20世紀最大の鬼才ともいえる異能かつスキャンダラスな映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の生誕100年を記念して、3月4日から彼の代表作『テオレマ』(68)『王女メディア』(69)が激烈ロードショーされました。
時に見る側の鑑賞意欲をためらわせてしまうほど衝撃的な作品を連打し、ついには自身が謎の虐殺を受けるに至ってしまったという、実は鬼才という言葉すらどこか不似合いな感すらあるパゾリーニ。
実は私自身、彼の作品に触れるのをどこかで忌避し続けてきた節もあるのですが、この機会に腹を括って、表題の2作品も含めた彼の世界を覗いてみたいと思います。
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少し考えてから感じたいパゾリーニ作品
『テオレマ』『王女メディア』の紹介へ入る前に、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の人生のキャリアから見据え直していきたいと思います。
ブルース・リーの名言「考えるな、感じろ」とは総じて映画鑑賞の基本ではないかと常々信じている身ではありますが、時にはパゾリーニ監督作品のような例外もあります。
彼の作品に関しては「少しは考えてから、感じる」ほうが得策というか、そうしないと難解に思えてしまう作品もいくつかあるからです。
もっとも基本的なところだけを押さえておきさえすれば、後はかなりの部分で「感じる」ことができることでしょう。
その基本とは、やはり彼の生涯そのものです。
1922年3月5日、ピエル・パオロ・パゾリーニはイタリアのボローニャで生まれました。
父は陸軍将校であると同時に熱烈なファシストで、一方で母スザンナは元教師で芸術家気質だったことから、その影響もあってパゾリーニは7歳にして詩作をはじめ、逆に成長するに従って父親とは反目するようになっていきます。
パゾリーニは母を溺愛し、第2次世界大戦中は母とふたりで彼女の故郷で暮らし、教師として生活しながら「カザルザ詩集」を自主出版。
終戦直前の1945年2月12日、反独パルチザンに身を投じていた弟が組織の内部抗争で殺されたことも、彼に大きなトラウマを与えることになりました。
そして戦後、パゾリーニはイタリア共産党へ入党しますが、1949年に未成年男子への淫行疑惑をかけられ(後に無罪となるも)教職を解かれ、党も除名。パゾリーニは同性愛者でした。
この後、彼は母とともにローマの貧困地区に移り住み、詩や小説を書きながらかろうじて生活費を工面してゆきます。
–{貧困、宗教、神話、艶笑 そして生地獄の果ての殺害}–
貧困、宗教、神話、艶笑そして生地獄の果ての殺害
1955年、貧困地区の若者たちを題材にした長篇小説「生命ある若者」が出版されて文学賞候補になるも、その赤裸々な内容が物議を醸して発禁処分に。
その前年、脚本家として映画界に進出し、フェデリコ・フェリーニやマウロ・ボロニーニなど数多くの才人監督の脚本を執筆(共同も含む)。
そして1961年『アッカトーネ』で彼は監督デビューしますが、これは乞食(アッカトーネ)とあだ名される男の青春悲劇で、続く『マンマ・ローマ』(62)は娼婦の母とぐれてゆく息子の関係性をともにドキュメンタリー・タッチで描いていますが、この時期の彼の作品をイタリア映画のネオレアリズモと照らし合わせる向きもあったものの、本人はそれとの影響を否定しています。
1964年、「マタイによる福音書」を忠実に映像化しながらキリストの生涯を描いた『奇跡の丘』を発表。パゾリーニ自身は無神論者であり、ここでもハリウッド映画のような神格化されたキリストではなく、あくまでも「人間」として生きて、死に、そしてあっけらかんとした風情で復活してしまうキリストの姿を等身大のものとして描いたものでした。
1967年には、母と交わり父を殺したギリシャ悲劇「オイディプス王」を題材にした『アポロンの地獄』を発表。これはまさに母を溺愛し、父を憎み続けたパゾリーニ自身のキャリアを反映させたと思しき作品でもあります。
『テオレマ』(C)1985 – Mondo TV S.p.A.
この後『テオレマ』やカニバリズムを題材にした『豚小屋』(69)『王女メディア』などを経て、1970年代に入ると聖なるものと性なるものを大らかとも下世話ともいえる笑いで重ね合わせていく「生の(もしくは艶笑)三部作」『デカメロン』(71)『カンタベリー物語』(72)『アラビアンナイト』(74)を発表。
しかし、この後でパゾリーニは「生の三部作」を全面否定するようになり、それを証左するかのように1975年、マルキ・ド・サドの「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」を原作に、舞台を第2次世界大戦下のイタリアが連合国に降伏した後、ファシスト残党たちが最後の晩餐と言わんばかりに、狩り集めた美少年美少女たちにこの世の生地獄ともいえるありとあらゆる残虐非道な行為を強いていく『ソドムの市』を発表します。
人糞食やSMの域を優に越えた拷問の数々など、鑑賞中に嘔吐する者まで現れるほどで、そういったあまりにも不快な描写が連発していくがゆえに、、世界中で上映禁止となった文字通りの問題作。
しかもパリ映画祭での上映直前の1975年11月2日、彼はローマ近郊オスティア海岸で激しい拷問を受けた上に車で轢殺された死体として発見されました。
まもなくして同作にエキストラ出演していた17歳の青年が「パゾリーニから性的悪戯を強要され、その正当防衛で殺害した」と自白し、9年7か月の刑が確定されましたが、実際は単独犯ではおよそ不可能な犯行としてみなされており、今なお死の真相は不明です。
(青年は後に「自分が犯行グループから家族を盾に脅され、やむなく罪をかぶった」とも発言しています。犯行グループは共産主義者であったパゾリーニにかねがね反発し、ファシストを変態扱いする『ソドムの市』制作に激怒したネオファシストの犯行ではないかという説も……)
–{すべての相反する要素が 同じ地平のパゾリーニ作品}–
すべての相反する要素が同じ地平のパゾリーニ作品
このように、ピエル・パオロ・パゾリーニの生涯はスキャンダラスに満ちあふれ過ぎたものではあります。
共産主義者であり、同性愛者であったことから体験するに至った、貧困の実態を通しての社会への怒り。
スカトロジーやカニバリズムなども含むグロテスクな要素とエロティシズムを難なく同居させ、一方では母への愛を隠すこともなく、ファシストの父を憎み、正義の理想に燃えた弟が内ゲバで死亡するという衝撃の事件も組織=人が群れることに対する不信感を募らせていったようにも思われます。
さらには『奇跡の丘』と『ソドムの市』を同じ人間が撮れてしまうというのは、一体……?
しかし、そこにこそパゾリーニ作品の本領が隠されているようにも思えてなりません。
キリストをあくまでもひとりの人間として描くことで聖性を醸し出し得た『奇跡の丘』も(パゾリーニは無神論者でありつつ、「だからこそ宗教に対するノスタルジーがある」とも発言しています)、この世の生き地獄を描いた『ソドムの市』も、同じ次元で繰り広げられている事象のひとつに過ぎないという、いわば「天国も地獄も同じ地平にある」というのがパゾリーニ作品なのではないでしょうか。
即ち聖なるものも性なるものも、高貴なものも下劣なものも、幸福も不幸も、エロもグロも、パゾリーニ映画の中では同等です。
もちろんコミュニストとして、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの告発といった要素も確かにありますが、この両者とて同等に位置づけようとしている節も感じられないではありません。
–{テレンス・スタンプが体現する 『テオレマ』の答えの数々}–
テレンス・スタンプが体現する『テオレマ』の答えの数々
そうこう考えていきながら『テオレマ』『王女メディア』を鑑賞していくと、かなりの部分で理解しやすい作品になっていきます。
特に『テオレマ』はパゾリーニ作品の中でもかなり難解な作品とは言われていますが、確かに何の予備知識もなしにいきなり見始めたら(特に昨今の説明台詞まみれの日本のドラマに慣れ切ってしまっていると)何が何だかさっぱりわからなくなることでしょう。
その伝では、どちらの作品もチラシなどに記されたストーリーの概略くらいは読んでおいたほうが得策です。いや、逆にそれさえやっておけば、初見でかなりのところは理解できる2作品ではあるのです。
もともと詩人であり小説家でもあったパゾリーニですが、こと映画に関しては説明的なことを文字や言葉にするのを避ける節もあり、特に『テオレマ』『王女メディア』はおよそ安易なストーリーテリングといったものを拒絶しているのではないかと思えてしまうほどです。
しかし、技巧的に凝った画作りこそしていないものの、編集や音楽効果の妙、そして何よりもキャストそのものの魅力を最大限に抽出していくことで、作品の魅力は不思議なまでに増大していきます。
(C)1985 – Mondo TV S.p.A.
その代表格が『テオレマ』の謎のストレンジャーを演じるテレンス・スタンプの謎めいた魅力で、彼はなぜブルジョアジー一家の大邸宅に身を寄せたのか、なぜメイドに息子、娘、妻、夫といった家族全員と「関係」を持ったのか、そしてなぜ突然いなくなったのか?
この「なぜ?」なる答えのすべてがテレンス・スタンプという俳優の醸し出すオーラそのものから発散されています。
そして彼がいなくなってから、家族全員の運命が崩壊していきますが、それぞれがどのようにおかしくなっていくかは見てのお楽しみとして、これまでもこれからもさんざ論考されていく『テオレマ』のテレンス・スタンプこそはキリストのメタファーであるようにも受け止められます。
キリストをこの世に現れたストレンジャーと捉え、彼が消えた後の世界がキリスト教宗派同士はもとより異教との確執や争いが現代に足るまで続いていることを思うに、『テオレマ』のブルジョア家族こそはストレンジャーとその残したものによって翻弄され続ける世界の縮図と捉えることも大いに可能ではないかと思えてなりません。
ちなみに「テオレマ」とは「定理」、つまりは「決まり事」とでもいった意味がありますが、その決まり事をぶち壊していくのも映画『テオレマ』の、そしてパゾリーニ映画の本質ではあるのでしょう。
–{人間の原初的な残酷さと復讐を描く 『王女メディア』}–
人間の原初的な残酷さと復讐を描く『王女メディア』
一方で『女王メディア』はパゾリーニにとって『アポロンの地獄』に続いてのギリシャ悲劇への挑戦ではありましたが、20世紀の歌姫マリア・カラスが唯一出演した映画であり、音楽も『アポロンの地獄』さながら世界中の民俗音楽(特に日本の地唄や筝曲!)とロケ地のトルコ・カッパドキア地区岩窟群との融合が醸し出す異様な雰囲気など、スペクタクル大作としての資格も十分に備えています。
しかし、前半部の台詞はほとんどなく、後半のメディアの夫に対する復讐劇の発端などもほとんど描かれないので、やはり『テオレマ』同様ストーリーの大まかな流れは事前に知っておかないと置いてけぼりを喰らうこと必至。(後半、ほぼ同じシーンをわざとリフレインさせる実験的かつ困惑的な編集もなされているので、そこも見る側を混乱させがち)
MEDEA (C) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.
ただし、そこさえ押さえておけば、この作品が神話の中に秘められた生贄や儀式といった人間が内包する原初的で野蛮な残酷性を強調しつつ、理不尽な男たちに対する女の悲劇が醸し出されていきます。
ふと、この作品を見ながら『楢山節考』(58)や『笛吹川』(60)などの木下惠介監督作品を思い出してしまいました。
木下監督もゲイとして知られ、また母親に対して惜しみない愛情を注ぎ続けた監督で、そこから発展した『二十四の瞳』(54)などヒューマニズム映画の名匠としてのイメージが強い一方で『日本の悲劇』(53)『女の園』(54)のような人間の心の闇を冷酷に描いた問題作や、また実験精神も旺盛な天才監督でした(もっとも映像そのものの技巧が多い点では、パゾリーニとかなり異なりますが)。
さすがに木下監督は『ソドムの市』は撮れないでしょうが、パゾリーニは意外に『二十四の瞳』のような作品もネオレアリズモっぽいタッチで描けてしまうかもしれません。
いずれにしましてもパゾリーニと木下惠介、美意識のベクトルこそ違えども、どこか決定的に同じものを感じずにはいられません。
MEDEA (C) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.
ちなみに『王女メディア』のマリア・カラスは、それまで名だたる巨匠たちの映画のオファーをすべて断り続け、またパゾリーニの『テオレマ』に嫌悪感を抱きながらも、当時愛人だったギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスがケネディ大統領未亡人ジャクリーンと結婚してしまったことから、本作のメディアに同じ女性としてのシンパシーを感じ、出演を決意したという説があります。
また彼女は撮影中、周囲が驚くほどにパゾリーニとウマが合い、それこそかなり惹かれていたものの、彼が同性愛者であったことから恋に発展することはなかったという噂も……。
パゾリーニの時代のイタリア映画の相似性
『テオレマ』(C)1985 – Mondo TV S.p.A.
さて、常に芸術的に語られがちなピエル・パオロ・パゾリーニ監督とその作品群ではありますが、同時にマカロニ・ウエスタンや残酷ホラー、エロチック・コメディなど、彼と同時代的に世界を席捲し続けたイタリア映画特有のジャンル陣との相似性もそろそろ考慮していくべきではないかという気がしないでもありません。
この時期のイタリア映画人全体のジャンルの枠を超えた交流の数々は実にユニークで、たとえばイタリアン・ホラーの帝王ダリオ・アルジェントと『ラストエンペラー』(87)などのベルナルド・ベルトルッチがセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン超大作『ウエスタン』(68)の原案を務めていたり、『サンゲリア』(79)など“マスター・オブ・ゴア”こと残酷ホラーの第一人者ルチオ・フルチがマカロニ・ウエスタン『真昼の用心棒』(66)を監督していたり、パゾリーニ自身もマカロニ・ウエスタン『殺して祈れ』(67)に出演しています。
(余談ですが、マカロニ・ウエスタンこそはフランスのヌーヴェルヴァーグやアメリカン・ニューシネマなどと同等の、イタリアならではの血と暴力による映画運動として捉えていくと、実に面白い発見が多々うかがえそうです)
『王女メディア』MEDEA (C) 1969 SND (Groupe M6). All Rights Reserved.
ベルトルッチはパゾリーニの監督デビュー作『アッカトーネ』の助監督を務めた後、パゾリーニ原案の『殺し』(62)で監督デビューを果しました。
一方でパゾリーニは『ロゴパグ』(63)『華やかな魔女たち』(67)『愛と怒り』(69)といったオムニバス映画にも積極的に参加しながら芸術肌の巨匠たちと名を連ねていますが、結構短編演出が性に合うところもあったのでしょうか。
とまれこうまれ、こうした事象の数々もまた、彼が芸術も娯楽も同じ地平としながら、ごく自然に活動していったことの証左なのかもしれません。
さらにはそうこう考えていくことで、『アッカトーネ』も『奇跡の丘』も『テオレマ』も『王女メディア』も『アラビアン・ナイト』も、そして『ソドムの市』も、ひとりの同じ人間=ピエル・パオロ・パゾリーニがクリエイトしていたことも容易に理解できてしまうような、今はそんな気がしています。
(文:増當竜也)
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–{「ピエル・パオロ・パゾリーニ 生誕100年記念上映」基本情報}–
『テオレマ』『王女メディア』
予告編
公開日:2022年3月4日(金)