『母性』原作と実写で比較する“父性”の在り方

映画コラム

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2012年10月31日に出版された湊かなえによるミステリ小説「母性」が実写映画化。作者自身が「これが書けたら、作家を辞めてもいい。そう思いながら書いた小説」と評する作品が、戸田恵梨香×永野芽郁主演で2022年11月23日に公開される。

戸田恵梨香演じる母・ルミ子と、永野芽郁演じる娘・清佳。2人の視点から描かれる”母性”をテーマに据えた母娘の物語は、なんとも独特の後味を残していく。

主要キャスト2名の演技や、原作小説と実写映画の違いに触れつつ、本作の魅力に迫っていく。

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これ以上ないキャスティング!帰ってきた「ハコヅメ」コンビ

本作で注目したい要素のひとつとして、やはり絶妙なキャスティングが挙げられる。ルミ子の母役に大地真央、意地悪な姑の役に高畑淳子、ルミ子の友人役に中村ゆりなど多彩な面々が揃うなか、やはり、主演である戸田恵梨香×永野芽郁の「ハコヅメ」コンビは見逃せない。

講談社モーニングに連載の原作漫画「ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜」を連続ドラマ化した日テレ系列「ハコヅメ〜たたかう!交番女子〜」(2021)にて、ダブル主演を務めたのが戸田恵梨香と永野芽郁だ。

凄腕の元エース刑事にも関わらず、町の交番へ左遷されてきた藤聖子を戸田恵梨香が、その後輩新米刑事である川合麻依を永野芽郁が演じている。他にもムロツヨシや山田裕貴、三浦翔平、西野七瀬など実力派が脇を固め、平均視聴率約11%の安定した人気を誇った。

原作へのコアな声援も後押しの理由となったが、それぞれの役柄にハマった絶妙なキャスティングも作品の色を決めたに違いない。ちょっと、いやかなりドジで我が道を突っ走るタイプの川合を、冷静な藤がツッコミながら愛あるフォローをする構図がなんともコミカルで癖になるのだ。

そんなキャスティングの妙が、映画『母性』にも反映されている。「ハコヅメ」で演じた役柄とは真逆だが、自身の母に対する愛情が半ば狂気的に映るルミ子と、ただ一心に母・ルミ子からの愛情を求め空回りする清佳は、戸田恵梨香×永野芽郁だからこそスクリーン上に再現できたと痛感せざるを得ない。

戸田恵梨香の狂気的な演技&表情の変化に注目

なぜ、これほどまでに『母性』のキャスティングがハマったのか? その理由のひとつとして、戸田恵梨香の狂気的なまでの演技力に再注目したい。

戸田恵梨香演じるルミ子は、良くも悪くも「母親の愛情」を盲信する女性だ。洋服も化粧もいつだってカンペキなルミ子の母親は、子の愛し方も実に倫理的だった。いつだって分け隔てない温かい愛に包まれて育ったルミ子は、成長し、大人になっても「娘」でいることをやめられない。むしろ、自ら娘で居続けることを望んでいる節さえある。

ルミ子の幼少期については、原作・映画ともに描かれていないものの、大人になったルミ子とその母親のやりとりを追う限り、そこには両手に余るほどの愛があったことを想像させる。不思議とそこに「父親」の存在は影かたちもない。

傍から見て美しい親子関係であることに違いはないが、それが行き過ぎると、ある種の恐ろしさに繋がる。案の定、ルミ子は自身が結婚して子ども(=清佳)を産み、母親になっても、その実感を抱けないままだ。この物語の核であり中心となる大事件、ルミ子の母親が亡くなってしまう火事の現場でも「子どもなんてまた産めるじゃない」とまで発言している。

どこまでも、娘で在り続けたいルミ子の狂気を、戸田恵梨香は繊細な表情の変化で体現している。

原作、映画ともに「母・ルミ子の視点」「娘・清佳の視点」ふたつの視点から紡がれる物語は、立場や角度によってこうも見え方・捉え方が違うのかと驚く。ルミ子自身、精一杯の愛情でもって娘と接していると信じているのに、清佳からはそうは見えない。むしろ愛憎や憎しみが折り重なり、複雑な表情になってしまっている母・ルミ子に、清佳は恐怖を抱きつつも「愛してほしい」と願うことになる。

母視点と娘視点から見る、戸田恵梨香の表情の違いにぜひ注目してほしい。眉の動きや目線の外し方、所作のひとつひとつが計算されていることが伝わってくる。彼女の演技に対する真摯な姿勢かつストイックさが、緻密な表現に集約されているのだ。

その演技を受け止めつつ、最後まで母からの愛情を信じた清佳に扮した、永野芽郁の存在感にも触れておきたい。「ハコヅメ」の川合や「ユニコーンに乗って」(TBS系列)の成川佐奈など、フレッシュかつ猪突猛進な素直さを前面に出した役柄が多い彼女。しかし『母性』の清佳は一味違い、若さゆえの鬱屈とした思いも内に秘める機微を、秀逸に表現してみせた。

『母性』実写化は、この二人ありきで実現できたと、確信をもって言える。

※これより小説ならびに、実写版『母性』の一部ネタバレに触れています

–{『母性』原作と実写の読後(鑑賞)感の違い}–

『母性』原作と実写の読後(鑑賞)感の違い

2009年に小説「告白」が本屋大賞を受賞、その後2010年に松たか子主演で実写映画化されるや否や、瞬く間に湊かなえの名前は全国に広まった。読んだ者の心になんとも言えない後味をこびりつかせる作風は、今ではイヤミスの金字塔と称されて久しい。

その後も『白ゆき姫殺人事件』(2014)『少女』(2016)『望郷』(2017)など映画はもちろんのこと、「境遇」(2011)「贖罪」(2012)「夜行観覧車」(2013)「Nのために」(2014)「リバース」(2017)など次々とドラマ化もされた。東野圭吾や池井戸潤と並ぶ、実写化の常連となっている。

そんな彼女自身に「これが書けたら、作家を辞めてもいい」とまで言わしめた作品「母性」が実写化されると報じられた。原作を読んだ方にならわかってもらえるだろう、あの明言しにくい読後感をどのように映像へと落とし込むのか。母と娘で視点がガラリと変わる構成も、小説だからこそできるアッと驚くトリックも、映画での表現は骨が折れるのでは……と想像してしまう。

まず、原作の読後感について触れたい。

読む人によって捉え方は千差万別だろうが、筆者はなんとも曖昧で空中浮遊しているような、着地点が見えない不安定さを感じ取った。

母・ルミ子は、絵画教室で知り合った田所と結婚し、娘・清佳を授かったにも関わらず、母性とはほど遠い女性だ。いつまでも自身の母親に愛され、母親の庇護下にいたいと願っている。田所との結婚を決めたのも、母親のお墨付きがあったからこそ。娘を妊娠した瞬間、とっさに生まれた嫌悪感をおさえられたのも、母親からの「命を未来に繋いでくれて、ありがとう」の言葉があったからこそなのだ。

母になりきれない、いつまでも娘の立場でいたい。子どもを産んだからといって、誰しもが母性を発揮させるわけではない。人が自ずと”母親”の存在に対し望んでしまう”母性”が、からっきし備わっていない女性、それがルミ子だ。そんな彼女の思考や言動を追うごとに、本能的な違和感と恐怖を覚えた読者も少なくないはず。

ルミ子としては極力、娘の清佳に対し優しく接しているつもりでいても、清佳の視点から見たルミ子の様子はまるで正反対。その見え方のアンバランスさや解釈の違いも含め、なんとも言葉にしがたい感情を読者の心に植え付ける。この作品の根底に流れるテーマや、終盤で静かに明かされるトリック、そして結末の展開は、ハッピーエンドともバッドエンドとも言えない曖昧さを孕んでいる。

それに対し、実写映画の観賞後に覚える感覚は、原作に対するそれとは少し違う。

根底に通じるテーマ「母性とは何か?」は変わらないが、原作よりも多少”救いのある”結末になっているのだ。成長し大人になった清佳が妊娠し、自身も母親になる現実を目の前に「自分はどちらだろうか?」を問うラストシーン。この「どちらか」は、母になれる女性か、それとも娘でいたい女性かの二択を指している。

女性誰しもに”母性”が自然発生するわけではない。迷いなく母として生きられる人もいれば、そうではない人もいる。どちらにせよ罪があるわけはないし、どんな生き方も他人に非難されるいわれはないーーそういった、ある種の救済的メッセージを、実写版ではより強く感じるのである。

良し悪しでもなければ、完全に好みの問題ではあるが、母であることもしくは母になることに対し一抹の疑問や不安を持たれる方にとって、実写版のほうがマイルドな後味であることを添えておきたい。

『母性』実写版では排除された”父性”

最後に、『母性』原作と実写映画の違いとして、”父性”の意味と立ち位置に注目したい。

『母性』というタイトル、そして作品の根底に通ずるテーマから考えても、父性については扱う必要性がないように思える。母とはどんな存在か、どんな女性にも母性は生まれ得るものなのかを考えるにあたり、”父性”はまた別物であり、比較対象としても不釣り合いと考えられるからだ。

しかし、原作「母性」にはふたつの父性が存在している。ルミ子と結婚し夫となる田所と、田所の父親(ルミ子の舅にあたる)である。

絵画教室で出会い、仲を深めることとなった田所は、どちらかというと寡黙で面白みのない男性として映る。実際のところ、ルミ子が田所との結婚を決めたのも、ルミ子の母親に勧められたからに過ぎない。結婚直後は穏やかな生活をともにするが、髪型を変えても新しい洋服を着ても言及されず、料理に対して「美味しい」の一言もない田所に対し、ルミ子は早々に疑念を抱くことになる。

例の火事の一件以降は、田所の実家に居を移すことになるのだが、姑ならびに舅の風当たりは強い。料理に家事に洗濯に畑仕事と、無給で働かせられるルミ子の身を慮ることもなく、田所は風の吹くまま。積極的に助け舟を出すつもりもなければ、自分が「世間知らずのお嬢様に居場所を与えてやっている」と言わんばかりだ。

この田所の態度については、実写版でも忠実に描かれている。しかし、もうひとつの”父性”として挙げたルミ子の舅については、その存在感が極端に薄い。結婚直前に田所家へ挨拶に行くシーンでは登場するものの、以降は高畑淳子演じる姑ばかりに焦点があてられる。

原作での舅は、頑固で気難しく、常に妻(ルミ子の姑)と口を開けばケンカばかりしている。田所と同じく、むやみにこき使われるルミ子を積極的に助けようともしない。我関せずで気の向くままに過ごしている様は、その立ち位置やキャラクターの意味合いとしても、田所となんら変わりないところにいる。

実写版ではそんな姿さえも描かれていないとあり、極端に”父性”が感じられない仕上がりになっているのだ。

しかし、その点はマイナスポイントとしては映らない。あえて徹底的に父性をなくしたことにより、母性の存在感が一層強まる。湊かなえによる原作「母性」から感じ取れる狂気、おどろおどろしさはそのままに、実写版では「母性とは?」といった観客への問いかけが際立っている。

あなたにとって、母性とはどんなものか?

ぜひ劇場で本作をご覧になり、考えるきっかけとしてほしい。

(文・北村有)

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–{『母性』作品情報}–

『母性』作品情報

【あらすじ】
女子高生が自ら命を絶った。その真相は不明。普通に見えた日常に、静かに刻み込まれた傷跡。愛せない母と、愛されたい娘。同じ時・同じ出来事を回想しているはずなのに、ふたりの話は次第に食い違っていく。母と娘がそれぞれ語るおそるべき「秘密」。2つの告白で事件は180度逆転するー。

【予告編】

【基本情報】
出演:戸田恵梨香/永野芽郁/三浦誠己/中村ゆり/山下リオ/高畑淳子/大地真央 ほか

監督:廣木隆一

配給:ワーナー・ブラザース映画

ジャンル:ドラマ

製作国:日本