『秒速5センチメートル』タイトルの意味、そして新海誠監督が「距離」を描く理由を解説

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2022年10月上旬現在、「新海誠IMAX映画祭」が開催中だ。『君の名は。』と『天気の子』、そして『秒速5センチメートル』を大スクリーンで堪能するチャンスとなっている。

『秒速5センチメートル』は2007年に劇場公開され、今もなお新海誠監督作を語る上では外せない作品のひとつ。今回初めてIMAXでの上映となり、劇場に帰ってくる。このタイミングで改めて『秒速5センチメートル』に込められたタイトルの意味を鑑みるとよりわかる、新海誠監督の「距離」を描く理由を解説したい。

また、『秒速5センチメートル』は良くも悪くも「ショックを受けた」といった感想も多く見かける作品ではあるが、実際は現実にフィードバックできる、とても優しいメッセージが込められた作品であると思う。その理由を初めは大きなネタバレはなしで、続いてラストを含むネタバレ全開で記していこう。

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1:「秒速5センチメートルではない」という事実

映画冒頭で示される「桜の花が舞い落ちるスピードは秒速5センチメートル」という情報は、「実際はそれよりはるかに早い」という事実がある。流体力学で検証した記事によると、実際の桜の花が落ちるスピードは「秒速2メートル」におよぶ(ただし秒速1.75メートルの上昇気流が起これば、秒速5センチメートルになる可能性もある)そうだ。

参考記事:桜の花の落ちるスピード「秒速5センチメートル」は正しいのか?:流体力学で検証 – MONOist

つまり、「桜の花が舞い落ちるスピードは秒速5センチメートル」は、風などの副次的な要素も絡んでいる上、曖昧どころか現実とかなり乖離している情報だ。実際、劇中でそれは小学生の女の子・明里が「ねぇ知ってる?」と聞いてから口にしたものにすぎず、そもそも出典も根拠も不明だ。

だが、主人公の貴樹にとって、それは想い人が言ったことだからこそ、心の隅に残っているものだったのだろう。第2話「コスモナウト」で、高校生の花苗が、ロケットを運搬するトレーラーについて「時速5キロなんだって」と偶然に数字だけが一致した情報を言った時の貴樹の反応をみれば、それは明白だ。

言い換えれば、貴樹にとって「桜の花が舞い落ちるスピードは秒速5センチメートル」は、「信じたかった進むスピード」なのだろう。そして、物語ではそれ以降、その桜の花以外での、「距離」「時間」「スピード」を示すモチーフが、残酷なまでに登場していくことになる。

※ここからは『秒速5センチメートル』のラストを含むネタバレに触れています

–{あらゆる「心の距離」の示し方、そしてラストは……}–

2:残酷なまでに示される「心の距離」

(C)Makoto Shinkai / CoMix Wave Films


新海誠監督は多くの作品で「精神的な心の距離」を「物理的」または「時間的」に示してきた
。今回の『秒速5センチメートル』で、それを示す最も象徴的なモチーフは「列車(電車)」だろう。

第1話「桜花抄」では、13歳の主人公の貴樹が、想い人の明里に会うために列車に乗り込むものの、大雪によりその列車は何時間も停車してしまう。列車は通常であれば決まり決まった時間に、決まった場所まで乗客を送り届けてくれるのだが、大雪という自然現象は「出会うまでに進むスピード」を「ゼロ」にしてしまう、というわけだ。降っている雪自体は舞い落ちる桜にも似ていて、それこそ桜の花を「まるで雪みたい」と見立てていたことも、その残酷さを際立たせているようだった。

第2話「コスモナウト」では、 進路に悩み、趣味のサーフィンも思わしくない女子高生の花苗は、カブ(オートバイ)で通学していて、それは想い人の貴樹も同様。その乗り物があるからこそ、一緒に貴樹と帰ることもできたりもした。しかし、歩いて一緒に帰ったとしても、花苗は貴樹に告白ができなかった。そして、目の前で花苗と貴樹は「遠い遠い場所まで目的を持って飛んでいく」ロケットを見る。物理的な長い距離を一瞬で進んでいくロケットは、カブに乗っても歩いて帰っても結局は告白できず、貴樹との心の距離を近づけていけない、花苗の心情を相対的に際立たせているようでもあった。

第3話「秒速5センチメートル」で、社会人となり仕事に忙殺されている貴樹は、当時に3年間付き合っていた恋人の理紗から、ガラケーのメールで「1000回メールしても、心は1センチくらいしか近づけなかった」と言われてしまう。そして、映画冒頭と相対するように、貴樹と明里は「線路」ですれ違うのだが、声をかけることなく、そのまま2人はお互いに去ってしまうのだ。

3:ラストはバッドエンドなのか?

このラストを、いわゆるバッドエンドだと思う方も多い。だが、その時に貴樹は柔らかな笑顔を浮かべている。貴樹は明里はもちろん、花苗との思い出も胸に、前向きになれた、たとえ想い人の明里と一緒になれなくても、それが生きる「糧」になったとみることもできるはずだ。

また、その直前には、山崎まさよしの「One more time,One more chance」に乗せて、今までの記憶も蘇っていた。「いつでも探しているよ、どっかに君を姿を」といった歌詞は、貴樹の明里への想いを吹っ切れなかった貴樹の想いそのものかもしれない。

だが、その歌詞が歌い終わったアウトロで、貴樹が笑顔になっていたということは、やはりそれらの記憶を持ちながらも、これからの自分の人生を生きることができるという希望だろう。

そして、その踏切には桜の花が舞い落ちていた。彼はここで「桜の花が舞い落ちるスピードは秒速5センチメートル」というあの頃の明里の言葉を思い出し、その曖昧でもある情報を「きっとそうなんだ」と肯定すること(=すれ違った女性はきっと明里なんだと思うこと)ができたのかもしれない。

『秒速5センチメートル』というタイトルの意味は、人生のどこかで、そのように「きっとそうなんだ」と思うこと、それ自体が奇跡なんだという、肯定にこそあるのではないか。

また、『秒速5センチメートル』の小説版では、第3話の出来事と、貴樹の心情がさらに詳細に綴られている。この小説は、新海監督自身、映画の結末にショックを受けた観客の声を聞き、その反省のためにも書いたと語っている。実際に小説版のラストを読めば、おそらく映画よりも、ポジティブで前向きな印象をきっと得られるのではないか。そちらでは貴樹はとある自責の念を抱いていることもはっきりと綴られており、それを踏まえてなお、彼が最後にどのような気持ちを抱いたかを知れば……大きな感動を覚える方は多いはずだ。

さらに、新海監督はかつてのウェブサイト「Other voices-遠い声-」にて、本作について「我々の日常には波乱もドラマも劇的な変節も突然の天啓もほとんどありませんが、それでも結局のところ、世界は生き続けるに足る滋味(じみ)や美しさをそこそこに湛(たた)えています」と語っていたこともある。

「秒速5センチメートル」では、それこそ大きな事件はほとんど起きない。しかし、誰かの人生のどこかにある「すれ違い」「別れ」が描かれており、それは残酷なようで実は(美麗な画をもって描かれるように)美しくある。ひいては、やはり生きる糧になるということを、この『秒速5センチメートル』では訴えてられているのではないか。

ちなみに、ラストの踏切は、冒頭の踏切とは明らかに違う場所だ(線路の間隔や背景などが異なる)。同じ場所でなくとも、話しかけたりしなくとも、かつての想い人とどこかですれ違い、そしてその思い出を胸に生きていけるという、やはり奇跡を綴った物語と言える。

–{英題の意味と、『天気の子』に通ずる言葉}–

4:英題の「A」の意味

この『秒速5センチメートル』の英題では、テーマがストレート表れていたりもする。それは「A Chain of Short Stories About Their Distance.」、つまり「彼らの距離についての短い物語の連なり」であり、まさに短い(3話の)物語での構成そのものを示している。

新海誠監督作は、前述もしたように、多くの作品でほぼ一貫して「精神的な心の距離」を「物理的」または「時間的」に表してきた。今回はそれを『秒速5センチメートル』というタイトルおよび曖昧な情報の桜の花の落ちるスピード、それぞれ関連のある3つの切ない物語と、「大雪で止まってしまう列車」「ずっと遠くの場所を目指すロケット」などの種々のモチーフを通じて、まさに「彼らの距離」を表現していた、というわけだ。

しかも、今回の英題には不定冠詞の“A”が付いている。この“A”は「(その他にもたくさん)ある1つの」という意味であり、「他にも同じような物語がどこかにあるのではないか」という含みを持たせていると言っていい。それまでの新海誠作品『ほしのこえ(The voices of a distant star)』『雲のむこう、約束の場所(The place promised in our early days)』では共に英題に「The」がついていて「ただひとつ」として強調されていたので、これは明確な変化と言っていいのではないか。

その英題に「The」がついている前2作は現実ではあり得ないSFファンタジー作品であったが、『秒速5センチメートル』は(近場でのロケットの打ち上げはあるものの)極めて現実に近い世界での男女のすれ違いと、人生の節目に訪れる別れを切り取った作品となっている。言い換えれば、「このようなすれ違いや別れの物語は現実のどこかにもあるかもしれない」「それはあなたの物語かもしれない」と、この英題の「A」は示しているのではないか。

その証拠と言うべきか、新海監督は『君の名は。』公開後となる2017年の朝日新聞社のインタビューで、この『秒速5センチメートル」について「登場人物たちを美しい風景の中に置くことで、「あなたも美しさの一部です』と肯定することにより、誰かが励まされるのではないかと思っていた」と語っている。

新海監督は、いつも「心の距離」を描く物語と、現実よりも美しい風景が映し出されるアニメを作ってきた。それをもって、どれだけ心の距離があったとしても、結果として残酷に思えるすれ違いが別れがあったとしても、それもまた美しいものであるし、それはあなたの人生をも肯定するものなのだと、やはり新海監督は優しいメッセージを投げかけていると思うのだ。

※これより『天気の子』のラストについて触れています。未見の方はご注意ください。

5:『天気の子』と一致していた「大丈夫」

余談ではあるが、第1話で貴樹と別れる直前に明里は、「貴樹君は、この先も、きっと大丈夫だと思う。絶対!」と言ってくれている。この「大丈夫」は、後の『天気の子』のラストでもリフレインされる言葉だ。

『天気の子』の「大丈夫」という言葉は、野田洋次郎(RADWIMPS)の提供した歌がまさに「大丈夫」だったからこそ、それまで脚本では未定だったラストが決まったという逸話がある。偶然か必然か、若者へのこれからの人生を鼓舞する「大丈夫」というメッセージが、時を経て、劇中アーティストが提供した歌もあって、一致したということも、感慨深いものがあった。

新海監督はスタッフや観客の反応も鑑みながらも反省し作品に挑み、それでもなお自身の作家性を打ち出そうと試行錯誤をしてきた。2022年11月11日公開の最新作『すずめの戸締まり』で、またどのように美しく、また若者を鼓舞するメッセージを提示するのか、楽しみにしている。

(文:ヒナタカ)

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–{『秒速5センチメートル』作品情報}–

『秒速5センチメートル』作品情報

【あらすじ】
<桜花抄>
遠い憧れのつまった図書館の本。神社の猫。カンブリア紀のハルキゲニアとオパビニア。二人だけに過ぎてゆく日々と、二人だけで広がっていく世界。東京の小学校に通う遠野貴樹(声:水橋研二)と篠原明里(近藤好美)は、親の転勤で引っ越したばかりの家庭環境も同じながら、引っ込み思案で体が小さく病気がちなところも同じだった。二人はやがて、お互い似たもの同士で、次第に意識しあうようになるが……。

<コスモナウト>
種子島-夏。この島に暮らす高校三年の澄田花苗(花村怜美)の心を今占めているのは、島の人間にとっては日常化したNASDA(宇宙開発事業団)のロケット打ち上げでも、ましてやなかなか決まらない進路のことでもなく、ひとりの少年の存在だ。中学二年の時に、東京から引っ越してきた遠野貴樹(水橋研二)。こうして隣を歩き、話をしながらも彼方に感じられる、いちばん身近で遠い憧れ。鼓動が重くも早まるから、口調は早くも軽くなる。視線が合わせられない分、視点はいつも彼のほうを向いている。ずっと続けてきたサーフィンで思い通りボードに立てたなら、そのときは胸のうちを伝えたい。乗りこなしたい波。乗り越えたい今。少しずつ涼しさを増しながら、島の夏が過ぎていく……。

<秒速5センチメートル>
遠野貴樹は高みを目指そうとしていたが、それが何の衝動に駆られてなのかは分からなかった。大人になった自らの自問自答を通じて、魂の彷徨を経験する貴樹だが……。 

【予告編】

【基本情報】
声の出演: 水橋研二/近藤好美/花村怜美/尾上綾華/水野理紗 ほか

監督:新海誠

上映時間:63分

配給:コミックス・ウェーブ・フィルム

ジャンル:ロマンス/ドラマ/青春

製作国:日本