2021年11月5日から東京・渋谷Bunkamuraル・シネマにて「ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも」と題して、ドイツ映画界の名匠ヴィム・ヴェンダース監督作品の特集上映が開催中です(以後、全国順次開催予定)。
1980年代から90年代にかけて我が国のミニシアター・ブームを大いに牽引した存在でもあるヴェンダース。同時代的に彼の作品をほぼほぼリアルタイムで見続けてきた身としては、正直、彼に対して“巨匠””名匠”といった大仰な冠をつけるのもおこがましいほどで(もっともその受賞歴などはまさに世界的大巨匠のレベルではありますが)、ごくごく当然のように映画に寄り添いながらの映画を自然体で発表し続けている真のシネフィルであるともいえるでしょう。
2部構成で編成されたレトロスペクティブ
まずは今回の上映作品ですが、第1部と第2部に分けてのラインナップが組まれています。
[第1部]2021年11月5日(金)~11月25日(木)
『都会のアリス』(74)2Kレストア版
『まわり道』(75)4Kレストア版
『さすらい』(76)4Kレストア版
『アメリカの友人』(77)4Kレストア版
『パリ、テキサス』(84)2Kレストア版
[第2部]2021年11月26日(金)~12月16日(木)
『東京画』(85)2Kレストア版
『ベルリン・天使の詩』(87)4Kレストア版
『都市とモードのビデオノート』(89)4Kレストア版
『夢の涯てまでも ディレクターズカット』(94)4Kレストア版
『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』(99)
この中で『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』以外はすべてヴェンダース監督自身の監修によるレストアが施されたものなので、まさに初公開時さながらの印象をもたらすことができていることでしょう。
また『夢の涯てまでも ディレクターズカット』は、本邦初の劇場公開となる287分の超大作となります(日本での初公開時は158分、ヨーロッパ版は179分でした)。
今回の作品群を1本1本解説していったらきりがないほどではありますが、総じて彼の映画は人生そのものの旅、そして各々が生きる都市を限りない映画愛を通しながら訴えていくロード・ムービー的なスタイルにあるように思えます。
(レトロスペクティブの詳細は、以下をご参照ください)
ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ 公式サイト
https://wenders-retrospective2021.com/
–{ヴィム・ヴェンダースの映画的キャリア}–
ヴィム・ヴェンダースの映画的キャリア
ヴィム・ヴェンダースは1945年8月14日、ドイツのデュッセルドルフに生まれました。
66年に画家を目指してパリへ赴き、この時期に1日5本以上の映画を見る日々を過ごしていたとのこと。
67年にドイツに帰国してミュンヘンテレビ・映画大学に入学し、映画批評活動を始めるとともに短編映画の制作に取り組むようになります。
1970年、モノクロの16ミリ・フィルムを用いて初の長編映画『都市の夏』を監督し、72年『ゴールキーパーの不安』で第32回ヴェネチア国際映画祭国際映画批評家連盟賞を受賞。
ここから徐々にヴィム・ヴェンダースの名前が知れわたるようになっていきますが、そんな彼が続けて手掛けたのが『都会のアリス』(74)『まわり道』(75)『さすらい』(76/カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞など受賞)と、後に“ロード・ムービー三部作”とも称される作品群で、このあたりから彼はニュー・ジャーマン・シネマの旗手として一気に注目を集めていきます。
この後はタッチを変えてパトリシア・ハイスミス原作のサスペンス映画『アメリカの友人』(77)をデニス・ホッパー&ブルーノ・ガンツ主演で撮り、死期の迫った名匠ニコラス・レイ監督の姿を捉えた『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(80)などを発表。
この時期、日本ではまだまだ海外のインディペンデント映画が容易に見られる時代ではありませんでしたが、1977年に『まわり道』『さすらい』『アメリカの友人』を含むニュー・ジャーマン・シネマ作品群が上映されたことで、ようやくヴェンダースの存在も映画マニアの間に浸透していくことになりました。
そして1980年代に入ってミニシアター・ブームが到来し、またビデオ・ソフトの普及なども功を奏して、彼の作品群が比較的容易に見られるようになっていくのです。
(『都会のアリス』も1988年にようやく劇場公開されました)。
–{日本におけるミニシアター・ブームを牽引する存在}–
日本におけるミニシアター・ブームを牽引する存在
1981年に発表した『ことの次第』(日本では83年に公開。今回は残念ながら上映なし)は第39回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞していますが、実はこの作品、その前にアメリカで監督した『ハメット』(82/日本公開は85年。今回は上映なし)の撮影中、幾度も製作総指揮のフランシス・フォード・コッポラとぶつかり合って撮影が中断したことなどをきっかけに育まれた作品でもありました。
いわゆるハリウッド方式の映画作りは、彼にとってそぐわないものが大いにあったのでしょう。
(もっともコッポラも映画作家主義を貫く名匠であり、特に当時はハリウッド的にも異端児でしたから、映画作家同士の資質の確執もあったかとは思われます)
そんなヴェンダースが心機一転で取り組んだのが『パリ、テキサス』(84/日本公開は85年)で、これはアメリカを舞台に、ひとりの男の放浪と、妻子との再会を描いたロード・ムービー。
こうした原点回帰も認められたか、本作は第37回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、日本でもこの手の作品としては異例の拡大興行を採ったところ、東京では8週間のロングランとなり、ついにヴィム・ヴェンダースの名声が一般の映画ファンにまで定着した感がありました。
1985年には日本ロケによるドキュメンタリー映画『東京画』を発表しますが、これは小津安二郎監督へのオマージュであり、この作品によって当時の若い映画ファン(特に邦画を見ない洋画ファン)に小津映画への興味を大いに募らせ、ひいてはその後の世界的小津リスペクトにまで結びついていったようにも思えます。
そして1987年、彼はおよそ10年ぶりに本国ドイツ(西ドイツ)に戻って『ベルリン、天使の詩』を監督し、第40回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞するとともに、東京・日比谷シャンテにて公開されるや30週のロングランとなり、ここに至り日本のミニシアター・ブームを揺るぎのないものへと決定づけることにもなりました。
(ちなみにこの作品、98年に『シティ・オブ・エンジェル』としてハリウッド・リメイクされています。また『ベルリン~』も93年に続編『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』が作られ、こちらも話題になりました)
1989年には日本を代表するファッションデザイナー山本洋司のドキュメンタリー映画『都市とモードのビデオノート』を、フィルムとビデオの双方を駆使して撮影。
そう、彼の作品はフィルムであったりビデオであったり、その時々の旬の撮影メディアを縦横無尽に駆使して魅惑的に描いたものが多いのです。
一方で本作はその邦題が物語っているように、、ロード・ムービー的資質とは別に彼の作品群に内包する、いわゆるヴェンダース独自の都市論もより露になっているのでした。
–{ヴェンダース映画のキャストは映画ファンにとっての天使}–
ヴェンダース映画のキャストは映画ファンにとっての天使
1991年には長年の宿願でそれまでのヴェンダース作品の集大成ともいえる『夢の涯てまでを』(日本公開は92年)をドイツ、アメリカ、日本、フランス、オーストラリアというまさに多国籍での映画制作を象徴するかのような合作スタイルで完成。
当時としては未来の1999年、核衛星の墜落が予測されて世界中が不安と恐怖にさらされているというSF設定の中、ヴェネチア、パリ、ベルリン、東京などを渡り歩くヒロイン(ソルヴェーグ・ドマルタン)の奇妙な旅が描かれていきます。
ウィリアム・ハートやサム・ニール、ジャンヌ・モロー、マックス・フォン・シドーなどの名優がズラリ揃う中、日本からもヴェンダースが愛してやまない小津映画の象徴的人物で『東京画』にも出てもらった名優・笠智衆や、竹中直人、藤谷美和子らも出演。
実はヴェンダース作品は総じてキャスティングがユニークで、決してスターシステムにおもねることなく、あくまでも自身の映画的体験を豊かに育ませてくれた映画人に声をかけては、ときに即興演出も辞さないスタイルを以って、それぞれの魅力を開花させています(映画監督など作り手の出演も多数あります)。
『まわり道』はナスターシャ・キンスキーのデビュー作ですが、それから時を経て『パリ、テキサス』で再び彼女を起用し、結果として彼女の代表作となりました。
『アメリカの友人』のブルーノ・ガンツも『ベルリン、天使の詩』の主人公・守護天使を演じ、さらにはこの作品「刑事コロンボ」でおなじみピーター・フォークが何と元天使という設定の本人役で出演しており、当時は多くのコロンボ・ファンを喜ばせてくれたものでしたね。
(そう、彼の映画にとって出演者はみな、映画ファンにとっての「天使」みたいな存在なのです)
『パリ、テキサス』の主演ハリー・ディーン・スタントンに至っては、ハリウッドの個性派名脇役が主演の映画を見ることが出来ただけでも奇跡的な幸せだったのです。
ヴェンダース監督は音楽にも精通しており、そのつど劇中で流れる曲に繊細に気を配っていますが、『パリ、テキサス』ではライ・クーダーを起用し、彼がつま弾くボトルネック・ギターの切ない調べは一生ものの響きとして、映画に接する側の心を潤わせてくれています。
そのライ・クーダーとキューバのベテラン・ミュージシャンたちとのセッションを収めた1999年の音楽ドキュメンタリー映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(日本では2000年に公開)は、これによって彼らの存在を世界中にアピールすることにもつながっていくのでした。
21世紀に入ってからのヴェンダース監督の活動はまた折を見て語る機会を持ちたいものですが、とりあえずは1970年代から1999年までのおよそ30年間の功績を、今回ノレトロスペクティブで体感していただければ幸いです。
今ふりかえると、少なくとも日本においてあの時期、ヴィム・ヴェンダースの存在あってこそ、ミニシアターを含む映画的状況の数々が盛り上がっていったと記憶していますし、こうしてつらつら書きなぐっていくうちに、それはもう確信に近いものとなってしまっているのでした。
(文:増當竜也)
ーーーーー
cinemas PLUS コミュニティを作りました!
・お気に入りの著者をフォロー&記事のブックマーク
・ムビチケや独占試写会プレゼントのご案内
・週2回メルマガ配信
今後もコミュニティ会員限定のプレゼントやイベントを企画予定!
コミュニティ登録はこちらから↓
https://cinema.ne.jp/auth/register