女の宅急便』のニシンとかぼちゃのパイといった“ジブリ飯”に対抗するべく、本作にはポテトサラダ入りの焼きうどんが登場する。三本脚の椅子や白猫のダイジンと、可愛らしい萌えキャラもいる。

序盤で鈴芽たちがダイジンを追いかけるシーンでは、これまでの新海作品では珍しく軽快なビッグバンド・ジャズが流れるが、そのタッチはまるで『ルパン三世』のようだ。完全無欠なエンターテインメントとして、ポスト・ジブリ映画として『すずめの戸締まり』は堅牢な完成度を誇っている。

だが新海誠は、この映画をエンタメ一辺倒で終わらせない。東日本大震災を真正面から取り上げて、物語が現実の世界と地続きであることを提示するのだ。この手つきは、社会とは完全に断絶された、初期セカイ系作品とは一線を画すものだろう。

日本人にとって哀しい歴史を描くことに対して、批判的な声もあるだろう。辛い記憶が呼び覚まされることに、異議を唱える声もあるだろう。筆者もその通りだと思う。だがそれ以上に、新海誠はあらゆる芸術が内包する治癒力を信じて、若い世代を癒そうとしたのではないか。

最終盤、鈴芽は子供時代の鈴芽をしっかりと抱きしめる。筆者は、このシーンに全てが集約されている気がしてならない。自分自身を強く抱きしめること。自分自身を癒すこと。その力は皆にある、と伝えたかったのだ。

『ほしのこえ』でノボルに「もっともっと、心を硬く冷たく強くすること」と語らせたニヒリスト新海誠は、もういない。彼は多くの経験を経て大人になり、大人としての責任感を抱き、優しく、でも力強く、我々に語り始めたのである。

もう一度繰り返そう。『すずめの戸締まり』は、新海誠が国民的アニメーション作家であることを高らかに宣言した、記念碑的作品である。

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–{『すずめの戸締まり』作品情報}–

『すずめの戸締まり』作品情報

ストーリー
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年に出会う。彼の後を追うすずめが山中の廃墟で見つけたのは、まるで、そこだけが崩壊から取り残されたようにぽつんとたたずむ古ぼけた扉。なにかに引き寄せられるようにすずめは扉に手を伸ばす。やがて、日本各地で次々に開き始める扉。その向こう側からは災いが訪れてしまうため、開いた扉は閉めなければいけないのだという。迷い込んだその場所には、すべての時間が溶けあったような空があった。不思議な扉に導かれ、すずめの“戸締まりの旅”がはじまる。

予告編

声の基本情報
出演:原菜乃華/松村北斗/深津絵里/染谷将太/伊藤沙莉/花瀬琴音/花澤香菜/松本白鸚 ほか

監督:新海誠

公開日:2022年11月11日(金)

配給:東宝

ジャンル:アニメ

製作国:日本