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2022年4月11日より放映スタートしたNHK朝ドラ「ちむどんどん」。
沖縄の本土復帰50年に合わせて放映される本作は、復帰前の沖縄を舞台に、沖縄料理に夢をかける主人公と支え合う兄妹たちの絆を描くストーリー。「やんばる地域」で生まれ育ち、ふるさとの「食」に自分らしい生き方を見出していくヒロイン・比嘉暢子を黒島結菜が演じる。
cinemas PLUSでは毎話公式ライターが感想を記しているが、本記事では暢子が家族とともに沖縄やんばるへ移住していく116回~最終回までの記事を集約。1記事で感想を読むことができる。
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もくじ
第116回のレビュー
沖縄、やんばるの比嘉家の物語「ちむどんどん」も残り2週。第24週「ゆし豆腐のセレナーデ」(演出:松園武大)第116回で最も印象的だったのは、ニーニーこと賢秀(竜星涼)の仕送りで優子(仲間由紀恵)が借金返済したということ。まだ借金あったのか!と驚きました。
暢子(黒島結菜)が東京に出て来て12年、賢秀はその間も、いろんなことをやらかしてきました。思えば、暢子が先に東京に出た賢秀を頼って来たとき、彼はボクシングのファイトマネーをジムから前借りしていなくなっていて、それも一家で返すことになっていたはず。その後も、いろんなことがあって……。
そもそも、やんばる時代に騙されて借金をしています。それらを常に優子が肩代わりしてきて(さとうきび畑を売ったりして)、それでもなんとかなってしまうのはなぜだろうと思っていました。近年は、何度も沖縄から東京にやって来たり、食事の品数も増えたりしていて、裕福になっているのかなと思っていたのです。が、まだ借金が残っていたのですね。きっとちょっとずつ減って、あと1万円……くらい残っていたという感じなんでしょうかね。
最後まで賢秀に責任をとらせたということは良かったと思います。それもコツコツと養豚場で働いてのことで。筆者は当初、一攫千金、大逆転かなと思っていましたから。最初の我那覇の投資がなにかの間違いで大化けしたとかいう話になるのかなと。そういう浮かれた感じでなくてよかったです。
清恵(佐津川愛美)が出産を間近に控えているときの顔が、お腹が大きくなった倦怠と幸福感のようなものを感じさせ、とてもリアリティーがありました。佐津川愛美さんの演技力。
矢作役の井之脇海さんも、声をすこし高く明るくし、矢作がすっかり心をいれかえ、状態がいいことがわかります。
佐津川さん井之脇さんは高いテクニックを持っています。
改めて。東京に出てきて12年、1984年。暢子と和彦(宮沢氷魚)の子・健彦(三田一颯)も4歳とずいぶん大きくなって、お店も順調。家族3人、やんばるに里帰り。暢子はシークヮーサーの木の下で、子供のときのことを思い出します。
歌子(上白石萌歌)は2年前にやんばるに戻っていて(健彦の面倒は、重子〈鈴木保奈美〉と多江〈長野里美〉がやっている設定)、智(前田公輝)も会社の拠点をやんばるに移しました。智は暢子を追って東京に来たように、今度は歌子を追ってやんばるに戻ったように感じますが……。
歌子はお店で歌えるようになりましたが、智との仲はまだ進展していません。もらったペンダントをつけて歌っているのに。
博夫(山田裕貴)は融通が利かない。
お母ちゃん(優子)は考えていることがすぐに顔に出てしまう。
暢子はなんにもわかっていない。
うち(良子)の言い方は何でも怒ってるみたいに聞こえて怖いってよく言われるし。
おお、すごい、良子(川口春奈)が一瞬で、比嘉家の人々の特徴を復習してしまいました。
こんな感じだから、智と歌子がどうなのかうまく聞ける人がいないからと良子が和彦に頼むわけですが、和彦もいきなり「好きなのか」と聞いちゃいます。相変わらず、取材の仕方をわかっていないようです(以前もいきなり聞き出そうとしたり、そうかと思えば、本題を最後、ついでのように聞いたりしてましたから)。ただ、B5ノートを半分に切って小さくして使っているのは、妙にリアリティーがありました。こういうの好きです。
こんなふうに、これまでのみんなを思い返すような第116回でした。来週、最終回ですからね。しみじみタイムに突入です。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第117回のレビュー}–
第117回のレビュー
暢子(黒島結菜)親子がやんばるに里帰りしたので、みんなで集まることになりました。
暢子はすっかり童心に帰った感じで、
「うち畑の野菜使っていろいろ作ってみたい」
「絶対忘れないでよ。約束だよ。いっぱいだからね」
暢子「あっ うち あれも食べたい オオタニワタリ」
優子「暢子 あんたばっかり」
などと子供みたいなしゃべり方をしながらはしゃいでいます。
暢子「砂川豆腐のゆし豆腐、これは東京では食べられないわけよ」
優子「昨日も食べたでしょ」
この会話もすごい。
暢子「ゆし豆腐今日も食べようね」
健彦「うん」
これもすごい。
ゆし豆腐推し、暢子はゆし豆腐が好きで好きでたまらないことを表すために繰り返しているんですね。
昭和のドラマだったら 砂川豆腐の経営状況やら智の家族の近況やら、ゆし豆腐を東京で食べたかったけど食べることができなかった顛末などをべらべらと説明的に語るのでしょうけれど、日常でそんなに意味のあることや情報量の多いことは言わないというリアリティーを追求はじめたのが00年代以降です。90年代にあった静かな演劇ブームが遅れてドラマにも影響を及ぼし始め、定着していきます。その結果、こういうセリフに変化していったのでしょう。ドラマにおけるセリフの歴史を考えさせる一例です。
さて、暢子がオオタニワタリを食べたいと言ったため、智(前田公輝)が山に行き、歌子(上白石萌歌)がついていき、また口喧嘩をして、智が怪我して……。
山小屋に入ったふたり。ここで歌子が心情を吐露する長ゼリフを語りだします。
ふいに心情吐露は、坂元裕二さんのドラマ「最高の離婚」(13年)で盛り上がって以降、多用されるようになりました。
歌子は東京ですっかり弱気の虫を克服したのかと思ったら、そうではなく、まだもやもやを抱えていました。
智「もっと欲張りになれ」
と智は励ましますが、彼が思いきって歌子とつきあう、あるいはプロポーズすれば歌子の気持ちは落ち着くのですが、そこに気づいてなくて、理想論を吐く。
それでも不器用ながらようやくムードが盛り上がったとき、それをぶち壊したのはーー
まだ火曜日ですから、引っ張りますねえ。いや、しかし、何年こんなことをしているのか。もちろん、長い恋もありますけれど。智も歌子もさほど忙しそうでもないので恋どころじゃないってこともないし、東京で歌子が2年働いているうちに進展しても良さそうですよね。このシーン、演じている前田さんと上白石さん、どんなお気持ちだったでしょうか。
山小屋から出ていく歌子。懐中電灯も持たずに危ないですよー。
ところで、和彦(宮沢氷魚)。半分に切ったノートはお父さん・史彦(戸次重幸)のものでした。
沖縄をテーマにしたい和彦。沖縄に住みたい。
「僕の仕事は依頼を受け 原稿を書いて送ればいいから どこに住んでいてもいいけれど」
この頃はネットはまだ普及していませんが、原稿をFAXで送ればいいから、和彦の言ってることは間違いではないとはいえ、さほど売れていなそうなフリーライターが東京から離れ地方で取材して原稿を送るなんてことは通用したのかしら、というか仕事として成り立つのかしら……といささか疑問です。それとももう売れっ子に?
ドラマよりもっと先の00年代頃の筆者の思い出として、海外を飛び回っているベテランライターがパソコンを使わず手書きで外国からFAXを送ってきてそれを打ち込むのが面倒くさいと愚痴る編集の人がいました。しかもFAX料金をケチるためちまちま文字を書いていて判読しづらいとかで……。海外の貴重な取材をしてくれるから仕方なかったみたいですけれど。
民俗学者なんて実家が裕福かパトロンがいないとなかなか成り立たない気がしますが、和彦は重子の資産もありそうなので、テーマを沖縄のみに絞って、じっくり腰を据えて好きなことだけやっていきたいのでしょうね。
その頃暢子もやんばるに戻ってきたいと考えはじめていました。暢子と和彦って惹かれ合っただけあって、あまりベタベタはしないけれど、気が合っていますね。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第118回のレビュー}–
第118回:「おとなしくしてくれない!」
山小屋から逃げ帰った歌子(上白石萌歌)が夜、眠れなくて優子(仲間由紀恵)と話しています。それを隣の寝室で聞いている和彦(宮沢氷魚)。
「好きだと言ったら同じ気持ちであってほしいと欲張ってしまう」
「今日はすごくいいことがあったわけ 人生で一番かもしれない」
智(前田公輝)は欲張りになれと言ったけれど、歌子はとても慎ましいのです。
そんな歌子の気持ちを聞いた和彦はなにかを決意したような顔になります。
翌日、和彦は暢子(黒島結菜)に話をしようとしますが言い出せず、代わりに暢子が自分の悩みを話しはじめます。
「まくとぅそーけー なんくるないさ……であるよね」
「ちむどんどんするかしないかだよね」
……さっぱりわからない話ですが、和彦はなぜか背中を押されたようで、智に沖縄角力を挑みます。
「僕が勝ったら今夜来て、歌子に正直な気持ちを伝えろ」と。
「好きなんだろ? 大好きなんだろ?」と言いながら全力でぶつかっていく和彦。智のほうが断然体力があるはずだけれど、そこは和彦がすきをついて技をかけます。
相撲でケリをつけること、智に勝てる秘技は、賢秀(竜星涼)から聞いたものでした。
賢秀も役に立ったようです。
ここで注目したいのは、賢秀の頭で考えずにカラダでぶつかる作戦と和彦の、智にこそっと話しかけて不意をつくという頭脳作戦を用いた、頭とカラダ、両方を使っていることです。
頭だけでもカラダだけでもだめ。両方が大事です。
だからちむどんどんするかしないかそれだけじゃないと思う。
そして、夜、暢子がやんばるの野菜で作った料理を囲む会が行われます。
地元の人ばかりなのに、観光客が地元料理を喜んでいるように見えますが、暢子が東京で学んだ料理人の技で地元料理をアレンジしそれが地元の人たちにも目からウロコで喜ばせているのでしょう。
素人目には、やんばるの野菜を使ってイタリア料理ふうにしてみるほうが、暢子が東京から何かを持ち帰ってきたことになっていいように感じますが、例えば「上京」という言葉は首都に行くことで、いまは東京に行くという意味が一般的ですが、かつて日本の中心であった京都の人は、東京に行くことを上京とは言わないと言われるようなもので、沖縄には沖縄の誇りがあり、外のものがいいわけでは決してない。その誇りと地元の結束力の強さの揺ぎなさだけは徹底して書かれているように感じます。
そんな理屈ぽい話はさておき。正装した智がやって来ます。ところが、暢子はゆし豆腐を持って来なかったことをわいわい責めます。
第117回から118回にかけての暢子のセリフは、子役の稲垣来泉さんが話せばお似合いなセリフで、20代後半の母になった人物にはそぐわないと感じます。全体的に子供たちを主役にした話だったらすんなり見られるような内容のものが多いんですよね。
だからこそちむどんどんどころかわじわじするわけですが……そこへ博夫(山田裕貴)が「おとなしくしてくれない!」と一喝。暢子はようやく歌子と智のただならぬ雰囲気に気づくのです。
あはは……お金がらみの話じゃないので寛容な気持ちで見ることができます。
山田裕貴さんの一喝する声の大きさと間合いが的確でした。恐怖を植え付けるような怒声ではなく、やや、困ったように、でも耐えかねて発した言葉に聞こえる塩梅もいい。たくさんの作品に出演している理由がわかる演技巧者であります。
山田さんはほんのちょっとの出番でもちゃんと参加しています。「なつぞら」からの朝ドラとのご縁もあるのかなとは思いますが。重宝されるのがよくわかる優秀な俳優だとつくづく感じます。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第119回のレビュー}–
第119回:ようやく歌子と智が結ばれたけれど
暢子(黒島結菜)が催したお食事会に意を決してやってきた智(前田公輝)。
暢子が空気を読まない言動で一瞬、気が削がれますが、みなが固唾を飲んで見守るなか、歌子(上白石萌歌)が歌を歌います。
その歌声に「ちむどんどん」した智はついにプロポーズ。
よかった、よかった。みんなでカチャーシーを踊ります。
智は暢子のときにひとり相撲したことがトラウマになってなかなか打ち明けられなかったのかもしれませんね。暢子からすぐに歌子に乗り換えたと周囲に誤解されるのも恥ずかしかったのでしょう。
歌子もお店で歌っているときはペンダントをしていましたが、こういうときもペンダントをしていたらいいのに。もらったペンダントをずっとしていたら、智も自信を持てたんじゃないでしょうか。いつも身につけるには大きくて派手過ぎたのかなあ。
このとき、2日連続、山田裕貴さんの演技が光っていました。後ろで祈っている姿が、博夫はいい人だなあと思わせます。彼もまた、お嫁にいってしまいそうな良子(川口春奈)を止めに、比嘉家に来たから、智に心を寄せているのでしょう。
爪痕を残すとはこういうことだなと感じた瞬間です。ちょっとしか出てなくても博夫の気持ちと時間の流れがちゃんと繋がっています。
「あさイチ」に高瀬耕造アナが登場し、朝ドラ受けとして、歌子は「アババの呪い」にかかっていて、それがようやく解けたのだと解釈していました。
さすが、朝ドラ送りを長らくやってきた、いまは「ひまわり」再放送受けをしていて、たぶんいまNHKで最も朝ドラに詳しい高瀬アナ。つぼをついています。
なんかこうほんわかおもしろい方向で「ちむどんどん」を受け止める人がいたらよかったですよね(他人事)。高瀬アナも一回限りだからよかっただけで、毎回だったらどんなコメントをしていたか、いいときに「あさイチ」を外れた気もしますが。
さて、暢子(黒島結菜)です。
暢子が畑で芋をもって立ってる画は最高に絵になります(前にもあったけど、アニメにおけるバンクーー使いまわしではないようです)
高校生のとき、自分が何をしたらいいかわからないと悩んでいたとき、優子(仲間由紀恵)に「この村に生まれて、女に生まれてよかったと思うときが来ると思うよ」と言われた、そのときが来たと言う暢子。
「この村に生まれた。女の子に生まれた。それは誰にも変えられない。それがいま、うちはうれしくてうれしくてたまらないわけ」
ここは本来、118回、続いてきて、相当の感動ポイントです。暢子は宿命を受け入れるということです。……と思うものの、積み重ねがまったくないので感動しないのです。流行りの倍速視聴派だったらここだけ見て感動できるのでしょうか。
昔ながらの視聴派ーーなんなら何度も繰り返し見る派としては、この村に生まれてはあるとしても、女に生まれて云々は、暢子の葛藤は描かれていなかったと感じます。
男の子顔負けで走り回っていて恋など縁遠かった暢子が結婚して子どもができたことが「女に生まれてよかった」ことなのだろうか。そうでないなら、そうでないことが全く書かれていないのに、「地球に生まれてよかった」みたいで残念な気持ちになりました。
ただし、この暢子と会話する仲間由紀恵さんの表情はとてもよかったです。
細かいことは関係ない、「ちむどんどんする」という魔法の言葉さえあれば、すべてがうまくいくのが「ちむどんどん」の世界です。
暢子はちむどんどんする心に任せ、やんばるに戻ることを決意します。
「長年暢子が苦労して花を咲かせた店」(by和彦)と言うものの、東京でのお店経営の話があまりにも短くて、東京のお店に対する愛情が感じられないし、杉並の商店街の人や客との交流もほぼなく。
そして故郷に「移住」したいと言う。ここだけ、ものすごくいまっぽい言語感覚。暢子だったら「帰って来たい」で良さそうだけど、いま「移住」ブームなので視聴者に刺さる言葉を使ったのかなと想像します。
ちむどんどんすることに流されていく暢子。考えるな、感じろ、byブルース・リー 的なことなのでしょうけれど、考えるな感じろ は使いたいけど「ちむどんどんするかしないか」はあんまり使いたくない気持ちになってきています。そのため、和彦が三線を弾いた!というところを記録することすら忘れるところでした。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第120回のレビュー}–
第120回:あっという間に移住〜
ちむどんどんするかしないか、心のままに決めたら即実行。暢子(黒島結菜)の行動力は昔から抜群でした。
思えば、東京に養女に行くことになった日も、行かないと決めてドタキャン。以降も彼女の移り気は代わりませんでした。
比嘉家の困窮を心配して、手を差し伸べたのは房子(原田美枝子)で、やがて数奇な運命で結果的に東京で房子の世話になることになります。それはもう房子は暢子を何度も助けてくれました。最初は、こわい人かと思わせて、なにかとコネを使って助けてくれます。
房子と暢子を見ていると、子供のとき、あんなに東京に行くのを恐れる必要もなかったように思います。子供の頃に東京に行っても暢子は房子の厳しくも愛情ある教育を受け、庇護されたことでしょう。
きっと実家とも連絡を頻繁にとりあって、なにも問題なかったような……。ただそうすると、鶴見との出会いがなかったかもしれませんが。
房子が鶴見との関係を断っていたからです。
暢子が東京行きをドタキャンした理由は運命の神様が、房子と暢子の父・賢三(大森南朋)や三郎(片岡鶴太郎)との関係を修復させようとしたからなのでしょう。
房子に世話になりいったん沖縄に帰った彼がそれっきりになり、裏切られた気持ちで長年いた房子。今度もまた暢子は、独立したらイタリア料理ではなく沖縄料理店を開店し、あっという間に沖縄に戻ってしまう。房子、可哀想。だからか、お別れ会には出席しません。
暢子はアッラ・フォンターナに出向き、房子とペペロンチーノ勝負をします。賢三のときのような遺恨はなく、いい形でお別れをすることができました。お別れといってもいつでもまた会えるお別れです。
暢子のおかげで、房子は過去、残念なお別れをした賢三とのことも水に流せ、さらに三郎との悲恋に対する悔恨も消すことができました。房子は「三」のつく人との縁が薄いようです。
戦争を生き抜いた房子の話も、一本の朝ドラになりそうで、触りだけのような感じになってすこし惜しいと感じました。「なつぞら」(19年)でも、主人公をとりまく大人の女性たちにいろいろな過去があったことを思い出します。とくに、ムーランルージュ新宿座の人気ダンサーで、その後、おでん屋を営んでいたアヤミ(山口智子)。彼女の物語も一本の朝ドラになりそうでした。
戦争を体験した人が少なくなるなか、戦争時代を描いた朝ドラはじょじょに次世代に当時を伝えるエピソードのひとつになっていくのかもしれません。
お別れ会で、暢子が東京に出てきた12年が思い出されます。
驚くのは、暢子が全然変わっていないこと。
朝ドラでは、ヒロインの成長物語で、年齢を経ていったとき、どんなふうに変化していくのかも演技の見せ所ですが、暢子の場合、なんなら子役・稲垣来泉時代の身振り口ぶりを踏襲しているようにすら見えます。
たいてい、続けて見ていると変化に気づけないけれど、回想で見ると、けっこう変化していたと思うものですが、暢子の場合は逆に変わらないことに感心するくらいです。
ドラマだと変わっていないことが違和感になるけれど、現実だったら昔と変わっていない若さは美点とされますから不思議ですよね。そういう意味では暢子は子供ができてもいつまでも若々しい理想的な人物です。
変わらなさの秘訣は、たぶん、ちむどんどんするままに(心のままに)生きることだと思います。
他人のことを気にせずやりたいことだけやっていると顔に悩みや迷いや忍耐などの負荷がかからず若々しくいられるのではないでしょうか。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第121回のレビュー}–
第121回:いよいよ最終週
嵐のようにいろいろなぎ倒すように突き進んだ「ちむどんどん」もあと5回です。「やんばる!ちむどんどん!」(演出:木村隆文)のはじまりは暢子(黒島結菜)がやんばるにUターンして1年、実家でレストランを開こうと思いつきます。
毎週日曜、地元野菜と郷土料理の勉強会を開いていたときに思いついたのです。
「こんな献立はうちらの代で終わってしまうかもしれないねえ」とおばぁが料理を前に名残惜しそうに言います。その目の前にあるのは2022年代のおしゃれなアレンジメニューという印象です。まだ、80年代ですが、2006年の映画「かもめ食堂」から盛り上がったやさしい食の物語のムードです。若い視聴者や女性には親しみやすくしているのでしょうね。
器もかわいい、おしゃれ食物語、筆者も決して嫌いではありません。ですが、沖縄が本土復帰してから10年強の80年代前半。高度成長期が収まってバブルが来る前の低成長期の日本で、沖縄はどんな感じだったのか歴史を知りたいと思う理屈ぽさが、ふんわりやんばる食堂物語に流されてしまうことを邪魔するのです。
おばぁが「なつかしいさあ」「こういうの食べられるお店ないしねえ」と暢子のアレンジした地元料理を相変わらず喜んでいます。沖縄を観光地的に扱わない気配りから、いろんなことを曖昧にしているわりに、基本的な地元の人たちと地元の料理の描写が観光目線そのものなのはなぜなのでしょう。この感覚は和彦の妙にぶしつけな取材の仕方と同じに思えます。そういう意味では一貫しているんです。このドラマで気を配っているところがどこかということをじぃっと見ていれば、わかってくることがありますよ。
いっそ一気に時代を飛び越えて、2022年、沖縄本土復帰50年、暢子が郷土料理をおしゃれにアレンジし、みんなで沖縄に移住しましょう、沖縄再発見、という流れにしたらわかりやすかったのではないでしょうか。
どちらかというと、東京で引き継いだ矢作(井之脇海)の店のほうが料理人の活気があって、シンプルに沖縄そばが美味しそうに見えました。矢作の後ろで働いている従業員の方がちょっとしか見えないけどよく働いている雰囲気に見えました。こんもりキャベツもいい感じ。やっぱりキビキビ動くことが大事なんだと思います。
暢子がたくさんの野菜をもって海を見ている、まるで、マヨネーズとかドレッシングとかのCMのようです。芋もって立ってる姿も好きでした。こういうときの黒島さん、とても素敵。たぶん、CMの仕事が増えると思います。地元に戻ってからのほうが垢抜けて見えるのが面白いです。
暢子はおばあたちからノウハウを学び、ひさしぶりにメモしています。
「海も山もつながっている」(優子〈仲間由紀恵〉)
出た、「おかえりモネ」。
そう、NHKはいま、絶賛SDGs推しです。地方都市に移住して農業や漁業で自給自足する生き方の提案。家をレストランにするために資材を善一(山路和弘)が隣人たちと持ってきてくれる。これもSDGs。&「ゆいまーる」(助け合い)。
最終週だからいろいろぶっこんできていますが、結局、SDGsに収束する。朝ドラとはNHK がアピールしたいことをテーマにするドラマということかもしれません。そしてその使命を全うした主演俳優はCMの仕事がたくさん入ってきてウィンウィンになる。たぶん、そういう素敵な循環に我々視聴者は巻き込まれているのです。そこはわかったうえでおつきあいしていきましょう。
サーターアンダギーを美味しそうに食べる健彦(三田一颯)を見て、いまはこんなにかわいいけれど、将来、賢秀(竜星涼)のようになりはしないかと不安になりました。まあ和彦(宮沢氷魚)の血が入っているから大丈夫かな。いやでも、内向的でちょっとオタク気質で根拠なき自信だけある能天気な浪費家というような気質になったら最悪ですよね。
智(前田公輝)のお母さん・玉代(藤田美歌子)が健在でした。初期に出て以来、まったく出て来なかったからどうなっているのかと心配していました。
ミステリアス・まもるちゃん(松原正隆)が「吾輩は猫である」を読んでいて、猫だった?という意味なのだろうかとも思いましたが、それにしては房子(原田美枝子)の荷物を持ったり働いているからなあ……。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第122回のレビュー}–
第122回:草刈正雄、麻有、父娘共演
房子(原田美枝子)がやんばるにやって来ました。暢子(黒島結菜)に会いに来たと思ったら、
他に大事な用事をもたらします。
戦争で生き別れになった優子(仲間由紀恵)の姉の行方を知る者・大里五郎(草刈正雄)とその娘・悦子(草刈麻有)がやって来ました。
40年前の重大な出来事をなぜ今になって……という謎について考えてみますが、それは後述します。まずざっとストーリーを追っていきましょう。
悦子役は草刈正雄さんの娘さん。「足が悪いので付添ってきた」という設定で、父娘共演を果たしました。
ジョン・カビラさんの家族三代共演に続く家族共演は、これからの朝ドラのスタンダードになるかもしれません。家族ものに俳優も家族で出演する、話題にもなるし、家族のつながりを伝えるドラマとしての意味が色濃くなります。最近、二世俳優も増えていますから、ちょうど良さそうです。
草刈さんは、急なゲストですから、「東京に40年、島の言葉も忘れました」という設定で沖縄言葉がしゃべれない理由も万全です。
第121回では「今お茶入れます」「黒砂糖もだします」というとりあえずセリフというようなものがありましたが、第122回は説明セリフが機能しています。
悦子は、母の遺品を整理していて沖縄の簪ジーファを見つけたと語ります。そのジーファこそ、優子の姉・トキエの愛用品でした。
沖縄戦の最中、五郎は偶然トキエを看取ったのでした。
お父さんとお母さんは機銃掃射に撃たれて亡くなり、トキエも撃たれて重傷を負っていて……悲しい話ですが、優子は40年目にして家族の最期を知ることができました。
「見捨てたんじゃない 必死に探したけどみつからなかった」と五郎がジーファを託されて40年。
なぜ、五郎の妻の遺品に? それまで探さなかった? という謎を推理してみましょう。
「私たち」と五郎は言っています。夫婦で一緒にいて妻が預かっていたのでしょう。
長いこと探さなかった理由はーー
罪悪感ではないでしょうか。
トキエにおにぎりを譲ってもらったにもかかわらず、水をくれと言われても、自分たちの分がなくなるのを心配して水はないと嘘をついたことをずっと胸に抱えていた五郎夫婦。
もしトキエの家族に会ったら、そのことと向き合わないといけない。水を飲ませても命が助かることはなかった。自分たちが生きるために水をあげなかった。そうは思っても罪悪感はつきまとうでしょう。それをずっと抱えた40年、苦しかったと思います。
初期の飼ってた豚を食べることにも似た、生きることの辛さが描かれました。
最後に来て突然現れたゲストにこんなにも重た過ぎる人生を背負わせる。視聴者にもこんなに
重たい話を突きつける。もちろん、優子が遺骨収集をしていたのは家族を探していたからで、その決着を最終週でつけたという理屈はつきますが……。
初期に賢三(大森南朋)の言っていた謝らないといけないことは房子を置いてやんばるに戻ったことで、もっともっと重い謝らないといけないことは五郎に託されたのでしょうか。
人は皆、謝らないといけないことを持っている。きちんと認めて謝ることの重要性をおしつけがましくなく物語に溶け込ませているようです。
優子は形見の簪を差して踊ります。伴奏は歌子(上白石萌歌)です。いつもウィスパーで歌っていた上白石さんの声がここではしっかりしていることで、気合の入り方が違うことを感じます。
簪といえば、優子は子どもたちが幼い頃からずっと木製の簪をしていて、よく簪がアップになっていたので、簪は伏線だろうかと思っていたら、簪は簪でもそれではなく、お姉さんの簪でした。木製の簪が姉のジーファに代わり、それを差して踊ることで家族の弔いになりました。
その後、房子と優子が墓参りして海で語らいます。ふたりとも目に鮮やかなブルーを着ています。
海では房子はブルーの羽織を脱いでいました。脱いだ羽織はかばんの中に畳んでしまったのでしょうか。
房子も海に過去のしがらみを流したようにすっきりした顔になっていました。
戦争と水に関する物語といえば野田秀樹さんの「パンドラの鐘」が鮮烈です。99年に初演された名作で、今年6月にBunkamuraシアターコクーンでも杉原邦生さんの演出で上演されました。主人公のミズヲの名前の由来が明かされるときの衝撃たるや……。今年の公演ではミズヲを成田凌が演じていてそれがすばらしかったです。
「ちむどんどん」の脚本家・羽原大介さんも演劇の人ですから「パンドラの鐘」を知っていることでしょう。「20世紀最後の戯曲集」に収録されているのでご興味があるひとはどうぞ。
放送週に追記します。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第123回のレビュー}–
第123回:やっぱり黒島結菜は走る姿が魅力的
バスに乗って帰っていく房子(原田美枝子)を追いかけて全力疾走する暢子(黒島結菜)。
走るのが得意だった暢子が久しぶりに走ります。東京で走っていたことはまったくなかったですが、健脚は健在。
このバスの場面。子供のとき、暢子が房子のもとへ引き取られて行くためにバスに乗ったものの、家族と離れたくなくて引き返した道。あのとき、房子に引き取られていても、結局同じような人生を歩んだかもしれないけれど、回り回って、房子とは奇妙な出会いをしていまがあります。
今度はその房子が乗るバスを暢子が「また来てください」と追いかける。不思議な気持ちになりますね。
引き取られていくとき不幸の絶頂だったように見えた暢子が自力で生き抜き幸せを掴み取っていまもなおどんどん幸せを増やしています。房子のことも救い、それが回り回って優子(仲間由紀恵)の心残りも解決しました。
暢子は、沖縄そばのアレンジを考えます。カラキを練り込んだ麺を、名護の製麺業者の運天進(大野泰広)と共同で作ります。
先日まではおばぁたちが集まって試食していましたが、今回は男性たちです。女性受けするおしゃれ沖縄料理だけでなく、労働者たちが好むものも作る必要がありますからね。
食べた和彦(宮沢氷魚)が「このなんとも言えない香り。くせになりそう」とCMのセリフのようなことを言います。そのあとも「カラキの風味も出汁に合ってる」とまったく個性のないセリフを言っているのがなんだか不憫に思えます。これがグルメ漫画だったら気にならないのですが、生身の人間が言うと気の利いたことを言えない人に見えてしまうんですよね。私たちは劇的なものに侵食されていて、贅沢を言いがちですが、日常ではそうそう気の利いたことを言えないというリアル描写と考えればいいのです。
夏が過ぎ、11月、暢子は実家を増築し「やんばるちむどんどん」を開店にこぎつけます。
この実家の外側のやけに開いた感、ゆくゆくお店のスペースを作るために美術スタッフさんが設計していたのだなあといまならナットクです。飲食スペースができたほうがしっくり収まって見えます。
この地元につくった店感が「まれ」。麺づくりは「まんぷく」。SDGsは「おかえりモネ」、五郎役で草刈正雄さん登場は「なつぞら」と過去の朝ドラ要素が満載です。
さあ開店!と思ったらーー
ピンチ!
突然出てきて印象づけた運天製麺さんはなんだったのか……。
どう考えても無理そうなピンチを、暢子は「大丈夫」の一心で乗り切ります。
このときの比嘉ファミリーの強い結束力。三姉妹の夫が三人いて、これは「渡る世間は鬼ばかり」的なムード。といえば「おしん」の後半のおしんファミリーのよう。そうか、「ちむどんどん」は橋田壽賀子リスペクトの大家族ドラマをやりたかったのかも!
それはそうと、博夫(山田裕貴)の姿勢に筆者は注目しました。若干猫背でずんぐり見えるのは意識的なものだろうと。博夫の性格や生活から身体をデザインしているのでしょう。すごいよ山田裕貴さん。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第124回のレビュー}–
第124回:やんばるちむどんどん開店
ため息の出る展開でした。
目玉の麺が機材トラブルで届かずどうなるかと思いましたが、家族総出で頑張って間に合わせ、
予定どおりオープン。
一番乗りはまもるちゃん(松原正隆)。これまで一言もしゃべらなかった彼がクララが立った的についにしゃべるのですが、これはあまりに美味しかったからということでしょうか。
たぶん、まもるちゃんがしゃべった という見出しでネットニュースになることを意識しているのかなと思うと筆者は素直でないのでちょっと冷めてしまいました。まもるちゃん、好きなキャラなんですけどね。
暢子(黒島結菜)の同級生・早苗(高田夏帆)と徒競走のライバルでブラジルに移住した正男(秋元龍太朗)がやって来ます。
ハワイからは金吾(渡辺大知)が。
明日で最終回なのでこれまで出会った人たちが続々。
上原照賢(大工哲弘)は下地先生(片桐はいり)の手紙を預かってきます。
懐かしい人、おなじみの人、今まで見たことない近所の人らしき人、たくさんの人で店は賑わいます。
上原さんの演奏で歌子(上白石萌歌)が歌います。
そこになぜか常に比嘉家に親切にしてきた善一(山路和弘)の姿はありませんでした。
暢子ががんばって考案したメニューは、インスタ映えしそうな、21世紀のカフェ飯を先取りしたような雰囲気です。
個人的には映画「ナビィの恋」(99年)のお祭りの場面で登場人物たちが食べる素朴な大皿料理的なものに彼らの生きてきた時間が見えてすごく美味しそうに思えますが、好みは人それぞれ、若い世代(Z世代って言うんですか)や女子には暢子メニューが受けるでしょう。
これ、2020年代の話にしたらすんなり見ることができたのではないでしょうか。
検索したら”大宜味村では平成28年より大宜味産のカラキの育成・活用に行政と生産者が一体となって取り組んでいます。”と大宜味村のカラキ振興のサイトに書いてありました。昔からある植物ですけど、おしゃれに活用しているのは近年のようですよ。
80年代に暢子が画期的なカラキを使ったメニューですごくおしゃれなカフェ沖縄飯を作っても
おかしくはありません。走りだったということも可能です。
暢子の料理は時代の先端も先端を行っているのと比べ、歌子が倒れてしまったときの医者の言葉のいつの時代の医者ですかと感じはどうでしょう。
「いつもの熱ですよね」と優子、「薬とかできること」と智(前田公輝)が聞くと首を横に振り深刻な顔で「できることはやりました あとは本人の気力と体力を信じて経過を見守るしかありません」と言います。ば、ば、ばくぜんとしている……。
原因不明で弱気の虫だったことになり、ときには仮病にも使われた歌子のカラダの弱さがここへ来て、重病に。料理は時代先取りなのに、医療はまったく発達していない昔のよう。
あらゆることが見事なまでに物語に都合よくカスタマイズされていて、ため息が出ます。
「なんでいつもこうなってしまうわけ?」と良子(川口春奈)が嘆いていましたが、ほんとに。
暢子の料理が美味しそうに思うことも、まもるちゃんがしゃべって喜ぶことも、歌子を本気で心配することも、暢子が子供のときに作ったフーチバージューシーを憑かれたように作ってる場面でその健気さに涙するのも自由です。
「お父ちゃんが死んで借金まみれでそれでも歯を食いしばって生きてきたのに」という良子のセリフにそうは見えなかったなあと思っても、「暢子が帰ってきて念願のお店が」という良子のセリフに念願の? 思いつきではなかったっけ? と思っても自由です。
「ちむどんどん」とは物語ることの自由さ(表現の自由)を謳ったドラマなのです。あと1回!
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第125回のレビュー}–
第125回:ときに202X年
泣きそうになりました。
暢子(黒島結菜)は”念願”のお店・やんばるちむどんどんを”歯を食いしばって”オープンした当日、歌子(上白石萌歌)が高熱で倒れて三日三晩、昏睡状態に陥ります。
医者はでき得る限りの手を尽くした、あとは……ということで、矢も盾もたまらず、賢秀(竜星涼)、暢子、良子(川口春奈)はお墓のある海に向かい、お父ちゃん(大森南朋)に助けを求めます。これは「エール」オマージュ?
そこで明かされたのはまもるちゃん(松原正隆)が優子(仲間由紀恵)と収容所で一緒だった人物であること。ご苦労されたのですね。そう思うと、第124回の料理を食べて一言は、何も食べられなかったときの苦しみを感じて、いま、こうして美味しいものをみんなで食べることができることがどれだけ幸福かを思い知らされるようでした。
伝えていかないといけないけれど容易には語れないことの象徴がまもるちゃんだった。
まもる(守る)という名前も意味があったのでしょう。
そして時は過ぎ……202X年(令和X年)。
比嘉家兄妹は年をとり、孫ができ、それぞれが大家族になりました。ある日、みんながやんばるちむどんどんというか実家に集合します。その目的は、優子(仲間由紀恵)の誕生日を祝うこと。
誕生を祝うこと、生きてることを祝うこと。「命どぅ宝」を言葉では言わずに、まもるちゃんと優子の誕生日と子孫繁栄で表現しています。そしてカチャーシー。
稲垣来泉さん(暢子)、土屋希乃さん(良子)、浅川大治さん(賢秀)、布施愛織さん(歌子)が孫役で登場して、みんな元気で、そこは純粋に顔がほころびました。子供の元気な生き生きした姿はエネルギーをもらえます。まさに命の象徴です。
子供時代以降「ちむどんどん」に欠けていたのはこの最も大事な命の躍動感をキープし続けられなかったことでしょう。
賢秀はやたらと動いていたけれど、飾らないシンプルな ちむがどんどんする波動が画面を通して感じられなかったことが続いた気がします。
最終回の前で突然、歌子が倒れて、兄妹が走って叫んでも、黒島さんが他の番組で走って叫んでいたときのような躍動感がなかった。ふつうはロケで走って叫べば、たいてい見ているほうにも響くものですが(かのとんでも朝ドラの誉も高い「純と愛」だって最終回、ヒロインが崖で叫んでいるシーンには凄みがありました)、どんなに自然のなかで走って叫んでも嘘が勝ってしまうとはある意味すごいです。
嘘の最たる部分は歌子の病気です。病院の出入り口、待合室がなぜかロケでそこだけリアルでしたが、それすらセットぽく見えるという嘘の力の強さには驚きます。
歌子が倒れることは命の大切さを強調するためなのでしょうけれど、どうなるの? と続きを気にする材料になっているように見えて、心配する気持ちを利用されているようで胸がうずきました。
ドラマの中盤で歌子が重病なんじゃないかと思わせたエピソードや、歌子が仮病を使うエピソードはとりわけ本気で心配したらだめだと思わされ、視聴者の善意を弄ばれているようにも筆者は感じました。
月日が経過したとき、お墓が映し出され、誰が亡くなったのだろう?と気にさせて、比嘉一家は全員健在とホッとさせる仕掛けのようにも見えてしまいます。
このドラマから命とお金の大切さを読み取ることも可能です。ただ、命は前述のように、歌子の病気を物語の駆動装置にしていることが疑問なのと、お金も、最後まで賢秀はタクシー料金を踏み倒すことを喜劇的に使い、借金は倍にして返したとナレーション(ジョン・カビラ)で言われても……。
真面目なところとユーモアとがうまく融合されていないと筆者は感じましたが、ため息が出る、泣きそうになる という言葉の意味はひとつではないように、このドラマをどう感じるかはひとそれぞれです。
ホンモノのタクシー(タクシーの運転手役が沖縄出身のゴリさん)、病院の待合室のほかに202X年時の共同売店もロケでした。ところで善一(山路和弘)はどうなったのか。あんなにずっと出ていたのに急に124回から出なくなって何も言及されない。まもるちゃんと統合されちゃったのでしょうか。
2X年、和彦(宮沢氷魚)はちょっと沖縄言葉になり三線も弾いて沖縄に馴染んでいます、民俗学の本もたくさん出していますが、その本のタイトルが「沖縄の歩み」「私たちの沖縄」「沖縄の文化について」「沖縄の民俗学」と教科書や参考書のようにフラットなものばかりで、それが「ちむどんどん」を象徴していたような気がします。物語にはもっとロマンや作り手の強い意思がほしい。
ただ、暢子(68)の新聞記事の談話は「ちむどんどん」の全貌を網羅したわかりやすい文章でした。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{「ちむどんどん」作品情報}–
「ちむどんどん」作品情報
大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる―――
ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと、支えあう兄妹たち。
“朝ドラ”第106作は個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く
笑って泣ける朗らかな、50年の物語。
放送予定
2022年4月11日(月)~
<総合テレビ>
月曜~土曜: 午前8時~8時15分 午後0時45分~1時(再放送)
※土曜は一週間を振り返ります。
日曜: 午前11時~11時15分(再放送)翌・月曜: 午前4時45分~5時(再放送)
※日曜、翌・月曜は、土曜版の再放送です。
<BSプレミアム・BS4K>
月曜~金曜: 午前7時30分~7時45分
土曜: 午前9時45分~11時(再放送)※月曜~金曜分を一挙放送。
出演
黒島結菜
仲間由紀恵
大森南朋
竜星涼
川口春奈
上白石萌歌
宮沢氷魚
山田裕貴
前田公輝
山路和弘
片桐はいり
石丸謙二郎
渡辺大知
きゃんひとみ
あめくみちこ
川田広樹
戸次重幸
原田美枝子
高嶋政伸
井之脇海
飯豊まりえ
山中崇
中原丈雄
佐津川愛美
片岡鶴太郎
長野里美
藤木勇人
作:
羽原大介
語り:
ジョン・カビラ
音楽:
岡部啓一 (MONACA)
高田龍一 (MONACA)
帆足圭吾 (MONACA)
主題歌:
三浦大知「燦燦」
沖縄ことば指導:
藤木勇人
フードコーディネート:
吉岡秀治 吉岡知子
制作統括:
小林大児 藤並英樹
プロデューサー:
松田恭典
展開プロデューサー:
川口俊介
演出:
木村隆 松園武大 中野亮平 ほか