『さがす』冒頭1分で正座して一礼したくなる、とてつもない傑作

映画コラム

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冒頭、佐藤二朗が金槌のようなものを持ち、素振りとも、踊りともつかぬ運動をしている。このショットを目撃した時点で、まさか居住まいを正さない者はいないだろう。筆者はオンライン試写で観た際、ガチで椅子の上に正座して一礼した。たった1分にも満たぬシーンだが、本作がとてつもない傑作であることを約束してみせる。

韓国映画のペン(ファン)であれば、『母なる証明』の冒頭で、草むらを歩いていたキム・ヘジャが劇伴にあわせて突如、奇妙だが美しいダンスを始めたシーンを想起するかもしれない。上記、たった1分にも満たぬシーンはそれに匹敵する。本作が韓国映画の傑作と並べ置いても、なんら遜色がないことを証明してみせる。

結論から言えば、『さがす』は滅法面白いエンターテイメント映画でありつつも、かたやケン・ローチの100倍付けくらい(舞台が日本だからリアルなので)貧困や社会問題への切込みや描写がエグい。前作『岬の兄妹』よりはライトなものの、人によっては相当「もらってしまう」ので念の為注意喚起しておく。とくに希死念慮がある方や、自殺に関して何らかの心的外傷を持っている方は慎重になったほうが良いかもしれない。

さて、ポン・ジュノはもとよりデヴィッド・フィンチャー、クエンティン・タランティーノ、マーティン・スコセッシなど、さまざまな監督を召喚しながらも、まさしく片山慎三の作品であるとしか言えない仕上がりになっていて、シネフィルはさらにあらゆる映画作家・作品を紐付けられるだろう。その紐付けは、そのまま映画の歴史のなかに片山慎三という映画作家と、『さがす』が組み込まれたことを意味する。

正直、上記だけで本評を終了してもいい。例え当該シーンは佐藤二朗が小道具の重みを確認しているのを隠し撮りしたものを使用していても(実際したそうだが)、それすら本作のテーマ性と完璧に合致して……とこれ以上はネタバレになるので書けない。

ネタバレといえば、本作は配給側より箝口令が敷かれており、公開1週間前までは劇中で提示される「ある」事実のネタバレが禁じられていた。だが、あまりにクリティカルなので公開後の今も書けるわけがない。「できるだけ前情報を仕入れずに観てほしい」というのは、映画館のトイレはおろかSNSでネタバレの爆撃に遭う現在において牧歌的に過ぎるが、本作のネタバレは観る前に『シックス・センス』の結末を知ってしまうのと同等のオッズで面白みが半減してしまう。ひょっとすると半減どころではないかもしれない。

なので今から無理を承知で、苦り切った顔でタイプするが、なるべく「何も知らない」状態で映画を観てほしい。本評でも極力ネタバレを避け、『さがす』という惑星の周囲をぐるぐると旋回する人工衛星のように観測していく。

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いきなり珍味だが、まずは誰がポスターをデザインしたのかを「さがす」

映画を鑑賞する前に、まず目にするのは宣伝用の予告編、またはポスターだろう。

『さがす』のポスターは韓国のデザイン会社「Propaganda」が制作している。韓国内では『The Witch/魔女』や『はちどり』、有名所では『愛の不時着』なども手掛けており、海外では『君の名前で僕を呼んで』などの韓国興行用ポスターも同社の仕事だ。本作においては、公式サイトで6種類のポスターを閲覧できる。

筆者はライターの他にグラフィックデザイナーを生業にしているので、少々デザインに関してテクニカルな面に触れてみると、韓国映画のポスターは(筆者が観測した範囲のなかでは)「写真一枚にタイトルデカめ、文字要素は控えめ」といったテイストのデザインが多い。

要はシンプルでヌケが良く、身も蓋もないことを書いてしまえば日本で主流の「役者いっぱい、タイトルに加えてサブタイトル、文字要素多め」の正反対である。

これは別に「日本のデザイナーがダサい」と言っているわけではない。デザイナーは天才はおろかアーティスト、クリエイターですらなく「問題を解決する職人」である。バックヤードを指摘してしまえば、日韓でデザインセンスや技術の違いはそれほどない。だが、デザイナー(プロフェッショナル)の意向は韓国のほうがより反映されている、程度のことだろう。ああ羨ましい。

ざっくりとした印象はこのくらいにしておいて、デザインの中で目を引くのが「さがす」のタイトルだ。ソリッドで切文字のようなロゴタイプになっている。「す」の払いが特徴的で、特に払う前に直線を入れるのは、あまり日本では見ない。

切文字は要素をひとつひとつ分解できるので、韓国人がデザインしたとすればこの方法は大成功だと思う。我々がハングルを記号のように感じるのと同じで、向こうさんも日本語を記号のように捉えているからだ。日本人であれば「さがす」だが、非日本語圏の人たちから見れば「さ」と「が」と「す」の3つの記号である。日本語フォントの扱いに不慣れな点を考えても、やはりこのテイストにしたのは賢い選択だろう。

日本語フォントに不慣れと書いたが、これは字詰めにも通じる。「お父ちゃんはどこや。殺したんか?」との台詞が入っているポスターでは「?」の級数や位置に違和感がある。また「消えた父を」の「消え」と「た」が離れすぎている。

ただ、妙に字詰めができている箇所もあり、クレジットなどは特に不自然さを感じない。要はシンプルで良いデザインなのだが、文字周りの処理を含め、タイトルを透過させる、させない、テクスチャを貼るといった違いもあり、どこか一貫性を感じない部分がある。

ここで「これ、完全に100%韓国サイド制作なのか」と、ひとつの疑問が立ち上がる。この解答に関しては、いくつかの予想ができる。

1.すべて韓国サイドが制作している。
2.クレジット以外のタイトルロゴとビジュアル、文字入れは韓国サイドが担当している。
3.タイトルロゴとビジュアルのみ韓国サイドが担当している。
4.タイトルロゴのみ韓国サイドが担当している。

文字詰めの甘さから見ると、3と4は除外できる。1に関してはポスター制作時では公開日が決まっていない可能性が高いので、1月21日(金)公開と書かれている箇所は後入れのはずだ。もっとも、後から公開日を入れるスペースを設けておく方法もある。

が、本命は2だろう。しかし卓球台の写真を使ったポスターは100%韓国側で制作したとも考えられるので、2.5として、「100%韓国制作もあるが、後々に何らかの手を日本サイドで加えた」に単勝一点賭けをしたい。

と、ここまで書いてきて「全部韓国でしたー」と言われたら少々気まずいが、別に恥ずかしくはない。「誰が、何をやったのか(あるいは、しているのか)」は、本作を駆動させるガソリンでもあるからだ。と、一応言い訳しておく。

さーらーにー。今、パンフレットにPropagandaのインタビューが載っているとの情報を見てしまった。締切の都合上パンフレットを参照できないし、よくよく考えたらプレスキットも手元にない。つっても徒手空拳での予想も楽しいものだし、まったく違った答えだとしても、屋台崩しが派手になったと言えば何とかなる気がしてきたので撤回はしない。

とにかく、総じてヌケのある、韓国マナーに沿った良ポスターだと思うし、後述する韓国映画との類似点においても、ポスターを韓国制作したという事実は重要であろう。

–{再び珍味だが、公式サイトのコメント欄から映画監督を「さがす」}–

再び珍味だが、公式サイトのコメント欄から映画監督を「さがす」

2022年における映画コメントの株価はいかほどか、という議論はさておき、映画宣伝でコメントはお約束である。

今や映画は作品ごとに公式Twitterがあり、そのほとんどがコメントを紹介する投稿を行っている。『さがす』もまた同様だ。

しかし、本作は他の映画に比べてコメントの人選が良い。映画作家からYouTuberまで、現代対応の隙のないセレクトだが、とくに映画監督のコメントが多い。

なにせいきなりジョン・キャメロン・ミッチェルである。「結末は完璧に近い。不穏であると同時に感動的で、とても斬新な作品だ!」と激賞しているが、『パーティーで女の子に話しかけるには』でもそうして欲しかったなと思わずにはいられない。

さらに、韓国の映画監督のコメントが目立つ。あの『悪魔を見た』のキム・ジウン「日本映画界に恐ろしい新鋭が現れた」と評している。世界一痛そうなアキレス腱切断シーンを世の中に放ったキム・ジウンに「恐ろしい」と言わせるのだから大したものだ。

そして、キム・コッピの溢れんばかりのキュートと、映画史に残る男泣きを観れる大傑作『息もできない』のヤン・イクチュンも詩的な感想を寄せている。

ジャンルとしてのゾンビ映画を「韓国映画」に昇華した『新感染 ファイナル・エクスプレス』のヨン・サンホも「映画史に残る伝説的なスリラー映画になるだろう」と称賛している。

なんと激賞ばかりである。公式コメントだからして当たり前だ。というのはさておき、同業者からのコメントが多めであり、他の人選も適切な点は他の作品と比べても目を引く。

何より、どこかの新聞の1行コメントや、まるで人格をもったように「98%フレッシュ!」とか書かれるロッテン・トマトがない(日本映画なのだからかもしれないが)一点でも評価できる。

と、信頼できるコメントコーナーを作り上げただけでも、本作は真摯だと言えるし、おそらく断られたケースもあるはずだろうに、結構硬派なラインナップにできたのは、作品の力が確かだからに違いない。

–{類似点とオリジナリティを「さがす」}–

類似点とオリジナリティを「さがす」

ポスターデザインとコメント仕事について書くだけで、既にネットとしては結構な長文になってしまっているが、ここからが本題である。

片山慎三はポン・ジュノの助監督をつとめていたので、紹介される際に前置きとして使われることが多い。本作もまた「ポン・ジュノ風」、あるいは「ポン・ジュノテイストだが、しっかりとオリジナリティをもっている」と多くの人が評価するはずだ。

だが目配せは韓国映画だけではない。一例として、時間軸の設定や後半の怒涛の展開はポン・ジュノではなく、どちらかというとタランティーノに近い。

とはいえ、確かに本作はポン・ジュノ、および骨太な韓国映画の影響を多分に感じられ、いくらでも類似点を見出すことができる。よって韓国に絞って話しを進めるが、そのクオリティは「影響を受けて作りました」「オマージュしてます」なんてレベルではなく、近年だと2016年の韓国映画ラインナップに誇張無く匹敵している。

2016年といえば、『哭声/コクソン』『お嬢さん』『アシュラ』である。とんでもないが、ここに『さがす』をポンと置いても違和感はない。

今「いくらでも類似点を見出すことができる」と書いたが、完全なるポン・ジュノマナーというより、『さがす』は総体として「むちゃくちゃ面白い骨太韓国映画」の雰囲気に満ちている

その結果、佐藤二朗がソン・ガンホに見えてくるわ、清水尋也の顔つきは韓国映画に出てくるシリアルキラーを合成したようなサイコパスっぷりだわ、伊東蒼はキム・ダミばりの存在感だわと、今観ているのは日本映画なのか、それとも韓国映画なのかとシミュラクラを起こしてしまうほどだ。

だがそのなかでも、片山慎三は鮮やかに自分の色を付けてみせる。佐藤二朗はポン・ジュノ作品のソン・ガンホよりも抑えた演技の内に「誰しも持っている」狂気を秘める。必要以上に喋らせず、顔で語らせるのも良い。彼のスキルに対してはもちろん、観客への信頼すら感じられるだろう。多段的なサスペンスが展開される本作において、この信頼感はハーネスのように機能しており、観客は物語から落下することなくエンターテイメントを楽しめる。

佐藤二朗のみならず、本作は無闇矢鱈に言葉で説明しない。顔で語らせる手腕もさすがだが、何より「間」が心地よい。これは韓国映画には見られないオリジナリティだろう。言ってしまえばお笑いや落語の間に近く、最適解としては岡林信康のMCの間に近似している。この緻密に配置された間によって、サスペンスやおかしみが強化される。北野武に近いといえば近いが、フランス産コメディの趣も感じ取れる。

かたや清水尋也演じる名無しは、市橋達也が逃亡劇を繰り広げたリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件、クーラーボックスに死体を詰めた座間9人殺害事件、そして他人の窒息と白い靴下に執着した自殺サイト殺人事件など、それぞれの犯人像をミックスさせたようなキャラクターになっている。韓国サイコパスシリアルキラーっぽくありつつも、その実像は純国産シリアルキラーで、それぞれの事件がまだ記憶に新しいことから、日本の物語であることを強く意識させる。

登場人物以外にも類似点は多い。例えば「汚し」のテクニックは完全にポン・ジュノのそれに近い。ポン・ジュノはタイルや便器の汚し方が異常に巧いし、空間に匂い立つような生活の痕跡を見事につけてみせる。

これは片山も同様で、前作『岬の兄妹』の部屋をはじめとして、本作では智と楓が住む家でもまた、2人が何十年もそこに住んでいたかのような時代がつき、リアリティを構築している。名無しが潜伏するアパートの一室も素晴らしい。生活感を想起させるものが溢れているのに全く生活感がない。無造作に置かれたクーラーボックスは中身を提示せずとも、観客には容易に想像できる。

さらに「汚し」は人にまで及んでおり、各人のスタイリングも自然だ。無茶苦茶に貧乏でズボラな人間なのに、白シャツにシミ・シワひとつない、などという非現実的なルックは1つたりとも無い。

次に脚本についてだが、本作は片山慎三、小寺和久、高田亮の3人体制で書かれている。監督いわく「エンターテイメント性や商業性をより求められている気がした。もう少し作家性の強い方向で考えていたのでその差を感じた。もし自分1人でやっていたら、もっと難解で残虐な方向になっていたと思う」そうで、そちらの方向も観てみたかったなと贅沢な思いももちつつ、エンターテイメント性とサスペンスのバランス感覚でいえば、3人体制にして大正解だと感じる。

無論、3人で書いたがために片山慎三のテイストが薄くなったわけではない。むしろより観客に伝わりやすくなっているし、重めの素材を扱いながらもヌケの良い仕上がりになっているのもプラスだろう。

また「商業映画でもここまでやれるのだ(やっていいのだ)」と周知してくれた点に関しては、万の言葉を費やして称賛されるべきだろう。今後、本作のような映画がもっと作られ、より予算が費やされるきっかけとなれば、こんなに素晴らしいことはないし、逆にこの1本で流れが止まるとしたら、日本映画に未来はない。

さらっと書くが劇伴も素晴らしい。担当した髙位妃楊子は『岬の兄妹』にも参加している。劇中、重要なシーンでかかるクラシック曲の演奏も行っているそうだが、それ以外にも細かな音作りが丁寧で、アベレージが高く、現代対応かつ「のこる」仕事をしている。韓国映画は例え傑作だとしても、なぜか劇伴が凡庸な作品が多いので、この点では凌駕していると言っていいだろう。

–{『さがす』をとにかく観てほしい}–

と、後100項目くらいは書けるのだが、いい加減長いので

なんだか「ここが凄いよ片山慎三の『さがす』」みたいに終始してしまっているが、凄いんだから仕方がない。

『さがす』はさまざまな映画を想起させつつも、片山慎三の刻印がショット毎に押されている。要はマッコリの瓶にすっげぇ美味い日本酒を入れたようなもので、一見、昨今の良作韓国映画のような顔つきをしているものの、飲んでみれば日本、という仕掛けになっている。

ただ、ここに弱みがあって、それは「韓国映画はどんなに薦めても韓国映画好きしか見ない」蛸壺だという点だ。「韓国映画は好きだけど日本映画は見ない」「洋画は見るけど邦画はみない」「邦画なんてみんな一緒で見限っている」なんていうのも同じリージョンで、SNS上では話題になれど見られずにスルーされてしまう可能性も大いに考えられる。

だが、本作の側だけ見て中身を飲まないのは、あまりにももったいない。こんなこと死んでも言いたくないものの、他に適切な言葉が浮かばないので勢いでタイプするが、今、千円札を2枚握りしめて体験できるエンターテイメントとしては、最もコスパが高い。と断言したが撤回する。鑑賞者にとってはコスパが良いかもしれないが、ありとあらゆる意味で本作はコスパが悪い。コスパコスパ言われるご時勢で、このようなコスパの悪い作品が登場したこと自体が、コスパを一瞬で失神させるほどのカウンターである。

とにかく観てほしい。大した説得力はないかもしれないが、味は筆者が保証する。

(文:加藤 広大)

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–{『さがす』作品情報}–

『さがす』作品情報

ストーリー
大阪の下町で平穏に暮らす原田智と中学生の娘・楓。「お父ちゃんな、指名手配中の連続殺人犯見たんや。捕まえたら300万もらえるで」。いつもの冗談だと思い、相手にしない楓。しかし、その翌朝、智は煙のように姿を消す。ひとり残された楓は孤独と不安を押し殺し、父をさがし始めるが、警察でも「大人の失踪は結末が決まっている」と相手にもされない。それでも必死に手掛かりを求めていくと、日雇い現場に父の名前があることを知る。「お父ちゃん!」。だが、その声に振り向いたのはまったく知らない若い男だった。失意に打ちひしがれるなか、無造作に貼られた「連続殺人犯」の指名手配チラシを見る楓。そこには日雇い現場で振り向いた若い男の顔写真があった。

予告編

基本情報
出演:佐藤二朗/伊藤蒼/清水尋也/森田望智/石井正太朗/松岡依都美/成嶋瞳子/品川徹

監督:片山慎三

公開日:2022年1月21日(金)

製作国:日本