月刊シネマズ今月のお題は「今でも繰り返し見ている「2000年以前に公開された映画」のオススメ」。90年代は筆者にとってはじめて「映画」というものを意識して、自ら観に行くようになったタイミングだ。当時を振り返りつつ、今も大好きな作品「レオン」を中心に、特に印象に残っている映画をおすすめしたいと思う。
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魅力的なキャストと、「幸せとは何か」を教えてくれた名作。「レオン」
(C)日本ヘラルド映画
今でも好きな映画の3本の指に入るのが「レオン」だ。当時はまだ「映画館に行く」という発想がなく(「東映アニメまつり」に親が連れて行ってくれたことはあったが)、おそらく数年後に金曜ロードショーなどで観る、という感じだったと思う。
「レオン」は、家族を皆殺しにされた女の子・マチルダ(ナタリー・ポートマン)が隣に住んでいた殺し屋・レオン(ジャン・レノ)と共同生活をすることになる物語。
とにかくマチルダ(ナタリー・ポートマン)が可愛すぎる
当時13歳だったナタリー・ポートマンが本当に可愛くて、公開から25年以上たった今観ても素敵だと思う。年齢的にはかなり子どもなのに目が魅力的で、大人っぽさや色気もあるマチルダ。前下がりボブとチョーカーも似合っていた。
今だから告白するが、マチルダが好きすぎて、恐れ多くも美容院で前下がりボブにしてもらったことがある(顔がぜんぜん違うというツッコミは置いておいてほしい)。あまりにうれしくて、人生初のひとりプリクラを撮ったのもこのときだ。当時チャラチャラしたものが苦手で、よほど友達に誘われないと撮らなかったのに、ひとりプリクラ。当時の浮かれっぷりが見て取れて、恥ずかしい。
でも本当に大好きだな、マチルダ。今でも映画に出てくる好きな女の子を上げろと言われたら真っ先に挙げたいくらい。
レオン(ジャン・レノ)の目がきれい
レオンは殺し屋なのに、すごく目がきれいなのが印象的だった。もちろん会ったことはないが「殺し屋」というイメージからはかけ離れていた。映画を楽しそうに観て、牛乳をかならず2本買って、根を張ってない観葉植物にシンパシーを感じて大切に育て、弟の死を悲しむマチルダを慰めるためにブタのミトンを使ってブタの真似をしたレオン。字の読み書きできず、マチルダに習ったレオン。仕事を確実にこなす殺し屋と、どこか子どものようなピュアさ、かわいさは同時に存在するのだと知った。
ゲイリー・オールドマンのイカれた悪役
運び屋をしていたマチルダの父親が麻薬をくすねたことから、彼女の家族を殺したスタンスフィールドを演じたゲイリー・オールドマンが怖かった。初めて観たときはいまいち経緯がわかっていなかったが、クラシックが好きでマチルダの父親に音楽家たちについて語り、鼻歌を歌いながら人を殺し、指揮をするようなしぐさをしながらビーズの暖簾のようなものをくぐってマチルダの父を追い詰めたシーンは忘れられない。
「大人になっても生きるのはつらい?」
序盤、レオンと2度目に合ったときにマチルダが聞く質問。家族に暴力を振るわれ鼻血を出し、ハンカチを差し出したレオンにこう尋ねたのだ。レオンは「つらいさ」と答えた。初めて観たときは子どもだったけど、大人になった今あらためてこのセリフを思い出し、確かにつらいよなぁ、と思ってしまった。
バッドエンドかもしれないけど、レオンは幸せだったと思いたい
レオンは最後、スタンスフィールドとの決戦で命を落としてしまう。マチルダがスタンスフィールドを殺そうとしたことがきっかけだった。先に通気口からマチルダを逃がした後、スタンスフィールドに後ろから撃たれてしまう。でもレオンはただでは死ななかった。「マチルダからだ」と手渡したのは手りゅう弾の安全ピン。ベストには複数の手りゅう弾がついており、次の瞬間に爆発が起こる。
マチルダと出会わなければ、助けなければ、レオンは命を落とさずに済んだかもしれない。でも、無機質に生きてきたレオンはマチルダとの生活で生きる希望を見出すことができた。マチルダを守って死んだことすら、レオンにとっては幸せなことだったのかもしれない。勝つだけが、生き残るだけが幸せとは限らない。そんなことを感じる物語だ。
初めて観たときは、ただただバッドエンドだと思った物語をそう思えるようになったのは、繰り返し観て、その間に自分も成長したからだと思う。
スティング「シェイプ・オブ・マイ・ハート」の余韻がすごい
物語のラストでギターのフレーズが流れ、そのままずっと流れるのがこの曲。悲しい音色が物語と合っていて、余韻がすごいし、何度観ても飛ばさずに見入ってしまう。
「凶暴な純愛。」というコピーがいい
この作品につけられたコピーが「凶暴な純愛。」で、映画のコピーの中でも非常に好きなもののひとつだ。もしかしたら今は、中年男性と少女が出てくる物語にこのコピーをつけることはできないかもしれない。でもこのコピーは二人の関係を絶妙に言い表した言葉だと思う。
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–{繰り返し観ている色褪せない名作たち}–
映画の前に牛乳を飲んではいけない「もののけ姫」
(C)1997 Studio Ghibli・ND
おそらく初めて友だちと約束して観に行ったのがこの映画。5人以上で約束し、結構早い回だったため、朝ごはんを食べる時間がなくなった。家を出ようとしたときに、なぜか母親が渡してきたのは牛乳が入ったコップ。おそらく食べ物を食べる余地はなさそうだが、水よりはお腹の足しになるだろうと牛乳をチョイスしたのかもしれない。だが、空きっ腹に牛乳を飲むとどういうことになるか、何となく想像がつくと思う。案の定(?)、シシ神が森に広がるあたりで席を立つ羽目になった(ちょっと下ネタでごめん)。
みなさんにお伝えしたいのは、映画を観る前に牛乳を飲むのは絶対に避けていただきたいということだ。
意味不明だけど大好きすぎる「ムトゥ 踊るマハラジャ」
「ムトゥ 踊るマハラジャ」も話題になって金曜ロードショーで観た気がする。な、なんなんだこれは。とにかくみんなめっちゃ歌うし踊る。恋が始まれば(大人数で)踊るし、山?草原?で馬車を走らせながら踊るし、まったく意味が分からない。
意味はわからないんだけど、みんなめちゃくちゃダンスがうまいし、楽しそう。こんなふうに歌って踊って生きたいとほんとは思っている。
当時の日本とは美の基準が違うっぽいことも新鮮だった。ひげのおじさんに見えるムトゥがいい男とされているし、ヒロインも日本で理想とされていた体形と比べるとちょっとふくよかだった。でも自信たっぷりに笑顔で歌って踊る彼らは魅力的だったし、ちょっとお腹がぷよっとしてようがお腹を出した衣装で踊るヒロインはかわいかった。美の基準はひとつじゃないんだと思った。
–{一人でこっそり観に行った映画}–
一人でこっそり観に行った映画1「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」「シト新生」
(C)東映
友だちと映画に行く機会ができた中、人を誘えない映画もあった。エヴァの旧劇がそのひとつだ。エヴァを何となく好きなのではという人は知っていたが、映画を観に行くほど好きかはわからなかった。土曜日の部活の後にこっそり行った旧劇場版。クラシックに載せた戦闘シーンや、アスカがシンジに放った「気持ち悪い」は、慣れない一人映画にきた少しの気まずさと一緒に思い出す。今となってはなんだかその感じもエヴァっぽくていいなと思う。
ちなみに今は一人映画、全然平気だ。むしろ一人で行くほうが多い。
一人でこっそり観に行った映画2「バトル・ロワイアル」
(C)2000「バトル・ロワイアル」製作委員会
友だちに小説を借りてハマった通称『バトロワ』。キャスティングが最高だったし、大好きなブランド、BA-TSUが衣装提供していたし、絶対に観に行きたかった。だが内容が内容だし、これまたみんな映画を観たいレベルなのかわからずこっそり観に行った。小説版の一番大事だと思ったシーンがすっ飛ばされていて解釈違いはあったけれど、メインキャストはやっぱりよかった。特に栗山千明の千草貴子と柴咲コウの相馬光子がほんとに秀逸だった。
この映画の公開は2000年。その前の1990年代は少年犯罪が報道されることが多く、「キレる17歳」という言葉も生まれ、1999年9月9日に人類が滅亡するというノストラダムスの大予言が話題になったりしていて、1990年代後半~2000年代前半に作られたものの一部には、退廃的な作品や若年層の殺人をテーマにした作品が増えていたように思う。「世紀末感」と言ったらいいのだろうか、そんな中で送った思春期真っ只中の作品だった。
惨劇の後のエンドロール、「Dragon Ash」の「静かな日々の階段を」がなんだか讃美歌、鎮魂歌のように感じた。当時通っていたのはキリスト教の学校で、毎朝礼拝があった。
映画は人生の一部。いい作品は永遠に色褪せない
今回振り返って思った感想は、映画と一緒に当時の自分の状況を思い出すということ。子ども時代や学生時代だとなおさら時期の差が明白で、映画は人生の一部なんだなと感じた。これからも人生の一部となるような作品とたくさん出会いたい。
また、いいと思う作品は、数十年を経てもなお魅力的だとあらためて感じた。古さ新しさでは測れないものが、そこにはある。
(文:ぐみ)
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