<解説>『スティルウォーター』が構想10年を費やした理由

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(C)2021 Focus Features, LLC.

2022年1月14日より映画『スティルウォーター』が公開される。本作は第88回アカデミー賞作品賞および脚本賞を受賞した『スポットライト 世紀のスクープ』(15)のトム・マッカーシー監督最新作だ。

内容を端的に示せば、「殺人罪で捕まった娘の無実を証明するため、父親が異国の地で真犯人を探し出す」サスペンススリラー。物語で難しいところは全くなく、意外な親しみやすさもあり、何より万人がのめり込んで観られるエンターテインメント性も存分。139分という長めの上映時間があっという間に感じられる、文句なしにおすすめできる秀作に仕上がっていた。

しかも、本作の発想元は「実話」。それでいて物語はほぼ完全にフィクションであり、構想に10年を費やした理由も興味深いものになっていた。さらなる作品の魅力を紹介していこう。

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1:シングルマザーとその娘との「ささやかな日常」も綴られる物語

あらすじはこうだ。失業中の元石油掘削作業員のビルは、ガールフレンドを殺害した罪で投獄中の娘のアリソンを救うため、フランスのマルセイユへと向かう。ビルはその地で真犯人を見つけ出そうとするが、弁護士はまともに取り合ってはくれず、さらに言葉の壁や文化の違い、複雑な法制度、探偵を雇う金すらないことなどにつまずいてしまう。やがてビルは、シングルマザーのヴィルジニーとその娘マヤと出会い、彼女たちから協力が得られるようになるのだが……。

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父親が娘の無実を証明するため奔走するという単純明快なプロットに加えて、シングルマザーとその娘との交流が描かれていることが大きな魅力だ。母親は主人公と反発することもあるが基本的には惜しみなく協力をする。その娘はとても可愛らしく主人公にも懐いていく。初めこそ無骨で独善的にも思えた主人公の心持ちも、善良な彼女たちがいたことで変わっていく。

この「ささやかな日常」が描かれていることは、物語上で重要な意味を持つ。主人公は自身の娘の無実を証明すること、ただそれだけが人生の目的になりつつあるのだが、そのせいで危険な行動にも身を投じて、はっきり言って「やりすぎ」な言動もしてしまう。そんな彼に、シングルマザーとその娘は「それ以外の人生の意義」や「正しさ」をも、はっきりとは口に出すことはなくても、それとなく示しているかのようでもあるのだ。

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そして、本作は愛すべき人たちとの絆を描くだけの「良い話」に始終しない。何しろ主人公は決して正しい人間ではなく、自身の娘のためとは言え、間違いも犯してしまいそうな「危うさ」がある。それがどのような行動に繋がり、そしてどのような帰結をするのか。それに至る過程こそがハラハラドキドキのサスペンスであると同時に、娘を第一優先に「しすぎる」父の心情も理解はできるため、「気持ちはわかるけど、それはダメだよ…!」と良い意味でアンビバレントな気持ちに観客を追い込んでくれるのだ。

2:「空白の時間」「演劇」の要素が観客に訴えるもの

もう1つ作劇として特徴的なのは、主人公の娘が無実の罪で逮捕されるまでの出来事を、映像としては映していないこと。物語の開始時点ですでに娘は服役しており、事件から長い時が経っているのだ。

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つまり観客にとっては「空白の時間」があり、それが良い意味で想像力を喚起させる。そして、その事情を主人公から聞いて協力するシングルマザーとほぼ同じ目線で物語を追うことができる、上手い構成がなされているのだ。

シングルマザーが演劇の仕事に取り組み、オーディションを受けているというのも意味深だ。それは彼女が演劇をする時以外にも演技をすることへの伏線でもあり、驚くほどにサスペンスフルなシーンにつながっていく。それらから、複雑な人間の「業」をも受け取れるだろう。

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その「空白の時間」を観客に存分に想像させ、複雑かつエモーショナルな物語に大きな貢献をしたのは、豪華俳優陣の熱演に他ならない。主演のマット・デイモンは泥臭くて「そりゃ娘に嫌われてもおかしくないな」と思わせるも、「放っておけない」人間味があるのでどうしても憎めない。

娘アリソンを演じたのは『リトル・ミス・サンシャイン』(06)でおしゃまな女の子を演じていたアビゲイル・ブレスリンであり、今回は父親への信頼が全くおけない一方で、その行動を心の拠り所にするしかない複雑な心情を見事に体現している。

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シングルマザーを演じたカミーユ・コッタン(2022年1月14日同日公開の『ハウス・オブ・グッチ』にも出演!)、スクリーンデビューとなる子役のリル・シャウバウもさらなる活躍が期待できるだろう。実力派の俳優たちが紡ぐ、「家族」のドラマそのものに期待してほしい。

–{「実話」「地中海暗黒小説」「フランス人の作家の協力」で完成した脚本}–

3:「実話」「地中海暗黒小説」「フランス人の作家の協力」で完成した脚本

この『スティルウォーター』は発想から完成に到るまで約10年を費やしている。その経緯を顧みれば、とても難産な作品であったことがわかるはずだ。

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脚本家兼監督のトム・マッカーシーは、イタリアに留学していたアメリカ人学生がルームメイトを殺害したとして逮捕され、一貫して無実を訴えたものの有罪判決を受け、長期の刑期を言い渡された2007年の実際の事件について強い感心を持った。

さらにトム・マッカーシーは、ちょうどその頃に「地中海暗黒小説」と呼ばれる文学ジャンルにも傾倒しており、ヨーロッパの港町を舞台にしたスリラーを作ることも考えていた。トム・マッカーシーによると地中海暗黒小説の魅力は「事件を取り巻く人物の人生を描写しており、犯罪小説というジャンルを超えている」ことであり、それとセンセーショナルな人間の悲劇が表れた実際の事件と組み合わせた、フィクションの映画を作り上げようとした、というわけだ。

そこでトム・マッカーシーは脚本家のマーカス・ヒンチーと組んでマルセイユを舞台にしたオリジナルの脚本を執筆し始めたものの、出来上がった脚本に満足できず、一旦プロジェクトから離れて『スポットライト 世紀のスクープ』や他作品を手掛けるようになった。

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そして7年後にトム・マッカーシーはあらためて脚本を読み返し、見直しが必要だと考えた際に、フランスの文化、習慣、そして哀愁を熟知したフランス人作家と組むことを閃く。そこで、ジャック・オーディアール監督作『預言者』(09)『君と歩く世界』(12)『ディーパンの闘い』(15)などのトーマス・ビデガン(2022年1月14日同日公開のアニメ映画『シチリアを征服したクマ王国の物語』でも共同脚本を担当!)、同じく『ディーパンの闘い』を執筆したノエ・ドゥブレに協力を依頼。彼らとのミーティングや1週間の缶詰め作業などを含めた執筆作業は、およそ1年半にも及んだという。

超実力派の脚本家が揃ったことで、たゆまないブラッシュアップがされたことは間違いない。劇中の主な舞台となるマルセイユで、現地の人間がフランス語を話し、主人公が言葉の壁や文化の違いにぶつかる様も物語で大きな意味を持っている

さらに劇中では差別主義者への憤りや犯罪が多発する危険な場所への言及があり、そのリアリズムも現地に詳しい脚本家が集ったために培われたものだろう。実際に観れば、わずかなセリフや設定にも奥深さを感じることができ、「脚本の完成度が半端なものではない」ことが如実にわかるはずだ。

4:アメリカの「時代の変化」がもたらしたもの

本作の脚本に大きな影響を及ぼしたことがもう1つある。それは、7年間の空白の期間を経て、時代が変化したことだ。何しろ、初めに脚本が書かれた時のアメリカはオバマ政権だったが、再度読み直したときはトランプ大統領が政権についたばかりだったのだから。

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トム・マッカーシーは、当時に感じていたことをこう振り返る。「トランプ政権が大手を振って、大半のアメリカ人にとっても、また世界中の多くの友好国にとっても、アメリカは方向性を見失ったように見えた。これまで、正義、平等、自由を掲げてきたアメリカが分断していくのを世界中が目撃した。アメリカの道徳的権威は失墜していたのにも関わらず、多くのアメリカ人が“アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)”“ミー・ファースト(自己中心主義)”を強く信じていた」

さらに、「これは、農村などの地方や僻地が何十年にもわたり衰退し、彼らの助けを求める声を政府やビジネスエリートが聞き入れてこなかったことへの反発のように感じた」とも語っている。トランプ現象の裏にアメリカの右派の人々の嘆きがあったことを理解した監督は、それにより「主人公ビルの人物像も深く理解することができた」と語っており、それは同時に今までの脚本に欠けていた幅と視点でもあったのだそうだ。

実際の本編の舞台のほとんどはこれまで書いてきたようにフランス・マルセイユであり、表面上はアメリカを描いていない映画にも思える。だが、主人公の現状は貧困にあえぐアメリカ人市民の代表にも思えるし、そのアメリカ人の主人公に協力するシングルマザーの言動は、アメリカに友好的な(であった)国の風刺にも見えるのだ。

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さらにタイトルに冠されている「Stillwater」はアメリカ・オクラホマ州の実際の都市の名前であると同時に、「溜まり水(Still Water)」というダブルミーニングとも言えるし、それもまた複雑な余韻を残す物語に重要な知見を投げかけている。

結果として、およそ10年間にわたる歳月をかけて完成へとこぎつけた『スティルウォーター』は父が自身の娘を救おうと奔走する単純明快なサスペンス、無骨な男のシングルマザーとその娘との交流のドラマとして存分に楽しめるだけでなく、アメリカの時代の変遷の揶揄も確実に込められている内容となった。ラストの「あの言葉」を鑑みても、それは明白だろう。

おまけ:まさかの「日米構想10年対決」!?

最後に余談だが、本作『スティルウォーター』の公開日である2022年1月14日と同日、同じく「構想10年」が打ち出されていた日本映画が公開されている。『カメラを止めるな!』(17)の上田慎一郎監督・脚本最新作『ポプラン』だ。

『ポプラン』のあらすじは「イチモツがなぜか突然どこかへいってしまったため捜す」という、それだけ聞くと「大丈夫かそれ?」と思ってしまいそうなもの。だが、そんなキテレツさから始まった物語は、独善的だった男が人生を振り返るロードムービーへと展開していき、上田慎一郎というその人の人生観や価値観が表れたドラマとしても面白く仕上がっていたのだ。

何よりの魅力は、主演の皆川暢二が全身全霊で頑張る姿だろう。『メランコリック』(18)では根暗青年に扮していた彼が、この『ポプラン」ではマンガ配信で成功したイケメン敏腕社長となっており、とても同じ人だとは思えない。『ポプラン』劇中ではカッコ悪いはずの姿でさえもカッコよく、本作を観れば誰もが皆川暢二のファンになるのではないだろうか。「イチモツがなくなる」というイロモノのようなアイデアも、「有害な男らしさ」の批判と考えると奥深いものがある。

もちろん、構想が長ければ必ず面白くなるというわけではない。だが、作品外での「作り手の(昔年の)思いや価値観」が伝わるというのも創作物の面白さの1つであるし、『スティルウォーター』と『ポプラン』は間違いなく長い時代の変遷があってこその物語が紡がれた作品だった。両者は独善的な男が主人公であり、大切な人との出会いや再会によって、成長する様が描かれていることも共通している。ぜひ、ジャンルや作風は全く異なるものの、「構想10年」の重みと、だからこその魅力のある映画を期待して、劇場へと足を運んでほしい。

(文:ヒナタカ)

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–{『スティルウォーター』作品情報}–

『スティルウォーター』作品情報

【あらすじ】
オクラホマ州スティルウォーター。失業中の石油掘削作業員ビル(マット・デイモン)は、ドラッグとアルコールの乱用で過酷な人生を送ってきた。彼は、過去の過ちを償おうと、疎遠になった娘アリソン(アビゲイル・ブレスリン)と再会するためマルセイユへ向かう。アリソンはマルセイユに留学中、ガールフレンドのレナを殺害した罪で9年の刑に服しながらも、無実を訴え続けていたのだ。アリソンから潔白を証明する新たな手がかりを得たビルは、弁護士に再調査を求めるが、まともに取り合ってもらえない。しかしビルは、娘の信頼を取り戻し、父親として認めてもらうため、アリソンが真犯人と信じる男、アキム(イディル・アズーリ)を自らの手で探し出そうとする。異国の地で言葉の壁や文化の違い、複雑な法制度につまずきながらも、知り合ったシングルマザーのヴィルジニー(カミーユ・コッタン)やその娘マヤ(リル・シャウバウ)の協力を得て奮闘するビル。果てしない捜索が続く中、ヴィルジニーやマヤとの絆は次第に深まっていく。それは彼にとって、自分ではどうにもならないと思っていた運命からの解放につながる旅でもあったのだ。やがて、思わぬ形で事件の証拠を入手。だがそれにより、ビルは新たに手に入れた人生をぶち壊し、娘への償いのチャンスまでも失いかねない苦渋の決断を迫られることになる……。 

【予告編】

【基本情報】
出演:マット・デイモン/アビゲイル・ブレスリン/カミーユ・コッタン/リル・シャウバウ/イディル・アズーリ/ほか

監督:トム・マッカーシー

脚本:トム・マッカーシー/マーカス・ヒンチー/トーマス・ビデガン/ノエ・ドブレ

映倫:G

製作国:アメリカ