『真夜中乙女戦争』における永瀬廉「3つ」の魅力

俳優・映画人コラム

>>>『真夜中乙女戦争』画像を全て見る(12点)

2022年1月21日に映画『真夜中乙女戦争』が公開された。劇場に足を運び、個人的に本作には3種類の人たちが興味を惹かれているように思った。

1つは原作のファン、2つ目はキャストのファン、3つ目は監督のファンである。筆者は『真夜中乙女戦争』を観るにあたって原作を読了した後、3つ目の二宮監督の一ファンとして劇場に足を運んだ。

本音を言うと、難解なストーリーに抽象的なモチーフが多様に用いられている事から一抹の不安を抱きながらの鑑賞でもあった。

ミステリアスな小説家の人気原作。数々の有名作品を生み出してきた大好きな監督。そして、日本のあらゆるエンタメで活躍している豪華キャスト。この3本の柱が織りなす幻想的なストーリーを見終わって、ある確信にも近い気持ちを覚えた。

--映画『真夜中乙女戦争』のMVPは永瀬廉だろう

ファンの方に失礼を承知でさらに本音を吐くと、二宮監督の作品が好きだからこそキラキラとしたアイドル像を纏うジャニーズを起用したキャスティングにも全く疑念がなかったといえば嘘になる。しかし、その観る前の印象が鑑賞帰りの電車の中ではもう完全にひっくり返ってしまった。

そこで今回は映画「真夜中乙女戦争」において永瀬廉の何が我々の心を掴んでいったのかを分析しようと思う。

※本記事は核心的なネタバレは避けつつも、一部内容を含む可能性があります。

>>>【関連記事】『真夜中乙女戦争』、原作映画化が大成功した「2つ」の理由

>>>【関連記事】映画『真夜中乙女戦争』、池田エライザ大優勝。

>>>【関連記事】『真夜中乙女戦争』 はとにかく映像美に酔いしれる作品

1.『真夜中乙女戦争』の主人公を演じることのハードルの高さを超えて

永瀬廉が演じる真夜中乙女戦争の主人公はなかなかに癖の強い人物である。そもそも、二宮監督映画にでてくる若者像は『チワワちゃん』『THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY』に代表されるような、若さゆえの煌めきの裏にある葛藤にスポットライトが当たるような切り取り方をされる印象が強く、その微妙な心の機微を数々の演技派と言われるキャストたちが演じてきた。

ところが『真夜中乙女戦争』の主人公である「私」は卑屈さこそあれど、華の大学生特有の煌めきとは全くかけ離れた人物である。

感情の起伏も表情に表れづらく、原作でもその分周りのキャラクターが饒舌な語りを講じることで主人公の人物像が浮き上がってくるように感じていた。

「私」というキャラクターはひたすらに暗く、大きな見せ場はつねに仲間の黒服がスマートにかっこよく持っていってしまう。そこに美しく聡明な先輩まで物語に加わってきて、設定としては丸腰の状態でただの大学生である主人公としての威厳を保つのはなんとも難しそうに思えた。

ところが、永瀬廉の演じる「私」は圧倒的に憂いを帯びた華があり、先輩にも黒服にも負けないアンニュイなオーラがある。大学の中を歩いているだけ、部屋の壁にもたれて座っているだけなのに、彼は不思議と圧倒的に主人公なのだ。端的に言ってしまえば動きが最大限に抑えられていても、色気がハンパない……(笑)

しかもこのオーラは「King & Princeの永瀬廉」ではなく「真夜中乙女戦争の私」が醸し出す、ドロドロとした目を背けたくなるような虚無を孕んだ特有の世界観を纏っている。明日を生きることさえ億劫になるようなパワハラをはじめとした理不尽。自分にはどうにもできない金銭的な事情へのやるせなさ。全てがくだらなく思えてしまうような退屈さ。そんな日々を壊してくれる誰かに期待してしまう気持ちまで、永瀬廉は完全に「私」をトレースしている。

アイドルとしての永瀬廉が『真夜中乙女戦争』において完全に封印されているのではなく、彼が持つ華のある雰囲気が鏡写しの如く「私」の器に最適化されて憑依しているかのようだった。

–{2.モノローグの絶望感の滲む語り}–

2.モノローグの絶望感の滲む語り

『真夜中乙女戦争』は原作が小説であるがゆえに、冒頭が永瀬廉の独白パートから始まる。

「真夜中を愛するものは乙女である。真夜中を憎む者もまた乙女である。乙女は女だけではない。男だって乙女である」

「真夜中乙女戦争」原作より

この詩的なモノローグこそ『真夜中乙女戦争』のテーマであり、舞台となる東京を一望できるカメラワークも印象に残る。そして何より永瀬廉の落ち着いた心地良い語りが、物語の幕開けにピッタリとはまる。このとき、表情は見えなくとも永瀬廉はすでに「私」であった。筆者は既に原作を読んでいた、という背景を差し引いてもあのモノローグは世界に幸福を見出している者の語りではないと感じた。

そしてその後も前半は永瀬廉の過去を振り返る語りと映像が交互に切り替わり、黒服と出会うまでは主人公だけをカメラが追いながら物語が展開していく。この「声が形どる絶望感」を見事に演じきったからこそ、後半のさまざまな人との出会いで変わっていく主人公の姿がより一層光って見えるのだろう。ジャニーズが誇る、顔の造形美を封印しての演技でも100点満点で観るものを魅了した永瀬廉の声の良さにはぜひ注目したいところだ。

–{3.繊細な少年の心情の変化に呼応する演技力}–

3.繊細な少年の心情の変化に呼応する演技力

永瀬廉が演じる「私」は映画の中でほとんど笑顔を見せない。何度か笑みをこぼす場面はあるものの、何かを諦めたような表情で遠くを見つめるように微かに笑うだけである。一方で悪役めいた悪戯な笑みを浮かべ、主人公を誘うように次々と新しい計画を練る黒服は、笑っているのにどこか心のうちが読めずに底知れぬ恐怖を感じた場面もあった。もちろんそれこそが黒服のパーソナリティであり柄本佑がそれを完璧に形にしていた。

しかし、そんな黒服とは対照的に「私」は表情に乏しくも先輩に対しては真摯な愛情を持って彼女に接していく。先輩に対して愛嬌を振りまくわけでも、執拗に愛の言葉を繰り返すわけでもないのに、彼が先輩を大切に思う気持ちは不思議とひしひしとスクリーンから伝わってくるのだ。

ラブホテルの淡く、幻想的な窓の明かりを背景に、先輩と主人公が対峙する場面では、ぽつりぽつりと自分の本音を不器用ながらも紡いでいく姿に、切なくも彼の真摯さを感じた。そしてこの「陰があって暗い」だけの主人公に「大学生らしい人間っぽさ」が吹き込まれていく過程には、永瀬廉の演技力が完全に一枚噛んでいる。大学の教授に飲み物をかけられるシーンで意図的に演じられた、明らかに非常識な振る舞いや口調は、年相応のひとりの不器用な大学生の男の子の告白に驚くほど自然に移り変わっていた。

東京爆破について先輩に真実を話す頃には「あれ?主人公、ちょっといいかも」と完全に永瀬廉の虜になっている自分がいたのを否めない。かなり特異な状況に置かれたキャラクターの心情変化でさえも、違和感を持たせずに観客を引き込んでいく永瀬廉の演技力には脱帽せざるを得ないだろう。

「二宮健監督の最新作を観にいこう」と言う気持ちで劇場の扉を開けたはずだったのに、いつの間にか私は物語が終わるまでずっと永瀬廉の姿を目で追っていた。それは彼が本作の主人公だから、ではなく、永瀬廉と主人公が完全に融合しきっていたからこその結果であろう。

『真夜中乙女戦争』にはキラキラとしたジャニーズの看板を背負う、アイドルはいない。そこにいるのは、これからの映画界を背負う1人の役者としての永瀬廉の姿だ。

真夜中の乙女たちからの讃美を浴びたこれからの彼の活躍に、心から期待したい。

(文:すなくじら)

>>>【関連記事】『真夜中乙女戦争』、原作映画化が大成功した「2つ」の理由

>>>【関連記事】映画『真夜中乙女戦争』、池田エライザ大優勝。

>>>【関連記事】『真夜中乙女戦争』 はとにかく映像美に酔いしれる作品

–{『真夜中乙女戦争』作品情報}–

『真夜中乙女戦争』作品情報

ストーリー
4月、上京し一人暮らしを始めた大学生の“私”(永瀬廉)だったが、友達も恋人もおらず、講義は恐ろしく退屈で、やりたいこともなりたいものもない。深夜のアルバイトの帰りにいつも東京タワーを眺めて過ごしていた。そんな鬱々とした日々が、凛々しく聡明な“先輩”(池田エライザ)との出会いや、謎の男“黒服”(柄本佑)の出現により一変。カリスマ的魅力を持つ“黒服”に導かれささやかな悪戯を仕掛けたり、“先輩”と距離が近づいたりするうちに、“私”の日常が静かに煌めきだしていった。しかし、次第に“黒服”と孤独な同志たちの言動は激しさを増し、“私”と“先輩”を巻き込み真夜中乙女戦争という壮大な破壊計画が秘密裏に動き始め……。

予告編

基本情報
出演:永瀬廉(King & Prince)/池田エライザ/柄本佑/篠原悠伸/安藤彰則/山口まゆ/佐野晶哉(Aぇ! group 関西ジャニーズJr.)/成河/渡辺真起子

監督:二宮健

公開日:2022年1月21日(金)

製作国:日本