2022年2月11日に公開された、映画『ちょっと思い出しただけ』。
本作品は、クリープハイプの新曲「ナイトオンザプラネット」(アルバム「夜にしがみついて、朝で溶かして」に収録)をもとに、松居大悟監督が書き下した物語である。
クリープハイプのファンである筆者は、新曲をもとに映画の脚本が書き下ろされたと知って大変驚いた。どんな映画になるのだろう、とワクワクして公開を待ち望んでいた。
本記事では「ナイトオンザプラネット」が映画になるまでの経緯、劇中の尾崎氏の演技や楽曲に注目して『ちょっと思い出しただけ』の見どころを紹介していきたいと思う。
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些細なきっかけで『ちょっと思い出す』ような曲
「ナイトオンザプラネット」はエレキギターのイントロが特徴的だ。どこかで聞いたことがあるような、懐かしさを感じるイントロが始まると、時が少し昔に戻った気がする。
この曲は、2021年9月8日に東京ガーデンシアターで開催された「クリープハイプの日 2021(仮)」で初披露となる。ステージだけが光に照らされ、あたりは真っ暗な空間でこの曲を聞いていると、宇宙にいるたった1人の自分に語りかけてくれているようで不思議な気持ちになった。
「夜にしがみついて 朝で溶かして 何かを引きずって それも忘れて だけどまだ苦くて すごく苦くて 結局こうやって何か待ってる」
この印象的なサビは、朝になって忘れようとしてもなかなか消えない「夜にふと思い出してしまうあの記憶」と「それでも心のどこかで期待している自分」を意味しているのだろうか。
映画『ちょっと思い出しただけ』は、今は別れてしまった主人公2人(葉と照生)の6年間を振り返っていく作品だ。それぞれその時の記憶を「思い出す」だけで、映画の中で2人の関係は進展しない。だが、ふとした時に思い出すくらいには2人にとって大事な記憶なのだ。
「ナイトオンザプラネット」サビが生まれた瞬間
尾崎氏によると「ナイトオンザプラネット」は2020年2月27日にサビが作られたそうだ。
なぜ鮮明に日付を覚えているのか?それは、新型コロナウイルスの影響で初めてライブが延期になった日だからである。
クリープハイプは当時、2020年2月7日のZepp Sapporo公演を皮切りに、10周年全国ツアー「僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上はやっぱりクリープハイプで出来てた」を開催していた。
筆者も同ツアーの幕張メッセ国際展示場公演への参加が決まっていて、ものすごく楽しみにしていた。だからこそ、新型コロナウイルスの影響で公演が延期になった時は非常に悔しかったし、悲しかった。一緒に、10周年をお祝いしたかった。
ファンと同じくらい、いやそれ以上に辛かったのは本人たちだろう。
尾崎氏は当時を振り返って「お客さんにせっかく期待してもらえたのに、次来てもらえる保証はないのに、ライブが無くなったことに納得できなかった」と話していた。
2020年2月27日の夕方、本来ならライブが始まっている頃に尾崎氏は曲を作り始めた。そしてその日に「ナイトオンザプラネット」のサビが誕生したのだった。
「ナイトオンザプラネット」が完成した時、尾崎氏は「何か違ったところに行けた」らしい。完成した曲は、ライブができなくなった時や世の中が変わってしまった時に抱いた「気分」に合っていたと話す。
曲名の着想はお気に入りの映画から
『ナイト・オン・ザ・プラネット』(C)1991 Locus Solus Inc.
「ナイトオンザプラネット」というタイトルは、ジム・ジャームッシュ監督の映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』から着想を得ている。
尾崎氏にとって『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、自身のオールタイムベストに挙げるほどお気に入りの作品。バンド名「クリープハイプ」の「ハイプ」は、『ナイト・オン・ザ・プラネット』に出てくるヨーヨーという人物の「Hype!(イケてる)」というセリフからきているのだ。
また「ナイトオンザプラネット」の歌詞にも、「ジャームッシュ」や「ウィノナライダー」といった、『ナイト・オン・ザ・プラネット』にまつわる単語が登場する。
『ちょっと思い出しただけ』の劇中も映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』を彷彿させる場面がいくつか出てくるので、照らし合わせてみるのも楽しみ方の1つだ。
–{『ちょっと思い出しただけ』が生まれた瞬間}–
『ちょっと思い出しただけ』が生まれた瞬間
「ナイトオンザプラネット」が完成すると、尾崎氏は「松居くんとようやく作りたいものができた」と松居監督に曲を送ったそうだ。
「それがすごいグッときた」と松居監督。
そもそも尾崎氏と松居監督は旧知の仲であり、これまで「オレンジ」(12)や「鬼」(16)など、クリープハイプの代表作のミュージックビデオの監督を松居監督が務めてきた。
クリープハイプのベーシスト・長谷川カオナシは「(尾崎氏が松居監督を)メンバーよりも信頼している部分はあると思う」と話している。しかし2人は、この5年間一緒に仕事をすることはなかった。そのため、松居監督は尾崎氏から曲が送られてきたことに対して「意味や物語を感じた」そう。
その後松居監督は「ナイトオンザプラネット」をもとに、1年かけて脚本を書き上げた。
『ちょっと思い出しただけ』の始まりである。
–{『ちょっと思い出しただけ』での尾崎世界観}–
『ちょっと思い出しただけ』での尾崎世界観
尾崎氏は、劇中ではミュージシャン役の男として登場する。
『ちょっと思い出しただけ』は現在(2021年7月26日)から、2人が出会った6年前(2015年7月26日)を振り返っていく作品である。尾崎氏はその中でも、現在(2021年7月26日)と2人が別れてから1年後(2019年7月26日)、2人が出会った6年前(2015年7月26日)に登場する。
尾崎氏が演じるミュージシャンの男の詳細は不明だが、2人と一緒に時を遡るにつれて、彼の人生も少しずつ見えてくる。彼の人生の歩みを予想できることもまた、本作の魅力だと思う。
ここからは、謎に包まれたミュージシャンの男の6年を追いかけながら、クリープハイプの挿入歌や、尾崎氏の演技を観ていて感じたことを紹介していきたい。
登場シーン1:タクシーの乗客(2021年7月26日)
尾崎氏は現在(2021年7月26日)のシーンで、葉が運転するタクシーの乗客として登場する。
開口一番、葉に「失業とかですか?」と聞いた。
女性のタクシードライバーは珍しいため、何か訳があってこの職に就いたのだと思ったのだろう(2021年は新型コロナウイルスの感染が拡大してから1年経った年であり、その影響で失業したのか、という意味もあるかもしれないが)。
初対面の相手に「珍しいから」という安直な理由で「失業してタクシードライバーになったのか」と聞くなんて、普通なら失礼だと考えて避けるだろう。だが、尾崎氏演じるミュージシャンの男は悪びれる様子もなく質問するのだ。
その場面を観て、彼のラジオ番組での様子を思い出した。ゲストにやや突っ込んだ質問をした際も、彼は世間話をするようなテンションだったのだ。
筆者は彼のスタンスを知っていたため、尾崎氏が葉に対して「失業したのか」と突然聞いても、あまり違和感はなかった。
その後ミュージシャンの男は「本来であれば今日はライブだった」と嘆き、「チケットの払い戻しにもお金がかかるし、事務所つぶれんじゃないかな」とひとりごとのように呟く。
このことから、ミュージシャンの男は現在(2021年)、チケットが売れ、事務所に所属しているような(そしてタクシーに乗れるほどの暮らしができるような)、ミュージシャンであることがわかった。
登場シーン2:ライブハウス(2019年7月26日)
尾崎氏が再び登場するのは、現在から2年前(2人が別れてから1年後の2019年7月26日)の、ライブハウスの場面である。
この頃、照生はライブの照明の仕事を請け負っていた。その日、照生が照明を担当するライブハウスでライブを行うのが、ミュージシャンの男だった。
ミュージシャンの男は、4人のメンバーとバンドを組んでいた。ここで4人が演奏していたのは、クリープハイプの「君の部屋」と「さっきの話」である。
「君の部屋」はインディーズ時代の曲であり、シングル「百八円の恋」(14)に収録されている。彼女と別れたことを後悔する男の心情が込められている曲だ。
ライブで繰り返し歌っていることや、「僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上はやっぱりあなたで出来てた」という歌詞が10周年のツアーのタイトルのもとになっていることから、グループにとって大事な曲であることがわかる。
「さっきの話」はシングル「社会の窓」(13)に収録されている。
(恐らく)別れたカップルが久しぶりに再会し、片方にまだ未練があることを示唆している歌詞で「君の部屋」と同様にライブでよく歌われている曲だ。
映画ではバンドがこの2曲をリハで演奏している最中に、照生は照明をミスしてしまう。リハが終わると、急いでミュージシャンの男の元に謝りに行ったが「大丈夫ですよ」と、本当に気にしていないような反応を見せた。そのうえで彼は、「でも照明めっちゃよかったですよ」と照生をさりげなく励ました。
どちらも演技をしている、というより「尾崎世界観」そのものだった気がする。ミスを咎めない性格も、おそらく落ち込んでいる相手をさりげなく褒める態度も。
ここでの2人のやりとりを観ていて、あたたかい気持ちになった。
登場シーン3:アーケード商店街の路上(2015年7月26日)
葉と照生の2人が出会った6年前(2015年7月26日)、ミュージシャンの男はアーケード商店街の路上に座り込み、弾き語りをしていた。
この時に歌っていた曲は「ex.ダーリン」。
「ex.ダーリン」は「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ 初回限定盤」(12)に収録されている。失恋したが、まだ相手に未練がある彼女目線の曲だ。これまで度々ギターで弾き語りされているため、尾崎氏にとって特別な思い入れがある曲なのだと思う。
ミュージシャンの男の周りに観客は誰もいなかったが、それでも誰かに語りかけるように、大切に歌っている様子に胸を打たれた。
この場面を観たとき、ライブハウスのステージ上で歌っている姿やタクシーに乗って「事務所が」「チケットが」と話していた様子を思い出した。6年間で葉と照生の間にさまざまな変化があったように、ミュージシャンの男にも進歩があったのだ。
「ex.ダーリン」を聴きながら葉と照生は踊る。アーケード商店街という趣深い場所で「ex.ダーリン」をバックに踊る2人の光景は、幻想的で、2人だけの世界にいるようだった。
楽曲にも注目したい『ちょっと思い出しただけ』
『ちょっと思い出しただけ』は、映画が生まれた背景にドラマがある。「松居くんと作りたい」と曲を託した尾崎氏も、それに「意味があると感じた」松居監督も、お互いが信頼しあっていたからこの作品が完成したのだろう。
ミュージシャン役として登場していた尾崎世界観の様子は、演じているというより本人そのものだった。それが、観ていて心地よかった。
観る人によって視点が変わる『ちょっと思い出しただけ』。物語にも、楽曲にも注目して、大切だったあの時間を『ちょっと思い出し』ながら観たい。
(文:きどみ)
<参考>
編 株式会社キネマ旬報社(2022)『ちょっと思い出しただけ 劇場パンフレット』
原作・脚本 松居大悟 著 木俣冬 (2022)『ノベライズ ちょっと思い出しただけ』株式会社リトルモア
ボクらの時代:池松壮亮×尾崎世界観×松居大悟.フジテレビ.2022-2-13放送
東京テアトル公式チャンネル:『ちょっと思い出しただけ』ができるまで
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–{『ちょっと思い出しただけ』作品情報}–
『ちょっと思い出しただけ』作品情報
ストーリー
怪我でダンサーの道を諦めた照生(池松壮亮)と、その彼女でタクシードライバーの葉(伊藤沙莉)。めまぐるしく変わっていく東京の中心で、何気ないある一日が流れていく。特別な日も、そうでない日もあるが、決して同じ日は来ない。二度と戻れない愛しい日々を、ちょっと思い出す……。
予告編
基本情報
出演:池松壮亮/伊藤沙莉/河合優実/尾崎世界観/國村隼(友情出演)/永瀬正敏
監督:松居大悟
公開日:2022年2月11日(金)
製作国:日本