北海道函館市が生んだ小説家・佐藤泰志の文学が映画化されるのは『海炭市叙景』(10)『そこのみにて光輝く』(14)『オーバー・フェンス』(16)『きみの鳥はうたえる』(18)に続いて5本目となります。
これまでの4作品はすべて高評価ではありますが、本作も負けず劣らずの秀作に仕上がっているのは、原作の良さは当然としても、そのエッセンスを真摯に掬い上げていく斎藤久志監督の秀逸なキャメラ・アイによるところも大きいでしょう。
長回しを基調とした撮影は絶対にだれることなく、時にヒリヒリした緊張感をも保持し続けながら、それぞれのキャストの魅力を瑞々しく引き立てていきます。
東出昌大はこのところ『スパイの妻』(20)『おらおらでひとりいぐも』(20)『BLUE/ブルー』(21)など何を見ても良いのですが、久々の主演映画となった本作はさらに心の病から再生への道を模索していく若者をナイーブに演じ切っています。
彼と本作が映画本格初出演という高校生たち(KaYa、林裕太)と一緒にランニングしていくさまは、おのおのの人生の何某かの再生に向かって走っているかのように美しく映えていました。
もっとも、走る際の呼吸の荒さはそのまま人生の不安定さをも象徴しており、ひいては死をも意識させる危うい機能まで働かせています。
一方で主人公の妻に扮する奈緒も『みをつくし料理帖』(20)以降、特に今年2021年は『先生、私の隣に座っていただけませんか』『君は永遠にそいつらより若い』『マイ・ダディ』と大躍進の年となってますが、本作も原作になかった夫婦の確執をデリケートに醸し出しながら、その流れに加えてしかるべき好演を示しています。
夫との微妙な関係性に疲れた彼女が、愛犬ニコとともに走るシーンの切なさといったら!
斎藤久志監督は一見淡々としたタッチの中から濃密なまでにキャラクターの個性を情感豊かに引き出すことに長けた才人ですが、今回もその長所がフルに発揮されながら、いつしかすべての人間の再生も、それに伴う危うさの可能性までもが示唆されているようです。
斎藤監督とは『はいかぶり姫』(86)の頃から名コンビのキャメラマン石井勲の撮影も函館の風景と人間たちのバランスが巧みで、気づくとその画にずっと見とれ続けている自分がいました。
主人公夫婦とその友人(大東駿介)、愛犬がベランダに並ぶ横構図の画は、全編の中でも屈指の美しくも静謐な鮮やかさ!
5回目の佐藤泰志・原作の映画世界化、今回も大成功でした。
(文:増當竜也)
–{『草の響き』作品情報}–
『草の響き』作品情報
【あらすじ】
東京で出版社に勤めていた工藤和雄(東出昌大)は、次第に心に失調をきたし、妻の工藤純子(奈緒)と共に故郷の函館に戻る。そして昔からの友人で今は高校の英語教師として働く佐久間研二(大東駿介)に連れられ、病院の精神科を受診。医師の宇野(室井滋)は自律神経失調症と診断、和雄に運動療法として毎日ランニングをするよう指示した。和雄は医師の指示に従い、仕事からしばらく離れることにし、毎日同じ場所を走ることに。徐々に走る距離は伸びていくが、走る以外は、家事をすることも、純子を気遣うことも何もできない。純子は、函館山のロープウェイで案内スタッフとして働き始めた。東京出身の彼女にとって、函館で頼れるのは夫とその両親だけ。黙々と走る夫と、愛犬ニコとともにどうにか生活を続ける。一方スケボーで街を走る小泉彰(Kaya)は、札幌から函館に引っ越してきた。転校したばかりで孤立気味だったが、同じバスケットボール部の同級生から、夏になったら海水浴場の近くにある巨大な岩から海へダイビングしようと誘われる。誘いに乗る彰だったが、実は泳げず、市民プールで練習することに。そこで、目を見張るような泳ぎをする高田弘斗(林裕太)と出会う。弘斗は以前中学でいじめられ、不登校になった経験があるらしい。弘斗は彰に泳ぎを教える代わりにスケボーを教えてほしいと言い、やがて弘斗の姉・恵美(三根有葵)を交え人工島の緑の島の広場で遊ぶようになる。広場で花火をしていたところ、その周りを走る和雄に気付き、彰と弘斗は追いかけるように走り出した。すぐに脱落した弘斗をよそに、必死で和雄と並んで走り続ける彰。それ以来3人は時々一緒に走るようになり……。
【予告編】
【基本情報】
出演:東出昌大/奈緒/大東駿介/Kaya/林裕太/三根有葵/室井滋
原作:佐藤泰志
監督:斎藤久志
脚本:加瀬仁美
上映時間:116分
映倫:PG12
製作国:日本