「自由に映画を撮れないから南米に行ってくる。」
そう語り、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督は南米コロンビアへと旅立った。
『ブリスフリー・ユアーズ』(02)でカンヌ国際映画祭「ある視点部門」最高賞を受賞。後に『ブンミおじさんの森』(10)でタイ映画史上初のパルム・ドールを受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクン。
渋谷シアター・イメージフォーラムにて『光りの墓』(15)が上映された際の監督Q&Aで、タイにおける映画制作環境の悪さについて吐露していた。『世紀の光』(06)が検閲により、タイでの上映が取り消されてしまった。『ブンミおじさんの森』がパルム・ドールを獲っても状況は変わらず、タイ政府に失望する形で国を飛び出したのだ。
タイを離れコロンビアにたどり着いた彼は、ティルダ・スウィントンとスペイン語で物語を紡いだ。多くの映画監督が海外で映画を撮るとその国の色彩に染まるのだが、最新作『MEMORIA メモリア』は違った。アピチャッポン監督の色彩に包まれた不思議な空間が広がっていた。
今回は、そんな『MEMORIA メモリア』について掘り下げていく。
なお、本記事は終盤のある展開に言及している。そのため、観賞後に読まれることを強く推奨する。
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“音”をことばに翻訳するということ
静寂に包まれる寝室。平穏を突き破るように「ドスン」と響き渡る。ティルダ・スウィントン演じるジェシカは、よろよろと部屋を彷徨い、落ち着ける場所を探す。夢から現実に戻されるが、心はまだ夢に浸かっているようだ。
ランの栽培者である彼女は、病気の妹の見舞いのためコロンビア・ボゴタに滞在している。彼女は、突然降りかかってきた“あの音”の正体が気になっている。
職業柄、細菌の資料に触れる機会は多い。目に見えない細菌は、顕微鏡で覗き込んだり、花に現れる症状を通じて視覚化することができるが、音は違う。また、人それぞれ感じ方が異なるため、言語化することが難しい。観客はティルダ・スウィントンと共に“あの音”の正体を探る旅へと誘われる。
つまり本作は、観客参加型の映画となっているのだ。
■あなたは“あの音”をどのように表現しますか?
あなたは“あの音”を聞いてどのように感じるだろうか?
映画.comでは「大きな爆発音」と表現している。私は、「防音室で本棚を持ち上げようとするも、手が滑って10cmの高さから本棚の片側を落下させた時の鈍い音」と認識した。
ジェシカは音響スタジオの男エルナン(フアン・パブロ・ウレゴ)にスペイン語で「コンクリートを金属のくぼみに落とした時のような…地球の核が震えるような音…」と言葉をたぐり寄せながら、言語化を試みる。このように、聴覚情報を言語化すると人によって大きく表現が異なる。
しかしエルナンは、ジェシカのことばを辛抱強く翻訳しようとする。最初は“あの音”とは程遠いものである。金属の反響が強かったり、乾きすぎた音だったりするのだ。しかし、トライ&エラーを繰り返していくうちに、“あの音”に近い代物が生み出されていく。
このことから、「音」も言語であり、「音」の話者であるエルナンは見事に彼女の言葉を理解、そして翻訳していることがわかる。
■音だって、踊りだって言葉なのだ
また、エルナンが突然蒸発した後のシーンが重要な意味を持っている。エルナンの面影を求め、彷徨うジェシカはバンドの演奏に遭遇する。ギタリストがドラマーのことを見つめながら音に感情を乗せて、大きな盛り上がりを生み出していく。
ボゴタの街で、若者が踊っていると、混ざってくる者が現れる。身体の運動によりコミュニケーションを図ろうとしている。
言葉は英語やスペイン語だけではない。音や身体表象も言葉であり、コミュニケーションを図る道具といえることがわかる。つまり『MEMORIA』は、スペイン語が第二言語であるジェシカの“あの音”を巡る彷徨いを通じて、言葉の本質に迫ろうとする作品なのだ。
–{「すべての言語は同じ程度に複雑だ」}–
「すべての言語は同じ程度に複雑だ」
イスラエル出身の言語学者ガイ・ドイッチャーは「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」の中で、アマゾンの部族はどのような言葉を話しているかと質問している。多くの人は「原始的な言葉を話す」と答える一方、言語学者は「すべての言語は同じ程度に複雑だ」と回答すると語る。
外国人が日本語を使って会話する時、それが遠く離れた部族である程「ワタシ、ハナス、ニホンゴ」と片言で表記し認識してしまう傾向がある。
これは、外国語において表現が乏しいと錯覚させてしまう。スペイン語やフランス語などといった話者が多い言語であれば、多くの情報が入ってくるため錯覚することは少ないだろう。しかし、イヌクティトゥット語やモシ語だったらどうだろうか。
ガイ・ドイッチャーは次のように語る。
「外国語をしゃべろうとするならば、文法的ニュアンスも含めて何年も学んだ場合はべつとして、結局頼ることになる最後のサバイバル戦略がひとつある。それは、もっとも重要な内容以外はすべて捨て、基本的意味を伝えるために欠かせないもの以外はすべて無視して、事の本質だけに集中することだ。
(「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」、早川書房、p175より引用)」
これを踏まえてタイ監督であるアピチャッポン・ウィーラセタクンがイギリスの俳優であるティルダ・スウィントンと、コロンビアでスペイン語を使った物語を作ることに注目してみよう。
■ワンテンポ遅い会話から見えてくるもの
ジェシカの話すスペイン語はワンテンポ遅い。スペイン語で話しかけられると、数秒の間を置いてから話返答する。相手が話していることを翻訳し、それを基にどのようなスペイン語のフレーズを使うか悩むように見える。
会食で英語を使う場面ですら、ぎこちなく噛み合わない会話にもどかしさを感じる彼女だけに、他者からの言葉への反応はより遅くなってしまう。それだけに彼女が話すスペイン語は、短く、端的である。言葉の杖をどのように振るかに脳のリソースを費やし、確実に相手に伝わる表現で会話しているといえる。
そのため、細菌研究者から突然スペイン語で詩を読み上げられると、その解釈に困惑しフリーズしてしまう。だが、複雑な感情を言語化するのに詩は有効だと考えた彼女は、“あの音”をきっかけに生まれた心のモヤモヤを英語による詩を編むことで拭い去ろうとする。
■山奥にいた男が使う言葉の杖とは?
そんな彼女はコロンビア山間部にある町ピハオで、疾走した音響スタジオの男と同じ名を有する男(エルキン・ディアス)と出会う。
彼は、ノイズから自分を遠ざけるように視界に入るものを制限していると語る。本質だけを語りながらこの世の真理を語るこの男エルナンに触発され、ジェシカはスペイン語で“あの音”と自分の過去を繋ぎ合わせる。彼女もまた、真理を見出すために。
やがてそれは実際に聞こえてくる音ではなく、心の中で響き渡る音による対話でもって解決する。エルナンがジェシカの手を握ると、暴力の声、嵐の音、子どもたちのざわめきが彼女の心の中を駆け巡る。そして他人の記憶にもかかわらず感傷的になる。
遠く離れた都市と隔絶されたところで生きる男は、心に訴えかける“波動”でもって複雑な対話を試み、ジェシカの心を癒すのである。彼の言葉の杖は人智の及ばぬ複雑さを表現しており、観客は彼女が体験する超常現象の一部を味見することとなる。
■言葉の杖をふることとは?
このように、アピチャッポン監督は“あの音”からコミュニケーションの本質を捉えようとしている。英語話者であるジェシカが、スペイン語、音、身体表象、波動と様々な言語を巡る中で言語の複雑さを知る。英語至上主義の世界から人を引きずり出すことで、言語の複雑さがコミュニケーションを豊かにし、それが自分を救うことができると普遍的に物語っているのである。
また、監督の母語であるタイ語を使用しないことで、客観的に言葉と対話との関係性を見つめている。つまり、言葉の杖をふることとは言語の複雑さと向き合うことでもあるのだ。
2人のエルナンは、言葉の杖のふり方を教える案内人として機能している。音響スタジオのエルナンは音で、ピハオは波動で教えてくれるのである。
–{アピチャッポン流『2021年宇宙の旅』}–
アピチャッポン流『2021年宇宙の旅』
さて、本作を観た方なら誰しもが困惑するであろう、終盤の展開について触れていく。
ピハオのエルナンと波動で対話をしたジェシカは遂に“あの音”の正体に辿り着く。それは宇宙船だったのだ。ズシン、ズシンと森をかき分ける。そして、「ドスン」とあの地球の核が震えるような音を放ち去っていく。
あれはなんだったのだろうか?
『MEMORIA メモリア』にスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(68)の面影を重ねてみることで、腑に落ちるだろう。
『2001年宇宙の旅』は、猿人が黒い物体モノリスに触れたことで道具の使い方を覚え、やがて人類は木星付近で人智を超えた存在と対峙する話である。
ジェシカは、“あの音”を受信する。人類が得た「言葉」という道具を用いて、果てしなく遠いところを目指す。やがて、人智を超えた存在と出会うのだ。
『2001年宇宙の旅』では、高速で流れゆく光の空間を通じて、主人公しか体験できないであろう現象のお裾分けを行った。視覚効果で観客に追体験させている。
一方で、本作は聴覚を刺激する演出によりこのようなお裾分けを行っているといえる。これによりジェシカは地球の果てで、新しい道具“波動”を習得した瞬間を我々も追体験することができる。
つまり、『MEMORIA メモリア』はアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が考える“2021年宇宙の旅”だったのだ。
『2001年宇宙の旅』は私が物心ついた時には既に不朽の名作として確固たる地位を確立させており、公開当時の驚きは言語化された。また不可解な部分は数多くの論でもって分析された。
そのため、未知との遭遇の興奮は薄れてしまったと思う。しかし『MEMORIA メモリア』は、『2001年宇宙の旅』公開当時のような衝撃を私に与えてくれた。
言語化しがたい体験の物語に涙し、本作はオールタイムベスト映画の顔ぶれに加わったのであった。
■CHE BUNBUNのオールタイムベスト映画
『MEMORIA メモリア』は私のオールタイムベスト映画に加わったため、ここにリストを残しておく。どの作品も私にとって大切な作品なので、興味を持った方には是非挑戦してみてほしい。
※(公開年,監督名)
1.痛ましき謎への子守唄(2016,ラヴ・ディアス)
2.オルエットの方へ(1971,ジャック・ロジエ)
3.ストップ・メイキング・センス(1984,ジョナサン・デミ)
4.The Forbidden Room (2015,ガイ・マディン)
5.ジャネット(2017,ブリュノ・デュモン)
6.仮面/ペルソナ(1966,イングマール・ベルイマン)
7.ひかり(1987,スレイマン・シセ)
8.見知らぬ乗客(1951,アルフレッド・ヒッチコック)
9.MEMORIA メモリア(2021,アピチャッポン・ウィーラセタクン)
10.アウトサイド・サタン(2011,ブリュノ・デュモン)
(文:CHE BUNBUN )
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–{『MEMORIA メモリア』作品情報}–
『MEMORIA メモリア』作品情報
ストーリー
コロンビアのメデジンで農ラン業を営むジェシカ(ティルダ・スウィントン)は、ある明け方、地球の核が震えるような不穏な音が頭の中で鳴り響き、それ以来不眠症になる。ジェシカは病気の妹の見舞いをした際に、病院で考古学者のアグネス(ジャンヌ・バリバール)と知り合った。アグネスを訪ねて人骨の発掘現場を訪れ、やがて小さな村に行き着くと、川沿いで魚の鱗取りをしているエルナン(エルキン・ディアス)という男と出会う。エルナンと記憶について語り合ううちに、ジェシカは今までにない感覚に襲われる。
予告編
基本情報
出演:ティルダ・スウィントン/エルキン・ディアス/ジャンヌ・バリバール
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
公開日:2022年3月4日(金)
製作国:コロンビア、タイ、フランス、ドイツ、メキシコ、カタール