2021年は、福本清三の訃報で幕を開けた。
元旦早々、「五万回殺された男」が本当に死んでしまった。なんて年だ。
やっとそのショックから立ち直ったと思ったら、3月には田中邦衛が、そして8月には千葉真一が、それぞれ亡くなった。
本当に2021年は、なんて年だったんだ。
この3人の共通点。それは、『仁義なき戦い』だ。
(C)東映
『仁義なき戦い』(’73)。
戦後30年近くに及んだ「広島ヤクザ抗争」を5部作に渡って描いた、深作欣二監督の不朽の名作。
日本、いや世界のアクション映画は、『仁義なき戦い』以前と『仁義なき戦い』以後に大別されると言ってもいい。
手持ちカメラがグラグラ揺れる、その臨場感のあり過ぎる乱闘シーンは、いつしか観客まで乱闘に巻き込まれたかのような錯覚を起こさせる。グラグラでは済まずにグルグル回る場合もあるので、三半規管が弱い方は注意が必要だ。
そして、人間の弱さ、狡さ、醜さをさらけ出した男たちが繰り広げる、ひたすら血生臭い群像劇。
ヒーローっぽい登場人物がいたかと思えば、抗争の過程で虫けらのように殺され、踏みにじられる。その無常観。虚無感。
今では「大御所」と呼ばれる大物俳優たちが、皆まだ若くギラギラとしており、スクリーンいっぱいに暴れ回る。いや、もはやスクリーンからはみ出してしまい、その様をカメラがグルグルと追いかけるため、さらに乗り物酔いを誘う。
この名作で、福本清三はいつも虫けらのように殺され、田中邦衛はひたすら小狡く立ち回り、千葉真一はスクリーンを蹴破る勢いで暴れて見せた。
本作を通して、三人を中心とした名優たちの活躍を語っていきたい。
–{福本清三~「死に様」という生き様~}–
福本清三~「死に様」という生き様~
(C)2013 UzumasaLimelight.All Rights Reserved.
「日本一の斬られ役」、「五万回殺された男」、「『ラストサムライ』のオファーを蹴って『コロッケものまね公演』を選ぼうとした男」などの異名を持つ。
ちなみに『ラストサムライ』(’03)を断ろうと思った理由は、「めんどくさかったから」だそうだ。
「無欲の男」福本は、この『仁義なき戦い』シリーズ5部作すべてに出演している。すべて違う役で。
基本的に下っぱ組員役。ただ、角刈りで開襟シャツなどの「オーソドックスなヤクザ・ファッション」の人物が多い中、福本はリーゼントに革ジャンだったりする。まるでキャロル時代の矢沢永吉のようだ。時代背景(昭和20~30年代)を考えると、相当オシャレなヤクザである。
特筆すべきは、2作目『広島死闘編』(’73)における死に様である。
銃をバラしての手入れ中に、敵対組織のヒットマン・北大路欣也に踏み込まれる。慌てて銃を構えるが、手入れ中のその銃には弾倉がハマっていなかった。
北大路のマグナムが火を吹き、ふっ飛ぶ福本。
普通の役者は、ただまっすぐ後ろにふっ飛び背中から落ちるだけだが、福本は違う。
バク宙でふっ飛び、しかもムーンサルト気味に空中でひねりを加え、真っ逆さまに落ちる。
いくらマグナムで撃たれたとは言え、さすがにそんなふっ飛び方はしないだろう。しかし福本は、「派手に死ぬこと」に命を懸けている。
同じく、同作品で派手な死に様に命を懸けたのが、川谷拓三である。
千葉真一率いる敵対組織に捕まった川谷は、木から吊り下げられ、生きたまま射撃訓練の的にされる。
福本と川谷は、駆け出し時代にアパートの同じ部屋で同居していた仲である。
「俺の死に様の方が派手だ」
「いや俺の方が」
そんな対抗意識を燃やしていたのではないか。
その愚直なまでの一生懸命さが、『ラストサムライ』におけるトム・クルーズとの共演、『太秦ライムライト』(’14)における最初で最後の主演と、晩年を迎えてからの突然のブレイクへと繋がった。
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あるトークショーで語ったとされる福本の言葉を聞いて、筆者は戦慄した。
「いかに惨めに殺されるか。日々これだけを考えています」
俳優を志し、「いかにかっこよく映るか」を日々考えている人間なら、腐るほどいるだろう。
昔、役者の端くれだった筆者は、そんな人間を嫌と言うほど見てきた。筆者自身も、そうでなかったとは言えない。
今になってみると、福本の「斬られ役」としての矜持、「殺され役」としてのプロ根性を、死ぬほどかっこいいと感じる。
皮肉なことに、その死に様においても福本自身の「生き様」が垣間見えてしまい、惨めどころか、どの死に様もかっこいい。
先述の『広島死闘編』における死に様は、そのあまりの躍動感から、「生命力の強さ、若さの美しさ、命の素晴らしさ」まで感じてしまう。死んだのに。
『ラストサムライ』においては、主人公のトム・クルーズをかばって撃たれる。「生涯一大部屋俳優」を自認していた男が、そんなヒロイックな死に方をするのだ。他の日本人キャストである渡辺謙や真田広之は、言うまでもなくかっこいい。ただ、福本清三のかっこよさも、確認してほしい。
唯一の主演作である『太秦ライムライト』のラストシーン。劇中劇における松方弘樹と山本千尋との立ち回り。山本千尋に斬られ、トレードマークの「海老反り」で倒れる。倒れた福本に桜が降り積もり、起き上がることなくエンドロール。
まるで『あしたのジョー』の最後のような、「えっ、もしかして死んだ……?」と思わせるようなラストシーン。「生涯一斬られ役」の美しさが、そのシーンに凝縮されている。
–{田中邦衛~笑いを呼ぶ悪党~}–
田中邦衛~笑いを呼ぶ悪党~
(C)東映
田中邦衛と言えば、まず『北の国から』を思い浮かべる方が多いだろう。「不器用で実直な親父」というイメージだ。
だが、本来の彼の持ち味は、その喜劇性である。
加山雄三の『若大将』シリーズにおける青大将、さらにさかのぼれば、黒澤明の『椿三十郎』(’62)における、やたら三船敏郎に殴られる若侍など、その「小物」っぷりが、笑いを誘うのである。
その「笑える小物」の最たるものが、『仁義なき戦い』における槇原政吉役だ。
二枚舌でいいとこ付きで、虚勢を張るが実はビビリと、これだけ褒めるところの無いキャラも珍しい。
立場が悪くなると必殺のウソ泣きで切り抜け、常に優勢な方に乗り換え、憎まれ口を叩きながらも、腰が引けている。
本来なら心の底から憎たらしい悪役なのだが、田中邦衛がとにかくコミカルに演じているため、憎悪ではなく好感すら抱いてしまうという不条理。この槇原が登場するだけで、観ている者の暖かな笑いを誘う。悪役なのに。
これは、常に槇原が腰ぎんちゃくとして媚びへつらう山守親分(金子信雄)にしても同様である。この2人がコンビで出ている場面は、まるでコントのようでもあり、殺伐とした物語における一服の清涼剤の役割を果たしている。
だが、忘れてはいけない。この2人が常に保身を図り、私利私欲のためだけに動くことが、いつも抗争の火種となっていることを。そのたびに、主人公・広能昌三(菅原文太)が煮え湯を飲まされていることを。
言うなれば、「いちばん悪い2人」が「笑かし役」であるということが、この物語をより複雑怪奇なものとしているのだ。
この田中邦衛と菅原文太だが、ドラマ『北の国から’92巣立ち』において、久しぶりに共演している。
この時は、息子・純(吉岡秀隆)が妊娠・堕胎させてしまった女性(裕木奈江)の叔父(菅原文太)の下に、カボチャを持って謝りに行く話だった。あの有名な「誠意って……なにかね……」のセリフが生まれた時である。
ちなみに筆者なら、女性関係の不始末を詫びに行って菅原文太が出てきたら、言われる前に指を詰める。
ともかく、かつて散々煮え湯を飲ませてくれた田中邦衛が、土下座をして詫びているのだ。菅原文太も溜飲が下がったのではないだろうか。
–{千葉真一~ナチュラル・ボーン・武闘派~}–
千葉真一~ナチュラル・ボーン・武闘派~
5部作すべてに(違う役で)出ている福本清三、うち4作に出ている田中邦衛に比べ、千葉真一は2作目『広島死闘編』にしか出ていない。にも関わらず、シリーズ随一のインパクトを残してしまった。
千葉ちゃん演じるところの大友勝利というキャラは、日本のヤクザ映画史上、いや、海外のマフィア映画、ギャング映画、アウトロー映画、すべてひっくるめても、最強で最恐で最凶で最狂のキャラである。
この作品において、暴れ回るのは主に下っぱ、もしくはメインキャラの若手組員時代である。幹部以上のキャラは、どちらかというと政治的かけひきに忙しい。
しかしこの大友は、新興勢力とは言え大友組組長という立場でありながら、常に最前線で戦う。ただただ戦うこと、暴れることが好きでたまらない!という、ナチュラル・ボーン・武闘派である。
1作しか出ていないにも関わらず、この大友には名セリフが山のようにある。ただ、作中もっとも凶暴かつ下品なキャラなため、ほとんどのセリフが現在のコンプライアンスに照らし合わせると、放送禁止である。ここに書くことも憚られる。甚だ遺憾である。
仕方ないので、比較的やさしめのセリフを。
「わしら美味いもん喰うてよ、マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃあないの」
これが「やさしめ」であるということからも、この大友勝利という人物像を想像できると思う。同時にこのセリフが、大友勝利というキャラをもっとも端的に言い表している。
食欲、性欲、それらを満たすための名誉欲や金銭欲、並びに破壊衝動。強烈な煩悩に突き動かされて、ひたすら暴走する。
千葉真一は『広島死闘編』にしか出ていないと書いたが、大友勝利自体は、5作目『完結編』(’74)にも登場する。ただ千葉真一のスケジュールが合わなかったため、代役として宍戸錠が演じている。
宍戸錠の大友も、決して悪くない。いやそれどころかとてもいいのだが、千葉真一バージョンも観てみたかったのが正直なところ。
「宍戸」大友のラストは、殺された兄弟分の仇を討つため、ズボンに差し込んだ二丁拳銃が丸見えの状態でタクシーを拾おうとして、警官隊に捕まる。
ツッコミどころは多々あるが、あえてそこには触れない。
ただ、これが千葉真一なら、警官隊ぐらい蹴散らしていたと思われる。
–{戦い済んで……}–
戦い済んで……
(C)東映
『仁義なき戦い』。その1作目が公開されたのは、1973年。思い入れたっぷりに語っているが、筆者もまだ生まれてはいない。もう半世紀近く昔の作品である。
近年、主人公の菅原文太始め、主要な登場人物が次々と鬼籍に入っている。そして、2021年は福本清三、田中邦衛、千葉真一が。
筆者は、田中邦衛の死因が「老衰」であることに驚いた。『仁義なき戦い』で暴れ回っていた人たちが天寿を全うしてしまうぐらい、年月は経っているのだなと。
『完結編』のラストシーン。長かった抗争もやっと終止符を打ち、お互い敵同士のボス格、広能昌三(菅原文太)と武田明(小林旭)が対峙する。この2人も元々は仲間同士であったが、いろいろな行き違いの果てに袂を分かち、争うこととなった。
多くの死傷者を出した30年近い抗争の果てに、お互いの組織はひとつにまとまることとなり、老いた広能と武田は引退を決意する。
ふと昔を思い出した武田が、広能に声を掛ける。
「落ち着いたら、今度吞まんか」
だが、広能は断る。
「こんな(お前)とは吞まん……。死んだもんに、悪いけぇのう……」
武田に背を向け、ひとり歩き出す広能。
最後まで馴れ合いを拒んだ菅原文太も、2014年に天に召された。
新たに文太の下にやって来た田中邦衛も千葉真一も、作中では敵であった(福本は味方だったり敵だったり)。
どうか、もう敵も味方もなく、みんなが穏やかに酒を酌み交わしていることを願う。
(文・ハシマトシヒロ)