『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』で考える多様性の在り方

映画コラム

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もしも、愛犬がでっかくなったらあなたはどうしますか?

2022年1月21日(金)より『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』が公開された。アメリカの児童文学作家ノーマン・ブリッドウェルの絵本「クリフォード おおきな おおきな あかい いぬ」の実写映画である。不気味の谷を突き進むヴィジュアルだが、本作は映画における多様性のあり方を突き詰めた傑作であった。

今回は『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』を多様性の面から深掘りしていく

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クリフォードは「人種のサラダボウル」をかき混ぜる

セントラル・パークのイラストから始まり、ニューヨークのあらゆる側面を捉えていく。エミリー・エリザベス(ダービー・キャンプ)は、富裕層が集まる学校でいじめられている。慈善活動として空き缶を集めて回るのだが、同級生はオンラインで高額の寄付を行っており彼女の活動を嘲笑う。

エミリーの親戚ハワードおじさん(ジャック・ホワイトホール)は家賃が払えないため、車上暮らしを強いられている。アメリカでは『ノマドランド』でも描かれているように、住宅コストが異常に高騰したことから車上暮らしをするハウスレスが急増している。ハワードおじさんはトラックで暮らしながら、イラストレーターの職を探している。彼はシャワーをなかなか浴びる機会がないので、オフィスのオートディスペンサーで身体を洗おうする。

エミリーが行く先々には様々な人がいる。売れないマジシャン、おばあさん、ハーレム地区にある雑貨屋のラテン系おじさんたち。義手をつけている人もいる。

少女エミリーは多様な人々を繋ぎ止める役割を担っていたが、大きな赤い犬クリフォードが来たことによりこれは強固なものとなっていく。彼女のバックに忍び込み、家に現れたクリフォード。エミリーはこの子犬に愛情を注ぐ。すると翌朝、3m近い巨大な犬へと変貌を遂げる。クリフォードが歩けば家具にあたる。部屋を粉砕していくクリフォードのあり余る力は、とどまることを知らない。

家を飛び出し、縦横無尽にニューヨークの街を駆け回るのだ。やがて、目をつけた遺伝子学会社のピーター・ティエランは、研究のためにクリフォードを奪おうとする。それに対してニューヨーク市民が立ち向かう。

本作は、老若男女、貧しい者も富める者も対等な立場として描かれている。例えば、アジア系の少年オーウェン・ユー(アイザック・ワン)。彼とその家族はハワードおじさんを見下すことなく、どうしたらクリフォードの安全を確保できるのかを議論する。ハーレムの人々が遺伝子会社に潜入する場面では、次々と現れる困難に対して、社会的地位を振り払った状態で最善策を取る。

マジシャンは炎のマジックで火災報知器を鳴らし、扉を開ける。おばあさんはコンデンスミルクで荒ぶるヤギを手名付ける。そもそも、巨大な犬が病院に現れても獣医や受付の人は差別することなく、その圧倒的個性とどのように向き合うのかが話し合うのだ。

まさしく、本作は人種のサラダボウルと言えよう。

–{M・ナイト・シャマラン映画と比べる多様性のあり方}–

M・ナイト・シャマラン映画と比べる多様性のあり方

近年は、映画も多様性やジェンダー問題を意識した作品が増えている。中には男女を入れ替えただけのリメイクもあったりする。

映画における多様性とは何か?単にアジア系の人を映画に登場させたり、マイノリティについて言及することが果たして多様性の実現と言えるのだろうか。

この疑問に答えている監督がM・ナイト・シャマランである。彼の映画には多様な人々が登場するが、その属性は対等に扱われる傾向がある。『レディ・イン・ザ・ウォーター』(06)では吃音のアパート管理人を中心に、頭脳派なアジア人女性、自堕落に生きる不良などが登場し、アパートに現れた怪奇と対峙する物語となっている。

しかし、何故主人公が吃音なのか? 何故アジア人女性が登場するのかといった理由づけはほとんど行われず、ただそこに存在する者として描かれる。

『オールド』(C)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.


2021年に公開された『オールド』も様々な人種が困難に見舞われる話ではあるが、人種やジェンダーにまつわる会話はない。老若男女、人種等しく問題と向き合っている。現実世界も、何故その人が目の前にいるのか説明できないことが多く、そもそも説明する必要はない。同様にシャマラン作品も日常の延長として人が登場し、映画の中の怪奇にのみ集中させるのだ。これこそが映画の目指すべき多様性ではないだろうか。

このことを踏まえて『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』に戻ると、全ての人が対等にクリフォードと向き合う。義手の男も、自分なりにクリフォード救出作戦に加わり、富裕層の生徒もクリフォードの個性を見て歩み寄る。

ハワードおじさんも不器用ながらもエミリーやオーウェンと協力して窮地から脱出しようと試みる。警察も、所有権を主張する大企業社長ピーター・ティエランの発言に流されることはない。検査道具での判断をもってピーターとエミリー、どちらの主張が正しいかを判断しようとするのだ。

–{スクリューボール・コメディの肝を押さえたプロット}–

スクリューボール・コメディの肝を押さえたプロット

本作はスクリューボール・コメディとしても一級品である。スクリューボール・コメディとは1930〜1950年代にアメリカで流行した映画ジャンル。男女のカップルがハイテンポな会話を繰り広げながら予測不能な方向へと展開していく喜劇である。

『赤ちゃん教育』では考古学者が目の前に現れた女性に振り回されていき、恐竜の骨格模型を破壊されるまでをコミカルに描いている。『結婚五年目(パームビーチ・ストーリー)』は離婚しようとフロリダを目指す妻を追いかける夫の話だ。道中では、列車内で猟銃を乱射する集団に巻き込まれたり、眼鏡をかけた男性の顔を踏み台にしながら移動したりする様子を怒涛の勢いで描いた作品だ。

現代社会は上手くいかないことが多い。そうした出来事を豪快に駆け抜けていくことで笑いに変えるのがスクリューボール・コメディの魅力である。

『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』の場合、街を豪快に動き回るクリフォードと家が破壊されても愛を注ごうとするエミリーによって事態がドンドン大きくなっていく。ビル管理人が水道管を点検する横で、ハワードおじさんがクリフォードの尻尾を静止させようと踏ん張る。エミリーたちが作戦を練っている最中に、クリフォードが公園の巨大なボールを目撃し走り出す。

しまいには、オーウェンの愛犬をパクッと口の中に入れてしまう。予測不能だ。『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』は犬も歩けば棒に当たるスクリューボール・コメディだった。

子ども向け映画ながらも、いや、子ども向け映画だからこそ映画の中の多様性を考え抜き、スクリューボール・コメディとしても一級品な脚本はお見事である。

脚本家のジェイ・シェリックとデイヴィッド・ロンはドウェイン・ジョンソン主演作『ベイウォッチ』やエディ・マーフィ主演の『アイ・スパイ』の脚本などといったコメディ映画の脚本を手掛けている。彼らの今後の活躍に期待したい。

(文:CHE BUNBUN )

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–{『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』作品情報}–

『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』作品情報

ストーリー
寂しがり屋の女の子エミリー(ダービー・キャンプ)が、マンハッタンの公園で拾ってきた子犬のクリフォード。ところが、一夜明けるとその犬はとてつもなく大きな姿になっていた。どうやらエミリーの愛情の分だけ大きくなってしまったらしい。そんななか、ある大企業の社長がクリフォードを手荒い手口でさらおうと画策。エミリーや、友達のオーウェン(アイザック・ワン)、エミリーのおじさんのケイシー(ジャック・ホワイトホール)、そして変わりものの近所の人たちを巻き込みながら大騒動へと発展していく……。 

予告編

基本情報
出演:ダービー・キャンプ/ジャック・ホワイトホール/アイザック・ワン/トニー・ヘイル

吹き替え:花澤香菜/三森すずこ/金丸淳一/諏訪部順一

監督:ウォルト・ベッカー

公開日:2022年1月21日(金)