【夏の終わりに観たい映画】『スタンド・バイ・ミー』から友の大切さを教わった

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編集部で夏の終わりに観たい映画について書く企画の開催が決まり、すぐに頭に思い浮かんだのが、『スタンド・バイ・ミー』だった。ありきたりだよなぁと思って、少し回想を続けると、小学生のときに観たポケットモンスターやドラえもんも候補として出てきた。どれもこれもありきたりで、夏の終わりの映画って難しいと率直に思ってしまった。

夏の終わりに聴きたい楽曲ならいくらでも思いつくのに、映画になった途端に思考が止まってしまう。普段は恋愛記事をたくさん書いているので、「恋愛映画でもいいか」と思いはしたものの、いつもどおりじゃつまらないと思ったのも事実。だから今回は、友との思い出を思い出すきっかけになった不朽の名作『スタンド・バイ・ミー』について書いていきたい。

『スタンド・バイ・ミー』ってどんな作品?

 

1989年に公開された12歳の4人の少年が体験したひと夏の大冒険。物語は親友であるクリスの訃報を新聞で知り、過去に思いを馳せるゴーディが映し出される場面から始まる。クリスとの1番の思い出。当時12歳だった4人の少年のひと夏の大冒険を描いた物語が『スタンド・バイ・ミー』だ。

『スタンド・バイ・ミー』は、いまや青春映画の代表作として、現在も語り継がれている。ただの冒険映画と思った人には、その予想を覆される瞬間をぜひ味わって欲しい。

1人の友の盗み聞きからひと夏の大冒険は始まった

舞台は1950年代末のアメリカ、オレゴン州の小さな町キャッスルロック。彼らのひと夏の大冒険は、「森で死体を見つけた」という話を盗み聞きしたバーンが、秘密基地で仲間に話したことがきっかけで始まった。

死体を見つけた第一人者になれば、村で英雄になれる。

そんな邪な気持ちで始まったひと夏の大冒険。目的地には車であれば、半日足らずで着く。しかし、車もなければ、彼らは電車に乗るお金すら持たない12歳の少年だ。

交通手段は徒歩のみ。徒歩で目的地に向かう場合は、丸1日も掛かってしまう。しかし、交通手段以外にも問題がある。彼らが冒険をするためには、「家族にバレない」が必須条件。12歳の少年が1日以上家を空ける場合は、それなりの理由が必要となる。4人で協議した結果、家族に友とキャンプをすると嘘をついて、目的地を目指した。

幼少期に親に心配を掛けさせまいと嘘をついた経験は、きっと誰もが持っているはずだ。たとえば恋人の家に泊まるのに、友の家に泊まると嘘をついたり、自分が悪いことをしたくせに、知らんふりや別の友のせいにしたりだとか。その心理は「怒られたくない」がすべてであり、子どもながらに懸命に考えた末のかわいい嘘である。

2つのグループの対比

物語には、ゴーディ並び4人の不良少年グループとエース並び複数人の若者不良グループが存在する。彼らは共に不良集団だが、後者は大人であり、車を所有している。一方ゴーディたちの移動手段は徒歩のみだ。目的地に車であっという間に付いてしまえるけれど、ゴーディたちのような徒歩での大冒険は大人にはできない。試みようと思えば徒歩でも辿り着けるかもしれないが、つい便利さを取ってしまうのが人間という生き物だ。

車に乗って目的地に向かうのではなく、目的地に徒歩で向かったからこそ、彼らの冒険は大冒険となりえた。そして、物語に厚みが増したのは、少年と大人の対比が描かれたからだろう。30年以上本作が経ったいまでも名作だと呼ばれる理由はきっとここにある。

ゴーディが抱えた悩み

少年期と言えば、友達関係や進路、恋愛など悩みが付き物だろう。苦しいくせに笑って誤魔化して、つい自分に嘘をついてしまう。自分に嘘をつくことに慣れて、大人になっても他人に悩みを打ち明けられない人は実際に多いはずだ。大人になったいまではもう笑い話だが、誰にも悩みを打ち明けられずに苦しんだ過去が筆者にもある。

そして、ゴーディもかつて少年期だった筆者と同じように、誰にも打ち明けられない悩みを抱えていた。彼は優秀な兄を亡くした過去を持つ。優秀な兄と不良になってしまった弟。両親から見放されていると子どもながら感じ取った彼は、やがてコンプレックスを抱えてしまった。

普段から物語を作るのが好きなゴーディ。たとえ物語を作ったとしても、両親は見向きもしない。認められたいのに認められない彼を見て、クリスが「偉大な作家になれよ」と告げる。

深夜の森の中で、ゴーディは兄の葬儀の夢を見た。兄が棺に埋められた場面で、父の目から「お前が死ぬべきだった」と言われていると感じ、飛び起きた。悪夢に悩まされるゴーディに対して、寄り添ってくれたのもまたクリスだ。いつしかゴーディにとってクリスは欠かせない親友となっていた。

クリスに悪評がついた原因は大人にある

クリスは村の中で、家族共々に評判の悪い少年である。悪評が付くようになった最も大きな理由は、クラスのミルク代を盗んだことがバレたためだ。この物語には続きがあって、ミルク代を盗んだことを悪く思ったクリスは、担任の先生にミルク代を返したそう。でも、担任の先生はミルク代を自分が欲しかったスカートに使ってしまった。

一般的な先生の場合は、親と子どもに注意してそれで終わりで済む話。しかし、担任の先生はミルク代を盗んだ事実だけを公表して、すべての責任をクリスに押し付けてしまったのだ。

不良の言葉など誰も信じない。そう感じたクリスは泣き寝入りをする羽目になった。ミルク代を盗んだ事実はたしかに許せないが、悪いと認識したクリスの心を弄んだ担任の先生は大人の風上にも置けないってものだ。

クリスが涙を流しながら真実を告げる場面の演技力は圧巻。まだご覧ではない人がいれば、ぜひ実際にご自身の目で確かめて欲しい。

–{ついに目的地にたどり着いた4人の少年}–

ついに目的地にたどり着いた4人の少年

山を越え、森を抜け、度重なる困難を乗り越えた4人の少年はついに目的地にたどり着いた。4人で死体を探して、見つけたのはバーンだった。みんなは死体を運ぶために担架を作ろうとしたが、ゴーディは死体を見ているだけで、その場から動こうとしない。

ゴーディは死体に兄を重ね、「僕が死ねば良かったと父が考えているんだ」とクリスに打ち明ける。その言葉を受けたクリスは「お前はいい作家になれる。困ったら俺たちのことを書けばいい」と慰めた。

安心したのも束の間、車で目的地にたどり着いた不良青年グループのエース達の登場だ。エースは「死体をよこせ」とクリスたちに言い放つが、クリスはその場から離れず立ち向かおうとする。なかなか要求を飲まないクリスを見かねて、エースはナイフでクリスを脅す。

すると、銃を持ったゴーディが現れ、銃の引き金をエースへと向ける。子どものお遊びだと思ったエースだが、ゴーディは本気だった。ゴーディの鬼気迫る表情に「この借りは必ず返す」と言い放ち、その場を立ち去る。

ゴーディの提案により、匿名で警察に電話を掛けることになった、死体は無事に発見されたが、発見の第一人者が露わになることはなかった。4人の当初の目的は叶わなかったが、一生忘れられないひと夏の思い出が彼らの中に残った事実は、英雄になることよりも十分に価値がある。

親友クリスとの永遠の別れ

親友であるクリスとの別れは胸が締め付けられた。誰にも打ち明けられなかった弱音をやっと吐けたクリスは、必死の勉強の末、弁護士になったそうだ。苦労が認められた瞬間を嬉しく思ったと同時に、もうこの世に存在しない彼を悲しく思う。

どうやらクリスは、レストランで喧嘩になった見知らぬ2人の仲裁に入ったときに、運悪くナイフが喉に刺さり、命を落としてしまったようだ。見知らぬ人の喧嘩の仲裁に入る彼は、とても優しい心を持った人間である。でも、それがきっかけで優しい人間がいなくなった。その事実がただただ悲しい。

4人の少年の中で、1番報われてほしいと思ったクリスに襲った悲劇。クリスの悲劇を知ったゴーディは一体どんな気持ちだったんだろう。そして、4人のひと夏の大冒険を物語にするまでに、どんな葛藤があったんだろうか。綺麗に終わりたい。でも、終われない。そんな願いが、ベン・E・キングの不朽の名曲である『Stand by Me』の「いつまでもそばにいて」にすべて凝縮されているんだろう。

主人公のゴーティが「あの12歳の時のような友達は、もうできない。もう二度と」とPCに文字を打つシーンで物語は締めくくられる。ゴーディが打ったその文字を観た瞬間に、自分の人生でどれだけの友達に救われたのかを改めて考えた。

12歳の頃に必死で、サッカーボールを追いかけていたときも、いつもそばには友がいた。サッカー選手になることを諦めて、悔しがる筆者を慰めてくれたのも友だった。21歳で母を亡くしたときも友がいた。そして、27歳の夏に難病になったときも友がいた。

自分の人生は、友によって支えられている。すべての過去を美談にできなくたっていい。そっちの方が人間臭いし、生きてるって感じがする。でも、美談にしてしまいたい思い出だってあるのだ。それは友と過ごした忘れられない日々たちで、共に汗を流したり、時には喧嘩をしたり、救われたり。そんなかけがえのない友との思い出を筆者は美談だと呼びたい。

実は主題歌『Stand by Me』を恋愛の楽曲だと思っていた

これは完全に余談なんだけれど、ベン・E・キングの不朽の名曲『Stand by Me』を映画を見るまでは、完全に恋愛の楽曲だと思っていた。サビの「ダーリン」はどう考えても愛しい人を連想させるものだし、その後に続く「スタンドバイミー」を繋げると、「愛しい人よそばにいて」という和訳になる。この歌詞を聴いて、恋愛の楽曲だと勘違いしている人はきっと多いはずだ。

なぜ筆者が恋愛の楽曲だと勘違いしていたのか。その理由は、『Stand by Me』が生まれた時代に筆者はまだ生まれていなかったためだ。この楽曲を初めて聴いたのは、うろ覚えだけれど、たしかラジオだったはず。第一印象は「相手を思う気持ちをストレートに表現した素敵な楽曲」だった。

でも、『スタンド・バイ・ミー』を初めて観た時に、この楽曲が昔の友に宛てた歌だとわかった。12歳の頃にひと夏の大冒険を一緒に共にした4人の友。ゴーディの「あの12歳の時のような友達は、もうできない。もう二度と。」という文で、物語を締めくくったのがその証拠である。

ひと夏の淡い思い出が蘇る『スタンド・バイ・ミー』

『スタンド・バイ・ミー』は12歳の4人の少年のひと夏の大冒険を描いた物語である。夏の終わりの映画として、この映画を思い出す人はきっと多いだろう。だが、筆者がこの作品を選んだのにもちゃんとした理由がある。

筆者のひと夏の思い出として、夏休みに友と秘密基地を作った思い出がある。日中にいろんな場所を巡って集めた家具。家の家具を無断で持ってきたことがバレて、親にこっぴどく怒られた記憶もある。秘密基地が完成したときはコーラで乾杯をして、お菓子パーティを開催した。

夏休みが永遠に終わらなければいい。そして、いつまでも友とくだらないことをしていたい。

でも、そんな淡い希望は簡単に崩れ去ってしまうのだ。夏休みは簡単に終わってしまうし、夏の終わりに大人たちに取り壊されてしまった秘密基地。「4人の少年のように大人に抵抗する力があれば、夏が終わっても秘密基地で遊んでいたにちがいない」と、大人に打ち勝った4人の少年を観るたびに、そんなありもしない「もしも」を考えてしまう。

早朝からいつもの待ち合わせ場所に集まって、夏の炎天下の中、汗をかきながら自分たちなりに創意工夫して作った秘密基地。解散はいつも夜。木の下でみんなで食べたおにぎり。くだらない理由で起きた喧嘩。川を見ながら見た夕日。「また明日な」と当たり前のように毎日友と会っていた夏休み。校舎で学んだ勉強はほとんど覚えていないのに、友と過ごしたあの時間はいまも変わらず心の中に残っている。

『スタンド・バイ・ミー』は夏休みのすべてを捧げて、友と秘密基地を作った思い出。そして夏の終わりに、大人たちに負けて悔しい思いをしたひと夏の淡い思い出が蘇る作品なのだ。

夏の終わりに観たい不朽の名作『スタンド・バイ・ミー』

夏の終わりについ観たくなってしまう『スタンド・バイ・ミー』。今回も本作に自身を重ね、友達との大切な思い出を思い出す機会を与えてもらった。

自分が生きることができないどこかの誰かの物語。それがフィクションであれ、ノンフィクションであれ、映画はいつも人生で大切なことを教えてくれる。ひたむきに生きる懸命な姿や、努力が実らずに泣いてしまう姿に、思わずグッと来てしまうのは、きっと映画に出てくる人物に、つい自分を重ねてしまっているんだろう。

「自分も主人公のように報われたい」とかそんな祈りもあれば、「こんな人生は絶対にいやだ」という拒絶だってある。映画は筆者にとって欠かせないものであり、ある種の希望でもあるのだ。

劇中で現れた永遠に続く線路には、「終わりなんてない」と彷彿させる何かがあった。でも、実際は過ぎ去った夏はもう2度と戻ってこないし、夏は思ったよりも短いものである。これまでに気が付いたら終わっていたなんて夏を、何度も過ごした人は多いんじゃないだろうか。

忘れかけていた大切なものを取り戻す旅が、きっとそこにはあると僕は信じたい。

(文:サトウリョウタ)

–{『スタンド・バイ・ミー』作品情報}–

『スタンド・バイ・ミー』作品情報

【あらすじ】
オレゴン州の小さな田舎町キャッスルロック。それぞれに家庭の問題を抱える4人の少年たちが、町から30キロばかり離れたところに列車の轢死体が放置されているという噂を聞き、死体探しの旅に出る。



【基本情報】
キャスト:ウィル・ウィートン/バー・フェニックス/ジェリー・オコンネル/リチャード・ドレイファス/キーファー・サザーランド

監督:ロブ・ライナー

原作:スティーブン・キング

製作:アンドリュー・シェインマン/レイノルド/ギデオン ブルース・A・エバンス

製作国:アメリカ

公開日:1987年4月18日