映画に関する知識がまだほとんどなかった中学生時代、映画雑誌に載っていた映画『ベニスに死す』(71)のスチル写真の中のビョルン・アンドレセンを見て、しばらくの間は彼のことを少女だと勘違いしていました。
まるで美少女のような美少年の彼のことを、『ベニスに死す』の監督ルキノ・ヴィスコンティは「世界で一番美しい少年」と語りました。
そのアイコンは彼の人生を大きく狂わせていくことになります。
そして近年、日本でもヒットした『ミッドサマー』(19)にヒゲモジャの老人ダン役で彼が出演しているのを知って、驚いた往年のファンも多かったはず。
(というか、事前の知識がないと、おそらくは誰も気づかないほど変貌していた!)
世界中の女性はもとより男性をも魅了し、1970年代日本の美少年カルチャ―の原点として知られるビョルン・アンドレセンのおよそ半世紀に及ぶ苦悩の人生を綴ったドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』。
それは美少年というレッテルに苦しめられた男の地獄を通して、映画業界や芸能界、さらにはアイドルやタレントなどに夢中になるファン気質までも包括した人生の闇と光を濃密に描出し得た秀作です。
『ベニスに死す』出演がもたらした人気と苦悩
まず映画『ベニスに死す』のことから解説しておきましょう。
これはイタリア映画界を代表する世界的名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督が1971年に発表した作品です。
トーマス・マンの小説を原作に、ドイツの老作曲家(ダーク・ボガード)が静養のために赴いたイタリアのベニスで、究極の美を体現したかのような美少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)と出会い、心奪われ、やがて朽ちていくまでを壮大な交響詩のように捉えた愛と死と美の映画。
『ベニスに死す』(C) 1971 Alfa Cinematografica S.r.l. Renewed 1999 Warner Bros., a division of Time Warner Entertainment Company, L.P. All Rights Reserved.
そして本作『世界で一番美しい少年』はプロローグを経て、ヴィスコンティ監督が数千人の候補者の中から、当時15歳だったスウェーデンの新人俳優ビョルンをタジオ役に抜擢する際のオーディションの模様が映し出されます。
貴族の出身で、滅びゆくものに耽美的かつ豪華絢爛たる情緒を盛り込むことに長けたヴィスコンティは、同性愛者でもありました。
その伝ではここに収められたオーディション風景も、まだおどおどしているビョルンを裸にさせるなど、どこか微妙な目線を感じないでもありません。
(もっとも、そうした微妙な目線あればこそ、ヴィスコンティ映画は常に耽美な要素を湛え続けていられたのも事実ではありますが……)
撮影中、ヴィスコンティが現場スタッフにビョルンと目を合わせることをも禁じていたという独占欲も、映画そのものには大きく貢献しているようにも思えます。
しかし映画が完成した後、ほんの少しだけ大人に成長したビョルンを、ヴィスコンティはカンヌ国際映画祭での記者会見の席で「年寄り」などと魅力が衰えているかのごとき発言をし(それは冗談だったのか否か、今もよくわかりませんが)、その後パリのゲイ・クラブへ連れていき、客の見世物にした(つまりは未成年への精神的な性的虐待?)と、ビョルン自身が衝撃の発言。
ビョルンを育てた祖母も金に目がくらんだか、エージェントと結託して彼を強く日本へ行かせることを勧めます。
日本でも大ヒットしていた『ベニスに死す』人気にあやかり、来日したビョルンは長期滞在し、日本語歌詞のレコードを出すは、CMに出るはで大忙し。
時にクスリまで飲まされながらのハード・スケジュールであった事実を、本作は現在の彼を日本に連れてきて当時の仕事仲間たちと再会させながら、その複雑な記憶を思い起こさせていきます。
当時の日本でのビョルン人気も異様なほどで、彼の髪の毛を切ろうとしたファンも出現するなど、自身は神経がすり減る日々だったようです。
しかしここでは日本のファン代表として漫画家の池田理代子が登場し、ビョルンの存在がいかに70年代の少女漫画に影響を及ぼしたかが語られます。
あの『ベルサイユのばら』の主人公オスカルも、実はビョルンをモデルにしたキャラクターだったのでした。(本作の中で、TVアニメ版「ベルばら」の名シーンも拝めます!)
このように彼自身はわけのわからないような10代後半の日々ではあったものの、その存在は確実に日本の、ひいては世界中の美少年カルチャーを盛り上げていったことも紛れのない事実なのです。
本作の中で池田理代子がビョルンを前に、ファン気質について語るほんの少しのショットとその発言がすこぶる印象的で、これは今のアイドルやタレントに夢中になる若い世代がぜひとも胸に刻んでおいてほしい名言でしょう。
(それが何であるかは、直接映画をご覧になって確かめてください)
–{母と父、自身の家族への 忸怩たる想い}–
母と父、自身の家族への忸怩たる想い
『ベニスに死す』の後の1970年代前半のビョルン・アンドレセン人気は、確実に彼の心をどこか捻じ曲げ、追い込んでいきました。
特に「世界で一番美しい少年」というアイコンは、もともと明るく健康的だった少年に多大なストレスを与えてしまったようです。
そして映画は後半、ビョルン自身の母親の死と、未だに誰かわからない父の話、そして自分自身が良き父親になれなかった忸怩たる想いなどが切々と綴られていきます。
そうした苦悩が、『ベニスに死す』の頃からは想像もつかない現在の老いさらばえた姿に象徴されるかの如く画面に映し出されていきます。
アパートを追い出されようとしていたり、現在の恋人からはブタ呼ばわりされるなど(風貌そのものはガリガリなのに)、まるで良いことなどないかのような彼ですが、一方では白髭&白髪の細身姿から醸し出される哀愁は、美少年時代にはない自由な人間そのものとしての魅力が感じられるのも確かなのです。
本作の日本公開に寄せた彼のメッセージの中で「本当に好きな国」と、久しぶりに日本に帰って撮影できたことを喜んでくれているのも、正直嬉しいものがありました。
(パンフレットの中にも掲載されていると思われます)
当時は大変な想いをしてはいても、池田理代子はもとより真摯なファンの存在は、やはり彼にとってありがたいものであったことも、今では深く認識してくれてくれているのでしょう。
その伝では、アイドルであれタレントであれ何であれ、すべからくファンとはそういう存在であってほしいもの……。
そういった想いまで喚起させてくれる作品でもありました。
劇中では正直痛々しく聞こえてきたもののエンドタイトルでは不思議と胸に響いてきた、彼が日本で発売したレコード〈永遠にふたり〉、ちょっと中古屋とか探してみようかな。
(ちなみに彼は今も歌えるようです)
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(文:増當竜也)
–{『世界で一番美しい少年』作品情報}–
『世界で一番美しい少年』作品情報
ストーリー
当時15歳のビョルン・アンドレセンは巨匠ルキノ・ヴィスコンティに見出され、映画「ベニスに死す」のタジオ役に抜擢された。1971年に公開されるやビョルンは“世界で一番美しい少年”と称賛され、一大センセーションを巻き起こした。来日した際には熱狂的なファンが詰めかけ、日本のカルチャーに大きな影響を及ぼしている。しかし彼の瞳には、憂いと怖れ、生い立ちの秘密が隠されていた。それから50年後、伝説の少年は「ミッドサマー」の老人ダン役となり、その変貌ぶりが話題に。ビョルンはあの熱狂の渦中にあった頃に訪れた東京、パリ、ベニスへ向かい、自らの栄光と破滅の軌跡をたどる。
予告編
基本情報
英題:The Most Beautiful Boy in the World
出演:ビョルン・アンドレセン/池田理代子/酒井政利 ほか
監督:クリスティーナ・リンドストロム & クリスティアン・ペトリ
公開日:2021年12月17日(金)
製作国:スウェーデン