「鎌倉殿の13人」(C)NHK
今年度のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。鎌倉幕府の勃興と衰退を三谷幸喜が描くこの作品、主人公・北条義時を演じる小栗旬始め、あまたのイケメンが出演している。菅田将暉、山本耕史、青木崇高、中川大志……。
確かにイケメンはカッコいい。男性である筆者の目から見ても、眼福至極である。だが、この作品でカッコいいのは、美しい若武者たちだけではない。
年老いた古武者たち。彼らには、豊富な人生経験と、くぐって来た修羅場の数に裏打ちされた確固たる魅力がある。若者にはまだ出せない、人間力というものがある。
本記事では、そんな“カッコいいジジイたち”から、上総広常役・佐藤浩市、大庭景親役・國村隼、藤原秀衡役・田中泯の3人をピックアップし、それぞれの魅力を伝えるオススメ作を紹介したい。
ジジイの魅力にむせ返れ。
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佐藤浩市~人斬りの色気~
「鎌倉殿の13人」(C)NHK
佐藤浩市演じる上総広常。坂東武者最後の大物。コワモテでありながら、義時のいい兄貴分でもある。
佐藤浩市の最大の特徴は「色気」である。その「色気」がもっとも発動するのが、今作のような「コワモテの侍」を演じた時だ。
それは「人斬りの色気」とも言える。だが、それは断じてただの「人殺し」ではない。
「必要とあれば、躊躇なく人を斬る。その代わり自分が斬られたとしても、後悔はない」
そのような「覚悟の量」が醸し出す色気だ。
そこで紹介したいのが、『壬生義士伝』(’03)である。
浅田次郎の名作を、『おくりびと』の滝田洋二郎が監督した本作品。
”幕末に咲いた仇花”新選組の中でも、今まであまり語られることのなかった吉村貫一郎という人物を主人公に据えている。”壬生狼”と呼ばれ、恐れられた新選組。その切り込み隊長であり、主人公・吉村貫一郎のライバルでもある斎藤一を演じているのが、佐藤浩市である。
この斎藤一という人物は、多くの”新選組もの”で活躍している。
しかし、この『壬生義士伝』における佐藤浩市こそが、”ベスト・オブ・斎藤一”だと思っている。筆者的に。
まさに”狼”のようにギラギラした斎藤一に対し、ズーズー弁で人懐っこくひょうきんな吉村貫一郎(中井貴一)は、イラつく存在であった。
「この時わしは、ひと月ほど人を斬っていなかった。この男を斬ろうと決めた」
そんな、あまりにもあんまりな理由で、二人きりの帰り道に吉村に斬りかかる斎藤。なぜこんなことをするのか、命は惜しくないのか、そう問い詰める吉村に、斎藤は答える。
「俺はいつ死んでもかまわん。斬ってくれる奴がいないから、生きているだけだ」
吉村からしたら、はた迷惑千万である。
こんな悪鬼のような斎藤にも、実は”おもい人”がいる。「ぬい」というこの女性(中谷美紀)の前でだけ、斎藤は人間らしい表情を見せるのだ。普段は阿修羅のような斎藤が、照れ笑いなんかも浮かべたりして、そのギャップ萌えが、なんというかズルい……。「こういう男がモテるんだな……」と、大いに勉強になる。
そして、斎藤が唯一ぬいを紹介した隊士が、他でもない吉村なのである。「俺がもっとも憎んだ男」と、語っていたにも関わらずだ。
負け戦の最中、自分も傷つき餓えながらも、他隊士のことばかりを気遣う吉村に、斎藤は怒りを爆発させる。
「俺はお前が大嫌いだ! たかが糞袋が、何ゆえ他人の腹を気遣う!?」
「吉村、お前は逃げろ……。お前は、死んではならん……!」
時は明治となり、あんなに死にたがっていた斎藤は生き残り、すでに老人となって孫を連れている。
戦乱の中で消息不明となっていた吉村の最期を伝え聞き、斎藤は涙を流す。
吉村貫一郎のことを、もっとも憎みながらも、もっとも愛していたのが、この斎藤一だった。
……この作品における斎藤一は、佐藤浩市以外には考えられない。
浅田次郎はどうやら斎藤一が大好きで、『一刀斎夢録』という斎藤一を主人公とした名作もある。この作品は、老後の斎藤一が新選組時代を語るという物語である。現在の佐藤浩市にピッタリの役柄だ。
映像化の際は、絶対に佐藤浩市でお願いします、偉い人。
–{國村隼~ただ、その場にいること~}–
國村隼~ただ、その場にいること~
「鎌倉殿の13人」(C)NHK
國村隼演じる大庭景親。相模国の豪族でありながら、最期は頼朝に敗れて斬首される。その際、高笑いを上げながら首を斬られる。
「笑いながら死ねる」というのは、ある種の男子が憧れる、「もっともカッコいい死に方」のひとつである。そのシーンがカッコよく決まったのも、演じているのが國村隼であったからに他ならない。
筆者は、予備知識なしで邦画を観る際、國村隼が出てくると安心する。「この映画は面白いはずだ」と、確信する。その確信が外れたことは、ほとんどない。
國村隼は、いわゆる「カメレオン俳優」ではない。過剰に役を作りこまず、「國村隼本人」として、その場にいる。役柄に寄せていくのではなく、役柄を自分に引っ張りこんでいるように見える。
だから、ヤクザを演じても普通のおじさんを演じても、それこそ鎌倉時代の武将を演じても、「國村隼本人」が元々そういう人なのだと、思えてしまう。本当に「芝居が上手い」とは、こういうことなのではないか。
その國村隼が、珍しく役柄で「遊んでいる」作品がある。
(C)2020「騙し絵の牙」製作委員会
それが、『騙し絵の牙』(’21)だ。
出版業界の不況の煽りを受け、廃刊の危機に晒されたカルチャー誌「トリニティ」。雑誌存続のために奔走する編集長(大泉洋)やその部下(松岡茉優)らの姿を描く。
國村隼が演じるのは、大御所作家・二階堂大作。本来カルチャー誌で書くような作家ではないのだが、話題作りのため、大泉と松岡が口説きにかかる。
(C)2020「騙し絵の牙」製作委員会
……それはいいとして、問題はその二階堂先生のビジュアルだ。白髪混じりの豊かな髪(ヅラ)に和服。どう見てもモデルは筒井康隆先生である。偉そうながらも可愛げのある大先生を、調子に乗って(あくまでもいい意味で)楽しそうに演じる國村隼が、微笑ましい。國村隼を見て微笑ましく思ったのは、後にも先にもこの作品だけだ。
(C)2016 TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION
ちなみに、この作品を観てから韓国映画『哭声/コクソン』を観ると、國村隼のあまりの振り幅の広さに腰を抜かす。こちらの國村隼は、もはや人間なのかどうかも怪しい。ふんどしひとつで四つ足で山を駆け回り、鹿の生肉を喰らう。
後味のいい作品ではないので、観る人を選ぶが……。心に余裕がある時に、観てもらいたい。
–{田中泯~厳しさの向こう側~}–
田中泯~厳しさの向こう側~
「鎌倉殿の13人」(C)NHK
田中泯演じる藤原秀衡。奥州の実力者であり、源義経(菅田将暉)の良き理解者でありながら、裏の顔を匂わせる不気味さを合わせ持つ。
田中泯には、「厳しさ」が似合う。生半可な厳しさではない。岩に刻み込まれたような、深い深い厳しさだ。
本来の田中泯は、俳優である前に「舞踏家」だ。「舞踏」というストイックなジャンルを選び、そして踊り続けてきた人生が、その厳しさを醸し出しているのではないか。同じく「俳優もする舞踏家」である麿赤児と、同種の匂いがする。
(C)2013「永遠の0」製作委員会
その田中泯の、“厳しさの遥か向こう側にある温かさ”を体感できる作品が、『永遠の0』(’13)だ。
フリーライターの姉(吹石一恵)の依頼を受け、特攻隊で戦死した祖父の人生を調べる健太郎(三浦春馬)。祖父の戦友を取材して回る中、ヤクザの組長である景浦(田中泯)にたどり着く。
景浦は戦時中、健太郎の祖父・宮部久蔵(岡田准一)と同じく、ゼロ戦のパイロットであった(当時の景浦=新井浩文)。軍人でありながら、家族のために「生きて帰る」ことを望む宮部を軽蔑し、しかしながらその随一の空戦能力をライバル視してもいた。
この辺りの構図は、佐藤浩市の項で書いた『壬生義士伝』における斎藤一と吉村貫一郎の関係性に似ている。
米軍との戦闘後、宮部に空戦を挑んだ景浦は、圧倒的な実力差を見せられ、敗れる。いつの日か宮部に復讐するために、宮部を米兵に殺させるわけにはいかない。
「どんなことをしてでも、最後まで宮部を守り抜く。敵の銃弾は一発も当てさせねぇ。宮部に襲い掛かる敵は、すべて俺が撃ち落とす。弾がなくなれば、体当たりしてでも落とす……」
だが、景浦の機はエンジン・トラブルを起こして戦線離脱。宮部は、特攻して死んだ。
話し終えた景浦は、おもむろに健太郎を引き寄せ、抱きしめる。終始厳しい顔を崩さなかった景浦が、穏やかな優しい顔をして。
「俺は若い男が好きでな」
そう言って笑った景浦は、健太郎に宮部の面影を見たのだろう。
自分にも他人にも厳しい(であろう)田中泯が、垣間見せる優しさ。その優しさを見たいがために、これからも彼の作品を観続けたい。
衝撃
「鎌倉殿の13人」(C)NHK
残念ながら、國村隼演じる大庭景親は死んでしまったが、本ドラマでの今後の佐藤浩市と田中泯の活躍に期待したい……と結ぼうと思っていた矢先の4月17日。
この日の『鎌倉殿の13人』において、佐藤浩市演じる上総広常が謀殺された。改めて頼朝(大泉洋)に忠誠を誓った翌日、その頼朝の命により、無慈悲に殺された。
上総広常を、「コワモテながらも実はいい人」に描き、さんざん感情移入させたタイミングでの、この展開。三谷幸喜は鬼である。
日本中の大河ドラマファンが、茫然自失した夜であったと思われる。
「頼朝憎し」の矛先が、現実の大泉洋に向かうのではないか。そんな心配までしてしまうほどの、驚きの演出である。
だが、日本中が立ち直れないほどのショックを受けて眠りについた夜、密かにほくそ笑んでいたであろう男がいる。
佐藤浩市だ。自分の演技で、日本中にこれだけの衝撃を与えたのだ。放送された瞬間、三谷幸喜と乾杯しててもおかしくはない。
「鎌倉殿の13人」(C)NHK
今思えば、上総広常=佐藤浩市が大庭景親=國村隼を処刑する際、景親が言っていた。
「あの時頼朝を殺しておけばと、お前もそう思う時が来るかもしれん。上総介、せいぜい気をつけることだ」
すでにフラグは立っていた……! 広常が殺された瞬間、このシーンを思い出した方も多いのではないだろうか。
いずれ、義経も頼朝に殺される。その時、義経の親代わりのような存在であった藤原秀衡=田中泯は、どんな顔をするのか。必ずやって来るであろう「その日」が怖いが、楽しみでもある。
気がつけば、カッコいいジジイたちの手のひらで転がされている。だが、それが心地いい。
(文:ハシマトシヒロ)
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