<東京が焼け野原?>『東京自転車節』は狂気あり笑いありのリアル・ロード・ドキュメンタリー

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ドキュメンタリー映画『東京自転車節』の快進撃が止まらない。7月10日にポレポレ東中野(東京)で公開されて以降、第七藝術劇場(大阪)、名古屋シネマテーク(愛知)で順次全国公開され、10月に入ってからはシネマチュプキタバタ(東京)、ジャック&ベティ(神奈川)、川越スカラ座(埼玉)、元町映画館(兵庫)とさらに館数を伸ばしている。

筆者は、10月に「青柳拓監督のトークショー付き上映」@シネマチュプキタバタに駆けつけ、その後監督と実際に話をする機会に恵まれた。いや、マジでコレいい映画!んで、青柳拓マジでいい人!…という訳でいま筆者は、「少しでも、この映画の素晴らしさを多くの人に伝えたい」という想いで、この稿を執筆しております。まずは、簡単に『東京自転車節』の概要から紹介していこう。

映画を観れば、絶対好きになる。愛されキャラの青柳監督

【予告編】

映画は、2020年3月の山梨県甲府市から始まる。地元で映画作りを続けながら運転代行のバイトをしていた青柳監督は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて職を失うことに。もともと大学進学時に借りた奨学金の返済額が500万円を超えているうえに、生活費のアテもない。たちまち困窮の危機に瀕してしまう。

そんなとき、日本映画大学(旧日本映画学校)の先輩から、「コロナで需要が高まっているウーバーイーツのバイトをやってみたら?」という提案を受ける。そして、ついでに「その様子を映画にしてみたら?」と。その先輩こそが、本作の構成・プロデューサーを務めている大澤一生さんである。

青柳監督は単身自転車で東京に乗り込み、スマートフォンとGoProで撮影しながら、ウーバーイーツ配達員としてコロナ禍の東京を駆け抜ける。宿無し金なし状態のなかで、彼は必死に毎日を生き抜いていく…。と書いてしまうと、いわゆる貧困層の実態を追ったヘビーなドキュメンタリーと思われそうだが、時々「あー疲れたー」と大の字になって、友達の家でゴロゴロしたりするのが逆にリアル。彼は、映画を観れば絶対好きになる愛されキャラなのだ。

青柳監督を取り巻く面々も個性豊か。例えば、飲み物を奢ってくれたり、何かと電話をかけてきて彼のことを心配してくれるひいくん。彼は生まれ故郷・市川三郷町の有名人で、監督第1作『ひいくんのあるく町』(2017年)の主人公でもある。第2作『井戸ヲ、ホル』(2020年)にも出演している、いわば「アオヤギ・ユニバース」のメインキャストも言える存在だ。

緊急事態宣言が解除されるまでステイホームを続ける、映画仲間の土くん。「大スターになりたい」と夢を語る、俳優(?)のおじさん。みんなみんなインパクト大で、みんなみんな愛おしい。『東京自転車節』は、緊急事態宣言下の東京を生々しく切り取った社会派セルフ・ドキュメンタリーではあるけれども、どこかユーモラスな雰囲気に包まれている。

そしてこれこそが、終盤に訪れる“ある展開”のフックになっているのだ。

–{“ジョーカー”への変貌}–

“ジョーカー”への変貌

筆者がこの映画で最も驚愕したのは、“純粋で朴訥”キャラだったはずの青柳監督が、一瞬ではあるものの“ジョーカー”としての顔貌をスクリーンに晒す瞬間である。そのギャップに、心底震え上がってしまった。

青柳監督のコメントを抜粋してみよう。

「僕は問題を指摘したり怒って糾弾することが苦手で、何か理不尽なことがあると笑って受け入れてしまうところがあります。(中略)映画の後半はさながら『ダークナイト』や『ジョーカー』のような雰囲気になっていますが、当時の自分は確実に社会に対しての違和感や鬱憤が蓄積されていたんだと思います。自分で言うのもなんですが、自分のあんな素敵な笑顔は久しぶりにみました。まさか狂った先に笑顔があるだなんて思ってもいなかったし、それこそジョーカーのようで、恐ろしい状況だったと思います」(映画パンフレットより抜粋)

未見の方のために詳細は省くが、映画の終盤、自転車を漕いでいる青柳監督の表情が、みるみるうちに狂気に侵されていくようなシーンがある。ただ注文を受けて配達をしているだけなのに、「本当に青柳監督は、正気を保ったまま目的の場所にたどり着けるのだろうか?」とか、「突然自動車に衝突したりするんじゃないだろうか?」とか、筆者はあらぬ心配をしてしまったのである。

思えば2019年に公開された『ジョーカー』は、架空都市ゴッサム・シティを舞台に描かれる“ヴィラン誕生譚”だった。財政は崩壊し、貧富の差は拡大の一途を辿り、街は貧困と暴力に溢れている。主人公のアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、コメディアンとしての成功を夢見ながらピエロとして日銭を稼ぐ日々を過ごしているが、やがて精神のバランスを崩し、ジョーカーとして覚醒するに至る。街の毒気が、ひ弱で心優しい青年を悪のカリスマへと染め上げたのだ。

青柳監督は白塗りメイクを施して階段で踊ったりしないし、ジョーカースマイルを浮かべて暴徒たちを扇動したりもしない。ただ、無我夢中で自転車を漕ぎまくるだけだ。だが肉体的にも精神的にも疲労し、街の毒気を浴び続けることで、彼は“変貌”する。ケタケタと笑いながら舌を出し、「孤独」だの「ハイエナ」だの呪詛の言葉を唱え続ける。その“変貌”が、GoProを通して活写されているのが生々しい。

「GoProは単純に迫力のある映像を撮れるだけでなく、撮り手の肉体的な疲労とシンクロしやすいと感じていました。GoProを肌身離さず持って撮影していれば、体の一部になったようなしっくり感を作り出すことができるとわかったので」(映画パンフレットより抜粋)

ジョーカーにメタモルフォーゼするまでの過程が、YouTuber的セルフ・ドキュメンタリーという手法をとることによって、身体感覚を持って描き出されているのだ。こんなの、本家本元の『ジョーカー』でも観たことない!

–{「東京は焼け野原だ」}–

「東京は焼け野原だ」

青柳監督があの瞬間にジョーカーになっていたとするなら、東京はすでにゴッサム・シティになっている、ということだ。それがあまりに当たり前で日常の風景になってしまっているがゆえに、我々自身もその事実を見逃してしまっている。いや、知らないフリを決め込んでいる。

公園のベンチに座っていると、あるおばあさんが話しかけてくるシーンがある。「この辺りはかつて、丸焼けだった」と教えられると、「コロナ禍の東京は今でも焼け野原だ」と監督はモノローグで噛みしめる…。

『東京自転車節』は、一人の青年が東京にやってきて、その毒気を浴びて“ジョーカー”に変貌し、この街が焼け野原=ゴッサム・シティであることを自覚するまでの記録だ。凡百のドキュメンタリー作品が束になってかかっても叶わないほどの、生々しいリアリティと身体性を、この映画は獲得している。筆者が『東京自転車節』を激推ししている理由は、その一点にある。

青柳監督自身の発言のなかで、非常に興味深いものがあった。ウーバーイーツには、一定の条件をクリアすると追加報酬が貰える「クエスト」というインセンティブ・システムがある。それが、ゲーム感覚で楽しいのだと。彼はウーバーイーツというシステムに操られていることを自覚しつつ、それを楽しんでいるのだ。それを語っているときの彼の表情は、とても穏やかで柔和なものだった。

青柳監督は東京に住まいを借りて、新しい作品の構想を固めているところだという。だが、ウーバーイーツのお仕事も絶賛継続中。大きなデリバリーバッグを背負い、今日もどこかでチャリを漕いでいる。

「労働ってシステマチックなものじゃなくて本来もっと人間らしい血の通った作業だと思うから、ウーバーイーツという身近なシステムくらい自分の力で血の通ったものにしたいと思いました」(映画パンフレットより抜粋)

人が作った食べ物を人に届けるという行為に喜びを感じ、彼はその繋ぎ役であることに誇りを感じている。だからこのゴッサム・シティで走り続けていても、青柳監督は“純粋で朴訥”な自分に戻ることができたのだろう。それを目撃するだけでも、『東京自転車節』という作品には一見の価値がある。願わくば、より多くの人々にこの映画が届けられますように!

(文:竹島ルイ)

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–{『東京自転車節』作品情報}–

『東京自転車節』作品情報

【あらすじ】
「ひいくんのあるく町」の青柳拓監督が、2020年緊急事態宣言下の東京で自らの自転車配達員としての活動を記録したドキュメント。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため緊急事態宣言が発出された2020年の東京。自転車配達員として働くことになった青柳は、スマートフォンとGo Proで自身の活動を記録していく。セルフドキュメンタリーを踏襲しながら、SNS動画の感覚でまとめあげた日常を記録した映像を通し、コロナ禍によって生まれた「新しい日常」とは何かを問いかけていく。

【予告編】

【基本情報】
出演: 青柳拓/ 渡井秀彦/芋生悠/ 丹澤梅野/ 丹澤晴仁ほか

監督:青柳拓

公開日:2021年7月10日(月)

製作国:日本