「鬼滅の刃」のアニメが地上波でオンエアされるのは何度目だろうか。
年末だけではなくどこかのタイミングで昼間にも放送していた。個人的には録画したものを何度となく観ていたので、今さら地上波で観ても……やっぱりおもしろい。困ったものである。
物語がおもしろいのはもちろんのこと、際立っているのがそれぞれのキャラクターだ。そしてそのキャラクター同士の絡みによってさらに個性が際立たせられる。
本記事では、それぞれのキャラクターの関係性について、筆者の独断と偏見で考察してみた。
(※竈門禰豆子の「禰」のへんは「ネ」の字です。)
長男と長女の危ういバランス【炭治郎×禰豆子】
まず注目したいのは、やはり物語の始まりとなる炭治郎と禰豆子の関係性だ。兄と妹でしょ? そのとおりだ。5人きょうだいの長男と長女だ。
禰豆子の鬼の特性として身長の伸縮があり、幼子のように見えるときがあること、また炭治郎の背負う木箱の中に入っていることもあり、庇護対象のように思えるが、人間だったころは炭治郎と共に母を支え、妹と弟たちの面倒を見ていた。
また、鬼襲来後、炭治郎が発見したときの禰豆子の様子が印象的だ。弟の六太をかばって倒れていた。物語の冒頭では、六太をおんぶして寝かしつけている。この2つのシーンでも、禰豆子の優しく家族思いの性格と、炭治郎がいない中、家族を守らなければならないという責任を感じていたのでは、と推察できる。
炭治郎は、まだ息がある禰豆子を背負いながら「俺が他所の家でぬくぬくと寝ていたときにみんなは惨いことに」と後悔と罪悪感、うしろめたさを感じていた。
でも、禰豆子は鬼に襲われた瞬間、「お兄ちゃんが家にいなくてもよかった」「お兄ちゃんだけでも助かってよかった」と考えている可能性はありそうだ。
ふたりとも単純に、たったひとりの家族を亡くしたくないという気持ちはあっただろう。同時に、炭治郎も禰豆子も互いをひとりにさせない、自分は死んではならない。それでも、何かあったときは自分の命を投げ出すというは責任感を持っていたのではないか。兄と妹の間にはそんな危ういバランスの中にいて、2人の関係は保たれていたのかもしれない。
早い段階から、禰豆子は守られる立場ではなく、兄と背中合わせで戦うようになっているのも、もともとの家族としての力関係が反映されているのだろう。
父が死んだばかりで父の代わりを果たそうとしていた炭治郎。そんな炭治郎を支えていた禰豆子。父を失った中で懸命に生きようとしていた2人の想いを踏みにじるような初回は、あらためて「鬼滅の刃」の残酷な世界観を凝縮している。
ちなみに物語スタート時、炭治郎が13歳で禰豆子が12歳という設定だ。だからこそ、これほどピュアにきょうだいのことを思えたのかもしれない……と思うが、どう転んでも鬼がクソである。
–{まるで三兄弟?【炭治郎×善逸×伊之助】}–
まるで三兄弟?【炭治郎×善逸×伊之助】
禰豆子との道中で終始描かれるのかと思っていたところに登場したのが善逸と伊之助だ。2人とも炭治郎とは同期の鬼殺隊剣士にあたる。
初登場時の2人の印象というのは、あまりよいものではないかもしれない。善逸は女の子に「結婚してくれ」とすがりついているし、伊之助にいたっては猪のかぶりものをしていて何がなんだかである。おまけに禰豆子が入っている木箱を壊そうとする傍若無人ぶり。
そんな3人がなりゆきとは言え、共に行動していくようになったのは、それぞれの属性によるのではないだろうか。長男である炭治郎、消極的で弱気な善逸には兄弟子がいたし、一人っ子で我が道を行く猪突猛進の伊之助。
炭治郎はそんな3人の中で臆病で消極的な善逸を叱咤して励まして、ときには当たり前のことのように優しくして、伊之助にはやっていいことと悪いことを教え、体の心配をし、欲しいといえば夕飯のおかずだって分けてやる。5人きょうだいの長子をなめてはいけない。下に4人もいれば、性格もバラバラなのだから、2人ぐらいお手の物である。
そのせいか、3人の関係は仲間とは少し違うようにも思う。目標はバラバラだし、「仲間のために!」というわけでもない。出会って間もないからというのもあるが、そもそも鬼殺隊自体、「鬼を倒す」という大きな目標は同じでも、平隊員になると「目の前の鬼を倒す」「家族の仇を討ちたい」「出世したい」など「鬼を殺す」という行為についても目標のラインが変わってくる。
炭治郎たちも最初はたまたま戦いを共にする者という意識だったが、何しろ炭治郎が働き者で世話焼きである。どうしたって家族のような空気が出てきてしまう。そんな炭治郎に善逸と伊之助がついていくのは、必然だったのかもしれない(善逸は禰豆子の存在も大きいだろうけれど)。
–{この世の理不尽を叩きつける【炭治郎×冨岡義勇】}–
この世の理不尽を叩きつける【炭治郎×冨岡義勇】
家族が鬼に惨殺され、生き残った妹を背負って山を下りていたら突然の鬼化、パニックの中、鬼化した妹をどうにか正気に戻そうと奮闘していたのに突然斬りかかられ、助けてくれと土下座をしたら「生殺与奪の権を人に握らせるな!」と怒られる。炭治郎にとって冨岡義勇とはなんだったのか。
正しい、冨岡さんは正しいのだ。炭治郎が「助けてくれ」と頭を下げたところで鬼に通用しない。弱かったら喰われて終わる。妹を助けたければ強くなれ――と鬼殺隊への道しるべを立ててくれた。
冨岡は人の話に聞く耳も持っていたし、潜在能力を見抜く力を持っていた。運もあるが、炭治郎はギリギリの状況ながら、冨岡に認めさせるための行動を取ることができた。冨岡は冷徹に見えても、話し合いの余地もあった。他の柱なら、耳を貸さなかった可能性は大いにある。その「余地」があったのは冨岡自身が鬼殺隊に入った理由にも紐づきそうだ。
冨岡は姉を鬼に殺されている。その後、鬼殺隊に入るための道を歩み始めることになった。無意識のうちに、炭治郎と自分の境遇を重ねた部分があったのか。
炭治郎を鬼殺の道に進ませたことによって、炭治郎にとっては強い縁ができた人物だ。現段階では、炭治郎にとって冨岡は「危険な場面で助けてくれる人物」だが、その関係が少しずつ変わっていくことになる。ただ、それはもう少し先の話だ。
それにしても、冨岡の過去の話については「大正コソコソ話」で済ませていいものでもない気がするが……。
–{炭治郎の“長男力”は物語の要のひとつ}–
炭治郎の“長男力”は物語の要のひとつ
炭治郎を中心としたキャラクターとの関係性を考察してみたが、ポイントとなるのはやはり炭治郎の長男力だ。
何かと炭治郎は「長男だから」と言うが、この言葉は弟や妹たちを忘れないこと、自分を奮い立たせるという意味のほかに、物語の中での立ち位置も表わしているのではないか。世の長男(というより長子)にプレッシャーをかけるというわけではなく、大正時代の長男の責任は今よりもずっと重かったはずだ。
また、家族の中で完結していた関係性が突然、外に放り出されたことによってさまざまな場所でも長男力が発揮されることになった。これもひとつのコミュニケーション術なのかもしれない。
では長男同士ではどうなるかというと、まだまだ炭治郎も子どもではあるので、圧倒的長男力を持っている人間には憧れを抱く。一方で長男であることを捨てた人とはものすごく反発しあう。炭治郎は長男であらんとするところがあるからだ。
今後、長男属性を持っているキャラクターとの関係性にも要注目だ。
(文:ふくだりょうこ)
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