打ち切りと聞いてモニタを破壊しそうになった海外ドラマ 〜そんなことより『呪詛』観ました?〜

海外ドラマ

どんな物事にも「終わり」はあるもので、美しい終わりもあれば、納得のできない終わりもある。ある日、恋人に「別れましょう」と告げられる。通っていたバーの店主に「実は来月で閉めるんだよね」と通告される。どちらかと言えば、人生は綺麗に終わらない物事のほうが多いだろう。その「終わり方」は多くの場合いきなりやってきて、夏の雷雨のごとく人を打つ。

そのような終わりはどれもキツいが、「大好きな海外ドラマの新シーズンを楽しみにしていたのに打ち切りになった」時の「あの、なんともいえない感じ」も、控えめに言ってテレビやモニタを窓から放り出してしまいたい衝動に駆られるくらいにはキツい。

【関連記事】<映画コラム>夏の思い出は「できなかったこと」が作り出す

【関連記事】“酒は飲んでも飲まれるな”というが、飲まれてる人しか見たことない

【関連記事】怨霊が怖い、人が怖い、訳がわからなくて怖い、顔が怖い。方向性別「怖い映画」特集

そんなことより『呪詛』観ましたか?

この文章は「打ち切りになった(海外)ドラマ」について書いていくのだが、本題に入る前にどうしても書いておきたいことがある。というか、書かねばならないのだ。

2022年の7月8日より、Netflixで台湾製嫌がらせホラーの大傑作『呪詛』の配信が開始されている。もしあなたが本作を観ていなかったら、すぐさまNetflixを起動し「呪詛」とか「じゅそ」とか検索し、できるだけ大きい音で(イヤフォンやヘッドフォンも良い)再生し、最後まで鑑賞して欲しい。

最近の打ち切り海外ドラマといえば

話を本題に戻す。海外ドラマの打ち切りに関して、記憶に新しいのは『カウボーイビバップ(以下実写版と表記)』だ。今、ちょっと思い出しただけで口中に苦虫の味が広がる。私の周りの良く訓練されたファンでも、1話、また1話と経つうちに、次々と遠い目をしながら脱落していった。

「別に打ち切りでもいいじゃねぇかあんなもん」という気持ちも理解できる。私も完走したものの、途中でセルフ打ち切りにしようと感じた場面は何度もあった。「コイツはもしかしたらフェイ・ヴァレンタインではなくフォイ・ヴァレンタインみたいな偽物なのではないか」と思った場面も一度や二度や十度ではない。しかし、吹替音声を韓国語に切り替えると「なんかふざけた韓国ドラマのノリになる」ことを発見し、窮地を乗り越えた。

だが、あの「独特のダメさ」は観続けているとクセになる。とくに毎話のラストで披露されるヴィシャスとジュリアの茶番劇は往年のカラオケビデオのクオリティで、毎回ゲラゲラ笑っていた。あのシーンを観るためだけに視聴し続けたと言っても言い過ぎではない。

GEOFFREY SHORT/NETFLIX

シーズン1のラストも「これからァ!主要人物も揃ってェ!、面白くなりますゥ!」と制作陣の高いテンションが画面から表出していた。直後に流れる打ち切りのお知らせ。こんなに滑稽で哀しい出来事があるか。シーズン2は制作しなくても良い。だが、シーズン1は「意欲的な失敗作」として語り継がれるべきだ。

『呪詛』観ました?

先程おすすめしたので、皆さんもう『呪詛』をご覧になったかと思うが、未だ鑑賞していない方をキャッチアップするために、簡単に話の筋を紹介する。

主人公の女は、6年前にとある村(というか宗教施設)で禁忌を冒してしまい、呪いをかけられてしまう。その呪いは彼女の娘にも及び、愛娘の呪いを解くために奔走する。

Netflix映画『呪詛』独占配信中

上記のとおり筋は単純で、マジで激しく呪われる娘を何とか助けようとする母親の「現在」と、6年前に何が起こったのかという「過去」が交互に描かれる。

この「禁忌を冒す」点については、今や懐かしき「2ちゃんねる」の「洒落怖(オカルト板にあった「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」スレッドが発祥)」で語られたような「禁后」や「姦姦蛇螺」「コトリバコ」を思い出していただくと話が早い。

本作はこれら洒落怖の名作を高級品としてアップデートしたような趣で、舞台も台湾なので日本に近く、風景などを含めたあらゆる現象や物事に対して、端的にいえば「怖さの既視感」がある。この「どこか遠くではない、比較的近くで起きるとんでもねぇ怖い出来事」というマインドセットは、日本人の鑑賞者にとってはかなり効果的に作用する。

ときに、ホラー映画が苦手な人のためにどの程度の怖さやグロさかを示しておくと、まず怖い。かなり怖い。思い出すだけで結構怖い。私はホラー映画にかなりの耐性があるが、ラストにかけての展開は鑑賞のお供にウーバーイーツで発注したKFCを食べる手が止まったほどで、久しぶりに映画を観て鳥肌が立った。この査定が適正であるかどうかはわからないが、「テンションの上がりきったアリ・アスターが満面の笑みをで2分に1回嫌がらせしてくる」感じで、一瞬たりとも気が抜けない。

Netflix映画『呪詛』独占配信中

グロさに関しては、これもかなりグロい。特に虫が苦手な方は2ヶ月くらいは引きずるかもしれない。大量に出血もするし、トライポフォビアの人も要注意だ。しかし、怖さやグロさを耐え忍んでも体験する価値はある。1人でも多くの人に観て欲しいし、観られるべきホラー映画であることは、鑑賞を終えた方であれば理解してもらえると思う。

–{打ち切りになってしまって心底悔しいのは}–

打ち切りになってしまって心底悔しいのは

別に戻さなくとも良いが、一応話を戻す。『カウボーイビバップ』は「まぁ、打ち切りも仕方ないよな(遠い目)」案件だったが、傑作・良作とて打ち切りされてしまうこともある。

その筆頭は『The OA』だろう。賛否両論あるが、2シーズンで打ち切りになるようなクオリティではない。打ち切りが発表されてからはファンコミュニティがシリーズ存続のキャンペーンが同時多発的に行われ、SNSや署名サイトなどを利用した人海戦術、広告出稿、Netflix本社前での抗議など、さまざまな行動が見られた。

Netflixも商売だからして、視聴率が低かったり、採算が見込めなかったりするコンテンツへの資本投下を控えるのは仕方がない。だが、そのような理由で打ち切りにしてしまうには、あまりにも惜しい作品だった。

失踪から7年経って発見された少女、彼女の「仲間」として集められる5人。彼ら・彼女らに対して少女が語る失踪中の出来事。監禁と実験。超常現象の体験。そして現実と死後の世界を結ぶための「動作」。まるで良質な小説を読み解いていくような重厚で複雑なストーリーは、シリーズ化前提のドラマだからできる贅沢で、ゆっくりとした語り口で進んでいく。

Nicola Goode/Netflix

スピリチュアルでやや難解なストーリー展開は人を選ぶが、シーズン1のラストシーンは海外ドラマ史上に記録されるべき「奇蹟」であるのは間違いない。これは想像だが、Netflixの本社前抗議の際に、『The OA』を復活させるべく「動作」をした奴らも居たはずだ。だが、現実世界で奇蹟は起こらなかった。未見の方はシーズン1だけでも十分に楽しめる。ぜひ観て欲しい。

また打ち切りではないが、デヴィッド・フィンチャーが製作総指揮を務める『マインドハンター』も存続する / しないで宙吊りになっている。予算が大きな問題らしいが、『The OA』や『マインドハンター』のような骨太の作品に予算を与え、歴史に残る映像作品を制作するのがNetflixに課せられた使命ではないのか。と、SNS上の自称有識者のように指摘してみたが、実際のノリとしては「続編お願いしますぅぅぅぅ」とロサンジェルスの方角に向かい土下座して懇願する、というのが近い。

観ましたよね?『呪詛』

もう、どう考えても鑑賞済みだとは思うのだが、まさかの未見の方向けに『呪詛』がどれだけ素晴らしいかについて、最後のひと押しをしておきたい。『呪詛』の何が素晴らしいって、海外のドラマシリーズと異なり、なんと打ち切りにならない。2時間弱で完結する。ドラマ2話分くらいの短時間で精神をゴリッゴリに削ってくれるのだから、なんという優秀なコスパだろうか。

打ち切りの心配なく観れる作品は、たとえ2時間弱ずっと人間を恐怖のどん底に叩き落した後に棒で突き、救いの糸も垂れて来ず、垂れてくるのは腐りきった血液だけ、ふと足元に目をやれば抜け落ちた歯と蠢く芋虫、というホラー映画だとしても、「終わりという救済」が確約されているだけでも健康的だと言えよう。

Netflix映画『呪詛』独占配信中

また、『呪詛』は呪いの強度が凄まじい。呪いとは、「今日の星占いが悪かった(ので良い事など起きない)」的なライトなものから、「親が離婚しているから私に結婚は向いていない」みたいな本人が本人にかけてしまう、当人にとってはやや重めの呪い、さらに「呪われたら死にます」みたいなハードコアなものまで、強度が異なる。

『呪詛』の強度は「呪われたら死にます」なんてもんじゃない。しかも死神の一撃のような、大鎌でバッサリいかれるようなものではなく、ゆっくりと進行する病魔のように身体を侵食していく。ゲームで例えるならば、攻撃力がバカ高い広範囲攻撃みたいなもので、要するに「ぶっ壊れ性能」である。

Netflix映画『呪詛』独占配信中

さらに、本作はホラー映画で置き去りにされがちな脚本も、比較的しっかりしている。呪われてしまう理由にも説得力があり、少しずつ過去の事実や真相が明らかになっていくので、謎解きをする楽しみもある。あと、単純な驚かしだけでなく、怖さを上乗せしていくというか、後半からラストにかけて効果的に機能していくような「怖い描写」をミルフィーユのように重ねてくる。嫌がらせもいい加減にして欲しい。

正直、思い出すだけでいやーな気分になるのだが、怖い・グロいのが苦手なだけで観ないのは、あまりにも機会損失な「映像作品」だといえる。台湾で最も怖いホラーという触れ込みは伊達ではない。

終わりを事前に知らされる「打ち切り」は幸せか

『呪詛』の話はこれくらいにして、次のシーズンに切り替わるまでの滞空時間に打ち切りが発表され、そのシーズンで物語を完結させるドラマもある。これは終わりが解っているので、多少の無念はありつつも、終幕に備えて心の準備ができる。だが、時にとんでもない締め方をするドラマもある。

『サルベーション -地球(せかい)の終焉-』は、まさにシーズン2で終了することが明かされ、衝撃の結末を迎えたドラマだ。

話は「隕石落ちてきて地球が滅亡するので、それをどうにかしようとする」といったよくある話で、米国らしく隕石をマッチョにぶっ壊そうとしたり、逆に科学の力を使って軌道を変えようとしたりする。一方、「もうこれ、防ぐの無理なんじゃないすか」と、選ばれた少数の人類(最小存続可能個体数)を宇宙に逃がすための方舟を建設する「プランB」なども登場する。まるで昼ドラのような安い恋愛描写もちょっとしたご愛嬌で、シーズン1はとても面白い出来栄えとなっている。

しかし、シーズン2の打ち切り……もとい終幕へ向かう展開は抱腹絶倒もので、絶頂を迎えるラストシーンでは、思わず「いくら打ち切りでもさぁ! やっていいことと! 悪いことが! あるんじゃないですか!」とモニタに向かって叫んでしまった。

公開からそれなりに時間も経っているし、最後の展開をネタばらししても良いとは思うが、興味のある方はご自分の目で終焉を見届けて欲しい。おそらく、大笑いするか、激昂するか、椅子から崩れ落ちるか、あまりの展開に放心状態になるか、あるいは、全ての症状が同時に出るだろう。打ち切りは事前に解っていても、大団円を迎えられるわけではないのだ。

『呪詛』を観たあなたに

これまで本コラムの中に気付かれないよう巧妙に入れ込み、サブリミナル効果を発揮するように推薦してきた『呪詛』だが、『呪詛』の原題は『咒』である。咒は呪と読む。英題は『Incantation』で、呪文や呪術、あるいは呪文を唱える、まじないをかけるといった意味もある「まじない」。そう、「呪」は「のろう」とも「まじなう」とも読む。

Netflix映画『呪詛』独占配信中

「のろう」とは、恨んだり憎んだりする人に、災いがあるように神仏に祈ることである。かたや「まじなう」は、神仏や神秘的なものの威力を借りて、災いや病気を除いたり、災いを起こしたりするようにするといった意味がある。同じ「呪」でも、捉え方によって意味は大きく変わる。『呪詛』でも、回転する観覧車やホームを通り過ぎる電車を用いて「自分の認識」を問うている。

この認識についての問題は、普遍的ながらも現代的であり、未だ有効な、多くの語られるべき言葉を持っているはずだ。だからこそ、一刻も早く全人類が『呪詛』を鑑賞し、それぞれの認識をシェアするべきだ。というか、多くの人がシェアせねばならない。観てもらわねば困るのだ。

最後に、本作を鑑賞した好奇心旺盛なあなたに言える言葉はこれしかない。「面白かったですよね。そしてごめんなさい。私の名前は加藤広大です!」(キーボードに頭を打ち付け気絶)

(文:加藤広大)

【関連記事】<台湾ホラー>台湾映画の歴史とそこから生まれたホラー映画5選

【関連記事】『ハッチング―孵化―』この素晴らしきホラー映画は「91分で終わる」

【関連記事】『ラストナイト・イン・ソーホー』こんなもん最高に決まってるじゃないか