「困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。」
この冒頭文を目にして、まさか苗字が4回も変わっている少女の心情だなんて、誰が思うだろうか。
令和最大のベストセラー小説と名高い、瀬尾まいこ原作「そして、バトンは渡された」がついに映画化。2021年10月29日の公開より映画館は連日賑わいを見せている。小説の発行日は2018年2月22日。3年も経たないタイミングで映画化とは、噂通りなかなかの人気作であることが伺える。
本記事では「そして、バトンは渡された」の原作・映画両方の魅力に触れつつ、違いを解説する。
※本記事には、作品に関わる重要なネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
原作→映画における『そして、バトンは渡された』成功の理由
キャスティング
原作→映画化において、最も期待であり懸念とされるキャスト。
パズルのピースがスイスイはまったかのような素晴らしいキャスティングだったところも、映画においても人気を博している理由の1つだろう。
まずは、母親が2回、父親においては3回変わっているという複雑な家庭事情を持つにも関わらず、日々周囲に笑顔を撒き散らし(決して無理をしているわけでもなく)、考え方がやけに冷静で大人な主人公・優子に永野芽郁。
彼女の母が原作の大ファンで「実写化したら芽郁に演じて欲しい」と言っていたそう。こんな最高な親孝行、他にある?いや、ない。
次に、優子にとって最後の育ての親である森宮さんに田中圭。
「女子高生がお父さんにしたい芸能人ランキング」で3年連続堂々の1位を獲得している彼に、びっくりするくらいに不器用だけど誰よりも優子のことを思う親バカな義父を演じさせるとは、世の中の全JKを泣かせる気なのか。
そして、優子の育ての母であり、優子をはじめとし多くの人々の人生を狂わす魔性の女・梨花に石原さとみ。様々な作品で”あざとい女”を演じてきた彼女に、この役柄がハマらないわけがない。
梨花の登場シーンから石原さとみワールドに引き込まれるので、要注意。婚活パーティ会場で男性に囲まれている女性の背後に近付きわざとファスナーを下ろしたと思いきや「背中のファスナー、開いてるわよ」と親切心を装って声をかける潔いずる賢さ、逆に好きです。
他、優子の生みの父親・水戸さんに大森南朋、2人目の父親・泉ヶ原さんに市村正親、優子の後の結婚相手・早瀬くんに岡田健史、同級生の千聖に萩原みのりと、大御所俳優から今をときめく若手俳優が名を連ねる。
原作の解釈・脚色
また原作→映画化において、”原作を先に読むべきか映画を先に観るべきか問題“も非常に悩ましい。
作品によって異なるが、『そして、バトンは渡された』に関しては映画を先に観てから原作を読んでほしい。
それは、原作と映画で異なる3つの違いがあるからだ。
そもそもとして、原作→映画化において、原作がそのまま映画化されるなんてことは1ミリも思っていない。何百ページにも渡る一冊が2〜3時間に凝縮される過程で、一部が切り取られたり、若干異なった表現になることは当然。また、想像上の人物が実写化されるというハードルも高い。
重要なのは、原作がどのように脚色されるのか、ということ。
『そして、バトンは渡された』の映画化にあたって、原作の適切な解釈を行なったと感じた箇所として、【物語全体の細かい描写】【森宮さんの人物像】【梨花の死】この3点を挙げたい。
本記事では「映画を先に観てから原作を読んでほしい」とおすすめしているが、原作を先に読んだ場合でも映画は大いに楽しめる。先に原作を読むなら「あの部分、こういう風になったのか~」と謎の優越感に浸れるはず。ある意味で”アナザーストーリー”として観るのもアリかもしれない。
ここからは、原作と映画で異なる3つの違いについて深堀りしていく。
※次ページ以降、ストーリーのネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
–{物語全体の細かい描写:映画化にあたり”最適解”な脚色}–
物語全体の細かい描写:映画化にあたり”最適解”な脚色
優子を取り巻く環境
映画では、物語全体の細かい描写に大きな違いや描かれていない部分が多々ある。420ページもの大作なのだから、そりゃそうなのだ。
まずは、同性の同級生からの優子への嫉妬心と、優子を取り巻く男子たち。
原作では優子・萌絵・史奈という仲良し3人組がどんどんこじれていく様子が鮮明に描かれているが、映画では冒頭から、優子は完全に”妬まれている”対象だった。
その証拠に、飛び抜けて得意ではないピアノの伴奏者としてクラスメイトから多くの票を入れられていたりする。それもこれも、みんな受験勉強に集中したいからだ。
そして、そんな中でもいつでも誰にでも笑顔を見せて「心配してくれてありがとう」などとスルーする優子。ありゃ妬んでる側としてはますます憎くなっても致し方ない。
優子を取り巻く男子たちも、映画では大幅にカットされている。
映画ではほぼほぼ早瀬くんのみで野球部の浜坂くんでさえチラッとしか出てこないが、原作では浜坂くんが球技大会の実行委員に優子を誘う甘酸っぱい描写や、一組の関本くんに告白されていたという事実、合唱コンクールの伴奏者で一緒になったことから早瀬くんのことを気になりはじめるものの三組の脇田くんと付き合いはじめるなど、想像通りモテモテな優子。梨花の影響をしっかり引き継いでいるらしい。
……ちなみに、原作の浜坂くんに思いを寄せられるところでの「委員を共にした二人が恋人になるのは、よくあることだ。」という一文に、学生時代の”あの頃”がフラッシュバックしてこっ恥ずかしい気持ちになったことは内緒。
ピアノ
次に、優子が早瀬くんと親しくなるキッカケとなる”ピアノ”に纏わるところ。
原作では”合唱コンクール”のピアノ伴奏者となっているところが、映画では”卒業式”のピアノ伴奏者に。行事が異なるので、もちろん合唱曲も違うものになっている。
ここは、圧倒的に映画の”卒業式”描写が本当に素晴らしかった…。卒業式という行事自体、思わず涙を誘うものであるということは前提として、合唱曲が「旅立ちの日に」だったことに、私の涙腺は崩壊した。
20〜30代の卒業式の定番曲である「旅立ちの日に」。無論、私のときもこの曲だった。それこそピアノ伴奏者ではなかったものの指揮者を務めたということもあり、尚このシーンにはジーンとさせられた。素晴らしい脚色に感謝。
他、早瀬くんとの関係値や、優子の短大卒業後など、原作と映画で異なる描写は多々ある。が、どれも映画化にあたり最適解な脚色であることは間違いない。
–{森宮さんの人物像:”原作のまま”の森宮さんも、ちょっと観たかった}–
森宮さんの人物像:”原作のまま”の森宮さんも、ちょっと観たかった
原作でも映画でもキーパーソンとなっている、森宮さん。森宮さんの人物像にも、大きな違いがあった。
血の繋がらない娘・優子のためになんでもしたいという思いから生まれる”不器用さ”と、それを生み出す”人としてのズレっぷり”、ここは共通しているのだが、田中圭演じる森宮さんは、原作とは違って”誰もが羨ましがる理想のお父さん”そのものだった。
決して原作の森宮さんが理想のお父さんではない、ということではないのだが、原作の森宮さんは”不器用さ”や”人としてのズレっぷり”が顕著に浮き彫りになっていたのだ。
優子が高校三年生を迎える始業式の朝、「母親は子どものスタートの日にかつを揚げるって、よく聞くもんな」と、受験日でもないのに意気揚々とカツ丼を用意する森宮さん。
ここまでは「かわいいなぁ」くらいに思えるのだが、「森宮さんは食べないの?」と質問する優子に「俺、朝からカレーでも餃子でもいけるんだけど、さすがに揚げ物はなあ。」と答える森宮さん。
「いやいやそんだけ重いもん食べさせとるやないかい」と全私が総ツッコミした。
また、読んでいるとクスッとなってしまうほどの厭味ったらしさも原作の森宮さんには健在。
早瀬くんとの結婚に猛反対する森宮さんをなんとか説得しようと、他のお父さんから承諾を得る”囲い込み作戦”を実行しようとする優子に「へえ。泉ヶ原のおっさん賛成だったんだ。案外ちょろいやつだったんだな」といちいち鼻につく森宮さんにクスッとしながらも少しあきれてしまう。
映画では「もし優子ちゃんが病気になったら運転して連れてかなきゃいけないから、二十歳になるまでは禁酒って決めたの」と言って、どんなにお酒に合いそうな料理であっても断固としてノンアルコールビールしか飲まない森宮さん。
原作でも同様の決心をしているものの、「餃子やおでんなど、アルコールに合うおかずが並ぶとガンガンお酒を飲む。身勝手な覚悟なのだ。」と優子が呆れていることから、森宮さんに関しては映画化にあたり人物像を大幅に変更したと考えられる。
やはりこれは、「女子高生がお父さんにしたい芸能人ランキング」1位である田中圭の宿命なのだろうか。もちろん「理想のお父さん」も満足なのだが、『おっさんずラブ』の春田のような”理想像とは違う田中圭”も拝みたい気持ちもなくはない。
–{梨花の死:ある意味で裏切られた、”どちらにしても”衝撃の結末}–
梨花の死:ある意味で裏切られた、”どちらにしても”衝撃の結末
映画ではすでに病死してしまった設定になっている梨花。
ここは、原作を読んで非常に驚いた。梨花は、死んでいなかったのだ。
早瀬くんとの結婚にあたり、泉ヶ原さんや水戸さんをはじめ、梨花ともなんとかしてアポイントを取る優子。そこで、梨花はすでに亡くなっていることを知る。
原作では、病弱になっている梨花は描かれているものの、結婚式にも出席し優子の花嫁姿も無事見送ることができている。
映画を先に観ていたため、「え、梨花はどのタイミングで亡くなってしまうんだろう」と原作をソワソワ読み進めているうちに何事もなくハッピーエンドで締めくくられたので、正直なところ少し呆気にとられてしまった。
後々考えると、亡くなるタイミングによっては映画以上に悲しくなってしまうので、原作の展開は確かによかったのかもしれない。
どちらが正解だったのかは、わからない。
ただ、映画化にあたり”すでに亡くなっている”設定にしたことは、大衆に向けた作品の在り方として当然だとは思う。
また、映画では梨花は”子供が産めない身体”という設定になっていたが、原作ではそのような描写はなかった。
時間が限られている映画という世界で、梨花の優子への並外れた愛情を表現する描写として最適解だったのではないだろうか。
そして、バトンは渡された:それぞれの楽しみ方の最良とは
原作の情報量が多いからこそ、空っぽの状態でまず映画を味わい、脳内で組み立てられている骨組みに少しずつ装飾を施すような感覚で原作に向かい合うことが、原作「そして、バトンは渡された」と、映画『そして、バトンは渡された』の最大の楽しみ方であることを、勝手ながらここに証明する。
(文:桐本絵梨花)
ーーーーー
cinemas PLUS コミュニティを作りました!
・お気に入りの著者をフォロー&記事のブックマーク
・ムビチケや独占試写会プレゼントのご案内
・週2回メルマガ配信
今後もコミュニティ会員限定のプレゼントやイベントを企画予定!
コミュニティ登録はこちらから↓
https://cinema.ne.jp/auth/register
–{『そして、バトンは渡された』作品情報}–
『そして、バトンは渡された』作品情報
ストーリー
森宮優子(永野芽郁)は血の繋がらない親の間をリレーされ、4回も苗字が変わった。今はわけあって料理上手な義理の父・森宮さん(田中圭)と二人で暮らしている。卒業式で弾く『旅立ちの日に』を猛特訓する優子。将来のことも、恋のことも、友達のことも、うまくいかないことばかりだった……。一方、梨花(石原さとみ)は夫を何度も変えて自由奔放に生きている。泣き虫な娘・みぃたんに愛情を注ぎ暮らしていたが、ある日、娘を残して突然姿を消す……。
予告編
基本情報
出演: 永野芽郁/田中圭/岡田健史/稲垣来泉/朝比奈彩/安藤裕子/戸田菜穂/木野花/石原さとみ/大森南朋/市村正親
監督: 前田哲
公開日:2021年10月29日(金)
製作国:日本