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2022年4月11日より放映スタートしたNHK朝ドラ「ちむどんどん」。
沖縄の本土復帰50年に合わせて放映される本作は、復帰前の沖縄を舞台に、沖縄料理に夢をかける主人公と支え合う兄妹たちの絆を描くストーリー。「やんばる地域」で生まれ育ち、ふるさとの「食」に自分らしい生き方を見出していくヒロイン・比嘉暢子を黒島結菜が演じる。
cinemas PLUSでは毎話公式ライターが感想を記しているが、本記事では暢子と和彦が結婚し夫婦となっていく76回~95回の記事を集約。1記事で感想を読むことができる。
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- もくじ
- 第76回:暢子と和彦が結婚に向かって動き出す
- 第77回:沖縄は時間がゆっくり流れている…
- 第78回:暢子、毎朝、お弁当をつくる
- 第79回:残念なイチバンボシボーイ
- 第80回:良子、御三味をつくる
- 第81回:矢作が荒みきっている
- 第82回:フォンターナ営業妨害される
- 第83回:店への嫌がらせ、重子への嫌がらせ弁当
- 第84回:房子と三郎の恋物語
- 第85回:ぬいや〜
- 第86回:アンダンスーってなに?
- 第87回:突破されました
- 第88回のレビュー
- 第89回:あゝ 歌子まで
- 第90回のレビュー
- 第91回:賢秀、また我那覇のカモになりそう
- 第92回のレビュー
- 第93回:智はなぜ、暢子を追いかけず店内に
- 第94回のレビュー
- 第95回:家族、そのおそろしき絆
- 「ちむどんどん」作品情報
もくじ
第76回:暢子と和彦が結婚に向かって動き出す
沖縄戦を正しく伝えるにはどう表現すべきか考えつづけるしかないな(田良島)
沖縄から帰ってきた和彦(宮沢氷魚)に田良島(山中崇)が言ったセリフです。これが作り手の最も言いたいことなのではないでしょうか。
考えた結果、いまできることが第15週であったのでしょう。それは受け止めます。
第16週「御三味(うさんみ)に愛をこめて」(演出:中野亮平)は海辺でお互いの思いを確かめあった暢子(黒島結菜)と和彦が結婚に向かって各方面に挨拶をはじめました。
まずは、比嘉家。優子(仲間由紀恵)は大喜び。良子(川口春奈)も歌子(上白石萌歌)も。条件としては、琉装で結婚式を希望する優子。
琉装とは沖縄の伝統的な衣裳によるものだそうで、優子は戦後まもなかったためそれを着ることができず、娘には着てほしいようです。だったら長女の良子はなぜ和装だったのか。そこにも何か意味が隠されているのでしょうか。
あとで、三郎(片岡鶴太郎)の妻・多江(長野里美)が貸してくれることになるという、また都合のいい展開になっております。
多江役の長野さんは「真田丸」でかなりいい役で注目されたかたで、80年代を代表する劇団・第三舞台(主宰は鴻上尚史)の看板女優でもありますが、「ちむどんどん」では見せ場がなく残念に思っていたところ、ようやく役割が回ってきたというところでしょうか。髪型やお召し物がさりげなく沖縄ムードです。
第三舞台と並び、80年代を代表する劇団といえば夢の遊眠社(主宰は野田秀樹)です。今回、その看板女優・円城寺あやさんが登場しました! 和彦のお母さん・重子(鈴木保奈美)の家の家政婦さんです。岩内波子(いわないなみこ)という名前、いわないーー言わない という感じで家の秘密をみんな知ってるけど言わない、みたいな意味を感じますね。
演劇好きな筆者としましては長野さんも円成寺さんも活躍してほしいです。
大きな家に重子は家政婦とふたりきり。そこへ、和彦は暢子を連れて挨拶に向かいます。
手土産はサーターアンダギーで、緊張した暢子は、「わたしが あっ あっ……サーターアンダギーです」ととっちらかって、重子は「サーターが苗字?」「比嘉アンダギー?」と意地悪く返します。
鈴木保奈美さん、「わろてんか」ではヒロインのやさしいお母さんでしたが、今回はなかなか面倒くさそうなお姑役のようです。亡くなったお父さん(戸次重幸)とうまくいってなかった発言が以前ありました。何がうまくいかなくさせていたのか気になりますね。
ただ、和彦のことは溺愛しているようです。
和彦は暢子との結婚を猛スピードで決めたものの、お母さんにまだ報告できていないと悩み、暢子に急かされ電話で報告しますが、冷たくあしらわれ不安で、そのことを田良島に言うと、
「母親の一番の不幸は息子と結婚出来ないことって言うからなあ」とにやにやされます。
青柳母子のおりあいの悪さは、母の溺愛ゆえということでしょうか。血のつながった母と子の深すぎる関係を描いた文学なんかもありますから、田良島は一例として語ったのでしょうけれど、SNSではこの表現に違和感や嫌悪感を覚える声もありました。
ただし、重子の想いは、彼女が諳んじる、中原中也が長男誕生のおりに書いた詩「吾子よ吾子」に代弁されていると考えられるため、田良島のセリフには深い意味はないことがわかります。
とはいえ、文脈から離れて、一文を単独で取り上げて批判するケースも多々あるため、とくにSNS ではそれが拡散されていって冗談では済まされなくなる場合もあり、言葉の使い方には気をつけないといけません。
戦争のこととは比べ物になりませんが、誰もに的確に伝える表現がいかに難しいか考えさせられます。
ともあれ、親の言葉の大事さを歌った「てぃんさぐぬ花」から「吾子よ吾子」へと、子を思う親の心が歌から詩へとバトンをつないだ、第16週のはじまり。黒島さんの琉装の結婚式が早く見たい。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第77回のレビュー}–
第77回:沖縄は時間がゆっくり流れている…
というような話も聞きます。
比嘉家の人たちの6、7年は本土の1年なのでしょうか。
ウークイを経て、幸せになるために頑張りはじめた比嘉4兄妹。良子はついに石川家に挨拶に向かいました。そこで御三味(ウークイでも出てきたお重に入ったお供え料理)をつくる課題を与えられます。
御三味をつくることは石川家の嫁がやるしきたりだそうです。なぜ、いままで良子はやっていないのでしょうか。結婚したばかりのときにまず向き合う問題のように思いますが。
ものすごく厳格なように見えて何年も放っておいてくれた石川家の人たち、意外と寛大ですよね。
歌子は、はりきって民謡教室に入り、暢子(黒島結菜)の結婚式で三線演奏と歌を披露しようと練習をはじめます。
例の「てぃんさぐぬ花」を練習しますが、あがり症のせいか、家でやってるようにできません。
ふだんできることが環境が変わるとできなくなってしまうことはあります。歌子は内向的なのでできなくなってしまったのでしょうね。
ウークイで「てぃんさぐぬ花」を歌っていたし、父の愛唱歌であるこの曲を、いまさら練習して、こうもうまく弾けなくなるとは、あがり症も極まれリ。本人が一番つらいでしょうね。胸が痛いです。
比嘉家の人たちを見ていると、時間ってなんだろうと考えます。昔の人が便宜上、区切りをつけたに過ぎず、時間ですべてが測れるわけではありません。何かを行うときに1年でできる人、3年かかる人、10年以上かかる人もいます。例えば、取材して本を書くのに10年くらいかかることもあります。失恋して何年も立ち直れないこともあるでしょう。
賢秀(竜星涼)の場合は、映像を飛ばし見するかのように、すぐに結果を求めます。地道に働こうと思ったものの、やっぱり一発逆転しようと、養豚場の給料の前借りを頼み、呆れられます。過程を一足飛びしようとして、結局、一歩も進めないという残念なパターンです。
良子も歌子も賢秀も、なかなか進展しなくて、なんとも不器用な印象です。
本人たちはいろいろ考えているけれど一向に改善されていかない状況、これは社会にも当てはまるのではないでしょうか。
改善したい問題を議論し続けながら、なかなか進まないこと、ありますよね。
何かこうはぐらかされ続けているような徒労感を覚える出来事が社会にはたくさんあって。もう疲れちゃって諦めてしまいそうになりますが、比嘉家のように諦めてはいけない。
良子も歌子も賢秀も「諦めない」と立ち上がります。
暢子も、和彦(宮沢氷魚)の母・重子(鈴木保奈美)に、比嘉家と青柳家は家柄も常識も価値観も違うと結婚を認めてもらえませんでしたが、結婚は当人同士の問題と無視することなく、認めてもらうことを諦めません。
ここへ来てようやく、暢子の存在をはっきりと批判する人物(重子)が現れました。
これまで、暢子の言動に視聴者が違和感を覚えても、劇中では誰も指摘しないで、当たり前のように話が進んでいましたが、ついに、価値観が異なるから共生できないと明言する人物が現れたのです。これもまた、諦めないで見てきてよかったことでしょうか。「あさイチ」でも博多大吉さんが「朝ドラ受けを諦めない」と言っていました。筆者も毎日朝ドラレビューを諦めません。
比嘉家の家庭情報を調べ上げ(いまは個人情報が守られていますが、昭和の頃は、興信所を使っていろいろ調べて、縁談や就職が破談になることがあったんですよね)、ずけずけと暢子を否定する重子に苛立つ和彦。
「僕は好きで母さんの子に生まれたわけじゃない」と反発する和彦に、貧しくても家族仲良く暮らしてきた暢子は家族の愛情を説きます。家族愛を知る暢子と知らない和彦。異なる生き方をしてきたからこそふたりが結ばれるのは必然なのでしょう。
暢子は、和彦が東京から沖縄に来たとき、最初は仲良くなれなくて、賢三(大森南朋)が「相手に好きになってもらうには、まず相手を好きになることさ」と言われたことを思い出します。
重子に好きになってもらうために暢子が考えたのはーー。
暢子の料理人の才能が生かされそうです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第78回のレビュー}–
第78回:暢子、毎朝、お弁当をつくる
「諦めない」
暢子(黒島結菜)は重子(鈴木保奈美)に毎朝お弁当を作って届けることにしました。
ちゃんと家政婦の波子(円城寺あや)の分も作ります。ついでに和彦の分もつくってあげればいいのにと思いますが、まだそこまで甘い恋人モードではないようです。
結局、重子は朝からお気に入りの喫茶サーカス〜幕間の珈琲(素敵ななまえですねえ)に行っているため、お弁当は波子だけが食べました。
円成寺さんは、玄関ドアを開けて、暢子とやりとりするところが軽快なリズムを感じる動きをしています。2回、同じシチュエーションが出てきますが、ドアを開けたあと一歩下がるところなどおそらく意識的に同じ速さで動いていて、それがドラマにリズムを与えます。お弁当の紙袋の押し引きのリズムもいいから、暢子も合わせて軽快に見えます。こういう俳優が主人公のそばにいるといいんですよね。もっと前半にこういう俳優を黒島さんのそばに配置すべきでした。
喫茶店には和彦が訪れ、今度の日曜、鶴見に来てほしいと頼みます。暢子は日曜が休みなのでしょうか。お盆のあと2週続けて日曜休み? ここは一般的な休みの感覚を選択しているのでしょうね。レストランの就業日程を選択するとわかりにくくなってしまうのだと思います。
さて、和彦が誠実に話し合おうとしても、重子は頭ごなしに拒否します。亡き夫・史彦(戸次重幸)が
いかに自分を愛してくれなかったか語りますが、愛読している中原中也の詩集は史彦から贈られたものだと和彦が指摘します。
重子は愛がほしくて拗らせているのですね。夫と息子だけ仲良くて寂しかったのでしょう。
重子は和彦と暢子のことをよく調べています。共同売店をスーパー、賢秀(竜星涼)の勤務先を養豚場でなく牛と勘違いしていますが、その調査力はなかなかのもので、智(前田公輝)のことも調べていました。
その智、暢子と入れ違いにやんばるに帰っていました。仕事とのことですが、暢子と顔を合わせたくないのではないかと想像します。
歌子(上白石萌歌)にふられた恥ずかしい思いを吐露します。
「なんで俺じゃなかったのか 俺のどこがだめだったのか」って、その思い込みの激しさがそもそも反省したほうがいいと視聴者は思うわけですが、歌子はやさしく聞いて「うちはいつでも智ニーニーの味方だから」と言うのです。
それですこしほっとしたのか、智は今度は歌子の近況を訊ねます。「ちむどんどん」ではここのところ、人の話を遮って、自分の話をする場面ばかりで、心が疲労していましたが、これだよこれ!とほっとしました。
もしかして、あえて他者の話を聞かずに自分の考えを押し付けるという行為を批評的に描いているのかもしれません。そう感じるのは、重子の登場によって物語がわかりあえない異なる価値観をもった者たちがいかに近づくかという流れが顕著になってきたからです。
歌子に連れられて共同売店に挨拶にきた智を思いやる優子(仲間由紀恵)。智を心配していたと言う優子。自分たち家族の幸せは智の前では傍らに置けるのです。智に対しては、ごちそうを譲るなど、いつも気づかいする優子なのです。
売店におばちゃんたちも来て、東京に来てハンサムになったと優子が褒めて、智を盛り上げているとき、歌子がはにかんだ顔で見ています。歌子が口にできない想いを優子やおばちゃんたちが代わりに口にしているのだなと思います。
そして、日曜日、沖縄のごちそうをたくさん作った暢子。
はたして重子は来るのでしょうか。
第78回で注目は、比嘉家に蚊取り線香のようなものがあったこと、売店に猫がいたことです。
これまで猫の声のみだったのがついに登場したのは、撮影前半はコロナ禍感染対策が厳しくてできるだけ人の手がかかることを避けたのかもしれませんね。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第79回のレビュー}–
第79回:残念なイチバンボシボーイ
あまゆの階下であやしい物音がすると思ったら、賢秀(竜星涼)が暢子(黒島結菜)の作ったごちそうを、競馬中継を聞きながら食い散らかしていました。
暢子の結婚のお祝い金を給料を前借りして競馬で稼ごうとしたのですが、イチバンボシボーイは負けてしまい、荒れているところに、重子(鈴木保奈美)が和彦(宮沢氷魚)に連れてこられます。
タイミング最悪。
重子は「住む世界が違う」とあからさまに不快感を表し帰ってしまいます。
ただ、ここまで来たのだから重子もとりつくしまがあるようです。ふつう、来ないですよね。でも間が悪く、賢秀のせいでふりだしに戻ってしまいました。
「誤解じゃない、ありのままのニーニーを見られただけ」と暢子は、賢秀がどんなにとんでもないことをしても、ありのままのニーニーを受け止めています。
賢秀の「わかってちょうだいよ」の「ちょうだいよ」が切ない。「よーくわかっている その気持だけでうれしいさ」と暢子。
そしてお金を渡すのです。優子(仲間由紀恵)が乗り移ったかのようです。
賢秀はまた「倍にして返す」と去っていきます。これが伏線であって、最終的にはニーニーが倍にして返して大逆転になることを祈っています。
だってうちたちは 同じ世界に住んでるんだのに(暢子)
暢子のこのセリフこそ、ドラマのテーマなのかなと感じます。住む世界が違うと思うけれど、世界はひとつ。必ず、わかりあえる。その希望を諦めてはいけません。
暢子は重子に手紙を書くことを提案します。そのとき「子供の頃の文通のようにはいかないよ」と和彦は言います。ここで気になったのは、和彦と暢子はいつの間に文通をしなくなったのか。どちらもそのことについてとくに何も考えていないこと。
お父さん・史彦が亡くなって手紙を書く気がしなくなってしまったのか。手紙を待っていたのに来なくなって寂しかったという感情が描かれていれば、暢子と和彦の関係も唐突感が薄らいだ気がするのですが、シロートにはわからない深い作劇上の理由があるのかもしれません。
このとき、なんで会社から暢子に電話しているのかもわかりません。下宿が同じなのだから、下宿でいくらでも話せるでしょう。重子と朝話して出社してさっそく話したかったのかもしれないけれど、新聞記者って日中、そんなにヒマなのでしょうか。愛のお父さんも会社に電話をかけてきていたしなあ。私用の、しかも入り組んだ話をどうどうとデスクで電話していることが、人間的〜とは肯定できません。帰宅してから話しさないよ。
若さゆえ、和彦は迷走していると思っておきます。
重子も迷走しています。暢子との結婚を反対しているのは当初、家柄が違うとか沖縄が好きではないということかと思えば、結婚しても家にはいらず働くに違いないからという話に論点がすり替わっています。
要するに重子は、和彦が大事で、誰が来ても反対する。理由なんて適当なのだということなのでしょう。
重子の気持ちをわからない和彦は、暢子がいかに魅力的か語りますが、言えば言うほど、重子は意固地になっていきます。自分の人生を否定されていると感じるからです。
ここでも和彦は、自分の話ばかりして(暢子を全肯定)重子の気持ちを聞こうとしていません。
重子の孤独に歩み寄らない限り、説得は難しいでしょう。
その点、波子(円城寺あや)は、「私の人生は奥様やお坊ちゃまのそばにいさせていただいたおかげでとても楽しく充実したものになりました」と重子を立てるのです。すると、重子は素直に謝ります。
なんだかコミュニケーションのノウハウ本を読んでいるような内容になってきました。
重子と和彦は、中原中也の詩を、それぞれ朗読しながら、自分の心を、相手の心をのぞきます。
和彦は、詩の中から母の想いに到達することができるでしょうか。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第80回のレビュー}–
第80回:良子、御三味をつくる
呆気にとられました。
6年近く引っ張った良子(川口春奈)の石川家に嫁として認めてもらえるか問題があっけなく解決します。
当主である曽祖父・小太郎(小林勝也)の出した課題・御三味に挑む良子。
これまでほとんど料理をしていなくて、インスタントラーメンすら作ることのできない良子ですから、簡単にはできません。暢子(黒島結菜)に電話でアドバイスを求めます。
第80回で役立ったのは、天ぷらが冷めても美味しいように衣に酢を入れること。マヨネーズで代用しても美味しいそうです。だから夏の角力大会でも、天ぷらのお弁当にしたのですね、きっと。
こんなふうに毎日、暢子のワンポイントお料理レッスンがあるようなドラマだったら楽しかったようにも
思いますが、すでにもう4ヶ月。残りあと2ヶ月です。これから、暢子が結婚して、自分の店を持って……という流れになっていくのでしょう。
良子がようやく約束の日に間に合わせて持っていくと、小太郎の妻ウシ(吉田妙子)が援護してくれます。
吉田さんは沖縄県出身。「ちゅらさん」にも「純と愛」にも出演しています。沖縄ものではないですが「ウェルかめ」にも出演しています。
沖縄のネイティブな言葉が聞きやすく、説得力抜群。
最初は、良子に冷たく接しているように見えましたが、男優先の石川家に物申したいと思っていたようで、博夫(山田裕貴)が意を決して、良子を認めないならこの家を出ると言ったことで、気持ちがヒートアップしたのでしょう。小太郎にビシリと言います。
「時代は変わる。先に逝く者が 後に残る者の未来を縛ってはいけない」
良子は間違っていないと言うウシ。
厳格そうな小太郎もどうやらウシには頭が上がらないようです。
そこで披露した良子の御三味が「信じられないほど」おいしくないものでしたが、博夫に頼まれて石川家一同はおいしいという演技をします。
気をよくした良子は料理をこれからも作る気になって、みんなが焦るというほのぼのコメディ展開。
これはこれでありなのでしょうけれど、新婚時代の話のようで、6年ほど経っている設定に思えないのです。嫁が何年fも婚家に認めてもらえないってことはあるのがわかりますけれど、問題が単純化されているので、それほど長く引っ張る問題だろうかと思ってしまうんですよね。
先週の沖縄戦の話や、ジェンダー平等の問題をとりあげるなど、リアルな問題をはさみながら、こういう漫画ぽい話も混ぜる、そのバランスがうまくいってるように感じられないのです。
たとえば、遊園地で回転木馬に乗ったら、思いがけず、いびつな、暴れ馬のような動きになって、びっくりするみたいな感じで、そのびっくりを狙っているのかもしれませんが、あまり気持ちよくないんですよね(気持ちよく見ている人にはごめんなさい)。
さて、暢子は良子に御三味のつくり方を教えたことをきっかけに、暢子流の御三味をつくって重子(鈴木保奈美)に届けます。ちょうど、暢子の提案で和彦(宮沢氷魚)が書いた手紙を読んで心が落ち着いたところだった重子、おいしいと言いつつ、いや、そうでもないと考え直しながら、食べ続けます。
たぶん、重子との問題も今後はほどけていくことでしょう。
競馬で所持金を失った賢秀(竜星涼)は何度目でしょうか、養豚所に戻ります。
常識はずれなことが多いですが、しんどいことのない「ちむどんどん」の世界。ところがそこへ、フォンターナを急に辞めた矢作(井之脇海)がやって来ます。
太いストライプのギャング映画に出てきそうなスーツを着て、すっかり柄が悪くなっています。これが本性だったのでしょうか。つづきは第17週のお楽しみですが、途中退場した人物が、こんなにも歓迎されない再登場なのも珍しい気がします。
「おまえのおかげでオーナーや俺達がどれほど……」と元同僚が矢作に食ってかかりますが、そのどれほどかが当時、かなりライトに書かれていたため、ピンと来ない視聴者も少なくないのでしょうか。
でも、井之脇さんはせいいっぱい、ワルぽく演じていらっしゃいます。唸る見せ場があることを祈ります。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第81回のレビュー}–
第81回:矢作が荒みきっている
重子(鈴木保奈美)は暢子(黒島結菜)の御三味をおいしいと食べて、結婚許可するかと思ったら、第17週「あのとき食べたラフテーの」(演出:松園武大、寺崎英貴/さきは立さき)のはじまり、まだまだ許可されません。さらにそこに輪をかけて、フォンターナでトラブルが起こります。
いろんなことが目白押しなのはドラマとしては活気づいていいですね。
トラブルを持ち込んできたのは、急に辞めてしまった矢作(井之脇海)で……。
井之脇さんは先週、他局の「石子と羽男」で、ファスト映画を悪びれず配信している青年を演じていました。「ちむどんどん」では明らかに悪い行いをします。
ギャング映画のような派手なスーツにサングラスの矢作。独立したのはいいけれど、うまくいっていないようです。絵に描いたような荒んだ雰囲気です。
そうこうしているうちに、夜になると、やっぱり派手なスーツを着て凄みのある男たちがオーナー房子(原田美枝子)を訊ねてきて、矢作が借金のかたに、とんでもないことをしていたことが判明しました。
なんだかしゃれにならない話なのです。
借金エピソードは賢秀(竜星涼)でお腹いっぱいなのですが、また借金問題……と驚いてしまいました。これを「半沢直樹」シンドロームと呼びたい。
「半沢直樹」は銀行を舞台に、お金問題を痛快に描いた企業ドラマですが、これは勧善懲悪だったから支持されたわけで、「ちむどんどん」のように曖昧だと効果的ではないと感じます。
ただ、ここにひとつだけ、何かを感じるとすれば、実際の社会でも、お金の問題が曖昧に済まされることが多々ありますから、そういうことへのささやかな皮肉ではないかということです。
ありえない「ちむどんどん」の世界が実際にありえている。じつはディストピアを描いたドラマなのかもしれないと考えると、ちむどんどんしますね。
何かと不透明な世界で、幸せを求めて、結婚しようとする暢子。でも相手の和彦(宮沢氷魚)の
母・重子に反対されています。
重子は和彦の勤務する新聞社にやって来て、編集部内で声高に結婚反対の話をはじめます。
田良島(山中崇)は名探偵ふうに、重子の言動の意図を読み解きます。推理を話すときがやけにいい声。
ここで感心したのは、重子が新聞社に優雅に乗り込んで来たときから、これまでになく、新聞社社員のエキストラが有機的に動いていたことには、重子の意図と関連があったことです。
重子は、この場にいる人達に、自分の存在を知らしめる必要があったのです。そのため、いつもはいてもほとんど無関心だし、たいていほとんどいない編集部にひとがたくさんいて、やたらと利き耳を立てています。
物語に必要なときしかエキストラを出さない、動かさない。なんて合理的なんでしょうか。
しかも、この編集部のみんなが、かつてバイトに来ていた暢子のことを知っているから、何かと噂話が広まるという話になっています。ここの人たち、じつはみんなフォンターナの常連?
権田(利重剛)いわく「誰もが憧れる名店」フォンターナが気軽な社食と化している感じなところは前から気になっていましたが、文化人の集まるサロン的なものなのだと考えることも不可能ではありません。
ところで、編集部の人たちが全員、暢子を応援しているのだろうか。なかには愛(飯豊まりえ)を応援している人もいるのではないか。まあ、そういう人たちを焚き付けて、問題にするという作戦も考えられなくはないですね。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第82回のレビュー}–
第82回:フォンターナ営業妨害される
矢作(井之脇海)が盗んだフォンターナの権利書を1千万で買い取れと迫る権田(利重剛)。
房子(原田美枝子)は実印がなければ権利書だけでは土地を自由にできないことをわかっているので軽く断ります。
「さすがは天下のフォンターナのオーナーだ」と脅しが効かないことをわかってビジネスの話に切り替える権田。
権利書だけであたふたしてお金を払ってはいけませんよという、沖縄編以来の「ストップザ詐欺被害私達は騙されない」コーナーでしょうか。
みかじめ料を要求されても、房子は毅然と断ります。「書類はいずれ取り戻します」と言う、このときテーブルのうえに乗った権利書をさっと取り返してしまえばいいのにと思いましたが(コピーだったの?)、結局、権利書は権田の手元に……。
戦後の闇市からたたきあげて銀座に店をもった房子。バックに強力な助けてくれる人がいるものと思っていましたが、彼女だけでこれまで一度もこわい目に遭わずにやってこれたのでしょうか。すごいですねえ。
昔は沖縄県人会に入っていたようなので、その頃は、三郎(片岡鶴太郎)の世話になっていたののでしょう。第81回で、揉め事の仲裁が三郎の仕事と言われていました。とはいえ三郎は銀座までは力及ばずとは思いますが。
従業員は、動揺して次の就職先を探すと言う者、お金を払えばいいと言う者、様々です。
オーナー、そっちのけで「闘うんすよ」「金払いましょうよ」と自分ごとのように大騒ぎ。
いまは何時なんでしょうね。少なくとも閉店(10時)以降ですよね。
帰宅した暢子(黒島結菜)は、和彦(宮沢氷魚)に権田の話をします。新聞記者なんだから、社会の闇にも詳しいでしょうし、もっと心配してもいいと思うのですが、和彦の興味は、房子と三郎がなぜ結婚しなかったかなのでした。和彦、意外と恋愛脳。沖縄戦の取材のついでに暢子に会いに行ってちゃっかり結婚を決めてしまったし……。
人間なんてそんなもの。すごい仕事をしている人が恋におぼれていることなどよくあることです。
翌日、重子(鈴木保奈美)が和彦と共に食事に来ます。重子はあまゆといい、なんだかんだ言いながら、来るから、取り付く島があります。
前菜(ペペローネリピエーロ)が出て、一口食べたとき、房子が「いかがですか」とやって来ます。
重子は房子の経歴も調べていました。
いろんなことがありました。いまの法律や常識では考えられないことも。
と答える房子。そのいろいろあった過去を隠すつもりはなく、「過去も未来も含めて私の人生」と毅然と言います。
この”いまの法律や常識では考えられないこと”。は、いまも暢子たちのまわりでは起きているように感じます。
いろいろオブラートに包んでいるので、焦点がぼけてしまうのですが、重子は、暢子の血筋が青柳家とは合わないと考えています。考え直してもらうためのお食事です。
暢子はあえていつもどおりの料理を出します。いつもどおりといったって名店の味なのですから、
自慢の料理に変わりはありません。「特別」とか「いつもどおり」とか「仕込み」とか中身の伴わないセリフばかり。
ただ、沖縄では一回しかレストランに行ったことがないという思い出だけは中身があります。史彦(戸次重幸)につれていってもらったとなぜお礼を言わないのかわかりませんが、その話を聞いた和彦の表情はやさしくて、きっとあのときを思い出しています。
アメリカの統治下にあって、貧しい生活を余儀なくされて、本土と切り離されていた時代に生まれた女の子が、レストランではじめて美味しいものを食べて、美味しいものを作りたいと思った、暢子の仕事の原点。そのとき、共にいた和彦。ふたりには特別な絆があるのです。それをもっともっとドラマティックに描いたものが見たかった。
アコーディオンかバンドネオンの劇伴は、飼ってた豚を食べたときにかかって以来、汚れても懸命に生きる輝きを伴ったすてきな曲で、そこにすべてがこもっているように受け止められるのです。
「汚れつちまつた悲しみに」とうたった中原中也のように、悲しみにもっと向き合ってほしいのだけれど、ざっくりと、猥雑な部分ばかりが強調されていきます。
汚れつちまつた悲しみにの詩がアタマのなかを駆け巡ります。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第83回のレビュー}–
第83回:店への嫌がらせ、重子への嫌がらせ弁当
昨日、あんなこと(柄の悪い人の来店)があったからお母さんを刺激しないほうがいいと和彦(宮沢氷魚)に止められても、お弁当を重子(鈴木保奈美)に作ることをやめない暢子(黒島結菜)。今日はエビチリに青菜? 中華弁当?
おいしいものを食べれば気持ちが変わると信じて疑わないようです。和彦はやや重子の気持ちに寄り添おうという気になってきたようですが、暢子は重子の気持ちに立たず、自分の好意を信じて邁進します。
「うちは絶対あきらめない」
本来、主人公が立ちはだかる障害に向かって頑張るとき、健気に感じて、応援したくなるものですが、どうしてだか、応援する気になれない視聴者も少なくないのではないでしょうか。
「うちは絶対諦めない」が響いてこない理由を考えてみます。
その1:あえて主人公を未熟に描いている。現時点での「うちは絶対諦めない」というセリフには中身はないと考えている。
その2:主人公の生真面目さ、純粋さの積み重ねがない。そのため「うちは絶対諦めない」というセリフが響かない。
その3:とりあえず「今日も嫌がらせ弁当」のガワだけ取り入れてみちゃった感じにわじわじする。
和彦は暢子のことを心配して朝、重子のいる喫茶店に立ち寄ります。
「暢子は今朝も弁当を作ってた」
宮沢さんの「暢子」という響きには特別なあたたかみがこもります。
「今日も弁当を作ってた」という素朴な言葉が切なさを募らせます。
和彦は、未熟なところは多々ありますが、幼い頃からの暢子への思慕は変わらず表現しているので、セリフが染みてくるのです。単にたどたどしいだけかもしれませんが。
重子はいやでしょう、自分より暢子が大事だと感じるから。
重子は、暢子の親戚・房子の闇市生活、県人会脱退などから垣間見えるものに自分とは違う世界を感じて、とにかく暢子の家関係と距離をとりたいと思っています。
諦めないのは、暢子だけではありません。権田のフォンターナに対する嫌がらせが毎日のように続きます。
高級レストランに柄の悪い人が次々訪れ、営業妨害しはじめます。可笑しかったのが、“まずい料理の店につれてこられて怒り出すコント”みたいな小芝居を行うふたり組です。かなり芝居がかっていました。
二ツ橋(高嶋政伸 たかははしごだか)が先に手を出し、逆に訴えられそうになります。
どうにもならず、しばらくお休みすることを決める房子。いろんなトラブルがあっても絶対休まなかった房子がついに休んでしまうのです。房子はついに諦めてしまうのか……。
老舗の高級レストランなのに、顧問弁護士も頼れないようで。イタリアの料理人やら沖縄の人にはあれほど魔法のようなコネがあったのに。「月島のスッポン」と呼ばれる権田に目をつけられてしまった運の悪さということでしょうか。
そもそも、矢作(井之脇海)の問題のとばっちりですよね。
警察には権利書盗まれたことから調べてもらえばいいのでは……と思いますが、矢作をかばっていることに意味があるのかなと思います。
一本筋の通った房子。相当参ってそうですが、性格上、困った顔を見せません。その意地っ張りの彼女の気持ちを暢子は慮って「今夜は飲みましょう」と誘います。重子への押し付け弁当は歓迎されませんが、飲みましょうは房子を喜ばせます。
この違いはなんでしょうか。
その1:房子には愛情があるから。
その2:そういう流れにしないと物語が進まないから。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第84回のレビュー}–
第84回:房子と三郎の恋物語
愛する暢子(黒島結菜)を幸せにするために、三郎(片岡鶴太郎)に会う和彦(宮沢氷魚)。
三郎と房子(原田美枝子)がなぜ結婚しなかったか訊ねます。
和彦の発想が「全然 わからねえ」と首を傾げる三郎。そりゃそうです。
余計なお世話ですが、ふたりが破局した理由よりも、なぜ房子が沖縄県人会を抜けたか、その理由から聞いたほうが婉曲かつ適切ではないでしょうか。
和彦は頭がいいからか、過程を飛び越してしまったのでしょうね。
重子(鈴木保奈美)は、県人会から破門されるような素行の悪い房子の親戚である暢子は青柳家の嫁にふさわしくないことにしたいだけで。それは素行の悪さではなく恋愛問題であったということなのですが、和彦はそこをすっ飛ばして、いきなり結婚しなかった理由を聞いてしまう。それは早計かと思います。
ただ、これには作者の狙いがあると推測できます。作者は、このエピソードに限らず、何度も和彦のコミュニケーション能力の未熟さを描いているからです。
イタリア人シェフの取材のときは記事の主題について最後まで聞かず、沖縄の遺骨収集の取材のときは、いきなり切り込んで拒否され、「聞き出す」と鼻息荒くして、田良島(山中崇)に叱られていました。重子には手紙で重子の気持ちを受け入れていきたいと記したものの、あまり彼女の気持ちを慮る様子はいまのところありません。極めつけは愛(飯豊まりえ)です。彼女が何か話そうとするたび、遮って自分の話をしていました。
今回は、三郎と房子が結婚しなかった理由。戦後間もなくくらいの頃で、30年くらい経過して、いまだにふたりは気にしながら会わないようにしているのですから、あまりぐいぐい聞くものではないでしょう。三郎が房子のようにいまだに独身であればまだしも、三郎には妻・多江(長野里美)がいるのですから。蒸し返していいか配慮が必要でしょう。
百歩譲って、三郎と房子と多江の幸せのためであればいいですが、「暢子の幸せのため」ですからね……。身勝手ですよね。
暢子は暢子で、自分の幸せのために、お弁当を無理やり重子に作り続けています。
こうまで主人公と相手役を、悪気はないにしても利己主義であるように描くのは、ゆくゆく、
彼らが自力で、他の考え方ややり方があることを気づいてほしいと思っているからだと信じたいです。
自分が思うことと、他者が思うことは違う。それは、房子と三郎の関係にも現れています。
三郎は房子を捨てたため、憎まれていると思い込み、
房子は三郎を捨てたため、憎まれていると思い込んでいます。
房子が三郎を捨てたと思い込んでいるのは、そう思い込まないとやりきれないからという気もしますが(これ「おちょやん」を思い出しますね)、ものは考えようなのです。主観ですから。
この主観こそが厄介です。主観は大事だけれど、主観を曲げずに主張し続けると、おかしなことになります。客観が必要です。1対1で争わず、もうひとり客観視できる人がいると、問題解決しやすいのはそのためです。
恋愛問題に限らず、どんな問題も、当人同士だと勝手な思い込みでおかしなことになってしまうから、問題の本質に到達するにはどうしたらいいか。その誠実な思いが物語にうまく溶け込ませられていないのを感じます。暢子が、フォンターナに入ったばかりのとき、勝手に前菜を醤油味にしてしまったことと似ています。
つまり、作り手のなかではこの物語は狙いどおりだけれど、いつものフォンターナ(朝ドラ)の味が好きな客としては醤油味を受け入れられない。
受け入れられないから、ほんとうなら、三郎がこれまで酒の席でお茶ばかり飲んでいたことに、伏線回収!と喜んだり、優子(仲間由紀恵)が過去の話をして、タイトルバックが優子と賢三(大森南朋)だったとわかったら、サプライズに大喝采したり……するところ、それができない。
自制心のない主人公と相手役を描きながら、作り手自身は驚くほど自制心を強くして、あれこれ指摘されるがままになっている。これはなぜでしょうか。そこが、この混沌とした物語を解く鍵ではないかと思います。田良島に鮮やかに推理してほしいです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第85回のレビュー}–
第85回:ぬいや〜
ってどういう掛け声。
そう喚いて、権利書を取り返した二ツ橋(高嶋政伸 たかははしごだか)。
「カメ」(by暢子)のポーズで権利書を守り抜きます。
そう、これこれ、房子(原田美枝子)もテーブルから取ってしまえばよかったと思うんですよね。できそうな距離感だったし。
「カメ」だから手も足も出ず、ただ権利書を抱えて守るしかない二ツ橋。と、そこへ、三郎(片岡鶴太郎)が現れます。
権田(利重剛)とはシベリア時代の関係があって、一件落着。
三郎、無双。
ここで得られる教訓は、人には親切にしておくものだということです。
フォンターナを縁もゆかりもないと言いながら、うちの娘(暢子)が働いていると言う三郎。
こっそり聞いている房子の微妙な表情。第84回で恋バナをして「惚れちゃった」と言ったときの声のかわいさとか、「だめ 今ここを開けるのはだめ」とドアをかたくなに開けない姿とか、恋する房子はなにかかわいいのです。
お互い気にかかっているのに、会えない房子と三郎をなんとかしたい暢子は
「あ〜シークワーサーが食べたい」と久しぶりに無敵のシークワーサーのことを思い出します。
シークワーサーを食べなくても閃きました! 披露宴をフォンターナでやると言い、三郎に「まずは相手のお母さんのことが先なんじゃねえのか?」とたしなめられます。
やっぱり、暢子が他者への配慮がないのはわざと描いているようです。周囲の大人たちに学んで、一歩、一歩、ゆっくりと成長していくのでしょう。
お父さん(大森南朋)→房子→田良島(山中崇)→三郎
の順に助けてくれる人が登場してきます。
和彦のほうは重子を説得。
「美味しいものがいっぱい出る。母さんとも一緒に食べたい」
まるで小学生のようなセリフです。和彦、すっかり幼くなりましたね。重子の前では子供に戻ってしまうのでしょうかね。
黒島さんも宮沢さんも才能があると思うのですけれど、この内容とセリフは、子役さんたちでやったら全然違った印象だっただろうなあと思います。あるいは、どうも暢子や和彦の言動を見ていると、アニメ絵が浮かんできてしまうんですよね。意識的に単純化しているのだと思うんですが。
黒島さんは「アシガール」や「SICK’S」の頃ならハマったのかなという印象で、でももう大人になられて、天真爛漫な野生児のような役がちょっと大変そうに思います。ただ、第85回で、三郎に、房子とこのままではいけないと真剣に語る場面は想いが伝わってきました。
宮沢さんは、ドラマのあとの「あさイチ」にご出演予定がコロナに感染されて欠席されました。
でも彼の印象を共演者が語るVTRだけ流されて、そこでは、役とは違う、生真面目で紳士的な一面が紹介されました。
筆者もシネマズプラスでインタビューしましたが、ひじょうに知性的な印象で、沖縄のことにも意識を向けて語る姿が頼もしかったので、和彦がこんなにも未熟な役になるとは思いもよらなかったです。逆に、こういう役も演じることができるという幅広さでもあるとは思います。
暢子がつくったラフテー弁当を、中原中也の詩「無題」を浮かべながら食べる重子。その詩は、
激しい恋の詩です。そこに、和彦と暢子を重ねるのも良し、かつての三郎と房子を重ねるのもまた良し。
中原中也の詩と彼の実話を知ると、こんなにも一般的なルールに則って生きることが大変な人たちがいて、それがこんなにも美しい詩に昇華するんだなあと思います。
この世界、思い込みの強さがものを言う。それがバカップルになるか、高尚な芸術になるか、紙一重なんです。
演じている黒島さん、宮沢さんの資質を生かし、和彦と暢子がやがて成熟して素敵な物語に昇華されますように。
「絶対許さないんだから」と言いながら、パクパクお弁当を食べてる重子がいじらしかったです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第86回のレビュー}–
第86回:アンダンスーってなに?
第18週「しあわせのアンダンスー」(演出:木村隆文)がはじまりました。良子(川口春奈)がお土産に持ってきた優子(仲間由紀恵)の作ったアンダンスーとは油味噌のことだそうです。サーターアンダギーと似ているなと思ったら、「アンダ」が油の意味なんですね。サーターアンダギーも油で揚げたお菓子です。でもアンダンスーはレシピを調べると油を使用しないで、肉の脂を生かすようです。食べてみたい。
さて、今週も暢子(黒島結菜)と和彦(宮沢氷魚)の結婚話。頑なな母・重子(鈴木保奈美)の心を溶かすことができるでしょうか。
暢子は、家族団らんの楽しさを重子も一緒につくろうと、同居を提案します。
暢子の家は、家族団らんの楽しい思い出がいっぱいあるけれど、和彦にはない。だから、それを作ろうと暢子は考えたのです。
良子と房子(原田美枝子)と和彦と4人で語らったとき、思い出す家族の楽しい思い出は、青柳史彦(戸次重幸)につれていってもらったレストランのお食事。はじめての外食。最初で最後の家族そろっての外食です。そこには、青柳家もいて、比嘉家と青柳家が家族になる伏線だったといま振り返れば思えます。
ここでは、史彦の名前が出ますが、なぜか、重子に話したときは暢子が史彦の話を出しませんでした。ふつう、話すのではと思ったものの、もしかしたら、暢子は、重子が聞いたら疎外感を覚えると思いやって控えたのかもしれません。
実際、史彦が何を考えていたかわかりませんが、和彦は史彦になついていて、重子だけが孤独です。
和彦も、それに気づいて、同居して、みんなで楽しく暮らせると考えるようになります。
和彦は暢子のおかげで、家族や母というもののありがたさを知ることができたのです。
家族の幸せな思い出があるから、僕も家族をもって幸せになりたいって思える
はあ、そうですか……。今度は家族に恵まれなかった人のことを考えてないざっくりしたセリフですね。
良子は「誰がなんと言おうと暢子は暢子のままでいい」絶対肯定します。
良子が暢子を心配して沖縄から飛んできたことは、比嘉家の家族愛を表現しているとはいえ、セリフがざっくりし過ぎてるし、オリジナリティーがない〜とわじわじする視聴者のために、中原中也の詩が用意されています。
中也の詩の含蓄のある言葉の数々は普遍性に富んで、読む人、それぞれが自分の体験や感情を投影できます。
これまで朝ドラではヒット曲を多用することで、普遍性を担保することが多かったのですが、詩を多用することは珍しいです。
「ちむどんどん」も当初、フォークソングや沖縄の歌などを使用して、いつもの朝ドラとヒット曲コラボかと思ったのですが、何か新しいことをしようという意図か、中原中也を、母と息子が、交互に朗読し合うスタイルで、本音を語らない母の心を探っていくように見えます。
なんらかの理由によって本音を語らない、語れない人たちの本音をどうやったら理解できるか、どう表現できるか、その模索を感じます。
強引に同居を提案する暢子、それを嬉々として重子に伝える和彦は、自分を信じてにこにこしていて、羞恥心の欠如を感じて、視聴する側としてはなんだかちょっとうっとおしくも思いますが、重子は内心、嬉しそうな気もしないではありません。ひとりぼっちで寂しかったのだから、和彦と一緒に暮らせるのはほんとは嬉しいに違いありません。本を抱えて、否定しているときの重子がかわいらしく見えます。房子と重子、意地っ張りな大人たちは暢子と和彦の幼さや純粋さに触れて、じょじょにデレていくのですね。
そういえば、今日、はじめて喫茶店の重子のテーブルに食べ物が出ていました。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第87回のレビュー}–
第87回:突破されました
どうしたら重子(鈴木保奈美)に結婚を許してもらえるのか、房子(原田美枝子)は披露宴の料理を、あえて「おいしくないもの」を作りましょうと提案する。
料理は美味しいだけじゃない。忘れていた思い出を呼び起こすものでもある。(房子)
過去、「おしん」でも飽食の時代を反省し、貧しい時代に食べていた「大根めし」を現代人に紹介しブームを起こしました。
戦争のとき、どれだけ食べるものがなくて、どんなものを食べていたのか。戦争を思い出す時期に振り返ることは大事ですね。
なんてことを思わせつつ、第87回は、ニーニー・賢秀(竜星涼)とネーネー・良子(川口春奈)の青柳家訪問がメインです。ドタバタ感がすごい。
玄関先で良子が逡巡していたら、賢秀が現れ、ふたりでわいわい。それを家の中から波子(円城寺あや)が見ています。
波子は暢子(黒島結菜)の弁当ですっかり懐柔されたようで、うっすらアシストしています。
「突破されました」と重子に報告し、中に入れます。
まず、オルゴールを壊すなど、ニーニーは期待を裏切りませんし、良子は過去最高の種類のお土産を持参します。
イチャリバチョーデー 一度会ったらみんなきょうだい
という沖縄の言葉を持ち出し、説得を試みますが……
人類みなきょうだい というような寛大な考え方はすてきですが、比嘉きょうだいはがさつ過ぎて、上品な重子には受け入れがたいことでしょう。
第87回で注目したいのは3点
その1:自作のプレゼント
お土産のなかに、歌子(上白石萌歌)のカセットテープ(しかも新品じゃなさそうな)がありました。
親しい間柄なら、心がこもっているという意味で、自分の歌や絵を贈って喜ばれることもあるでしょうけれど、見ず知らずの人にいきなり自作のものは……。まあこれも人によりますね。どんなに親しくても手製のものを欲しがらない人もいますし。
その2:ニーニーは牛飼いじゃない
興信所に頼んだのか、重子は暢子の個人情報を調べ尽くしていました。ところがなぜか、ニーニーの仕事を牛飼いと間違えています。石川家の曾祖母がウシという名前であったことと情報が錯綜したのでしょうか。それはともかく、
ニーニーは「牛飼い」「牛飼い」と言われ、思わず、豚だと明かしてしまいます。
なぜかニーニーは養豚所で働いていることを隠しています。子供のときから豚が好きで豚を育てることだけは得意だった彼ですが、それしかできないと思われることが恥ずかしいのかもしれません。
家族にも誰にも言わないでいたことを、重子にしつこく「牛飼い」と言われることで、つい本音を漏らしてしまう。
中原中也の詩と同じ、意地を張って人に言えないことを吐露させるための方法ですね。
その3:ゴッドファーザー
ニーニーが「ゴッドファーザー」を気取って「ドン賢秀です」と波子に自己紹介。これまで寅さんを気取っているふうでしたがもう飽きたのでしょうか。
イタリア系マフィアの一家を描いた映画『ゴッドファーザー』は72年に公開されています。沖縄が日本に返還された年だったんですね。つまり、2022年時点で、公開から50年記念の年に当たるんですね。パート2は日本では75年に公開されていますから、賢秀は見て、感化されているのでしょう。
血はつながってなくても義理と人情でつながるマフィアの一家に共感するんでしょうね。
重子の説得に失敗して帰るときの劇伴が『ゴッドファーザー』ふうでした。
重子のように「住む世界が違う」と他者を遠ざけず、「みんなきょうだい」という寛容さで、貧しかったり、何かと恵まれなかったりする人たちの受け皿が
必要だし、価値観が違う人達とも手をつないでいかなくてはと思わされました。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第88回のレビュー}–
第88回のレビュー
今日も、重子(鈴木保奈美)は中原中也を読んでいます。
中原中也、この一冊しか読まないのか、このひとは。というのは言いがかりにしかなりませんが。
それより気になるカセットテープです。
「いやになってしまう」と波子(円城寺あや)に聞かせる重子。
歌子(上白石萌歌)の声が入っていました。
「結婚させてください」
「私、歌います」
たどたどしい挨拶とちょっと下手くそな演奏と歌が。
そこに優子(仲間由紀恵)の声も入ってしまいます。
こういうことあるあるですね。いまだと、部屋でユーチューブのライブ配信していたらおかんが声をかけてきたみたいな感じでしょうか。
テープの音を聞いた波子の優しそうな表情。円成寺あやさんはほんとうにいいお芝居をされます。
そして、フォンターナでの食事会。
おいしくないものを出す計画ははたして……。
ふつうにおいしいものが出てきます。
今回は食事中に、暢子も房子(原田美枝子)も邪魔しません。
魚肉ソーセージ、エビの頭、クジラの肉……それから特製、おからのお寿司。
食べながら、重子はじょじょに何かを思い出していきます。
「やっぱり、これ。なつかしい」
終戦食後、夫・青柳史彦(戸次重幸)と闇市で食べた味の再現でした。
重子は戦争から史彦が帰ってきたときの話をしはじめます。
和彦が生まれたのは、戦後まだ、貧しい頃だったそうです。へえ、和彦は戦後間もなく生まれなんですね。
子供には絶対味わわせたくないような不自由な暮らしながら、家族3人で過ごしたあの頃が一番幸せだったのかもと回想します。それが豊かな暮らしを取り戻したら、ばらばらになってしまう。そんな家族もあるんですね。大変な苦労をくぐり抜けたら、結束が固まるかと思いきや、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこういうことなのでしょうか。
虚しい日々を過ごしてきた重子に、暢子はもう一度思い出や思い出の味を作りたいと考えます。それは、
亡き史彦が、沖縄を去るとき、学校に来て語った話が原点になっていました。
史彦は重子に愛情を注げなかったけれど、回り回って、暢子を通じて、愛情を手渡したのです。
互いを尊重してください
広い目ではそういう考え方をしていた史彦が、最も身近な妻を尊重できず、悲しませていたのでしょうか。それとも、頑なな妻を尊重し過ぎたことで、こうなったのでしょうか。
史彦は重子をどう思っていたのでしょうね。気になります。
重子のことを「しーちゃん」と呼んでいたのでしょうか。呼んでくれなくて、重子はそう呼んでほしかったのでしょうか。
結婚を認め、「しーちゃんと呼んでくださる?」と重子は暢子に頼みます。かわいい人なんですよね。でもたぶん、一緒に暮らしたら面倒くさいでしょう。
第88回は概ね、胸いっぱい、感動回でした。
比嘉きょうだいが、暢子を助けたとも言えるでしょう。第87回で、賢秀(竜星涼)と良子(川口春奈)、88回で歌子、力を合わせて暢子をバックアップしました。子供のときの運動会以来、はじめて、きょうだい一丸となったような気がします。
とはいえ、批判癖が習慣化してしまっていまして、良かったで終われないので、もう少し続けます。
自分を信じられなくなりました。
和彦くんを不幸にしてしまうかもしれない。そう思い始めていました。
深刻な暢子。
でも、なんででしょうか。やたらと前向きで自信満々だった彼女の考えの変化が唐突過ぎて、ついていけなくて。
想像すれば、何も知らなかった暢子が、自分と和彦とにずいぶん差があることに気づき、愕然としたということなのでしょうけれど。その葛藤を見たいと思うドラマ好きもいます。
映画やドラマを早送りして見る時代、いつの間にか、早送りして、間が抜けてしまったのかと思いました。あるいは、どうせ早送りされるから、過程は飛ばして結果だけでいいよねという作りかたなのでしょか。早送りする人が増えているという話題が広がれば広がるほど、じゃあ、その人たちのために作ろうと思ってしまいそうで、心配な昨今です。
早送りする世代だったら、たぶん、今回は、文句なしに感動した!と思うでしょう。
過程を丁寧に見せてほしいというのは贅沢なのかもしれません。
戦後の闇市の味、何もないけど、ありもので工夫して、それでも食べられるだけ幸せだったとはこういうことかもしれません。我々はドラマにも贅沢を求め過ぎているのではないかと反省しました。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第89回のレビュー}–
第89回:あゝ 歌子まで
1979年3月。
雨降って地固まる、いよいよ暢子(黒島結菜)と和彦(宮沢氷魚)の結婚式の披露宴の日です。
披露宴の話ばっかりなんですが、肝心の式はどうなったのでしょうか。やらないで籍だけいれて、披露宴? 披露宴にすべてを賭けている様子の重子(鈴木保奈美)や、フォンターナに来てしんみりしている優子(仲間由紀恵)や良子(川口春奈)の様子を見れば、そうですよね。
これを機会にみんなで集まってパーティーしたいということなのでしょう。
房子(原田美枝子)は「自分がどこから来てどこに行きたいのか 考える一番の 機会です」と暢子に言います。
いわば、披露宴は人生の転機。
これまでのすべてを丸く収めるということで、三郎(片岡鶴太郎)と多江(長野里美)と房子も対面します。
そして、智(前田公輝)は歌子(上白石萌歌)の仮病に騙されて東京までやって来ることに。
房子と三郎との再会は暢子のたっての願い。智は、歌子が連れて来たかったのだと推測できます。あるいは家族ぐるみのはかりごとか。
これは、いろんな人の意見を聞きたいです。筆者はそっとしておきたい派。少なくとも自分のお祝いのときにはやらないと思います。
「ちむどんどん」の世界では、人類みなきょうだい、自分の幸せはみんなのしあわせという感じがするので、自分が幸せになる日に、みんなが仲直りしてほしいと思うのでしょうね。筆者はやるのもやられるのもいやかも。まあ、タイミングにもよりますけど。
「ちむどんどん」の場合は、重子も、房子も、智も意地っ張りで本音を出せない人物で、内心は水に流したいと思っているから、しぶしぶそうなったという状況を作り出してあげればいいということで、このような流れになっていると考えられます。
全員、同じ性格で、とても一面的なんです。意地っ張りな人物を描くのが得意な作家だなと過去作を見ても思うのですが、ひとりひとりの違いを尊重することを謳っているなら、もうすこし工夫して、いろいろなタイプのひとを描いてほしかったと思います。
重子も房子も、デレる表現が、おしゃれするというのも芸がない。重子はいろんな服に迷い、
房子は三郎が来てメイク直しします。うーーん……。まあこれはかわいいということでいいとして。
なんといっても、歌子の病気の描き方です。病気をドラマのフックにしてしまっていることが残念です。
最初にそれが気になったのは、歌子がはじめて東京に来て検査を受けたとき。大変な病気なのかなと心配させるムードがあり、結果、なにごともありませんでした。
そして今回、智を東京につれていくために仮病を使います。このとき、深刻な劇伴もかかるから余計にたちが悪い。もうこれでは歌子を心配できなくなります。これまで彼女が虚弱体質で悩んでいたことも無意味化してしまいます。それがなんだか悲しかった。
つまり、このドラマの脚本が仮病を使って、その都度、心配させるけど、それはほかの目的のためなのです。
暢子の実家への手紙と電話も脚本上の都合でしかなく、手紙を効果的に使っていた名作ドラマとはまるで違います。
セリフもほんとうに有機的でなく、その場限りの”それ”っぽいものばかり。
「乾杯用のスプマンテは冷えてますか」「はいもちろんです」と調理場の雰囲気を一応出してみました感。
「誰かに迎えに来てもらうかタクシーで行け」と歌子に当たり前のことを言う智。
フォンターナに「着いた」って前に来てるじゃん、重子。
「やんばるにこんな店ないね」と博夫(山田裕貴)。「きれい」と晴海。
石川家はここで三人家族一緒をかみしめます。
重子も、房子も、三郎も多江も、智も石川家も、それなりに大変な思いを抱えてきたはずで、それが報われたり、水に流せたりするときに、こんなふうでいいのかな。あー、いろんな人の意見を聞きたい。
「時間よ止まれ」を得意げに練習している賢秀(竜星涼)は、以前はなにかとうるさく感じましたが、彼にしかない主張があるので、少なくとも楽しいです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第90回のレビュー}–
第90回のレビュー
いよいよ披露宴。無理やり参加させられた智(前田公輝)はフォーマルに着替えています。とゆーことは、やはり、あらかじめ比嘉家総出で図ってあったことかもしれないですね。
歌子(上白石萌歌)もお着物に着替えています。演奏も無事できました。
主賓の挨拶で、真っ先に智が指名されることはやはりみんなであらかじめ図っていたのでしょうか。
智は焦りながらも立派に挨拶します。結婚してほしくなかったと本音が出て一瞬ピリっとなりますが、すぐ切り替えて、ふたりはお似合いと認めます。
これはなかなか賛否両論案件です。
関係者の前で話をすることで完全に吹っ切るという儀式的なこと? それによって共同体の一員として再び、今まで通りにいられるというような。
それはそれで智もこそこそしないで、楽になるのかもしれません。ともすれば、
房子(原田美枝子)と三郎(片岡鶴太郎)みたいに長いこと気まずくて会えなくなるので、暢子(黒島結菜)はそうしたくなかったということでしょうか。
からっと仲直りしたい気持ちもわかるし、簡単にはそうできない人もいます。
智はたまたますぐ元通りになっても大丈夫な性格だったのでしょう。
これは別れてから友達に戻れるか、もう絶対戻れない、あなたはどっち?問題に近い気がします。筆者は戻れる派ですが、絶対戻れない人も知っています。
智の次は房子が、披露宴あるある、ちょっといい話をします。アッラ・フォンターナはイタリア語で泉。ニーチェの言葉「足元を掘れ そこに泉あり」を引用して、自分の原点(源泉?)を深く掘ることを説きます。
そこで暢子は、自分かどんな店を作りたいか確信するのでした。
今日はめでたい日ですから、このまま、よかったよかったとしたいです。みんなが口々に料理を食べて「美味しい」「マーサンヤー」と笑っている様子は至福のひとときです。
暢子は子供のときはかなり美味しいものに執着していましたが、東京に来てからはさほど料理オタクな印象もなく、もちまえの料理のセンスと技術ですんなりやってる感じで、悩んだり迷ったりして見えないので、泉を見つけた!というカタルシスがないのです。
とはいえ、ウェディングドレスも琉装もすてきでした! 琉装、艶やかでした!
和彦(宮沢氷魚)は借りてきたお雛様のようでした。
賢秀(竜星涼)は豚の出産で披露宴に欠席します。豚の出産を選ぶのが謎です。
豚愛が強いのか、はたまた、実は、こんな俺では父代わりとして人前に堂々と出られないと卑下しているのか……。
出産後、清恵(佐津川愛美)とふたり疲れて寝ている姿が微笑ましい。彼の泉はここにありそうです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第91回のレビュー}–
第91回:賢秀、また我那覇のカモになりそう
第19週「愛と旅立ちのモーウイ」(演出:松園武大、寺崎英貴 さきはたつさき)は、暢子(黒島結菜)が和彦(宮沢氷魚)との結婚を機に、修業したフォンターナを独立し、沖縄料理の店を出すことを決意して、開業に動き出しました。
タイトルバックのクレジットは青柳暢子になっていました。
第90回で、沖縄料理の店をやりますと披露宴で宣言した暢子に、みんな驚いていて、独立を積極的に進めていた房子(原田美枝子)も「え」と声に出して驚いていました。
イタリア料理の修業したのに? と誰もが怪訝な気持ちを抱きます。
二ツ橋(高嶋政伸 たかははしごだか)はイタリア料理の修業してきたのにもったいないじゃないですかと問い、独立することがどれだけ大変か、暢子に包丁を研ぎながら伝えます。そして、月に一回はフォンターナに顔を出すように言います。房子の寂しさを思ってのことでしょうか。
房子は驚きながらも、暢子のサポートを続けます。直接アドバイスをしないものの、ほかの話をしている途中でふいに暢子に伝えたいアドバイスを語り出すなど、屈折した愛情を見せます。いや、もう、房子の屈折は蒸し返さなくていいのではないでしょうか。
重子(鈴木保奈美)のもてなしについて協力したし、自分の店を持つことを考えなさいとさんざん言っていたし。もう随分、暢子にデレていたのに、なぜまた直接アドバイスしないのか。自分の店をもつことを勧めたのは本心ではなかった? フォンターナを継ぎたいと言ってくれることを期待していたのかもしれないですね。房子の屈折率(意地っ張り)はかなり高いようです。
屈折率の高さ(意地っ張り)では重子も負けていません。同居の提案を結局断ります。でも「しーちゃん」と呼ばせ、新店舗には日本画を飾れとトンチンカンなことを言います。ここで和彦が「却下」「ありえない」と反対します。「却下」「ありえない」は6、70年代に使われたヤジ「ナンセンス!」みたいな意味合いなんでしょうけれど、ちょっと令和に寄せすぎているような……。
重子が害のないおとぼけ義母さんになってなにより。
原田美枝子さん、鈴木保奈美さんのスター性と実力で、房子と重子は面倒くさいけどかわいげがある人物になっています。
二世帯同居をしないことになった暢子と和彦は、あまゆの狭い下宿で新婚生活をはじめます。
暢子のもともとの部屋に和彦の荷物が置かれているので一部屋にしたのでしょうか。二間、借りたままにしておけばいいのに。
つつましき貧乏若夫婦という感じですが、かたや一流新聞社、かたや一流レストランで働いているのですから、収入はかなりあるのではないでしょうか。そして、7年、家賃はあまゆで抑えめだったのですから、貯金はかなりありそうです。
ところが、たったひとりで店を開くことがいかに孤独か身にしみて急にしょげる暢子。
和彦はフリーランスになりたいけれど、暢子のためにもうしばらく新聞社にいることにします。
これもまた、おいおい、妻に店をやらせるために新聞社に居座るのかい? と思わせるような描写はもうお約束という感じ。
妻に働かせてお金にならない取材をし続けるような人も問題ではありますが、新聞記者の仕事をもっと真面目に考えてほしい気がして残念です。でもこういう要領のいい人たちがいることも真実ではあります。
新聞社の学芸部でのんびり仕事して、家では暢子にお茶を入れてあげる、和彦は令和的ないい夫です。きっとイクメンにもなるでしょう。
和彦を心配する田良島(山中崇)も沖縄をテーマにしていた時代もあって、教養も高く問題意識もあるにもかかわらず、学芸部のデスクでい続けるのはなんのためなんでしょうかね。まあ誰もが賞を獲って本をじゃんじゃん出せるジャーナリストやノンフィクションライターになれるわけではないですから。
蒸し返さなくていいといえば、賢秀(竜星涼)です。清恵(佐津川愛美)といい感じかと思いきや、暢子の独立に協力するためにまた養豚所をやめ、競馬ですって、そこに我那覇(田久保宗稔)と再会し、またへんな儲け話を持ちかけられーー。
この繰り返し。「却下」「ありえない」と言いたい。残暑が厳しいところにこの徒労感はしんどいです。
最後の最後に”部”(倍)にして返してもらわないと見続ける甲斐がないので、お願いします。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第92回のレビュー}–
第92回のレビュー
暢子(黒島結菜)の独立話は進行していきます。三郎(片岡鶴太郎)に紹介された信用金庫の坂田学(安井順平)さんに事業計画をチェックしてもらったり物件を見せてもらいます。
なぜか坂田が「しまった!」とテンション高いなあと思ったら、入れ違いに「暢子!」と賢秀(竜星涼)テンション高くあまゆにやって来ます。
結婚祝いに「200万円引換券」という肩たたき券みたいなものを持参し、マルチ商法のビタミン剤を販売していると報告します。あーあ……。
たぶん、「部にして返す」や「200万円引換券」は伏線だと思うんですが(そう思わないと見ていられない)、何度、インチキ商売をやり続けるのか。和彦(宮沢氷魚)は新聞記者にもかかわらず、傍らでぼーっとしているだけなのが謎過ぎます。
内容はあーあ、なのですが、賢秀はドラマの初期からずっと変わらないテンションをキープし続けていて、そのおかげで、キャラが定着しました。これはとても立派なことです。批判の声もあるなか、ブレずにおばかキャラを演じ続ける。大変尊いことです。おそらく、劇団☆新感線での経験が役立っていると思います。
それに比べると、暢子は今週、急に元気がなくなって、暢子らしくありません。独立することが重く背中にのしかかっているのです。励ますのは歌子(上白石萌歌)。ヤング大会のときから、お店を持つことは運命づけられていたのだと言います。披露宴での突然の沖縄料理店をやる宣言はまさにヤング大会での東京に行く宣言と同じでした。
杉並に物件を見に行くと、なかなかいい感じの物件で、目を輝かせる暢子。でも家賃が予算オーバー。失敗したら借金だけが膨らむと、賢秀と違って堅実です。
このとき、物件の向かいにキッチン○○軒という洋食店がありました。ちょっと「ひよっこ」のすずふり亭を思い出すような店構えで。以前、「ひよっこ」の岡田惠和さんにインタビューしたとき、みね子が結婚後、荻窪あたりでレストランを開業するまで描く構想もあったという話をされていたので、もしかしてみね子のお店だったら面白いなあと思ったりしました。この間、ドラマ「拾われた男」にも、「ひよっこ」の撮影シーンが再現されていたので、リメンバー「ひよっこ」。竜星涼さんや矢作役の井之脇海さんも出ていて、ラーメン屋台で交流するエピソードがすごく良かったのですよね。
賢秀のマルチ商法、暢子の独立問題と、お金の絡む、生臭い感じが漂うなか、やんばるでは、優子(仲間由紀恵)が孫の晴海(佐藤風和)の野菜嫌いを治そうと、畑に誘います。
「野菜の声が聞こえる」
野菜との語らいを通して、野菜に親しんでいく、優子の素朴でやさしい教えが、自然の風景と相まって、一服の清涼剤となりました。島らっきょう、あのきりっとした辛味がいいんですよね。食べたい。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第93回のレビュー}–
第93回:智はなぜ、暢子を追いかけず店内に
予算より高い家賃の物件を借りることにした暢子(黒島結菜)。
いい物件なのですぐに契約しないとほかの人に借りられてしまう。
ただ、そうするとすぐに家賃が発生するから、なるべく早くフォンターナをやめないとと悩みます。
房子(原田美枝子)は今月いっぱいで退職していいと許可します。
「辞めていく人間に余計な人件費かけたくないから」とまた裏腹なことを言う房子。
そんなにさみしいなら、早く自分の店を持ちなさいとなぜ焚き付けた……。
「ちむどんどん」の登場人物は、筆者が現実の世界でこれまで出会ってきた、このひとはなんでこういう言動をするのか理解に苦しむという人たちばかりが集まっています。
一番は比嘉家の面々。暢子の無計画に、物件探しだけ先に進めて、借りてからフォンターナを辞める流れも、筆者は独立して店をもった経験がないのでよくわかりません。世の中の若者たちはこんなふうに行き当たりばったりで開業するのでしょうか。
せっかく雪解けした智(前田公輝)が独立の先輩なのですから、もっと前に相談したら良かったのでは……という気もします。智が急に独立時にはいろいろ俺もあった、みたいな話をとってつけたようにします。
懲りない賢秀はマルチ商法に関わって、房子にまで商品を進めにきますが、ピシャリと叱られ、目が覚め、元締めの会社に行くと、我那覇(田久保宗稔)たちもインチキに気づいて文句を言いに来ています。
その頃、和彦(宮沢氷魚)は田良島(山中崇)に、賢秀の商売はやばいと聞き、慌ててあまゆへーー。このときの田良島の「ドンピシャー!」が可笑しい。
あまゆでは、暢子が契約金の200万円をびくびくおろしてきたところ(この気持はなんかわかります)、賢秀に違約金が必要だという知らせを受けて、飛び出していきます。
第92回で、和彦が無反応だったのは、第93回で房子が賢秀を叱るためですが、和彦の新聞記者という設定が無視された脚本で、俳優自身も、和彦がここでもうすこし何か見識を述べるセリフを作ってくださいと言いたいのではないかと余計なお世話ですが思います。ただ、手をこまねいていたわけではなく、心配して田良島に聞いていたという流れにはなっているのですが。和彦、自分の知識を使うこともしてほしい。これも、田良島の出番を作るためでしょうけれど。
予定調和にしないことを目標にしているのか、ふつうはこうするだろうということをことごとく外しているのですが、ふつうでいいことはふつうでいいのではないでしょうか。
最たるものが智の行動。暢子があまゆを飛び出していくとき、「暢子!」と追いかけようとしたように見えるのに、追いかけません。そこに、和彦があまゆに来て、暢子が出ていったと聞いて追いかけるときにようやく追いかけるのです。
ふつうなら、暢子を追いかけるけど、そうしないよ〜 ってやる意味は……(和彦が来るからですが)。
当たり前のところを丁寧に積み重ねたすえ、ここぞというところを斬新な展開にするほうが効果的であるというセオリーからもわざと外れていく、果敢な挑戦はいったいなんのためなのでしょうか。
房子、よくぞ叱ってくれた! と視聴者が喜ぶ それがネットニュースになることって、我々の日常生活そのもので、わざわざテレビドラマで観て一喜一憂する意味がありますか。無料の垂れ流しと違って、受信料を集めて多額の制作費でつくったドラマは、お金をかけた分、日常と違うものを見せてほしいです。美しいもの、心が癒やされるもの、学べるもの、心から笑えるもの、ふだん言えないことを代弁してくれるもの……等々。
ほんとうは、日常と違うことがあります。賢秀のような学習能力のない騙されやすい人を、比嘉家や、猪野家の人々はいつでも受け入れてること。その重要性こそ、注目されるべきところなのでしょうけれど、そっちよりも、愚かな行為の連続とそれを糺すことにばかり注目が集まります(そういう描き方をしているから)。
「男手が必要なときに限って」と、年取った寛大(中原丈雄)と娘・清恵(佐津川愛美)がたったふたりで力仕事をしています。賢秀以外に男手は入ってこない。おそらく養豚場はきっと3Kのような仕事と思われて働き手が来ないのではないかと思います。若者がいない過疎の地方の農家のような感じでしょうか。
取り残された場所と貧しい流浪の青年・賢秀の触れ合いを掘り下げると、土曜ドラマみたいになってしまうからあっさりしているのでしょうか。あっさりすると肝心なところが伝わらない。スープ、薄めすぎ。なんです。
「貧しい母親に育てられた哀れな兄妹だ」黒岩(木村了)
ほんとは、ここも強調したい点ではないかと思います。つまり、日本のどこかにいる取り残された人たち。格差社会の実態。そこもはれものに触るように薄味にしているため、なんだか焦点がボケるのです。
それなりのいい具材を使っているのに、間違って化学調味料を大量に入れてしまい、素材の味が消え、ただただ濃い味になったため、水を入れてスープを薄めてしまったというような印象です。料理監修のオカズデザインさんに、こんなとき、どうしたらいいのか聞きたい。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第94回のレビュー}–
第94回のレビュー
今朝の「おはよう日本関東版」の朝ドラ送りは次の朝ドラ「舞いあがれ!」に向けてアップを開始したようです。
ねずみ講にはまった賢秀(竜星涼)のために暢子(黒島結菜)は開店資金200万円を
違約金として悪徳業者に渡してしまいます。それについて、
「ここはひとつ登坂不動産に相談したほうが」
「わかります?『正直不動産』というドラマがありました」
と朝ドラ送りをしたのです。
自局の番組は朝ドラだけではないという偏らない視野と思いきや、「正直不動産」には次の朝ドラ「舞いあがれ!」のヒロイン福原遥さんが出ていたのです。
「舞いあがれ!」と福原遥さんに期待する想いが送りに出てしまったのではないでしょうか。開始まであと、1ヶ月半!
「ちむどんどん」第94回、冒頭、三郎(片岡鶴太郎)が、田良島(山中崇)が口添えしてくれて、賢秀が捕まることはないと語ります。ええええ。聞きづてならない。贔屓にもほどがあります。これは、警察やマスコミが裏でずるいことをしているという皮肉でしょうか。
賢秀はどうしてこんなに守られているんでしょうか。少年時代、共同売店のレジの小銭を盗んだときも、賢三(大森南朋)が悪いのは俺だと言ってかばうのです。
「関係ない」と言う賢秀に「関係ないなんて言うな!」とムキになる賢三。家族が大事なのはわかるのですが……。
比嘉家の結束は強い。200万円を失った暢子に、良子(川口春奈)は家族三人・海外旅行にいくお金を援助することにします(発案は博夫〈山田裕貴〉)。
麗しい家族愛。どんなにつらいことがあってもなぜか助かる比嘉家。200万円が簡単に行ったり来たり。これだといつか本当に倍にして返す大逆転があっても白けてしまいそう……。お金なんてほんとうはこんなものだという、お金の価値への批評でしょうか。
第94回で、学べたことは3つあります。
1:国家権力や大手マスコミは公平ではない。
2:お金は天下のまわりもの。とってもとられてもなんとかなる。
そして3つめはーー
どれだけやらかしても賢秀のような人を見放してはいけない。受け入れる。それが多様性の時代なのであるということ。多様性とはかなりの苦痛を伴うことなのだということ。
なんというか辛口というか珍味なドラマです。
暢子と房子(原田美枝子)の別れの晩餐のメニュー・ナポリタンのようなものでしょうか。イタリア料理かと思いきや、そうではないナポリタン。イタリア料理を模して日本で独自に誕生、発展を遂げた料理。イタリア料理じゃないからと否定することもなく、
我々はなんとなく受け入れています。
違うものが存在することを受け入れていかないといけないのでしょう。とはいえ、盗みを受け入れることはないでしょう。善人で、良子と博夫の結婚を後押ししてくれたといったって、ぜったいにだめなものはあって。それは命や物を奪うことだと筆者は思うのです。他人のものを奪うことに対してこのように曖昧に描き、なんとかなるように描いてしまうと、まわりまわって他人の領土を奪う、命を奪うことにも鈍感になっていくような気がして、すこしこわくなります。
朝ドラの視聴者は賢明なのでドラマを鵜呑みにするわけないと作り手は信じているのでしょうか。実際、さまざまな批判の声が上がっています。要するによくないことにはどんどん声を出すことを促すドラマなのでしょうか。
「悪いのは俺」という賢三のセリフもじつはかなりの皮肉じゃないかとは思うんですよ。こんなふうに貧しく教育も受けられず、人生の迷子になっている人たちがいるのは誰のせいなんでしょうね。ふふ。
ともあれ、賢秀が今度こそ生まれ変われるといいなと思います。
さて。第94回で印象に残ったシーンは3つあります。
1:和彦、賢秀、智(前田公輝)の3人のシーン。怪我して、切ない3人がなかなか味わいありました。以前、前田さんにシネマズプラスで取材したとき、このシーンのことを語ってくれました。もっと3人のシーンがほしいとおっしゃってましたが、たしかに、男3人、それぞれが不器用に生きていく話が見たい。たぶん、羽原大介さんはそういうほうがお得意ではないかと想像します。
2:暢子と房子の晩餐。「(房子のことを暢子は)絶対忘れる」と子供のようにむくれる房子の可愛さ。かつて賢三が自分のもとに帰ってこなかったことをずっと引きずっているのでしょう。三郎にも去られたわけで。房子はずっと孤独だったんですね。暢子は「絶対忘れない」と言います。ようやく房子にも離れていても思いやれる家族ができたのでしょう。
3:
トミ「そんな!だって何年もかけてためたお金でしょ。また貯めるのに何年かかるのよ」
三郎「トミよ わかってるんだから言うなよ」
トミ「ごめんなさい」
トミを演じているしるささんは、「ちむどんどん」の脚本を書いてる羽原大介さんの劇団に参加している俳優さんのようです。いつもなんとなくあまゆに存在しているトミ。このように「わかっているんだから言うなよ」と言われてしまう説明セリフみたいなものを用意してもらえてラッキーですよね。ぜひとも爪痕を残してほしいものです。また、我那覇役の田久保宗稔さんも羽原さんの劇団で活動しているかたのようです。何度も登場していてだいぶ印象に残ってきました。しるささん、田久保さんは、羽原さんのある意味家族のような存在で大切にされているのではないかと思います。この機会を生かしてご活躍されることを願ってやみません。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第95回のレビュー}–
第95回:家族、そのおそろしき絆
開店資金200万円を良子(川口春奈)に譲ってもらったおかげで無事、店舗を借りた暢子(黒島結菜)。お店の名前は「ちむどんどん」に決定。8月のはじめ頃には開店できそう。
ところが順風満帆にはいきません。
「えっ!?」
「僕、東洋新聞首になるかもって」
賢秀(竜星涼)のネズミ講乱闘事件が週刊誌に乗って、そこに和彦の関与が問われてしまいます。どうやら暴力沙汰になったことが問題のようです。
東洋新聞の信用にかかわるので、退職届けを書けと、笹森編集局長(阪田マサノブ)に迫られます。局長には以前から和彦は睨まれていますから、こういう機会に温情をかけてはもらえないでしょう。
田良島(山中崇)は自分が辞めると言い出します。
「考えろ! お前はいま、無職になるわけいかないだろう」
ネズミ講の情報は田良島が聞いてきたものですから責任を感じたのかもしれないですが、なんだかなあという気がします。
あの情報をもとに、和彦がもうちょっと頭を使ったら、ネズミ講を捕まえてその取材もできて暢子もお金を失わずにすんだかもしれず……。
和彦は田良島に助けてもらうわけにはいかず、退職届を書きます。
「暢子も賢秀も僕の大切な家族、後悔はしてない」
このセリフ、感動ポイントなのかもしれませんが、ゾッとしました。このゾッには2つあります。ひとつは、家族という絆の重さに対する恐怖のゾ。ひとつは、ここまで誰かを守ろうとする気持ちに憧憬を込めた感嘆のゾ。です。
どちらも無償の想いという点で同じです。本来、後者を感じたいところですが、あまりに賢秀のこれまでの行いが度を越しているので、連帯責任みたいになるのが筆者だったらできないなと思いました。重子(鈴木保奈美)が心配していたのもそこでしょう。
このときかかっている劇伴がおなじみのアコーディオンかバンドネオンの南米ふうな切ない曲。序盤、飼ってた豚を食べたシーンにかかったものです。この、愛情注いだ家畜を食べるという身を引き裂かされる生きる辛さが「ちむどんどん」の味わいだと筆者は思っているんですが、そこをどストレートに描かず、淡く書くものだから、もやもやするんです。本格派四川料理で辛くつくればいいのに、大衆向けにマイルドな味わいにしてしまっているんですよね。第94回の賢秀の、一般人相手に本格的なパンチは打てないみたいなことです。
賢秀は、反省して、養豚所で真面目に働きはじめます。
「ここで一生、一緒に働かせてください」
清恵(佐津川愛美)はこう言われて、告白(求婚)と思ったみたいです。これがほんとうにそういう意味だったら、賢秀ってやっぱり懲りてない気がしてしまいます。観念して猪野家に潜り込むという発想ですよね。もちろん清恵に対して好意もあるのでしょうけれど。なんかずる賢い感じがしてしまいます。こういうふうに結婚して落ち着くことは世の中にいくらでもあるのもわかるのですが、物語だからもうちょっと盛った夢を見せてほしいのです。
和彦は不祥事にもかかわらずさわやかな顔で退職。なぜか、そこに暢子が同席しています。お母さんか! 手土産がサーターアンダギーじゃなかったことがSNSで話題になりました。
田良島は和彦が辞めることになった悔しさに、「関係ないなんて言うな!」と第94回の賢三(大森南朋)と同じことを言います。彼もまた、どんなことがあっても、大事な仲間を家族のように守りたいと考える人なのです。
ここまでくると、何があっても守り抜くことの大切さを感じます。しかもこれは、小さな単位の話ではなく、いま経済的にとても不安定なこの国は何があっても私達国民を守り抜いてほしいという願いではないでしょうか。
「上層部は田良島さんのことも目をつけています」という和彦のセリフは、じつはもっと大きなことに関与しているように聞こえるセリフです。WOWOWあたりでやってる公安ドラマみたいな。ほんとは、和彦はものすごい日本を揺るがすような大きな事件を追っていて、その核心に行き当たり、上層部に止められたのではないでしょうか。ちむどんどんが止まりません。
でも、和彦が退職するのは、ネズミ講の犯罪性ではなく、あくまで暴力を振るったことです。和彦が退職しフリーライターにしたい、賢秀を犯罪者にはしたくないという狙いが感じられます。だから思わせぶりなセリフもアクセントでしかない気がします。
田良島の「この先生の中身の薄い話、そのまま載せるつもりかよ」というセリフが作り手の自虐なのではとも思いましたが、それもおそらく考え過ぎでしょう。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{「ちむどんどん」作品情報}–
「ちむどんどん」作品情報
大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる―――
ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと、支えあう兄妹たち。
“朝ドラ”第106作は個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く
笑って泣ける朗らかな、50年の物語。
放送予定
2022年4月11日(月)~
<総合テレビ>
月曜~土曜: 午前8時~8時15分 午後0時45分~1時(再放送)
※土曜は一週間を振り返ります。
日曜: 午前11時~11時15分(再放送)翌・月曜: 午前4時45分~5時(再放送)
※日曜、翌・月曜は、土曜版の再放送です。
<BSプレミアム・BS4K>
月曜~金曜: 午前7時30分~7時45分
土曜: 午前9時45分~11時(再放送)※月曜~金曜分を一挙放送。
出演
黒島結菜
仲間由紀恵
大森南朋
竜星涼
川口春奈
上白石萌歌
宮沢氷魚
山田裕貴
前田公輝
山路和弘
片桐はいり
石丸謙二郎
渡辺大知
きゃんひとみ
あめくみちこ
川田広樹
戸次重幸
原田美枝子
高嶋政伸
井之脇海
飯豊まりえ
山中崇
中原丈雄
佐津川愛美
片岡鶴太郎
長野里美
藤木勇人
作:
羽原大介
語り:
ジョン・カビラ
音楽:
岡部啓一 (MONACA)
高田龍一 (MONACA)
帆足圭吾 (MONACA)
主題歌:
三浦大知「「燦燦」
沖縄ことば指導:
藤木勇人
フードコーディネート:
吉岡秀治 吉岡知子
制作統括:
小林大児 藤並英樹
プロデューサー:
松田恭典
展開プロデューサー:
川口俊介
演出:
木村隆 松園武大 中野亮平 ほか