『すずめの戸締まり』が新海誠監督の「到達点」である「3つ」の理由

映画コラム

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最初に申し上げておこう。『すずめの戸締まり』は間違いなく、日本のアニメ映画の最高峰の、素晴らしいエンターテインメントだ。

洗練されたアニメの表現は圧巻の一言で、子どもから大人まで楽しめる間口の広さもある。音楽や音響の魅力も大きいので、劇場の、特に大スクリーンで見届けるべきだ。「新海誠監督の最高傑作」という声があがるのも納得である。

前置き:観賞直後の感想は「平熱」、でも考えてみると「すごい映画」に

だが、個人的な観賞直後の感想は(今のご時世的に、ちょっと言いづらくもあるが、比喩表現として)「体温は平熱」だった。

2016年の『君の名は。』の「新世代のとんでもないアニメ映画が生まれた!」や、2019年の『天気の子』の「『セカイ系』の代表的な作家である新海誠監督がセカイ系を更新した!」といった、熱狂的なものではなかった(その具体的な理由は後述する)。

だが、高い熱量を持つことだけが良いというわけでもないし、その平熱ぶり、しみじみと「良い映画だ」と思えたことも、それはそれでいいことではないかとも思えた。そして、時間を空け、改めていろいろと考えてみると、「これは、やはり歴史の転換点となる、すごい映画なんじゃないか!?」「この映画と、新海誠監督が背負った『使命』が大きすぎる!」などと、その志(こころざし)の高さそのものへの感動が心に残ったのだ。

良い意味で咀嚼に時間のかかる作品でもあるがゆえに、繰り返し観たり、物語やセリフを深く考察し分析するほどに感動が増すだろう。そして、改めて新海誠監督が優しく、尊い作家であることも再確認できた。この映画から、希望をもらえる方は、きっと多いはずだ。

なお、公式Twitterから「地震描写および、緊急地震速報を受信した際の警報音が流れるシーンがある」と注意喚起がある。警報音は実際のものと異なってはいるが、ご留意の上で鑑賞してほしい。



ここでは、『すずめの戸締まり』の魅力と、新海誠監督がどのように本作へアプローチしていったのかを解説していこう。なお、大きなネタバレにならないように書いたつもりではあるが、ある程度の展開を想像させる記述や、予告編でわかる程度のことは記している。先入観や予備知識なく本編を観たい方は、先に本編をご覧になってほしい。

1:ロードムービー&バディもののストレートな魅力

この『すずめの戸締まり』は新海誠監督自らが、「ロードムービー」だと明言している。



主人公の女子高生・岩戸鈴芽(いわとすずめ)は、日本全国の災いの元となる扉を閉めるために旅をしている「閉じ師」の青年・宗像草太(むなかたそうた)と出会うが、草太は突如として一本の脚が外れた子ども用の椅子に変身させられてしまう。初めこそ半ば成り行きだったが、鈴芽は不自由な草太のサポートをするため、そして共に扉を閉じるために、日本列島の各地を渡り歩いていくのだ。

ロードムービーかつ「バディ(コンビ)もの」の映画は、例えば『ミッドナイト・ラン』(1998)や『グリーンブック』(2018)などの多数の名作がある。旅を経て、2人の関係性が変化していき、それぞれが人間として成長し、かけがえのない信頼関係も育まれていく。そんな面白さが、この『すずめの戸締まり』でもストレートに表れている。

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道中はクスクス笑えるコメディシーンも多く、出会う人々は個性的で親しみやすく、それぞれの表情もコロコロと変わる。カタカタと動き回る(実際は青年の)椅子や、「ダイジン」と呼ばれるネコが愛らしいマスコットキャラクターとなっているため、子どもも彼らに同調しやすいだろう。もしも、椅子ではなく元の青年の姿のまま、未成年の女の子と共に旅をする内容であったら、ある種の生々しさが出てしまっていたので、この椅子という突飛な発想も「正解」だと思うのだ。

そして、時にはあっと驚くアクション、そして劇場映えするスペクタクルも展開する。何よりも「楽しく」「面白い」映画であることそのものが、本作の大きな価値だろう。

また、本作はボイスキャストが文句のつけようもないほどに素晴らしい。1700人を超えるオーディション参加者の全ての声を新海監督が自ら聞いて探し出したというすずめ役の原菜乃華、アイドルという枠に収まらない表現力を発揮した草太役のSixTONESの松村北斗のことを、誰もが絶賛するだろう。その他、深津絵里、花瀬琴音、染谷将太、伊藤沙莉、松本白鸚、花澤香菜、神木隆之介、山根あんの声と演技も、キャラクターそれぞれをさらに魅力的にしてくれる。

これまでの新海誠監督作は、大きく分けた舞台が1つまたは2つであることが多かったが、今回は日本中の風景が次々に映し出されていく。言うまでもなく、それぞれがたとえようもなく美しく、「このような光景を現実でも見つけてみたい」と思えるし、その場所へ(コロナ禍では難しかった)旅行に行きたい気持ちにさせてくれる。ロードムービーであることが、誰にでも楽しめるエンターテインメントとなり、かつ「新海誠印の美しい風景の満漢全席」につながっているのだ。

–{「同じところをぐるぐる回る」新海誠監督の「リベンジ」}–

2:「同じところをぐるぐる回る」新海誠監督の「リベンジ」

そんなわけで『すずめの戸締まり』は万人が楽しめるエンターテイメントとなり、かつ『君の名は。』や『天気の子』とは異なるロードムービーとしての魅力も打ち出しているわけだが……一方で、筆者は「今までとやっていることは同じだな」という印象も持った(それこそが鑑賞直後の感想が「平熱」だった理由のひとつで、他にも細かい不満点はある)。

実は、新海誠監督自身、雑誌「ダ・ヴィンチ」2022年12月号のインタビューで、「そもそも僕は幅の広い作家ではないですし、同じところをぐるぐる周りながらものを作っているような気はする」と語っている。そして、「直接的に意識していなかったにせよ、2011年の『星を追う子ども』のテーマを何かしら語り直している部分はあるのかなという気がする」とも語っているのだ。

実際に『星を追う子ども』と『すずめの戸締まり』は共通点が多い。母子家庭(後者は叔母と姪)で育った少女が突如として男性と冒険に旅立つという物語の発端の他、それ以外にも(両者のネタバレになるのでここでは控えるが)付合する要素がある。

ただ、『星を追う子ども』は興行的にも批評的にも、明らかな失敗作でもあった。構図からシチュエーションに至るまで『天空の城ラピュタ』(1986)や『もののけ姫』(1997)などのジブリ作品をあまりに連想させる所が多く、しかも世界観や設定の説明が多い上にいろいろと唐突で展開そのものが飲み込みづらくもあった。

そして、新海誠監督は「ダ・ヴィンチ」の同インタビューにて「今だったらもう少しマシに語れる、もっと観客に届けられる」という「リベンジ感覚」についても語っている。明らかに、新海誠監督は『星を追う子ども』に(あるいは他作品にも)作家としての悔いが残っていたからこそ、もう一度語ってみようという気概があるのだ。

ここは『すずめの戸締まり』が賛否両論を呼ぶポイントでもあるだろう。「まったく新しい新海誠」を求めていた方にとっては期待はずれになるかもしれないし、「これまでの新海誠作品をブラッシュアップまたはアップデートしてもう一度届けてくれた」とポジティブに捉えられる方もまたいるはずだ。

余談だが、『すずめの戸締まり』にも、ジブリ作品を強く連想させるシーンがある。『星を追う子ども』の時には悪い意味での既視感ばかりを覚えてしまったが、今回は違和感はなく、必然性のあるものに仕上がっていた。そのジブリ作品へのリスペクトのバランス感覚もまた、リベンジと言えるのではないか。

さらに余談だが、『星を追う子ども』を観たことがある方は、ラストのセリフを思い出して、または再鑑賞して確かめてほしい。それを聞けば、『星を追う子ども』と『すずめの戸締まり』が「つながっている作品」だとわかるはずだ。

※これより『君の名は。』と『天気の子』のネタバレに触れています

–{「日本」そのものを鼓舞する「使命」}–

3:「日本」そのものを鼓舞する「使命」

そして、筆者個人が『すずめの戸締まり』の観賞後にいろいろと考えてみて「すごい映画」だと思えた理由は、「その土地に住む人たち、ひいては『日本』そのものを鼓舞する作品」だったことだった。

例えば、劇中の災いの元となる扉は「廃墟」にある。それは人が住まなくなった、もっと言えば「捨てられた」場所であり、ネガティブに捉えられやすいものだ。少子化や過疎化が進む現代では、ある種の「衰退」の象徴とも言ってしまえるだろう。実際に新海誠監督は、来場者プレゼントの「新海誠本」の中で、かつてにぎやかだったのに今は廃れてしまった場所が増えたことで「日本が壮年期に差し掛かっている感覚があった」とも語っている。

そして、劇中では人々を不安にさせる地震が起こる。『君の名は。』では彗星、『天気の子』では豪雨と、それぞれ物語の根底に、土地を破壊し、そして多くの人が死ぬ危険性もある災害が取り入れられていた。

そして、新海誠監督は「いま一番恐れ、また関心を抱いていることは『日常が急に失われてしまうこと』であり、その最も身近な体験が災害で、主人公がその状態をどう乗り越えるのか、という物語を作り続けるのは必然なのかなと思います」とも語っている。「また災害を描く」ということもまた、新海誠監督が言うところの「同じところをぐるぐる回っている」なのだろう。

地震がいつどこで起こるかわからない、いや、日常が急に失われてしまうかもしれないという不安は、新型コロナウイルスの脅威に怯え続けた(日本のみならず世界中の)人々の姿に重なる。しかも、新海誠監督は、「脚が一本なくて不自由で、椅子の中に理不尽に閉じ込められてしまっているような草太の感覚には、コロナ禍の時の気分が入っているのではないか」とも語っているのだ(ちなみにパンフレットによると、椅子というモチーフは田舎のバス停にポツンと置いてあった、一人掛け用の木造りの椅子を見かけたことが発想のひとつとのこと)。

『すずめの戸締まり』の企画を練り始めたのは2020年の初め、企画書を提出したのは2020年4月の東京都で1回目の緊急事態宣言が出された時だったそうだ。そのため、新海誠監督は、急に訪れたコロナ禍から影響を受けた部分は(前述した椅子のこと以外は)それほど多くはないとも語っている。

だが、実際に出来上がった『すずめの戸締まり』は、日本というこの場所にある、人々が住まなくなった廃墟が示す「衰退」、日常的に起こる地震という「不安」、そしてコロナ禍での「不自由さ」が間違いなく反映されており、現実ではあり得ないことが起こるファンタジー作品でありながら、「今の日本」を描いた作品であるとも強く思わされる

そして、「日本中で旅をする」ロードムービーであることが、その「今の日本を描く」ことと密接に結びついているのだ。

では、新海誠監督は『すずめの戸締まり』は「今の日本」を描いたその先で、何を提示するのか……? もちろん詳しくはネタバレになるので書けないが、この困難な時代に突入した日本、そして全ての「生きている人」にとってのエールだった、ということだけは告げておこう。アニメ映画というエンターテインメントで、新海誠監督が、ここまでの「使命」を背負い、そして観客に豪速球にメッセージをぶつけてくれることこそに、感動があったのだ。

その「使命」もまた、新海誠監督が同じことをぐるぐる回っている、作家性の幅が広くはないと自虐的に言うほどの「らしさ」なのであるが、その結果として「ここ」にまで至ったことにも、感慨深さもあった。

また、本作の立ち位置は2021年の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』にも近いのかもしれない。庵野秀明監督はタイトルに「:||(リピート記号)」をつけていて、「繰り返しの物語」でありつつ「最終的な答え」を示していたこちらも、これまで「ぐるぐる回っていた」からこその内容と言えるのだから。

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そんな、庵野秀明監督に続く、新海誠監督の「到達点」を、ぜひ劇場で目撃してほしい。

(文:ヒナタカ)

–{『すずめの戸締まり』作品情報}–

『すずめの戸締まり』作品情報

【あらすじ】
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年に出会う。彼の後を追うすずめが山中の廃墟で見つけたのは、まるで、そこだけが崩壊から取り残されたようにぽつんとたたずむ古ぼけた扉。なにかに引き寄せられるようにすずめは扉に手を伸ばす。やがて、日本各地で次々に開き始める扉。その向こう側からは災いが訪れてしまうため、開いた扉は閉めなければいけないのだという。迷い込んだその場所には、すべての時間が溶けあったような空があった。不思議な扉に導かれ、すずめの“戸締まりの旅”がはじまる。

【予告編】

【基本情報】
声の出演:原菜乃華/松村北斗/深津絵里/染谷将太/伊藤沙莉/花瀬琴音/花澤香菜/松本白鸚 ほか

監督:新海誠

配給:東宝

ジャンル:アニメ

製作国:日本