試写を観た翌日くらいから「いやぁ、今度ザ・スミスの映画やるんですけど、あれ面白いっすよ」と勝手に宣伝しまくっていたのだが、返ってくる言葉の1位は
「え? ドキュメンタリーやるの?」
である。2位には
「え? ボヘミアン・ラプソディみたいな感じ?」
が堂々ランクインする。そりゃそうだ。最近その手の映画が多かったので、単純に「ザ・スミス」の映画と聞いたら上記のような内容を想像するだろう。だが、『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』は、そのいずれとも異なる。
「いや、そういう感じじゃなくてですね。ある日アメリカの片田舎にザ・スミス解散のニュースが走るんですよ。それで『もうこれは一大事だ。町の皆に伝えなくちゃ』ってんで、レコード屋で働いてる奴が銃持ってメタルのラジオ局行くんですよ。それでDJに銃突きつけて、このDJの名前がフルメタル・ミッキーってだけでもう最高なんですけど笑 で、片手で銃を構えながらアタッシュケースを開けて『これをかけろ』つって、ケースの中にはザ・スミスのレコードが入ってるんすよ!」
と、だいたいこのあたりで誤解を解くことに成功する。ザ・スミスのファンがメタルのラジオ局に単身乗り込んで、番組をジャックし、街中のラジオからザ・スミスの楽曲を響かせる。こんな設定面白いに決まっているではないか。
物語はラジオ局をジャックしたディーン(エラー・コルトレーン)の状況と、同じくザ・スミスファンであるクレオ(ヘレナ・ハワード)と友人3人による「お別れパーティー」の様子を交互に描く。ディーンサイドはラジオDJに銃を突きつけながらの心温まる交流を描き、クレオサイドは、彼女の元カレであるビリー(ニック・クラウス)が翌日米国陸軍に入隊するので、最後の晩を馬鹿騒ぎして過ごす様子が映し出される。
要は青春音楽映画である
のだが、前述した「ザ・スミスの映画」として認知してしまうと見逃してしまう人も多いだろう。また、ガチで「ザ・スミスの映画」だと思って観に行ったら、モリッシーもジョニー・マーも出てこない単なる青春映画だった、なんていうミスマッチが起きてしまう可能性もある。
本作はあくまで「青春音楽映画」である。じゃによって、極端な話ザ・スミス以外でも代用可能だ。たとえば、オアシス解散のニュースに衝撃を受けたレコード屋のファッキン店員が銃を持ってラジオ局をジャックする話でも問題なく駆動する。オアシスの部分はザ・クラッシュでもいいし、ザ・ビートルズでもいい。エルヴィス・プレスリーでもいい。年代は80年代だが、50年代だろうが60年代だろうが90年代だろうが、どの時代でも代入できる。
要は「自分が大好きなバンドが解散してしまったので、皆に知らせようとしてラジオ局をジャックする」というアイデアと、普遍的な「アメグラみたいな青春感」といった基本構造が強いので、別にザ・スミスのファンでなくとも容易に移入できるし、楽しめる内容になっている。なので、青春音楽映画やワンナイトものが好きという人にはぜひ観て欲しい。
–{青春音楽映画を彩るメタル・ゴッド}–
青春音楽映画を彩るメタル・ゴッド
『アメリカン・グラフティ』にウルフマン・ジャックが居るように、本作にはラジオDJ、フルメタル・ミッキー(ジョー・マンガニエロ)が登場する。
ミッキーの役どころはまさしく天使で、ディーンの脅迫に従いながらも、彼と抱腹絶倒の音楽談義をするわ、時折諭すような会話をするわ、とにかく「いいもん」として描かれる。
「メタルを聴いてるコワモテが実はいい奴だった」というのは「不良が川で溺れている猫をずぶ濡れになりながら助ける」くらいステレオタイプで、メタルに対する大いなる偏見だし、時代錯誤な描写だとは思いつつも、もうこれが最高で、ディーンとザ・スミスVSメタル・ミュージックのバック・トゥ・バックをおっ始めたら歴史に残る作品になっていたと思うが流石にそれはなかった。
本作がシリアスになりすぎず、そこまでダレもせず、要所要所をコメディタッチで描けているのは完全にフルメタル・ミッキーのおかげで、キャスティングも含めて大成功している。ネタバレになるので詳しくは書けないのだが、彼がある行動をとるに至っては、もう、本作の主人公はクレオでもディーンでもなく、フルメタル・ミッキーだったのだと納得してしまうほどで、とにかく素晴らしい。
再び、本作は「自分が大好きなバンドが解散してしまったので、皆に知らせようとしてラジオ局をジャックする」というアイデアと、普遍的な「アメグラみたいな青春感」といった基本構造に、天使、もといメタル・ゴッドとしての「フルメタル・ミッキー」が添加されることで、全体のバランス感覚が強化される。
またまた再び、青春音楽映画やワンナイトものが好きという人、そして『ハイ・フィデリティ』のように、と書くとやりすぎかもしれないが、「ちょっぴり気の利いた、笑える音楽談義」が出てくる映画が好き、なんて方にもぜひご覧いただきたい。
90年代とか00年代初頭の、レンタルビデオ屋のあの感じ、覚えてますか?
本編とはまったく関係ないのだが、90年代とか00年代初頭、あるいはそれ以前にレンタルビデオ屋に通っていた方にとって、本作はノスタルジーを発生させる装置にもなりえる。
レンタルビデオ屋に行って、何の前情報もなしにVHSやDVDのパッケージを眺める。ジャケット借りするときもあれば、裏面のあらすじに興味が湧いたから借りるときもある。
『スモーク』でも『ハイ・フィデリティ』でも『奇人たちの晩餐会』でも『WiLD ZERO』でも何でも良いが、あの頃並んでいた小品の映画に近い、今や懐かしきテイストと空気感が、『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』にはある。というか、一緒に並んでいてもぜんぜんおかしくない。
そんなビデオ屋で「何の前情報もなしにVHSやDVDのパッケージだけを観てレンタルした映画が、けっこう良かった」なんて作品は意外と記憶に残るもので、その記憶は5年後、10年後とかにいきなり蘇ることがある。
その際に発生する「ああ、あの映画面白かったな、懐かしいな」といったノスタルジーに浸るのは、少しだけ哀しいけれど、それなりに心地よい。本作もまた、かつて観たウェルメイドな小品映画と同様に、「後に懐かしがれる力」をもっている作品だといって差し支えないだろう。
ところで、「今、観られるべき映画」というのは便利なクリシェだが、『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』は「いつ観てもいい映画」である。あらゆる作品があっという間に考察され、型にはめられてしまう現在で、単純に「ああ、けっこう面白かった」と誰かに話したり、便所で、布団のなかで、まさしく独り言を呟けたりする作品の価値はいかほどか。低いわけがない。
–{『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』作品情報}–
『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』作品情報
【あらすじ】
1987年、コロラド州デンバー。スーパーで働くクレオ(ヘレナ・ハワード)は、大好きなザ・スミスの解散を知らせるニュースが流れても普段と変わらない日常に傷つき、「この町の連中に一大事だと分からせたい」とレコードショップの店員ディーン(エラー・コルトレーン)に訴える。ディーンはクレオをデートに誘うが、友達が軍隊に入るので仲間と集まるためクレオは出かけていく。1人になったディーンは地元のヘビメタ専門のラジオ局に行き、DJに銃を突きつけ、ザ・スミスの曲をかけろと告げる。そのころ、クレオ、ビリー(ニック・クラウス)、シーラ(エレナ・カンプーリス)、パトリック(ジェームズ・ブルーア)の仲良し4人組はパーティーでバカ騒ぎしながらも、自分自身や将来のことを思い悩んでいた……。
【予告編】
【基本情報】
出演:ヘレナ・ハワード/エラー・コルトレーン/エレナ・カンプーリス/ニック・クラウス/ジェームズ・ブルーア/ジョー・マンガニエロ
監督:スティーヴン・キジャック
脚本:スティーヴン・キジャック
原案:ロリアンヌ・ホール
上映時間:91分
映倫:G
製作国:アメリカ・イギリス