<考察>『麻希のいる世界』で観る“推しの沼”

映画コラム

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2022年1月29日より、ユーロスペース他にて上映されている塩田明彦監督作『麻希のいる世界』。本作は、アイドルグループ「さくら学院」の元メンバーである新谷ゆづみ、日髙麻鈴が出演している青春映画である。しかし、実際に観てみると奇妙な映画であった。

軽音部のライブで奏でられる音楽が歌のないインストゥルメンタルであったり、ヒロインたちが親密な関係になったと思うと警察に捕まったり、バンドを結成するも最後までふたりがステージで歌うことがなかったりと青春映画の定石をひたすら覆していく作品であった。

しかし、新谷ゆづみと日髙麻鈴の眼差しが織りなすこの物語を見つめると、アイドル哲学に通じる物語となっていることに気づかされる。今回はふたりの演技から『麻希のいる世界』が持つ「推しの沼」の側面について考察していく。

※本記事は『麻希のいる世界』の核心に迫る部分があります。ぜひ観賞後にご覧ください。

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ときめく者の肖像、新谷ゆづみ

教室で投げられた紙くずに被弾する由希(新谷ゆづみ)。昼休みになり、静かにランチを過ごせる場所を探して校舎を彷徨う。誰もいない校庭のベンチを見つけたと思いきや先客がいた。むすっと菓子パンを頬張る・麻希(日髙麻鈴)だ。

その場を離れようとするも、そこに流れる魅惑に引き寄せられるように由希はベンチに座り食事をする。由希は麻希のことが気になってしょうがない。放課後、バイト先へ向かう麻希を追跡しはじめる。商店で働いていることを突き止めた彼女は、家に帰るとすぐに履歴書を書き麻希のバイト先の面接へ向かう。

しかし、面接している由希を横目に彼女はバイトをやめてしまう。これをきっかけに、由希は劇中何度も麻希に裏切られる。

自転車で併走できる関係になると警察に捕まり、バンドを結成してもライブ当日に欠席する。しまいには、自分と過ごした日々も記憶喪失によって存在しないこととなり、遠くへ走り去ってしまう。

彼女はそれでも麻希を非難することなく信じ続けるのだ。この力強い信仰を新谷ゆづみが好演している。家族や軽音部の祐介(窪塚愛流)は由希を心配して歩み寄る。だが彼女はむすっとした顔で周囲の人を拒絶する。

学校にも家にも居場所がない彼女は、麻希とふたりきりになることによって初めて感情が顔に浮かび上がっていく。ボウリング場でバイトをすることになった由希が更衣室で麻希と話をするシーンに注目してほしい。ロッカーに顔を向け、チラッと麻希の方を向きながら溢れ出そうとする感情を抑え込む仕草をしている。憧れの存在を目の前に、嬉しさと恥ずかしさが共存する決定的表情がそこにある。

この演技があることによって、中盤以降の後光差し込む世界に鎮座する古びた小屋に強烈な磁場を感じさせる。麻希を自分だけのものにしたい由希は、ホラー映画に出てくるような禍々しい小屋に入っていく。これは不幸を呼び寄せる存在である、麻希の邪悪さに取り込まれることを象徴している。

麻希のいる世界に没入することが最大の幸福であり、他者に見せることも拒絶する。たとえ世界が滅びても、自分の味方がいなくなっても麻希さえいれば幸せだとあの空間は物語っている。

そのため、直接的な小屋の内部のシーンがなくとも観客は情事を想像することができる。つまり、小屋に麻希のいる世界を語らせるために、ボウリング場での新谷ゆづみの演技は必要不可欠といえよう。

その後も、無表情と煌く顔を急旋回、急上昇、急降下、急停止させる、スリリングで揺れの激しい演技をする。その予測不能さの中に「ときめく者の肖像」を見ることができる。

–{運命に抗うファム・ファタール、日髙麻鈴}–

運命に抗うファム・ファタール、日髙麻鈴

感情のジェットコースターを表現する新谷ゆづみに対して、モナ・リザのような謎めいた表情を貫く日髙麻鈴がいる。

麻希は、冒頭の追跡シーンにおいて由希がついてきていることに気づいているが、あからさまに彼女から逃げようとする。「あたしなんかに関わんなよ」と拒絶する一方で、由希が強引に誘うバンド活動には参加する。大幅に遅刻し他のメンバーを激怒させるものの、彼女がひとたび歌うと世の中の掃き溜めを吐露するような力強さで空間を制圧し、自ずとドラムがそのメロディと対話を始める。

日髙麻鈴の行動原理がよくわからない仕草には、ファム・ファタールとしてのカリスマ性がある。感情を剥き出しにして、自転車をなぎ払って迫る由希に対して日髙麻鈴の力強い拒絶の仕草には麻希のみぞ知る一貫性がある。

※「ファム・ファタール」とは

男性にとっての“運命の女”という意味から転じて、「男の運命を狂わせる魔性の女」という意味で使われる。

カリスマ性とは、当人が信じる理論を一貫して行うことで滲み出てくるものだ。麻希は自分がファム・ファタールであることを自覚している。家族も問題を抱えており、その血に抗えないことを悟った彼女は、自分の世界に対して越えてはいけない一線を引いている。しかし、ファム・ファタールの特性上、人を惹きつけ沼へと突き落としてしまう。

彼女は由希を拒絶することで、沼へ入ることを阻止しようとするが、由希は強引に入っていく。その結果、闇の中で悪い男たちに犯されてしまう。悲劇に見舞われても、由希は麻希を信じるのだ。

映画は、麻希が記憶喪失になることでファム・ファタール属性を洗い流そうとする。しかし言葉を失った由希が再び彼女に会った際の、まるで握手会でのアイドルの仕草のような神対応によって、消えることのないファム・ファタール属性を浮かび上がらせている。

突然訪ねて来た者から身に覚えの無い自分の声の録音を聞かされても、ドン引きすることなく「音源ちょうだい、この後用事があるから連絡先もちょうだい」と自然な会話のように振舞う日髙麻鈴。この消えることないファム・ファタールとしてのカリスマ性に観る者の心もかき乱されるであろう。

『麻希のいる世界』から観るアイドルと一般人の関係性

本作は、一見すると奇妙な映画に見える。しかし新谷ゆづみ、日髙麻鈴の演技を軸にすると『麻希のいる世界』は真のアイドル映画といえる。アイドルと一般人の関係性を捉えているのだ。

アイドルの握手会を例にする。アイドルは、どんな人であろうとも対等に癒しを与える。たとえファンが「また会いに来ました」と語り、前回の状況を覚えてなくても満面の笑みと温もりある返しで接する。ほとんどの場合、一般人とアイドルとの関係は縮まることは無い。一定の距離感が保たれたままである。

またアイドルはいつか卒業し、俳優やモデルになったり一般人に戻ったりする。その変化にもファンはついていき、世界が崩壊してもアイドルのことを信じ抜こうとするだろう。

『麻希のいる世界』は、自転車でひたすら追いかける由希と常に一歩先の世界を走る麻希の関係性を通じてこのような「推しの沼」を醸造させている。

そのため、本作のヒロインに新谷ゆづみ、日髙麻鈴が抜擢されたことは、単に塩田明彦監督『さよならくちびる』繋がりだけではないのだ。元アイドルグループ「さくら学院」のメンバーであることが重要な作品だったのである。

つまり『麻希のいる世界』はアイドルファンにとって、推しを愛する尊さに迫る映画といえるであろう。

(文:CHE BUNBUN )

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–{『麻希のいる世界』作品情報}–

『麻希のいる世界』作品情報

ストーリー
重い持病を抱え、ただ“生きていること”だけを求められて生きてきた高校2年生の由希(新谷ゆづみ)は、ある日、海岸で麻希(日高麻鈴)という同年代の少女と運命的に出会う。男がらみの悪い噂に包まれた麻希は周囲に疎まれていたが、世間のすべてを敵に回しても構わないというその勝気なふるまいは由希の生きるよすがとなり、ふたりはいつしか行動を共にする。ふと口ずさんだ麻希の美しい歌声に、由希はその声で世界を見返すべくバンドの結成を試みる。一方で由希を秘かに慕う軽音部の祐介(窪塚愛流)は、由希を麻希から引き離そうとやっきになるが、結局は彼女たちの音楽作りに荷担する。彼女たちの音楽は果たして世界に響かんとする。しかし由希、麻希、祐介、それぞれの関係、それぞれの想いが交錯し、惹かれて近づくほどに、その関係性は脆く崩れ去る予感を高まらせる。

予告編

基本情報
出演:新谷ゆづみ/日高麻鈴/窪塚愛流/鎌田らい樹/八木優希/大橋律/松浦祐也/青山倫子/井浦新

監督:塩田明彦

公開日:2022年1月29日(土)

製作国:日本