<考察>『ONE PIECE FILM RED』記録破りの大ヒットを生んだ戦略と時代背景

映画ビジネスコラム

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尾田栄一郎原作のマンガ「ONE PIECE」の劇場アニメ最新作『ONE PIECE FILM RED』が猛烈な勢いで興行収入を伸ばしています。

公開から20日間の短期間で興行収入100億を突破、4週目の週末を終えた時点で114億円まで数字を伸ばし、本年度ナンバーワンヒットとなる可能性が高まっているのです。

公開20日間で100億円超えは『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の10日間には及びませんが、新海誠監督の『君の名は。』を上回るペース。今後どこまで数字を伸ばすのか注目されています。

一方で『ONE PIECE』の劇場版はすでに15本目。テレビアニメも23年目に突入し、ある程度実績が固まってきていたところに、大幅な記録更新となったことは大きな驚きだったのではないでしょうか。

この驚異的なヒットはどうして生まれたのか、本作の内容と近年のヒット映画の傾向、さらに宣伝戦略などを紐解き考えてみたいと思います。

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<目次>
・『FILM RED』は原作1話を知っていればついていける
・推しの晴れ舞台としての映画館
・YouTube世代に向けたストーリーと宣伝戦略
・映画館の魅力は“音”
・タレントと声優、今どちらの方が集客力があるのか

『FILM RED』は原作1話を知っていればついていける

本作公開直前の8月5日、筆者は新宿で偶然『ONE PIECE FILM RED』の号外新聞を配布しているところに遭遇しました。(全国20ヵ所で配布していたらしい)号外新聞は、この手のプロモーション用の号外としてはとても興味深い内容でした。

なんと「ONE PIECE」原作の第一話が丸々掲載されていたのです。

第1話といえば、ルフィが冒険に出るきっかけが描かれ、シャンクスとの別れと麦わら帽子を託されるシーンが描かれるエピソードです。今回の劇場版は、この1話に連なる物語であることから、1話を号外として配布していたのだと思います。

連載が開始されて25年目が経つ長期シリーズの劇場版となると、ある程度本編の内容の知っておかないと理解できない部分も出てくるでしょう。しかし今回の劇場版は、本編の第1話だけ知っていれば理解できる内容だったと言えます。なにせ、シャンクスは原作もいまだに謎の多いキャラクターで、活躍場面も少ないですから。

『ONE PIECE』本編を全て追いかけている人の数は、ある程度限られるかもしれません。しかし、有名な第1話を知っている人は多かったのではないでしょうか。筆者の周囲にも「アラバスタ編までは読んだ」といった、途中まで読んだことのある人は結構多いのですが、今回の劇場版はそのような「途中勢」でも充分理解できる内容でした。

メインキャラクターのウタは完全新規のキャラクターであり、ルフィとシャンクスの関係は、1話で描かれた以上の情報はあまりありません。ならば、号外新聞などで目を通して、改めて1話だけでも思い出してもらえれば映画に入っていけます。

もちろん他の仲間たちも多数登場しますが、物語の中心となるのはウタ、シャンクス、ルフィの3人の構成だったため、本作を見る前の最低限の予備知識はルフィとシャンクスの関係だけでもなんとかなるのです。

–{推しの晴れ舞台としての映画館}–

推しの晴れ舞台としての映画館

ネット時代にコンテンツの流通は、劇的に変化しました。

音楽ならいつでもサブスクリプションサービスで聞き放題、ミュージックビデオもYouTubeでたくさん観られるようになり、音楽コンテンツを消費するならお金はそれほどかかりません。代わりに音楽産業の重要な収益源として、ネットで体験できないライブが重要視されるようになりました。

映画やアニメについても、Netflixに代表されるサブスクリプションサービスが伸長し、多くのコンテンツを低価格で利用できるようになっています。音楽同様、映画やアニメにも非日常の体験が重要になってきていると言えるでしょう。

映画館が配信に対して活路を見出すとすれば、非日常の体験であり、ライブのように「推しの晴れ舞台」を一緒に味わえるかどうかが鍵になるでしょう。

映画館は今、二次元キャラクターにとっての晴れ舞台と認識されています。バーチャルシンガーが武道館でコンサートする例はありますが、二次元キャラクターには映像を映す画面がどうしても必要であるため、現状一番大きな晴れ舞台は映画館なのです。

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』公開時には「煉獄さん400億の男」のフレーズが流行りました。このフレーズは興行収入400億円の大記録を達成したファンの喜びを、キャラクターと共にに分かち合いたい気持ちを端的に表していると思います。二次元キャラクターの晴れ舞台としての映画館を象徴する言葉でしょう。要するに、映画館で記録を打ち立てることは、二次元キャラクターにとっての一種のステータスのように感じられているのではないでしょうか。

この現象は『劇場版 呪術廻戦 0』の主人公、乙骨憂太にも見られた現象です。毎年大きな数字を叩き出す『名探偵コナン』シリーズも、近年は人気キャラの誰かをフィーチャーするストーリー作りを心がけています。

では『ONE PIECE FILM RED』は誰の晴れ舞台だったかというと、やはりシャンクスです。

シャンクスは、本編でも活躍が描かれていない分、映画館という晴れ舞台での期待はその分大きくなったのでしょう。しかも実は娘がいたという事実が明かされたため、ファンにとっては相当気になる内容だったはずです。

そして、公開タイミングも最高でした。原作では最終章に突入しようというタイミングでの公開となり、原作本編でもいよいよシャンクスが本格的に物語に絡んできそうな気配を漂わせていたため「こ見届けけなければ」という雰囲気ができていました。

–{YouTube世代に向けたストーリーと宣伝戦略}–

YouTube世代に向けたストーリーと宣伝戦略

『ONE PIECE FILM RED』の物語は「ONE PIECE」として異色作といえます。動画配信的なネタが入っており、ウタの考えは大海賊時代を否定的に捉えるものです。ただYouTube世代にとっては、等身大で身近に感じられるストーリーだったともいえるでしょう。孤独でも、動画配信によって誰かとの繋がりや配信が拠り所になるという気持ちに共感できる人も多かったのではないかと思います。

今回の物語の中心であるウタは、完全新規のキャラクターです。ファンにとってなじみ薄いキャラクターを認知させるために、公式YouTubeチャンネルでウタの動画配信を公開前から展開していたのは興味深いプロモーションでした。

プロモーションは作品内容とも連動する形で、ウタのライブ当日までにいたる彼女の心の変遷を追える内容になっています。VTuberの配信を観ているような親近感を覚える内容で、ウタの内面を知っておくと映画もより深く味わえる仕掛けになっていて、認知を高めると同時に物語への没入感も高めることに成功しています。

この配信を公開前から観ていた人にとっては、今回の劇場版はウタにとっての晴れ舞台にもなっていたでしょう。

–{映画館の魅力は“音”}–

映画館の魅力は“音”

様々な要因があってこの大きなヒットになっている『ONE PIECE FILM RED』の中でも、最も重要な要素は「音楽映画」である点かもしれません。

谷口悟朗監督は、過去作の興行成績や動員数などのデータをできるだけ参照して「劇場に足を運んでくれるファン層」に向けた作品にすべく、緻密にマーケットリサーチを行っていることを示唆しています。また近年のヒット映画の傾向として、『ラ・ラ・ランド』(17)や『グレイテスト・ショーマン』(18)などのミュージカル映画や歌を前面に押し出した作品が、自身の予想に反してヒットしたと指摘しています。

確かに近年、音楽をフィーチャーした作品のヒットが目立ちます。『ボヘミアン・ラプソディ』(18)の大ヒットは多くの人にとって予想外でした。さかのぼれば『アナと雪の女王』(13)もありましたし、『君の名は。』(16)のRADWIMPSの楽曲に合わせた映像は多くの人の印象に残ったでしょう。昨年は『竜とそばかすの姫』(21)や嵐のライブドキュメンタリーも大ヒットしています。

『ONE PIECE FILM RED』ではウタの歌唱役にAdoを迎えて、中田ヤスタカや秦基博など、7名の豪華作曲家陣が競うように楽曲を提供しています。音楽によって物語をドライブさせていく構成になっており、ウタの心情描写も音楽に託している面がかなり多い作品です。

音楽という要素は、今「わざわざ」映画館で映画を観る理由を作りだしていると言えます。やはり、自宅で配信で鑑賞するのと映画館での鑑賞を比べて、最も大きな違いは音の質です。映画館は外界の音をシャットアウトして、サラウンド環境で映画の世界の音だけを聞かせることができます。

映画館の音響環境を用意することは難しく、音楽を良い音響で聞けるというのは、映画館に足を運ばせる強力な動機付けになり得ます。

近年、特殊な音響やスピーカーを導入することを売りにした映画館が多くなりました。自宅での配信視聴との差別化しやすい要素が音だからであり、音の良さが特別な映画館ならではの体験を生み出しているという面があるため、音楽映画は強いわけです。

–{タレントと声優、今どちらの方が集客力があるのか}–

タレントと声優、今どちらの方が集客力があるのか

『ONE PIECE』の劇場版では、毎回ゲストで一般のタレントや有名俳優が出演することが慣例となっています。本作にも山田裕貴、霜降り明星の2人に新津ちせが出演していますが、あまり大きな役ではありません。これまでの劇場版では、ゲスト出演者はもう少し大きな役どころで起用されていました。

従来のゲスト起用は、そのタレントの集客力を期待していた面があったと思われます。しかし、今は本職である声優の集客力が無視できないものになってきているのではないでしょうか。

今年は、外国映画の吹替版で本職の声優が起用されることがプレスリリースで配信され、各メディアでニュースになることが多かった印象です。『ザ・バットマン』ではファイルーズあいが起用され、アメリカの俳優へのリモートインタビューも行うプロモーション活動もしていました。

『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』では鬼頭明里がアメリカ・チャベス役に起用され、長年ベネディクト・カンバーバッチの吹替を務める三上哲とともにインタビューも多く見かけました。

(C)2021 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.

『トップガン マーヴェリック』では、トム・クルーズの吹替を担当する森川智之が戦闘機に乗り込むカッコいいプロモーション動画を作っていたのが印象的です。

外国映画の舞台挨拶に吹替声優が登壇することも当たり前のようになってきています。実写映画が声優の集客力を欲しているという逆転現象が生じているわけです。

テレビドラマやバラエティ番組でも声優の姿を見かける機会も増えています。このような動きは、声優に集客力があると認識されていることの表れだと思われます。

その意味でウタに名塚佳織を起用したのは良い選択であり、彼女の芝居はとても説得力のあるものでした。


以上の様々な要因が上手くハマるように、谷口監督や東映アニメーション、そして原作の尾田氏がコントロールしたことで大ヒットを導くことができたのでしょう。

東映配給の映画が100億円を超えるのはこれが初めて。というより、東宝と洋画以外では『ONE PIECE FILM RED』が初めてです。本作が起こした現象は、東宝の一強状態だった日本映画市場を変える事態であり、日本映画全体にとっても大きな意義があるものです。

マンガで多くの歴史を塗り替えてきた「ONE PIECE」は、映画の世界でも歴史を塗り替える大きな仕事をやってのけたのです。

(文:杉本穂高)

–{『ONE PIECE FILM RED』作品情報}–

『ONE PIECE FILM RED』作品情報

ストーリー
世界で最も愛されている歌手、ウタ。素性を隠したまま発信するその歌声は“別次元”と評されていた。 そんな彼女が初めて公の前に姿を現すライブが開催される。色めき立つ海賊たち、目を光らせる海軍、そして何も知らずにただ彼女の歌声を楽しみ にきたルフィ率いる麦わらの一味、ありとあらゆるウタファンが会場を埋め尽くす中、今まさに全世界待望の歌声が響き渡ろうとしていた。

物語は、彼女が“シャンクスの娘”という衝撃の事実から動き出すー。「世界を歌で幸せにしたい」とただ願い、ステージに立つウタ。ウタの過去を知る 謎の人物・ゴードン、そして垣間見えるシャンクスの影。音楽の島・エレジアで再会したルフィとウタの出会いは 12 年前のフーシャ村へと遡る。

予告編

基本情報
声の出演:田中真弓/中井和哉/岡村明美/山口勝平/平田広明/大谷育江/山口由里子/矢尾一樹 /チョー/宝亀克寿/名塚佳織/Ado/津田健次郎/池田秀一/山田裕貴/霜降り明星(粗品 せいや)/新津ちせ

監督:谷口悟朗

公開日:2022年8月6日(土)

製作国:日本